1.高く蹴り上げて ~ループストーリー~
蹴り上げた踵が君の喉元にクリーンヒットした
「だぁーーっ!」
彼は叫びとともにゴロンと仰向けになり、そのまま動かなくなった。
シーンと静寂が訪れる。僕は彼の顔を一瞥すると、煙草に火をつけて静かに煙を吸い込み、吐いた。
幼い頃から習っている空手の有段者、僕の得意技『跳び後ろ回し蹴り』をくらえば誰でもたちまちノックアウトする。
「もう1回だ、もう1回!」
そういって飛び起きた彼は『1P WIN』の文字が映った画面から、半ばやけくそ気味に『リトライ』を選択した。
「もうこれで9戦全勝だぜ、あと1勝で10連勝だな。」
「うるせぇ!お前にできて何で俺にできないんだよ、跳び後ろ回し蹴り!大学の講義ざぼってゲームばっかやってんじゃねーよ」
そういう彼も、今日の講義は人生の役に立たないなどと、勝手に言い訳をつけてサボタージュを決め込んでいた。
そして僕と格闘ゲームをしているのだ。彼に言わせれば学んでいるのだろう、人生の役に立つことを。
おそらくストレスを発散する目的でゲームをし始めたであろう彼だが、思いのほか僕との実力差があり、ゲーム開始から1時間をまわったところでフラストレーションは頂点に達しているようだった。
それは仕方ないといえば仕方ないのだ。何せ僕はこの格闘ゲームのシリーズ作品を小学生の頃からやり込んでいるから。少し手加減してもいいかなと思ったけど、授業が人生の役に立たないからなどと、訳のわからない理由でこの格闘ゲームをストレス発散の道具にした彼にちょっとしたお仕置きをした。
僕は煙草の火を消して聞いた。
「人生の役に立つことって何なんだ?お前にとって。」
すると彼は少し考えたあと
「簡単に言えば俺の人生にプラスに働いてくれることだよな。しかも即効性のあるやつ。」
「即効性ねえ。」
「そうだなあ、たとえば3限目の講義に出席したとするだろ、3限目は、えっと・・・情報処理学だったかな」
「経営学」
「そうそう、経営学。あれってさ、即効性ないじゃん。しかも自分で何か経営していく、つまり社長にならなけりゃ使うことのない知識なわけだ。そんなことを大学で勉強したって仕方ないと思うの。それなりの会社に入って独立して、さあ起業しましょうかってなったときに知っていればいいだろ。」
そう言いながら彼はしれっとした顔で、僕がさっき使っていたキャラクターを選択していた。
「何年先に役立つか分からないものを青二才の若造に教えてくれるなってこと。それよりも、女の子の喜ぶフレンチだとかレストランを教えてくれって思うよ。うちの学科に神宮寺涼子っているだろ。」
「あのちょっとお高くとまってるけど美人なあの子な。」
「ああいった子をフレンチに連れてったら、もう、そりゃあイチコロだろうよ。」
「イチコロねぇ。なに、あの子狙ってるわけ?」
「まあな、この前話す機会あったんだけど、みんなが思ってるほど高くとまってるってわけでもなさそうだったぜ。高級レストランなんかには行き慣れているようで、実はピュアとみた。」
「それは即効性あるかもな。俺もあの子気になるし、レストラン捜してみよう。」
前半は極論だと思うが、どちらかと言えば経営学よりレストランが知りたいという気持ちには同意した。
「まぁ、知ったところで俺らには金も度胸もないけどな!」
『ないけどな』の『な』と同時に彼は素早い指づかいで『跳び後ろ回し蹴り』のコマンドを入力していた。
一瞬怯んだが、彼の操作するキャラクターは不自然な動作を繰り返し、反対方向にキックしてその場で大ジャンプを決めていた。
くっそ!と苦い顔をする彼に手本を見せるかのように1度2度と『跳び後ろ回し蹴り』をお見舞いする。キャラクターが「アターッ!、アターッ!」と叫んだ。
「戦いの年季が違うんだよ。」
どうやったらできるんだという彼の悩む顔を見ていると優越感を感じた。おそらく彼の思惑とは真逆にストレスは溜まる一方だろう。と、不意に声が聞こえた。
駐車場のほうから男の声が2つと女の声が1つ。女の声は少し悲鳴にも近いものだった。彼にも聞こえていたらしく2人して顔を見合わせると、ゲームのコントローラーを置き窓から外の様子を窺った。アパートの1階だったため窓側は駐車場に面しており、その様子を目の前にとらえることができた。コの字にアパート3棟に囲まれたそのスペースは、通りから死角になっていることもあり男が女を半ば強引に誘うには悪くない場所でもあった。
ニット帽をかぶった男と大柄な男の2人が、女の子を・・・あれは確か、
「神宮寺涼子」
2人の口をついて出た言葉が同じだったのと、神宮寺涼子がこんなところにいることに驚いた。
「あの子、何でこんなところに?授業してるだろ。俺たちと同じサホリ゙組か?それとも俺のアパートに遊びに」
「それはないだろ。」
そんなことより、と神宮寺涼子の手首を一層強く引っ張る大柄男を見て、彼は窓の取っ手に手をかけようとしていた。渦中で意中の子が目の前で連れ去られようとしているのを見て見ぬふりはできないのだろう。彼の言葉を借りるなら「彼女を助けることはお近づきになるための即効性ある手段」なのは間違いない。だが相手は巨漢。普段は口の達者な彼でも具体的な恐怖の対象を相手にすると唾をのみ込むことしかできないでいた。
「そこでよく見てろよ、即効性も大事だけど、継続は力なりだ。」
僕にも恐怖心がないと言ったら嘘になる。しかし彼に見せてやりたかったのだ。
意を決し、カラカラと冊子をあけると手をベランダの手すりにかけて一気に状態を持ち上げる。靴下のままの片足を手すりに乗っけると持っていた手を離し目の前の巨漢に飛び掛かった。
一瞬、巨漢の視線がこちらに向き、はっきりとは視認できなかったが次に神宮寺の驚いた顔が、そして室内の彼の驚く顔が感じられた。僕は遠心力をつけて右足を思いっきり振りぬいた。弧を描くように蹴り上げた踵が巨漢の喉元にクリーンヒットして、その弧の延長線上にゆっくりと男は倒れ込み仰向けになったまま動かなくなった。
シーンと静寂が訪れる。彼の顔を一瞥すると煙草に火をつけて静かに煙を吸い込み、吐いた。
幼い頃から習っている空手の有段者である僕の得意技『跳び後ろ回し蹴り』をくらえば誰でもたちまちノックアウトする。
彼のいる僕の部屋からは「アターッ!」という声が聞こえてきた。
1.高く蹴り上げて ~ループストーリー~