似顔絵を受け取ったあなたへ

僕じゃなーいから、似顔絵を受けとったあなたへ。私からメッセージがあります。

ココ何日か、ずっと思い悩んでいました。

僕じゃなーいは思い悩むと、しばしば絵を描いて気を紛らわしている。絵を描いているときは、夢のようなものや、自分ではない誰かを想っている。少しの休息がそこにある。
というわけで、何かに囚われて脅迫されているとき、僕じゃなーいは絵を書くことで自分の現実から一旦離れて、心の平和を少しの間取り戻す。僕じゃなーいは絵描きではないけれど。

みなさんご存知の通り、僕の絵は、決して美術館に貼られるようなものではなければ、たくさんの人をひきつける絵でもないということは自覚していて、多少なりとも僕じゃなーいはそれに苛立ちを覚える。僕じゃなーいが描きたいものと、白い紙の上に乗っかっているインクの線が上手に調和したことは今の一度もない。
だから、僕じゃなーいはそれを下手っぴな絵、というようにして自分の持ち味と主張し、声を張り、僕じゃなーいの絵を見る人にそう言ってきた。

大事なことを話す前に、そもそも僕じゃなーいが、なぜ、僕じゃなーい、なのかをみなさんに説明します。
私は、私の絵、私の字、私が表現するものすべてにとても気を使っています。それは私自身を表すものだからです。
ユニクロの服をメインに着ません。あれはあれでいい服だけどさ。
私は、自分を表現することはもっと簡単なことだと思います。生きているだけで自分を表現していると思っているからです。ですが、ここ最近それはひどく猛烈に私を混乱させてきます。

私は描きたいものがあってもそれを表現できません。だから、この絵は自分の絵ではないと、絵を描くたびに思い、苛立ち、紙とインクと時間を大量に消費してきました。自分の絵を、自分の絵ではないと感じさせてくれる、そんな思いが「僕じゃなーい」というアカウント名に現れてしまいました。私は私をこの数ヶ月欺きながら自分を表現することに挑みましたが、それは間違いだということに、ようやく気がつきました。誰かの似顔絵を描いて、それを似顔絵のモデルに伝える行為を通して。


私は、似顔絵を描きおえて、「いいね」してくれた人に向けて、描き終えた旨を伝えました。そのときに、「ヘタッピな絵ですが」という言葉をつけていました。
ですが、もし、誰かが私に、曲を作ってくれたり、絵を描いてくれたりしたとき、「あんまり自信はないんだけど」とか「つまらないものだけど」、なんて言ったら、気持ちだけ受け取ってその作品は捨てたくなる。だって、自信もなければ、つまらないもの、そんなものには興味はないから。
むしろ自信作だぜ、って顔して、何かをプレゼントしてくれたものは、どんなに下手くそでも、そのほうがよっぽどいい。
謙遜なんていうものは、グリコのおまけよりつまらないし、ダサい。そんなプレゼントいらない。

だから私は、似顔絵を描いた人に対してなんて失礼なことをしたのだろう。私は私自身によって、私の絵の価値を下げ、提供したのです。それはあまりにも、卑劣で、そして失礼なことでした。何かを作る人間の態度として。

それを、ここ最近ずっと考えていました。
これは、僕自身にとっては大きな問題です。あなたが、「そんなこと気にしなくていいわよ」と言っても、なお、私はやりきれない。

私は素直に僕であろうと思います。今日から。

真面目な話をしました。
しかし、僕は僕です。親愛なる方々へ。





おっぱい。

似顔絵を受け取ったあなたへ

どうぞ、これからもよろしくね。

似顔絵を受け取ったあなたへ

僕じゃなーいから、似顔絵を受けとったあなたへ。私からメッセージがあります。

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-02-23

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