歌う猫

 歌のうまい猫がいたので、ぼくは拾いました。
 ぼくは兄さんにも、猫の歌声を聴かせてやりたいと思ったのでした。
 きょうは空が紅く燃えていましたので、兄さんが家の庭に出ている頃だろうと思い、猫を抱きかかえて家まで走りました。猫は毛むくじゃらで案外と重かったですが、湯たんぽを抱えているみたいに温かったです。途中、玉乗りする鼠と出会いましたが、ぼくも猫も相手にしませんでした。
 ぼくに抱きかかえられているあいだも、猫は歌いました。
 猫が、鼠はいらんが魚はたらふく食べたいよと繰り返し歌うものですから、ぼくの兄さんにも歌を聴かせてくれたら魚を買い与えようと約束しました。猫はぼくの兄さんの前でも歌うことを承諾しました。
 兄さんは猫が好きなのですが、かあさんが猫とばかり遊んでいる兄さんのことを良く思っておらず、兄さんから猫を遠ざけるのでした。かあさん曰く、猫ではなく人間と遊びなさいとのことですが、ぼくは遊ぶのに人間も猫も関係ないと考えているものですから、かあさんには嫌われていますけれど気にしていません。
 かあさんに疎まれるよりも兄さんが笑わなくなる方が、ぼくは嫌でした。
 日がな一日部屋にこもっている兄さんのことを、ぼくは猫に打ち明けました。猫はぼくの腕の中で、ふわふわ柔らかい声で囁くように歌い続けました。耳障りでないバッグ・グラウンド・ミュージックは、歯医者さんで流れているクラシック音楽と似ていました。
 お兄さんを大切にしなよと猫は歌いました。
 血の繋がったお兄さんは世界にひとりしかいないのだから、うんと大切にしなよと猫は復唱しました。それがどうやら聴く限り歌のサビの部分のようでした。
「うん、ぼくは世界でいちばん兄さんが大切だよ」
と言いました。縁側に座り、紅く燃える空をにらんでいるだろう兄さんが、ぼくの帰りを笑って待っているような予感がしました。
 ぼくは猫をひしっと抱きかかえ直して、速度をぐんぐん上げました。学校帰りの中学生と、買い物に行く途中らしき親子と、犬の散歩をしているおばあさんとすれ違いました。
 みんな、みんな、ちいさな幸せをたくさん詰め込んでいるような笑みを湛えていました。
 ぼくは、どうして兄さんを幸せにしてくれないのかと神様を恨んだこともありましたが、神様が幸せをくれないのならば、ぼくが兄さんに幸せを与えればいいのだと考えましたので、ぼくはそのためにもどんな不幸に見舞われても自分は幸せだと思うようにしています。
 兄さんのために幸せを蓄えているのです。
 そういえばこの前ね、クラスで飼っていたカエルが死んだとき、ぼくは悲しくていっぱい泣いたのだけれどね、クラスのみんなは泣かなかったよ。やっと気持ち悪いのがいなくなったと呟いた女の子が、ぼくには悪魔に見えた。
 どうしてあの女の子が今、お母さんと手を繋ぎ笑い合っていて、兄さんが大好きな猫とも遊べず家にひとりぼっちでいるのか、甚だ理解できないのだけど。

歌う猫

歌う猫

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-02-17

CC BY-NC-ND
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