兄妹 ~紡グ言ノ葉~

兄妹 ~紡グ言ノ葉~

第1章 ~始まりの鐘の音~

うぐ…ぁぅ……。 おいてかないで……


初めて見た夏美(なつみ)の表情は泣き顔だった。


【8月3日】

「あちぃ…」
ジリジリと暑い。
真夏なのは分かるがこの暑さはやばい。
テレビの今朝の天気予報は30℃を越えるとか言っていた。

あづい…暑すぎる…、、、
自分の腕を見ると汗でテカっていた。

「お兄ちゃん!! もう遅いよ!!」

汗ひとつかかずに、俺の前をスキップしながら早くしろと催促する。

お兄ちゃんこと 俺、鷺原 聡(さぎはら さとし)は
高校生活最後の夏休み返上して
このお気楽娘。
妹の夏美の買い物に付き合ってきている。

俺の住む凪名町(なぎなちょう)は割と田舎の方で
買い物はいつも電車で5区間乗り継いだ
柏市町(かしわしまち)まで行っている。

今も柏市町に来ているのだが…

「夏美ぃ…」 俺は前をルンルン歩く夏美に情けない声をかける。
「ん? なぁに?」 振り返らずに夏美は相づちを打つ。

「まだ買うのか…?」
両手に抱えきれない程にかさばった紙袋を掲げながら言った。
紙袋の中には洋服やら小物やら男の俺には
何に使うのか分からない物が詰められていた。


「まだまだだよっ お兄ちゃん頑張って!」
荷物持ちを引き受けなきゃ良かったと思いつつ溜め息をつく。


思えば、今年の春。
夏美が高校受験に合格したとかで、柏市町に住んでいたのに
わざわざ田舎の俺の家に住むとか言って
押し掛けてきた事から始まったんだと思う。


俺と夏美は昔一緒に住んでいた。
でも俺が小学6年の時、両親が離婚。
俺はお母さんに、夏美はお父さんにそれぞれ分かれて引き取られた。


それから3年間、俺と夏美は会う事はなかったのだが。
何を思ったのか、夏美は都会の柏市高校ではなく田舎で
俺の通っている華李早(かりさ)高校を受験。
見事に合格してみせた。

柏市町から通うのが大変だと言うので俺の家にお世話になりますと
いきなり押し掛けてきたのが入学式の二日前の事。

…それ以来夏美と俺は一緒に学校に通っている。

話を戻して今日。


俺は夏美にせがまれて買い物に付き合っているわけだが。
こんなに暑いと、こんなに荷物があるとは思わなかったから。
今は軽く地獄をみている。 
後悔してると言ってもいいかもしれない。

「~♪」
夏美はやけに楽しそうに鼻歌をもらしている。
「なんか楽しそうだな」


俺は息絶え絶えに問う。

「だって」 夏美は太陽みたく眩しい笑顔を見せた。

「お兄ちゃんと買い物なんて、久しぶりなんだもん☆」


ジリジリと暑い真夏の最中、止まっていたはずの

俺と夏美の歯車は、鈍い音をたてながら動き始めていた。



【8月4日】

ふああ… 俺は欠伸を一つ。

眠い。 結局昨日は夜まで夏美の買い物に付き合う羽目になった。
柏市町で食事を済ませて終電ギリギリの電車に乗った。
結局家に着きゆっくりできたのは日付が変わった辺りだった。


夏美を部屋に見送り、自分の部屋に入った俺は倒れるようにベッドに入った。
…とこまでは良かった。
俺はすっかり忘れていた。 今日、4日は…。


「さと君?」
ぼっと物思いに耽っていた俺に
一人の女の子が心配そうに眉を寄せて顔を覗きこんでいる。


「…あ、なに?」
ハッと我に返った俺は女の子にすっとんきょな返事を返してしまう。
「何、じゃないよー。 ぽーっとしてるから具合でも悪いのかと」
「いや、そんなんじゃないからさ」
「そう? ならいいけど」


女の子はホッとした様子で顔を離した。
「それにしても、さと君とデートなんて久しぶりだね?」

女の子は照れたように微笑んだ。
「バッ…バカ、何恥ずかしい事言ってんだよ!」
俺は、照れ隠しにそう言った。

くすくす そんな様子を見て女の子は笑った。
この笑ってる女の子。


柳 智瀬(やなぎ ちせ)は俺の彼女だ。
俺が高校に入学してすぐ彼女に呼び出された。


古典的な展開だった。
その日も放課後になり、俺は帰ろうと自分の靴棚の扉を開けた。
「ん?」
靴の上に白い手紙が二つ折りにされて置いてあった。

「なんだこれ?」そう思いつつ、手紙を開く。
白い手紙の右下の端には白いハトのようなキャラが描かれている。

女の子だろうか?
独特な丸い文字で書かれている。

“放課後、校舎裏で待ってます”

書いてあったのはそれだけだった。
これって、もしかして。
らぶれたー なのだろうか?

「…とにかく行ってみよう」
まだ居るかは分からないが…俺は行ってみる事にした。
手紙を制服のポケットにしまいこんで走りだした。


…校舎裏での初めて智瀬に、いだいた印象は“かわいい”だった。

肩までのショートカット。
小さくて、でも子供の様に大きな瞳。
華奢で守ってあげたくなるような弱々しい。
でも芯はしっかりある。 そんな印象。

腰まで髪を伸ばして茶髪に染めて
ギャル化している夏美とは真逆な印象だった。

俺を見つけ、智瀬は微笑んで言ったんだ。
“あなたが好きでした、やっと…勇気を出せました”と。

あの頃から今までの2年間。
俺と智瀬は付き合っている。



―――話を戻すと、その後の俺たちのデートといえば。
雑貨屋を回って『これ、かわいいね?』などと智瀬のはしゃぐ姿を見たり
喫茶店で一緒にスパゲッティを半分こしたり。

…至って順調に進んでいった。

そして、日も暮れ始めた頃。
俺が「帰るか」と言うと、智瀬は上目遣いでこう、せがんでくるのだ。
「さと君、あたし行きたい所があるの」と。


俺と智瀬は一緒に電車に乗り“田辺町(たなべまち)”で降りた。
そこは、俺の住んでいる凪名町程ではないのだが、かなり田舎町で。

ここにある花江山(はなえやま)は、季節によって咲く花があり、
その景色はそれぞれの色に咲き乱れ、とても華やかだ。
外の人がよく観光に訪れる唯一の売り出しスポットだった。


その花江山の中腹に、小さな教会がぽつりと建っている。

その教会は昔は山に暮らす“なんとか”神教の信者が
そこに祭られている恋女神(アダレト)という神様に
祈りを捧げる為に使っていたらしい
ことを昔、婆ちゃんから聞いたことがある。

最も今は信者も居なくなり
そこに住んでるのは今にも倒れてしまいそうな
老神父が一人居るだけだった。

その教会に、智瀬は行きたい と言ったのだ。


ギィィィ・・・。 重く堅い扉を開ける。

「・・・・・・」
静かだ、どうやら誰も居ないようだった。

「ねぇ、さと君。 ついてきて」
智瀬は、俺の手をキュっと握るとそのまま引い歩き出した。

「・・・これは」
智瀬に連れてこられた先は、教会の一番奥。
天に向かって祈りを捧げる女神の像の前だった。

「恋女神(アダレト)。 恋愛成就と平和を祈る女神様。」
そっと、智瀬は呟くとそのまま跪き祈るようなポーズをとった。
そして、瞳をそっと閉じる。

「・・・なにしてんだ?」
「見てわからない? 恋女神(アダレト)に祈りを捧げてるの。」
智瀬は瞳を閉じたまま答えた。

「祈り・・・」 何故だか、祈りを捧げる智瀬は切なく見えた。

それが何故なのか、分からないけれど。



―――その時だった。


ゴーン、ゴーン、ゴーン。


教会の鐘が鳴り響いた。
あの老神父が鳴らしたんだろうか?


「っ!!」
と、智瀬はびっくりしたように跳ね上がった。
「ど、どうした?」 慌てて智瀬の顔を覗く。


「やった! 鐘がなったよ! 嬉しい!!」
にこっと笑うと智瀬は俺に抱きついてきた。
「お、おい。 いきなりどうしたよ?」
「知らないの? この鐘の言い伝え。」
「?」

「この鐘はね、“愛し合ってる二人が一緒に聞くと

 幸せになれる”ていう言い伝えがあるんだよ」

智瀬は俺に抱きついたまま言った。


「へぇ・・・て、そんなどこかのギャルゲーじゃあるまいし」

女の子って本当にそういうの好きだよなぁ。などと思ってしまう俺は。
心が荒(すさ)んでしまっているかもしれない。


「私たち、女神様に祝福されたのかな?」
そんな俺を他所(よそ)に、智瀬は嬉しそうに俺の胸に顔を埋めた。

「・・・まぁ、いいか」
智瀬が嬉しそうだからいいか。
それに、本当に祝福されたのならそれは喜ばしいことだ。

何故なら。

      俺たちは幸せになれるということなのだから。


俺はそっと、智瀬の頭を撫でてやった。智瀬はくすぐったそうに笑った。



その時の俺たちは気づかない。 

教会の重苦しい扉の向こうから覗く視線に。

第2章 ~茜色の瞳、その先は~


【8月5日】

この日、俺と智瀬、それに夏美は学校に来ていた。
夏休み中なのに登校とかマジでだるい。

何故に学校なのかというと夏期講習があったからだ。

俺と智瀬は物理。 学年が違う夏美は数学。

普通に宿題もある中で何故講習など受けなければいけないのか。

俺の担任曰く、『講習受けないとこの後大変』なのだという。

全くもってダルい。


というわけで、俺は適当に講習を受けたわけだ。

「さと君、それでいいの?」 と智瀬には苦笑されたが気にしない。


さて、講習が終わったので帰るとする。

俺は智瀬と一緒に肩を並べて廊下を歩いていた。

「ん?」 ふと、遠くで誰かがこちらに向かって手を振っている。


「あれって、夏美ちゃんじゃない?」 智瀬は目を丸くして言った。

「本当だ…あいつ、何やってんだ?」

そんなことを思ってると、手を振りながら俺に駆け寄って・・・。

ガスッ!!

「ぐほっ?!」


何故か、俺の鳩尾(みぞおち)に肘鉄を食らわせた。


「げほっ…げほっ」 咳き込む俺に夏美は悪戯な笑顔を見せて。

「お兄ちゃん、一緒に帰ろうっ」と言う。

「お前・・・普通に登場できないのか?!
 大体なんだよ? 今のフライング肘鉄は?!」


フライング肘鉄、そんな技が実際あるのかは知らないが。

「え? こっちの方が私らしくない?」


こっちってどっちですか・・・。 もう訳が分からない。

「ね? ね? いいでしょ?」

夏美の笑顔の矛先は智瀬にいった。

「えっと…うん、私は構わないけど」と智瀬は苦笑交じりに答えた。

「やったぁ! それじゃ行こう!」

「・・・・・・」

鳩尾を手で抑え、不機嫌そうな俺など何処吹く風で。

夏美は智瀬の手を引き、スタスタと歩き出した。

「ちょっ 待て! 俺を置いて行くなぁ!!」

俺も慌てて二人の後に続く。


夏美は笑っていた。 不自然なくらいに。

しかし、その時の俺は“それ”を気にも留めていなかった。



【8月6日】



翌日、俺は智瀬とデートしていた。

デート と言ってもこの前みたく外には出掛けていない。

今日は智瀬の部屋でのんびりする日なのだ。
所謂(いわゆる)、お家デート。


俺たちの住んでいるこの凪名町は、田舎だ。

海とか田んぼとか以外は、本当に少しのスーパーやコンビニ。

娯楽といえばパチンコ屋しかない。

俺たち若者が行くような所はハッキリ言って皆無に近い。

だから、俺と智瀬は金がない時とか天気が悪い日。

もちろん何もない日でも大体はこの智瀬の部屋で過ごす。

智瀬の部屋は二階で日当たりも良く風も良く通る。


なので、カーテンを閉めて窓を開けると真夏でも
結構クーラー要らずだったりする。



理由はもう一つあって、智瀬の両親は仕事が忙しいらしい。

デザイナーをやっているらしく、海外を忙しく飛び回っているとか。

両親も兄弟も居ない智瀬の家は、全く気負いせず居れる空間。

それに、智瀬も居るのだ。 俺にとってはパラダイスなのだ。


「はぁ~…なんか眠くなってきたなぁ」
俺は智瀬のベッドに横たわると欠伸(あくび)を一つ。

「さと君、私の部屋に来ると必ずそれだよね?」

智瀬は俺の横に腰掛けた。

「ん? そうだったか?」

「うん、そうだよ? ひょっとして何かを期待してるの?」

悪戯に、智瀬は笑った。

「ばっ…そんなんじゃ…ねーよ」 思わず言葉に詰まる。

期待してない と言えば嘘になる。 俺だって健全な男子なのだから。



…そう言えば、俺たち付き合って2年以上経つのに

その“何か”は愚かキスすらしていない。

手を握ったり、抱きしめあったり。 智瀬のか細い肩を抱いたり。

恋人らしいことと言えば、それだけだった。

今時珍しい程の、純粋(イノセント)な関係だった。



したくないわけではない。 むしろ、したい。

でも、“それ”をしてしまうと何かが壊れてしまう。

そんな気がして進めないんだ。

きっと、智瀬も同じなんだと思う。

今までの関係…では居られなくなる気がするから。



「・・・」 俺は黙って智瀬の膝に頭を乗せた。

智瀬はクスクスと微笑みつつも、俺の頭を撫でてくれる。

その感触が、智瀬から溢れてくる甘酸っぱい香りが。

温かさが好きだった。

だから、これでいい。 このままでいいんだ。


無理に変わる必要なんてない。


もう暫くは、このままで居たいから。



―――俺は、柔らかな智瀬の中で静かに眠りへと落ちていった。




・・・・・・。
・・・。


「―――きて」

誰かの声がする。

誰だろう? 凄く聞き覚えがあるような気がするのだけど。



「起きて―――」


起きる? 俺が?


「もう、さと君ったら・・・起きなさいっ!」


バシッ!!!


―――んあ?

俺は何故か痛む後頭部を手で抑えながらムックリと起き上がる。

「もう、さと君? 寝すぎだよ。 もうすっかり夕方だよ」



シャァー・・・。


智瀬は苦笑いすると窓のカーテンを開けて見せた。


窓からは夏場独特の涼しい風と、オレンジ色の夕陽の光が差し込んでいた。


「俺・・・そんなに寝てたのか?」



窓の外を覗き込む。

俺たちの住む町は、見事に茜色に染められていた。

住宅の隙間や公園に生い茂る木々や家の屋根とのコントラストが

とても幻想的に思えて。 綺麗だと思った。


…ふと、下方に誰かの気配を感じた。

俺は、気配の方向に眼を向ける。


「・・・・・・」


そいつは智瀬の家の前、その玄関の前にいた。


ぼーっとしていて、微動だにせず。 ただ黙って家のドアを見つめていた。

その瞳は夕陽の所為か、茜色に染まり濁っている。 

まるで生気が感じられなかった。


「夏美・・・」 俺は思わず、そいつの名前を口にしていた。


何故ここにいるんだ? 俺は夏美にこの家の場所なんて教えていない。

ましてや、智瀬と会うだなんて言ってきたわけでもない。

なのに、何故あいつはここにいるんだ?


「え? あ、本当に夏美ちゃんだ」

俺の様子に気がついたのだろう。

智瀬は俺の隣にやってくると窓の下を覗き込んだ。

そして眉を寄せ、俺に言う。

「夏美ちゃん、私の家の前で何してるの・・・?」 と。


「分からない・・・てか、場所も知らないはず・・・」


ふと、夏美の口が動いた。 何かを小声で言っているようだ。



  お・・・

    に・・・

      い・・・

        ちゃ・・・

          ん・・・



「・・・?!」

分からない、確証なんてない。

でも、俺にはそういう風に“聞こえた”。

途切れ途切れに、俺を呼んでいた。 そんな気がしたのだ。


「っ!」

「え?! ちょっとさと君?!」

バン!! 突然部屋のドアを開け玄関へと走っていく俺に

智瀬は驚いたような声を上げた。


「・・・・・・」 そんなの気にしていられなかった。

なんだか、嫌な胸騒ぎがしたんだ。



「夏美?!」 玄関のドアを勢い良く開けると名を強く呼んだ。


・・・・・・・・・。

・・・・・・。


しかし、さっきまで“そこ”に居たはずの夏美の姿はもう無くなっていた。



「夏美・・・」


一体どうしたっていうんだ? なんで此処を知ってたんだ?

何故ドアをじっと見つめていたんだ? 何故…俺を呼んだんだ?

何故…何も言わないで居なくなるんだよ…。


「さと君…? 夏美ちゃんは…?」


「・・・・・・」


俺の耳には、その時智瀬の声は届いていなかった。

分からないことだらけで、頭が軽く混乱していた。


あいつの“茜色の瞳の先”は、何を見つめていたんだ…?

兄妹 ~紡グ言ノ葉~

兄妹 ~紡グ言ノ葉~

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-02-11

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Copyrighted
  1. 第1章 ~始まりの鐘の音~
  2. 第2章 ~茜色の瞳、その先は~