蔑視

 蔑視         
貧しきものが、貧しきものを馬鹿にする
無知なるものが、無知なるものを馬鹿にする
みんな同じ人間なのに
人はいさかいをしてはいけない
弱いものが弱い者をいじめる
戦いをする者は敗北を考えない
理想を持つものは輝いている
病のものはうちひしがれ
健康なものは病の者を
他人のこととする
富たるものは、
貧しき者の心を知ろうとしない
亡くなる者を見て
己の死を考えない
若きものはおのれの年老いるのを考えない


   地獄門
赤鬼と青鬼が五色の炎を吐き
太い赤黒い蛇がのたうつ
妖怪が力なく、立ちつくし
うつろな目を向ける
波間に古い小枝が浮き沈み
岸辺の髑髏(しゃれこうべ)が生前の恨みを心に
じっと虚空を見つめている
霊鳥悲しんで鳴いてやまず
暗黒の雲が垂れ下がり
あたりを冷気が覆い
怨念の霊が漂う


  桜花爛漫
春まだ浅き寒さの中に
桜の花は清く咲きけり
若き娘の初々しさのごとく
麗しい花の香りを放ち
美しい花を幾重にも重ねて
咲き誇りたり
人の心を捕らえて
清く高く咲きけり
いく年月を重ねて
春のたびに、人の心を引き
長く、長く生ける桜。


 こおれる月
春は遠く、寒風をたなびかせ
凍てつく月は遠くかすみ
冷たさが肌を突き刺す
こおれる月にこおれる風が
わが身を震わせる
寒空の月が己をうつして
暖かき灯が家へといざなう。
寒風が舞い
こおれる月が空に輝く



  春をもとめて
遠き春を偲び
蝶の乱舞を思い
花の香りを夢想し
暖かき風景をしたい
冷たき風に身をしずめ
ただ春の到来を待ち望む



  心のうつろい
寂しいときは 
心の中につめたい風が吹き
すさんでいるときは
心の中に激しく雪が降る
穏やかなときは
心の中にここちよい風が吹く
美しい風よ、心の中をめぐり、
わが心をいやせ


   春のひと時
厳しい冬がやっと去って
春の暖かさが感じられる
心地よい春風に身を任せ
春の香りに酔う
色とりどりの花の美しさに
とらわれしばし時を忘れ
自然の華やかさを感じる


   静寂
古寺にさしかかる月の面影
古(いにしえ)の優美を今に伝え
木々の間の清涼感が
昔のやすらぎをほのかに感じさせ
どこ吹く風ともなく
池のせせらぎに心とらわれ
我を忘れる


住み慣れしこの家
われなき後はいずれの誰が
住みかとなるのか
われ灰燼となり、ひとかたの痕跡も残されず
世の中の万物のものはいっぺんたりともかわらず
街中もただ残るのみ
多くのものが何も残さず消えていくのみ


花は美しい
心奪われる景色もまた美しい
美しい芸術作品
もろもろの美しいものは
何かを語りかけている
しかしそれらすべてのものには
心がない
ぼくは無明と言います




  空虚
空にはきらめく星が
さんさんと輝き
海には鮮やかな魚が群れをなし
胸に降る、冷たい雪が
悲しみへいざなう



  信心
神を信じるもの幸いあれ
狸を信じるもの幸いあれ
蛇を信じるもの幸いあれ
仏陀を信じるもの幸いあれ
キリストを信じるもの幸いあれ
神輿をかつぐもの幸いなれ
死後の楽園を夢想するもの幸いなれ
ああ、なんとむなしきことか
おぼろげにそれらは消えてしまう
真実なるものは強よし、それは誰の目にも明らかだ



鬼々(きき)交々(こもごも)来る
幾千万の人々がむごい死を強いられ
五体が引き裂かれ、血の海が漂い
多くのものが餓死をし、地獄絵と化した
これらを指揮した鬼は、平然と人々の命を奪った
冷然と、国体と天皇制の維持のみを欲した
国民を欺き、戦争へと駆り立てた
そして死後は神となり、靖国神社へと奉られた
一億総玉砕を叫び、国民を悲惨な死に追いやった死神
人間的な感情にさいなまれることなく、平然と過去を賛美している鬼
国民を平然と血の海へ沈め、「美しい国」と自画自賛し
何も顧みぬ鬼たち

   地獄絵図
人魂(ひとだま)が二つ漂っていた
一つの人魂がパッと亡者に変わった
もう一つの人魂もパッと変わって
恐ろしい鬼があらわれた
あたりは薄暗い岩肌に囲まれていて
多くの亡者が苦しんでいる
亡者が鬼に話しかけた
「私は生前信仰も厚く善行を積み重ねました
なのにここは地獄のようです。」
鬼が答えて言った
「お前が生前信仰厚く、善行を積み重ねたかどうかは
真実心底からなのか、仏も神もわからない
そこでお前が真の善人かどうかこの地獄で確かめる
真の善人などとはそうたやすくいるものではない
天国、浄土へ行きたいためであったかもしれない
あたりには苦しみもがく亡者どもがいた
そうとう著名な牧師、高尚な僧侶もいた

 街
春が近かずき
銀杏がやっと葉をつける時期がやってきた
通りには相変わらずたくさんの車があふれている
子供や多くの人々があふれている
家々の軒先に置かれた鉢にかわいらしい花が咲いている
やがて夜の帳(とばり)が下りて、ネオンが輝く
居酒屋の提灯がかすかな風に揺れて
疲れ果てた男が元気なく入っていく
少しばかり食べて、わずかなお金を置いていく
一日の終わりはわびしく終わっていく

  人間の要素
逸材はまれなりと人は言う
だが、良く考えてみると
逸材の要素は誰でもが持っている
古今東西の逸材もみな同じ人間だった
努力し、機会にめぐりあえば誰でも逸材になれる
逸材を尊びあがめるよりも日々努力せよ


若き力
若き君らの
努力の積み重ね
泣き笑い、努力し
周囲の励ましに
君らの志は強く
今花のごとく咲き誇り
また新たなる未来に向けて
みなの希望の星となり
楽しみ努力を積み重ね、
清く高く
若き力を輝かせよ


      杖
昔、年老いた翁が貧しい庵(いおり)に住んでいたと。目も弱り、足腰ももろくなり、とうとうおじいさんは杖を作り、その杖を頼りに出かけなければなりませんでした。水を汲みに行くときもよろよろと不自由によろけるように歩いていき、それは哀れに見えました。見かねたサルの花子が、おじいさんの手を引き、やさしくいたわりました。おじいさんは「どこのどなたでしょうか」と尋ねましたが、サルの花子は言葉が話せないので、返事ができません。ただ優しくおじいさんの手を握り返して、手を引き、いろいろとおじいさんの世話をし、いつしかおじいさんとサルの花子の間には心が通じ合うようになりました。
冬の生活は寒さが厳しく、おじいさんも花子も寒くて、生きていくのが精一杯で、木枯らしが吹き、震えて、暖かい春の到来を待ちわびていました。おじいさんはサルの花子に何かしてあげられないか考え、自分の古着をあげようとしました。おじいさんはきっと花子が喜ぶだろうと思って幸せな気分になりました。花子は初めてもらう古着に嬉しくてたまりません。冬の寒さ以上におじいさんの暖かさを感じました。
やがてようやく、冬の厳しい寒さもやわらぎ、待ち望んでいた春がやってきて、草木は青々としてすべてのものが息を吹き返したようでした。おじいさんとサルの花子は春の香りをいっぱい浴び、たくさんの果実の中から、花子はおいしそうな果実を一つおじいさんの口へ持っていきました。おじいさんは、うれしそうにそれを食べて、二人とも幸せでした。
そして季節はめぐり、暑い、暑い夏がやってきて、夏の日差しは強烈でした。おじいさんは草をたばねた日傘をサルの花子のために作り、そっと頭に上にかぶせてあげると、花子はうれしくなりおじいさんの顔をじっと見つめました。
月日はめぐって秋となり、豊かな食べ物がたくさん辺り一面に実り、おじいさんと花子はそれらをお腹いっぱいおいしそうに食べ、二人には幸せな時が流れました。
やがて「可愛いサルがいるぞ」という噂がどことなく伝わり、「捕まえて、興行師に売れば金になるぞ」と考える者が現れ、その欲望はますます膨らんでいきました。
ある日和(ひより)のいい日、おじいさんと花子は外へ出かけ、いつものようにおじいさんと手をつないで、ゆっくりと歩いていく二人は幸せそうでした。
おじいさんは心地よい風に当たっていて、花子は大きな岩の上で、のんびりと横たわっていました。さわやかな一日でした。
突然、花子に網がかけられ、花子は何が起きたのかわかりません。すぐに男の人が現れ、網をつぼめて花子を捕らえてしまいました。おじいさんに「助けて、助けて」と言いたかったのですが、花子は話すことが出来ません。ただおじいさんに悲しいまなざしを向けるだけでした。
花子は興行師に売られて、来る日も来る日も芸を仕込まれ、顔は悲しみでいっぱいで、悲しさをこらえながら一生懸命、芸をしてそれでも、お客さんの前では「明るい楽しい顔をしなければいけない」ときつく言われ、花子はお客様の前で顔をつくろって一生懸命芸をしました。おじいさんにまた会える日を楽しみにして・・・・。
おじいさんは、突然花子がいなくなり「今日は来てくれるかな」と来る日も来る日も、待ち続けました。しかし何日待っても花子は、姿を見せませんでした。何か花子に起こったのか心配でなりません。「優しかった花子は、いったいどこへ行ってしまったのだろう。」と寂しさに耐えきれず、あちこち探し回って、ある冬の寒い風の中、野原で倒れてしまい。花子との楽しい思い出を抱きつつ、そのまま息を引き取りました。最後まで花子の事を心配していました。花子も辛い毎日に耐え、おじいさんの顔を思い浮かべながら悲しさに、毎日の心労がたたったのか倒れてしまい、だれ一人気づかうものもいないで、楽屋の隅にひっそりと置かれていた花子はとうとうおじいさんと同じように悲しく、息絶えてしまいました。興行師は仕方なく、小さな穴を掘って花子を埋めました。その場所には夏になると可憐な一輪の野の花が咲きます。まるで花子の形見のようにひっそりと可愛く咲くのです。


      市井(しせい)の乞丐(かたい)
 貧しい寒村に、女の子を連れた乞食女がやってきました。女は完全に狂っていて、何があったのか、よほどの衝撃が女を狂わせたに違いない。小さな女の子はおどおどして母親といっしょにあちこちを歩きまわり、どこで寝泊まりしているのかふらふらと力の入らない歩き方で、食事も満足にとっていない様子だった。 通りかかった村人はみな哀れに思ったが、どうしようも出来なかった。しかし新吉は勇気を出して、そんな親子にそっと優しく声をかけ哀れに思い、二人を家に連れて行った。妻はみすぼらしい親子にいやな顔をしたが、風呂に入れて着替えさせた。
 母親はぶつぶつ独り言を言っていたが、古い布団を引き出して寝かせた。女の子は家に泊まれることに安堵して、目をきょろきょろさせていた。翌日の朝食は味噌汁とご飯だけだったが遠慮しながら下を向いて箸を静かに動かせていた母親はあいかわらずいつものように、ぶつぶつ言って立ち上がり、座り込んだ。女の子は時々「おかあちゃん」と声をかけていたが、女の子を見ても母親は無反応だった。日がたつにつれて、新吉の妻は二人の親子をしかたなく世話をしていたが、だんだんと面倒くさくなり、冷たい態度になっていった。女の子の名前は清子、その家にも一人娘の幸子がいた。家の中の雰囲気がだんだん暗くなり、突然の思いもよらぬ親子連れに、幸子も母親も口を開こうとしなくなり、家の中に暗いどんよりとした雰囲気がながれていった。日が経つにつれ幸子の母親から邪魔者扱いされ、気の狂った清子の母親はことあるごとに蹴飛ばされたり、突き飛ばされたり、ひどい目にあわされていた。そんなひどい目にあっても、清子はただ黙っているしかなかった。清子の母は狂っていたが本能的にしだいに追い詰められていき、ある夜中、母親の姿が見えなくなり、心配して清子は母親を探し回った。そしてやっと母の姿を見つけた。月のぼんやりした夜、清子の母親はこっそりと家をぬけ出し、少し離れたところの樹に紐をかけて首をつっていた。月の光が淡く清子の母親の顔を照らして、清子はただ黙って見上げていた。
 その後、清子は口をきくこともなかったし、沈み込んでいて、周りの者も口をきく者はいなかった。相変わらず清子の食事は味噌汁とご飯だけだったが、たまに幸子はいらないものを清子のお椀に移した。清子は皿洗いを命じられ、たまに残飯があるとそっと食べ、家の掃除を一生懸命させられ、それが清子の日課になり、頭のなかはいつもぼんやりしていた。時々母が隅に座っているような気がした。当然学校の成績も悪く、「頭の悪い子は嫌い」という小声が聞こえてきて、「私は頭が悪いのだ」と清子はうちひしがれた。新任の先生を連れて、担任が教室に入ってきて、小声で「この子は能力が低いから」と言ったのを聞いて、清子は悲しい気持ちに沈んだ。友だちもほとんどいなかったし、心無い子は「乞食の子」と言った。中にはいたずらさえする者がいて、先生は見てみぬ振りをしていた。
 そんなもぬけの殻のような清子にも声をかけるものがいた。大工見習いの亀吉である。いつしか清子は亀吉がやってくるのを心待ちにし、たわいもない話をして、二人とも心から笑い、唯一の楽しい時を楽しんだ。そんな話の中でつい亀吉は「清子は乞食の子だから俺がもらってやろうか。」と言った。清子からサーっと血の気が引いていくのに気ずかなかった。清子の目が沈んで、二人は無言で別れた。「おかあちゃん」消え入るような声で清子は言った。すべてがむなしく見え、「誰か助けて」心の中で清子は弱弱しく言い、清子は「死」を考えた。死は、怖く暗黒の世界に思える。「死にたくない」と清子は思ったが、しかし周りの状況が清子を死に追いつめた。
 夜中に清子は母親と同じように、よろよろと外に出、月が暗黙の輝きで照らしていた。「死にたくない」と清子は又思った。いつしか母親が首を吊った場所に来て、清子は迷ったが、魅入られるように縄をかけて清子は首を吊った。だれでもが戸惑ったが、 ただ一人亀吉が地面に伏して泣いた。


       しおり
 小さな村であり、緑が美しく、のどかな風景が横たわっていて、後ろに小さな山があり、小山を背景にして小さな社が、古めかしそうに構えていた。その境内で、若者が数人祭りの準備であろうか境内の石の穴に溜められた赤や青の塗料を筆で、提灯,山車などに手際よく塗って、みんな手作りで器用に祭りの支度をしていた。祭りの準備にも伝統が生かされている感じがした。さてこれも村の恒例だが、祭りの前日の夜は男達がみんな集まって酒を酌み交わす。田舎のことであるので祭りが数少ない楽しみであり、全精力を注ぎ込み祭りを仕上げる。一人、清太郎は酒もあまり飲めないのか、弱々しく隅に座っていた。祭りの話が高揚していき、「男なら神輿をかつがなければならない。清太郎お前も担げ」、生きのいい若者に檄を飛ばされ、矛先が清太郎のほうへ向いてきた。清太郎は隠れるように、押し切られて、「私は体も弱く力もないから」と、か弱そうに答えた。「なーに俺達がそばで助けてやるから心配いらないよ。」なおもしつこく男達は迫った。清太郎は何も言わなかったが、男達は有無を言わせず、「明日迎えに行くからな」と念を押した。
 清太郎の妻、しおりはこれを聞くと猛反対し、あの男衆では良くないことが起こるのではないかという強い不安が彼女を襲った。しおりは村一番の美人で有名であり、肌は白く、見る男を魅了した。
 翌朝男達が清太郎を迎えに来た。しおりは頭が痛くて寝ているからと願うように断ったが、すると男達は「なに」と凄んでずかずかと上がって、横になっている清太郎のところに行き、「頭が痛くても神輿を担げば直っちゃうよ。」と半ば強制的に連れ出した。しおりも必死で引き止めたが男達にはかなわなかた。
 神輿の中央部分をかつがされた清太郎は、しだいに神輿の動きが荒々しくなってきたのに耐えられなかった。おまけにそばにいた人に足を掛けられたからたまらない。清太郎はとうとう倒れてしまった。その上を何人もの人に踏みつけられたからなおさらたまらない。清太郎はもがき苦しんで息絶えた。
 しおりは悲しんで清太郎の骸(むくろ)にしがみついて泣いた。しかしどうすることもできなかった。簡素な葬列がいとなまれ、清太郎は墓地に埋葬され、しおりは悲嘆にくれる毎日で、清太郎のことばかり思ってなきがらのように生きていた。
 そうした夜、しおりは何か異常さに気づいた。誰かがしおりの様子を伺っていて、やがて障子がス―と開き男が入ってきた。反対側へ逃げようとしたが、反対側からも男が入ってきた。何人かの男に襲われたしおりは、裸でぐったりと倒れていた。すべてが計画的に行われていたことに気づいたが、しおりには、もはやどうしようも出来なかった。
 悲しみにつつまれたしおりは清太郎の墓の方へと、導かれるように、ぼろぼろに裂けた衣服とはだしで、力なく歩いていった。
清太郎の墓の近くの樹にロープを掛けると迷わず「清太郎、今から行くからね」とつぶやいて、首をつった。
 二人の純真無垢な若者が、何も考えず欲望をむき出しにした若者達の犠牲になった。彼らは群集になると無謀になる。しかし罪の意識はないのだろうか。
 その話を聞いた村人は「あいつら鬼だ」と言ったが、それ以上何もできなかった。

    神聖なる大寺院
 その大寺院は一山と言われる世襲制の二十一件の寺が権利を分担して持っている。彼らの寺と言っても家族だけの普通の家庭であるが、一応何々院という院号が付いている。その大寺院は多くの土地を店舗に貸しており、毎月何億というお金が土地代として入る。その上大量の賽銭が入り、多くの株券をもって大株主としても、寺は大きな収益を得ている。しかも宗教法人は無税である。したがってそれぞれの一山には毎月何百万円と言うお金が支払われ、一般の庶民を見下して「私たち雲の上の人は」と言ってはばからない僧もいる。一般家庭の収益よりかなり高いと言える。その大寺院は庶民の信仰厚く、常に多くの人が参詣しており、祭礼の日などは身動きできないほどである。多くの祭りを行い人が集まってくる。その一山の中から大僧正に選ばれれば、庭園つきの僧院に住み、田舎の寺からの小坊主に、「お上」として丁重に敬われ、そして夜は、お刺身と高級なお酒をたしなむ。妻のお酌に満足し、妻と二人ほろ酔いになるのが日課であり、それだけで大僧正として世間の尊敬を集めている。
 当然、会計事務処理が膨大で、男女の職員を多く抱える事務所がある。事務所では一山と女性職員の痴話話が多く流布している。一山は強大な権力を持ち寺と事務所を管理していて、従業員は一山の目を気にして働いている。そのほか地方の食べていけない寺から働きに来ている僧がいる。
 従(じゅう)海(かい)はそうした一山の裕福な家庭に生まれ、子供のころから甘やかされて育ち、何不自由なく育てられたが、「坊主の子」とさげすまされる感じが何より嫌だった。そこで従海は「決して坊主にだけはなるまい」と心に決め、そして家を飛び出し、仕事に就いた。だが自分の考えとはまったく違い、世の中の厳(きび)しい、そして冷たさが従海に襲いかかった。従海は敗北者となり家の周りをうろつき、母と偶然会い、家の中に連れ込まれ、母と父は暖かく迎え、従海はほっとして涙をこらえた。
それからの従海は何かが吹っ切れたように僧衣を身にまとい本堂へ勤行(ごんぎょう)に出かけた。
 一山の息子たちはつまらないお勤めが終わるのを待ち、花柳界へ出かけて行く。「いろいろな経験をする必要がある。」が彼らの言い草であったが、普通の人々が花柳界へ通うなどと言うことはできないであろう。かれらは酒をたしなみ、芸者とのやり取りを楽しむ。従海もそういう慣わしを楽しんでいた。若い僧侶と芸者の結婚も珍しくない。また痴話話も珍しくはない。従海も、芸者梅千代と馴れ初めになり、世間話に花を咲かせ、上等な酒をたしなみ、夜遅くまで時を過ごした。
 ところが梅千代は、月日がたつとほかの男に気を取られるようになり、従海が行ってもほかの客がいるからと断られた。従海は相当立腹していき、冷静に物事を考えることができなくなっていた。刃物屋にふらふらと入っていき短刀を買った。梅千代は仕方なく会い、ぶっきらぼうに応対し、従海は逆上し短刀を取り出し梅千代に切りつけたが、幸い大事にはいたらず、梅千代の腕を切っただけであった。当然刑事事件となり、新聞は大きく報じ、寺でも大問題になり、何年間かの刑務所暮らしを経て、従海は家庭に戻った。家ではとがめることなく、家の寺を継ぐ大切な跡取り息子である。犯罪者となった従海は寺でも軽く差別されたが一山と言うことで固く守られ、形式上薄茶色の僧衣を着せられ勤行を行わされた。一山であれば何をしようと許される社会であった。月日が経てばまたもとの状態をとり戻せるようになれる慣わしを心得ていた。それに月数百万円の俸禄は魅力的であり、大切な金になる自分の寺を従海は継いで守っていくことが最も重要であるとしみじみ思った。従海は一山ということで特別に扱われ、世襲制を特に重んじ自分たちの権利を強固に擁護しようとしているのである。
世の中には価値の無いものが多くの権利を持ち、贅沢な生活をし、価値のあるものがまずしいことが多々ある。

   いにしえの漁師
 緑の松並木が美しい。こんもりした緑の半島が海へ突き出して、小さな漁師の小船が浜に転々と置かれている。これは一昔前の海岸で、当時の漁師は貧しく、一人乗りの木造の小船で、櫓を巧みに漕いで、沖に出て行く。昼食もおかずなしで、ご飯を持っていき、釣ったものをおかずにするのが常であった。小船の漁師は、遠洋漁業など出来ないので、いつも小物を捕っていた。漁師にとってアジが一番おいしいおかずであった。包丁で身を掻(か)っ捌き(さばき)、皮をはいで醤油をつけて食べるのが最高であった。
当時の天気予報は当てにはならず、天気も空の雲の動きを見て判断する漁師の直感の方が優れていた。しかしひとたび見誤ると大変なことになる。
急に空は荒れ、荒天になり、船は木の葉のようになる。当時の漁師は迷信ぶかかった。船には底のない柄杓(ひしゃく)が備えられていて、海が荒れると、海坊主が現れて「柄杓を貸せ」と言う。底のある柄杓を貸すと、船の中にいっぱい水を注がれて沈没してしまうという。 勇輝は貧しい漁師の次男として生まれた。兄、雄太はいつも父と一緒に漁に出かけ、そんな時勇輝は浜辺で網を繕うか、漁具を整えるかの仕事をこなした。浜辺に住んでいる娘亜美といつの間にか親しくなった。亜美の家は海辺に近く井戸が時々出なくなってしまう。そうした折、勇輝の家に水をもらいに来るのである。亜美は勇輝の仕事を手伝って、仕事はすぐに終わってしまい、追いかけっこをしたり、ふざけて時を過ごした。そのうち二人には愛が芽生え、誰もいない砂浜で二人は抱き合って愛を確かめあった。しかし二人には生活をしていく糧がなかった。
 時々は父の小船に乗せてもらい、漁の仕方を教わった。勇輝はなんとしても自分の小船が欲しい、そうすれば亜美と一緒に何とかして暮らして行けると思った。父に相談したが、ない袖は触れない。それでも頼み込むと少しだけは貸すと言う返事だった。亜美の両親も貧しい漁民であったので、少しだけ娘の亜美のために出してくれ、二人はやっと小さな小船を買った。初めて見る小船に勇輝と亜美は胸躍らされ、これで二人の生活の糧ができたと安堵した。勇輝はその日、父と一緒に一日中漁をし、そんな勇輝の姿を亜美は砂浜でじっと見つめていた。勇輝は亜美のためにも一生懸命働いた。朝早くとか、荒天のときに魚は良く採れた。流されてもいいような使い古した網を荒天のときに仕掛けておくと、多くの魚が取れた。そんな冬のある晴天の日、勇輝は漁に夢中になって、濃い雲が空を覆い始めたのに気づかなかった。勇輝は下半身から胸にかけて厚いゴムの服を着ていた。雲の動きに気がつかず、やがて大雨が降り始め、船は強い風に木の葉のごとく揺れた。船の端に必死で捕まって、亜美の顔を追い求めた。翌日みんなが勇輝を心配し、兄の雄太が船で探しに出た。勇輝の船が一艘波間に漂っていた。しかし、喜んだのもつかの間。あたりに人影は見当たらない。勇輝はいったいどこにいるのか、雄大は海に飛び込んで探した。しかし海中にぽつんと歩いてくる人影を見た。「勇輝じゃないか、何をやってるんだ。」と声をかけた雄大は驚愕した。髪は逆立ち、ゴムの中に水が入り重くなっているので立っているように見えるのである。さらに波により歩いているように見えた。
 かわりはてた勇輝の姿に亜美は驚愕し、悲しんだ。みんな悲しみにくれ、勇輝の棺の前で号泣した。月日は早く過ぎ去って勇輝の墓の前には時々花が上がるだけになった。このように昔の漁師の家は一人か二人漁で死ぬ者がいた。日頃自然の恵みをうけて生活している漁師は自然の恐ろしさもよく知っていたが、時には天候が急変して尊い命を落とすこともあった。現在では漁船の装備は立派になり、魚群探知機なども装備され昔とは雲泥の差である。



      疎開
その学校は美しい桜の花で囲まれていた。桜の花は国民を表し、天皇のために潔く散ることを美徳とされた象徴でもある。また正門には、外国への侵略を続けていた日本軍の象徴である日の丸の旗がはためいていた。現在では講堂などに掲揚されているが、日の丸の旗は国民を表し、決して校舎の中には掲揚されることはなかった。校舎内に飾られたのは皇室の写真である。御真影という天皇の写真を飾ったところがあり、御真影を破損すると、校長は責任を取って辞職せざるをえなかった。生徒は毎日軍事教練をさせられ、高い棒とかてっぺんまで上がるのは得意であった。教科書は国定教科書で、天皇制国家を賛美するものであった。
 戦争が激しくなり始め、亮子の一家は、東京が危ないということでいなかに疎開していき、疎開してきた人々は、閉鎖的な田舎の社会で様々な差別にあった。教室で田舎の悪大将が亮子に棒で殴り掛かってきて、亮子はとっさに取り上げて先制攻撃をした。この思わない反撃に悪大将は戦意を失い、退散した。この事件以来亮子は一目置かれるようになった。しかし疎開してきた人への偏見は大人も子供も変わらず、食料もお金は効かないので衣類とか現物交換でしかできなかった時代である。「これと交換してください。」「そんな物、もう一杯あるよ。」と農家の人にすげなく断られ、いやな顔をされ、近くの農家に行ってもいい顔をされず、仕方なく鉄道の空き地に野菜を植えても、鉄道員に抜かれてしまった。田舎の農家の人々は都会から避難してきた人々を横柄に見下した。田舎に疎開しても食べていくのが精いっぱいであった。ある晩、東京が燃えていると大騒ぎになった。みんな海岸に出ると、東京はなかば半島に隠れているがその東京が赤々と炎が上がっていた。みんな驚いて見ていたが、「東京もんは今まで随分いい思いをしてきたから、ざまあみろ」という声が聞こえた。亮子は東京時代が懐かしく思えた。炎上している東京を見て、地元の人の間から、「かわいそうにとか大変だ」と思う感情は感じられなかった。「いい気味だ」と言うのが田舎の人の率直な感情であった。
また、列車が海岸線に出る前に、日本の軍艦が監視されないように、車掌がブラインドを下ろすように伝えまわった。ブラインドを下ろさないとスパイとして連行され、拷問を受けた。鉄道の列車はアメリカ軍の戦闘機によく狙われた。米軍機が来ると、列車は停止し急いで野原の中に隠れる。蒸気機関車の運転士も真っ先に狙われるので、林の中に逃げ込んだ。田舎でも生きていくのが精いっぱいであった。母親は「戦争は嫌だ、何もない」が口癖であった。
それから終戦になり、亮子は蒸気機関車で、もとは男子校である高校に通い、女子生徒が少ないので周囲から親切にされ、いろいろな食べ物をもらった。
 その頃は通学途中で投身自殺がよくあった。その時代は、厭世観からか暗い時代で、列車がトンネルから出てくる頃合いをみはからって少女は列車に飛び込む。「今日も飛び込みがあった。」と母に話した。「あの重い蒸気機関車が、遺体を引きずり出すのに上下に動くんだよ」「犬か獣が食べちゃわないように朝まで一人で遺体を見守っているんだってさ、大変だね」「農家の主婦が立派な大根が落ちていると、近づくと足だった。」と終戦の後の暗い時代であった。鉄道のレールに向かって綺麗な下駄がそろえて置かれていた。誰か自殺した人の冥福を祈って置かれていたものか。終戦後も物資は何もなく人々は飢えていた。しかし戦争は終わり、人々は貧しいながらも安堵感があった。戦争で家をなくした人は掘建て小屋から生活を始めた。
 亮子たち一家は戦争が終わり東京に帰った。焼け野原で一人知人に会った。「こんな焼け野原になってよく生きていられたね」と言うと「火に追われて逃げた人はみんな髪の毛が焼かれ、体が燃え、焼け死んでしまった。熱くて隅田川に飛び込んで、隅田川は死体でいっぱいになった。」そしてどうして生き残ったかと言うと、「もうすでに焼け野原になった場所に一生懸命逃げた。」戦争は多くの人を殺した。しかしその残酷な戦争を今もって美化している人がいるのは、不思議である。こうして戦争を指揮した者達が神様になって祭られていることはどうしてだろうか。平然として生き延びたのは世の中の矛盾である。



      欲望の親
その両親は貧しかった。父親は少しの収入しかなく、妻もいい年をして水商売に出かけ、わずかばかりの収入を得るため毎夜出かける日々を送っていた。
二人とも体は丈夫であったが、考え方はろくでもない。父親は賭け事が大好きで、競馬、競輪に夢中になり、負けると寝込んで、気に入らない事があると暴れた。母親は人を呼び寄せては、物を出して機嫌をとり付き合っていて、子供たちにも食べさせないで、冷蔵庫に大切に保管していた食べ物を人にだしていた。子供達が食べると激怒し、子供達に「ほかの場所で偶然会ったときご馳走になるから」と説明していた。特に某有名高校を卒業したという水飴工場に勤めている工員が来ると、畏敬をもってもてなし、その工員が某有名高校を卒業したということは、はなはだ疑問であるけれども、彼の話すことには丁重に聞き尊敬し、彼はとくい前として話し、おいしいものを食して、帰るのが常であり、またこの人から利子をつけてお金を借りることがしばしばあった。夫婦には判断能力がなく、常に他人の言うことに頼って、人が悪くなるように助言しても言われた通りに行動するのが常であった。みすぼらしい八百屋を経営したことがあり、その朽ち果てそうな写真を大切そうに人に見せるのが唯一の誇りである。この人たちでは何も経営など出来ないであろう。どんな店であり経営していけないであろう。
特に子供たちから金や物を常に要求して、子供たちが安いものを買っていくと激怒して親には「最高のものを買ってくるものだ」、とすごんだ。それを惜しげもなく他人に差し出し、機嫌を取り付き合ってもらっていた。またテレビはつけっ放しで見ていて、テレビドラマと現実が区別つかない、テレビの主人公になったつもりで行動し、そこにも思慮分別がなかった。父親は何時も「男の子が生まれていたら、俺は今頃遊んで暮らせたのにー」と悔しそうに口癖のように言っていた。男の子であればお金を巻き上げられると思ったのであろう。その時父親はまだ四十代であり、両親は子供からお金をせびることを一生懸命考えていた。ものを食べるときは平気で口を鳴らして食べ下品そのものであり、食べ物の礼儀作法ではなく、食べ物のことで常に「あんなものを食べている」と他人を馬鹿にしていた。食べ物にしか目が向かないようである。また母親は猜疑心が強く、すぐ人を泥棒扱いした。物がなくなると「ーーが取った」と言い張り、後で出てくるのが通例である。父親は、特に勤め人を、「二月には勤め人は二十八日働けば一か月分の給料をもらえるのだから」と言って馬鹿にし、また銀行に預けるお金など持っていなかったのだが、預金と言うものを知らず、「銀行にお金を預けると取られてしまう。」と子供たちに話していた。それでも彼らは自分たちを中流家庭と思い、貧しさを馬鹿にしていた。母親は分けも解らす身内に厳しく、ほかの他人の機嫌を取ることに熱心であった。父親はどこから見ても醜男であったが、母親は父親をいつも美男子だと自慢し、子ども達もどこから見ても美人とはいえないが美人だと思いこんでふるまっている。また両親とも毒舌家であり、人の心や娘たちの心を傷つけて、なんとも思わなかったし、人の心を察することも出来なかった。従っていつもお互いを傷つけあって人を馬鹿にして、相手の心を思いやって生きるなどということは到底できなかった。子どもたちも人の心を察することが出来ず、傷つけ合って生きていくように育てられた。母親は家の中や社会を丸く治めるなどということはできず、常にひっつかきまわしていた。ほかの人にかなり悪く脚色して身内の悪口を平気で言って、同情を得ていたが、人に言っていいことと悪いことが判断できなかった。
知人も友人もそれなりの人しかいなく、しばしば大げさに家族や物事を言って、相手も大げさに物事を話し驚きあい、お互いに信じていた。狸と狐のばかしあいである。

 

       神様
 孤独なおばあさんがアパートに住んでいて、毎日することがなく、前の公園のベンチに座ってひがなボーとして毎日を過ごしていました。そうした一日、老紳士が現れてお婆さんに話しかけ、お婆さんはうれしくなりました。人と話すのは久しぶりで、いろいろ世間話をして、「それでは御婆さんまた来ますからね」と去っていきました。それからまもなくしてまたその紳士が現れ、お婆さんの身の上を聞いたり、また少し話しました。その紳士はいきなり、「私は神です。」と言い、黄金の姿に変身しました。お婆さんは驚いて手を合わせ、近くの人に「神様が現れた。」と言いふらし、人々が集まってきて、黄金の神様を見て驚き、手を合わせて拝みました。その神様はぐにゃぐにゃとわけのわからないことを話しました。しかしそんなことは構わず人々は驚き手を合わせ、その日はそれで終わりました。
 狸の草太は「俺は今日神様に化けてやった。化けたはいいが何をしゃべればいいか皆目見当がつかなかった。」と言いました。妻も困り果てて、ほかの教団に出かけて、説教を聴いて狸の草太に伝えました。黄金の神に化けた草太は妻から聞いたことにいろいろ付け加えて話し、聴衆はすっかり感心してますます信仰を深めていき、そして立派な進物が上がりお金まで寄進されました。
 狸の草太は「最近は都市化が進み、食べ物にも苦心するようになっている。」と妻に言い、妻は「大いに助かります」と言いました。信者達は立派な建物を建立しようとしました。神様を奉るお堂です。新しいお堂に狸の草太は入りました。そして妻の狸もお付の人として化けて入り、彼らは贅沢三昧しました。ほかの狸たちもこの話を伝え聞き集まってきました。彼らも御付の人としておそばに付き添い、狸の草太はこうした御付の人々に囲まれて鎮座していました。彼らは自分達の地位を守るために狸たちで固め、そうして信者をどんどん増やしていきました。狸たちの間では「狸である」と言うことは厳禁であった。草太は酒を飲み上等なものを食べ優雅な生活を送り、御付の狸たちも優雅な生活を営み、彼らは富で強固に結びついていました。彼らの内の誰かが大きな罪を犯しても強固に擁護し、こうして彼らは彼ら自身を守るために強固な集団を築き、御付の狸たちも、自分達をありがたく見せるために華麗な服装をしました。裏では収入の分け前に満足し、こうしてこの教団はますます大きくなっていき、色々な催し物を行い、益々繁盛していきました。これはどこかにある教団の一例です。お堂を立派にし、全体の雰囲気を厳(おごそ)かにすれば、人は信心を深めるのだなあーと、狸たちは思いました。



   埋葬
 昔の田舎のことである。清吉は小作の次男として生まれた。昔の小作農は田畑も少ししか持っておらず、小作料として収穫のほとんどを持っていかれてしまい、貧しく、働いても働いても収入は少なかった。そんな時、寺から葬式があるので手伝って欲しいと言う話が舞い込んだ。清吉には願ってもない話で、寺に行くと、すでに葬式の準備が出来ていて棺が置かれていた。今では棺の中にドライアイスを入れて死臭がするのを防いでいるが、昔のことだから死臭がすぐに漂い始める。匂いの強いユリの花とかが添えられ線香が何本も立てられていた。墓堀の爺さんが死んで、その御爺さんの代わりをやって欲しいということであった。お金はいくらにもならなかったが、清吉には大金に思えた。周りで何人かの人々が見ている中で、墓地の一角に棺を埋める穴を掘らなければならない。死人が出るたびに新しい場所に墓穴を掘るのでは、墓地はどんどん広がってしまう。そこで前の人が埋葬されている同じ場所を掘って新しく棺を埋めるのである。浅く掘ると獣に掘り返されて食べられてしまうので、一定の深さを掘って埋める。掘り進めると、前の埋葬された人の骨が出てくる。それらを拾って上で待っている人に渡すのである。清吉は初めてのことで気持ち悪かったが、仕事をしなければお金がもらえなかったので、我慢して頑張しかなかったのである。前に死んだ人の足が出てきたりして、青ざめていたが必死に掘った。このような仕事を幾つかしている間に、清吉はいつの間にか周囲から「墓堀清吉」と呼ばれるようになり、すれ違う人に会うと、嫌がられ、遠ざけられていった。清吉が好意を持っていた佳奈も、彼を見ると遠ざかってしまった。家族からも疫病神のような冷たい目で見られ、仕方なく寺の隅のあばら家のような、冬になると隙間風が吹き込み、とても人間の住みかとは思えない、そんな所に住まわせてもらうことになった。そんな思いをしてまで働いてもわずかなお金しかもらえなかった。生活は決して楽ではなく、葬式など何回も出なかったし、手にするお金も微々たる物であった。冬の寒さを防ぐために、床に何重も藁を敷いて寝るとなんとか眠りについた。冬これらは暖かった。清吉はそんな自分の人生に絶望していたのである。男女が寺の隅で逢瀬を楽しんでいても、清吉には程遠く関係ないことに思われた。
 そんなことよりも生活費にも事欠き、食べていくのもままならなかった。そんな彼の生活を助けたのが、墓に供えられた饅頭とか葬式菓子であった。清吉にとってありがたい絶好の食べ物であったのだ。夜、墓前で蝋燭の明かりのもと、清吉はそれらをうまそうに食べていた。蝋燭の光に照らされた清吉の顔は妖気(ようき)迫るものがあった。おそるおそる怖そうに墓の前を通りかかった村人がその様子に、鬼がなにか食べていると思い、恐怖で目を凝らして見るとそれは清吉であった。夜遅く気味が悪くその場では恐ろしくて話も出来なかったが、翌朝「おめえ夜中に墓地にいて、怖くねえか」と聞いた。「なーに、生きている人間の方がよっぽど怖いよ。」と清吉はあっさりと答えた。清吉には生きていく前途がまったくなかった。人の嫌がる仕事をしても、わずかなお金しかもらえず。何の楽しみもない清吉には、生きていく希望も前途もまったくなかったのである。誠実で一生懸命仕事をしても清吉は貧しく、いつもみすぼらし格好をしていた。村人からは冷たい目で見られていたのである。一人ぼっちの清吉は時々誰もいない寂しい部屋で虚(むな)しく天井を見上げていた。世の中の厳しさに前途を見出せないで、失望感ばかりを深めていた。

     悲しい恋
 貧農の娘、千代は気立てもよく美人で色白だったが、なにせ家が貧しかったので、いい寄る男がいなかった。両親はまずしさゆえ不憫に思ったが致し方なかった。何事にも控えめだった千代であったが、普通の農家であればあまたの男が言い寄るであろう。千代も両親のことを考えておくびにも出さなかった。昔のことであるから家柄とか格式が重んじられた。豪農の息子勇太郎の家に手伝いに行ったところ、勇太郎と何人か千代は仕事中に話をした。勇太郎は千代の可憐さが忘れられなかった。千代の家と勇太郎の家では格式が違った。しかし次に千代が来るのを待っていて、千代が来たとき勇気を出して、松林に千代を誘った。最初、千代はうろたえたが、静かにうなずいた。千代は固くなっていたが、勇太郎は優しくゆっくりと緊張を取り外すように努め、千代の表情にかすかではあるが微笑みの表情が読み取れた。勇太郎は嬉しくなって、色々なことを話した。そして最後に、「秘密だよ」と言って次にまた会う約束をさせ、こうして逢瀬を重ね勇太郎は千代がたまらず恋しくなっていき、千代も勇太郎のことが好きになった。しかしこのようなことが親に知られないわけがない。勇太郎の親は激怒して、勇太郎を追い詰めた。「家柄が違う」「貧しい家ではないか」「付き合うにはそれ相当の家でなければならない」等両親に説教された。勇太郎は落胆したが、それでも次ぎに会う約束を守り、このことが親に知られ、勇太郎の親は千代の家に行った。「うちの息子に会わせないでくれ」と、千代の両親は強引に納得させられ、このことを千代の両親は千代にこんこんと話した。千代も落胆して暗い部屋にこもってしまった。沈み込んでいる千代が思いつめている様子に、両親は哀れに思い、これが自分達の宿命だと切なく思った。   
ある豪雨の日、千代は傘もささずに外へそっと出かけた。小川があふれんばかりに急流となって渦巻いていた。千代は勇太郎と別れなければならない自分の運命を悲しんですべてをあきらめ、橋から身を投じ、獨流が瞬く間に千代を飲み込んだ。次の日千代の溺死体が挙げられ、草原に仰向けに寝かされていた千代の死体は少し裾がまくれ、肌が白く眩しかった。勇太郎は千代の葬式で悲しみに暮れ、静かに棺を開けていとおしそうに顔をなでた。その後勇太郎は大切な人を失った悲しみから一人部屋にこもり、悲しみに浸っていた。そんな勇太郎を家族はみんな心配したが、そのうちぶつぶつと独り言を言い始め、気がふれたように次第に変わっていった。目が据わり、ただ事ではないと思わせるようになっていった。
 ある日勇太郎は代々伝わる家宝の日本刀をぬき、梯子を登って母屋の上で日本刀を振りかざしていた。そんな姿を目にした近所の人が驚き、次第に勇太郎の家の周りに集まり始め、大騒ぎになった。母親が気づき、切られるのを覚悟で登っていき「刀をかしなさい」と言って、母親が刀をつかむとばらばらと右手から指がころげ落ちた。それ以来勇太郎の狂気はおさまらず、ますます狂人となっていった。右手の指をなくした母親はどこへ出かけるにもスプーンを持って出かけ、勇太郎は狂人になり、誰が見ても奇怪な感じに変貌していった。勇太郎の両親は重く反省し、勇太郎と千代を自然にまかしておけば何も起こらなかった物を、今は反省しても遅すぎた。勇太郎から出てくる言葉は「千代、千代はどこにいる」だけとなり、千代は勇太郎の幻想の中でいつまでも生き続けた。


    祈祷師
僧早雲は彼の愛人である美恵と各地を回っていた。彼は本当の僧侶ではなかった。美恵は普通の服装で各地の情報を集めていた。その地方地方で奇怪なことが言い伝えられていた。その奇怪をどうやって僧侶として話を持っていくかが問題である。いかに祈祷料をいただくかが彼らの腕の見せ所である。
 美恵が聞きつけてきた。妻が男と駆け落ちし、その夫が病没、その家から毎夜魂が出ると言う噂を聞きつけた。その兄の家が近くにあり、早雲は早速作戦を練った。数珠を握り締めて、その家に引き寄せられるように入っていき、お経を声高に唱えると、その兄が驚いて、駆け寄ってきた。「お坊さまどうしたのですか。」早雲は厳かに答えた。「この近くを通りかかると霊にひきよせられました。」兄はこの方は霊力のあるお坊様だと考えて、「どうぞ上がって弟のために祈祷してください。」と頼んだ。線香を上げ蝋燭をたき大声でお経を上げ始め、祈祷を上げ「これで弟様も心安らかに成仏できるでしょう」と言った。「早急のことで少しですが祈祷料です」といって紙袋を差し出し、「今晩どうぞ旅の疲れをいやしてください。」と言ったが「いや急ぐので」と言ってその場所を去った。早雲が安旅館に入ると美恵が待っていて、お金の額を二人で数え、その晩は二人でお酒を飲み、二人とも愛を確かめ合った。あくる日も美恵は少し離れた海岸で、昔、難破船が遭難して、海岸に死体が何体か埋められていると言う噂を聞きつけてきた。早速早雲は人がたくさんいる頃をみはらかって、その場所へ行き足を一生懸命払いのけるしぐさをした。そこにいた人々は「どうしたのですか」と驚いて聞いた。「いやいっぱい霊が助けてくれと言って手を出すのだ」と言ってお経を上げ始めた。周りの人々は「これは立派なお坊様だ」と考えた。僧早雲はお経が終わると「これでこの人たちは成仏できるでしょう」と言った。周りの人々はすっかり驚いてしまい。何人かの人々が自分の先祖の霊もなぐさめてもらおうと、祈祷をお願いした。「それでは三軒だけ祈祷しましょう」と言ってかれらから三人を選ばさせて、祈祷することになった。彼らは偉い坊さんだから祈祷料を出来るだけ多く払わねばならないと考え、こうして彼はたくさんの祈祷料を得た。また別の安旅館で二人は祈祷料の計算をして満足した。その夜も二人して酒を楽しんで、喜びに浸った。井戸に妻が飛び込んだなど各地には奇怪な場所がいくつもあり、それらを彼らは巧みに利用していった。
 ところがある日美恵が失踪してしまったのである。虎の子の祈祷料も全部持っていかれてしまった。あんなに愛し合っていたのに、お金まで全部持っていかれてしまい、途方にくれた早雲は、しかし冷静に考えた。
美恵が消えた場所を、「普通の民家ではない。寺か?」と考えた。一番近く通った寺は万福寺である。早雲は万福寺へ行こうと決心した。万福寺へ行ってみると案の定美恵が本堂の掃除かけをしていて、早雲を見ると気絶せんばかりに驚いた。早雲は大きい声で詰問した。「あちこちあちこち行って疲れたんだよ」と美恵は答えた。何事かと住職が出てきた。「私はこの人と結婚することにしたんだよ」と美恵は言った。早雲は怒り、包丁を取り出して美恵の胸を突き刺した。美恵は本堂で血まみれになって倒れた。この事件は大問題となり、社会に大きな衝撃をもたらした。新聞には事件の詳細が発表された。この事は写真とともに新聞に載り、驚いたのは祈祷を依頼した人々であった。

       貴婦人
里香の家の周りは山または山、田んぼに囲まれていた。田舎育ちの娘里香は都会に出ることが夢であった。両親はそんな田舎育ちの娘を都会に出すのは不安があり、なるべくとどまるように娘を説得したが、行きたいという欲望を抑えることが出来なかった。
そしてある日、両親の留守の間に、里香はわずかばかりのお金を持って、都会に出た。都会に出たら出たでどうしたらいいのか迷い、街をあてども無く歩き、公園で途方もなく、時間をつぶしていた。
見かねた紳士が「何かお困りですか?」と丁寧に話してきた。「都会に出てきたばかりでどうしたら良いのか分らない」と、里香は答えた。「それはお困りでしょう、私の家にひとまず来なさい。」と紳士は言いました。
都会の事情に精通していれば、まず怪しむであろう。しかし里香ぜんぜん怪しむどころか親切な人に出会えてよかった、と心中で安堵した。
しばらく歩くと立派な屋敷があり、紳士はその家の中へと里香を導き、高貴な婦人が出てきて、広間に案内しました。上のほうに大きなシャンデリアが輝いていて、まるでお城の一室にいるような錯覚を覚えました。主人にはシャンパンのグラスを持ってきて注ぎ、里香には紅茶が出されました。夢のような感じでした。「この子が公園で困っていたから、お世話して上げなさい」と言ってその紳士は個室の方へ向かいました。とても由緒あるお金持ちのようでした。「あの、私はどうしたら良いいのでしょう」と里香は夫人に尋ねた。「私の命令を聞いて働きなさい」「はい分りました」と答えたが、さっきの様子とは少し違うように思えた。「気のせいだろうか」と里香は思った。毎日主人はどこかへ出かけ、どこかで偉い仕事でもしているのだろうか。主人がいるときといないときでは夫人は明らかに様子が違う。声はガラパチになり、仕草はとたんに下品になる。里香に機嫌の悪いときは当り散らす。主人が帰ってくるとおしとやかな貴婦人に変身する。
そうした中、大変な事件が勃発した。あの紳士である主人が交通事故に会い、病院の医師たちの治療もむなしく、亡くなったのである。もちろん葬式で奥様は貴婦人に成りすまし、帰ってくると服をかなぐり捨ててソファーに横になり、ますます夫人は粗暴になり、里香を「おい」「おまえ」と呼び捨てになった。だんだん酒びたりになり、生活も乱れていき、やがて入れ墨を入れたやくざ風の男が出入りするようになって来た。その男はひどく、里香のいるところでもいちゃいっちゃして、踊りを踊ったりしていた。主人の生きてたときとはまったく様子が変わってしまった。そのうちお金の無心がだんだん多くなって行き、夫人の様子も元気が無くなっていった。ある晩里香は夫人にひそかに呼ばれた。「あのね、あの男は生きていても価値の無い男だよ」と夫人は里香に説明した。「あの男のシャンパングラスに毒を入れておくれ」「そんなこと出来ません」里香は下を向いて言った。夫人は散々世話をしたことを強調し、有無を言わせない説得力であった。「シャンパングラスに少しだけ入れるだけだよ。」里香は納得せざるを得なかった。
男は夫人との下品な話を楽しみ、得意げのような様子で、美香の注いだシャンパングラスをうまそうに飲んだ。見る見るうちに苦しみだし、顔色も変化して死んだ。昼間裏庭に穴を掘り、夜二人で運んで埋めた。それからも夫人はなおも横柄になった。「お前が毒を入れて殺したのだろう。殺人者」と夫人は里香をなぶって楽しんでいるような様子であった。里香は耐え切れず、こんな生きていてもしょうがない人間と里香は思い、酔っている夫人のシャンパングラスにまたも毒を入れた。夫人は苦しんで「お前毒を入れたね。」と美香の方をにらめて死んだ。
里香は裏庭に穴を掘り、埋めた。そして里香はあてども無くその家を後にした。


     離別
医師伊藤健次郎は豪農の娘武子と結婚し、子二人をもうけた。最初の頃はなかむつまじかったが、次第に二人の感情はすれ違うようになった。武子はひじょうに迷信ぶかく、新しい下駄を履く場合はそこを木炭で塗り、夫が出かけるときは石でカチカチと鳴らした。庭の片隅に桜の木を植えようとすると、「桜の木は女の人の悲鳴が好きだ。」と猛烈に反対した。伊藤はそんな武子にあきれ果てていった。迷信だけで頭はコチコチであった。そんな時看護婦の信子は行動もぴちぴちしていて形式にこだわることなく、自由に、伸び伸びと行動した。次第に伊藤は信子に惹かれていった。昔の病院のことであるから、信子と武子は今のように錠剤ではなく、ともに粉薬を紙で包んでいて、信子は武子の下で一生懸命働いた。だが伊藤はしだいに信子の方に気が向いていき、武子もうすうす感じ始めてきた。空き病室で信子と伊藤が抱き合っているのを武子は見た。頭が真っ白になり、子供達をつれて実家に戻った。母親はそれを聞くと怒り心頭に達し、「もう離婚して家に戻ってきなさい。」と言い、実家に長らく滞在した。伊藤も離婚に同意して、武子は実家に長らく逗留していた。しかし田舎のことである。出戻り娘が家にいると言う事はその家の風聞に響く。武子は女の子を残して隣町の小さな家に引っ越した。小さななにも分からないわが子との生活が始まった。当初は実家からたくさんのものが送られてきた。だが実家の弟が結婚すると事情がかわってきて、お嫁さんが実権を取るようになり、年老いた母親が離婚した娘に物品を送ろうとすると渋い顔をするようになり、年老いた母親と嫁の葛藤が始まった。
とたんに物資が乏しくなった武子は、遠くの親戚までわずかばかりの食料をもらいに出かけた。息子はやんちゃになり、木登りや自宅の屋根に登ったり元気だった。そうした中、上品な連れのある婦人が男の子をじいっと見ていた。男の子は不思議に思い家の中の母親に話しに行った。母はすぐに飛び出してきて見たがもうその姿はなかった。信子が不幸にした奥様の生活を一目見ようとしたのであろうか。生活はひどいどん底の生活を見てなにを思ったのであろうか。



   最も愚かな武力攻撃
敵に的を絞って発砲する
敵は攻撃もしていないのに攻撃される
壊滅的攻撃を受ける
民族的怒りに駆られ
思いもよらぬ残酷なテロリストを生む
平時には思いも知れない残虐なテロ集団を擁護するようになる
武器による壊滅的な攻撃ではなく
平和的な交渉で解決しようとすれば
戦争にならず、平和的な思考が世界に広がる
武力的攻撃をすることが最も愚かだ
平和的な交渉が最も大切であることを世界は認識すべきだ
アメリカは世界一戦争の好きな国である
中東に平和的交渉ではなくいきなり武力攻撃を始めた
その結果中東の人々の怒りを買い
残忍なテロリストを生んだ
日本もそのアメリカに追随すれば世界の憎悪を買うであろう

  • 自由詩
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-02-14

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