或友人の日記

一日目

三月二十一日
 思えば辛く悲しい道を歩んで来ました。人生と云うものに、私は幸福を見出だせないのです。人は皆、其を甘えと云いますが、私は、どうしても掴むことが出来ないのです。私は淋しくて堪りません。私には私が在るだけです。
 私の心には家がありません。正確に云えば在りますけれども、中は空なのです。住人も住んでいなければ、家具もありません。そんな箱、家とは云えません。本来なら、そこに家族だとか仲間だとか恋人が住んでいます。もしかしたら、仮想の人間が住んでいるかもしれません。この家は、所謂心の拠り所です。誰もが所有していて、誰かが住んでいます。ところが私の家には、誰も居ません。私が他人の立ち入ることを、どうしても許せないのです。何故なら私は、誰でも家に招き入れてしまうからです。そして、その人に対して特殊な感情を抱いてしまうからです。私には家族が居ますけれども、誰一人私の家に住んでいません。恐ろしいのです。私の思考の枝分かれが、勝手に、有らぬ方向に延びて行くのです。私は其を一所懸命に切り落としますが、切っても切っても瞬く間に再生するのです。友人に対しても、恩師に対しても同じ事をしてしまいます。故に私は常に孤独の中に在ります。誰とも浅い関係しか築けず、又は望んだ関係が築けたと思っても、後々幻だと知るのです。本当は誰かと心から触れあいたいのです。清らかで、深い繋がりを持ちたいのです。それすら叶わぬ夢と悟った時は、絶望し、幾度も自ら人生を終わらせようとしました。
 まだ無垢だった幼い頃、異変の兆候は既に表れていました。例えば想像して、水平な充分に大きい机の上に皿を置いたとします。机は揺れもしないし傾きもしません。ここで本来ならば、簡単に皿を置けるでしょう。しかし、私にとって、想像で机に皿を置くことは容易いことではありません。皿が独りでに滑って落ちてしまうのです。何度も挑戦しますが、直ぐ勝手に落ちていくのです。私の意志の反する事が、実行されます。此が人間に対する感情でも該当するものですから、何時もひっそりと、この歪な性癖に抗わざるを得ないのです。ですから、私にとって本当に大切な人は、その人の為に、私から遠ざけなければなりません。どうして私は、このような苦悩を抱えているのか、私は私の苦悩の為に、其を知ることすら出来ません。
 或人が、私が最近暗い顔をしているから、何かあったのかと気にかけてくれました。私が何も言わない所を見て、人に言えぬのならば書けば良いと言ってくれました。実際に書きましたが、少しは気が晴れました。私は貴方の為に、日記を綴ろうと決心しました。

或友人の日記

ここまでお読みくださり有難うございます。
続く予定ですが、投稿期間がかなり空きます。

或友人の日記

私の友人の独白。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-02-24

CC BY-NC-ND
原著作者の表示・非営利・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-NC-ND