狭い門

―滅びへと続く門は大きくその道も通り易い。生へと続く狭い門を通りなさい。{マタイ七章十三〜十四節}

いつも通り足早に帰路に着いていたら、前へつんのめってそのまま顔面から倒れた。鼻が痛い。
押さえながら私は素早く立ち上がる、恥ずかしくて、痛い。
「ごめんごめん。まさか転ぶなんて」
後ろからした声は、親しいと言って良いのだろうか、知り合いの女だった。私には、友達の線引きがわからない(だからだろう。まあ、理屈ばかりの私には語れぬ)
私は、押さえていた手を離してそのまま前へ歩く。 この女は、うるさい。質問ばかりでそうして、幸も不幸もやたら自慢げに語る。と、まるでキリが無いので。
「いや止まろうよ」
女は私が背負っている中身が本と文房具だけのバッグを、鷲が獲物を仕留めるように掴む。
とても逃げられそうもなくまた倒れたらいい加減に困るので、止まってやった。全くの、不本意である。 「鼻はさ悪かったけど、一緒に帰らない」
気づかれた事実を心の中で、偶然々々と自らへ言い聞かせてから私は返事した。
「悪いけど、用事あるから」
それにこの女と一緒に帰る理由も、意味も義務も義理も無い。私はそれらが見出だせないと何事もやろうとは思えないのだ。
しかし、
「でも私も、君に用事がある」
仕方が無くなってしまったわけである。偶然を当てるだけで必然に出来ない人は怖い、偶然なのにどこか、尊敬してしまう。
「じゃあ、一緒に帰りましょう」
女は兎のように跳ねて私の横へ来た。私はと言うと、早まる鼓動と合わせて出て来る冷や汗にただ困っていた。
やって来たのは二つ離れた駅の駅と一体化しているショッピングモールだ。
女はスゲーなどヤバいなど…オコなど、失礼ながらも日本語かどうかを疑うような奇声を発しやがり騒いで、私の例の冷や汗はもう頂点に達していた。
そんな時に、ペットショップの前へ来た。
正直私は、ここは嫌いだ。生命を陳列させるのがまずむごいし、動物などと、動く物などと向こうの了承も無しに(仕様が無いのは百も承知。だが、意味のわからぬ言葉や自らが不承知のところで罵られ、侮られ、一切を否定されるのは、我慢できない)呼び名をつけるのが、なんたって野蛮すぎる。
しかしそんな甘ったるい思想を抱くのはこの店がここにあることで十分に、更にカワイーと叫びに近く言う彼女を見れば十二分にわかる。私だけと。
女に連行され中に入るとなぜか主に猫が多く、他にも色々といてよくわからないがウーパールーパーまでいる。
彼ら彼女らを見回す女の横でうろたえる私は、どうして良いかわからず監視カメラをやたらと睨んだり店員の様子をまばたきのタイミングまで伺ったりと実に意味の無いことをしてやり過ごしていた。
そんな私を見かねた女はいい加減に私の肩を叩いて、ある命を指差した。兎だった。
昔、兎を飼っていた私にはとって兎は、なにか、特別に感じられた。餌をあげると急いでほおばり、撫でると目を閉じて実に和やかそうで、檻を掃除すると(またも言うようだが、私はそうでも、家族は違う。違うのである)その度に家中跳ね回り、皆を驚愕させ、私は捕まえるふりをして兎と遊んでいた。だからだろう、その別れで私はなんだか、ぽかんと穴が開いたような気がした。
まあそれもこれも、私が子どもだったからだろう。今ではすっかりだ。もう、汗水流して悪いことやずるいことを覚えていくだけの大人と変わらない。恐らく、裏切られることに疲れたんだ。
「で、用事は」
すっかりうっとりしてしまい、逃げるように言った。
「…今からだよ」
女はさっきまでの騒ぎ様がまるで別人のように真剣になり、私をカラオケに連れて行った。理由を聞くと、個室でちゃんと静かに話せるし誰にも聞かれないから気が散らない。と言われ私はそれに納得した。
しかし、個室へ入り四方八方から聞こえる歌声の中女はただ気まずくソファに座っている。まあ現実はこんなものだろう、良いも悪いもちゃんとそこに在って私達を待っている。
まず聞かれたのが、最近とっとと帰る理由だった。 以前に私は、誰とも口を利かないことで質問攻めというか、拷問に会い、ちゃっちい嘘ともっともらしい嘘を交互に使って上手く騙したことがある。だから、今回の問いに、あの時と同じ理由だよと言ったら、それとこれは別だし第一繋がらないと言われた。しめた、そう思った時、口が開かなくなった。
私は恐らくいや確実に、今この女に嘘をつく。本当だけど、真理でない言葉を言うに違いない。
あの時は、帰り道の途中といった何げない時だったが今は違う。そのことで、気を病んでいるのだ。
「やること、あるんで」
自分で言っておいて、思わず(実に久しぶりで私も驚いた。思わず、とは)嘆息がでた。
「それって、小説だよね」
はったりもたまには真理を言わないと成り立たなくなる。
「そうだけど」
今になって気付いた事だが、この時の私は本当に卑怯だと思う。
女の用事に応えようという気持ちで了承したのに、素っ気ない態度で女の気を萎えさせようとしている。不真面目を繕っている。
「どんな事書くの」
女は食い下がった。
いつもならとっくに萎えるのに、と狼狽する自分と、金を払うのは自分だからと女の勿体無いと思ってのけちだよと思う自分がいたが、そもそもこうして誤魔化す私がけちだ。とは、この時はまだ気付いてなかった。
否定に勤しむことにして、
「いや、最近は書いてない」
「じゃあ、帰って何してるの」
「何もしてない」
「なら早く帰らなくてもいいじゃん、付き合い悪いよ」
「いや、駄目だ」
「え、なんで」
「駄目なものは駄目だ」
「意味わからないよそんなの」
「わからないやつだよあんたは。とにかく、駄目だ」
「わからないのはどっちだよ」
この時になってやっと、私がけちだと気付いたのである。目の前の子どもを大人にしようとしたのである。
「いや、そうだよな。…悪かった。じゃあ一つ、話をさせてくれないか」
本心であった。頷いてくれた女に、もどかしさを感じながら、
「ある時、背中に傷を負った二人の子がいた。二人とも、自分だけが傷をしているとばかり思って疑わなかった。背中の傷は服を着るから見えないから。またある時、一方の子が傷の事を皆へ話した、その子は皆から心配され、善くされ優しくされた。だが、もう一方の子は話せずに、傷ついた。言っておくけど、この子は、もう一方の子を嫉妬したわけじゃあ無いよ。何故なら、その子が傷ついた理由は、話せなかったというそれだけであったからだ、偽物のように感じたからだ。もう一方の子への皆の態度とそれを意図して招いたもう一方の子を。見えるはずの傷を隠し、見えない傷を作った。という話しだよ」
女はただ床を見つめている。
「綺麗な話だね」
それしか言えないのかと内心呆れながら、
「まあ、馬鹿なだけだよ」
そうこたえた。
少しの沈黙を挟んで、
「ねえ、見えない傷を作った子はその後どうなったの」
思いついたように顔をふっとこちらへ向けて言う。 「うしろめたくて、その後も、ずっとそうした」
「で、どうなっちゃったの」
目を輝かせる女をみて溜息を吐く、ハッピーエンドを望んでいるのだろうか。「今、あんたの目の前にいるような存在なった」
奇跡なんて起きない。私は小心者だから一応、考えてから言うから、ちゃんと出来る(筈…)
女は私へ寄って来た。
「大丈夫なの」
もどかしさが、憎しみに変わった。
この女には、連れがいる。もう一年経つ。
「うるさいね。もうごめんだ。歌を一つ歌ったら私は帰る」
立ち上がろうとソファに手を着かせると、女が私の手に自分の手を重ねてきた。
「傍に、いてもいいよ」
しかし私には、やることがあるんだと、自分にその事の重さを思い知らせ、
「愛の押し売りなら、他を当たりな」
個室から、飛び出してやることへ向かって走った。
それにも関わらず、視線を感じて一度振り返ると、飛び出た私を廊下から見ている女が、脱兎しているように見えた。
が、やはり走った。

狭い門

狭い門

滅びへと続く門は大きく、その道も通り易い。生へと続く狭い門を通りなさい。{マタイ七章十三〜十四節}自分にとっての、滅びと生はなにか、迷っていた。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-05-06

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