兄上なんか大嫌いです

ゼン

兄上なんか大嫌いです

書類を整理していたディックはふと、会議室のドアが開く音に気がついた。後ろを向くと、リックが腕を組んで立っていた。
 「リックか。いきなりどうした?」
するとリックはディックの鼻先にぴんと指を差し、
 「私は兄上が大嫌いです」
 「……え?」
それだけしか、ディックは言えなかった。
 「兄上のその傲慢さ……、それが私には腹が立つのです! しばらく兄上とは会いたくもないし、口も聞きたくありません!」
珍しく大声を出して言ったあと、リックは会議室を去っていった。
 「(私は何かリックが気に障る事を言ってしまったのか?)」
自問自答するディックだが、特に何も思いつくことはない。ため息をつくと、ディックは会議室を出ていった。
 オフィスに戻ってきたディックはパソコンと向き合っていた。電源を消す瞬間、自分の顔がひどく沈んだ表情をしていることに気がついた。誰かに、肩を叩かれた。顔を上げると、部下であるシュウだった。シュウは首を傾げながら、
 「ディック様。ひどく顔色が悪いですよ? 何かあったのですか? 俺でよかったら話を聞きますよ」
きっと、シュウなりの配慮だったのだろう。
 「じゃ、休憩室に行こうか。シュウ君」
ディックは小さく頷くと、シュウとともに休憩室へと行くことにした。
 「シュウ君。君は何を飲む?」
休憩室にある自販機を見つめながら、ディックが口を開いた。
 「お……俺は、コーヒーがいいです」
 「ブラックではないが、いいか?」
 「ええ。俺に気をつかわなくても……」
ディックから手渡された缶コーヒーをシュウは手に持つと、プルトップを開けた。ディックが煙草を吸いながら、
 「弟と喧嘩をしてしまった」
ぽつりと小さな声で呟いた。
 「リック様とですか?」
少しだけシュウの声が震えた。そんなシュウを見たディックはまたもやため息をつく。
 「ああ。リックは私の傲慢さが気に喰わないようだ。私はそんなつもりはないのだが、大官僚として少しだけ威厳を持ちたい、と思って今まで過ごしてきたのだが……、リックはそうは思ってなかったんだな」
そう言ってディックは嘲るように小さく笑った。するとシュウは、きっとした目つきでディックを見やった。
 「これはリック様への悪口ではありませんが……、俺は、エスタ国大官僚だからこそ、威厳を持つのが大事だと思います。傲慢とは、少し違うと思います」
 「その言葉で幾分救われたよ、シュウ君。ありがとう」
そう言ってディックはシュウにほほ笑んだ。
 「いっ、いえ。俺なりの意見を言ったまでです」
緊張した面持ちで、シュウが言った。ディックは休憩室にある時計を見つめた。
 「そろそろ戻ろうか。まだ仕事が残っている。行くぞ、シュウ君」
 「はい!」
シュウは缶コーヒーをゴミ箱に捨てると、ディックの後を追った。
 ディックは椅子へと座るとパソコンの電源を入れた。書類を打ち込んでいる間も、頭を巡るのは、怒った表情をしたリックだった。ディックは頭を横に振る。
 「(今は仕事中だ。何も考えるな)」
無心になって書類を打ち込み続けて数時間、あっという間に終業時間になっていた。だが、ディックの手元にはまだ書類が数枚あった。これは居残り決定だな、とディックは思った。
 「シュウ君。君は書類が終わっているようだな。先に上がっていいよ」
にっこりと笑い、ディックが言った。するとシュウは困ったような笑みをディックに見せた。
 「いいえ。俺もディック様の書類を手伝いますよ」
その言葉に、ディックはゆっくりと首を横に振った。
 「いや、私がやる。それより……」
ディックが何か言いたげにしていたので、シュウは耳をすませた。
 「リックに嫌われるくらいならば私は自死を選ぶ」
 「ディック様。今何と仰いました?」
 「何でもない。ただのひとりごとだ。さぁ、シュウ君。君は先に上がっていいよ」
それだけを言って、ディックは椅子に座り、パソコンを見つめはじめた。
 「じゃ、俺は先に上がります。ディック様、お疲れさまでした」
背中越しのディックにシュウは頭を下げると、オフィスを後にした。
 パソコンを見つめつつ書類を打ち込む。書類は一時間ほどで終わった。ディックはポケットからスマートフォンを取り出すと、電話をかけた。
 「エスタ軍部ですよね? 私は政府の者です。ディック・シーゲルと申します」
 「だっ、大官僚ディック・シーゲル様が軍部に何のご用でしょうか?」
 「少し話し合いがしたいのですが、軍部へこれからお伺いしてもよろしいでしょうか?」
それだけを言い、ディックは電話を切った。ディックには自信があった。軍部と政府は持ちつ持たれつの関係にある。だからこそ、己を受け入れてくれるだろう、と。
 厚手のコートを羽織った男が軍部の前に立っていた。そう、ディックである。事情を話し、ディックは軍部の一室へと入った。それとともにコーヒーが出され、軍部の人間がやってきた。
 「ディック様。私どもに用があるとはどのようなことで……?」
男の銀縁フレームの奥の瞳がぎらりと光る。
 「謀殺したい相手がいる」
ディックの放った言葉は、それだけだった。
 「一体誰を……?」
 「それは言えん」
きっぱりとディックは言うと、口を閉じた。男は頷き、
 「ようするに……、毒薬が欲しいということですね?」
 「ああ。毒薬を摂取しても、体に残らないものをな」
そう言ってディックは嫌な笑みを浮かべた。
 「さすがディック様。毒薬事情にはお詳しい」
 「手っ取り早く欲しいのだ。悪いが、今すぐ渡してほしい。すぐに謀殺したい相手がいる」
ディックが催促すると、男はゆっくりと金庫を開け、ディックに数粒のカプセルを手渡した。
 「今、軍にあるのはこれが全てです。一錠で効果は出ますが、予備に渡しておきます」 「ありがとう。礼を言う」
毒薬を持ったディックはソファーから立ちあがり、男に頭を下げた。
ディックはそれから軍部を出た。月明かりが、ディックを照らした。
 「まずい。もう一枚の書類を仕上げていなかった……」
慌ててディックはオフィスへと戻っていった。オフィスに着くと、ディックは室内の照明をつけた。
 「さすがにこんな遅い時間じゃ誰もいないな……」
喉奥でディックが笑った。書類は、数分で打ち終えた。パソコンの電源を消すと、ディックは一呼吸置いた。そして、ポケットから毒薬を取り出した。
 「軍部の人間も、謀殺したい相手がディック・シーゲル自身だとは気付かなかったな……」
コップに入っている水を見つめる。
 「シュウ君には世話になった。だが……、もうさよならだ」
そして、ディックは口の中に毒薬を放り込んだ。
 「私は……、リックに嫌われるくらいなら、自死を……」
どさり、と音を立てて、ディックは地面へと倒れた。涙が出てくるとは、ディック自身気がつかなかった。
 そのころ、リックはジャックと世間話をしながら帰路にあった。
 「それにしてもリックさん、ディック様と喧嘩したって本当ですか?」
訝しげな目をして、ジャックが問う。リックは小さく頷いた。
 「それくらい強く言わないと兄上は分かってくれないからね。それにしても……、少し言いすぎたかな、って感じはあるよ」
 「ならばすぐ謝ったほうがいいですよ、リックさん。まだオフィスにいると思いますよ、ディック様は。何てたって部下想いで有名ですからね」
ジャックが小さくほほ笑む。
 「兄上が部下想いだって? 初めて聞いたよ。とりあえず、私は兄上のオフィスへ向かってみる。ジャック、お疲れ様」
リックが軽くジャックに頭を下げる。
 「こちらこそお疲れ様でした。リックさん」
深く、ジャックは頭を下げると、去っていった。
 リックはジャケットを羽織り、月明かりがさす夜道を歩いている。確かに、リックは兄ディックに強く言いすぎたことを若干だが後悔していた。普段はディックの言いなりだが、そうではないことを、リックは軽く主張しているつもりだった。
 「(やはり私は、兄上には勝てないな)」
ため息を付きつつ、リックは笑った。
 ディックが勤めるオフィスへとやってきた。
 「兄上? リックです。います?」
リックはオフィスを見渡すが、ディックの姿はない。
 「昼間の出来事は謝ります。許して下さい、兄上。私、いや俺は兄上の言いなりではないのです」
なぜか言い訳をしながらリックはディックを探す。ふと、乱雑に書類が散らばっている。そして、その先には、ダークブルーのシャツが見えた。
 「兄上! 一体何があったのですか!?」
倒れていたのは、リックの兄であり、エスタ大官僚ディック・シーゲルだった。
 「しっかりしてください!」
頭の混乱したリックはひたすらディックの体を揺さぶる。だが、ディックからは何の返答もない。ディックの近くに、小さなカプセルが落ちていた。リックはカプセルを拾った。 「何でしょうかね、これは?」
目を細め、リックはカプセルに書いてある文字を見つめた。そこには、はっきりと毒薬だと書いてあった。
 「あ……兄上。なぜこのようなものを……」
リックにはそれだけしか言えなかった。だが、首を振り、ディックの周りを見やった。
 「まさか兄上は自らの命を殺すためにこれを……」
がたがたと、リックの体が震えた。だが、震えている場合ではないのを、リックは分かっていた。ジャケットのポケットからスマートフォンを取り出すと、
 「久しぶりだね、ルーク。少し、診てもらいたい人がいるんだけど、いいかな?」
 「おう、リック。久しぶりだな。診てもらいたい人? 誰?」
ルークと呼ばれた男は声を低くした。
 「今は詳しく言えないんだ。そちらへ行ってもいいかな?」
遠慮がちにリックは言うと、
 「分かった。準備して待ってるから、早く来いよ」
そこで電話は切れた。リックは倒れ込んでいるディックを背負うと、オフィスを後にした。 リックはルークの経営する病院へと車を走らせていた。一旦自宅へと帰り、車を回してきたのだ。助手席には、意識の無い兄が乗っている。リックは医師ではないから、正直言って、今のディックが生きているのかどうなのかよく分からなかった。
 車を走らせ数十分、リックはルークが経営する病院へと着いた。助手席からディックを降ろし、背負う。その光景を見ていたルークは驚いた表情を浮かべた。
 「ディックが……、一体何があったんだ?」
するとリックが小さな声で、
 「これは関係あるのかないのかは分からないけど、今日、兄上と口論になってね。さっき、オフィスに行ったら兄上が倒れていた。で、近くにこんなものが落ちていたんだ」
リックはルークに例のカプセルを渡した。
 「これは……!」
ルークの目が見開いた。
 「エスタ軍部が新しく製造している毒薬じゃん! ディックはもしや……、これを飲んでしまったのか?」
 「おそらく、そうだろうね」
しょんぼりとした表情でリックが頷いた。
 「これ一錠で人が死ぬようなものをよくもエスタ軍部は……!」
ぎりり、と唇をルークは噛みしめている。
 「兄上は顔が広いから。それにしても、兄上がこんなに悩んでいたとは知らなかった。全て、私のせいだ。私は兄上に何てことをしてしまったんだろう……」
 「今はそれどころじゃない。俺はディックの治療に入る。助かるかどうかは俺の腕じゃない。ディックの運次第だ」
それだけを言うと、ルークは倒れ込んでいるディックを背負うと処置室へと入っていった。 リックはひたすら、ディックの治療が終わるのを待っていた。昼間、兄ディックに言ってしまったことが引き金となり、ディックは毒を飲んだ。リックは自責の念に襲われた。 「(私は……、兄上を……、エスタ大官僚をこの手で殺すことになってしまうのか?)」
そんなことを考えて、リックは頭を抱えた。
 「(何てことをしてしまったんだ、私は……! 兄上が……、死ぬだなんて絶対に嫌だ)」
ふと、先ほど拝借してきたディックの煙草とライターをリックは取り出した。ムシャクシャしたときに吸う、というのをリックは聞いていた。煙草にライターで火を付け、吸う。 「けほっ、けほっ……」
煙草の煙で思い切りリックはむせてしまった。
 「兄上はさすがだな……」
ぽつりとリックが呟いた。そのときだった、処置室のドアが開いたのは。
 リックはルークの肩を思い切り揺すぶった。
 「ルーク! 兄上は?」
するとルークは小さくほほ笑み、
 「大丈夫。命は助かったよ。リックの発見が早かったからだと思う。だけど……、意識はまだ戻っていないんだ」
 「意識が戻る確証はあるのかい?」
訝しげにリックが問うと、ルークは頷いた。
 「兄上の病室へ行ってもいいかな?」
リックのその言葉に、
 「いいよ。だけど、あまりディックを刺激させるような真似はするなよ」
そう言って、ルークはリックをディックの病室へと通した。
 青白い顔をして、兄ディックがベッドに横たわっていた。意識が戻っていないのだろう、切れ長の瞳は閉ざされている。
 「兄上!」
リックはディックの元へと走っていった。そして、若干冷たいディックの手を握る。
 「私のせいでこんなことに……、申し訳ありませんでした! 兄上!」
ディック特有の嘲る笑いも聞こえない。
 「私は、兄上がそこまで悩んでいたとは知りませんでした……!」
ディックが寝ているベッドに向かい、リックは土下座した。そのときだった。
 「ん……。ここは、どこだ?」
小さな声だったが、まぎれもなくディックの声だった。すっくと頭を上げ、リックは、
 「兄上!」
ディックに抱きついていた。それを見ていたルークはにっこりと笑う。
 「私は……、死にきれなかったのか」
その言葉を聞いたルークの形相がみるみる変わっていった。そして、ディックの胸倉を掴んだ。
 「ディック! あんたは何てことをやってるんだ? 仮にも大官僚だろ? 命を捨てるような真似はするなよ!」
するとディックはルークの手をなぎ払い、
 「死ぬことに大官僚も何もない」
落ちつき払って言った。ルークとディック、お互いが睨みをきかせている。二人の間に入ったのはリックだった。
 「兄上もルークも、言い争いはやめてください! 全て私が悪いのです」
 「どういう意味だ?」
ルークが首を捻った。リックは一呼吸置くと、
 「さっきルークにも言ったと思うけど、私と兄上は口論になった。私は兄上にひどいことを言ってしまった。きっと兄上は、それを嘆いて毒薬を……」
 「もうやめろ。それ以上言うのは」
ベッドに座っていたディックが小さく言った。
 「私は大官僚として威厳を持ちたい、そういう態度で皆に迷惑をかけていたなら謝罪する。リックに指摘されるまで、私は気がつかなかった。いつの間にか、傲慢になっていったんだな」
 「そんなことありません! 大官僚は威厳を持つべきです! 私の言葉づかいが間違っていました。本当に申し訳ありません!」
深くリックはディックに頭を下げた。
 「いいんだ、リック。気にするな。リックの言うとおりなんだよ。大官僚としての威厳を、私はどうやら勘違いしていたようだ。これからはちゃんとした威厳を持つつもりだ」そう言ったディックの表情は晴れ晴れとしていた。そんなディックの表情を見たリックの瞳から涙がぼろぼろと零れる。
 「本当に、兄上が無事でよかった……!」
再び、兄ディックにリックは抱きついた。遠慮しがちにルークが、
 「ディック。あんたは経過観察があるから、しばらく入院していってくれないか。いつ急変するか分からないからな」
 「兄上に危機が及ぶということかい?」
リックが腕を組んだ。ルークは小さく頷き、
 「まぁ、大丈夫だと思うけど、いちおうね」
 「待てルーク。私には政務がある。入院するわけにはいかない」
ディックが頑なに拒否する態度をとった。
 「何を言ってるんです、兄上。ルークの病院で、無心になるのも気分転換になってよいと思いますよ」
 「ま……、まぁ、そうだな」
はにかんだ表情をディックは浮かべた。ふと時計を見たリックの目つきが変わった。
 「いきなりどうしたんだ? リック?」
ディックが目線を細める。リックは近くに置いてあったビジネスバッグを持った。
 「すみません、兄上! 明日、朝一で会議があるんです! 私はこれで帰らせてもらいます。兄上、療養していて下さいね」
そう言ってリックはまたもやディックに深く頭を下げると、ルークの病院を去っていった。 残されたディックは、ベッドに座り、空を見ていた。濃紺色の空が延々と続いていた。 「ディックでも、空を見ることがあるんだな」
ディックの後ろにルークが立っていた。
 「私だって空を見上げたいときだってある」
 「なぁ、ディック。あんた何で死のうとしたんだ?」
ずばり、ルークが聞いてきた。するとディックは小さな声で、
 「私とリックは一心同体。リックに嫌われるくらいなら……自死を選ぶ」
 「何だそりゃ、俺にはよく分からないな」
真面目な顔をしているディックをよそに、ルークが大きく笑った。
 「きっと、リックもそう思っていると思うよ。ディック」
最後にそう付け加えておいた。
 「まぁ、リックに直接聞いたわけじゃないけどな」
 「ルーク」
ディックが従兄弟の名を呼んだ。
 「私の命を救ってくれて、ありがとう」
小さな声で、ディックは呟いた。だが、ルークは首を横に振った。
 「それは俺じゃなくて、リックに言うんだな。リックが早く発見したから、あんたは助かったんだ。さて、まだあんたは病人だ。体を休めろよ」
そう言ってルークはディックの病室の電源を落とした。
 月明かりがさしこむ中、ディックはリックに一通のメールを送った。
 「リック。私の命を救ってくれてありがとう」
と……。

END

兄上なんか大嫌いです

兄上なんか大嫌いです

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-02-09

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work