目覚めよ――
目覚める直前に夢で魔法少女の恰好をしたおっさんに「あなたの二度寝を完全サポート!この後すぐ!」と言われ生まれて初めて「二度寝したくないな」と思った模紋蛾悶太は2秒後におっさんと再会した。
悶太の前に魔法少女のようなフリフリの服を着たガチムチで薄毛の中年のおっさんが立っている。
おっさんは、先の方にハート形の物体がはめ込まれているステッキを振りかざしている。
まわりには何もない空間が広がっている。
しばらくじっと見つめ合った後、悶太は「起床」と書かれたドアに向かって走り始めた。
悶太の後ろから「待ってください」と連呼しながらおっさんが追ってくる。
おっさんは悶太を追い抜きドアの前に先回りした。
「起きるのちょっと待ってください」
それを無視して悶太がドアノブに手を掛けた。
「話を聞いて下さい」
その瞬間、悶太の下半身が浮き上がり、後ろに引っ張られ、手がドアノブから離れた。
後ろを振り向くと、おっさんが悶太の両足を脇に抱えている。
「マジカルスイーング!」と、魔法少女のような技名を、レスラーのような野太い声でおっさんが叫んだ。
悶太は「マジカルスイング」という名の、ごく普通のジャイアントスイングをされ、何十回もぐるんぐるん回された後、ぽいっと投げられた。
「私は、念々ねむ郎。あなたの新しい二度寝担当です」
説明によると、前回まで二度寝担当だった覚醒させん蔵が、覚醒剤を所持していたとして妹と一緒に逮捕され、それにより、二度寝素人のねむ郎が「名前がぴったり」という理由だけで急遽担当を任されたという。
「前任者がつけていた、あなたの趣味嗜好が記されている二度寝ノートを参考に、今回は、魔法少女で登場して見ました」
「そんな趣味嗜好は持っていない」と悶太が切り捨てると、
「このページを見てください」
『こいつはかわいい子が好き』と、悶太のことが「こいつ」呼ばわりで書かれている。
「それでかわいい子と言ったら『魔法少女』しかないじゃないですか」
さも当然と言わんばかりに軽く笑いながら「しかない」と断言したねむ郎に、悶太は「しかなくない」と思ったが、面倒なことになりそうなので口には出さなかった。
「とにかく」悶太はねむ郎に言った。
「話は分かったけど、今回ばかりは起きるよ。今日は人生初めてのデートだからね。新人の君には悪いけど」
悶太はドアへ向かって歩き出した。
ねむ郎は「そうはさせじ」とドアの前に立ちはだかる。
「申し訳ないが、仕事ですので、お通しできません」
無視してドアノブに手を掛けたところで、また魔法のスイングをされそうだと思った悶太は、ねむ郎にひとつ尋ねた。
「自分から夢の世界を脱出できなくても、外的要因で夢から覚めることは可能なんじゃないか」
例えば―。
「目覚まし時計とか、誰かから起こされるとか」
ねむ郎の顔がこわばった。
「今日はどうしても起きたかったから、目覚ましをもう一つ8時25分にセットしてある」
ねむ郎の顔のこわばりが元に戻った。
「さらに」
ねむ郎の顔が再びこわばった。
「昨日寝る前に妹にLINEもしておいたんだ」
「そうなんですか。私にも妹がいるんですよ」
「それは奇遇ですね。お名前は?」
「ねむ子と言いまして。すね毛の『ね』にむだ毛の『む』毛むくじゃらな子の『子』で『ねむ子』です」
「そうですか。うちは―」
そこで悶太は相手の策略にあっけなくはまった自分に気づいた。
ねむ郎はニヤリと笑った。
悶太は気を取り直してもう一度、
「今日はどうしても起きたかったから、昨日寝る前に妹にLINEしておいたんだ」
ねむ郎に対して、勝ち誇ったように言い放った。
「『7時に(最悪8時位までに)おこしてくれたら、おかしあげる』ってね」
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昨晩、模紋蛾悶々は、兄である悶太の『7時に(最悪8時位までに)おかしくれたら、おかしあげる』という変な文面に対し「どういう意味?」と返信した。
数分待ってみたが返事はなかった。
念のため、目覚まし時計を7時にセットしてから悶々はベッドに入った。
―おかしくれたら、おかしあげる?
―7時に?
―何でそんな朝も早よからお菓子交換?
そんなことを考えているうちに、悶々は、いつのまにか眠ってしまっていた。
悶々は7時のアラームが鳴る前に目を覚ました。
不快なアラームを毎朝聞いているうちに、悶々の体内時計は自然と鳴る前に起きるようセットされていた。
目覚ましを解除して、スマホを確認したが、悶太からの返信はなかった。
日曜日。
外は雪がちらついている。
吹雪に近い。
―外に出ないでまったり過ごすのが吉ね。
―何しようかしら。
そんなことを考えているうちに、悶々は、いつのまにか眠ってしまっていた。
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「『7時に(最悪8時位までに)おこしてくれたら、おかしあげる』ってね」
悶太は同じことを二回言ったあとニヤリと笑った。
「そうですか。では、それまでの間、精一杯頑張りますので、宜しくお願いします」
言い終わるやいなや、ねむ郎はステッキを振りかざして「マジカルガール!」と叫んだ。
悶太の前に制服を着た女子が出現した。
「あなたがこれからデートしようとしている、蘭ちゃんをお呼びしました」
悶太は「違うよ」と寂しげに言った。
「何がですか」
「相手が違うよ」
ねむ郎はノートのページをめくる。
「ほら、ここに」
『この野郎は美少女高校2年B組の蘭ちゃんが好き』と、悶太のことが「この野郎」呼ばわりで書かれている。
「この情報はもう古いよ。先々週、蘭ちゃんには、告白してフラれたんだ」
「話、きかせてくれないか」
好きだ、と告白して、気持ち悪いどっかいけ、となじられ、日を改めて再度、好きだ、と言いに彼女の家に行ったら、父親が出てきて、警察を呼んだ、と言われ、わき目も振らず逃げた、と悶太はむせび泣きながら申し訳なさげな顔をしているねむ郎にとつとつと語った。
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悶々は二度寝中に『ねむ子』という新しい二度寝担当に会った。
その毛むくじゃらな二度寝担当によると、前回まで二度寝担当だった覚醒させん子が、兄もろとも覚醒剤を所持していたとして逮捕され、それにより、ねむ子の兄であるねむ郎もろとも「名前がぴったり」という理由だけで急遽担当を任されたという。
ねむ子はノートを参照して野球選手のバレンティンを召喚した。
最終試合の名台詞「奇跡をおこしまーす」とバレンティンが言った瞬間、悶々は兄のメールを思い出した。
『7時に(最悪8時位までに)おかしくれたら、おかしあげる』
あることに気づいた悶々は、すぐに「起床」と書かれたドアへダッシュした。
ねむ子が銃弾の様に飛ばしてくる針のようなすね毛を全てかわして、悶々はドアを開けた。
目覚めた悶々はテーブルの上に置いてあるレジ袋を手に取り中身を確認して部屋を出た。
悶太の部屋のドアをノックするが返事はない。
ドアノブに手を掛ける。
鍵はかかっていない。
悶々はドアを開けて部屋に入った。
殺風景な部屋で悶太が寝ている。
まるで夢の中で、好きだ、と告白して、気持ち悪いどっかいけ、となじられ、日を改めて再度、好きだ、と言いに彼女の家に行ったら、父親が出てきて、警察を呼んだ、と言われ、なんだとてめえ、と言いながら、その父親を半殺しにした、という話をしているかのような寝顔だ、と悶々は思った。
『7時に(最悪8時位までに)おかしくれたら、おかしあげる』
悶々は、夢の中に現れたバレンティン選手で、今日がバレンタインデーであることに気づいた。
『7時に(最悪8時位までに)』おそらく朝早くから何か用事があるので早めによこせということだろう。
『おかしくれたら、おかしあげる』チョコではなく『おかし』なのはきっとチョコも含めておかしならなんでもいいということで、『おかしあげる』はホワイトデーにということだろう。
悶々は袋の中から豆大福を取り出しテーブルの上に置いた。
置いた豆大福の近くに、包装されたおかしが置いてある。
悶々はそれを手に取った。
中にウエハースとシールが入っているようだ。
悶々は、悶太がガッカリクンチョコのシールを集めていることを思い出した。
―ホワイトデーにお返しを必ずもらえる保証はどこにもない。
悶々はそのお菓子を持って部屋を出た。
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「蘭ちゃん、すごいやさしい子でさ。例えば―」
悶太がくどくど話す蘭ちゃんとの思い出話に、ねむ郎はお茶を飲みながらうんうん相槌を打っている。
悶太は親身に話を聞いてくれるねむ郎に強い情がわいてきたが、一点だけ、話を聞いている間ちょいちょいステッキの先をいじることが気になっていた。
悶太は相手が両手でお茶を飲んでる隙に、さりげなくステッキを確認した。
ステッキの先のハートの部分が開くようだ。
中はアナログの時計で、時刻は7時半。
ねむ郎が湯呑に口をつけながらニヤリと笑った。
その口からお茶がべろべろ垂れる。
そこで悶太は相手の策略にあっけなくはまった自分に気づいた。
悶太は「ちくしょう」と叫んで起床ドアへダッシュしてドアノブに手を掛けた。
悶太は何百回もぐるんぐるん回された後、ぽいっと投げられた。
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悶々はテレビを見ながら、自分の兄が起きてこないことを不思議に思っていた。
―『7時に(最悪8時位までに)』おそらく朝早くから何か用事があるので早めによこせということだろう。
―『おかしくれたら、おかしあげる』チョコではなく『おかし』なのはきっとチョコも含めておかしならなんでもいいということで、『おかしあげる』はホワイトデーにということだろう。
この推理に何か間違いがあったのだろうか。
ニュースではプロ野球の春季キャンプ情報を放送している。
画面にバレンティンが映った。
「今年も奇跡をおこしまーす」とバレンティンが言った瞬間、悶々は兄のメールを思い出した。
『おかしくれたら』は『おこしてくれたら』を打ち間違ったのではないか。
それだと全てつじつまが合う。
『7時に(最悪8時位までに)』というのも朝起きる時間としては理にかなっている。
『おかしくれたら、おかしあげる』を『おこしてくれたら、おかしあげる』に直せば、テーブルの上にあったおかし―すでにお腹に入ってしまったが―は起こしてくれた礼という意味になる。
悶々は、悶太がまだ起きてないことを祈りながら、走った。
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悶太は、起床ドアの前で魔法少女ダンスを踊るねむ郎を見ながら、妹が自分を起こすのを待っていた。
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悶々は、悶太がまだ起きてないことを祈りながら、トイレでウォシュレットの水圧を調整した。
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ねむ郎がダンスを終え、乱れに乱れている薄くなった髪の毛を整え、ステッキを悶太に向けた。
ステッキの先から煙が出てきて、悶太のまわりを包み込む。
「それでは『大会前の校長先生のお話ダンス』も終わったので、そろそろ本格的にあなたをめくるめく二度寝の世界へ導いて差し上げましょう」
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悶々は、再び悶太の部屋を訪れた。
悶太はまだ寝ている。
まるで夢の中で、『大会前の校長先生のお話ダンス』を強制的に見せられ落胆するも、その後、少し興味があったロッククライミングをしてテンションがアゲアゲになっているかのようだ、と悶々は思った。
アゲアゲの悶太を起こすことに一瞬躊躇したが、おかしを食べてしまった以上、もう一刻の猶予もない。
悶々は悶太の肩をゆすった。
「朝ですよー、7時ですよー」
悶々の視界に目覚まし時計が入る。
「8時過ぎてますよー、起きなさーい」
起きる気配がない。
熟睡している。
相当ロッククライミングが気に入ったと見える。
起き抜けに「山が呼んでる」とか言い出しそうな寝顔だ。
『7時に(最悪8時位までに)』の『8時位』が8時何分までなのかわからないが、とにかく早く起こさねばならない。
悶太の右肩を揺する悶々の手に焦りの力が加わった。
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それは突然何の前触れもなく悶太を襲った。
もう少しで山の頂上という所で、岩の突起をつかんでいる右手を、さらにその上にある突起へ移動させようとした瞬間、右腕に力が入らなくなった。
ぷらーんってなってる。
断崖絶壁で、初めてのロッククライミングで、右肩からぷらーんってなってる。
まわりに人影はない。
悶太の心を死の恐怖が襲った。
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右腕がぷらーんってなるまで肩を揺すったが、悶太の表情が歪むだけで全く起きる様子がないのを見て、悶々は苛立ってきていた。
悶々はベッドの下から黒い靴下を発見した。
いつからここにあったのかわからないが異臭を発している。
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悶太の目の前の岩壁にドアが現れた。
ドアには「肩の痛み」と書かれている。
勝手にドアが開き、悶太は吸い込まれた。
悶太が目を開け「夢か」と思った瞬間。
右肩に激痛を感じた瞬間。
目の前に黒い物体が現れ「臭い」と思った瞬間。
悶太は一瞬で、現実世界から夢の世界へ舞い戻った。
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悶々は、悶太が一瞬目を開けた様に見えたので、「これはもう、おこしたといってもいいでしょう」と結論付けた。
結論付けはしたが、悶々はその場を離れる気がしなかった。
目覚めたあと再び眠りの世界へ行ってしまった悶太の横で、悶々は自分の中で何かが目覚めたのを感じた。
レジ袋の中からタバスコを取り出し、悶太のまぶたを強制的に開けて入れてみた。
ホラー映画の勢いで黒目が現れたタイミングで臭い靴下を鼻先に掲げる。
すると黒目は再び消えた。
「なんか楽しいかも」
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悶太は突然現れた「目の痛み」と書かれたドアに吸い込まれて現実世界へ戻ったが、「臭い」と思った次の瞬間に、再び断崖絶壁にいた。
「このままでは『残骸絶壁』になってしまうな」
―うまいこといったな。
そう自画自賛した悶太を吹雪が襲う。
「寒い」
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悶々は悶太の体からパンツ一丁になるまで服をはぎ、吹雪いている外へ放り出してみた。
目を覚ましたので臭い靴下を鼻先に掲げると悶太は再び眠りの世界へ旅立った。
悶々は悶太をベッドへ戻した後、自分の部屋から目覚まし時計を持ってきた。
8時10分に合わせて悶太の耳元へ置いた。
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右肩がぷらーんで、目が燃えるように痛くて、死ぬほど寒くて、その都度ドアが現れ、そして臭い。
ここは地獄だろうか。
悶太の耳元で「カチッ」と音が聞こえた。
するとどこからともなく気味の悪い音が聞こえてきた。
―背筋がゾクゾクするような、この音は何だ。
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悶々は耳栓をして悶太の顔を観察している。
アラーム音が「黒板を爪でひっかく音」である目覚まし時計を持ってきたのはナイスアイデアだったと、悶々はほくそ笑んでいた。
悶太の顔はゆがみにゆがんでムンクの叫びのような表情になっている。
悶々がスマホでその表情を動画撮影していると悶太の目がぱっと見開いた。
悶々は素早く異臭を悶太の鼻に放り込む。
悶太の目は再び閉じられた。
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悶太は自分の口からよだれが垂れるのも構わず笑っていた。
「どうしましたか」
悶太が振り向くとヘリコプターにガチムチの魔法少女おっさんが乗っている。
「もう起きていいですよ」
ねむ郎がそう言った瞬間、悶太のまわりは元の何もない空間に変わった。
「ドアはこちらです、さあ、どうぞ遠慮なく」
悶太は、右肩と目の痛みと、まるで雪の日に窓開けっ放しの室内にいるような寒さと、鼻からは遠いが身近に感じられる臭さと、だんだんボリュームがが大きくなる黒板ひっかき音に耐えながら、思考スイッチをオンした。
「毎朝ガッカリクンチョコを食べるのが日課とノートには書かれていますが、今もそうですか? であれば今日はきっと持ってないシールが入ってますよ。私の予感は当たるんです。さあさあ、起きてみましょう。ほれほれ」とねむ郎は悶太を起床ドアに誘う。
―おかしい。
「今起きればデートにギリギリ間に合いますよ。美少女高校の蘭ちゃん―でなくて、お相手は何て名前の人ですか」
「ヨネさん」
「ヨ、ヨネ? 韓国の方ですか?」
「日本人です」
「何歳ですか」
「75歳」
「女子高生の次おばあちゃんいきますか。オールマイティ過ぎやしませんか」
「別に問題ないだろう?」
「まあ確かに。それはともかく、今起きれば、二度寝を楽しみ、そのヨネさんとのデートにも間に合う。最高じゃないですか。ささ、もうあと5分以内に起きましょう。ほれほれ」とねむ郎は悶太をせっつく。
―最初と明らかに様子が違う。
―オレを起こしにかかっている。
―何か理由があるのではないか。
ねむ郎はフリフリの魔法少女の衣装で悶太の左腕を引っ張り、ドアの前へ移動させようとする。
悶太があまりにも動こうとしないので、ねむ郎は少し強めに腕を引っ張った。
かわいた音がして、悶太の左腕はぷらーんとなった。
「すいません。すぐにくっつけます」
ねむ郎はステッキを床に置いた。
ねむ郎が悶太の肩と腕をくっつけようとしてる時に、悶太はステッキの先を見ていた。
ねむ郎は「この世界で脱臼したんだから簡単に治せるはずなんだが」と言いながら四苦八苦している。
床に置いた時にハートの部分が開き、時計部分が露出していた。
―8時20分。
―あと5分でもう一つの目覚ましが鳴る。
―そういえば8時25分に目覚ましが鳴るといった時のねむ郎の表情がおかしかった。
―外的要因で起きれるのではないかと言った後の「まずい」という顔が、その時一瞬戻った気がする。
―8時25分に起きてもらっても全然かまわない、ということか。
―あと10分で8時半。
―おっさんのフリフリの衣装。
―今日は何曜日だったか。
そこで悶太はあることに気づいた。
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悶々はもう歯止めがきかなくなっていた。
右腕がぷらーんってなってるのを見て「左右対称にしたい」と左腕もぷらーんとさせてしまった。
悶太の目は開かなかった。
「楽しい夢でも見てるのかしら」と悶太の瞼を開け確認したが、目が燃えるようにひどく充血してるだけで夢の内容まではわからなかった。
悶々は腹立ちまぎれに、テーブルにあった豆大福の包装を取り去り、悶太の口の中へ突っ込んだ。
悶太の口の中へ豆大福をグイグイ突っ込んでいるときに、耳栓で防ぎきれない爆音ベルが鳴った。
悶々は悶太の目覚ましを止めた。
時刻は8時25分。
「魔法少女がはじまっちゃう」
悶々は、口に豆大福を突っ込まれた悶太を放置して部屋を出て行った。
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悶太は思った。
おそらく、いや間違いなく、ねむ郎は8時半からの魔法少女のアニメを見ようとしている。
ここでもしオレが起きてしまったら、あいつは仕事を最低限まっとうして仕事終わりに見たいアニメを見て「今日も一日楽しかった」と言って眠りにつくことになる。
それに対してオレは、地獄のような二度寝を強要された挙句デートにはギリギリ―いや、おそらくオレの体はぼろぼろでデートどころではない気がする。
こうなれば、ねむ郎も道連れにしてやる。
何としてでも9時まで―魔法少女終わるまで―起きない。
「早く起きろ」
ねむ郎の言い方がきつくなってきた。
「ドアノブ握って、ほら回せ、そら回せ」
「嫌だ」
「目の中にミートソースそそいでやろうか」
あまり恐怖を感じず、逆に目が求めているような気さえした。
悶太はねむ郎に、
「おまえは魔法少女が見たいのだろう?」
ねむ郎の目が泳ぐ。
「そこまで躍起となってオレを起こそうとしているということは、オレが起きないと見れないのだろう?」
ねむ郎の目はヘビに追われるカエルのごとく全力で泳いでいる。
「正直に話したらどうだ。そうすれば起きてやらないこともない」
そう言うと、ねむ郎の目はすぐに泳ぎを止めた。
「その通りです。今回の魔法少女は主人公のマホりんの過去が明かされる重要な話なんです」
「ではそのアホりんの代わりに悶太りんの過去を、これから30分かけて明かしてやるよ」
ねむ郎の絶望の表情をよそに、悶太は「生まれも育ちも葛飾柴又―」と話し始めた。
その時、悶太とねむ郎の前に「マッチ売りの少女」の恰好をした少女と黒猫が現れた。
ねむ郎は「ひゃっほう、少女ひゃっほう」と我を忘れて歓喜の雄たけびをあげたあと、我に返って尋ねた。
「どちらさまですか?」
「死神death」
「どうしてここに?」
「そちらの悶太りんが現実世界で死にそうなんdeath」
悶太は事態がのみこめていなかった。
「起きようとしても起きれないと思いmath」
悶太は、この少女と猫も、ねむ郎が召喚したもので、ドアを開けさせようとする作戦の一つではないかと思った。
「現実世界で悶太りんは妹から数々の暴虐を受け、現在、のどに豆大福が詰まっていて窒息死寸前death」
ねむ郎は、
「では死神さん、早くこの人持って行ってくれませんか。帰ってテレビ見たいので」
「それはできません。まだ死んでませんし、あと30分位は助かる可能性があるので。私の管轄外です」
ねむ郎の本日二度目の絶望した表情を見て、悶太はためしにドアノブに手を掛けた。
ドアノブはびくともしない。
何度もガチャガチャやってみたが動かない。
悶太の心を、本日二度目の死の恐怖が襲った。
悶太はドアノブから手を離し、ドアにタックルを始めた。
絶望の淵にいたねむ郎は、タックル音で我に返った。
「やめろ、そのドア高いんだ」
なおも悶太は、両腕をぷらんぷらんさせながらタックルを続ける。
ねむ郎はドアと悶太の間に入った。
「やめろ」
悶太がねむ郎の股間にタックルをかます。
うずくまり、もだえるねむ郎に、悶太は一喝した。
「お前の魔法少女愛はその程度のものだったのか」
アニメ第59話で悪の総統が変態キノコ男を巨大化変身させるために言った名台詞―。
ねむ郎は悶太の顔を見上げた。
「一回だけ見たことあるんだよ」と悶太は言った。
目に光が戻ったねむ郎は悶太を脇によけ、助走をつけてガチムチの体をドアにぶつけた。
ぶちあけられたドアに、悶太は吸い込まれていった。
悶太の後ろで「さあ、早く帰って見ないと」と野太い声が聞こえた。
悶太は大福を吐き出し目覚めた。
自分が生きていることにほっとしたのも束の間、体中に激痛が走る。
目が焼けるように痛く、涙が止まらない。
両腕が痛く、ぷらーんとなってる。
なぜかパンツ一丁で、部屋には外からの雪が吹き込んでいる。
妹の目覚ましがキィキィ鳴っている。
そして何よりショックなのが、テーブルの上に置いておいたガッカリクンチョコが無いことだった。
ドアが少し開いている。
―悶々が持っていったのか。
悶太は一階のラウンジへ向かった。
途中すれ違う人から「大丈夫かい」「見てもらった方がいいんでないかい」「服くらい着んしゃい」「今日は雪じゃ雪じゃー」「飯はまだかいのう」「おはよう、悶太じーさん」と次々声を掛けられたが全部無視して走る。
ラウンジに到着して悶々を探す。
悶太と悶々がこの老人ホームに来てだいぶ経つが、悶々はほとんどの時間をこのラウンジで過ごしている。
ラウンジのテレビでは報道特番を放送していた。
某国からのミサイルが東京に着弾したらしい。
テロップで魔法少女が中止と出ている。
悶太の頭の中で「高いドアが無駄死に!」と言う念々ねむ郎の無念の声が響いた。
そのテレビの前に悶々は他の老人たちと一緒にいた。
「悶々、ガッカリクンのシールどこ?」
「シール?」
悶々は悶太の方を向いて言った。
「その辺のテーブルに置いたよ。というか、私より3つ上だから―あんた72歳でしょ。全くいい年してシール集めなんて。この前も女子高生に告白して通報されるし―」
そういいながら悶々は魔法少女のオープニング曲『大会前の校長先生のお話ダンス』を他のおばあちゃんたちと踊っている。
その中に、悶太の生まれて初めてのデート相手である75歳のヨネさんも混じっている。
悶太が話しかけようとするとヨネさんは「今日は朝早いのね」と決めポーズをしながら笑っている。
デートのことをきれいさっぱり忘れているのか、それとも、遅刻したことに対する皮肉なのか。
悶太にはわからなかった。
悶太は周りのテーブルを見渡し、探し物を見つけるとまっすぐに向かって行った。
悶太はシールを手に取ろうとしたが、両腕が動かない。
仕方ないので顔をテーブルに近づける。
老眼鏡が無いのでことさら近い。
―これは持ってない。
―しかし何か違和感を感じる。
悶太は包装に目を移した。
ガッカリク『ソ』チョコと書かれている。
目覚めよ――