本音を暴かないで 5
高坂と一緒に恵梨たちと合流しようとしていたとき、スマホがまたもやバイブした。画面に表示されている番号には見覚えがなかった。高坂が出るように促すので、彼から少し離れて通話ボタンをタッチした。
「もしもし?」
呼びかけてすぐに、電話の向こうの誰かが答えた。
「もしもし」
(この声、誰だっけ)
なんだか聞いたことのある声だが、思い出せない。私が黙っていると、相手の男性が躊躇いがちに言った。
「僕、里山ですけど」
私は驚いて、危うくスマホを地面に落としてしまうところだった。
「せ、先生?」
様子を遠めに見ていた高坂が、訝しげな表情をする。
「え? 私の番号……」
「夏休み前の懇談の時に教えてくれたじゃないですか」
「そう、でした」
すっかり忘れていたが、懇談の時、確かに私は緊急用に番号を教えていた。兄だけの番号では色々不安である。しかし、家に電話を繋いでいないので、仕方がないと思ってそうしたのだった。
「それよりも、少しお話があるんですが。今は大丈夫ですか?」
里山は早口で言った。焦っているようだ。息遣いもどこか荒々しい。彼はすぐにでも話したいのだ。
「いえ、今祭りに来ていて、友達もいるんです。帰ったら私からかけ直すので、そのときに話しませんか」
「わかりました。何時頃になりそうですか?」
「七時には帰られると思います」
通話を切り、高坂の元へ走り寄る。彼は、何も聞いていませんとばかりに微笑んだ。
「礼司たち、ステージ付近にいるって。行こうか」
私も笑顔で頷いた。
高坂はいつも踏み入ってこない。人が隠したいことを見抜いていて、そこには決して触れないのだ。人の悩みを聞くような素振りを見せても、彼が強引に聞き出すわけではない。悩みを抱えた人が、話したいから聞いてほしいから、彼に言うのだ。そういう姿勢を見ると、ある意味彼は他人に興味がないのかもしれない。
ステージの周辺には人だかりが出来ている。その後方に恵梨たちがいた。彼女たちはステージの方を一心に見つめている。
「恵梨」
「あ、彩知。もう調子はいいの?」
心配するような視線を向けられるが、その瞳はステージに戻りたくてウズウズしていた。
私はステージの方へ目を向けた。まだ何も始まっていないが、これから何か大きなイベントでもあるようだ。よくよく見ると、ドラムやらマイク、スピーカーなどが設置されている。
「スネークが来てるのよ」
蛇? 蛇が演奏するのか、と私は変な顔になる。
「バンドのことよ。知らないの?」
そんな表情を読みとったのか、恵梨にすかさず突っ込まれる。
「スネークって、今人気のバンドだろ?」
中井も知っているようだ。高坂も、へえ、と興味深げにステージを向く。有名らしい。
少し恥ずかしくなった。テレビはやはり見るべきだ。
「そんな人気バンドがわざわざ演奏しに?」
「だって、スネークの出身地ここだから」
なるほどね。地元ならそういうこともあるだろう。しかし、本当に初耳のバンドだ。
「どんなバンドなの?」
その質問には信乃が反応した。
「ヴォーカルが凄いの。もう、なんて言ったらいいかわかんないけど。聴けばわかると思う」
興奮して鼻の穴が膨らんでいる。その気迫に圧倒されて、頷いた。正直興味はないが、友達のお勧めを聞かないわけにもいかない。
「あと五分後くらいよ」
恵梨がステージに顔を戻した。
「メンバーはどんな人?」
「ヴォーカルのタクは、インタビューとかではあんまりしゃべらない感じ。それがクールで良い! って言われてるのね。ギターのアヤトは真逆でおしゃべり。少し小柄だから、中井タイプだね」
「はあ? 俺は小柄じゃねえよ」
中井が憤りを露わにして恵梨を睨んだ。それを全く気にせずに、彼女は続ける。
「ベースのカイはちょっと口調が乱暴なの。でも演奏の腕前は最高よ。ドラムのケンは、無口なのよね。でも、タクと違ってクールなわけじゃないみたい。どっちかっていうと、天然」
相槌を打ちながら聞く。個性的な人たちの固まりだ。性格がこうもはっきりしていると、ファンも綺麗に分かれそうだ。
「ちなみに恵梨と信乃ちゃんの目当ては?」
「あたしはケン。あの天然な感じがかわいいのよ」
恵梨はうっとりと空を見上げた。
「わ、私はアヤトくん……」
信乃の目当てはわかっていた。彼女をよく知らない人が聞いたら意外過ぎて驚くだろうが。聞く限り、アヤトというやつは中井に似ている。小柄でおしゃべりで、たぶんお調子者で。そこだけ見れば瓜二つだ。
「信乃ちゃんはわからないでもないけど、恵梨は意外だわ。ヴォーカルじゃないってところが」
恵梨は、好きなバンドやアイドルグループの中でも、ヴォーカルに惚れ込むことが多い。歌声に惚れるといってもいい。彼女にとって演奏者やダンサーは、ヴォーカルを引き立てる脇役でしかないはずだった。
「だってえ、タクはクールって言われてるけど私からしてみたら、ただ冷たい人って見えるんだよね。ファンを大切にしてる感じがないって思うし」
ファンを大切にする、というのがどういう行動なのかわからなかった。握手会的なのでもの凄くファンに親切にしたら良いのだろうか、それとも大切にしていますと公言すればいいのか。
「でも歌は良いんだね」
「そう! 歌はね」
信乃が大きく同意を示した。
「俺は名前だけしか知らなかったから、聴くのが楽しみだな」
高坂も音楽に興味があるらしい。
「もうそろそろ始まるぞ」
私たちの会話を打ち切るように中井がステージを顎で指した。
ステージの照明は消されている。ステージ付近の群衆のざわめきが、潮が引いていくように静かになった。
ぼーっとステージを見つめていると、突如ステージにスポットライトが当てられた。その光の中にはヴォーカル、タクの姿があった。それをみとめると観客たちは一斉に歓声をあげた。その声に思わず肩が跳ねあがる。隣で高坂が笑った気がした。
スポットライトがメンバー全員に当てられると、おしゃべりのアヤトがマイクを手にとった。
「みんな、今日は来てくれてありがとう。短い間だけど楽しんでいってくれよ」
彼の言葉に観客の黄色い声が答える。アヤトが大きく手を振って、マイクをタクに手渡すと、再びステージ上は暗くなった。
どこからか澄んだ風が吹いてきた。なんだろう。この感じ。私は自然と目を瞑っていた。
楽器たちが歌い始める。想像していたよりも優しい響きだった。そこに重なる賛美歌のような歌声にうっとりと聴き入った。悲痛な悲鳴にも聞こえるそれに、私はいつしか魅せられていた。
それらが音をたてなくなっても、耳の奥にこびり付いたように音が響いていた。感動の波が胸に溢れた。
「ね? 凄いでしょ。歌詞が無いってのがまた良いんだよね」
恵梨は涙ぐんでいる。私は言葉が出てこなくて、頷いた。これはバンドの域を越えている気がする。
ステージに立つタクの姿が消えると、やっと全身の緊張が解れた。座り込みそうなのを、足を踏ん張って耐える。
「ふうん。噂に聞くほどじゃなかったね」
高坂が残念そうに言うのを、驚いて見つめる。彼の表情から、がっかりしているのがわかった。
「高坂本気で言ってる?」
恵梨がむっとした。
「え? そうだけど。素人丸出しだったし」
ぽかんと彼女が口を開けた。信じられない、というような表情だ。
「高坂くん、言い過ぎだよ」
信乃が不満げに口を尖らせた。彼女が強きに出るのは珍しい。よほど気に障ったらしい。
「まあ好みの問題もあるし。私は好きだよ」
フォローのつもりだった。せっかく祭りに来ているというのに、揉めるのは勘弁だ。それに、高坂が今日ばかりは譲りそうになかった。珍しく意地になっているのだ。そんな性格ではなかったはずだけれど。
「長井さんはあんなのが好きなの?」
彼には悪気一つとしてない。表情は至って穏やかで、言葉の毒が見えない。ヴォーカルを陥れる考えもなく、純粋な意見として言っている。表面的には悪口にしか聞こえないのだが。
「うん。好きかな。今日初めて聞いたけど」
ふうん、と高坂が頷いた。信乃と恵梨は好みなら仕方がない、と思ってくれたようだ。
「次、ストリートパフォーマンス見に行かない?」
恵梨の提案に私は賛成した。中井と高坂は帰るらしく、会場出口の方で別れた。結局、信乃と恵梨と私の三人で行くことになった。
「よさこい良かったねえ」
パフォーマンスの目玉であるよさこいが終わると、人波はさっと引いた。ほとんどの人が屋台通りへと向かって行く。お腹が空いたのだろう。
私たちはそこに残って、パフォーマンスの余韻に浸っていた。
「息が合ってると綺麗に見えるよね」
乱れなく数十人の人たちが踊る様は、心動かされる物があった。
「あ、私そろそろ帰らないと……」
突然信乃が腕時計を見て、狼狽えた。
「どうしたの?」
「今日はお母さん帰ってくるの遅いから、私が弟にご飯作ってあげないといけなくて」
彼女も苦労しているらしい。弟がいるとは初耳だった。
「何歳なの? 信乃に似てる?」
恵梨は興味津々だ。
「今年で九歳。目元が似てるって言われる」
「へえ! まだ幼いじゃん」
九歳、ということは、小学三年生か。やんちゃな年頃だ。
「弟くん、お腹空かせてるかも」
「彩知さん、帰ろう?」
空には紫のベールがかかっている。私は雲間から漏れる夕日に目を細めて、頷いた。
「そうだね」
家の電気は点いていない。兄は帰ってきていないようだ。飲むと言っていたし、帰宅は深夜になるかもしれない。家に鍵を差し込み、ゆっくりと回した。かちゃっと音がする。緩慢な動きでドアノブを手前に引いた。重たい扉が少し軋んで開く。
体が思うように動かない。両足に重たい足枷と鉛でも付けられているかのようだ。ソファーに倒れ込むと、疲れがどっと押し寄せてくる。頭が空になり、何も考えられない。そうして寝転がっているうちに、私はうとうとと眠りに落ちてしまった。
「お兄ちゃん! どうして帰っちゃいけないの?」
(これは、夢?)
「護身術の練習だって言っただろ。終わるまで家には入らせないよ」
(そうだ。これは昔のこと。たまに兄さんはこうして家に入れてくれなかった)
「なんで? 明日でも良いでしょ!」
「駄目だ! いいから行くぞ!」
兄が厳しく私を睨む。問答無用で私の腕をきつく引っ張って家から遠ざける。遠ざかる家を振り返ると、玄関から見知らぬ男が出てきた。背の高い、猫背気味の……。
(誰?)
何かが焦げる臭いで目が覚めた。私はソファーの上で身じろぎする。
「兄さん?」
台所には兄が立っていて、なにやら真剣な表情で調理している。起きあがって見てみると、スクランブルエッグだった。フライパンに焦げ付いて、卵とは思えない様相になっている。
「あ、彩知。朝ご飯を作ろうと思って。しかし……難しいな」
「いいのに。貸して、私がやっておくから」
兄からフライパンを奪い取って、手を洗う。温めの水が気持ち良い。
「そうだ、昨日の夜電話が鳴ってたぞ。たぶん彩知のスマホだと思うが」
台所から退散した兄が、リビングに投げてある私の鞄を見た。そこから音が聞こえたのだろう。
「あ! 忘れてた!」
「ん? 何か約束か?」
(先生に電話するって言ってたのに)
焦げ付いた卵をフライ返しで擦り落としながら、深いため息が漏れた。先生が怒っていないといいけれど。
本音を暴かないで 5
続きます。展開遅いですがお付き合いしてくださると嬉しいです。
次回 http://slib.net/57012