文鳥

文鳥

物語作家七夕ハル『紙は死んだ!』

 繊細な立木の隅に一羽の文鳥が歩き回っている。その遥か先の空には太陽が十分な光を与えようと、輝いている。昔、この立木の一本の木に悲しい物語があることを誰も知らないに違いない。文鳥は何も知らずに流線形の体をせわしなく、動かしている。物語は過去であり、過ぎ去った終焉でもある。
豊かな髪を持つ女が風に揺れる立木の区切れ目から文鳥の方に歩いてくる。茶色の染められた髪にはカチューシャが金色に輝いている。高級なものでないのはすぐにわかる。未来が彼女にはあった。でも、彼女には過去がなかった。記憶喪失だ。彼女は初めて故郷に帰ってきた。そう、一見矛盾する言葉にみえるが、間違いなく彼女は(初めて)なのだ。彼女は足をとめた。文鳥はいつの間にか、木の上にとまって彼女をつぶらな瞳で見下ろしていた。
 自然の中で見る鳥の何と雄々しいことか。人々の目に焼き付けられた孔雀の雄のように文鳥は艶姿をみせていた。彼女はその姿にひきつけられて、必死に思い出そうと努力した。けれども深い海を彷徨う魚のように、それは宛もない旅だった。やがて、彼女は諦めて歩き出した。
 しばらくすると、立木の道に一人の男がやってきた。息を切らしている。男はさっきの女を追ってきたのだった。彼は女の恋人だった。恋人だった二人は昔、仲が良かった。彼女の記憶がなくなってからは、悪化した。二人の関係は終わったかにみえたが、どうしても彼には言いたいことがあった。それを言うために追いかけてきたのだ。
 と、向こうから女が戻ってくる。二人は立木の道の真ん中で再会した。
「園子。もう一度、話しあわないか?」
 男の言葉の中には戸惑いが多分に含まれていた。女は男の顔を見て、驚いたように口を開けていたが、すぐに嫌悪の表情に変わった。
「また、あなたですか。もういい加減につきまとうのは、やめてください。私はあなたなんて知りません」
 園子という女は黒い眼を一層黒くして、男を睨みつける。
 それでも、男は必死に食い下がる。男はどうして、彼の恋愛に決着をつけるのか、悩んでいた。園子からすれば、見知らぬ男に四六時中つけまわされることは恐怖に過ぎない。それをわからない男ではないのだ。ただ、園子が母に聞いたところによれば、記憶を取り戻す可能性もあるらしいのだ。そのことに一縷の望みをかけて、男はこうやって、やって来ているのだった。男は園子に拒絶され、黙った。園子は少し、言いすぎたと感じたのだろう。
「すいません」
 と、短く言って、狭い立木の道をすれ違おうとした。ふいに、園子の腕が引っかかった。いや、違う。男に掴まれたのだ。
「いやっ」
 園子の声が辺りに響く。しかし、誰もここにはいない。寒い冬の日に公園は静まっていた。男は泣きそうな顔をしている。顔が強張り、目の下に涙が溜まっている。まともに男を見た園子は、悲しくなった。
 だって、何も残っていないんだもの。私とこの人の思い出は何も残っていないんだもの。綺麗さっぱり消去されている。なんて、悲しいの。でも、失われた過去は戻らないわ。
 文鳥が鳴いた。園子と、男は触れ合ったまま、鳥を見た。
「見てごらん。鳥がこっちを見ているよ」
「未来はここにはないの。わかってちょうだい」
 園子がそれだけ言うと、男は黙って手を離した。これが、二人の今生の別れになった。園子は走った。男はもう後を追わなかった。

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物語作家七夕ハル。 略歴:地獄一丁目小学校卒業。爆裂男塾中学校卒業。シーザー高校卒業。アルハンブラ大学卒業。 受賞歴:第1億2千万回虻ちゃん文学賞準入選。第1回バルタザール物語賞大賞。 初代新世界文章協会会長。 世界を哲学する。私の世界はどれほど傷つこうとも、大樹となるだろう。ユグドラシルに似ている。黄昏に全て燃え尽くされようとも、私は進み続ける。かつての物語作家のように。私の考えは、やがて闇に至る。それでも、光は天から降ってくるだろう。 twitter:tanabataharu4 ホームページ「物語作家七夕ハル 救いの物語」 URL:http://tanabataharu.net/wp/

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更新日
登録日
2016-02-13

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