魔法使いの青年と少女
遠い昔、魔物が世に蔓延り人々を苦しめていた。畑が荒らされ村が焼かれて、人間たちは為すすべもなく風前の灯火というとき、どこからか美しい女が現れて魔物たちを一掃し、呆気なく封印してしまった。その女は自らをシュミールと名乗り、自分のような魔法を使う者がこれから何人も生まれてくると予言すると、ふっと姿を消したという。それから彼女の言うとおり、村人から不思議な力を使う者たちが続々と生まれていった。
魔物がいなくなり、人々が平和に満ちた日々を過ごしていたある日のことだった。魔法使いの中でも強力な力を持った男、バトラムが黒魔術に手を染め、シュミールの封印した魔物たちを解放してしまったのだ。
バトラムは魔物を率いていくつもの国を襲い、自分の支配下においていった。数々の魔法使いたちがバトラムの前では無力だった。
彼は最後の仕上げに、国一番の都を焼き払うことにした。
今にも魔物が都を襲おうとしたそのとき、空から光の梯子が降りてそこから金の髪の美しい女が現れた。女の光は魔物たちを浄化し、無力な獣に変えてしまった。その女はシュミールの子孫であった。彼女はバトラムを厳しく叱りつけ、もう二度と悪行をせぬようにと黒魔術の力を封じ込めた。彼女はそこで力を使い切ってしまい、魔物たちを完全に封印することができなかった。しかし、人々は喚起し、彼女を女神だと称えた。
バトラムはすっかり穏和になって、村の娘と結婚し、残りの人生を静かに過ごしたらしい。
暗雲立ちこめる大都市に、一人の男が招かれた。
その都市には現在、災いが降りかかっており、それをどうにかしようと住人たちは躍起になっていた。森に巣くう魔物たちを追い出すためにそこを焼き払いもしたが、逆効果であった。ますます魔物たちは暴れ、都の人間たちも参ってしまった。そこで、大魔法使いであるクオムという男を城に招いたというわけなのだ。
クオムは冷徹な男であった。どのような場面であっても冷静に対処できることが評判になり、噂をよんでいた。そして何より、この世の者とは思えない程の美しい姿形をしているというのだ。
城に住む王族たちは、あわよくば彼を身内に引き込むつもりであった。姫の夫に適任だと思っているのだ。姫は高慢ちきな娘で、容姿こそ端麗だが中身は山姥のように醜い者であった。綺麗な娘を見つけると苛めたおして、終いには国から追いだしてしまうのだ。しかし一国の姫であるため、そのことを表だって咎める者はいなかった。
さて、クオムを呼び寄せて数日経つと、彼は城に到着した。大広間に招かれ、フード付きのマントを彼が払うと、王族たちはあまりの美しさに息を飲んだ。白銀に輝く髪と瞳に、目を奪われる。
玉座に座る王の隣に立つ姫も、その容姿に見とれていた。この男を夫に迎えるのもいいかもしれない、と内心思った。
「クオム、と言ったな。そなたは魔物退治が出来ると聞く。この都市に渦巻くあの化け物を滅した褒美には、国の財産をやろう」
王が不適な笑みをたたえて言うと、クオムは淡々と言った。
「魔物は退治いたしましょう。しかし、褒美には財産ではなく別のものを頂きたいのです」
王は彼の言葉に、心の中で舌打ちをした。財産として姫をさしだそうともくろんでいたからである。
「はて、何がほしい?」
クオムは少し顔を上げて、王の様子を窺った。
「魔物の住む森でございます。あの森の所有権をください」
王は驚いて立ち上がった。その森には悪い魔女が住むと言われているのだ。魔物を操り、都を襲うように仕向けた張本人の魔女が。そんな危険なところを引き受けてくれるなんて、一石二鳥の申し出だった。
「良いが、なぜ森を欲するか」
「あそこにしばらく住みたいのです」
クオムは、森から感じる大きな力に引き寄せられていた。その力の正体を見極めたいと思っていたのだ。
「なんだと。住むとは」
王がなおも何か言おうとすると、姫がそれを手で制した。
「お父様、良いではありませんか。クオム様がおられる間はここも安全でございます」
姫にとっては彼が長く滞在してくれるのならば、口説く間があって嬉しいことであった。姫の言葉に王は閉口した。
「では、わたくしは城下にて一晩休み、翌日の早朝に魔物を退治することにいたします」
クオムがフードをかぶり直して一礼する。姫を立ち去ろうとする彼を呼び止めた。
「お待ちください。一晩くらい、ここに泊まってもよろしいのですよ」
クオムはかぶりをふって、それを断った。
「いいえ。城下の様子を見ておきたいので、申し訳ありませんがお断りします」
そうして踵を返して立ち去った。姫は唇を噛みしめて、彼の後ろ姿を睨んだ。姫は生まれて初めて自分の言葉に従わない男に出会ったのだった。
クオムは宿を取ると、日が沈むまでは休むことにした。魔物たちの動きが活発になるのは、日が落ちてからなのだ。
すっかり日が落ちた頃、一人の少女が森の奥より現れた。少女の髪は金に輝き、瞳は猫のように鋭く光っていた。慣れたように森を歩き、魔物を見つけるとそれを光で包み込み、浄化してしまった。その少女の名は、イリス・シュミール。そう、その昔魔物を封印した一族の末裔であった。
その様子を物陰からクオムは見つめていた。イリスの発する金色の光に包まれた魔物たちが、ただの獣になっていくその光景は、昔話に出てきたシュミールそのものであった。
翌朝、太陽が山の陰から少し頭を出した頃、クオムは空を駆け、森に帰ろうとする魔物たちを全て捕らえた。そして大きな火の玉で焼き殺してしまった。その様子に、都は大喜びし、クオムを賞賛した。
森の奥から虐殺を見ていたイリスは、激しい怒りを感じていた。長い時間をかければ、魔物は全て浄化できたはずだ。それを知らなかったとしても、彼の所行には耐えられないものがあったのだ。
「クオム様! ありがとうございました。御陰で私たちは安心して寝ることが出来ます」
姫は空より舞い降りたクオムに駆け寄って、抱きつくように身を寄せた。
「クオムよ。そなたの力には驚いた。そこで提案なのだが、我が娘と共に国を治めてはくれまいか」
王がここぞとばかりに言うと、クオムはちらりと姫を見やり、首を横に振った。
「いいえ。それは出来ぬことでございます。わたくしは一国の王になるべき人間ではございません。それに、やらねばならぬことがあるのです」
クオムはそう言うと、森の方へと歩いていった。彼の姿を見失わぬようにと、姫は彼を尾行した。彼を自分のものにしたくてたまらなかったのだ。
クオムは森の入り口で立ち止まった。
奥から少女が歩み出てきた。イリスだ。彼女の白い肌が朝日のもとで輝いている。彼女の瞳は深い悲しみで溢れていた。
「シュミールの末裔であるな」
クオムは静かに訊ねた。イリスは小さく頷いた。
「はい。私はイリス・シュミール。かつて魔物を封印した女の末裔です」
「イリス、お前に頼みたいことがあるのだ。聞いてはくれないか」
クオムはイリスに頭を下げた。
「あなたは誰ですか。なぜ魔物たちを殺したのですか」
イリスは悲しげに瞳を閉じた。
「わたしはバトラムの末裔、クオム・バトラムという者だ」
イリスの瞳が驚きで見開かれた。母より聞いた昔話の中で、バトラムという男が登場したのを思い出したのだ。
「魔物を殺したことを怒っているのか」
「はい。殺さずとも浄化できました」
クオムはしかし、と唸った。彼女の力が、昔世界を救ったシュミールよりも遙かに衰えているのは一目瞭然なのだ。彼女が少しずつ浄化したのでは、その間に人間たちも多く死んでしまうことだろう。
「全ての魔物を浄化していたのでは切りがない」
「では、どうしろと?」
イリスは憤りを隠さずに、クオムを睨みつけた。
「魔界とこちらを繋ぐ窓を、断ち切るのだ。そうすれば魔物はこちらの世界には来れまい」
「そんなことが……」
クオムはそれをイリスに手伝ってほしかった。過去にあったことを思えば、虫が良すぎる話ではあるが。
イリスは、彼の考えにすぐには賛同できなかった。彼は魔物たちの敵(かたき)なのだ。
「一緒に来てはくれまいか」
そうクオムが言ったとき、ちょうどそこに着いた姫がそれを聞いてしまった。姫は森の魔女を見ると怒りに狂った。魔女は美しく輝き、女神のようだったのだ。そんな女にクオムを取られては堪らない。姫は急いで城へと引き返した。
イリスは彼の申し出に、戸惑いを隠せなかった。彼はバトラムの末裔。また昔のように過ちを繰り返すやもしれない。それに、嘘をついている可能性もあるのだ。
「出来ません。あなたを信じられないのです。魔物たちを躊躇無く殺したあなたには力をお貸しできません」
イリスは森の奥へと走り去った。クオムは仕方なく、宿へと戻った。明日、もう一度誘って駄目だったら、イリスの力は諦めるしかないだろう。
急いで城へと戻った姫は、兵たちに命令を下した。あの魔女の森を焼き払え、と。王は流石にそれは駄目だと、姫に言い聞かせようとした。あそこはクオムにあげたのだから、手を出しては恩を仇で返すことになるだろうと。しかし姫を耳を貸さず、兵たちを森へと追い立てた。
真夜中、イリスは煙の臭いで目を覚ました。起きあがって小屋を飛び出すと、森が一面赤く染まっていた。炎が木々を舐めるように燃やしている。
イリスには、その炎を鎮めるだけの魔力はなかった。
イリスが途方に暮れて立ちすくんでいると、森全体に滝のように雨が降ってきた。その雨はみるみるうちに炎を消してしまった。
イリスはその光景に呆気に取られた。
森から歩き出てきたのは、クオムであった。彼の魔法がイリスを炎から救ったのだ。
「イリス。城の者が火を放ったのだ。ここにいるとお前は殺されてしまうかもしれないぞ」
イリスは言葉を無くして、森を見た。森は原形を留めてはおらず、木は全て死んでいる。彼女は、このような酷いことをされるほど城の者に憎まれている覚えは無かった。
少し前、森の三分の一が焼かれたのは魔物たちが人間に被害を出したからだ。しかし、もう魔物たちは全滅して、森を焼く必要は無くなったはずなのに。
「城の姫が兵隊に森に火を放つようにと命令したらしい」
クオムはイリスに歩み寄り、その頬に手を添えた。
「この森はわたしが王より賜るはずだった土地だ。ここに留まるには宿代が惜しい。わたしは旅立つ。イリス、共に来るのだ」
イリスは俯いたまま、動かなかった。子供の頃からずっと一人で住んでいた森が焼失し、どうしたら良いのか最善の道を探そうとしていた。
ふと、マントからのぞくクオムの腕に蛇のように巻き付いている痣が、イリスの目に留まった。
「これは?」
「この痣は、シュミールの子孫がバトラムの黒魔術を封じたときに出来たものだ。これはわたしの一族に受け継がれ、黒魔術に手を染めぬようにと暗示がかけられておるのだ。もしも黒魔術に手を出したならば、この腕の蛇が全身を締め付け、わたしを殺すだろう」
クオムは腕をさすり、笑った。
「黒魔術などに手を出さなくともわたしは十分に強い」
彼のその表情に微塵の迷いもないことがわかると、イリスは安心した。クオムは魔物を殺しはしたが、善人であることに間違いはないようだった。
「私が力を貸したならば、魔界の窓を閉じることが出来るのですね」
「出来る。お前の癒しの力で一時的に封印の女神を呼び起こすことが可能ならば」
彼の銀に輝く瞳は真剣であり、イリスもやっと決心することが出来た。
「力を貸しましょう。クオム・バトラム」
そうして二人はその都市を出て、最果てにあるという魔界への扉を探す旅に出たのであった。
え? 姫はどうなったかだって?
城の姫は平凡な男と結婚するのは嫌だと言って城を飛び出してどこかへと行ってしまったらしい。え? それからはどうなったかって? 魔物にでも食べられてしまったんじゃないかな。
魔法使いの青年と少女
完結です。