百舌鳥

百舌鳥

 遠くで百舌鳥の鳴き声が聞こえる。友美はその音がひどく懐かしい気がした。夫との旅を思い出す。あれは、まだ結婚前のことだった。
「隆さん。待ってください。あなたは歩くのが速すぎます。もうちょっと私にあわせてくれてもいいんじゃありませんか?」
「そうは言ってもね。友美さん。あなただって、少しは速くしてくれる努力をしてくれなくちゃ困るよ。仮にも学生時代陸上部だったんだろう?」
「ええ。そうよ。走るのなら、きっと隆さんにも負けません。でも、歩くってのはもっと息の長いことなんですよ。走ることが非日常だとしたならば、歩くことは日常なんです。穏やかに生きたいと思いませんか?」
「もちろん。それは、僕の望むところさ。でもね、友美さん」
 と、言ったところで、会話が途切れた。隆は神妙な顔をして、木の辺りを指さした。
「みてごらん。百舌鳥だよ」
「あら。風流ね。こんなところにも、百舌鳥がいるのね」
「うん。いるもんだね。きっと、僕らは幸せになれるよ」
 一ヶ月後、隆は友美にプロポーズをした。友美はその場で快諾して、二人は半年後に結婚した。
 今でも友美は、あの時の百舌鳥の声をはっきりと覚えている。それから、夫婦で年に一回、ここに来ていた。今では、もう叶うことのない習慣に目尻に細かな水滴がつく。
「泣いているのかい?」
 きっと、隆ならば、そう声をかけてくるだろう。でも、慰めはしない。とりあえず、隆は泣いている理由を聞き出そうとするはずだ。「ねえ。どうして泣いている?」こんな、調子で。
 今、友美は一人で、この思い出の地に来ていた。わざわざやってきて、やっぱり感じるのは一人の寂しさだ。隆さんの、眉根を寄せた顔が思い浮かぶ。鮮明な映像というより、匂いのような曖昧さをもって、浮かんでくる。
「隆さん」
 友美は思わず声を出していた。だが、誰も返事をしない。友美は思わず一人で笑った。
 馬鹿みたい。あの人にここに来ればまた会えるんじゃないかって、夢見てたなんて。友美は何故、自分がここに来たのか、わからなかった。隆の四十九日が終わってから、ふと思いついたのだ。でも、今は、はっきりとわかる。ここに来れば幸せな時間をわけてもらえるのだ。今はもう、失われた時間の名残を。いや、失われていないのかもしれない。友美は確かに、ここに隆の息遣いを感じていた。
 ノックの音がする。きっと、女将に違いない。
「入ってもよろしいですか?」
 初めて、会った時から丁重な態度は変わらない。もう、女将も80近いと仲居に聞いた。友美も、もう還暦を越えているのだから、80という数字もどんぐりの背比べのような気がした。でも、女将は良い話し相手だった。この旅館に泊まって3日めになるが、毎日、暇を見つけては、女将は友美の部屋に顔を出し、話しをしていく。きっちりと結った髪に香水の匂いを漂わせながら女将が入ってきた。友美は窓際の椅子から立ち上がる。
「お茶をお持ちしました。また、物思いに沈んではったんですか?」
「ええ。百舌鳥の鳴く季節になったのね。そっちのテーブルで飲みましょう。あなたも、少しは飲んでいけるんでしょう?」
「ほな、いただきます」
 二人はお茶をすする。部屋の中は春の日らしく、暑くもなく寒くもなく良い温度だ。
「もう、4月ですなあ。早いもんで、隆さんが亡くなってから、もうふた月になりますか」
「その節はありがとうございました。夫もきっと、喜んでいたと思います」
 友美は葬式に忙しい中来てくれた女将にお礼を言った。女将は微笑を浮かべて、また一口お茶をすすった。
「隆さんは、きっと幸せやったでしょう。こんないい奥さんと生きてこられて」
「そうだといいんだけど・・・。でもね、女将さん。あの人の子供を産んでやれなかったことが、私にはとても辛いんです。あの人は何も言いませんでしたけど、内心何を思っていたか……」
「邪推はあきまへん。それは奥さんの勝手な思い込みでっしゃろ?」
「うん。でもね。わかるのよ。あの人が子供連れの親子を見てるとね。夫婦だからなのね。わかっちゃうから、辛いのよ。あの人も器用なほうじゃないしね。隠そうとはしてたけど、やっぱりわかっちゃうのよ。夫婦ってそんなものでしょ?」
 二人の会話は途切れた。友美は、まだうじうじと悩んでいる自分が嫌になった。もう、隆はいないのだ。もう、諦めて、諦めて、諦めて、生きてきたものが、どうやってもかなわないことに変わった瞬間を友美は真摯に受け止めた。どっちが悪いわけでもない。自然に子供が出来なかったのだ。二人は、やがて子供のことを話題にするのをやめた。そして、40年添い遂げた。子供時代よりも長く一緒にいた隆は、もういない。
「でも、隆さん。あんなお人やったからね。奥さんはでっかい子供がいたような気しまへんでしたか?」
「した。本当にあの人、朝に弱くてね。会社に行くのに、遅刻は絶対嫌って性格じゃない?知ってる?実家のお母さん隆さんの布団を冬に押入れにまず入れてしまってたんだって、それでも、隆さん起きないから、大好きなフレンチトーストを作って、ようやく起きてくるってところよ。そりゃ、苦労したわ」
「でも、駄目なところがある男の人も、魅力ありますやろ?」
「そうね。確かに、そうかもしれない」
 友美は、こうして隆の思い出話をしている自分が不思議だった。
 女将との談笑は最近の客の入りに話しに変わり、潮恋岬の話になった。今も若いカップルや、新婚の夫婦が願かけに来るという。40年程前はただの岬だったのに、と女将と笑いあった。女将が出ていって、友美は出かける支度をした。
夫婦は初めてのここへの旅行で、潮恋岬に行ったのだ。
 思い出は鮮やかな色調をキャンパスに塗りたくった模様がまざまざと現れ出るかのように蘇ってくる。あの時、二人は一人の不思議な老人と出会った。しわくちゃの肌に塩気を含んだ顔は、どこか遠い異国を連想させた。顎に長く伸びた髭はとっくに白くなり、どうにも、老人は立っているのがやっとと、いうような体を岬の岩の腰掛けに預けて、ゆっくりと息をしていた。
二人が、岬の広場を横切り、老人の側を通ると、老人が何やら、小声でささやいた。隆は、はっきりと聞き取れなかったらしい。でも、友美は老人が「地震が起こる」と言ったように聞こえた。緑色の縁の眼鏡をかけた老人の目は決してもうろくした人間のものではなかった。だから、友美は怖かった。友美の苦手な物のベスト3には地震が入っているのだから。聞き返す勇気もなかった。その夜、地震は結局起こらなかった。でも、友美は不安だった。そして、一ヶ月後、東京の住まいで、テレビを見ることになる。
「本日、19時45分。京都で地震が発生しました。震源地はA町。各地の震度をお知らせします」
 隆は仕事帰りで一緒に夕食を食べている時だった。夫婦はまだ、女将とも、それほど親しくなかった。けれど、会ったことのある人間が無事であるかは気になった。でも、結局ニュースでは死者や、けが人がいるという情報はなかったし、二人は安心して眠った。その日友美は夢を見た。あの老人が出てきた。緑の縁は陽光に反射して輝いていた。
「地震はまた起こる。死を恐れずに生きるがいい」 

百舌鳥

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物語作家七夕ハル。 略歴:地獄一丁目小学校卒業。爆裂男塾中学校卒業。シーザー高校卒業。アルハンブラ大学卒業。 受賞歴:第1億2千万回虻ちゃん文学賞準入選。第1回バルタザール物語賞大賞。 初代新世界文章協会会長。 世界を哲学する。私の世界はどれほど傷つこうとも、大樹となるだろう。ユグドラシルに似ている。黄昏に全て燃え尽くされようとも、私は進み続ける。かつての物語作家のように。私の考えは、やがて闇に至る。それでも、光は天から降ってくるだろう。 twitter:tanabataharu4 ホームページ「物語作家七夕ハル 救いの物語」 URL:http://tanabataharu.net/wp/

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更新日
登録日
2016-02-26

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