ヒトりメ

ヒトりメ

平和の奥には、一つの目。
一人一人は、二つの目。
皆合わせて、いくつの目?
一体俺等は、何人目?

1.四人目

1.四人目

 平穏で充足した世界。
 旨い飯が無償で支給され、同族同士で血を流すこともなく、何をしても咎められない世界。秩序や規則がない訳ではないが、それが俺たちを縛りつけ、圧迫することは決して無かった。
 そして何より、この世界では滅多に飽きが来ない。刺激を求めれば、秩序や規則の範囲内で、知的好奇心の限りいくらでも捻り出せる。どのような一日でも過ごすことが出来るのだから。
 俺は生まれてこの方十数年間、この素晴らしい世界で、二人の仲間と共に幸福に充ちた人生を満喫している。幸福に浸っていると感覚が鈍りそうな気もするが、幸福を感じて、追い求める本能には際限がない。ましてや新しい幸福が転がっているのだから、数十年程の期間で考慮すると、それも大いに頷ける。
 もっとも、幸福や平和を具現化したようなこの世界以外、俺達は知らないのだが。

 「おはよう、ローフ」
部屋から出ると、ウルスが声を掛けてきた。
 大柄で筋肉質な風貌に比べ、案外ゆったりとした性格の彼は、クセのある茶髪を掻いて眠たげである。
 「ようウルス、もう飯の時間だぜ?寝坊か?」
 「お前が言うか」
 「俺はウルスを待ってたんだぜ?」
 「嘘つけ、今さっき部屋から出てきてただろうに」

 俺たちは、集合住宅の階段を駆け降り、食堂へ足を速める。
 途中で、既に朝食を済ませたと思しき人達とすれ違ったが、どうやらまだ時間はあるようだった。
 街道を一分ほど早足で進むと、曲がり角にある食堂が見えた。
 ドアを開くと、その近くのテーブルで一人の少女が待っていた。
 「おはよう、二人とも遅いね」
 アリエス。白銀の長髪を結った彼女は、俺やウルスより一つ年下だが、俺達よりも大人びている。
 俺達の集合住宅は同世代が集まっている。その中でも部屋が隣同士で、生まれた頃から家族のような間柄なのが、ウルスとアリエスというわけだ。
 「もう戻るのか?アリエス」
 「ううん、まだ居る」
 「そっか。じゃあ待っててくれ、すぐ戻ってくる」
 「よし、行こうぜ」
 俺たちは、支給食を急いで取りに行った。今日は、パンとミルク、スクランブルエッグ、若鶏のサラダだった。どうやら先着順で、オプションが付いてきたらしいのだが、俺たち遅刻組には縁の無い話だった。
 「今日は、文字の練習でもする?」
 俺たちが席に着くなり、アリエスはしれっと恐ろしいことを言った。危うく朝食をひっくり返すところだった。
 「おいおい…それは昨日だろ?…なあ、ローフ」
 「おう…そうだアリエス、今日はちょっと外に行かねえか?ほら、今日はいい天気だぜ?」
 俺たちはもう必死だった。
 文字を習うことが嫌いなわけではなかったが、アリエスと一緒となると話は別だ。普段の柔和な天使は居眠りし、代わりに百獣の王も尻尾を巻いて逃げ出すような鬼神が現れるのだ。
 「二人とも何を言ってるの?昨日は数を習ったのよ」
 彼女は怪訝そうな顔で首を傾げた。
 「いやあ、そうだっけ?でもどちらにせよ、今日は休息日にしないか?」
 「もう…休息日ばっかりじゃない。文字も数も出来ないと、いつか困るわよ」
 「例えば?」
 「例えば……例えば…」
 「無いんだな」
 「あるわよ…きっとあるわ!」
 俺は、冷え切った卵をミルクで流しながら、ウルスと共に彼女を説得していた。
 その時だった。

 「三〇六番はいるか!?」
 食堂の扉からの、地響きのような声が食堂を静まり返らせる
 管理者(めだま)
 この世界を統制する絶対的存在。
 白くのっぺりした楕円体の胴体には、大きな一つの目と、細長い腕が付いているだけだ。脚の代わりに、幾許かの硬質な外見で半透明の箱が、回転しながら逆三角錐を象って浮いていた。その背中には、半透明の線のような羽が生えている。
 管理者に呼ばれたのは一人の女性だった。その手の甲には『三〇六』と刺青がされていた。
 彼女は管理者に連れられるままに、食堂を出て行った。管理者は絶対で、刃向うことなど出来ない。いつだれが決めたのか、はたまた試したのかは知らないが、そういう風になっているのだ。
 管理者がいなくなると、空間はまた喧騒を取り戻した。俺たちもまた、自分達の会話に戻った。
 「この時期になると、管理者がよく番号を呼ぶけれど、何かあるのかしら」
アリエスが首を傾げた。
 「さあな。何か褒美でも貰えるんじゃねえの?」
 「罰を与えられるのかもしれないぜ」
 「私も、良い予感はしないわ」
 俺はちらりと自分の手を見る。五〇八〇と記されていた。ちなみに、ウルスは五〇三一、アリエスは九九八〇だ。
 俺は管理者に嫌悪感を抱いていた。危害を加えられたからだとか、嫌がらせを受けたからだとか、そういったことは一切ないのだが、潜在意識が俺を遠ざけている気がする。世界の平和を管理する者が、俺達の平穏を脅かそうとしている。そんな悪寒だ。
 きっと、俺達の番号が管理者に呼ばれることは、何か良くないことの兆しなのだ。

 俺達はすっかり朝食を済まして、家へ向かった。
 俺とウルスの必死の説得も虚しく、今日の地獄行きが決定してしまった。文字を書く機会など、いつどこにあるのか解らないのに、そんな終わりのないマラソンのような作業を続ける意味を、俺はどうしても見出せない。
 ウルスが今にも泣き出しそうな声を出す。
 「アリエス…本当に外行かないか……?」
 「図書館に行きたいのね。分かったわ」
 「あそこは駄目だ。文字だらけで、気が狂う」
 「狂わないように、文字を習うのよ」
 「そこは譲れないのな…」
 彼は肩を落とした。

 「おい、あれ」
 憂鬱な気分でとぼとぼ部屋の近くまで来ると、俺たちの部屋の前に、見知らぬ女の子がドアを見つめて立っていた。外見から推測するに、アリエスよりも幼いだろうか。
 「私が行ってくる」
 アリエスが俺達を制して、少女に向かって歩きだした。
 「どうしたの?」
 アリエスが声を掛けると、女の子はゆっくりとこちらに目を向けた。
 「あなた、ここの部屋の人?」
 「私じゃないわ。そこはローフの部屋よ」
 アリエスがそう言って俺の方を見ると、少女が俺の瞳を捉える。
 その眼光はさながら猛禽類ようで、無意識に、俺の背筋は痛いくらいに凍りついてしまっていた。
 「ねえ」
 「ん?」
 なるべく平静を装ったつもりだ。
 しかし、次に少女の口から出た言葉は、まったく拍子抜けするものだった。
 「…私と友達になって頂戴。ここの新居者なの」
 少女はそっと手を差し出した。その手の甲には『一一九〇』と刻まれていた。
 「あ、ああ…いいぜ」
 俺がその手を握ると、少女はにこやかに言う。その眼は既に、刃を収めていた
 「私の名前は、ガラス」
 「俺は、ローフ」
 「実は私、ここの住人よりも少し年上なのよ」
 彼女なりの冗談か何かだろう。
 年の割には若く見えるな、と世辞を言っておいた。
 しかしそれより、俺の部屋に何か用があったのだろうか?アリエスが話しかけたというのに、彼女ではなく俺とこうして握手を交わしているということは、少なからず俺に何かあるに違いない。無理に真意を詮索するような野暮な真似はしなかった。しても無駄骨だったであろう。

 すると、ウルスが俺の後ろから、顔を覗かせた。
 「俺も友達になっていいか?」
 「あ、私も!」
 「ええ、いいわよ」
 二人も続けてガラスと紹介を交わした。話を聞いていると、どうやら彼女には教養があるようだったし、言ってることも真実らしかった。
 まだ逢ったばかりで、彼女のことを何も掴めないのは仕方がないと割り切っている。しかし、それを度外視しても、彼女との距離が途轍もなく遠く感じた。その彼女に対する知的好奇心が相当なものだったのは、それ故なのかもしれないが。
一回り身体の大きいウルスの横に並ぶと、より一層幼く見えてしまうためか、彼女はアリエスの傍に付いていた。
 「ガラスさん、これから図書館に行くけど、いい?」
 「いいわよ。…彼らの様子から察するに、お勉強かしら」
 「正解!じゃあ、ガラスさんと一緒に文字練習だね!」
 重力が急に増した感覚がする。
 ウルスに至っては、もはや真一文字に閉口してしまっていた。
 新しい仲間が増えたばかりだというのに、何とも言えず鬱屈で億劫だ。
 「さあ、行きましょ。ローフ君にウルス君」
 彼女は、短く燃える赤の髪をなびかせて、大袈裟に腕を伸ばす。

 ガラス。
 世界を見透かすような瞳は、その名の通りであった。

2.再考期

 これはガラスの姉御から聞いた話なのだが、人間が統治者だった太古の時代は失敗に終わったらしい。
 管理人としては出来損ないで、責務を全うするどころか、危うくこの星を殺しかけたのだという。早い段階で警鐘を鳴らし続けていた者もいたそうなのだが、その意味に気付いた時には、もう既に人間の手に負えるものではなかったようだ。自らの過ちの大きさを恐れた先祖達は、今の管理者(めだま)に立場を譲ったらしい。この場合は、降板になったと言うのが適切か。

  「それで、先祖達は、何がいけなかったんだ?」
  「さあね」
姉御は、ペットボトルから唇を話してそう言い放つ。
  昼下がり、俺と姉御は広場の小丘で、木にもたれ掛かって腰を下ろしていた。ウルスとアリエスのはしゃぐ姿を眺めていた。
 「でも、きっと目も耳も悪かったのよ」
 「比喩か?」
 「ええ」
 「どういうことか分からないぜ…もう少し聞かせてほしい」
 「まだ確証を持って話せることはほとんどないんだけど。未来を見ることも、大自然の警告を聞くことも出来なかったってことよ。今の私達も同じだわ」
 姉御は芝生を指先でこねていた。
 「一つ訊いてもいいかしら?」
 「いいぜ」
 「ローフ君。あなたは、この世界に満足しているのかしら?」
 彼女は、ちらりと視線を寄越すのを感じた。
 考える必要はなかった。
 ウルスが無茶な動きをして転び、アリエスは呆れたように近寄る。笑い声がこちらまで聞こえてきた。
 「俺は、満足しているぜ。あいつらと一緒にいるだけで幸せだ」
 「…そう」
 彼女は、質問を投げかけた割には、気の無い返事をして黙りこくってしまった。

 「じゃあ、姉御はどうなんだ?」
 「私?」
 彼女だけが作り出した沈黙を破るべく、俺は同じ質問を返した。
 「私はね、今は満足よ」
 彼女は、でも、と続けた。
 「この平和は、何処かから瓦解する。でも、だからといって、その局面に何も出来ない無力な小鳥にはなりたくないの」
 彼女はすくっと立ち上がって、背を向けた。
 「幸福を与えるのは管理者、幸福を受けるのは私達。ただ幸福を享受するだけじゃ、管理者次第で真っ先に絶望の中で死ぬことになるわよ」
 姉御は、少し用があると言って、広場を後にした。

 俺は彼女の後ろを眺めながら、先ほどの言葉を反芻していた。
 幸福を享受するだけでは、管理者次第で絶望の死。
 言いたいことは判らなくもない。
 だがそれが、どういう形で訪れ、またどうやって対処していけばいいのか、見当もつかない。
 姉御は何か知っているような口ぶりだったが、曖昧な部分も多かった。

 思考に浸かっている間、周囲に注ぐ意識が欠けていた。それ故に、自分の名前が叫ばれるまで、俺に迫ってくるボールに気がつかなかった。放物線を描きながらそれは、俺の顔面に容赦なく突っ込んだ。
 鼻を迸る痛みに悶絶していると、アリエスが駆け寄って来た。
 「ローフ、大丈夫?ごめんね」
 「ああ……それにしても…お前、こんなに力強かったっけ…?」
 「違うよ…ウルスが投げたボールを取り損ねたの」
 「ウルスか…!」
 彼はワンテンポ遅れてやってきた。
 ウルスは軽く謝ると、転がったボールを追いかけていった。
 「おっと……鼻血出てきたぜ…」
 「ちょっと待ってて!管理者を呼んでくる!」
 「おい、アリエス!」
 俺の声が届く前に、アリエスは走り去ってしまった。
 管理者と関わるくらいなら、鼻血を垂れ流しておいたほうがマシだ。あの腹に響く無機質な声を聞くのも、気味の悪い腕に触られるのも、静かに風を裂く足音が近づくのも、何もかもを無意識に遠ざけようとしてしまう。
 
 俺は服を汚さないように気をつけながら、鼻を押さえてじっと座っていた。
 ウルスが戻ってきて、俺の手に付いた乾いた血を見ると、すまんな、とまた謝罪した。
 「そういや、アリエスは?」
 ウルスは座るなりそう訊いた。
 「ああ、管理者を呼びに行ったぜ」
 「そんな仰々しい…」
 彼は苦笑した。
 ふっと風が抜けて、背中を預けている木が葉を鳴らす。
 広場に入った頃に比べて、随分と太陽は高度を落としていた。広場にいる人も減り、芝生が広く感じられる。
 静かになった風景に寂寥を感じて、たまらず言葉を発する。
 「そうだ、ウルス」
 「なんだ?」
 「姉御が言ってたことなんだけどな」
 俺は先ほどの、彼女の言葉を復唱し、その上でウルスはどうするかを問うた。
 「別にこのまま何もしなくてもいいんじゃないか?」 
 「でもウルス。やっぱり管理者が番号を呼ぶまでの間が平和のリミットなんだと思うぜ。俺の直感だけどな」
 「お前は管理者が嫌いだから、悪い方向に考えるのかもよ?」
 「だけどよ…」
 「それに、もし仮にそうだとしても、何が出来る?何も出来ねえだろ。番号呼ばれて、連れられて。最悪命を絶たれるのだとしても、俺達に出来ることがあるのか?」
 俺は「何が出来るのか」を考えていた。だが、彼の口から出た答えは、「何も出来ない」だった。
 彼は、黙ったままの俺に言う。
 「お前の予感が見事的中したとしても、俺はこの生活を思う存分受け入れることが、期限が訪れた時に最も後悔しない道なんだと思うが」
 「もしも……その時が来ても、それを延期させられる方法が見つかったとしてもか?」
 「そんなことまでは知らねえよ。その時は、ああしときゃ良かったなあ、って後悔するんじゃねえの?だからこそ、俺はそんなこと考えねえし、探しもしない」

 二つの主張に板挾みになった。
 未来に抗うか、現在に従うか。今の俺は間違いなく後者だ。具体的な手段がないために、前者はまず選択出来ない。
 だが、後者に全面的に頷けるかというと、実際そうではないのだ。
 俺が遠くを見つめて考えていると、ウルスが肩を叩いた。
 「まあそんな深刻そうな顔すんなよ。どの選択をしても、善し悪しはつきものだろ?とにかく今を楽しめよ」
 彼は立ち上がると、向こうへ歩いていった。
 「ローフ!いくぞ!」
 そう叫んで、ウルスはボールを高く投げた。
 重力に加速され、こちらへ落ちてくる。今度はしっかりと捕球することが出来た。

 俺達はしばらく談笑していた。
 こいつらといる時間は悩みが晴れる。誰かが欠けた日々なんて、きっと思い描けない。
 「それにしても遅いな」
 「アリエスか?」
 「ああ、あれから結構経つけど、何してんだ?」
 「道草食ってるんじゃないか?」
 ウルスが大きく笑った。
 「俺の手当てのために急いで走り去って、それでいて道草かよ…」
 真面目なアリエスだが、完璧ではない。むしろ欠点を挙げれば、俺達より多いくらいだ。十数年一緒にいれば、それくらいは把握している。そして、その欠点を埋めようと毎日努力していることも、十分に知っている。
 そんな彼女のことを理解した気でいたから、微細な変化にも呑気でいたのかもしれない。

 結局、日が地に隠れても、アリエスは戻って来なかった。
 どうせ先に家に帰っているのだろう。自分が何をしようとしていたのかも忘れて。時々あることだ、とそんな感覚だった。
 俺達が広場を後にし、街灯に照らされた道を歩いていた時のことである。
 「ローフ君!ウルス君!」
 後ろの声に振り返ると、姉御が膝に手を付いて息を切らしていた。
 彼女のその珍しく疲れた姿を見て、俺達は笑って問いかける。
 「どうしたんすか?ガラスさん」
 「そうだよ姉御。急用か?」
 「大変な、ことになったわ……」
 楽観的な俺達とは裏腹に、姉御の言葉は焦燥を滲み出していた。
 切迫して火照った顔は、しかし青ざめている。彼女は息を無理やり整えようと大きく息を吐く。
 彼女が何か言わんと口を開いた時、どこか遠くで地鳴りがした。

 九九八〇はいないか、と。

3.空白の紙切

 俺は冷たいドアノブに手を掛けた。

 僅かに動いただけで、ドアは微動だにしなかった。
 今日もアリエスは戻ってきていない。いつかは帰ってくると、こうやって毎日確認しているのだが、それも逆効果らしい。ウルスとも日に日に、共に行動することが少なくなっていったし、ガラスさんも別行動の俺とウルスの間を行き来したり、私用で出掛けたりして一緒にいる時間は減っていった。
 パーツの欠けた機械は起動せず、また脆い。今回はアリエスがいなくなったがために、各々が別離し、集団で動くことが出来ないでいるのだが、誰がアリエスの立場であっても同じ結果であっただろう。

 階段を降りるとウルスが立っていた。
「よう、ローフ」
「珍しく早起きだな」
「ちょっと走ってきたんだ」
 彼は白い息を吐き、鼻を赤くしているにもかかわらず、暑そうに腕まくりをしていた。
 街路樹は灰色がかった幹で寒さを忍び、風が吹くたびに乾いてぱりぱりになった葉を数枚揺らす。俺はポケット手を入れ、中の鍵をちゃりちゃり触りながら、ウルスと図書館へ向かっていた。

 図書館はいつもに増して人が多かった。室内外の温度差が激しく、上着を脱がざるをえなかったほどだ。
 俺が適当に本を選んで、読書スペースで座っていると、ウルスが厚めの本を何冊か抱えて戻ってきた。
 「歴史書だよ。読めない文字も多いし内容も難しくて苦労するけど」
 「いきなりどうしたんだ?」
 「何か、アリエスを連れ戻すヒントがあるかもしれない」
 「でもこれは人間の歴史だぜ?意味ないんじゃ…」
 「人間も同じようなことをやっていたかもしれないだろう?」
 自分のルーツが、自分の嫌う者と同じ道を辿ってきたとは信じたくないのだが、それでもどこか納得してしまう部分があった。遺伝子に上書きされた暗号が、隠してきた何かを押し出すような、奥底の感覚だ。

 ウルスがパラパラとページをめくる。
 記号が羅列されていたが、俺の意識は挿絵にばかり向いていた。
「ちょっと待て。さっきのページ」
 俺は通り過ぎたあるページを見た途端に衝撃と違和感を覚え、ウルスの本をめくるのを止めた。
 ぱらぱらと数ページ巻き戻ると、先ほどの挿絵が現れた。
 そこに描かれていたのは、人間を縄や鎖で牽引する人間の姿だった。豪勢な衣服を纏った男についてゆく、生気を失った男女の列。ぼろ雑巾のような服を着ているか、服を着ていない者さえいた。
 「この人達は罪人か?」
 俺がウルスに訊くと、ウルスは指で挿絵の下の文章を辿り始めた。
 「いや……違う。……多分、この人間達は売買されるんだ」
 「人間を売買?読み間違えじゃねえの?」
 「ここを見ろよ。売るとか買うとか、譲るとかの文字が書いてある」
 アリエスと学んできた文字が少しずつ脳に滲み出てきた。
 彼女ならこの文章をすらすらと読み聞かせてくれただろうか。
 「何せ昔の昔、大昔の話だから、今はさすがに存在してないな」
 「人間が、誰かの物…。そんなことをしていたのか、俺達の先祖は」
 「この人間達は、どうやって決められたんだろうな」
 「罰則としてこうなったのか、こうなるしかないくらい劣っていたのか…想像もつかないぜ」
 「どんな理由にしろ、俺はまっぴら御免だ。人間を買うのもありえない。俺には誰かを使役するようなカリスマ性も腕力もない」
 「単純な腕力はあるだろ」
 俺は笑ったが、胸に溜まるもやが気にかかって仕方がなかった。
 もしかしたら、アリエスは別の世界の管理者(めだま)に売買されるのかもしれない。そんなことを考えてしまい、急に背中に氷水を垂らされた感覚がした。

 俺はウルスの前に積まれた本から一冊を引き抜いて開いた。それは生物史の本であった。めざましく栄えては塵のように滅ぶ種族、激動の環境に姿を適応させて生き延びる種族、ある種族と依存しあう種族。皆様々な方法で未来へとその歩みえお進めようとするが、当然コースアウトする時はする。生き方は自由なようで、絶対的に決定されたものなのだろう。
 俺達も、管理者の支配の下で、『自由に』『充足に』生きているのだ。
 
 些か心地悪くなりながら本を閉じようとした。すると、斜めになった本の側面の一筋が、他のページよりも間隔がずれているのに気付いた。
 俺はそのページまで遡ると、しおりのような白い紙が挟まれていた。
 そこに書かれていた文字は、俺に読めるほど簡易なものだった。
 「……管理者の支配は有限だ…?」
 「ん?何だって?」
 「ああ…ウルス。これを見てくれ」
 「……どういうことだ?誰のメモだ?」
 「知らないぜ、この本に挟まっていただけ」
 俺達は、もしかしたらと思い、図書館の本を調べ始めた。

 別段他に何をする気も起きなかったので、一ヶ月ほどで広い図書館の全書籍を調べ終えた。
 挟まっていた紙切れは合計で四枚だった。既に借りられていたり、抜き取られていたりする可能性もあり、これだけだとは限らなかったが、それでも充分な収穫だった。
 「管理者の実体は有限、管理外の世界は有限、管理者の能力は有限、人類の未来は有限……」
 「有限なことばかりだな」
 「誰が書いたんだ…でたらめか?」
 「根拠がないもんな。多分でたらめだろうが、まあ一応保管しておいた方がいいな」
 俺とウルスは半分ずつ保管することに決めて、各々の部屋に持ち帰った。正直怪しかったが、離れかけていたウルスと俺を繋ぎ止めるアリエスの想いのようで、捨てるにも捨てられなかったのだ。

 その日は妙な達成感に満たされて、ベッドに潜るとすぐに眠気が襲ってきた。
(全てに限りがあるというのならば、アリエスは……)
 その夜、俺は懐かしい夢をみた気がした。

4.宣戦布告

 インターホンが部屋の静寂を薙ぎ払う。
 俺は寝惚け眼を擦りながら時計を見た。まだ真夜中の三時だ。
 とぼとぼと玄関へ向かう途中、またインターホンが鳴った。扉をこつこつ叩き、こちらを催促してくる。
 俺は覗き穴を覗くと、部屋の前にはガラスの姉御が立っていた。彼女の顔を見るのは、実に久しぶりだ。
 扉を開くと同時に、姉御が倒れ込んできた。
 「おい、姉御、どうした?まだこんな時間だぜ?」
 「いいから……扉の鍵を、閉めて…」
 息は途切れ途切れだった。支えている彼女の身体は、熱を帯びて重かった。
 「姉御…?」
 手が濡れたような感触がして、姉御に声をかけた。彼女はただ荒い吐息を漏らすだけだった。
 
 俺は、歩く度にずり落ちそうになる姉御の身体を抱えながら、肘で電灯を点けた。
 眠たい俺の眼は、急激な明度の上昇についていけなかったが、姉御の姿がはっきり見えていくとともに、俺の眠気は霧散していった。
 「姉御!」
 手を置いていた姉御の背中が赤く染まっていた。玄関先にも点々と、赤絵の具を垂らしたような染みが続いている。
 俺は姉御をゆっくりと下ろすと、救急箱を漁った。
 「姉御!病院に!」
 「駄目…病院は駄目……」
 「はあ!?何言ってんだよ!どういう状況か分かってるのか!?」
 「いいから…応急手当でいい…」
 俺は言われるままに、消毒液とガーゼ、包帯を用意した。
 「姉御、捲るぜ」
 姉御の返事はなかったが、服を捲り上げた。
 左腹からそのまま左背にかけて、小さな穴が空いていて、その穴の周りは焼き焦げたようになっていた。
 消毒液のついた綿で傷を洗う度に、彼女は苦悶の表情で身をよじる。俺はもう見ていられなかったので、すぐに止血に移った。
 敗血症にならないか心配なところだったが、持っていた止血剤と薬剤が優れていたのか、かろうじて死は免れた。その特殊なゲル状の止血剤が、管理者(めだま)からの支給品というのは、なんとも皮肉なことだが。
 俺はこんな応急手当でなんとかなるとは思っていなかったので、やはり病院に行こうと促したが、彼女の猛禽類のような眼光に制されてその場に留まった。
 彼女の意識を保持しつつ、俺は再び尋ねる。
 「応えられたらでいいが、何があったんだ?誰にやられたんだ?」
 「管理者よ………逃げてきたの…」
 前々から抱いていた悪い予感が的中した。
 「管理者が何で…しかもさっき、逃げてきたって」
 「ちょっと…ね」
 
 姉御が朦朧としながら語るには、彼女もとうとう、招集がかかったらしい。管理者に連れられた施設で見た光景は、地獄の二文字が甘く思えるくらい悲惨だったそうだ。
 三畳ほどの小さな部屋が鉄柵で仕切られ、そこに人間が収容されていた。施設内では、時折甲高い泣き声が響いては、管理者が滑り来て、泣き声を遠くに連れていく。そこに収容されている人間は、血を通わせ息はしているものの、もう『生きている』とは言い難い様子だった。
 姉御は、ここがどんな施設なのか理解していた。だから、すぐに逃げる算段をつけられたのだろう。
 そこはまさに、俺達が産まれた母なる地、人間の大量生産施設だった。施設内では、人間が無作為に孕まされて、そこから産まれた人間は街に放され、その中のいくらかはまた施設に生産道具として回収される。もはや、人間を使った管理者によるビジネスだ。
 管理費や維持費がかさみそうなシステムだが、管理者にとってはそれを上回るメリットがあるのだろう。考えたくもないが。
 彼女はそこに収容されてから数日後、管理者の隙を盗んで逃げてきたらしい。
 逃亡中に管理者の荷電粒子砲か何かの攻撃に当たってしまったが、まだ何も手を出されていない内から抜け出せたのは幸運だった。
 「それって、俺達もそこで産まれたってことか…?」
 「ええ…きっとそうよ…」
 俺は気分が悪くなった。
 確かに、自分の親たる者を知らないし会ったこともない。それは、ウルスやアリエスも同じだ。姉御の言うことが真実だとしたら、今まで意識してこなかった出生や親類の謎が解けてしまうことになる。
 なんてことだ…俺達が平和で充足した世界だと思っていたこの場所は、新たなツールを育てるための温床にすぎなかったのだ。
 『幸福を与えるのは管理者、幸福を受けるのは私達。ただ幸福を享受するだけじゃ、管理者次第で真っ先に絶望の中で死ぬことになるわよ』
 彼女の言葉は、こういうことだったのか。

 フローリングの血痕を呆然と見つめていると、姉御の手が俺の手を握った。
 「ローフ君…私は、きっと、すぐに見つかっちゃうわ……その前に、アリエスちゃんを、連れ戻さないと…」
 「アリエスは…そこに、その施設にいるのか!?」
 「いいえ…私達の番号は、送られる場所の指標なの……アリエスちゃんは、別施設だと思うわ…」
 アリエスは九九八〇、姉御は一一九〇。確かに、二人の番号はかけ離れている。
 「でも、それじゃアリエスがどこにいるか分からないぜ」
 「大体、目星はついているの……」
 「本当か!?ウルスを呼んだ方がいいよな?戦力は多い方がいい」
 姉御は力なく頷いた。

 俺とウルスとアリエスの部屋は、部屋を出ずとも行き来出来る。わざわざ外へ出るのを億劫がって壁にドアを作ったために、俺達の部屋は中から通過可能なのだ。
 ドアを開けると、ノブを握ったウルスが前のめりになって踏み込んできた。
 「おっとっと……ああ、ローフ。騒がしいけど、何かあった?」
 俺が何か言う前に姉御を見つけると、彼女に走り寄った。顔を青ざめさせて、俺に叫んだ。
 「おい!どうなってんだ!早く病院に…」
 「待てウルス。訳あって、姉御は管理者に追われている身なんだ。その傷も逃げる途中で負ったらしい。管理者から逃亡中に、管理者の運営する病院に連れていったら、それこそ本末転倒だぜ」
 姉御の話を簡潔に伝えた。
 その上で彼は言った。
 そうか、今日なんだな、と。
 
 俺は要領を得なかったが、彼はそんな俺に構わず続けた。
 「俺の部屋に装備を揃えてある」
 「はあ?装備?」
 「そうだ。奴らはきっと、俺達の生命を綿よりも軽く見ている。半端な気持ちと装備で臨むと、確実に殺される。武器も必要だ」
 彼にしては意外な反応だ。俺よりもさらに楽観的で、穏便に事を済ますのが常である彼が、管理者への抵抗に賛同し、あまつさえ武器などという物騒なことを言い出す。
 俺は不審に思いながらも、彼に問う。
 「で、それを持ってるのか?」
 「その件だが、飛び道具はない」
 「いや、武器の話じゃなくてだな…」
 「じゃあ、何の話だ?」
 「まあいい。相手は特殊で強力な兵器を持っているのに、どうやって…」
 「だからこそ、なんだ。奴らが最も恐れるのは、奴ら自身なんだ。つまりは、奴らの戦力を利用させてもらう。そうですよね?ガラスさん」
 彼は再び姉御に問いかけた。
 姉御は汗を滲ませて、不敵に笑った。

 俺がどういうことか、何となく察したところで、ウルスがこちらを見て言った。
 「すまん。実は、ガラスさんが番号を呼ばれたことも知っていたし、アリエスを救い出す計画もガラスさんから聞いていた。でもまさか、こんな大怪我していることは知らなかったのだが」
 「黙っていたのか?」
 「本当に悪いと思っている。全ての材料が揃うまでは、お前に知らせるわけにはいかなかったんだ。だってほら……お前はお喋りだから」
 「………とにかく、それなら今すぐに行こう。姉御は休んでいてくれ」
 「ローフ、そう焦るな。急がないといけないが、まずはちゃんと準備をしないと駄目だ」
 「そうよ…私も動けるようになったら後を追うから…」
 「でもよ…」
 「どうせ、見つかって死ぬなら…出来ることを出来るまでやって、最前線に近づいてから、最期を迎えたいわ…」
 彼女の眼は、相変わらず猛禽類のそれだった。その鋭さは灼熱を帯びて、俺が拒むのを決して許さない。
 「……判ったぜ」
俺がそう言うと、彼女は些か安心した表情を見せた。
 「それで、ウルス」
 「こっちだ」

 俺はウルスに続いて、彼の部屋に足を踏み入れた。リビングにダンボールが置いてあり、ウルスはそれを開封する。
 「これが一人分だ。予備も忘れるなよ」
俺はジャケットを羽織り、ナイフやライト、発煙筒、ロープ、救急セット、そのほか入っていた道具をポーチとポケットにしまった。黒い筒状のものや、小さな玉が大量に入った袋など、よくわからないものも入っていたが、ウルスに訊いても、作戦上使うという情報しか得られなかった。
 ウルスも準備を終えたようで、作戦内容や管理者の情報を確認して、俺達は玄関先に向かった。
 
 ふと俺は、図書館で集めたメモを思い出した。
 人類の未来は有限……。
 「……いや、俺達の可能性は無限だ」
 「そうだな」
 未明を前に俺とウルスは、アリエスの元へと走り出した。

5.叛逆

 「あの門だな」
 夜の木陰に隠れながら、ウルスが確認する。
 俺達が生きてきた世界というのは案外狭いもので、出立してから一日もかからずに目標地点に辿り着いた。窓も突起もないただの直方体の塊のようだが、埋め込まれた門が建物としての意味をかろうじて保っていた。
 俺とウルスは、目が暗闇に慣れてきてから施設の近くの偵察を始めた。管理者(めだま)が二、三体うろうろしているが関係ない。むしろ施設内の管理者が減って好都合だ。
 セキュリティがどれほど堅固だろうと、あの建物の情報はすでに姉御が入手していたので、突破するのはわけないだろう。内部の地図も、ポーチに入っている。
 管理者も極めて優秀とて、所詮人間の延長線上の存在だ。環境による人間への洗脳と、圧倒的な能力や武力、技術力を過信しているが故に、己より下等な存在を軽視し、その未知数を測り損ねている。かつての先祖達と同じ轍を踏むあたり、歴史というのは循環するレールなのではないかと錯覚する。
 姉御がなぜそのような情報を所持しているかは謎なのだが、今の所それは正しい情報だ。
 それに、アリエスもまだ生きている。その希望さえあれば、彼女を救える可能性があれば何だっていい。

 「なあウルス、一つ訊いていいか?」
 俺は、どうしてもというわけではないが、ウルスに訊いておきたいことがあった。
 「俺を、信用しているのか?」
 今回の作戦は、俺は直前まで知らされていなかった。もしかしたら不信感を抱かれている裏付けなのかもしれない。杞憂だろうが、そんな首縄のような不安に決着をつけておきたかったのだ。
 ウルスは小さく笑った。
 「本物の信用ってのは、いざって時にならないと本人にも分からないもんだ」
 一瞬腑に落ちなかったが、彼はこう続けた。
 「でも、俺は裏切りっていうのが、この世で大嫌いなんだよ」
 俺は愚問を恥じた。
 何年来の付き合いだと思っている。俺の性格を知った上での賢明な行動だったではないか。

 「おい…!あれ見ろよ。ガラスさんの言う通りだ」
 姉御の予測は見事に的中し、管理者が門から離れて行く。姉御曰く、施設の外周の見廻りに行くこの時間には、門の周辺には一切の管理者がいないらしい。
 俺達は、門の前まで走った。
 管理者のボディと同じ超合金の、何倍も硬いこの門は、十桁のパスワードでロックされており、その上、門をくぐったところで認証IDをパスしなければ即刻消炭にされる。普通はどう足掻いても侵入は不可だ。『普通』は。
 しかし、今回は違う。
 今俺達はIDチップ内蔵のコンタクトレンズを装着している。管理者のセキュリティは、対象物のIDをスキャンして、許可を下す。物資にもIDが必要になる。形は関係がなく、管理者のみが持っているはずのIDさえ読み込めればいい。そんな抜け穴を突いた策略だ。
 「全く、何でこんなもの持ってるんだ?姉御は」
 「俺にもそこのところはよく分からん」
 「何だよそれ…やっぱり、全面的に信用していいのか?」
 「そんなこと言っても、今更だ」

 門の錠が開く音がした。
 門を押し開いて、姉御から貰ったIDをパスすると、難なく施設内に入ることが出来た。
 倉庫のような一階の通路を抜け、階段を見つけた。人間が収容されるのは、三から五階らしい。
 「薄暗いし、一体何の施設なんだ…」
 「言ってなかったな。…ここは貿易所だ」
 「貿易所だと?」
 「管理者による、人間と物資の貿易の港みたいな所だ」
 俺は図書館で見た写真を思い出した。
 姉御が連れていかれた生産施設といい、この貿易所といい、管理者の俺達に対する見方がわかってきた気がする。
 「ウルス…お前何とも感じないのか?」
 「最初は嫌悪と憤怒で一杯になった。でも、暴れる感情だけ振りかざしても現状は変わらない。声を張り上げても、現状を訴えたとしても、管理者には響かない。なら、変えるために、具体的に踏み込まないといけないと気づいたんだ。何か間違っているか?」
 「いいや。その通りだぜ」

 俺達は階段を登って二階に登ると、足を止めて壁に張り付いた。
 管理者が風切音を鳴らして通り過ぎる。
 二階はいわば、この建物の中枢だ。
 管理者が最も多いこの階で、やらなければならないことがある。
 俺はポーチの中のメモを開く。
 「管制室ってどっちだ?」
 「向かって左だ」
 「じゃあ、俺は管制室に行くから、ウルスはロック解除を頼むぜ」
 「解った」
 「気をつけてな」

 俺とウルスは二手に別れた廊下を別々に走り出した。
 最短ルートを通り、この施設の電力を司っている管制室に急ぐ。
 センサーを落とさない限り、上の階へは忍び込めないし、監視カメラを切らなければすぐに捕獲されてしまう。だが、そうかといって全てを落とす訳ではない。アリエスのいる階に限定して、ちょっとした細工を施すのだ。
  (…おっと)
 管理者の足音が聞こえて、曲がり角に隠れる。奴らは、高性能の赤外線センサーやレーダーを搭載していて、どこへ隠れようとも対象をすぐに発見し、対象を粒子砲や手刀で再起不能にする。ただ、それは常時起動させているわけではなく、普段は人間と性能は変わらない。むしろ足音が煩い分、人間よりも対処しやすい。
 耳に障る音が通り過ぎるのを待って、再び管制室に急ぐ。
 そして、無事に管制室に着いてからが問題だ。
 管理者に発見されれば捕獲され、管理者と真っ向勝負になれば負ける。しかし、部屋に入らなければ進めない。どう考えても絶望的に詰まった状況だが、俺には一つ考えがあった。
 姉御から管理者の話をよく聞いていたのだが、管理者には先ほどのような欠点が、ほんのわずかだが、確かに存在する。
 まず、管理者が索敵出来る範囲は、左右共に百六十度まで。つまり、真後ろは死角になる。さらに、管理者の脚とも呼べる、回転する箱のような構造は、軸で固定されているわけではなく、個々が電気的なエネルギーで可動しつつ引きつけあっている。だから、その電気的なエネルギーを阻害すれば、奴らは身動きが取れなくなる。いくらボディが硬くても、そこだけは人間でもダメージを与えられる。最後に武装や管理者同士の連携だが、武装は荷電粒子砲と手刀、それに大きな一つの目が何かしかの武器になっているらしい。荷電粒子砲については、発射まで僅かにタイムラグがあり、また連写は出来ないという欠点もある。管理者同士の連携は、警報を鳴らして知らせる以外は確認されていないらしい。大量の電力を要しながらも、個々が人間を圧倒できるような奴らに、相互の通信機能は蛇足だということか。
 何にせよ、部屋の中にいる管理者を無力化出来ればそれでいい。
 
 俺は部屋の前に着くと足を止めて、ポーチを開いた。
 秘策でも何でもない凡庸なものだが、管理者の虚をつき、動きを封じるには十分すぎる策。アリエスと図書館に来て、色々な本を読んだりしていたのが、ここに来て役に立った。
 俺は、それを片手に、ドアを開いた。

6.境

 部屋は眩しくも、静かだ。
 自分の荒い呼吸音と鼓動音だけが聴覚を支配する。
 足元には一つの白い残骸が転がり、俺の手には黒く長い板と、欠けたナイフが握られていた。
 
 俺は息を整えると、切り落とした管理者(めだま)の腕をーー正確には奴の手刀をーー拾いあげる。
 「人間」
 無機質な声がした。
 横たわる管理者が、一つの大きな眼をこちらに向けている。
 「どうやって侵入した?それに、我々の仕組みも知っている風だが。それになぜ今日を選んだ?」
 「誰が教えるかよ。人間を物のように扱っておいて、よく聞き出せると思えたな。それに、姉御に大怪我をさせた罪だってあるんだぜ」
 「姉御……なるほど。つくづく貧弱な眼の生き物だ」
 「言ってろ」
 俺は管理者に背を向けて、無数のモニタを見つめる。
 上階三階は、全て均質な鉄格子の狭い部屋が並んでいて、それぞれの部屋の様子や通路の様子などが窺える。
 何度か同じモニタを行き来しながらも、アリエスのいる場所を探す。
 「…どこだ…アリエス…」
 「何だ見つけられんのか、人間。フフ……貧相な眼玉だ」
 「黙れ木偶の坊。今すぐその眼球ぶち抜いてもいいんだぜ」
 「貴様等人間が、我々を創造し、この世界の是正を求め、貴様等の計画の完遂を待ち望んでいるのだろう?まだそれを果たさぬうちに、我々を破壊するなど、自己矛盾にも程がある」
 「俺は、確かにこの世界に満足していたぜ…アリエスや姉御への仕打やお前等の本性を知るまではな!俺はこんなことは望んだ憶えはねえ。ウルスやアリエス、姉御達と幸せに暮らすことができればそれでよかったんだよ!」
 「望んでいない?幸せ?何を言っている?確かに望んだのは貴様等の遠い先祖かもしれんが、貴様の言う幸せは、我々の管理あってのもの。その幸せを望むことは、先祖の思惑を受け入れるということだ」
 「お前等の管理がなくても幸せになれる」
 「問答無益だな」
 俺は管理者を無視して、三・四階と見回していったが、アリエスの姿は見えなかった。
 そうなると、五階か。
 五階のモニタを網羅していく。
 その最奥部。
 「アリエス!」
 監獄の一角。
 鉄格子にしがみついて外を不安そうに眺めるその顔は、紛れもなく彼女だった。
 「待ってろ。今助けてやるからな」
俺はモニタの電源を落とした。
 
 「…ん?」
 しかし、モニタが黒く染まるその刹那、俺はモニタを高速で横切る影を見た。
 まずいな、急がねば。
 あの影の正体が何なのかは知らないが、余計なことをされては困る。ましてや、もしも俺達の邪魔立てをする者や、アリエスに害を加える者ならば、なおさらまずい。
 彼女の所在地がわかった以上、ここで躊躇している暇も理由もない。

 部屋を出る前に、管理者の方を振り返った。
 腕も脚も無い状態の奴は、攻撃することはおろか、移動も何も出来まい。俺は憐れむような、嘲笑うような口調で言い放った。
 「本当なら、粒子砲も取るつもりだったが、お前等には存在しない慈悲の心で見逃してやるぜ」
 「…」
 管理者は黙って天井を向いていた。
 俺はその時、密かな愉悦と優越感に浸っていた。

 管制室から出ると、廊下は静かだった。管理者一体すら見当たらない。一度も何者かに遭遇することなく、階段の前まで辿り着いた。
 ウルスはまだ来ていなかった。
 俺は壁に背中を預けながら、ふと、「管理者は生物なのだろうか?」という疑問が頭をよぎった。
 腕をもぎ取った時に血も出なければ、脚を崩した時も痛がりすらしなかった。奴らのボディは金属質で温かみは皆無、摂食器官や排泄器官といったものは確認できない、ましてや自己増殖などしそうにもない。しかし、これまで精巧な機械があるのだろうか?この世界とは別の世界では、ああいうものは普通なのだろうか?

 「ローフ」
 名前を呼ばれて我に返った。
 「なんだウルスか…ビックリさせるなよ…」
 「上手くいったか?」
 「ああ、確かにやったぜ。管制室で管理者に出会ったけど、何とか刀は奪えたぜ」
 「俺は幸か不幸か、一体も出会わなかったよ」

 俺達は階段を登って三階に上がった。足音が響いて、終始警戒の糸を張り詰めたままだった。
 だが、逃げ場のない階段にも、収容所の三階にも、管理者の姿はなかった。
 「何か…おかしくねえか?」
 「確かに、怪しい」
 「ここまですんなり行けるか?普通。罠がありそうだぜ…」
 円形の廊下を、独房を横に回っていく。
 鉄格子の間から見える独房の中は、死の匂いが強く漂っていた。
 中の人間は生きてはいるものの、もはや人間としての尊厳は削ぎ落とされて、人型の肉塊と化してしまっていた。
 俺はなるべく目を正面に固定したまま、廊下を一層静かに歩いた。時折鳴る鎖の音と呻き声が胸に刺さる。
 「ウルス、そういえば」
 俺は小声で切り出した。
 「さっき管制室のモニタに、影が横切ってよ。心当たりあるか?」
 「いや………ない」
 「そうか。姉御は来るのか?」
 「無理はさせないほうがいいとは思うけど、戦力が増えるのはありがたいことだね」
 俺は姉御のあの目を思い出した。
 彼女は俺達とは違う種類の人間なのかもしれない。
 三階はどうやら、ただの収容所らしかった。相変わらず管理者がいない、どこか不穏な空気のまま、四階へ上がる階段を早足に登った。

 「ここも同じか」
 四階も三階と同じく、円形の廊下を縁取るように、監獄が並んでいた。
 だがそれでいて、三階とは決定的に違っていた。
 「人だ!助けてくれ!」
 「どうやって入ってきた!」
 「どうやって檻から出た!?」
 「私も外に出してよ!」
 「出して!」
 「助けて!」
 「僕だけでもいいから!」
 監獄の中から、鉄格子を鳴らして、叫ぶ人間達。
 各々の内に秘めた恐怖や苦痛が、俺達に救いを求め、憤りを持って噴出する。我先にと鉄格子の外へ手を差し伸べて、悍ましい花を咲かせていた。騒音に飲まれそうになりながら、俺達は廊下を駆け抜けた。
 醜い。
 真っ先にそう感じた。
 ここにいる人間達は、ただ連れてこられただけだ。その理由が、死と直結するような恐ろしいものでも、管理者は徒らに商品を怯えさえはしないだろう。彼らを歪ませるのは、人間に元来備わった本心の作用なのだ。道徳教育の施されていない集団となれば、こうなるのももっともだ。あくまで憶測にしかすぎないのだが、それでも俺が率直に抱いた感想だ。
 一目散に階段までくると、四階は悲嘆の号哭で包まれた。彼らのどす黒い涙の筋を見ると、アリエスがこの階でなくて良かったと思う。
 彼らと同じく、俺も人間だ。
 だが、自ら人間としての誇りを捨て、イデアを忘れた者に、救いなどあるはずもないのだ。
 「ハァ…ハァ………見たくねえもん見ちまったぜ……」
 「ハァ…はやく、上がろう…」
 息を整えつつ階段を登る。
 四階は連れてこられてから日の浅い人間達の収容所だった。ここで魂を擦り消していくのだろう。
 
 そして、五階だ。
 やっとアリエスに逢える。
 またあの声が聞ける。
 逢えたら何を話そう。
 あの幸福な日々が次々と蘇る。
 俺達は深呼吸を一つして、フロアに踏み入った。

7.掌の歩兵

 暗闇の中を、点々と浮かぶ灯を頼りに慎重に歩く。
 俺は、確かにセンサーとカメラは消したが、照明を落とした覚えはない。
 背中合わせにウルスと進んでいると、彼が何かにつまずいてよろけた。
 「大丈夫か?」
 「ああ…でも、何だこれ……布…?」
 「布?」
 「いや…何かに布が被されてあるんだ」
 俺はポーチの中にライトがあるのを思い出し、それで足元を照らした。
 「…服?そうだウルス。例の影覚えているか?」
 「お前が管制室で見かけたっていう、あの影か?」
 「そうだ。なんか、その影が着ていた上着に似ているんだよな。これと同じ模様が、そいつの背中にもあったような…」
 「じゃあ、これは、俺達以外の侵入者だってことか?」
 「かもしれない」
 俺は電灯で布の両端を探した。
 黒い上着が途切れ、白い脚が光の円の中に現れた。
 「やっぱり人間だぜ」
 「死んでいるのか?」
 「物騒なことを言うな。まだ温かいぜ」
 布のもう一端へと光を動かす。
 「!」
 ライトが、うつ伏せてこちらに向けた顔を捉える。
 その顔を見て、俺は喉を絞められた感じがした。見間違うはずがない。呼吸のテンポが乱れ苦しくなる。
 「…あ、……」
 「何だって?ローフ」
 俺が再び言葉を紡ぐ前に、暗闇の先から地響きがした。

 『えらく時間が掛かったな、裸猿諸君』
 急に照明が点灯し、白い床や壁に光が反射して、目が眩む。
 『ここまでトラップというトラップはなかっただろうに。だがそれでも、管理者(めだま)の一人を大破させることが出来たのは、期待値以上だったよ』
 脳に響く声だ。聞き続けているだけで、軽い催眠にかかっている気分になる。管理者も同じように、地響きのような腹に響く声をするが、それよりもより機械的で、それでいて耳に障らない不気味な音だ。
 徐々に目が慣れてきて、周りが見えるようになってきた。
 前方一直線上、このフロアの最深部。そこに佇むのは、大きな楕円球の物体。一つの目が物体の正中線上やや上方に埋め込まれている。
 管理者だ。
 しかし、普通の管理者とは違う。
 ガラスのような羽が六つ、脚に相当する箱の層は無く腕は四本ついていて、下方二本は後ろに組まれていた。
 その異形の管理者は俺達の反応を無視して話し始めた。
 『私はHSMS(ハスマス)の長だ。貴様等が管理者と呼ぶものの長、管理長といったところか。猿共よ。貴様等の罪は重い。貴様等のような出来損ないは、さっさと処分しても良いのだがな。こちらにも事情があって、そうもいかんのだ』
 俺は、饒舌に垂れ流すその音声に、ぷつぷつと煮えるマグマのような憤怒が胸に溜まっていくのを感じた。人間をとことん見下したような態度で、アリエスを奪って、姉御を傷つけて。
 俺は管理長を指差した。
 「どうだっていい……そんなことはどうだっていい!つべこべ言わずにアリエスを返せってんだよ!この目玉野郎!!」

 俺が距離を詰めようと一歩踏み出した瞬間、聞き覚えのある音がした。毎日のように聞いた、嫌悪の音。それも、一つ二つではなく、四方から無数に。
 『先ずは周りを見て状況を瞬時に把握しろよ猿。つくづく目が悪い生き物だ』
 俺はその場で周りを見渡した。
 周りが白ばかりで気づかなかったが、粒子砲を構えた管理者が整然と周囲を埋め尽くしていた。
 俺は周囲の絶望と自分の落ち度を恨んで、虚空に叫んだ。
 「アアアアァァァッ!!畜生がッ!嵌められたってのか!」
 「ローフ。落ち着いて。ガラスさんが」
 ウルスの言葉に、倒れている姉御のことを思い出した。
 管制室に写った影。ここに倒れている人。それはガラスの姉御だったのだ。
 「そうだった…姉御は大丈夫なのか?」
 「外傷はない。息もあるし、気絶しているだけだと思う」
 背中の方から気持ちの悪い笑い声が聞こえてくる。
 『そこの反逆者なら麻痺失神させてある。リセットとかいう烏合の衆が反乱を企てているらしいが、この様では何とも言えんな』
 俺は奴の戯言をわざと聞き流して、姉御の意識を呼び覚まそうとしていた。
 
 すると、ウルスは一旦手を止めて、立ち上がって管理長に向かって話しかけた。
 「管理長とやら……俺達がここに来たのは、アリエスの返還が目的だ」
 『アリエス…?ああ九九八〇か』
 姉御が目をうっすら開けた。
 眼球をこちらに向けると、唇を動かして、何かを言おうとしている。
 ウルスの声がそれを掻き消した。
 俺はウルスの方を見たが、彼はそれに気づかず続けた。
 「ここにいる人間が、この後どうなるか、俺は知っている。この世界の仕組みも知っている。この番号の意味も、もちろん。だから」
 『だから?』
 「俺の順番を早めて、代わりにアリエスの順番を遅らせてくれないか?頼む」
 そう言ってウルスが頭を下げる。
 俺は唇を噛んだ。憎い管理者の長にそんな姿を晒す彼を、俺は決して見たくはなかったのだ。
 『納期の折半か?面白い。貴様のその要求は受け入れてやる』
 「ああ、恩にきる…」
 「おい待て」
 俺はウルスの腕を掴むと、彼は微笑んだ。
 時限こそあるが、彼の取引が成立すれば、確かにまた三人で過ごすことが出来る。この絶対的に不利な状況で、何も犠牲を出さずに、甘い蜜だけを吸おうなぞ、そんな都合のいい話はないことは分かっている。だからといって、彼だけがその重荷を背負うこともない。管理者に屈することもない。そんなことを望んで、ここまで来たわけじゃない。
 「ウルスとアリエスがまた連れて行かれたら、俺は今度は一人なんだぞ!?姉御も入れて四人で暮らすんだろ!?何でそんな…」
 「じゃあ他に…ノーリスクな方法があるのか?」
 「……あるさ。きっと何かある!もっといい交渉材料が!皆でずっといられる方法が!」
 すると、足元から掠れた声が聞こえた。
 「…ローフ君……いい交渉材料ならあるわ……」
 姉御が声だけをこちらに飛ばす。
 「本当か!教えてくれ、姉御!」
 
 「私を殺して、管理長に手柄として渡しなさい……」
 姉御は痺れた唇を震わせて、声を絞り出す。それは最も聞きたくない答えだった。
 なぜ彼女が俺達より早く到着していたのか。モニタ室で彼女を見かけてから、俺達がここに来るまでに何があったのか。管理長の言う、リセットとは何を指すのか。彼女は何者なのか。
 疑問は山積みだが、今は一つ一つ答えを聞く余裕はない。
 だが、目的は明確に一つだ。
 アリエスを取り戻し、四人で帰ること。そのための、現状の打開策が欲しかった。俺は"いつものように"、彼女に期待した。それなのに。
 「私は、どの道殺される…リセットの一員なのよ……あぁ…とんだ失態だわ……」
 彼女は大きく溜息を吐く。
 「新参者の私が、あなたたちの絆を壊すことは出来ない……」
 彼女は眼を閉じた。
 いつもの彼女なら、全てを知っているように笑い、俺達にヒントを提示してくれるはずだ。だが今の彼女には、その煌めきがない。もう打つ手無しと、柄にもなく諦観の色を見せていた。
 
 それを嘲る声が響いた。
 『おい、そこの人間。五〇八〇だ』
 五〇八〇。俺のことだった。
 「…俺のことか?」
 『そうだ。貴様とも取引をしよう。まずはこれを受け取れ』
 奴は何かを放り投げた。
 『受け取らなければ、このフロアの人間をもれなく消炭にする。今貴様に選択肢はない』
 それは、けたたましい音を立てながら、二、三度跳ねて転がった。
 白く細長い筒のようなものだった。
 俺は恐る恐るそれを掴んだ。見た目以上に重量があり、片手で持つには重すぎるくらいだった。
 『それは貴様が破壊したHSMSの粒子砲に軽量化を施したものだ。装弾数は一。そして威力に関しては、HSMSのボディには貫通しなくとも、人間に風穴を開けるには十分な程に落としてある』
 その言葉に悪寒がした。
 思えば俺は、奴の提案の核心を、自らの倫理の中で推測していた。
 だが奴らは、俺達の幸福や希望など、易々と破滅させる存在なのだということを、俺は失念していた。そうだったからこそ、管理長の言葉がはじめは理解出来なかった。
 
 『貴様がすることはたった一つ。その粒子砲で一人の人間の息の根を止める』
言葉を切ったその一瞬でさえ、俺には何秒も経ったように思えた。
『ここで選択肢だ。貴様が撃ち殺すのは、そこにいるリセットの猿か、もしくは』
 「何を言っ…」

 『こいつか』
 管理長は後ろに組んでいた腕を前に持ってきて、何かを引きずり出してきた。
顎や背中を汗が伝い、シャツが肌に張り付く。次第に粒子砲を握った手に力が入って、指が痛くなる。
 
 管理長の提示した選択肢を聞き、自分の手に委ねられた選択が、総て断崖絶壁にしか続いていないことを悟った頃には、既にチェックメイトだったのだ。

 アリエスは大粒の涙を流しながら、管理長の前で俺達を見つめていた。

8.執行

 「ローフ君……」
 姉御が俺に呼びかけた。
 身体の麻痺が少しだけ解けて来たようだが、まだ自由に動ける様子ではなかった。
 「早くしないと……相手も痺れを切らしちゃうわ…」
 「ちょっと姉御は黙っていてくれ!」
 俺は必死に模索していた。
 全員を救うことの出来る道を。
 全ての選択肢を洗い出す。
 管理長の要求は、アリエスか姉御のうち一人を殺すこと。そうすれば他の三人は解放する。
 
 「なあ、管理長」
 『んん?』
 「選択肢をこの四人のうちの一人に広げてくれ」
 『それは頼みかね?そのようには聞こえんが』
 「チッ……取引条件を、俺を含めた三人のうち一人を殺すという内容に変更してくれませんか?」
 『ふむ。まあ、いいだろう』
 管理長は満足気だった。
 これで、何かが有利になったわけではない。だがこれで、俺自身も選択肢に入ることが出来た。最悪の場合は、あるいは…。

 「ローフ。自害なんて妙な気は起こすなよ?」
 「……最終手段として考えているぜ」
 「おいバカなこと言ってんなよ!」
 ウルスの大声を久々に聞いた。
 「自己矛盾しているだろうが!自分で自分の命を奪うなんて、愚行にもほどがあるぞ!自分で誰かを救うと決めたんなら、それを突き通せよ!俺だってな、何が正解かなんてわかんねえけど、それでもお前が選んだ道なら、それが最善だったって信じてるんだよ!!勝手に逃げてんじゃねえよ!!」
 息を荒げて、目くじらを立てた彼は、決して俺たちに冷徹などではなかった。
 彼の諭しは、確かに正論だ。だが、この状況下では何の足しにもならない。

 『何か言いたければ言うが良い』
 管理長がそう言ったのを聞いた。
 アリエスに向けられた言葉だというのは、彼女が話し始めてから気づいた。
 「ローフ…ウルス…ガラスさん……今までありがとう…私、もう、いいよ。ローフ、早く私を撃って、三人で仲良く暮らしてね…」
 俺は、彼女のそんな弱気な姿を見て、鼻の奥が辛くなった。アリエスは、気丈で、はきはきしていて、優しくて、厳しくかったはずだ。それが、俺が勝手に築いた虚像だとは思いたくなかった。彼女の発言は、諦めにも僻みにも聞こえた。
 だが、俺が何か言う前に彼女は間髪入れずに続ける。
 「私、もう死にたい……今なら、ガラスさんの気持ちも分かるかもしれない……これからこの先この世界で生きたくない…また私の番号が呼ばれる日が来たら、私は死ぬよりも辛い…皆と別れるより苦しい…!」
 アリエスの号哭が部屋に響いた。
 俺は、何故と呟くしかなかった。
 「ローフ君…!アリエスちゃんを撃てば、あなたも苦しむのよ…!それに、まだアリエスちゃんは、自分の行き先は完全に把握していない…彼女の思っているような最悪の未来は待っていない…!そうなれば、私が最もダメージが少ないのよ…だから」
 「ああああぁぁ!!!そうか!そんなに死にたいなら殺してやるよ!!!」
 皆して俺に引き金を引かそうとする。
 俺は半ば現実逃避に近い形で銃口を向ける。口先だけではなく証拠を揃えろ、と。
 震える照準を合わせ、引き金に指をかける。
 姉御は目を瞑り歯を食いしばっていた。
死にたいか。そんなに死にたいか。ならそんな顔をするなよ。願い通りにしてやるから、笑っていろよ!
 一人の命をこの手で奪いかけたその時。

 「ローフ!!!私の…私の言うことを聞けえええええぇぇぇ!!!」
 アリエスの嗚咽交じりに叫ぶ。
 「管理長!九九八〇の行き先は!?」
 『九九八〇の配属は、人養殖場だ』
 音波の波と共に、俺の脳裏にあの情景が浮かんだ。
 もはや、ただの生産機械と化した人間たち。あの狭い部屋の中、一生を終える。その苦しみは、心身ともに侵食し、やがてその命は果てる。
 「余計なことを…」
 姉御が唇を噛んだ。
 その様子が真実味を加算する。管理長も言った。間違いない。あの生地獄にアリエスは送られてしまう。
 「ねえ…わかったでしょう…?だから早く殺してよ…あんなところに行きたくないよ…早く撃ってよ、助けてよ、ローフ…」
 俺の天秤は一気に傾いた。
 皆救う。それは出来ない。ウルスの取引が有効だとしたら、ここで姉御を撃てば、三人でしばらくは暮らせる。だがその後、姉御を撃ったつけを払うかのように、アリエスは地獄を味わう。
 だが逆にアリエスを撃てば、苦しむのは俺たちだ。責められるのは俺だ。アリエスを撃って解放された後、彼女の後を追おう。もうこの世界に平和は無い。今までの虚空の日々は清算して、新しい世界で生き続けよう。不自然で生ぬるい平和は、もうこりごりだ。
 俺の心は、理性ではなく狂気によって、冷静に動かされていた。
 俺は、銃を持ち上げる。
 「じゃあな、アリエス。すぐ行くからよ」
 アリエスは頷いた。恐怖の色は消えぬものの、どこか安堵を見せていた。
 ウルスと姉御が抗議の声をあげていた。
 だが、俺には何を言っているか、理解出来なかった。姉御に向ければ、アリエスが同じように喚くだけだ。理解しようとすれば、せっかく決めた心にストッパーがかかるだけだ。
 引き金をゆっくりと引く。
 時間がひどくゆっくりに感じた。
 銃口から、高速の粒子が……

 「あれ…?」
 いくら待っても誰も死ななかった。
 粒子砲は、がらくたと化した。
 『ハハハハハハハッ!滑稽滑稽!!貴様等人間の茶番は、実に愉快だ!!』
 管理長だけが、忌々しく笑う。
 「どういうことだ…?」
場にいた人間全員が、拍子抜けした様子で笑い声を聞いていた。
 『どういうことも何も、こちらにも事情があるのだよ。我々は独自に動いているわけではない。お偉方の計画の下に管理を行っている。むやみに人間を失うわけにはいかないのだよ』
 「俺たちを……弄んでいただけなのか…?」
 『ああ?まあ半分はそうだ。だが、九九八〇の納期と、そこに倒れている猿が反乱者だという事実は確かに存在する。そして、取引の有効性もだ』
 俺たちはその時、微かな光が見えた気がした。……気がしたのだ。
 「じゃあ、俺たちを解放してくれるのか!?」

 『ん?解放?何の話だ?』
 管理長がとぼけた声を出した。
 周囲の管理者(めだま)が急接近してきて、俺やウルス、姉御を取り囲み拘束する。
 「おい!!どういうことだ!?取引は有効なんだろ!?」
 ウルスが訴えた。
 しかし。
 『ああ…有効だ』
 「ならとっとと、こいつらを退かせろよ!!」
 『何だったかな…取引内容は…貴様の納期を早め、九九八〇の納期を遅らせることだったかな…?』
 「そうだ!分かってるんなら…」
 管理長は、口こそ存在しないが、にやりと笑った。
 『だから、取引は完了したではないか。貴様の納期は本日だったのだよ』
 ウルスの顔が一気に青ざめ、地に目線を落とした。
 ウルスの覚悟も、彼が俺のために黙っていたことも、全部水泡に帰した。もしかしたら、彼も自身の未来を聞かされているのだろうか。
 だが、安心しろウルス。
 「まだ俺の取引が残っている!」
 『貴様との取引は、一人を殺すことだったな』
 「その後残った者を解放する、そこまでが条件だろ!」

 『そんな契約は交わした覚えはない』
 「は…?」
 俺が、ここにきてとぼけるなよ?と頬を引きつらせていると、唐突に空中にモニターが現れた。
 数十分前の俺たちのやり取りの記録が流される。
 俺と管理長の取引の話が終わる頃、俺は俺の思い込みに頭が真っ白になった。
 『どうだね?解放するなど一言も言っていない』
 「…!」
 言葉が出なかった。
 取引は成された。管理長側に非はない。
 俺達は、完全に敗北した。
 
 『最後にいいことを、二つ教えてやろう』
 管理長は俺に指をさして言った。
 『そこの牝猿はな………貴様の姉にあたる人間だ』
 場の時が止まった。
 俺は冗談もいいところだと言い聞かせた。
 だが、冷や汗と悪寒が止まらない。
 俺は姉御の方を振り向く。
 彼女はあの猛禽類のような瞳で、管理長を睨んでいた。
 しかし、管理長はそれに注意を払うこともなく、その事実に補足を加える。
 『正確には、そこの猿の卵から産まれたのが貴様、五〇八〇というわけだ。探せば、他の父違いの兄弟が大量に見つかるぞ?尤も、この施設内には、すでに貴様以外おらんのだがな』
 俺の脳は無意識に信じることを拒んだ。
 姉御姉御と呼んでいたが、実の姉だったなんて、そんな奇怪な偶然があるはずない。
 だが、それが本当だったら?
 もしも知っていたら、どう過ごしていたかも変わっていた。あの時、銃口を衝動的に向けることもなかった。懐疑の目で見たこともなかっただろう。
 肯定と否定を重ねながら、彼女の方を見る。
 「本当…なのか…?姉御…」
 「………」
彼女は黙秘を貫いたが、その泳いだ目と沈黙が、疑心を確信へと変えた。

 『連れていけ』
 そのタイミングに合わせて、管理長の冷ややかな号令で、管理者によって俺とウルス、アリエスは別方向へと引き剥がされていく。
 「嫌、嫌ああぁぁぁぁぁ!!!ローフ!ウルス!」
 アリエスの悲痛な叫び声を聞きながら、俺は何も出来ない。
 ウルスの生気を失った姿を見て、俺は無残に引きずられることしか出来ない。
 姉御が言っていた通り、奴らによっていともたやすく幸福は破られた。だが、平和を享受するために何かに抗ったところで、結末は変わったのだろうか?いいや、もう結末は決まっていた。自分よりもずっと強力な大いなる力の掌の上で、ころころと転がっていただけだ。俺達は、ただの脆いガラス玉だった。
 出口まで来たところで管理長が思い出したように言った。
『そうだ。もう一つ言い忘れていたな。この管理長が特別に、貴様に変わって取引を実行してやる』
「おい……もういい…やめてくれ…!」
 もうウルスとアリエスの姿はどこにも見えない。この先、見ることも能わない。あいつらに何もしてやれない、ヒーロー気取りの俺は、真っ先に死ぬべきだったんだ。
 だが、管理長は俺を無視して粒子砲を展開させた。
 その銃口は他でもなく、管理者に持ち上げられて力なく立つ姉御だった。
 姉御はこちらを見つめて言葉を紡いでいく。
「…ローフ…大好きな弟。今まで本当に」

 唐突に訪れたのは静寂だった。
 一筋の閃光が彼女の喉笛を貫き、その傷穴と口から溢れる血とともに、彼女の光彩から光が消えた。一瞬の苦痛に笑顔が崩れ、悲しそうな表情をしていた。
 
 閉まっていく扉に、俺は情けなく泣き叫び続けた。
 ウルス、アリエス、姉ちゃんと吠えても、もう二度と戻ってはこない。
 俺がどこへ連れて行かれるか、考えている余裕なんてなかった。
 全てへの諦観。
 残ったのは、ただそれだけだった。

9.ヒトりメ

 それで、その後どうなったかって?

 あの後、俺は個別に箱詰めされて、施設の外に運ばれた。俺以外にも他に外へ労働に出された人間はいたらしいが、よく知らん。
 ウルスは人体実験施設に、アリエスは生産施設に送られた。あいつらのことは忘れることはないが、それが俺を苦しめる。今頃どうなっているのか、何を思っているのか想像するだけで精神が汚染されていく感じがする。

 リセットには参加しないのかって?しないに決まってるだろ。お前にはあんな無駄なことをしてほしくないから、わざわざ昔の話を持ち出しているんだぜ?
 労働に出される前に、管理者(めだま)に過去と真実を教えてもらった。
 人間が支配者だった頃のこと。人間の失敗。管理者の誕生理由。管理者の役割。計画の終着点。
 その話は、次の休暇にしてやるから、とにかく解放などと戯言を吐く連中に関わろうとはするな。
 リセットに関わった姉ちゃんは死に、その姉ちゃんに関わった俺たちは、地獄を味わった。そうならないための配慮は施されていたはずなんだがな。まだ支配者を夢見る木偶もいるもんだ。

 俺達のことは言うまでもなく、この世界のずっと先の動きまでお見通しなんだ、管理者達は。
 何せあいつらは「目」がいいからな。
 
 だから俺は、俺達だけじゃなく、この世界を護っていくには、これが安全策だってことを伝える、「一人目」になろうと思うぜ。

ヒトりメ

 読んで下さった方々、ありがとうございます。今回が処女作です。
 続編は不定期だと思いますが、今後ともよろしくお願いします。

ヒトりメ

ヒトは存続と平穏を夢見て、その尊厳と「目」を喪った。だが、永劫などというものは何処にも存在し得ない。あるのは脆く儚い妄想だけ。真実と絶望を目の当たりにした時、彼らは何を思い、何を成せるのか。

  • 小説
  • 短編
  • 冒険
  • アクション
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-02-11

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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  1. 1.四人目
  2. 2.再考期
  3. 3.空白の紙切
  4. 4.宣戦布告
  5. 5.叛逆
  6. 6.境
  7. 7.掌の歩兵
  8. 8.執行
  9. 9.ヒトりメ