世界テクテク旅 ヨーロッパ歴史編 『アルハンブラの思い出』
マドリードのアトーチャ駅を朝9時に出発した列車は約4時間半後の午後1時半頃グラナダに到着した。 到着までの間に同地の最大観光ポイントであるアルハンブラ宮殿に付いてガイド・ブック片手にお姉ちゃんの説明が始まった。
「イベリア半島は、8世紀初頭からイスラム教徒が支配していましたが、11世紀の初めに後ウマイヤ朝が滅びると、小さなキリスト教国ができ、12~13世紀になるとポルトガルやカスチラ等キリスト教国が勢力を伸ばし、イスラム勢力はイベリア半島南部に孤立し、キリスト教の国々では、イベリア半島のイスラム教国は孤立しているから同半島全土にキリスト教国の栄光をよみがえらせようとの動きが高まり、このように中世後期に同半島でのキリスト教徒による国土回復運動をレコンキスタといいます」、「長いね、まだ続くの~」、「そうよ、これからが面白いのよ」と、さらに説明が続いた。
「この運動は8世紀初頭から15世紀末まで約700年間続き、こうしたレコンキスタの中で、同半島のアンダルシア平原のグラナダを中心に最後のイスラム教国(グラナダ王国)を作ったのがナスル朝のムハンマド1世で、彼はイスラムの栄光を示す為 丘の上に立派な宮殿を建て、1333年から約50年もの歳月を費やしアルハンブラ宮殿が作られ、その地を最後の砦としてイスラム教国をその後150年間守り続けましたが、アラゴン王国フェルナンド王とカスチラ王国イサベル女王が結婚して成立したスペイン王国が15世紀末に当時のグラナダ王ムハンマド12世は難攻不落の「赤い要塞」(現在のアルハンブラ宮殿)に立てこもり抵抗しますが、8ヶ月後遂に力尽き、キリスト教徒の印である銀の十字架を屋上に掲げ降伏します。
そして、1942年1月2日イベリア半島から立ち去る為に丘を降り、「アッラーは不滅なり、アッラーは偉大なり」と叫び、最後に馬上から振り返りグラナダ南東に連なる丘の上にそびえるアルハンブラ宮殿を見上げた時、万感の思いで感無量となり涙があふれ止まりませんでした。 そんな宮殿に今向かっています」と結んだ。
昼食をはさんだ同宮殿の観光が終わり、夕暮れが迫り、駅へ急ぐことになり、もう二度とお姉ちゃんと一緒にこの宮殿を訪れることはないだろう。 あの八角形の天井に蜂の巣のように細密な鍾乳石飾り(モカラベ)が施され、天窓から差す光が彫刻に反射して宝石のように輝いている二姉妹の間や黄金の間で窓越しに見るアルバイシンやバンタル庭園の貴婦人の塔等々をもう一度脳裏に刻もうと振り返り高台を仰いだ時、沈み行く夕日に照らされた赤い要塞は、まぶしくて西半分が見えなかったので、思わず叫んだやっぱりあの宮殿は「あら~、半分ら宮殿」だ。
世界テクテク旅 ヨーロッパ歴史編 『アルハンブラの思い出』