湖の守護竜は彼(か)の地を追われ。

たびびと

#00 プロローグ

 不気味な曇天の下、すっかり動物が避難してしまい小鳥の囀りすら響かぬ森は、二頭の巨大生物による縄張り争いの戦場と化していた。
 一方は、獅子の頭と山羊の身体、蛇の尾を持つ魔獣。
 そしてもう一方は、この森の主。全食物連鎖の頂点に座する爬虫類だ。正称を竜、通称――ドラゴン。
 本来ならば相見える筈のない両者が出会ってしまったのは、自然の悪戯か、それとも何者かの手によるものか。それは誰にも分からない……。

 払われた尾が木々を薙ぎ倒し、振り下ろされた鉤爪は大地を割る。
「ガァッ!!」
 轟く咆哮と共に、直径一メトル程の火球がドラゴンの口から吐き出された。しかしその攻撃は標的に命中することなく、森の湿った地表に炸裂。
 爆風が周囲の草木を地面ごと抉り取り、辺りを一瞬にして、焼け爛(ただ)れた不毛な土地に豹変させた。
 その巨体からは意外なほど軽やかに飛び退った魔獣が、そのまま大きな翼を広げて天へと舞い上がる。それを追うようにドラゴンも翼を羽ばたかせ、飛翔した。
 そこまでの闘いで優位を占めていたのはドラゴンの方であった。
 だが中々反撃する気配を示さぬ敵から、まるで戦意が見出せないドラゴンは、最後の追い討ちを掛けるべく流星の如き勢いで魔獣へと迫った。
 油断。それは王者ゆえの驕り。
 数瞬後、彼は自分の認識が大きく誤っていたことを悟る。
 上方にて待ち構える魔獣の眼光が、未だ弱まってはいなかったからだ。
 獅子も、そして――尾の蛇も。
「キシャアアアアッ!!」
 大蛇がアギトをかっと開き、喉の奥から紫色の煙を放出した。
 ドラゴンの脳内で本能が警鐘を鳴らし、それが危険なものであることを知らせる。が、今更止まることは出来ない。ドラゴンはその速度を抑えることなく毒の霧の中へ飛び込み、ものの数秒で反対側へ突き抜けた。
 だがそこで彼は異変に気が付いた。
 敵がどこにいるのか、分からない。
 たとえ見失おうとも、嗅覚で、聴覚で、空気の動きで敵を感知できるはずなのだ。それなのに何故か敵の居場所を把握できない。世界が、分からない。今まで経験したことのない感覚に、ドラゴンは困惑するしかなかった。
 ――旋回して一旦様子を見よう。 
 ドラゴンが下したその判断は、恐らく間違ったものではなかったはずだ。だが次の瞬間、凄まじい衝撃が彼の身体を叩く。
 森の一角から、大量の土砂が舞い上がった。
 感覚の麻痺とは恐ろしいもので、空を飛んでいたつもりのドラゴンは、実際には、彼自身も意識せぬまま一直線に地面へと落下していたのだ。
 地表に叩きつけられたドラゴンが動きを止めていたのは、たった数秒のことだった。けれど闘いの中で、その時間は途方も無く長い。

 起き上がらんとするドラゴンの頭蓋は、天からの攻撃によって、いとも容易く砕かれた。

#01 襲撃と撃退

 “カルビナ街道”と呼ばれる南北に続く要路がある。針葉樹林を二つに分断するように通る林道で、その呼称からも分かる通り、港町カルビナと周辺地域とを結ぶ幾つか存在する交通路の一つだ。
 岩山に囲まれているという地形ゆえ、港町カルビナへ直線で繋がるルートはそれのみであり、他が険しい山道であるなどを考慮すると、カルビナ街道は全ての方面から最短の陸 上経路であった。
 だがここ暫(しばら)く、ある理由から利用されなくなってしまっている。
 そんな道の半ばにて、歩を進める三人の影があった。

「そう言えばまだ聞いてなかったけど、ミィナちゃんは何でカルビナに行きたいの? それもそんなに急いで」
 歩きながらリーシャが尋ねると、隣を歩くミィナは僅かな逡巡を見せたのち、浮かない表情のままゆっくり口を開く。
「出稼ぎ……です」
「ふーん、そっか」
 リーシャは納得したように相槌を打ったが、しかし本当にそれだけが目的だとは思えないミィナの物憂げな面持ちに、どこか引っかかるものを感じた。
 けれどこれ以上ミィナの事情に踏み込むのも、野暮というものだろう。そもそも、たった十四歳の少女が、わざわざ危険を冒してまでこの道を通ろうという時点で、普通ではないのだ。村を出発する直前、“私も連れて行って下さい”とミィナに懇願されたときは正直驚いた。
 最初は軽くあしらうつもりだったのだが、あの時、ミィナの瞳の奥には強い意志が宿っていた。気圧されるように、結局最後はリーシャが折れてしまったのだ。
 だがやはり、今になって、本当にミィナを連れてきたのは間違いではなかったのか、と自問してしまう。というのも、このカルビナ街道が通る森には最近になってドラゴンが棲み着いたという噂が流れているからだった。
 目撃情報も複数件あるらしく、単なる噂である可能性は低い。それでもこの道を使おうとする辺り、かなり急ぎの用事があるのだろう。他の道を使うとなると、二日は余計にかかってしまう。
「でも運が良かったわね、こんな時にこの道を通ろうだなんて物好き、私たちぐらいしかいないと思うし」
「……お二人は、どうして?」
 今度はミィナに問い返され、リーシャはどう答えるべきか少しばかり迷った。
「うーんと……まぁ端的に言うと、ドラゴンを探しに、かなぁ」
 という短い回答に、ミィナは驚愕を露わに目を見開く。それもそうだろう。逆の立場だったら、ドラゴンとの遭遇を望む人間など、自殺願望を持っているとしか思えない。
「でも心配しないで。私達、別に死にに来たわけじゃないから。もし本当にドラゴンに襲われたとしても、きっと後ろのお兄さんが何とかしてくれるわよ。ねー、ラト?」
 と前を向いたまま、背後を歩いているはずの旅仲間である少年に呼び掛ける。
 しかし返事は無い。
 ラトは、自分が興味のない話にはまったくもって頓着が無い。けれども一応、話を振れば“ああ”とか“おう”とか気のない返事はするはずなのだ、いつもなら。
 だからアクションを起こす前に、何となく嫌な予感はしていた。
「ちょっとラト、聞いてん――」
 振り向きざま、口にしかけた言葉が途中で止まる。
 いない。
 後ろには、ただ自分たちが歩いてきた道のりが遥か遠くまで伸びているだけ。そこにあるべき仲間の姿が、影も形も無かった。
 虚しく風が吹き抜け、枯れ草の塊がコロコロと転がっていく。数秒間、ぽかーんと口を開けて唖然としてしまった。
「ああ、もうっ! まーた一人で勝手にどっか行っちゃって……」
 いや、町にいようが森にいようが山にいようが、ラトの単独行動は日常茶飯事。最早ここで狼狽えてしまった方が負けなまである。額に手を当てて、深々と呆れた溜め息を吐く。その様子を見たミィナが目に見えてオロオロし始めた。
「えっ!? ラトさん、居なくなっちゃったんですか!? い、一体どこへ……」
 こんな森の中でたった十四歳の少女が、僅か四つ年上なだけのお姉さん――リーシャのことだが――と二人きりにされたのだから、不安になるのも仕方がない。それでも自分が全く頼りにされていないことが、リーシャとしては少々心外であった。
「あー……多分ラトのことだからそのうち追い付いて来るでしょ。気にせず先に行くわよー」
「そ、そうですよね! 一本道ですし、方向さえちゃんと分かっていればすぐに道に戻れますし……」
 とミィナが自らを鼓舞(こぶ)するように、わざとらしく大きく首肯した。
 振り返って歩き出す。そのとき――
 ピシッ! という小枝を踏み折ったような微かな音をリーシャの耳が捉えた。すぐさまミィナに目をやるが、彼女には聞こえなかったようで、背後を細かく気にしながらもそのまま歩みを止めない。
 ――二〇メトル先の木陰に、何かいる……。
 そのことを敏感に感じ取ったリーシャは、さっとミィナの胸の前に手を出してそれ以上の前進を制した。ミィナが不思議そうに彼女を見上げるが、リーシャは音のした方を注視し続ける。
「隠れてるつもりなら、さっさと出て来なさいよ」
 もしも自分の勘違いならそれに越したことはないが、そうでない事は自分が一番分かっている。聴覚と視覚の鋭さなら、ラトにも劣らない自信がある。
 数秒の間を置いて、“彼ら”はその呼び掛けに応じた。
「おいおい、この距離で今のが聞こえちまうのかよ……。嬢ちゃん一体どんな耳してんだ?」
 低く野太い声を響かせながら姿を現したのは、トサカのように逆立ったモヒカン頭が特徴的な華奢(きゃしゃ)な男だった。続いて彼の仲間と思しき男たちも現れ、ぞろぞろと行く手を阻むように立ち並ぶ。
 後ろの方までは見えないが、人数はざっと十五人程度だろうか。
 粗雑な身なりや、携帯している悪趣味な武器等々から、彼らが無法者の集団であることは容易に窺い知れた。
 ふと傍らのミィナに目をやると、口をきつく引き結んで、震える手でぎゅっとリーシャの服の裾を握り絞めている。これだけの人数の敵を前に、逃げ出したくなる衝動を彼女なりに必死に堪えているらしい。
 であるなら、ここでリーシャが弱腰になる訳にはいかなかった。
「一応訊くけどあんたたち、私たちに何か用? 用が無いなら私たち急いでるから、そこ、どいて欲しいんだけど」
 というリーシャの強気な態度に、一番最初に出てきたリーダー格と見られるモヒカン男が驚き交じりに肩を竦める。
「おうおう、気の強(つえ)ぇ嬢ちゃんだなぁ。けど悪いがただでここを通す訳にゃいかねェんだわ、これが。……持ってるもん全部置いてきな。そうすりゃ傷付けたりなんかしねェからよ」
 男は白々しい微笑を浮かべて、優しく諭すようにそう言った。しかしその要求内容は呆れるほど理不尽。だからという訳ではないが、リーシャも不敵に微笑んで応対する。
「もし、断るって言ったら?」
 そんなあくまで挑戦的なリーシャの発言を、男は鼻で笑い飛ばした。それに同調するように彼の部下達もニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべている。
「おっと、抵抗なんぞしねェでくれよ? 俺たちも出来る事なら女子供相手に手荒な真似はしたかねぇんだ」
「あっそ、じゃあ断らせてもらうわ。あんたらの言う事なんか聞く義理無いし」
 半ば男の声と被るように重ねられた言葉に、彼の頬肉が僅かに引き攣(つ)った。
「威勢が良いのは悪いことじゃあねェが、状況を判断する能力はちゃーんと身に付けねぇとなぁ、嬢ちゃんよ。そっちが抵抗するってんなら俺らも容赦出来ねェぜ?」
 言うと、腰に差していた得物を抜いて、それを見せつけるようにわざとらしくチラつかせた。
 けれど今更そんな物で脅された程度で臆病風に吹かれるリーシャではない。無言で背中に手を回すと、ボディベルトで括りつけていた愛用の武器を取り外す。折り畳まれたそれを素早く組み立てて、左足を前に半身に構える。
「やれるもんなら、やってみなさいよ」
 無駄に挑発的になってしまったのは、きっとラトの影響も少なからずあるのだろう。しかしリーシャの一連の動作を見ていた盗賊達は、呆気に取られたように固まっていたかと思うと、唐突に腹を抱えて嗤(わら)い出す。
「ギャハハハハッ! そんな棒一本で俺たちと闘る気かよー!」
「おいおい、ギャグかってーの!」
「ごっこはお家でやりましょうね~~っ!」
 彼女が手にしているのは自身の身長かそれ以上の長さの棍であり、その見た目はただの金属棒である。両端が瘤(こぶ)のように丸くなっている事を除けば、到底武器には見えない。
 しかし彼らが、本当にそう思って油断しているのなら、それはそれでリーシャにとって都合が良かった。言いたい放題なのは少々癪ではあるが……。
「ミィナちゃんはちょっと下がってて」
 忘れてはならないのが、ミィナはただの民間人であるということ。戦い慣れているラトやリーシャとは訳が違う。うまく真剣みが伝わってくれたようで、ミィナはこくりと小さく首肯すると数メトル背後の木陰へ避難した。
 それを見届けて盗賊たちに向き直る。
「それで? やるなら早くして欲しいんだけど」
 モヒカン男はまだ笑いが収まっていない様子だったが、溜め息のようなものを一つ吐いて、ようやく命令を下した。

「――だそうだ。お前ら、お望み通り相手してやれ」

 それを合図に、数人の厳つい男達が武器をトントンと肩で弾ませながら進み出た。
 こういう輩とは今まで散々闘り合ってきたが、彼らの戦術もへったくれもなく、女と云うだけで舐めきった態度には、毎度辟易させられる。
 しかしだからと言って、こちらも油断して良い理由にはならない。
 ならば、どんな相手だろうと全力で相手をするのが礼儀というものだろう。
 姿勢を低くして棍を構え直す。
「悪く思うな、よっ!」
 すぐ目の前まで歩いてきた盗賊が武器を掲げる。完全に勝ちを確信した掛け声と共に、頭上から無骨なサーベルを力任せに振り下ろした。
 直撃していれば致命傷を負うどころか即死だろう。
 しかし当たらなければどんな攻撃も意味を成さない。
 サーベルを、斜めに構えた棍で受け止める。軌道をずらされた分厚い刃が勢いを保ったまま足元をかち割り、乾いた地表にひびを作る。
「うおっ!?」
 体勢を崩した敵は絶好の的だ。それを見逃してやるほどリーシャも優しくはない。持ち手を支点とし、棍の先端を容赦なく跳ね上げた。
 ばふぅッ!
 気勢が削がれるような殴打音。
 だがリーシャを除くその場にいた全員が、次の瞬間の光景に目を見張った。
 攻撃を仕掛けたはずの大男が、まるで小動物であるかのように宙を舞っていたからだ。彼はそのまま後続の二・三人を巻き込んで吹き飛ぶ。どしゃっと砂埃を立てて数メトル先の地面に落下した。
「何、だと……」
 敵の誰かが呟いた。
 ただ少なくとも、その声の主が反撃を食らった本人でない事だけは確かだ。仰向けに倒れている彼の意識は既に無い。
「ちょっと、女だからって舐め過ぎじゃない? どうせなら全員でかかってきても構わないのよ別に」
 ぶんっ! とリーシャが得意げに棍を一振りする。途端、彼女の正面に一陣の旋風が巻き起こった。だがそれは、塵や木の葉を暫く巻き上げた後、何事も無かったかのように消散してしまう。
 その現象が偶然によるものではない事は、誰の目にも明らかだった。
「魔法武器(ソーサリーウェポン)か……っ」
 モヒカン男が憎々しげにその表情を歪める。
「そう、ゲイルロッドっていうの。こーんなか弱い女の子がそのオッサンをぶっ飛ばせたのも、これのお陰ってワケ。どう? 少しはやる気出たんじゃない?」
 依然、リーシャの挑戦的な姿勢は変わらない。だが対する盗賊達は奮い立つどころか、魔法という不思議な力を見せつけられ戦意を喪失しかけていた。
 このまま逃げ出してくれるなら、願ったり叶ったり。リーシャの思惑はそんな所であったのだが、敵の頭目は予想以上に冷静だった。
「お前らぁッ! ビビってんじゃねェぞ! 魔法武器がどうしたって? 相手はただの小娘一人だろうが! 大の大人がこれだけ同時に掛かれば勝てねェはずがねェ! それに魔法道具がどんだけ高値で取引されてんのか忘れた訳じゃねェよな!?」
 モヒカン男がそう叱咤したことにより、退き気味だった盗賊達が気概を取り戻し始める。
 その様子を見ていたリーシャは、思わずうぇ……と顔を顰めてしまった。
 まさしくモヒカン男の言った通り、あれだけ大勢を相手にするのは流石に骨が折れるだろう。やはり見栄を張って強がりすぎたか、と後悔し始めた頃――
「行くぞォッ!!」
 モヒカン男の号令と共に、およそ十人が一斉に駆け出した。
 とはいえ、道幅もそれほど広くはなく大柄な男が五人も並べば塞がってしまう程度である。つまりそれだけ敵も密集しているということだ。
「覚悟しなさいっ!」
 ゲイルロッドをくるっと一回転させて、臨戦態勢に入る。武器の中間辺りを脇に挟む。棍ではなく槍として構えるように先端を正面に向けた状態で、腰を落として低く身構えた。
 イメージに呼応するかの如く、武器全体に、唐草模様にも似た不思議な紋様が浮かび上がる。その光が最大になるのと同時に、ゲイルロッドの先端から風の奔流が巻き起こる。
 刹那、辺りの樹木よりも太い竜巻が、地面と水平方向に放たれた。

「――颮穿渦(ホウセンカ)ッ!!」

 延長上にいた盗賊達は呆気なく宙に浮き、肉眼だと視認するのも困難なほど遠くまで吹き飛ばされる。
 暴風が治まった後――辺りの景色はすっかり変貌していた。散乱していた落葉は疎(おろ)か、周囲に未だ茂っていた青葉ですらも大部分が消え去り、正面に続く林道の表面には風圧によって削られた跡がくっきりと残っている。
 これこそが魔法。圧倒的な破壊力。
 数秒の静寂――それを壊したのは、カァンッ! というリーシャが武器を地面に突き立てた音だった。
「うわー……やっぱりかなり魔力使っちゃうなぁ……」
 力無げに呟いたリーシャの身体は、一時的な脱力感に苛(さいな)まれていた。全力疾走をした直後のように全身がだるい。息は切れていないのに、体力だけがごっそりと持って行かれたようだ。
 魔法使用の反動による脱力感。
 それは威力や規模に比例して大きくなる。が、それでも彼女がこの魔法を使用したのは、これで決着が付くと踏んだからだった。
 しかし――
 視界の端で何かが動く。と、道脇の茂みから盗賊の一人が姿を現した。続いて反対側の木陰からも一人、二人と這い出てくる。
「うっそ……」
 完全に誤算である。
 敵を十分に引き付けてから放ったので、距離はたぶん十――いや、七メトルも無かったはずだ。それをまさか躱(かわ)されるなどとは思いもしなかった。
「へぇ……今のを避けるなんて、あんたたち意外にやるじゃない? まぁ、リーダーのモヒカンさんは避けられなかったみたいだけど」
 思わず称賛の言葉が零れてしまった。だが彼らはそれを嫌味と受け取ったのか、険しい顔付きで喚き立てる。
「強がってんじゃねぇぞ……。あんだけでけぇ魔法を撃ったんだ、もう立ってるのも辛いはずだ! お前ら今がチャンスだぜ!」
 盗賊の一人が、泥で汚れた服を叩きながら得意げに指を突き付け、それから自分の得物を抜いた。
 男が言った事は決して間違いなどではない。確かにあれほどの魔法を使用すれば、ほとんど全ての魔力を使い果たして、暫く動けなくなる程の疲労に襲われるだろう。
 だがそれは、リーシャが普通の人間であった場合の話である。
「近づけないなら、投げるまでだ!」
 わざわざ宣言して、盗賊が手にしたトマホークを大きく振り被る。逸らした体を戻す勢いを乗せて力一杯ぶん投げた。投擲された斧が唸りを上げて空気を切り裂く。
 ガィィィンッ!
 刃がリーシャに届く寸前で、壁にぶち当たったように音立てる。斧は激しく回転して弾かれた後、付近の地面に突き刺さった。
「――盾風(タテカゼ)。その程度の攻撃じゃ私には届かないわよ」
 風を纏ったゲイルロッドを高速で回転させることで、自らの正面に風のシールドを生み出したのだ。
 しかし先ほど盗賊達を吹き飛ばしたあの魔法に比べれば、規模も消費魔力量も大したことはない。それでも残った盗賊三人を驚愕させるには十分だった。
「てめぇ……、何でまだ魔法が使えるんだっ!?」
「さーて、どうしてでしょう?」
 ここレイクスティア王国には、“人間”の他に二種類の人類が存在する。
 その一つ、恐ろしく鋭い五感を持ち“人間”よりも遥かに多くの魔力を有する種族――彼らのことを、人々はこう呼んでいる。
「まさか――……森民(エルフ)なのか……」
 その名詞を耳にしたリーシャは、にかっと無邪気な笑みを見せた。
「厳密にはハーフだけどねっ」
 森民(エルフ)は王国最南端の大森林で生活し、人の前に姿を現すことは滅多に無い。そんな彼らと“人間”のハーフなど、王国中を捜してももう一人いるかいないかと言ったところだろう。
「んなもん……勝てるわけねぇじゃねぇか……」
 ぽつりと呟かれた言葉には、既に絶望の色が混じっている。完全に戦意を喪失していた。
「もし今、あんたたちが降参するって言うなら、今回は見逃してあげる。とっ捕まえて町の衛兵団に引き渡しても良いんだけど、それも面倒くさいし」
(くぅ~~~っ! 今の私ってひょっとしてかなりカッコ良いんじゃないの!?)
 と、勝利を確信してお気楽なことを考えていたからかもしれない。周囲への注意が疎かになってしまっていた。
 腰に手を当て、どや顔で胸を張るリーシャ。そんな彼女の背後から、きゃっ! という甲高い悲鳴が頭上を飛び越えて行く。
「調子に乗るのもそこまでだぜ、嬢ちゃん」
 その野太い特徴的な声には聞き覚えがある。嫌な予感しかしないが、リーシャは溜め息を吐きつつ徐(おもむろ)に振り返った。
 最初に目に飛び込んで来たのは、あの良く目立つモヒカン。
 彼の懐には背後から抱き込まれるような形でミィナが捕えられ、その喉元には鈍色(にびいろ)に光る短剣が突き付けられていた。
「これがどういう状況かは……勿論理解出来るよなァ?」
 おそらく、リーシャが魔法を発動した際の、自身の視界すらも埋め尽くされたあの一瞬の隙に脇の森へ飛び込み、いつの間にか回り込んでいたのだろう。
 森民(エルフ)の血を受け継ぐリーシャにも悟られず、それをやり遂げた彼の隠密技術の高さには、脱帽せざるを得ない。
「まずはその魔法武器(ソーサリーウェポン)をこっちによこせ。いいか? 変な動きを見せたり、逆らったりしたら、躊躇(ちゅうちょ)無くコイツを殺す」
 モヒカン男が勝ち誇った笑みを湛えて、ナイフをより一層強くミィナの喉に押し当てる。
「ひっ……」
 涙で顔を濡らすミィナが、掠れるほど微かな悲鳴を零した。
「――助けて……お姉ちゃん……っ」
 その時リーシャは、その場面においてとんでもなく場違いであることを意識しながら、しかし自分を指し示したであろう“お姉ちゃん”という言葉に、違和感を覚えずにはいられなかった。きっとミィナ自身、無意識のうちに口走ってしまったのだろう。
 それが、ミィナが村を出た理由に深く関わってくるものであると、リーシャは直感した。
 まぁ何にせよ、捕まってしまったミィナを無視するわけにもいくまい。リーシャはもう一度深く息吹くと、無言でゲイルロッドを真ん中から折り畳んだ。コンパクトになった愛用の武器をモヒカン男へ放り投げる。カラカランッと金属音を響かせて回転したのち、彼の足もとでピタリと止まった。
「それで? 次はどうすれば良いの?」
「お頭! そいつでその憎たらしいアマをぶっ飛ばしちまいやしょうっ!」
 突然、外野の雑魚一人が声を上げる。
(あいつ……余計な事を……)
 魔法武器はどんな人間でも操ることは可能だ。もちろん完全に使いこなすにはそれなりの訓練を必要とするが、反動を考慮せず力任せに魔力を放出するだけなら子供にも出来る。
 しかし、相手側からすれば最も妥当な行動選択であるはずのその提案を、モヒカン男は一笑に付した。
「ぶぁか野郎! こんだけ俺達に舐めた態度を取った相手をただ痛めつけるだけで終わらせる訳ねェだろうがっ! ムカつくが、こいつァ稀に見る相当な上玉だぜ? 見ろよ、あの金髪をよォ」
 言うと、改めてリーシャを頭の先から爪先まで舐め回すようにじっくりと眺め始める。それからニタァと嫌な微笑を見せた。
「取り敢えず、身に着けてるもんを全部取れ」
 と、これも逆らわずに素直に従う。
 ボディベルト、ブーツの中に仕込んであったナイフ、ベルトとそれに括りつけていた鞭を、それぞれ外して道端へ放った。その間も、相手が隙を見せやしないかと観察していたが、向こうもそう簡単には気を緩めない。
「これで持ってる武器は全部よ」
 嘘ではない。しかしモヒカン男は馬鹿でも見るような目をリーシャに向けていた。
「はぁ? おいおい、俺は身に着けてるもんを全部取れっつったんだぜ? 誰も武器だけ外せなんか言ってねェんだよ」
 嗜虐的な笑みを浮かべて、自身の服の襟元をぱたぱたと煽(あお)ぐ。
 リーシャは一瞬首を傾げそうになったが、その身振りによってようやく彼の言わんとするところを悟った。
「……うわ、最っ低……」
「何とでも言いやがれ。こっちのガキがどうなっても良いならな!」
 悔しいがミィナを盾に取られている間は、言う事を聞く他に選択肢はない。歯噛みをしつつ上着を脱ぐ。続いてブーツ、ウェア、ショートパンツの順に脱衣していった。衣類を脱ぎ、彼女の絹のように滑らかで白い肌が晒される度に、後ろにいる盗賊の部下達が歓声を上げた。
 そうして、残すは下着のみ。
 だがリーシャも年頃の少女であることに変わりはなく、やはり躊躇を隠せない。
「おらおら、どうした? まだ残ってるぜ?」
「い、言われなくても分かってるわよ!」
 強がるが、恥ずかしいものは恥ずかしい。
 ――ミィナちゃんを助け出したら、あのモヒカン、ただじゃおかないんだから……っ!
 と絶対に借りを返すことを固く心に誓って、一度大きく深呼吸をした。大丈夫、裸を見られるぐらいどうってことない。どうせもう会うことは無いのだ。そう自らに言い聞かせると、下着を外すべく恐る恐る背中に手を伸ばす。
 ホックに、手をかけた。

「――――…………ぉぉぉぉおおおおわああああッ!?」

 悲鳴にも似た雄叫びと共に、右の空から何か――もとい誰かが飛来した。
 ズゴォンッ! と砂埃を巻き上げて、リーシャとモヒカン男の間の地表へ派手に落下。数回バウンドした後、木の幹に激突してようやく停止した。
 状況を理解出来ず、リーシャも、そして盗賊たちでさえもポカーン……とくちをはんびらきにしたまま、唖然として硬直してしまう。
 そんな中、“そいつ”はがばっとすごい勢いで身を起こした。
「いってぇぇぇ! 超痛ぇ! くっそ何だよあんにゃろう、変な尻尾しやがって!」
 目の前で、頭を押さえながら転げ回り悪態を吐くその少年こそ、リーシャの旅仲間であった。
「――ちょ、え、ラト!? 何であんた、空から降って来てんのよ」
「あん?」
 と、そこで初めて彼女の存在に気付いたように顔を上げた。
「うおっ! リーシャお前、こんなとこで何やってんだ?」
「何って……それこっちのセリフなんですけど……」
 呆れ交じりに答えるが、一方のラトは何やら訝しげな表情でリーシャをまじまじと見つめている。
「お前……実は変態だったのか」
 言われて初めて、リーシャは自分が下着姿であることを思い出した。咄嗟に両手で胸を覆い隠す。
「あ、コラ、じろじろ見るな! 好きでこんな格好してる訳ないでしょうが! ミィナちゃんを人質に取られててこうするしかなかったの!」
 と、こうなってしまった経緯を簡潔に説明。するとラトはそれで納得したのかしていないのか、突然ハッと何かを思い出したように勢い良く立ち上がった。
「――っと、そうだ。んなどうでも良いこと話してる場合じゃなかった! とにかくお前ら、すぐにここを離れろ!」
 素早くリーシャの腕を引っ掴んで走り出そうとする。が、急に言われても何のことだかさっぱりである。ラトの手を慌てて引き剥がして、モヒカン男の方を指し示した。
「ちょっと! 言ったでしょ、まだミィナちゃんが人質に取られてるの! って言うかあんた、さっきから何をそんなに慌ててんのよ……」
 問うたが、ラトは明後日の方向に目をやりリーシャの言葉など全く耳に入っていないようだった。不意に、ぽつりと呟く。
「……遅かったか。来るぞ」
「は? 来るって一体――」
 ――何が? そう尋ねようとしたのだが、言い終える寸前にその言葉は低い飛翔音に掻き消された。突風が林道を駆け抜ける。世界が影に覆われる。ズゥン……と地響きを立てて、眼前に巨大なシルエットが立ちはだかった。
 最初に目に飛び込んできたのは、ドラゴンと見紛うほどの巨躯。恐らく頭から尻尾の先まで少なくとも十二メトルはあるだろう。
 しかし、明らかに竜族とは掛け離れた、異様な相貌だった。
 頭部を含めた前半身が獅子、後半身が山羊、尻尾があるべき臀部(でんぶ)からは大蛇が鎌首を擡(もた)げ、背にはコウモリの様な薄い飛膜からなる大きな翼を持っている。
 未知なる生物に、リーシャは愕然としつつも思わず見入ってしまった。
 そんな中、幾つかの悲鳴が重なる。
「ヒィィィっ!? た、助けてくれ!」
 すっかり忘れていたが、ちょうど怪物の足元に、下っ端盗賊の三人が立ち竦んでいた。一人は腰を抜かして尻餅を付き、もう二人は頭上を見上げたまま恐怖に動けないでいる。
 刹那、彼らの姿が霞んだ。
 ぐしゃっと嫌な音が響いたかと思うと、道脇の細めの樹木が数本、ばきばきと薙ぎ倒される。
「…………!!」
 一瞬、何が起きたのか分からなかった。
 リーシャが瞬きをして目を開いた時には、三人の姿は影も形も無かったからだ。だが依然、降り立ったままの場所で屹立する怪物が、太い前脚を内側に振りきったような体勢であるのを目にし、ようやく悟った。
 ――強すぎる……っ!
「うそ……、何なのよ、あれ……」
 呆然として呟く。しかしラトはその質問には答えず、背負っていた荷物をどさっと地面に下ろす。彼女の肩に静かに手を置いた。その瞳は一直線に、あの怪物を見据えていた。
「ミィナは頼んだぞ」
「……は? ちょっ――」
 突然、彼女の脇にいたはずの彼の姿が、土煙を残して掻き消えた。異形の怪物目がけて駆け出したラトは、突進をかけつつ背後に手を回す。腰の後ろに差していたダガーを素早く抜いた。
「さっきの借りは、返す!」
 自らを鼓舞するが如く叫び、同時に大きく跳躍。
 常人ならざる脚力を発揮し、一気に五メトルほどの高さまでジャンプする。空中でダガーを順手に持ち替えると、天高く真っ直ぐに掲げた。
「大剣ッ!」
 ラトの叫びに応じるかの如く、ダガーが白色に輝き出す。瞬く間にその輪郭を変形させてゆく。光が完全に収まったとき彼が握っていたのは、自身の身長に迫ろうかというほどの大剣だった。
「かぶとぉ――」
 身体をぐぐっと弓なりに反らし、その反動で宙返る。落下と回転の勢いが乗った極大の武器を、渾身の力で叩き下ろした。
「割りぃ!」
 ダガァァァァン!! という轟音が世界を揺らした。しかしその一撃は見事に空振りし、地表に炸裂して深い亀裂を地面に刻んだ。怪物は、その巨体からは想像できないほど軽い身のこなしでラトの攻撃を躱していた。
 飛びすさった怪物が、今度は攻勢を掛けるべくラトへ飛び掛かる。鋭い鉤爪が剥き出た前足を神速で叩き付ける。
 ぎゃいんっ! と鋭い金属音と共に、ラトの身体が軽々と後方へ弾き飛ばされた。空中で体勢を立て直し、数メトル離れた地面を半ば滑るようにして着地。だがその表情には、僅かに笑みが浮かんでいた。
 それもそのはず、攻撃を受けたのは大剣の腹。彼自身は大した痛手を負ってはいない。
 武器をぴたりと体の正中線に構える。怪物に恨めしげな視線を向け、独りごちた。
「にゃろ、やっぱ遅いのはダメかぁ……。――片手剣」
 ラトの言葉に応じて再び武器が光に包まれる。数瞬後には、彼の身長ほどもあった巨剣がその半分程度の長さのショートソードに変化していた。
 《オールブレイド》――使用者の意思によって、あらゆる刃物に姿を変える魔法武器である。
「次は当てる!」
 宣言して、地を蹴った。とても人間とは思えない速度で、一瞬にして距離を詰める。
「らあああ!」
 苛烈な気勢と共に剣を斬り上げる。ようやく斬撃がヒットし僅かに血潮が飛び散った。しかし分厚いタテガミに阻まれ、胸元に浅く切り込みを入れた程度に収まってしまう。
 だが、まだ終わらない。間髪容れずに斬り返し、続く二撃、三撃を叩き込む。同箇所への連続攻撃によって傷もより一層深くなる。斬り付ける度、敵が苦しげに洩らす唸り声が、有効なダメージを与えている事を物語っていた。
 が、トドメに放った突き攻撃が空を切った。
 ぶわっ! と突風が吹き抜け、敵の巨体が宙に浮いた。恐らく懐に潜り込まれては不利だと判断し空に退避したのだろう。
 上空からグオオオオ! という野太い怒号を響かせた。
 対するラトも負けじと叫び返す。
「ずりぃぞ、空飛ぶのは! 降りてきて正々堂々戦えコラー!」
 その言葉を理解したのかどうかは分からないが、怪物は勝ち誇ったように再度咆哮する。と同時に、尻尾の大蛇がぬっと頭を地上に向ける。喉元が大きく膨張。次の瞬間、両顎をほとんど平行にかっ開いたかと思うと、喉の奥から紫の煙を放出した。
 だが何故かラトは逃れようとしない。そしてリーシャ達が固唾を呑んで見守る中、彼は信じられない行動をとった。
 なんと、あろうことか突然その場に屈み込んだのだ。
 毒の霧が容赦なく降り注ぐ。
 ――直撃。
 ラトの姿が瞬く間に霧に覆われる。彼のシルエットすらも確認出来ないほどの濃霧。それがどれほどの猛毒であるかは、霧に触れて変色した周囲の草木がこれ以上ないほど瞭然と示している。
 モヒカン男も、ミィナも、一瞬の出来事にはっと息を呑む。けれどリーシャだけは、微笑を崩さぬままその様子を一瞥しただけだった。
 なぜなら、ラト・ドラゴノートという少年が、あの程度でやられはしないことを知っているから。
 だから、耳を澄ませば、ほら――。
 ちゃんと聞こえてくる。今にも爆発せんと身体を縮める、彼の猛る呟きが。
「――俺に、毒はぁぁぁぁ…………」
 ぼひゅっ! と厚い煙の中から、矢ように飛び出す影があった。
「効かああああ――――ん!!」
 もはや生物の域を超えているとすら思えるほどの大ジャンプ。その高度は五メトルを超えて更に上昇する。ショートソードを大上段に構え、声を張り上げた。
「太刀ッ!」
 武器が輝き、美麗な刃を浅く湾曲させてぬぅっと一気に伸びる。その刀身の長さたるや、先ほどの大剣などまるで比較にならない。二メトルを軽く凌ぐ美しき長刀が彼の手に握られていた。
「と、ど――…………けっ!」
 太刀を振り抜くと同時、ラトの身体が刹那の間、空中で停止する。
 その切っ先は、大蛇の首元に深々と食い込んでいた。
 すぱっ! と白い剣閃が宙に円弧を描く。怪物の尻尾の先端――蛇の首が切断され、真紅の鮮血が宙に迸る。獅子が苦痛の雄叫びを上げた。
「ハッハー! ざまみろ!」
 溢れんばかりの笑みを浮かべるラト。
 しかし幾ら彼でも翼が無ければ重力に逆らう事は出来ない。Vサインを天に突き付けたまま、地面へ落ちていった。
「――短剣」
 その呟きによって半メトル足らずのダガーに戻ってしまったオールブレイドを、腰の鞘に収める。降下しつつ宙返りで体勢を立て直したラトは軽やかに着地。直後、ぼとっと大蛇の頭部が背後に落下した。
 天を仰ぐと、口に両手を当てて得意げに声を張り上げた。
「どうだ、いてぇだろ! さっき俺を吹っ飛ばしたお返しだコノヤロー!」
 怪物は小さく呻り声を零しながらフラフラと空を旋回している。
 それはまるで、小指をぶつけた人間が痛みを堪える為にその場でぴょんぴょん飛び跳ねている様子に似ていると、その時ラトは思った。
 と、暫く頭上の空を旋回していた怪物だったが、不意にくるりと方向転換をする。ラトに背を向け、逃げ去るかのように北西の空へ消えて行った。
 飛び去っていく背中に叫ぶ。
「次会ったら覚悟しとけよー!」
 森の木に隠れてその姿が完全に見えなくなった頃、突然ラトが舌を見せたかと思うと、不味いものでも食べたように思いっ切り顔を顰(しか)めた。
「…………うべぇ! なんか舌がビリビリしてきたぞ、何だこれ! そういや目も沁みるしよ!」
 涙ぐんだ目をごしごし擦りながら、ぺっぺっと道端に唾を吐きまくるラト。そんな彼の背後で盛大に溜め息を吐いた者がいた。
「当たり前でしょー。触れただけで植物が枯れちゃうような猛毒食らってんだから。いくらラトでもそのぐらいなるわよ。……あーあ、そういう間抜けなトコが無ければすごいカッコイイのに……」
「おうリーシャ、もう服は着たみてぇだな。で、そっちはどうなった?」
「そんなすぐに状況が変わる訳無いでしょ、ゲイルロッドだって取られちゃってるんだから。……見ての通りよ」
 びっと親指で背後を示す。ラトがそちらへ目をやると、まだモヒカン男がミィナを人質に取ったまま立ち尽くしていた。
 ラトに見られている事に気付くと、気を引き締めるようにミィナを拘束する腕の力を強めた。
「ち、近付くんじゃねェ! このバケモノめ、そこから一歩でも動いてみろ! このガキを殺してやる!」
 喚き散らす彼の瞳は小刻みに揺れ、かなり怯えているのが見てとれる。リーシャを脅していたときのような余裕は、もう見られない。
 ラトは口をへの字に曲げて、かったるそうに後頭部をがしがしと掻き毟る。それから何を思ったか、不意に屈み込むと、足下に落ちていた木の実ほどの小石を拾い上げた。
「あー……その、なんだ、その子を放してくれよ。そうすりゃ俺達は何もしない。お前を殺したり捕まえたりなんかしないし、追いかけたりもしない」
「……てめぇ、この状況が分かってねぇのか? 命令出来る立場にあるのは俺だぞ!」
 モヒカン男が更に声を荒げる。しかしラトは少し困ったような表情を浮かべて、う~むと呻くだけだ。
「まぁ、一応警告はしたからな。もう文句は言うなよ」
「はぁ? てめ、何言って――」
 刹那、眼にも留まらぬ速さでラトの右腕が振られた。
 弾丸の如き速度で飛翔した小石が、モヒカン男の眉間にびしっ! と命中。彼は悲鳴を上げる間も無く白目を剥いて仰向けに倒れ、結局それきり動くことはなかった。
 まさかの呆気無い幕切れに、リーシャはえー……と幻滅の吐息を洩らし、人質に取られていたミィナに至っては、何が起きたか分からないようで、ラトとモヒカン男を交互に見比べてオロオロと困惑している。
 ラトは、ぱんぱんっと手をはたいた後、腰に手を当ててふぅっと満足げに息を吐く。それからニカッと真っ白な歯を見せると、高らかに笑い飛ばした。
「にっしししし、これで一件落着だな!」

#02 初めての町と自暴自棄

 怪物と盗賊の一味を撃退した後、ラト、リーシャ、ミィナの三人は気を取り直して港町カルビナへ向かい街道を進んでいた。
 リーシャが遠い目で正面の空をぼんやり眺めながら、ぽつりと口にした。
「あいつ、結局何だったんだろ。あんな生き物、私見たことないわよ」
「俺もねぇ」
 戦っていた本人ですら知らなかったらしい。となればもうお手上げである。町に着いたら適当に調べてみるかなー、とそんなことを考えていたのだが、そこで予想外の人間が名乗り出た。
「あの……私、知ってます」
 振り向くと、二歩ほど後ろを歩いていたミィナが、胸の前で控えめに手を立てていた。
「あれはたぶん……“キメラ”だと思います」
 聞き慣れない名前に、二人して小首を捻ってしまう。するとミィナが補足の説明を加える。
「昔、よく祖母に読んでもらってたお伽話に出てきた怪物です。魔獣キメラ――獅子の頭を持ち、山羊の身体と蛇の尾を持つ魔物……。でも、本当に存在したなんて……」
 未だ信じ難いとでも言うように小さく頭(かぶり)を振った。
 ラトはその話をあまり興味なさげに聞いていたが、そのうち何かを思い出したらしく、あっと声を上げた。
「そういやあの野郎、俺と鉢合わせた時、ドラゴンの死骸食ってたんだよなー。お前らの後ろ歩いてたときにさ、なんかドラゴン臭ぇなぁと思って匂いを辿ってったらよ、いた」
「いた、ってあんたね……。そーゆーの先に言いなさいよ。じゃあ私たちが追ってたのって、そのキメラ? ってので間違いないじゃない。そいつがドラゴンを殺し回ってた犯人じゃないの」
 リーシャが指摘をすると、ラトは何を思ったのか急に黙りこくってしまう。誰も発言をしない数秒が流れ、不思議に思ったリーシャが声を掛けようとしたとき、彼の顔がゆっくりと彼女へ向く。
 度肝を抜かれたような表情をしていた。
「今気付いたのね……」
「おい、マジかよ! 逃がしちまったじゃねぇか! くっそ、こうなりゃ急いで追いかけようぜ!」
 突然踵を返して、走り出そうとするラトの首根っこをがしっと引っ掴む。
「バカ、今からじゃ間に合う訳ないでしょー。それにどこ行っちゃったかも分かんないし、手遅れよ」
「んだよ、ちくしょー!」
 ラトは心底悔しそうに悪態を吐き、一方のリーシャは呆れた溜め息を吐いた。
 有り得ないほど強いラトだが、やはりどこか抜けている部分がある。まぁ、そういう所があるからこそ、彼を一人の人として見れるのだろうけれど。ラトが何もかも完璧な超人であったなら、きっとリーシャはここまで一緒に旅を続けることは出来なかったに違いない。根拠はないが、何となくそんな気がするのだ。
 呆れながらもそんな事を考えていると、とててっと小走りでミィナがリーシャの隣に並んだ。
「それにしても、お二人ともすっごく強かったんですね! リーシャさんが森民(エルフ)と人間のハーフだったなんて驚きました! あんな間近で魔法を見たのも初めてで、私もう興奮しちゃって! それにラトさんのあのすっごいパワー! あれも魔法の力のお陰なんですか!?」
 目を輝かせて、それまで抑えていたものを吐き出すかのように一息で捲し立てた。
 エルフの里で生まれ育ったリーシャは、物心付いた頃から魔法と馴れ親しんできたので魔法などもはや珍しくも何ともないのだが、やはり人間――特にリーシャのような少女にとって、魔法とは稀有なものらしい。
 まぁそれは置いておいて、一つだけミィナの解釈に間違いがあったのでそこは訂正しておかねばなるまい。
「うーん、ラトのあれは魔法じゃなくて素なのよね……」
「ええ!? ――ってことは、やっぱり……」
「うん、本人も自分が何者なのか分かってないんだけど、少なくとも“人間”でも“森民(エルフ)”でもないのは確かよ。森民(エルフ)にもあんな身体能力は無いし。……でもラトってば、こう見えてもドラゴンと会話できちゃうのよね……」
 魔法とはまた別種の、竜と意思の疎通が可能という能力(ちから)を持つ、湖の王国レイクスティアに生きる最後の種族――。
「もしかして……“竜人族”、なんですか……?」
「消去法でね」
 ――尖がった特徴的な耳と美しい金髪を持つ森民(エルフ)に対し、竜人族はこめかみの辺りに小さな角が生えているのが大きな特徴だ。だがしかし、ミィナが反射的に視線を走らせたラトの頭部にそれらしき突起物は見当たらない。
 その様子を見たリーシャは、クスっと可笑しそうに笑んでから言葉を継いだ。
「でもラトの場合、角は無いし、竜人族なら小さい子でも出来るはずの“変身”も出来ないし、色々と謎なのよ。……もしかしてあんた、竜人族の落ちこぼれなんじゃないの~?」
 と小馬鹿にしたような頬笑みを浮かべて、右を歩くラトの脇腹を軽く小突く。しかし当のラトは、まるで他人事のような顔をして「どうだろなー」と興味無さげに呟いただけだった。
 そのリアクションの薄さに少々詰まらなく思いつつ、ふとミィナに目を戻す。ほわぁー……とキラキラと瞳を輝かせて、二人をじっと見つめていた。
「森民(エルフ)のハーフと、竜人族……」
 そんな慣れない憧れの眼差しに、リーシャははにかみつつも居心地が悪そうに身を捩る。不意に顎に手をやり考え込むような仕草を取ると、その視線から逃れるように話題を切り替えた。
「そ、それはそうと、既にドラゴンが殺られてたってのいうのは本当なのラト?」
「おう」
「はー……道理でおかしいと思った。だって普通に考えたら、ドラゴンが居るはずの森を盗賊が拠点にしてるなんて有り得ないじゃない。少人数ならともかく、あれだけの人数が縄張りに侵入したらドラゴンは黙ってないだろうし。……ただそうなると、あのキメラがドラゴンを倒したあと何をしていたのか、っていうのが引っ掛かるのよね。近くの町や村で目撃例はなかったんでしょ?」
 目でミィナに問い掛けると、彼女はこくっと首肯する。
「だとすると、やっぱり辻褄が合わないわね……」
 考えれば考えるほど謎は深まるばかり。歩きながら思索に耽り、どうやら険しい顔つきで地面を凝視していたらしい。はっと我に返ったとき、ミィナが心配そうな視線を投げかけていた。
 んっんー! とわざとらしく咳払いを入れて顔を上げた。
「ま、今考えても仕方がないし、取り敢えず大きな町へ行けば何か分かるわよね! さーて、そうと決まれば急ぐわよ、二人とも!」


                                 **************


 レイクスティアは国土面積の五割が巨大な湖。それが湖の王国と称される所以であるが、それゆえ船による移動が一般化したためカルビナのような港町は特に栄えていた。
 だから、日が完全に沈むより少し前――空が仄暗くなり始めた時分にカルビナへ到着した三人は、その人の多さと活気に唖然とすることになる。
 町門を潜るとまず、煌びやかな鉱物灯(こうぶつとう)や魔法灯(まほうとう)が視界を照らした。道の両脇に一定間隔で立ち並ぶそれは、貧乏な町や村では決してお目にかかることのできないものだ。その点では、白っぽい石造りやレンガ造りの建築物も同様のことで、茅葺き屋根の木造など比較にもならない。真っ直ぐに湖へと続くメインストリートには、信じられないほど数多の人々が往来していた。
 その光景を目にしたミィナがわぁ……と感嘆の吐息を零す。
「この国には、こんなにたくさんの人がいたんですね……」
「そりゃあ、まぁ、ね」
 などと、思わず知った風な返事をしたリーシャだったが、実のところ彼女もこれ程沢山の人間を見たことがなかった。きっとそれはもう一人の旅仲間も同様なはずなのだが――。
「おーい、お前ら何してんだー? 俺腹減ったから早く飯屋行きてぇんだけどよー」
 既に十歩ほど進んだ場所で、ラトが半身で振り返って二人を急かしている。
 感動するでもなく、相変わらず自分の欲求に忠実な態度には、額に手を当てて呆れる外ない。ミィナもあはは……と少し困ったように苦笑していた。
 ともあれ食事をしようという案に異論は無い。
 しかしミィナの場合は急ぎの用事があってカルビナに赴いたはずで、もしかするとここで別れを告げねばならない可能性がある。
「ミィナちゃんは~~……どうする?」
 その短い問いかけで、リーシャの確認せんとするところをうまく汲み取ってくれたらしい。
「私は――……いえ、大丈夫です。宜しければ私もご一緒させてもらっていいですか?」
 ミィナは少し考えるような仕草を取った後、穏やかな微笑みを浮かべた。
「もちろん!」
 と、なるべく明朗に頷いたつもりだったが、しかし内心では返答に生まれた僅かな間に首を傾げた。ミィナの手を引いてラトに追い付いたリーシャは、通りの露店を眺めながら歩くラトの顔をひょいっと覗く。
「それで? ラトは何食べたいの?」
「食えりゃ何でもいい」
 考える素振りも見せず、即答。言い出しっぺのくせに、もしかして訊いた自分が悪いのか? と思ってしまう程の投げやりっぷりだった。
「……ならその辺の道草でも食べてれば?」
「何言ってんだリーシャ、この町は全部石畳だから草なんか生えてねぇぞ?」
「こんの……っ」
 ラトに一本取られるだなんて、こんなに屈辱的な事が他にあるだろうか。加えてラト本人にそんなつもりが無い事が、輪を掛けてリーシャを腹立たせた。思わず握り締めた拳をプルプルと震わせるリーシャを、ミィナが慌てて宥(なだ)めに入る。
「ま、まぁまぁ、落ち着いて下さいリーシャさん……。えっと、もしお二人とも希望が無いのでしたら、せっかく港町に来たんですし、川魚(かわうお)料理なんかどうでしょう? 巨大湖ミューレ海から離れた土地では食べられないような大きな魚も、きっと食べられると思いますよ!」
 ミィナが狙ってその発言をしたのかどうかは不明だが、つい今しがた「何でも良い」とか言っていたラトが、“大きな魚”というワードに耳聡く反応する。希望に目を光らせじゅるっと舌舐めずりをした。
「でっかい魚……、丸ごと食えたりすんのかな」
「あんたってホント腹立つわね……」
 ともあれ目的は決まった。あとはそういった店を探すだけだが……。と思って周囲の街並みにさらっと視線を走らせるが、それらしき料理屋は見当たらない。
 すると何を思ったのか、ラトが急に歩行速度を速めた。
「あ、ちょっ! 待ちなさいよラト! あんたお店がどこにあるのか分かってるの!?」
「あっちから魚を焼いてる匂いがする」
 一言だけ口にしてスタスタと歩き続ける彼の後ろを、女子二人は半信半疑ながらも必死で付いて行く。町に入ってから2つ目の大きな十字路を左へ曲がり、少し進んで今度は右脇の建物の間の小道へ入る。しばらく続く似たような景色を通り抜けて、ようやくまた開けた場所へ出た。
「お、あったぞ」
 どでーんっと、周囲の建物とは一風変わった二階建ての木造建築が、通りを挟んだ向かいに構えていた。
 《川魚料理 くすを屋》と銘打たれた看板をでかでかと店先に掲げている。
 驚きや感心の言葉よりもまず最初に込み上げてきたのは、呆れ交じりの苦笑だった。
「本当、今更だけどあんたの鼻ってどうなってるのよ……」
「ラトさんすごいですー!」
 ミィナは胸の前で手を合わせて称賛の声を上げ、ラトが得意げに胸を張って笑い飛ばした。
「にっしっしっしっし! まあなー。そんじゃ入ろうぜ」
 建物と同様木製の大きな両開きの扉を開くと、ぴしっと綺麗な制服を着た店員が出迎えた。店内もしっかりと掃除されており、床はピカピカに磨かれて照明の光を見事に反射している。
 一方の三人は、道中、一晩野宿をしたので丸一日お風呂に入っていない。せめて先に宿に荷物を置いてシャワーを浴びてから来れば良かった、と今更ながら赤面してしまう。
「何名様ですか?」
「三人」
 しかしラトにとってそんな事はどうでも良い事なのだろう。臆することなく人数を伝えて、店員に示された席にどかっと腰を下ろした。
「それでは御注文の品がお決まりになりましたら、お呼びください」
 一言添えてメニューをテーブルの上に置く。一礼して立ち去ろうとする店員をラトが呼び止めた。
「なぁ、一番でっかいの頼む」
「ええと……でっかいの、と申されますと、量が多いものをという事でございますか? それでしたら、メニューの一番後ろに載っております“くすを屋スペシャルセット”などいかがでしょう?」
「おう、じゃあそれの大盛りで!」
「かしこまりました、“くすを屋スペシャルセット”の大盛りをお一つ、ですね。……お連れのお二人はどう致しますか?」
 ずっと歩き通しだったため、久しぶりに座って一息吐いていたところへ急に振られ、いくらか挙動不審になってしまう。
「え!? あ、ああ……。あー、えーっと、私はもう少し考えてから決めるので大丈夫です」
「あ、あの、私も後で注文します……」
 リーシャとミィナが答えると、店員は「かしこまりました」と頭を下げた後、スマイルを残して厨房へと消えて行った。
 それを見送ったリーシャは、はぁ……と溜め息を吐いてぐでーんとテーブルに突っ伏す。
「なーんか勢いで入っちゃったけど、ここ相当場違いな感じじゃない? 普通にその辺の酒場にしとけば良かったかも……」
「ですね……、お料理もかなり高いですし……」
 げんなりした表情でメニューを眺めていたミィナが、そのページを開いたままリーシャに差し出してきた。示された場所を見ると、確かに20,000GILLの表示がある。五日分の食費は賄える金額だ。
「うわ、本当。ちょっと何これ、高すぎでしょ。量も半端じゃないし……。えーっと、なになに……“くすを屋スペシャルセット”だって。こんな金額払える訳ないじゃない、ねぇ?」
 そのアホほど高価な品名を読み上げてから、あれ? とどこかで聞いたような名前である事に気付く。首を捻りながら正面に座るミィナを見ると、顔面蒼白でリーシャを凝視していた。その視線がゆっくりとスライドし、リーシャの隣に座るラトへ向けられる。
 それで気付いた。
「あ……」
 そう、さっきラトが注文していたやつが、まさにそれだった。しかし焦る事はない、さっき頼んだばかりなので今ならまだ注文キャンセルが効くだろう。危ない危ない……と、逸早く気付けたことに安堵しつつ店員を呼ぼうとした。
 その矢先――。
「お、来た来た」
 ラトの言葉に、ばっ! とすごい勢いで振り返った。
 確かに、先ほどの店員が豪勢な料理を乗せたカートを押して来るのが見える。
 ……いやいや、きっと別の客が頼んだやつでしょ。なんて、半ば自分に言い聞かせるように心中で呟いて、椅子に座り直す。
 カラカラとカートを押す音が、彼女らのテーブルの前で止まった。
「お待たせ致しました、“くすを屋スペシャルセット”でございます」
「うっひょー! んまそー!!」
 場も弁えず歓声を上げるラト。隣で硬直していたリーシャが、ギギギッと軋みを上げそうな感じで店員を見上げた。
「あの……いくら何でも早過ぎないですか……」
 すると店員はニッコリと営業スマイルを浮かべて誇らしげに説明を始める。
「ええ、何分こちらのメニューは調理にも時間がかかりますゆえ、当店では予め調理し保存しておいたものをお客様に提供しております。品質につきましても《時間保存器(タイムシール)》という魔法道具(マジックツール)によって調理完了直後の状態をそのまま保っておりますので、ご安心ください。それでは、当店自慢の一品をお楽しみくださいませ」
 そんな長めの前置きのあと、カートに乗せられてきた皿たちが続々とテーブルに置かれていった。きらきらと光沢を帯びる刺身や、香ばしい匂いを発しながらぷちゅぷちゅと脂が染み出る焼き魚――それら料理の数々を見れば、店員の言っていることが嘘でないことは一目瞭然だ。
 止める間も無く、ラトがそれらを目にも留まらぬ速さで口に運び始める。
 店員は相変わらず朗らかなスマイルを崩さぬまま礼をすると、カートを押して厨房へ戻っていった。
 ムシャムシャガツガツズルズルと一心不乱に貪るラトが、ぱっと顔を上げる。ごっくんと口の中のものを嚥下(えんげ)してから、目の前に一枚の皿を持ち上げた。
「うんめぇ! おいリーシャ、これ超うめぇぞ! お前が作ったやつより断然うめぇ。リーシャが作るといつも焦げっちくなるからな!」
「……ねぇ、今度からあんたの分、作らなくて良い?」
 感謝どころか、プロと比べた挙句にまさかのダメ出し。思わず眉根を寄せてラトを睨みつけるも、しかしそれ以上怒る気にはとてもなれなかった。
 バッグに入れてあったお財布の中身を確認したところ、余裕でお金が足りない事に気が付いたのだ。それが分かった途端、ダラダラと背中から嫌な汗が噴き出してきた。
「――全然足りないし……」
 すっかり青ざめた表情で絶望感を露わに呟いた。お金の管理は全てリーシャが担当しているので、ラトは一銭もお金を持っていない。今リーシャが所持している分で全てなのだ。
 そんな、もはや笑いが込み上げてくる程の危機的状況に、普段の彼女からは考えられない結論に辿り着く。
「……どうせ足りないなら、別にいくらでも同じよね。あ、ミィナちゃんも好きなの頼んじゃって良いわよ」
 それまで心配そうにリーシャを見つめていた彼女が、えっ!? と困惑交じりに声を上げる。
「でもさっき、お金が足りないって……」
「あーうん、それなら大丈夫だから。さーて私は何を頼もうかしら」
 ふんふん♪と鼻唄を歌いながらメニューに視線を走らせるリーシャの目元に、煌めく一粒の雫をミィナは見た気がした。

 流石に全ての料理に魔法道具を用いているわけではないようで、リーシャとミィナが注文を終えて、少し経ってから料理が運ばれてきた。それまでリーシャは心ここに在らずといった状態だったが、料理を一口食べるとあっと言う間に破顔した。
 やはり高価なだけあって味は良く、悲しいかなラトの言った通りだとリーシャは納得してしまった。暫く会話するのも忘れて、食べ物を口に運ぶ作業に没頭した。
 パンを頬張っていたラトが、唐突によく分からんことを口走る。
「あひふぁはほーふんは?」
「明日? うーん、取り敢えず町の集会場に行って、手ごろなクエストを見つけるしかないんじゃない?」
「リーシャさん、今のでよく分かりましたね……」
 言いつつリーシャとラトを交互に見るミィナの視線に籠っているのは、感心半分呆れ半分だ。確かに我ながら、ラトにも随分慣れてきたもんだと実感してしまう。
「まぁこれだけ一緒にいればね。……ミィナちゃんは明日どうするの? ここに来る途中、出稼ぎに来たって言ってたけど、良かったらミィナちゃんも集会場行ってみる? 私たちは町外でのクエストを主にやると思うけど、多分普通の求人募集もしてると思うし」
 尋ねたものの、今までのミィナの態度からして本当のことは言わないだろうと予想していて、案の定、ミィナの瞳が微かに揺らいだ。
「……集会場って、色んな人が集まってるんでしょうか?」
「うん、私たちみたいに仕事を求めてる人は勿論だけど、逆にクエスト依頼が目的の人もいると思うわよ」
 予期せぬ反問を少しばかり意外に思いながら首肯して答えた。スープを啜りながらミィナの反応を窺っていると、ミィナは考え込むように目を伏せて、そのまま小さく口を動かした。
「――お金持ちも?」
「え? あーうん、多分いるんじゃない?」
 何故そんなことを聞くのか、不思議に思ったリーシャだったが、敢えてそれに触れることはしなかった。
「そう……ですか……」
 呟いたミィナは依然目は伏せていたが、しかし何やら意を決したような眼差しを、テーブルの一点に向けていた。
 それきり会話が続かない。
 けれど傾きかけた空気を破ったのは、意外にも、横から聞こえたゲフッという下品な音だった。

#03 小金持ちと目論み

「いやぁ~~、食った食ったぁ! すっげぇ美味かったな!」
 とっぷりと日が暮れた夜の街を歩きながら、ラトがぱんぱんに膨れた腹を叩いて屈託なく笑った。その隣ではリーシャが、ラトの気分とは反比例してガックリと肩を落としている。
「お金が無い……。今日の宿代が……」
「んなもん、別に野宿で良いじゃねぇか」
「あんたねぇ……誰の所為でこうなったと思ってるのよ。私なんか、エルフの里から旅立つときに友達から貰った首飾りを、代わりに引き渡すことになっちゃったんだからね」
「リーシャだって美味そうに食ってたじゃんか。なぁ、ミィナも美味かったよな?」
 と突然話を振られたミィナが、どう答えたものかと若干狼狽える。
「えっと……リーシャさん、そんな大事なものだったとは知らずにごめんなさい……。でも、その……とっても美味しかったですっ。今まであんなに美味しいもの、食べたことありませんでした!」
 心底申し訳なさそうに謝られた上に、そんなにキラキラした目で感謝されてしまっては責めるわけにもいくまい。それにむしろ、どんどん頼んで良いと言ったのはリーシャ自身なので、ミィナが謝るというのも変な話だ。
「ううん、ミィナちゃんは悪くないから大丈夫。……でも、やっぱり宿に泊まれないっていうのは痛いなー」
 無気力に呟いて夜空を仰ぐ。そんな、ほぼ十割方諦めていたリーシャの横で、不意にラトがごそごそと自分の荷物を探り始めた。探るほど多くの物をラトが所持してただろうかと、リーシャは訝しげに彼を見やる。
「ラト、あんた何やってんの?」
「あーいや、そういや折角こいつら取ってきたけど、どうしようかと思ってよ」
 言って無造作にそれを取り出すと、ずいっとリーシャに差し出した。暗くて見え辛いが、ラトの手の上には、掌より少し小さい程度の木葉が何枚か。リーシャは思わずラトを殴りそうになって、ぐっと堪えた。
「こっちがお金の心配してるときに、よくもまぁ呑気に葉っぱの心配なんかしてられるわね」
 するとラトが不思議そうに眉を顰め、ずいっとリーシャの顔の前へさらに突き出した。
「何言ってんだ、よく見ろってーの」
「はぁ?」
 言われるがまま葉っぱの表面を注視すると、心なしか光沢があり、近くの鉱物灯の光を鈍く反射している。見間違いかと思ったリーシャは確認しようと手に取り、その見た目に違(たが)う重さに目を丸くした。
「これって……鱗?」
「おう、森でキメラの尻尾ぶった切っただろ? あんとき落っこちてきた尻尾から何枚か剥ぎ取っといた。あれ、尻尾じゃなくて頭か。ん? やっぱ尻尾?」
「どっちでも良いし。っていうか、こんなの持ってたんだったらさっさと言いなさいよ! 私の首飾り、無駄に売っちゃったじゃない」
「まぁ良いじゃねぇか、今度新しいの買えば」
「そういう問題じゃないでしょ……」
 まぁこれ以上言っても無駄なのは分かり切っていることだ。リーシャはラトへの糾弾を諦め、鱗をより一層顔に近づけて更に詳しく観察する。
 しかし喜ぶリーシャとは裏腹に、ミィナはどちらかというと不安げな表情で彼女を見上げていた。
「でもそれ……お金になるんでしょうか? キメラの鱗って言っても誰も信じてくれなさそうですけど」
 確かにミィナの言う通り、そもそもその存在すら疑われているキメラの一部などと信用する人間はほとんどいないだろう。だがリーシャはこれに似た素材を以前、見たことがある。
 うふふ……と不敵な微笑みを浮かべて、耳打ちをするように口元に手を当ててこそっと囁いた。
「これ、“ドラゴンの鱗”だって売れば大体100,000GILLぐらいにはなるんじゃない? ドラゴンの鱗なんて見たことある人の方が少ないだろうし、きっとバレないわよ」
「……リーシャさん、それって詐欺なんじゃ……」
「細かいことは良いの、これだけ大きければ蛇の鱗も竜の鱗も大差ないでしょ。取り敢えず、商人ギルド目指しながら宿も探すわよー」

 よほど田舎の村や集落でもない限り、各町には大抵、商人ギルドと呼ばれる商業連合組織が存在する。そこでは商品の卸売り、また物品の鑑定・買取や物々交換取引の仲介なども行っているのだ。
 故に、施設の規模は町の大きさに比例する。時計塔に次ぐ高さを誇るその巨大な建造物は、カルビナのどこからでも拝むことが出来た。
 どーんと聳える、富豪の屋敷のようなギルドの前まで来ると、ほえ~~とラトが感嘆の声を上げた。
「でっけぇなぁ~~。よし、そんじゃ行くぞ」
「……あんた、柑橘類といい勝負しそう」
「ふふ、本当にさっぱりしてますね」
 入口のどでかい両開き扉は開け放されており、まだ沢山の人間が出入りしている。その流れに任せて三人も中へ入っていった。
 矩形の大広間。そして壁際に沿ってコの字に広間を囲む数々のカウンター。予想以上の人口密度だった。
「物品買取は奥と右のカウンターみたいね」
 ちなみに、向かって左は物々交換取引のカウンターで、二階が卸売りのフロアである。が、卸売りの時間帯は早朝なので、現在は二階への立ち入りは禁止されているようだった。
 物品鑑定・買取のカウンターはそれぞれ種類ごとに分けられているらしい。カウンターごとに、窓口の上部に“動物素材”や“植物”、“鉱物素材”、“武具類”など掘り込まれた金属板が貼られている。
 三人が“動物素材”の列に並ぶと、それを見た近くのギルド嬢が突然声を張り上げた。
「本日の動物素材買取はこれにて終了とさせて頂きまーす! 他の窓口のご利用はまだ可能ですので引き続きご利用くださいませー!」
 マジかよー、と小さく悪態を吐きながらすぐ背後で引き返していく客を後目で見送って、リーシャはほっと安堵の吐息を零した。
「うわ、実は結構ギリギリだったんだ。これで間に合わなかったらホントに野宿する羽目になるところだったのね」

 しばらくの待ち時間は少々手持無沙汰だったものの、そんなこんなで彼女らの順番がやってきた。
「お待たせいたしましたー。それで、どういった物をお持ちでしょうか?」
「えっと……これなんですけど……」
 鞄から数枚のキメラの鱗を取り出してカウンターに並べて置いた。こうして明るい場所で改めて見ると、仄暗く緑がかっているのが分かる。係のギルド員はそれを手に取ると、顔の前に持ち上げてまじまじと見つめる。
「ふむ……これは鱗ですね? しかしこれ程大きな物となると、竜鱗でしょうか」
「です!」
 もちろん嘘だが、勝手に早合点してくれたのに便乗して、思いっ切り首を縦に振った。隣のミィナの目がちょっと痛いが今は気にしない。
 と内心舞い上がっている彼女の前で、ギルド員がおもむろに虫眼鏡を持ち出した。鱗を裏返したりして、細かく観察している。
 嘘がバレやしないかと、リーシャが固唾を吞んで見守る中、ギルド員はどこか納得のいかないような表情で首を捻った。
「申し訳ございません、私よりも詳しい人間を連れて参りますので少々お待ちください」
 一言断って、足早にカウンターの奥へと去っていった。
「……これ、バレそうかも」
「だから言ったじゃないですか……」
 げんなりした様子でミィナが呟く。確かに、さっきはお金に目が眩んでいたけれど普通に考えれば、鑑定を仕事にしている人間に見破れないはずがないのだ。
 ドラゴンの鱗じゃないって分かったら、きっと怒られるだろうなー。などと考えている内、奥から先ほどの若いギルド員とは別の、大柄な初老の男性が現れた。
「お待たせいたしましたお客様」
 カウンターの向こう側の椅子に腰かけると、虫眼鏡を手にして入念に観察を始める。ギルド員は時折「ふむ……」やら「むむう……」と呻り声を漏らしつつ、鱗を凝視し続ける。それを見ていてふと思ったことがあった。
(他のお客さんもこんなに長いのかな……)
 きっと、鑑定も含めてとなると案外時間がかかるものなのだろう。ドラゴンの鱗のような希少な素材ともなれば、それが偽物でないとも限らない。――実際、偽物なわけだが。
「なぁ、おっちゃん、まだなんか?」
 とラトが空気も読まずに催促するが、彼の耳には全く届いていないようだった。単に耳が悪いのか、気付かないほど集中しているのか……。
 リーシャはラトを軽く睨み付け、気を悪くしてはいまいかとギルド員の顔色を窺う。
 そのとき、急に彼の表情が強張った。
 双眸(そうぼう)をかっと皿のように見開き、それから、ばっ! とものすごい勢いで顔を上げた。
「お客様、一体どこでこれを!?」
「え!? ももも森で拾ったん……です、けど……」
 出し抜けな問いに、思い切りどもってしまう。何とも煮え切らない返事だった所為か、ギルド員は真剣な面持ちのまま静かに目を落とした。鱗をじっと凝視したまま微動だにしない。
「あの……どうかしました?」
 心地の悪い沈黙に耐え切れずリーシャが恐る恐る尋ねると、彼は虫眼鏡をそっと置いて、鱗の一枚を彼女に差し出した。
「これは竜鱗などではありません、お客様……」
 浮かない表情で囁かれた言葉に、どきっと心臓が跳ねた。咄嗟に言い訳が出てこなくて、何の意味も持たない言葉を吐き出す。
「あー……それはその~~」
「――《合魔獣の尾鱗(びりん)》。キメラと呼ばれる魔獣の尻尾から採れる鱗素材です」
 半ば重ねられるように言葉が継がれた。ミィナとリーシャの二人は思わずはっと息を呑み、それまで詰まらなそうにしていたラトすらも、興味深げに彼の話に耳を傾ける。
「……ですが、キメラは、遥か西方の地――どの国の領土にも属さない不毛な高原地帯にしか棲息していない魔獣です。お客様は先ほど“森で拾った”と仰いましたが、それは間違いありませんか?」
 流石はその専門の鑑定士といったところだろう。そこまでお見通しであるならば話は早い。リーシャはまず最初に、嘘を吐いてしまったことを詫びた。
「ごめんなさいっ! 本当は拾ったんじゃなくて、そのキメラから直接手に入れた物なの」
「というと、キメラと戦った……ということですか……?」
「おう! 勝ったぞ!」
 リーシャが答えるより先に、勝手にラトが宣言する。黙ってなさいの意思を込めて彼に眼を飛ばすと、何をどう勘違いしたのか誇らしげに胸を張る。もう突っ込むのも面倒になって、はぁ……と盛大に溜め息を吐く。ちゃんと説明するべくギルド員に向き直った。
「いえ、勝ったといっても、倒したわけじゃなくて撃退が精一杯で――」
「勝ったぞ!」
「……だそうです」
 撃退にしろ討伐にしろ、勝利した事実は変わらないのだから別に良いだろうと思うのだが、そこはラトなりに謎の拘りがあるらしい。
 ギルド員にとっても、そんなことがどうでも良いのはリーシャと同様らしく、ラトの主張を尽くシカトしていた。
「……何故キメラが……――いや、もしかしたら……しかし……――だとすると……うーむ……」
 顎に手を添え何やらブツブツと呟いている。すぐ手元を見ているのに、その目はどこか遠くを見つめているようである。完全にリーシャらの存在を忘れていた。
「あの~」
「ん? ……ああ、申し訳ない! わたくし、集中すると他人の声が耳に入らなくなってしまう性分でして。えー……それではこの“合魔獣の尾鱗”ですが、お売りして頂けるのでしたら、一枚につき200,000GILLで買い取らせていただきますけれども……どう致しますか?」
 そうさらっと告げられた鑑定結果であったが、信じられない金額が聞こえた気がして思わず聞き返してしまう。
「ええっと、もう一度お願いします」
「はい。わたくし、集中すると他人の声が耳に――」
「いや、あの、そこじゃなくて売却額の方を……」
 このギルド員も思ったより濃いキャラしてるなーと今更ながら感じる中、ギルド員は再度その金額をはっきりと口にした。
「ああ、すみません。一枚につき200,000GILLでございます」


                               ************


 受付で伝えられた号室の扉を開けると、ラトは荷物やら何やらをぽぽーいっと放り出して一目散にふっかふかのベッドへダイブした。
「うほほーっ! 気持ちいい~~」
 ミィナの村でも宿に泊まったが、寝床といっても恐ろしく簡素なものだったため、とてもじゃないが寝心地が良かったとは言えない。しかしこれなら久々にぐっすり眠れそうである。
 そんなベッドでごろごろしているラトを、ミィナが手前の通路付近に立ったまま心配そうに見ていた。
「あの……食事代どころか宿泊費までお世話になっちゃって、本当に良いんでしょうか……」
 すると後ろからリーシャが彼女の肩を優しく叩く。
「そういうのは気にしなくて良いのー。せっかく良い宿に泊まれるんだから、ほら、ミィナちゃんもリラックスリラックス! ……ラト、あんたはくつろぎ過ぎ! せめてシャワー浴びてからにしなさいよ……」
「お――」
 という適当な返事で、ラトがリーシャの忠告を流す。そんな二人の様子を見て、ミィナがふふっと微笑を零した。が、すぐにその表情を曇らせてしまう。
 リーシャが真ん中のベッドに腰を下ろして一息吐きつつ不思議そうに首を傾げる。
「ミィナちゃんどうしたの?」
「いえ……、ただ、お二人と一緒にいるとすっごく楽しいなーって。たった二日間お世話になっただけなのに、なんだか寂しくなってしまって……」
 確かにミィナの言う通り一緒に旅をしたのは僅か二日間だが、リーシャも不思議と彼女の言葉に納得していた。ベッドに寝転がって天井を見上げながら感慨深げに呟く。
「そっか、明日の朝にはミィナちゃんとお別れかぁ~……」
「そういえばお二人は、カルビナを発った後はノーザニス地方に行くんでしたよね?」
「うん、そうそう。でも私、まだ自然の雪っていうのを見たことないのよねー。魔法で生み出した雪なら故郷の里で見たことあるんだけど」
「私も見てみたいです、雪……」
 羨ましそうに呟いたミィナの表情はどこか物憂げだった。だからリーシャは彼女を元気付けようと、二ィッと無邪気に笑ってわざと冗談めかして言う。
「じゃあ、ミィナちゃんも一緒に来る?」
「い、いえっ、そういうつもりで言ったんじゃなくて――……その、すみません……」
 だがミィナは、とんでもないとでも言いたげに胸の前で両手をわちゃわちゃ振った後、やっぱり心苦しそうにまた俯いてしまう。完全に逆効果だ。
 ラトは既に鼾(いびき)を掻いているし、ミィナは黙ってしまうしで沈鬱な空気が垂れ込めそうになるのをどうにか防ごうと、リーシャはわざと大きめの声を出して立ち上がった。
「じゃあ、私はお風呂入ろっかな! ミィナちゃん、次で良い?」
「あ、はい。私は最後でも大丈夫です」
「いや……その寝てるのが最後で良いでしょ。ミィナちゃんが出てきたら起こせばいいわよ。じゃ、お先ー」
 着替えだけ持ってから、肩越しにひらひら手を振りバスルームへ。脱いだ服やら下着やらを取り敢えず籠の中に入れ、いざ浴室に入ると、驚いたことにさっきスイッチを入れたばかりであるにも拘らず、もう浴槽にお湯が張られていた。
「早っ! やっぱり高級宿だと設備が全然違うわねー。お風呂も魔法道具であっと言う間に沸いちゃうなんて」
 感心しつつバスチェアに腰かけるとソッコーで頭と体を洗って湯船に入った。ふぅ~~~~と深く息吹いて、鼻の下までしっかり浸かる。じんわりと体の芯から温まる心地に自然と表情が緩んだ。
 ぶくぶくと泡を作りながら、キメラの鱗を売却した折のギルド員との会話をもう一度思い出す。

『こんなにお金になるんだったら、尚の事追いかけなきゃダメねっ!』
 というリーシャの言葉を耳聡く聞き付けた彼が、唐突にこんなことを言い出したのだ。
『あの、お客様! もしキメラを追うに当たって何も手掛かりが無いのでしたら、ノーザニス地方のランゴード村へ行くと良い。きっと、役に立つ情報が得られるはずですよ』

 標高の高い山々が連なり、一年を通して常に雪に覆われた山岳地帯。その一部を含む、レイクスティア領最北地域全体を示す呼び名――それがノーザニス地方だ。竜人族の居住域でもあるため、そのランゴード村とやらが竜人族の里だろうことは想像に難くない。
 カルビナを発ってからの行く当ても特に無かったので丁度良い。
 ただ闇雲にキメラを探して放浪するより、遠くとも情報を得られるかもしれない場所へ一度赴いてみた方が、よっぽどマシである。
 と、そんな感じで色々頭を巡らせていた彼女だったが、突然、浴室の折り戸がガラッと開け放たれた。
「おい、リーシャ!」
 ひょこっと顔を覗かせたのはラト。
「ひあっ!?」
 ばっ! と咄嗟に隠すべきところは隠したものの、あまりに唐突な出来事に反応が遅れ、声も出せずに口をパクパクしてしまう。
「は……え……? ちょ……――」
「お前、こないだ買った俺の干し肉、どこにあるか知らねぇ? 腹減っちまってよー俺」
 取り乱してしまったこちらがおかしいのか、と思ってしまうほど当然の如き振る舞いに、思わず反射的に答えてしまう。
「それなら、私のバッグの一番外側に入ってるけど……――って、それ今聞かなきゃダメなこと!? 私今お風呂入ってるの分かるでしょ!」
「お? ああ、わりわり。おっけー、外側のポケットなー」
 と軽く謝って踵を返す。さらっと扉を閉めようとするラトを、今度はリーシャが呼び止めた。
「ち、ちょっと! あんた何かコメントは無いわけ!?」
 入浴を(堂々と)覗かれたことよる怒りや恥ずかしさよりも、プライドを傷つけられた事が何よりリーシャを憤らせた。
 自分が飛び切り美人だとは言わない。それでも故郷の里でだって、“その容姿は例外なく美形である”と人間から称えられているエルフ族の、同年代の女の子の中でも別段見劣りしている訳ではなかったし、普段からそれなりにスタイルには気を使っているつもりだ。
 それなのにラトは自分の裸を見ておいて、顔を赤らめるでもなく、まじまじと見つめるでもなく――。
 まさかのノーリアクション。
 それはまさに、“お前には魅力が無い”と明言されているようなものだった。
 呼び止められたラトは、んー? と天井の隅に目をやり顎に手を当てて思考を巡らせる。そして何かに思い当たったようで得意げに指を鳴らした。
「お前も食う?」
「違うわッ!」
 目にも留まらぬ速さで飛んだ風呂桶が、スコーンッ! と軽やかな音を響かせてラトの眉間に命中した。

                         *************

 時計塔が日付変更を告げる鐘を鳴らしてから数時間が経過した頃――空が白み始める少し前に、彼女は目を覚ました。目が覚めてしまったのではなく、起きるべくして起きたのである。
 身を起こして左を見ると、隣のベッドではリーシャがすぅすぅと寝息を立てており、さらにその向こうではラトが鼾を掻いて眠りこけている。
 音を立てないよう素早く身支度を整えると、荷物を持って立ち上がった。
 カルビナへの道中は一日分の着替えと少々の小物ぐらいしか入っていなかった荷物は、今はずっしりと重たい。そしてそれに負けないぐらい、気持ちもまた。
 抜き足差し足で二人のベッドの前を通り過ぎて、ゆっくり、丁寧に、慎重に部屋の扉を開ける。
「本当に……ごめんなさい……」
 きっとそれは、声にすらなっていなかっただろう。開けたときと同じように、細心の注意を払って扉を閉める。
 耳が痛くなるほどの静寂が、部屋に降りた。

#04 罪と罰

 夜が明けて、ミィナは結局持ち去ったお金をどうすることもできないまま、過ぎて行く時間をただ見送っていた。
 意を決して盗み出したものの、やはり二人に命を救われたことは事実であり、その恩を仇で返すことに良心が躊躇いを生んでいたのだ。
 だからわざと、遠回りになる道を選んで、ゆっくり歩いて……。石畳に目を落としてどれくらい歩いただろうか。ふと気が付くと、ミィナはとある一軒の酒場の前に立っていた。
 路地裏にある比較的大きな店。
 だがそれはただの表向きで、酒場として営業していた事など一度もない。外観に関しても、壁を植物が伝っていたり軒の所々が腐っていたりなど、通りがかりの人が見れば、廃屋と間違えられても不思議じゃない。
 遂に到着してしまった。ここには入ればもう後戻りは出来ない。いや、もう盗みを犯した時点で、後戻りなど出来ないのだ。
 だからミィナは、唾と一緒に色んな感情を飲み込んで、店の戸を力強く押した。
 ぎぃぃっと耳障りな軋みを上げて扉が開く。
 照明も無く、薄暗い店内。一歩足を踏み入れただけで、噎せ返るような埃臭さが鼻を突く。そんな中、カウンター席の真ん中に座る大柄な影があった。振り向いた彼が、ミィナを見て片眉を上げる。ドスの利いた低い声が尋ねた。
「あ? おう、何か用か」
「あの……デリックさんを、お願いします……」
 その言葉を聞いた男が徐に立ち上がる。腐りかけた床を軋ませながら歩み寄ると、ミィナを威圧的にじろりと見下ろした。そしてミィナを上から下まで吟味するように視線を走らせた後、つまらなさそうに鼻を鳴らした。
「ボスは今忙しい。後にしろ」
「急ぎの用事なんです……」
 食い下がるミィナに、男は面倒くさそうに小さく舌打ちをする。
「あのなぁ、ボスにはお前みたいなガキを相手にしてる暇なんかねぇんだよ。ほら、分かったらとっとと帰りやが――」
 男が言い終わらないうちに、ゾクッと冷たいものがミィナの背筋を這い上がった気がした。

「ねぇ君さぁ、その子が誰だか分かった上で追い払おうとしてんの?」

 そのセリフを発したのはミィナでも、眼前の男でもない。その声を聞くといつも、云いようの無い不快感が体を駆け巡る。爽やかで、気取った感じに、それなのに刃物のように鋭利で、冷たい声音。
 知らぬ間に彼の背後に忍び寄っていた、第三者のシルエットが浮かび上がった。
「君いらないから、死んで良いよ♪」
 大男の耳元で囁くように言う。同時に、トスッという鋭い何かが軟らかいものに突き刺さったような軽い音が、ミィナの耳に届いた。
 唐突に、大男が床に崩れ落ちた。
 そのままうつ伏せに倒れ、僅かに呻き声を漏らしながら幾度か苦しげに床を引っ掻く。それから、静かになった。
 それっきり、ピクリとも動かない。
「え、え……?」
 目の前で起きた出来事に、頭が付いて行かない。それでも何でか、身体が震えて瞳に涙が浮かぶ。滲んだ視界の中で、後に現れた人物――デリックがさも可笑しそうに肩を震わせ忍び笑った。
「そいつ、僕の部下のくせに分かってないよねー。ミィナちゃんを追い返そうとするとか、死んで当然でしょ。ほーら、これで心臓を一突きさっ」
 言って肩まである長い髪を掻き上げ、得意げに手の中のナイフをくるくる回して見せる。その刃はべっとりと血塗れて、生々しく輝いていた。足元の大男に目を落とすと、広い背中の真ん中より少し左上の辺りを中心に、まるで黒い穴のように血が滲んでいる。
 デリックがニッコリとした満面の笑みを崩さぬまま、冷ややかに言い放つ。
「うーん、死んでも邪魔だねコイツ」
 言うと、ごく当然の如く、部下の死体を店の隅に蹴り転がした。
 最早現実だと思いたくないほどの光景に、立ち竦むことしか出来ないミィナの顔を、デリックが嬉々として覗き込む。
「それで、わざわざ僕に何の用なのかな? もしかして、ようやく僕のものになる気になったかい天使ちゃん?」
 冗談めかして尋ね、まるで女性のように綺麗な手でミィナの首筋をぬらりと撫で付け、滑らかな栗色の髪を弄ぶ。
 ミィナは最大限の勇気で何とか恐怖を押し殺して、掠れた声を絞り出した。
「こ……これを、持ってきました……」
 震える声と共に、抱えていた布袋の口を開く。
 デリックはミィナから袋を受け取り中身を確認すると、ふ~んと顎に手をやり感心するように何度か頷いた。
「へぇ……一体何をしたのか知らないけど、本当に期限までにこれだけ集めて来るなんて流石の僕も驚きを隠せないなぁ」
 しかしミィナが欲しいのはそんな薄っぺらい褒め言葉などではない。
「これで……お姉ちゃんを返してくれるんです、よね……?」
「んー? ちょっと違うかな。僕は“返してあげられるかも”って言ったはずだけど」
 そんなことは今更大した差ではないだろうに。いずれにせよ、提示された150万GILLという金額をちゃんと用意したのだ。それがたとえ盗みを働いて手に入れたお金でも、約束は約束。
「……お姉ちゃんは、どこですか?」
 待ち切れずに問う。けれど対するデリックは、ニヤニヤと意味ありげな含み笑いをしているだけ。すると次の一言で、耳を疑うほどの衝撃的事実を宣った。

「いやー、もう少し早かったらねー。悪いけど、もう売れちゃったんだ」

 笑みを浮かべたまま告げられた言葉に、ミィナの表情が一瞬にして凍り付いた。
「え……」
 目を剥いて絶句するミィナの肩を、愉快そうに軽く叩く。
「丁度一週間くらい前かなっ。客の一人が君のお姉さんを随分気に入ったみたいでさ、値段も聞かずに買って行ったよ。僕もあくまで商売だからねぇ、代金を払えるかどうか保証出来ないミィナちゃんより、すぐにお金を支払えるそっちの客を優先するのは当たり前でしょ」
 耳元で何か喋っているのは分かるが、もはやどの言葉も今のミィナの耳には入っていない。あ……あ……と微かな吐息を漏らして頭を抱える。
「でもさ、君のお姉さんとしては本望なんじゃないのかな? 彼女には思ったより高い値が付いたから、あとで君には追加分の料金を渡しとかないとね」
「で、でもっ! 150万GILL用意したら返してくれるって――」
「だーかーらぁ、言ってないってば。僕は“150万GILLもあればお姉さんを買い戻せるんだけどね”って言ったの。他の客に先越されちゃったら当然ダメでしょ。ってわけで、はい、これは返すよー」
 変わらず不気味な笑顔のまま、金貨袋を差し出した。半ば放心状態でそれを受け取るミィナ。ここまで持ってきた時よりも更に、ずっしりと重みを増している気がした。
 ――間に合わなかった……。
 悔しさで頭の中が一杯になる。その思いに押し出されるように、滴が頬を伝った。そんな彼女を見てデリックは何を思い付いたのか、口角を吊り上げ二ィッと醜悪な笑みを浮かべた。
「だけど――」
 勿体ぶって一呼吸置く。
「ミィナちゃん次第では、どうにか出来るかも……ね」
「本当っ!?」
 わざとらしく言い添えられた呟きに、ミィナが敏感に反応する。デリックを見上げて期待の籠った眼差しを向けるが、しかしその希望も次の言葉で砕かれる事となる。
「うん。やっぱりさ、身内だから聞ける頼みってあるじゃん? ……だからもしも、ミィナちゃんが僕のものになるっていうなら、考えなくもないかな」
「それは……」
 またしても寒気が背筋を這い上がるのを感じた。
 たまにミィナには、デリックが冗談を言っているのか本気で言っているのか分からなくなる時がある。でも今は違う。彼の眼を見れば、その真意は明らかだ。
 確かにデリックは容姿こそ整っている。けれどその中身は、知れば吐き気すら込み上げてくるほど。
「ミィナちゃんが僕のものになってくれたら、絶対不自由はさせないよー? 女遊びもやめるしさ! それにこんな良い男、中々いないって」
 平気で他人を裏切り、気に入らない人間は平気で殺す。そんな彼を受け入れてしまったら、自分も同類になってしまう気がミィナはしていた。
 それにそもそも、この男はミィナのことを物としか見ていない。恐らくこの男が抱いているのは、愛などではない、ただの所有欲。単にミィナを自分の傍に置いておきたいだけなのだ。
 それでも、それだけで大切な家族が戻ってくると云うのなら、むしろ好条件なんじゃないか。
 と、不覚にもそんなことを思ってしまった。矢先――
「……んー、何か変なのがいるね。ミィナちゃんのお友達かな」
 言うが早いか、数歩後退すると同時に手にしていたナイフを頭上へ投じた。
 ナイフがヒュンッと空を裂いて、天井に深々と突き刺さる。それを発端にたちまち亀裂が広がったかと思うと、既に所々外光を通していた天井の一部がメキメキと音立てて崩落。
 木片と一緒に、もっと大きなもの――人間が落下してきた。
 その人物は空中で一回転して、丁度ミィナとデリックの間に軽快に着地。しかし如何せん足元は腐りかけの床板であり、その衝撃に耐え切れる筈もなく……。
「どぅわっ!?」
 という、明らかにデリックのものではない男性の悲鳴が響き、バリィッ! という音と共に目の前の人物が視界から消えた。一瞬の沈黙。しかしそれも、数秒と経たないうちに破られる。
 眼前に空いた大きな穴。そこから一人の少年がひょっこり顔を覗かせた。
「や~~~~びっくりしたっ!」
 驚愕の声を上げつつ穴から這い出てくると、服やズボンに付いた埃をぱんぱん叩き落とす。そんな彼は紛れもないミィナの顔見知りだった。
「え……ラトさん!?」
 仰天するミィナを、ラトはきょとんした顔で見つめ返す。彼が徐に口を開くが、しかし何事か発する前に新たな侵入者が入口から現れた。
「もー!! だから屋根の上から様子を見るなんて、止めときなさいって言ったのに!」
 艶のある亜麻色の長髪と、この場にラトがいることを鑑みれば、それが誰であるかは自然と思い当たる。
「リーシャさんも……どうしてここに!?」
 驚きを露わに尋ねると、リーシャは事もなげに答えた。
「ずっとミィナちゃんの跡をつけてたのよ、私たち」
「ええっ!?」
 驚愕に次ぐ驚愕。ずっと尾行されていたということは、お金を盗み出した時点で既に二人は気付いていたのだ。そうと分かると、今まで押し殺していた申し訳なさが改めて込み上げてくる。
「あ、あの――」
 と謝罪の言葉を口に仕掛けるミィナだったが、突然リーシャの眼差しが険しいものに変わったのを見て思わず口を噤(つぐ)む。その視線はミィナの背後へ向けられていた。釣られるように振り向き、そして息を呑む。
 こちらへ顔を向けるラトのこめかみの辺りに、デリックが何かを突き付けている。その、筒に取っ手が付いたような物の名は知らないが、武器であることはミィナもすぐに理解した。
「それ銃か……? 珍しいもん持ってんなぁお前」
 ラトが視線はただ正面の一点を見つめたまま、口だけを動かす。その言葉にデリックがニヒルな笑いを浮かべる。
「へぇ……これを知ってるんだ。まだレイクスティア国民の大半は銃を知らないと思ってたんだけど」
「まぁ俺たち、旅してるからな。たまに見る」
 きっとデリックは、ラトが怯える姿を想像していたのだろう。しかし予想に反して飄々とした態度を見せるラトに、デリックは苛立ちを覚えたようだった。
「……それよりさ、君たちはここに一体何をしに来たのかな? 屋根の上から盗み聞きしてたってことは、道に迷ってたわけじゃないよね?」
「おう、ミィナを助けにきた」
 その一言で、デリックの中で何かが切れたのをミィナは感じた。カチリと静かに撃鉄を起こす。

「君、ちょっとウザいから死んでいいよ」

 ラトの右手が閃いたのと、ガァンッ!! という銃声が響き渡ったのはほぼ同時だった。
 ――ように思えたのだが、実際は瞬きをする時間よりも圧倒的に僅かな差で、ラトの手が銃に触れた方が早かったらしい。発砲寸前に銃口を逸らされた銃が火を噴き、銃弾はラトの頬を微かに掠めて彼の眼前の空間を貫いた。
 つぅーっとラトの頬から一筋の血液が滴る。
 だが二カッと無邪気に笑うその表情は、どこか嬉しそうにすら見えた。デリックが忌々しさを隠そうともせず舌を打った。
「……何で僕が本当に撃つって思ったのかな?」
「んなもん、殺気で分かる」
 という回答に、デリックは表情を微動だにさせず言葉を継いだ。
「たとえそうだとしても、僕が引き金を引き始めてから動いたんじゃ普通は間に合わないと思うんだけどなぁ。……まぁいいや、でも今ので分かったよ。僕じゃ君には勝てそうにないね」
「おう、俺もそう思うぞ。だから喧嘩売る気なら止めとけ」
「は、喧嘩? 何を勘違いしているんだ君は? あんなのを見られて、見逃せるわけがないだろう」
 デリックが腹立たしげに部屋の隅を顎で示すと、ラトもそちらを見やる。その視線の先には、つい先刻デリックが自らの手で殺めた部下の死体が横たわっている。
 確かにラトもリーシャも未だ、デリックが手掛ける裏の商売の一端すら知らないが、しかし流石に殺人が罪に問われることは小さな子供にも理解できる。それだけで、デリックが二人の命を狙うには十分すぎるほどの理由になるのだ。
 しかし向き直ったラトの表情を見て、ミィナもリーシャもデリックでさえも、自分の推測が間違っていたことを悟った。
 ラトが目だけでなく口までもポカンと開けて、度肝を抜かれたような顔をしていた。
「まさか、今気づいたのか……?」
 どこかで見たようなやり取りに、ミィナは場違いにも微笑みを零してしまう。流石のデリックも溜め息交じりに呟いた。
「まったく……呆れた闖入者(ちんにゅうしゃ)だな。まぁいずれにせよ、これでもう君たちを見逃す理由は無くなったわけだ」
 ゆっくりと店のカウンターの向こう側に回り込む。意地悪い笑みを浮かべるや否や、天に祈るように両手を広げ、パチンッと一度指を鳴らした。
 するとそれに応えるように、店の奥の扉、カウンターの下や、それまで壁だと思っていた回転扉など、各所からぞろぞろとガラの悪い男達が登場する。一体どこにこれだけの人間が潜んでいたのか不思議な程の人数が、ずらりとラトを取り囲んだ。
「さぁ、始めようか」

 合図と共に、デリックの部下達が武器を掲げてラトに飛び掛かる。同時にラトは腰の鞘から短剣(オールブレイド)を抜き放った。額の少し上辺りで水平に掲げ、高らかに叫ぶ。
「大剣っ!」
 ギャィィィンッ!! と甲高い金属音を伴って、彼の頭上から振り下ろされた幾つもの刃が火花を散らした。全攻撃を防いだ大剣の下で、ラトが快然と笑む。首だけでミィナとリーシャの方へ振り向き、何事か伝えようと口を開く。
 刹那、バキッと木材が損壊する音と共に、ラトの姿がまたしても視界から消えた。
 キメラを撃退してしまうラトに最早敵など存在しないのでは、とすら思っていたミィナも予想外の事態にはっと息を呑み、ラトへ攻撃を仕掛けた敵も驚きの声を上げる。その中で一人、相も変わらずヘラヘラと薄笑う人物がいた。
「そりゃそうでしょー。普通に踏み出すだけでも軋むような床の上で、こんな大勢の力が一人に集中したらそうなるに決まってんじゃん。あーあ残念だったね、そこは丁度落とし穴になってる場所だ」
 得意げに解説を披露しながらラトが落ちた床の穴へ歩み寄る。その中を覗き込んで勝ち誇ったような笑みを見せる、しかしすぐに不機嫌そうに眉根を寄せた。ラトの驚き交じりの声が響く。
「っぶねーっ!! もうちょいで串刺しになるとこだった!」
「……本当にしぶといなぁ。でもまぁ、その剣をつっかえ棒にして底まで落ちるのは避けたみたいだけど、この穴に落ちた時点で君に勝ち目は無いよ」
 言って片手を立てると、デリックの合図で部下の数人が彼の前に進み出る。すると彼らは、何かを了解したように小さく頷いた後、他の仲間から武器を回収し始めた。
「自分の得物は足元にあり、回避するスペースも無い……。そんな君は、頭上から降り注ぐ凶器の雨を、一体どう防ぐ?」
 仲間全員分の武器を抱えたデリックの部下数人が、それらを投下すべく穴に接近する。そのとき彼らの背後では、リーシャが自らの背にそっと手を伸ばしていた。
 幾ら丈夫な身体を持つラトでも、無防備な状態で、しかもあんな大量の武器の下敷きになれば相当なダメージを負うのは必至だ。だからラトを助けるには、今この瞬間、敵の全意識がラトに集中している今しかチャンスは無い。
 音もなくゲイルロッドをベルトから外す。完全に隙を突いていた。このまま行けると思った。
 けれどそこで、リーシャは動きを止めた。
 デリックが、おもむろに懐から取り出した銃の銃口を、真っ直ぐにリーシャへと向けたから――……。
「ふぅん……勝手に戦力外って決め付けてたけど、君も戦えるみたいだね。でも、今は動かないでくれるかな?」
 視線はラトへ向けたまま囁くように言った後、撃鉄を起こす。
「流石に君は、避けられないでしょ?」
「……どうして分かったの?」
 この男は先程も、屋根上のラトに逸早く気付いていた。特に何かラトが失態を犯した訳でもないのに、だ。森民(エルフ)にも匹敵する程のその察知能力に、リーシャは尋ねずにはいられなかった。
「別に大したことじゃない。ただ、仕事柄そういう機会が多い所為で自然と身に付いただけさ。……質問はお仕舞いだ。落として良いよ」
 その命令は驚くほどさらりと下された。
 しかし、デリックの部下らが抱えていた武器を落とそうとした次の瞬間、その場にいた誰もが予想だにしなかった幾つかの出来事が、立て続けに起きた。
 ドンッ! という低い衝撃音の後、建物全体が大きく揺れたのだ。
 しかも一度や二度では治まらない。連続して地中から震動が駆け抜ける。その度に建物がギッシギッシと耳障りな音を立てて激しく軋んだ。
 リーシャやミィナも含めた全員が、まともに立っていられずによろめく。
「地震!?」
 敵も狼狽えているのを見ると、この現象は彼らが起こしているものではないらしい。なら考えられる原因は一つ……いや、一人しかいない。
「くそ、アイツ……ッ!」
 デリックが憎々しげに悪態を吐くのが聞こえた。
 そしてその直後、またどこかで木材が折れるような音がしたのを、リーシャは聞き逃さなかった。でもそれは床が抜けるような生易しいものじゃない。あれは、もっと大きくて太いものが破損した音。
 直感と本能がリーシャを突き動かした。
 咄嗟に近くにいたミィナを脇に抱きかかえると、まっしぐらに出口へ走る。
 出口までの距離は2メトル。強く踏み込んだ一歩が足元の床板を踏み抜く。しかしリーシャの推測が正しければ、そんな事を気にしている余裕すらも無い。
 ――お願い、間に合って!
 力いっぱい床を蹴って、思い切り身を投げ出した。既に大きく歪んだ出入り口へダイブ。少しの浮遊感。ミィナを庇って背中から着地した先は、店先の石畳の上だった。
 刹那の後に響く轟音、そして崩壊。
 舞い上がった砂埃で悪い視界の中、咳き込みつつリーシャが身を起こしたとき、眼前にはもう――
 酒場は無かった。
 代わりに、かつて屋舎を構築していた木材が山を成しているだけ。それを見た時、真っ先に脳裏に浮かんだのは仲間の顔だった。
「ラト……っ!」
 恐らくデリックの部下らは、一人残らず下敷きになっているだろう。ならば当然、ラトもあの下にいることになる。きっと大丈夫。無事なはずだ。そう自分に言い聞かせて、倒壊した酒場を見つめ続けた。
 その思いは決して希望的観測などではない。信じているのだ。
 こんな事で命を落としているようなら、カルビナを訪れる遥か昔にとっくに死んでいる。
「う~~~~~~~っおりゃあああああ――――!!」
 高らかに雄叫びが轟き、酒場の残骸の一角からボコッ! と真っ二つに折れた梁が吹っ飛ぶ。数秒遅れて、どっこいしょーっという爺臭い掛け声と共に人影が姿を現した。
 彼は残骸から飛び降りると、リーシャとミィナの前まで歩いて来て誇らしげに胸を張った。
「にっしししし! 一件落着だな!」
「どこがよ!」
「どこがですか!?」
 二人の突っ込みが見事にシンクロしたところで、ミィナがしまったとでも言いたげに、あっと声を上げた。
「あ、いえ、すみません……つい……」
「良いのよ、もっと言っちゃいなさい。何てったって私たち、危うくラトに殺されるとこだったんだから」
 言いながらラトを睨み付けると、ラトは悪びれる様子もなく言い訳を垂れた。
「んー、パンチすれば壁をぶっ壊せると思ったんだけどなー」
「はぁ…………あのね、あんたがいたのは地下なの。だからあんたが殴ってたのは、壁じゃなくて地面。普通に考えて壊れる訳ないでしょ」
 というリーシャの指摘を聞いたラトがぽかーんと口を開け、何とも阿保っぽい表情を作ってリーシャを指さした。
 リーシャは、がくぅーっとあからさまに肩を落として再度溜め息を吐いた後、ラトの額を指で軽く弾く。
「いて」
「……気付くのが遅いっ」
「まぁ良いじゃねぇか、細けぇことは気にすんなって! そんじゃ三人で朝飯食いに行こうぜ!」
「全然反省してないわね……。そう言えば、私もお腹空いてきたかも。人が集まってくる前にさっさと退散しちゃいましょー」
 と、リーシャとラトは先程の事件をもう忘れてしまったかのように、あっさりと壊した酒場に背を向けて来た道を引き返そうとする。そんな二人の後ろを伸う伸うと付いて行くことが、ミィナにはとても出来なかった。
 二人は少し歩いたところで、ミィナが付いて来ていないことに気付く。
「ミィナちゃん、どうしたのー? 行こう?」
 数歩分離れた所からリーシャが声をかける。ミィナは踵を返して振り向いたが、しかし依然として動こうとはしない。代わりに、浮かない表情のまま勢い良く頭を下げた。
「……ごめんなさいっ!」
 その謝罪が何に対するものかは、リーシャもすぐに理解した。
 確かにミィナが盗みを働いたのは事実だが、しかし物音に目を覚ましていながらも、未遂で済まさせる事も出来たのにわざと泳がせたリーシャとラトにも、責任が全く無いとは言い切れない。
 けれどそれを今のミィナに説明したところで、素直に納得してくれるとも思えなかった。
 リーシャは顎に当てて考える仕草を取って、小さく呻る。
「うーん……私たち、そんなに気にしてないんだけどな……。他人の物を盗んだって事にミィナちゃんがちゃんと罪悪感を感じてるなら……それで良いんじゃない?」
 ようやく顔を上げたミィナだったが、しかし未だ沈んだ面持ちは変わらないままだ。下唇を軽く噛んでぎゅっと拳を握りしめる。そんな彼女の心境を、リーシャは痛いほどよく理解していた。こういう時、むしろ罵詈雑言を浴びせられ責められた方がよっぽど楽なのだ。過ちを悔い改めた人間は、償いを求める。
 だから、その時ふと受かんだとある妙案を、リーシャはパチンッと指を鳴して躊躇いなく口にした。
「ねぇ、もしミィナちゃんがどうしても私たちに罪滅ぼしがしたいって言うなら、私たちの旅に付いて来れば?」
「えっ!?」
 あまりに唐突過ぎる提案だった。ミィナは思わず驚きの声を漏らすと、リーシャが続いて補足の説明を添える。
「150万GILLもの大金を簡単に出せる人間なんて、そういないと思うのよね。このカルビナにいないんだったら、探すべき場所もそれなりに大きな町とか王都とかに限られてくるわけだし……」
「ミィナと似た匂いがしねぇから、多分この町にミィナの姉ちゃんはもういねぇっぽいなー」
 リーシャの言葉の途中で、ラトが割って入った。
「――だってさ。どう? 一緒に来ない?」
 今一度問われたミィナは、暫時、何も声を発することが出来なかった。
 この人たちは一体どこまで綺麗な心を持っているのだろう。そして、そんな二人に多大な迷惑をかけてしまった自分はなんて最低な人間なんだろう、と改めて込み上げてきた心苦しさが、視界を霞ませた。
 チャンスがあるなら今度こそ、この二人に恩を返したい。そう思ったとき、ミィナの意志は固いものになった。服の袖で目元を拭い、リーシャの瞳を真っ直ぐに見返す。
「迷惑には……ならないでしょうか?」
「もちろんっ!」
 ミィナの問いかけに、リーシャは屈託無い笑みを浮かべて大きく頷く。せっかく拭った瞳から、何かが溢れ出す感覚。
「……これからも、よろしくお願いします」
 深々とお辞儀をしたミィナは、自分が泣いているのか笑っているのかすら、分からなかった。

湖の守護竜は彼(か)の地を追われ。

湖の守護竜は彼(か)の地を追われ。

レイクスティア。別名、湖の王国。豊富な水資源と、周囲を険しい山地に囲まれているという地形によって豊かな自然が保たれたこの地を、旅する二人がいた。 人ならざる身体能力を持つ謎多き少年、ラト・ドラゴノート。 二種族の血を合わせ持つ稀有な少女、リーシャ・マクフェルト。 彼らはある共通の目的から旅をしていたのだが、その道中、レイクスティアに王国全体の平和が脅かされるほどの重大な危機が迫っている事を知る。それは二人の目的にも深く関わる事実だった。 果たして二人は、王国を救う事が出来るのか。 そして、旅の途中で明らかになる、旅仲間リーシャですら知らないラトの秘密とは? 完全異世界! 王道・冒険バトルファンタジー。

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-02-13

Copyrighted
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  1. #00 プロローグ
  2. #01 襲撃と撃退
  3. #02 初めての町と自暴自棄
  4. #03 小金持ちと目論み
  5. #04 罪と罰