星空のつづき
その昔、夜の空に浮かぶたくさんのきれいな星は、星男と星子という同い年の二人によって管理されていました。
夜の空に浮かぶたくさんのきれいな星は、あんまりにもたくさんだから、なんとなくユラユラと揺れているうちにときどきゴツン、と音をたててお互いにぶつかりあってしまいます。そうするとぶつかり合った星が小さな欠片を落として、そうしてそれがあたらしい星になります。あたらしい星がうまれると星男と星子はそのちいさな星に近づいて、月から拾ってきた小さな月の石をそっとくっつけます。そうしてうまれたての小さな星はやがて大きな星になり、夜の空をキラキラときれいなものにするのです。
星男と星子は大変な働き者でした。
その昔、二人のおかげで夜の空はそこいらじゅうに大きなピカピカ光る星たちのいる、大層きれいなものだったといいます。
ある日二人で月の石を拾っているとき、星男が星子に言いました。
「こうして毎日毎日星の世話ばかりしてると、なんだか飽きてくるな」
「そんなことないわ。二人仲良く、それでいいじゃない」
星子は月面に眼を凝らして、小さな星につけるのにちょうどいい小さな月の石を探しながらいいました。
「同じ仕事の繰り返しでもかい」
「あなたが繰り返されてないもの」
星男は果たして星子が本当にそう思っているのか不安でした。それで、飽きてくるな、なんて思ってもいないことを言って星子のことを確かめたのです。
星子は今に満足している、と言いました。
それでもやっぱり、星男は不安でした。
月面をじっと見つめるその眼のなかに、失望だとかいらだちだとかそんな色はないか。自分を見ずに月面を見つめてばかりなのは、やっぱり自分と二人の暮らしに飽きてしまったからじゃないのか。
同じときに生まれて、同じだけの時間を二人で過ごしてきました。
もしも、星子が自分にうんざりしていたら。
そんな風に考えると星男の胸は耐えられないほどにぎゅっと痛むのでした。
星男は言いました。
「なあ、下に降りてみないか」
それは二人にとってはじめてのことでした。星男はしぶる星子の手を引いてグン、と体をひねると、色とりどりの電飾や、いろんな形の置物やみんな違うたくさんの人たちが見えるその方へ、勢い良く降りて行きました。
下の世界は、それはそれはきれいなものでした。
星のように暗闇にとけるような淡い光でなく、ぎらぎらと色とりどりに二人を照らす電飾。星のようになんとなく丸い形ばかりでなく、上へ、下へ、ぐるりと捻って一回転、縦横無尽に形どられた置物。二人のようにいつも同じ、たった二人でなく顔も背も言葉も、全部が違うたくさんの人。
二人はあちらこちらへと足を伸ばし、そうした色々をじっと見つめたり見回してみたり、楽しい時間を過ごしました。
「はやく帰ろう」
はじめはそう言っていた星子も
「すごく楽しい」
眼をキラキラさせてそう言うようになり、いつしか
「まだいよう」
と、そろそろ帰ろうと言う星男にそうねだるようになり、最後には
「帰りたくない」
そう言って、公園のベンチにじっとしたまま動かなくなってしまいました。
「早く帰らないと、星が」
星男は焦りましたが、
「もういいじゃない。こっちがこんなにきれいなら。もう星を見るために空を見上げる人なんて、きっといないわよ」
星子はついにそんなことまで言い出すしまつでした。
星男にとって星は、二人で作り上げた大事な宝物でした。空を見上げると、少し世話をしなかっただけでもう星の数がずいぶんと少なくなっています。小さな星はうまれてそのままほって置かれると、すぐに光を失ってただの石ころになってしまいます。大きな星にもいつか終わりが来て、光を失うとやっぱりただの石ころになってしまいます。
「じゃあ、君はもうしばらくそこにいたらいい。僕は先に戻って星の世話をしてるから」
星男はそう言うと、急いで夜の空へと帰っていきました。
星男が一人で星の世話をはじめてもう何年も経とうとしています。星子は夜の空へは二度と帰ってこなかったのです。元々二人でやっていたこと、一人でやるのにはやはり無理があったのか、夜の空に以前のようなたくさんの星がきらめく景色はもう見ることができないのでした。
星は少しずつ減っていきます。
星男は星子と二人で作った一面に星の見える夜の空をできるだけそのままにしておけるよう、今日も懸命に働きます。そうしてときどき、空の下に広がるどんどんと色鮮やかになっていく街から星子がこちらを見上げてはいないか覗きにやってくるのです。
「せんせー!それって本当?」
チカにはどうも先生の話が信じられませんでした。空に誰かがいてその人が星の管理をしているなんて。
「嘘みたいだけど本当なのよチカちゃん。空には星男と、もういないけれど星子がいて、みんながきれいな星を見られるように一生懸命働いているの」
「先生、また嘘言ってる。ね、あんなの、絶対に嘘。信じちゃダメだよ、チカちゃん」
隣の席の女の子はそう囁きますがチカにはどうもそう言い切ることができませんでした。ついこのあいだ、おじいちゃんの家へ遊びにいったとき、おじいちゃんは確かに
「最近はあんまり星が見えんなあ」
とそう言っていたのです。
「昔はもっと見えていたの?」
チカが聞くと、
「今の倍は見えていた気がするなあ。若いころ、どうにも眠れない夜、外に出て空を見上げると一面の星空で、眩しいくらいだったのを憶えているよ」
そう言って、もうあまり星の見えない空を見上げて、少し悲しそうな顔をしたのでした。
「きっと、星子がいなくなってしまったからだ。それで、おじいちゃんが子どものとき見えていた星空は見えなくなってしまったんだ」
チカはそう思いました。
チカはクラスメイトのなかでは珍しく、星を見るのが好きな子どもでした。テレビを見るより、漫画を読むより、ひょっとするとお父さんやお母さんとお話をするよりも、星を見るほうが好きでした。
「星子の馬鹿。なんで空に帰ってあげないの。星男がかわいそうじゃない。それに電飾やビルや人よりも星のほうがよっぽどきれいなのに」
そう思ってチカはプリプリと怒るのでした。
お家に帰ってチカは、晩御飯のときお父さんとお母さんにその話をしてみました。二人で星を管理していた、星男と星子のこと。星を見捨てて、もう空には帰ってこない星子のこと。そのせいでチカゴロの空にはあんまり星が見えないこと。
チカは一生懸命に話しているのに、お父さんとお母さんがチカの話を聞いてニコニコとしているので、チカはなんだか腹がたってしまいました。
「お父さん、お母さん、なんで笑っているの?」
「だって、なあ」
お父さんが相変わらずニコニコとしたままお母さんのほうを見ると、お母さんも
「そう、ねえ」
と言ってニコニコとするのでした。
更に怒るチカをお父さんは「まあ、まあ」となだめて、机の下からリボンの巻かれた小さな箱を取り出しました。
「チカ、今日が何日だか知ってるか?」
お父さんがそう聞くのでチカは「7月7日」と答えました。
お父さんは「そう、七夕だ」と言ってリボンの巻かれた小さな箱をチカに渡しました。
「星が好きなチカへ、プレゼントだ」
開けてみると、箱の中身は小さな星形のペンダントでした。電灯の光を受けてキラキラと輝くをそれをチカは一目で気に入りました。
「お父さん、ありがとう!」
お父さんにお礼の言葉を言いました。
「お母さんからはこれ」
そう言ってお母さんが差し出したのは、ポケットに入るような小さなボール紙のメモ帳と黒色と黄色、二色のペンでした。
「それで、いつでも星の絵が描けるわね」
そう言ってお母さんは、ニッコリと笑いました。
「お母さん、ありがとう!」
チカはお母さんにもお礼を言い、メモ帳とペンをスカートのポケットに詰め込んでからお父さんにもらった星形のペンダントを付けて見せて
「似合う?」
と聞きました。
お父さんは
「似合うよ、チカにぴったりだ」
と言い、お母さんは
「まるで織姫様みたい」
と言ってクスクス笑いました。
「それをつけて星を見に行ってごらん。きっと今夜はきれいに見えるはずだから」
お父さんに言われるまでもなくそうするつもりだったチカは玄関で急いで靴を履くと、はやる持ちを抑えて外へと飛び出していきました。外に出て空を見上げると、一面にとまではいきませんがパラパラと星がまたたいてるのが見えました。嬉しくなってチカは首から下げたペンダントをぎゅっと握りしめてじっと空を見上げていました。
「あ、またひとつ」
夜の空にまたひとつ新しい星が見え、はじめは小さな星だったのにその星はどんどんと大きくるようで、チカが、大きくなっているんじゃない、近づいているんだ、と気付いたときにはもう、チカと同じくらいの背丈の、頭がデコボコとした石のようなものでできている人のようなそうでないようなものが、頭の部分をぼんやり光らせながらチカの前に立っていました。
そのものはチカを見て露骨にがっかりしたような、人のような顔はついていないのですが、そんな表情をしました。
「あなた、星男?」
チカがそう聞いてもそのものはチカが何を言っているのかわからないらしく、ただただガッカリしたようなそんな表情を見せるばかりでした。ですがチカは「きっとこれが星男なんだ」とそう思いました。「だって星子でないチカを見てこんなにガッカリしているのだから。きっと私のことを星子と間違えたのね」とチカは思ったのです。
「ごめんね、星子じゃなくて」
チカは謝りました。さきほど星子に帰ってきてもらえない星男にひどく同情したばかりでした。
星男のようなものは何も言わずチカをじっと見つめたあと、不意にチカの腕をとり体をグン、とねじるように捻りました。
「どうするの?」
チカの言葉を聞いてか聞かずか、星男のようなものはひねった体を勢い良く巻き戻し、はずみをつけてチカを連れて空へと昇っていってしまいました。チカには突然のことでどうすることもできず、ただ自分の家と自分の街とピカピカ光るビルの明かりとがグングンと遠ざかっていくのを眺めるばかりでした。
そこは真っ暗い海の中にいるような、そんな不思議な場所でした。
上を見ても下を見てもただひたすら真っ暗、そう真っ暗なのです。
チカの体はいつかテレビで見た宇宙飛行士のようにプカプカと浮かび、真っ暗な中にあちこち散らばる、ぼんやりと光りを放つ星を見るため体をグングンとはずみをつけて回転させました。
そうするとチカの視界で星たちが上へ、下へ、ぐるりとひねって一回転、まるで流星群のように見え、チカはこんな状況にも関わらずどうにも楽しくなってしまうのでした。
そうしてチカがぐるんぐるんと回転をしていると、星男のようなものがまたチカの腕をとり、チカを引っ張っていきました。
「どこへ行くの?」
チカが聞いても、もちろん星男のようなものは何も言いません。ただチカを引っ張って、真っ暗な中をスイスイと進んでいくばかりです。 チカはなんだか急に真っ暗な中に星男のようなものと二人でいるのが怖くなってきました。
「これ、月?」
星男のようなものがチカを連れてやってきたのは、とても大きなぼんやりと、だけど星より強く光る石の上でした。星男のようなものはチカを連れて月に上陸すると、腰をかがめて月の上から小さな月の石を拾い上げました。そうしてそれをチカに渡し、真っ暗な中に浮かぶひときわ小さな星を指さして、もうひとつ月の石を拾うと、月をトン、と蹴るようにしてその星をめがけて飛んでいきました。
「手伝えってこと?」
チカは、もはや独り言なのですが、そう言って星男のようなものがそうしたように月をトン、と蹴るようにして、星男のようなものを追いかけました。
星男のようなものはチカが追いついたのを見て、目の前に浮かぶ小さな、弱々しく光る星を指さし、手に持った月の石をそっと近づけました。
するとまるで磁石がすいつくように小さな星と星男のようなものの持つ月の石はすっとくっつき、以前より少しだけ大きく、光も強くなったようでした。
「こう?」
チカも星男のようなものと同じように月の石を少しだけ大きくなったその星に近づけると、
磁石が吸い付くようにすっとくっつきまた少しだけ大きく、光も強くなったようでした。星男のようなものは頷いて、またチカの手を引っ張り月に降り立ち月の石を拾って、月をトン、と蹴るようにして今度は別の小さな光の弱い星へと飛んでいきました。
チカは星男のようなものに連れて来られた月の上に立って、ぼんやりと星男のようなものの仕事ぶりを眺めていました。
「私はいつまでここにいるんだろう」
心細くなって、チカはさきほどお父さんにもらった星形のペンダントを掌のなかに握りしめました。
星形のとげが掌に突き刺さり痛みましたが、握りしめられずにはいられませんでした。
そのときまた別の小さな星に月の石をくっつけようとしていた星男のようなものが両手を喉の位置にあて、足をジタバタとしてもがき苦しみ始めました。
ぼんやりと光っていた星男のようなものの頭はだんだんその光が弱くなっていくようで、ついにはただの石ころのようになってしまい、星男のようなものは動かなくなってしまいました。
他の小さな星たちと同じように真っ暗な中にユラユラ浮かぶ星男のようなものを見てチカは「寿命が来たんだ」とそう思いました。
自分以外に動くもののない真っ暗の中で、チカはどうすればいいのかわからず真珠のように大きなキラキラ光る涙をボロボロとこぼしました。
お父さんとお母さんのところへ帰りたい。
お家でテレビを見て漫画を読んでお父さんとお母さんとお話をして、お家のベッドで眠りたい。
そう思いました。
勇気を出して、星男のようなものがしたようにグン、と体をひねり勢いをつけて飛び出そうとしました。
そのとき、チカは私もいなくなってしまったらいつかきっとこの星たちはみんな消えてしまう、ということに気づきました。よっぽど飛び出してやろうかと思いましたが、夜の空から星が消えるのはとても寂しいことのように思えました。
「星子が戻ってくるまで、我慢すればいいんだわ」
チカは心に決めました。
星子が戻ってくるまで、星の世話をすることを。
お父さんとお母さんが心配しないように、ポケットからメモ帳と黒のボールペンを取り出し「ほしこが くるまで うえにいます」と書き、星形のペンダントにくくりつけて下に向かって思い切りよく投げました。
しかしどうしたものかペンダントは真っ暗の途中で減速し、周りの星たちと同じようにユラユラ揺れるばかりではるか下に見えるチカの家まで届いてくれません。
「これじゃあ、お父さんとお母さんが心配するじゃない」
そう思ってチカは体グン、とひねり、勢いをつけて、星形のペンダントのところまで飛び出しました。
ですが、飛び出すことができたのは星形のペンダントのところまで、でした。
お父さんとお母さんへの手紙をくくりつけた星形のペンダントと、周りでぼんやり光る星たちと一緒にチカにはそれっきりユラユラ揺れたりグルングルンと回転をしたりすることしかできなくなってしまいました。
パニックになる頭の中でチカは「だけど、星子が帰ってきてくれたら」と思いました。
「星子が帰ってきてくれたら、きっと私に気付いて、私をお家へ返してくれる」そう呟いて、自分で自分を励ましました。
星男と星子は、同い年です。
星男が寿命を迎えたとき、きっと星子も同じように寿命を迎えているだろうことは、このときのチカにはまるで想像もつきませんでした。
星空のつづき