■煉瓦の破片(短編集)■

紅石煉瓦の短編集です。
掌編が多いですが、ごゆるりと読んでいただけると嬉しいな。

感想等があればツイッターまで。

黄昏少女とブランコの天使

 綺麗な風景を押し付けてくるような夕暮れのいやらしいオレンジ色の空が、ことごとく私をいらだたせる。街並みはそのオレンジ色でいっぱいになって、それから逃げるみたいにして公園に駆けこんだ。ここなら、世界がどんなに綺麗なオレンジ色に染まっていても、すべてが幼稚に見えるから。セーラー服でブランコにでも乗ってしまえば、誰にも気づかれないまま私は彼女と一緒にいたあの頃に戻れるのだ。

「おねえちゃん、どうしたの? ないてるの?」
 息を切らしてブランコの近くまで来た私に、突然幼い声がかかる。半ば呆然としていた私にとっては、現実に引き戻されるような引力のこもった声に思えた。
「別に、泣いてなんかないけど」
 顔を背け、袖で目元をぬぐう。自分でも気が付かないうちに、どうやら私は泣いていたみたいだった。それを理解してもなお、何で涙があふれてきたのかは理解できなかった。
 おそらくは、今さっきまで乗っていたのだろう。声の主は、キィキィと高い音を立てて揺れるブランコの前に立っていた。
「なにか、いやなことでもあったの?」
 小学生だろうか、大きな赤いリボンを付けて水色のワンピースを着た、可愛らしい女の子だ。公園の木の隙間から漏れ出すオレンジ色に照らされて、やけに大人びて見えた。
 私は、突然恥ずかしくなって、踵を返して二歩ほど歩く。それでもそれ以上歩く気にもなれなくて、それより、もっと良いことを思いついて、もう一度その少女の方に向き直った。
「キミは、こんなところで一人で何してるの? 他に誰かいない?」
 声が震えないように、大人ぶった口調でそういった。実際は少しばかり声が震えていたかもしれないけど、私にはそうは思えなかった。
「ねえ、おねえちゃん。大人なら、質問に質問で返しちゃだめだよ?」
 少女は大きなリボンを揺らして、小さく首を傾げ、にやりとでも笑うかのように口元を歪ませた。妖艶にも幼げにも見えるその所作に、私は妙な違和感を覚える。
「確かに、私が大人なら、そうかも知れないけど。私はまだ子供だから、そんな理屈は必要ないの」
 違和感を抱えながら、私はその少女にゆっくりと近づきつつ大人げない言葉を紡ぐ。
「でもね、本当は、あなたに私の話を聞いてもらえないかな、と思って。だからあなたとこうして話してみることにしたの」
「ふうん。じゃあ、あたしの当たりね。おねえちゃんは、何かいやなことがあったんだ」
 妙にニコニコしながら、少女は満足そうに、すぐそばで小さく揺れていたブランコに座った。それからキコキコと体を揺らす。
「それで、なにがあったの? おねえちゃん」
 その言葉は魔力でもこもっているかのようにまっすぐで、鼓膜から入った音としては幾分か直接的な気がした。脳を揺さぶられるみたいにして、私はブランコを囲う簡単な柵に背を預ける。
「私ね、死んじゃったの」
 少女は特におどろく様子もなく「へえ」とそう言って、ニコニコした表情は変わらないまま、その幼くまんまるな瞳で私の目をじっと見つめた。
「でも、それはいいのよ。死んだからと言って、どうってことはない。きっと私があそこで死んでしまったのは決められていた事なんだと思うし、それにどうこう言っても仕方ないもの。でもね、腑に落ちないのは、私がこの世界に取り残されていること。私は死んだらこの世界からは離れられるんだって思ってた。どこか遠くに消えて、もうこんな世界とはおさらばできるって、彼女にまた会えるって思っていたの」
 私の瞳を覗き込むように見つめる少女から目をそらして、私はそうまくし立てた。私と話ができるってことは、この子も幽霊だか妖怪だかの類なのだろうとは思ったし、こんな話をしても仕方はないのだろうけれど、とにかく誰でもいいから思いをぶつけてしまいたかったのだ。
「てんごくに行きたかったの? おねえちゃん」
 その可愛らしいけれどやけに平坦な声で、少女は問いを投げつける。逸らした目をもう一度少女に向けると、彼女はただただじっと、私を見つめ続けていた。その無垢な瞳に吸い込まれそうになりながらも、私は、小さくうなづく。
「死んだらてんごくに行けるって思うなんて、おねえちゃんは思ったより子供なんだね」
 問い詰められているような錯覚に陥った。少女はその風体からは想像もつかないような大人びた語気を持って、それでいて子供らしい口調で話すのだ。私は何かを言い返そうと必死に言葉を探したけれど、言葉を選んでいる間にも、少女は話を続けた。
「でも、おねえちゃんは間違っていない。死んだら、人はてんごくへ行けるはずなの。でも、おねえちゃんはこの世界から離れたくないって思ってる。自分でこの世界にしがみついているの」
 そんなはずはない。そう叫びそうになったけれど、その言葉をどこかに隠されたかのように言いよどんだ。
「本当の意味でそれがどうしてかがわからない限り、おねえちゃんはずっとこの世界にひとりぼっち」
 私はこんな世界は大嫌いだ、それは自分がよくわかってるはずだった。誰もかれもが“きれいごと”を押し付けて、まっとうであることを強制する世界なんて。
「もういちどきかせて、おねえちゃん。なにか、いやなことでもあったの?」
 そしてまた突然、少女が少女になった。幼げな少女の瞳の奥に、何か得体のしれないものが潜んでいるような気がして、私の知らない思惑が入り乱れているようで、逃げ出したくなる。でも、その問いはいやがおうにも私を私と向き合わせた。

「わ、私は」
 私は、自分で死んだのだ。この世界から逃げ出すために。
 でも、ちがう。本当は分かっている。私は、本当は死にたくはなかった。ただ、伝えたかったのだ。まっとうではなくとも、この思いは本当なんだって事を。理解してほしかったのだ。「彼女を愛しているのだ」と。
「私は、私にきれいごとを押し付ける世界が嫌いだった」
 私の内側は思ったよりも散らかっていて、自分の想いを伝えるための言葉を見つけるのに時間がかかった。
「私のこの気持ちは、普通じゃないなんて思われたくなかった。私はずっと、彼女の事を愛してた。まっとうじゃないなんて思わない、この気持ちは本物で、だからこそ苦しくて仕方がなかった」
 でも、気持ちがあふれ出すのと同じようにして、言葉も思いもせきを切ったようにあふれ出す。言葉を選ぶ暇はなかった。
「それはおかしなことなんだと、それは普通とは違うんだと、そう言って私の親は理解してくれなかったから。だから私は、ずっとその気持ちを隠していた。大人の汚いきれいごと。私は、世界はみんなそんなもので満ちてるんだって思い込んでいた。誰もかれもが、私を責めたてているようにも思えたの『お前は普通じゃない、お前はこの世界にはふさわしくない』って」
 オレンジ色の空は陰りを強め、公園の電燈がひそかに私たちを照らし始める。美しかった世界はあっという間に夜にのまれ、その姿を変えていく。
 少女は、ブランコを揺らすのをいつの間にかやめていて、それでも私の目だけはじっと見つめ続けていた。
「だから、私は死んでやるって。それくらい本気なんだって、見せつけてやるつもりだったの。何をしたのかは、言いたくない。でも私は間違って、そのまま本当に死んでしまった。笑っちゃうわ、私の親は目の前で死んだ私に縋り付いて、泣きわめくの。どうして、どうしてって」
 その声が、反芻する。どうして、どうして。
 どうしてだろう、私はちゃんと考えたことがあっただろうか。
 その問いに背を向けて、ずっと逃げ続けていたのではないか。
 しばらくして、それまで黙って聞いていた少女が「ねえ」と小さく口にした。
「おねえちゃん、どうしてないているの?」
 声を出そうとして、そこでようやく自分が泣いていることに気が付いた。それをぬぐわないままで、かすれそうになる声をどうにか絞り出す。
 今度は、どうして涙が流れるのか簡単に理解できた。

「私は、死にたくなかった」
 わかっているつもりだった。でも、ちゃんと言葉にすることで、少女に話すことで、それがやっと理解できたのだ。
「たとえ彼女が死んでいたとしても、私は彼女を愛し続けるんだって。そういう私を親は理解しなかった。だから、理解してくれないなら彼女を追いかけて死んでやるってそういって、私は死んでしまった」
 “生きてる人だけを愛すべきだ”なんて、大人の汚いきれいごとだと、私はずっと思っていた。理解されなくても、愛し続けるんだって。部屋一面に彼女との写真を貼って、片時も離れないようにしていた。きっと彼女が死んでしまったあの時から、私は狂ってしまっていたんだろう。
「間違って本当に死んでしまって。でも、この世界から逃げ出して、彼女に会えるならそれでもいいって開き直ってた」
 彼女と過ごしたこの場所で彼女と話せば、これでよかったんだと思える気がした。そうしてあの頃に戻れれば、私は死ぬべきだったんだと納得できると思ったのだ。
「でも、それは違うってわかったの。本当は死にたくなかった。まだ、生きていたかった。だって、彼女を追って死んだとしても、きっと彼女は喜んでくれないもの」
 私は、死にたくなかった。だから、世界にしがみついていたのだ。
 それを理解すると共に、あふれる涙が私の世界を染めあげた。

 しばらくそうして泣いていて、嗚咽が途切れ始めてきた頃。いつの間にか立ち上がっていた少女が、こちらにゆっくりと近づいて、優しく微笑みながら私の震える手を取った。
「もう、大丈夫? 世界にさよなら、できる?」
 少女は、泣いているようにも聞こえる声でそう語りかける。
「うん、大丈夫」
 私はゆっくり確かにうなづいて、少女の手を、ぎゅっと握った。

「――死んで天使になるとね、こっちだと幼くなっちゃうの」
 ふわりと浮いてから少しして――彼女は、笑ってそう言った。

飛べない鳥に、翼はいらない


 彼女には鋼鉄の翼があった。それはあまりにも大きくて、寄り添う人を傷つけてしまう。羽ばたこうとすれば、きっとその人を殺してしまうだろう。だから彼女が寝ている隙に、僕は彼女のその翼をもぎ取った。飛んでも傷しか負わない翼なら、きっと無いほうがいいと思ったからだ。

 彼女が目を覚ますのを、僕は内心ハラハラしていた。だけれどもその反面、なにかしらの自信もあった。それはきっと、自分自身が彼女のためにやったことだと確信していたからだと思う。だから、僕はどんなに罵られようともそれを受け止める覚悟ができていたし、時がたてば彼女は自分に鋼鉄の翼が生えていたことなんて忘れてしまうだろうと考えていた。

 しかし、僕の予想を遥かに通り越して、彼女は死んでしまった。二度と目を覚まさなくなってしまった。僕はどうしてこんなことをしたんだろう。なぜか、いまさらになって考えてしまう。もしかすると、傷つきたくなかったのは、自分だったのかもしれない。僕は、自分を守るために、彼女の翼を、もぎ取ったんだ。

 彼女にとっての翼は、一体どのようなものだったんだろうか。どこに羽ばたくために、その翼は生えていたのだろう。彼女が死んで少しして、鋼鉄の翼は融けてしまった。僕は泣きたかったけれど、どうしてか涙は出てこなかった。不思議と胸の奥底から笑いが込み上げてきて、僕は大声を出して笑っていた。ただただ狂ったように、地鳴りのような声で笑っていた。

 気がつくと、僕は空から翼のない彼女の死体を見下ろしていた。いつの間にか僕の背中に生えた大きな鋼鉄の翼が、ぎしぎし唸りを上げながら羽ばたいている。どうしてだろう。悲しいはずなのに、なぜか、とても、愉快だった。

■煉瓦の破片(短編集)■

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

■煉瓦の破片(短編集)■

雑多な小説を書いてます。表現方法を模索しながら書いたものが多いので、ぜひ読んでみてください。

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更新日
登録日
2016-02-24

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  1. 黄昏少女とブランコの天使
  2. 飛べない鳥に、翼はいらない