贖罪の少年 第3章 6部

樫之木千里

敵の正体

 「阿修羅」と「正田組」が一悶着していたとき、日内は絶賛「修羅場」中であった。

 彼は謎の強面老人に見つかった後、借りて来た猫のようにボディーガードに掴まれた。
 そしてそのまま車に乗せられ、老人の屋敷らしい場所に連行された。

 応接間に連れて行かれた日内は、客人用のソファーに座るよう命じられてそこに座った。
 それに対になるように強面の老人は主人用のソファーに座り、日内の後ろにはボディーガードが二人立っている図式が出来上がった。

 日内はしばらく無口で座っていたが、沈黙に耐えかねて口を開いた。

「あの…何のご用件でしょうか」
「単刀直入に訊く。お前は何が目的で有馬を訊ねに来ていた」

 老人に睨みつけられながら問いただされた日内は、目を白黒させながら言い訳を探した。

「おっオレは、有馬さんの子どもの友人です。
 あいつ、どうしても親父に会いたいって言ってたもんだから、秘密で捜していたんです」

 日内のもっともな嘘の理由にも老人は動じること無く、じっと彼の目を見て質問をした。

「そうか。よほど親しいのじゃな。お主達はお互いに、どの様に名を呼び合っておる」
 日内は調べた有馬のプロフィールを思い出した。
 短髪で野球帽を冠ったその子どもの名前は『真樹』だったはずだ。

「オレはアイツの事を『マサキ』って呼んでます」

「違う!」

 老人は怒りに満ちた声で日内を威嚇した。
「その子の名前は『マキ』と呼ぶ。すなわち有馬のこどもは娘じゃ!
 彼女は昔少年野球をしておったから、子どもの頃の写真は少年に見えたのじゃろう」

 それを聴いた日内は顔面蒼白になった。

 老人は鬼の形相で彼を問いつめた。
「やはりお前は何か企んでおるな。大方『阿修羅』の手先だろう。白状してもらうぞ!」

 日内は逃げようとしたが、ボディガードに捕らえられ逃げられなくなてしまった。
 老人は部屋の奥に飾ってあった日本刀を手に取り、さやを抜いて刃を日内ののど元の方に向けた。

 そして

「本当の事を言え。死にたく無ければな」
 と、ドスがきいた冷たい声で言い放った。

 これには日内も観念し、涙目になりながら白状した。
「すみません。本当のこと話しますっ!」

 彼は恐怖におののきながら、今までのことを洗いざらい話した。
 那奈が三島から七瀬の噂の真相を耳にし、それを利用して「霊の社」を脅そうとしたこと。
 そのためにツテのある「阿修羅」に協力をお願いして、噂の「証拠」を金井から奪ったこと。
 そして
「あと、これはオレだけの判断でした事なんだけど、金井さんは誰にも捕まらない遠くの所に逃がしました。
 そのお礼に金井さんから有馬さんの事を教えてもらったんです」

 それを聞いた老人は目を見開いた。

「金井君がお主に有馬の証拠を?何故じゃ」
 詰め寄る老人に怯えながらも日内は答えた。
「えっと、オレになら渡せるって。その理由は知らないですけど…」

 その話しを聞いた老人は何かを考え込み、日本刀を日内ののど元から下ろした。
 そしてボディーガードの男の一人に何かを命じ、彼は日内を手放して客間を去って行った。
 もう一人のボディーガードも老人に目配せをして、客間を出て行った。

 支えを失った日内はバタリと床に倒れ、へたれ込んだ。
「死ぬかと思った…」

 その様子を見ながら老人は主の座へ戻って行った。そして日内に声をかけた。
「もう何もせぬから、安心してソファーに座るがいい」
 日内は老人の言葉に嘘はないと感じた。
 そして彼に自白したことが漏れて「阿修羅」に伝わったならば、もう彼の行き先は何処にも無いと悟った。
 彼は腹をくくって老人の言葉に従う他無かった。

 そんな日内を見つめながら老人は自己紹介をした。

「名を名乗らずに無礼をしたな、すまない。
 ワシは元『正田組』の組長、須藤雪正だ。
 今は隠居をしており、ここで少しばかりの事業をしておる。
 お主の名は?」

「オレ、日内康平っていいます」

 それを聴いた須藤は少し眉を上げた。
「『日内』か。それならお前は藤平の『石ノ下』の者か」
「え!?何でオレの住んでいる場所が分かったんですか!」

 驚く日内に須藤はこう答えた。

「何て事はない。この地区の歴史を知っておれば分かる。
 昔は土地に種族ごとの縄張りがあってな、そこからその種族が外に出る様になったのはつい最近だかなら。
 藤平の石ノ下は日内家が治めていた地域じゃ。
 その証拠にお前さんの親族は近所に沢山おろう。それは昔の縄張りの名残だ」

 日内は思い返してこう答えた。
「そういわれればそのとおりだ。父ちゃんの方の親戚は地元の人間ばっかだ」

 ぼんやり答える彼に、須藤は何か思い当たることがあるような表情をした。
「なるほど。今の若者は土地の歴史を知らぬのだな。日内君は『石ノ下神社』の伝説を知っておるか?」
「いいえ。知らないです」
 日内の答えに須藤は少し驚いた振りをした。
 そしてニマリ顔をしながら訳ありなようにコソコソ声でこういった。

「実はな、あそこの神社には昔の有力者が隠した財宝が隠されているという話しじゃ。
 それを守っているのが日内家という事じゃ。
 苗字もホレ、『日』に当たって人目にふれぬよう『内』側に隠したという意味を表しているのじゃよ」

 それを聴いた日内はすっとんきょうな声を上げた。
「あそこにお宝があるって、父ちゃんそんな良い話し秘密にしてたのかよ!くっそー!何か狡りぃよ!」

 だだをこねる日内に須藤は大笑いをした。
「ハハハハッ。これは物語みたいなものだ。
 本当だとしても昔から貧しい藤平の者なら、生活のためにご先祖様が宝を掘り起こして使っておるわい」
「そんなぁっ」
 そういってがっくり肩を落とす日内に、須藤は謝った。
「すまないな。
 ワシのこれからの話しには、地域の歴史を意識してもらまないと上手く説明できなかったからな。
 お前さんに少し関心を持ってもらうために話したのだ」

「?地域の歴史?」
 不思議そうな顔をする日内に須藤はうなずいた。

「そう。お前さん達が敵にしようとしておる『霊の社』の源流は、この山守の歴史に深く関わっておる。
 そして長い年月を組み込みながら、この土地周辺の様々な問題の由来を作り出しているのだ。
 お前達が知っておる悪事などその氷山の一角に過ぎん」

「氷山の一角…?」

 日内はゾッとした。
 子どもの性的虐待の事件だけでもおぞましいものなのに、その事さえ「一部」と切り捨てられる教団の悪事にめまいさえ起こしそうだった。
 そして想像を超えた『霊の社』というとんでもない団体に、今更ながら彼は怯えるようになった。

 そんな日内に須藤は静かに助言をした。

「お前さんは今しがた『霊の社』の本当の恐ろしさを認識したのじゃな。
 この際だからはっきり言おう。
 山守の『霊の社』に対抗するのは辞めろ。
 奴らの正体はこの国の、いや世界のシステムそのものだ。
 本気になればお前達『阿修羅』のメンバーだけではなく、その一族までもが路頭に迷う事になるぞ」

「せっ世界のシステム…ってまさか…」

 日内は茶化して自分の心の恐怖心を誤摩化そうとしたが、須藤老人の真剣なまなざしにそれも出来なくなってしまった。
 須藤は笑い顔が消えた日内にこう訊ねた。

「日内君は中沢財閥が山守の山の土地から、最先端のエネルギーの原料を掘り出しておるのを知っておるか」
「はい、知ってます。でもそれと『霊の社』に何が関係あるのです」

「…中沢財閥が買い取った土地の持ち主は元は『霊の社』の信者達のものじゃ。
 中には教団直属の土地もある。
 すなわち中沢は『霊の社』の許可をもらったからエネルギーの原料を発掘できておる。
 これが意味するのは、教団と中沢財閥は一種の同盟関係という事だ」

 その事実に日内は面食らった。
 だが疑問に思う事もある。

「でも、性的虐待は『教団だけの悪事』でしょ。
 ことがバレたって中沢財閥には何も関係ないじゃないですか」

 日内の疑問に須藤は分かりやすく説明した。

「そうじゃな。事の原理だけでいえばそれは正論じゃ。
 しかし世間ではそうはいかぬ。
 そんな悪事を犯した教団と中沢が繋がっていたとマスコミが知れば、彼らはゴシップを作り中沢のイメージをダウンさせるだろう。
 中沢としてはそれはあってはならぬことだ。
 じゃから『霊の社』の悪事がバレそうににれば、中沢財閥も協力してその悪事の事実をもみ消すはずじゃ」

「でも待ってください!たとえそうだとしても、中沢が『霊の社』と手を切ればいいだけの事じゃないですか。
 何も証拠隠滅まで考え過ぎです」

 日内は必死に正論を口にした。
 それは『霊の社』の後ろに世界的企業である中沢財閥がいるという現実を否定したいからであった。

 しかし須藤はそんな日内なぞおかまいなしに、恐ろしい真実を口にした。

「いいや。中沢財閥は『霊の社』と手を切る事は今の所出来ない。
 何故なら、この国では新エネルギの材料である『塩洸』が出土するのはここ山守の土地だけだからじゃ。
 そして中沢財閥の今の主力事業は『新エネルギー』生産。
 この事業が世界で初めて成功したおかげで、中沢財閥は『世界の中沢』になったのだ。
 それを考えると、一介の子どもの性的虐待をもみ消す方が、財閥としては手がかからぬという事じゃ」

 日内はそれを聴いて気が遠くなりそうになった。

 教団の性的虐待の毒牙にかかった者達は『霊の社』と中沢財閥という大きな団体から二重に口封じをされているのだ。
 日内は今まで七瀬を見て
「何故こんな理不尽な目に会っても声を上げないんだ」
 と不快な疑問を持っていたのだが、ここまでの話しを聞いてある意味納得した。

 と同時に(七瀬の父親は中沢財閥の新エネルギー制作部の部門長じゃなかったっけ…)と思い出した…
 時のことだ。

「須藤さん、失礼します」
 という男の声が聞こえた。

 日内が顔をそちらに向けると、何とそこには有馬和也の姿があった。

 今の彼は廃品処理工場で見たみすぼらしい男ではない。
 外見は同じだが瞳に強い意思を宿した、正義感の強い男の姿で現れた。

 そんな有馬に須藤は声をかけた。

「至急で申し訳ない、有馬君。例の物は持って来てくれたかね」
「この封筒に、あるもの全て入れて来ました」

 有馬は須藤に大きな封筒を渡した。
 その後に有馬は日内の存在に気が付いた。

「彼は?」
「日内康平君じゃ。彼は金井君が手札を託した人物だ」

 その答えに有馬は
「あの、警戒心が強い金井君がですか!?」
 と心底驚いていた。

 しかし等の日内はこの人物背景にいささか混乱していた。
 元ヤクザの組長と元刑事。
 この二人が話し会っているだけでも混乱するのに、元「霊の社」の幹部で特殊能力者の金井は、どうやら彼らの仲間らしい。

 さすがの日内も彼らの人間関係が見えて来ず、こう質問した。
「あの…。皆様はどういった形のお知り合いですか?」

 有馬はハッとなり、日内にこう返した。

「すまないね。端から見れば僕たちの関係は訳が分からないはずだ。
 解説のためには少し長い昔話をしないといけない。それでもいいかな?」

「はい…。いいっす」

 有馬は日内の了解を得て、金井と須藤に出会った事を話し始めた。

導き

 三島一月が事故で死んだときいた有馬はある者の情報から、
 この交通事故は「『どこかの組織的集団』が起こした殺人事件」だと知っていたのだ。

 その証拠をつかむためにも、有馬は一月に関わる全ての人物に対して事情聴取を行っていた。
 しかし彼に携わるほぼ全ての人物が、その事情聴取を拒否してきた。

 中には彼の死を受け止められない人物もいた。
 彼女は極度の不安からか、狂ったように幼い息子にストレスをぶつけた。
 酷いときには「しつけ」と言いながら息子に暴力を振るっていた。
 そんな彼女から息子を助けようと、別室に引き離した。
 しかし三島一月の死に関わったであろうその息子も、別室で別の刑事に脅迫まがいの嫌がらせを受けた。
 それを聞いた有馬は息子の父親の口止め願いもあり、仕方なく彼らの事情聴取をあきらめた。

 もちろん、三島一月が関わっていた『霊の社』にも事情聴取をお願いしたが、それは山守警察の所長が許可を出してはくれなかった。

 最後の願いは三島一月の家族だけだったが、取り調べの質問にも彼らはまるで貝の様に口を固く閉ざした。
 どんな事にも口を開かない三島一家に、有馬はついに家族との事情聴取もあきらめた。

 一月の事件調査は絶望的になった。そんな時のことだ。



 有馬は帰宅道である山守ダム沿いの道路を車で走行していた。

「?あれは人影か?」

 有馬は人影が見えた、山守ダムが見渡せる崖の小さな広場まで車を走らせた。
 そこに着いた有馬は、広場の石碑にちょこんと座っている男を発見した。

 それが金井だったのだ。

「こんな夜のさなかにどうしたのです」

 有馬は心配そうに金井に声をかけた。
 それもそのはずだ。
 金井は入院していた病院を抜け出し、徒歩でこの広場まで来ていたのだ。
 彼の足下は山道を歩いたためかなり痛んでおり、つっかけもぼろぼろになっていた。

 しかし、金井の意識は意外としっかりしており、有馬にこう返答したのだ。
「…刑事の有馬和也さんですよね。僕は金井弘といいます。僕はあなたがここに来るのを待ってました」

 それを聴いた有馬は腰を抜かす程驚いた。

「あなたは何故、私を知っているのですか?!あなたとはお会いした事もないのに…」
 有馬の問いに金井はこう返した。
「実は僕、夢で見たんです。親友の一月の死の真相を必死で見つけようとしてくれるあなたを。
 そしてあなたが今日ここに来ることも、夢の中の人物が教えてくれたのです」

 現実主義である有馬には、その話しはにわかに信じられなかった。

「君は、夢という曖昧なものを信じてここに来たのか…」
「そう。僕はあなたに一月の事件を解明して欲しい。そのためにわずかな希望を信じてここに来たのです」
 金井の眼差しは真剣そのものだった。 

 有馬は思い切って金井に事情聴取をした。


 そしてそこで聴いた証言は、有馬の予想を遥かに上回る残虐なものであった。
 「霊の社」による性的虐待の儀式、それを隠遁した警察所長、そしてまた、新しい儀式の犠牲者が出ると言う事も。

「…信じられない…今のこの国に、こんな事件があるのか…」
「はい。すべて本当のことです。
 『霊の社』や警察も、僕が入院中で普段動けないことを知っていたから、僕の行動を監視しなかったのでしょう。
 彼らの油断のおかげで、あなたに真実をお話できました」

 そう金井が話しをしていた時、眩しい光が二人を包んだ。

 どうやら車のヘッドライトの光らしい。
「こんな時間にだれだ?まさか、警察か教団の追手か!」
 有馬は金井をかばって隠れようとしたが、車から出て来た人物の正体に思わず面食らってしまった。

「…『正田組』の組長、須藤雪正だと?」

 二人の人影に気が付いた須藤は
「何者だ!姿を表せ!」
 と銃を構えた。

 有馬は観念して、須藤の前に姿を現した。

 しかし須藤の様子は何か違和感がある。
 組長のはずなのにお供一人連れていない。
 しかも銃を持つ逆の手には、赤い彼岸花の花束を抱えていたのだ。

(何で季節外れの彼岸花の花束を持っているんだ?)

 そう思いながらも有馬は須藤に話しかけた。

「私は刑事の有馬だ。ここである人物に事情聴取をしていた所だ。
 あなたは『正田組』の組長、須藤だな。ここで何をしている」

 その言葉に須藤はこう返答した。
「いかにも。ワシは『正田組』の組長、須藤雪正だ。
 ワシはある者の命日の参りに来た。彼はここから身を投げて死んだからな」

 その言葉を聴いた金井は、須藤に慌てて訊ねた。
「その…ある者とは『東瀬戸』ではありませんか!?」

 須藤は驚いた顔で金井を見た。

「…いかにも、その人じゃ」
「やっぱりそうか…。東さんは夢の中で、僕をここに呼び出したんだ!」

 金井の話しの様子から、東瀬戸とは彼の夢の中でここに来るよう教えた人物らしい。
 しかも「正田組」の組長、須藤が参りに来ている故人でもあるみたいだ。
 有馬はまるで夢と現実の境目に来てしまった、不思議な感覚に包まれた。
 そんな有馬をよそに、須藤は金井に質問をした。

「お主は何故『東瀬戸』を知っておる」
「彼は僕の『先輩』でもあるのです。そう、僕も『霊の社』の犠牲者だったから…。
 東さんの事は教団の者からもきいておりました。
 須藤さんは東さんとはどういう関係なのです」

「彼はワシの事は知らんだろう。けどワシは東の事を知っておる。
 何故なら昔、組みの仕事で東を殺すようワシは上から命じられていたからな」

「…そんなあなたが何故、東さんの命日に献花なんかを…」

「ワシにとって彼の存在は大きかった。
 彼はどんな理不尽な目にあっても、決してワシのように卑怯な人間にはならなかった。
 それがワシには眩しくもあり、そしてそんな純粋な人間がいるという『希望』でもあった。
 しかし彼は殺された。
 だからワシは、いつか彼の『意志』をつがなければいけないと感じたのだ。
 献花はその意志を忘れぬための儀式じゃ」

「…その点は実は僕も同じです。
 僕も辛い時に東さんの話しを聞いて、希望したのです。
 僕もいつか彼のような、どんな逆境に会っても強い自分の意志を持った人間になりたいと。
 だから僕は、一月と協力して『証拠』を手に入れたのです」

 それを聴いた須藤は心底驚いていた。

「もしや、あの『証拠』を持っているのか!」
 金井は静かに、しかし力強く
「はい」
 と答えた。

 それを聴いた須藤はしばし考え込んだ。

 そして

「有馬君。お主にも協力してほしい」
 と呆然としていた有馬に声をかけた。

『悪』と『正義』

 須藤の話しを聞いた有馬は、彼らに協力することを決めた。

 そして翌日には家族と相談した上で、妻と離婚することにした。
 理由は妻と娘をこれからの計画に巻き込まないためだ。
 そのとき妻に引き取られた娘が、涙ながらに有馬の事を心配したのが彼の心に痛く響いた。

 有馬は離婚でショックを受けている演技をし、「霊の社」に協力的な警察上部を欺いた。
 そうしながら彼は署にあった数々の警察と「霊の社」の悪事の証拠を見つけ出し、それがバレぬ内に刑事を辞職した。
 周りも有馬の辞職を疑問視せず「奥さんとの離婚で心神喪失になったから刑事を辞めたのだろう」と思い込んでいた。

 その後、須藤の方は組長を引退し、彼を心から慕う部下達を連れて、廃品処理工場などを設立した。
 有馬もそこに隠れ住むようになり、そこを拠点に山守の有力者の悪事を調べていったのだ。

……………………………………………………

 ここまでの話しを聞いた日内は、須藤達が何をしようとしているか察しがついた。

「須藤サン達は『霊の社』をはじめとする権力者の不正を暴こうとしているんですね」

 日内の答えに須藤はコクリとうなずいた。
「いかにも。わし達は権力者の悪事をすべて公にするつもりじゃ」

 日内は須藤の答えに疑問を持った。
 何故なら今は引退したとは言ったものの、須藤は元「正田組」の組長だ。昔の取引先に牙を剥くよりも、そのまま良好な関係を維持し、甘い汁をすった方がこれからの余生を安泰におくれるはずである。
 何故今になって反旗を翻すのか、そこが日内には分からなかったのだ。
 なので自然とこんな質問を須藤に投げかけた。

「何で須藤サンは、今になって『霊の社』に敵対するのですか」

 その質問に須藤は静かに口を開いた。

「そうじゃな。理由は一つ。

 生きておる間に『本当の自分自身』を取り戻したかったのじゃ。

 ワシは今まで境遇の貧しさから様々な悪事に手を染め、必死で生き延びた。
 しかしそうすればするほど、沢山の人間が苦しんだ。
 そしてワシの心の奥も、傷ついていく人間を見てひどく痛んだ。
 だがワシ自身も、そんな自分を見捨てて悪事を積み上げた。
 何故なら上に上り詰めれば、そんな痛みなど無くなると思っていたからじゃ。

 でもそうでは無かった。
 ワシはそれに気づくまでに膨大な時間と、大勢の人々の幸福を潰してきたのだ…」


 その話しを聞いた日内は心の奥がチクリとした。
 実は、日内自身かつての須藤老人同様、沢山お金を儲けて成功すれば、今感じている七瀬への後ろめたさも消える。
 と思い込んでいたからだ。
 しかしその考えは間違いであると、須藤は経験を持って伝えたのだ。
 須藤はそんな日内を見透かす様に話しを続けた。

「ワシはそれに気づいたとて、周りに相談も何もできなんだ。
 周りの人間は自分の気持ちを粗末にした結果『邪鬼』へと落ちていったからだ。

 自分を大切に出来ぬ者が何で他人を大切に出来ようか。

 そうしている内に彼らは『人の不幸は自分の幸せ』だと勘違いをした。
 本来は幸せなど『それぞれの胸の内』でしか感じ得ないのを知っていたにも関わらず…。
 だが彼らに比べてワシは幸福だった。
 若い時点で東瀬戸の存在により希望を得られたのじゃ。

 だから本当の自分を持ったまま生きてこられた。
 東瀬戸には感謝してもしつくせぬ」


 須藤の言葉はすべて本物であった。
 日内はこんなに本当の事を話してくれる大人を今まで見た事がなかった。


 須藤は最後に心の奥からこう言った。
「ワシは今までしてきた行いを清算、いやそんな生易しい言葉なぞこの世にはないわな…。

 ワシは自分のしてきた悪事を真摯に受け止める。

 だからこそワシは自分の保身を捨て、同じ様な悲しい人間を正さぬといけぬ。
 これこそが東瀬戸がワシに託した意志だと信じておる。
 すなわちワシの使命じゃ」


 日内は不思議な気持ちになった。

 本来『悪』であろうヤクザの元組長が、保身を捨ててまで人を正そうとしている。
 一方で『正義』であろう「霊の社」と警察は自分の悪事を保身のために必死になって隠そうとしている。

 この図こそ『皮肉』という他なかった。

 それにキリストのような使命を持った須藤老人に比べ、日内は目先の金欲しさと、七瀬をいたぶる目的のために「霊の社」と対峙したのだ。

 自分の浅はかさに心底あきれた。


 俯いている日内に、有馬が声をかけた。

「日内君。君がまだ『金品目的と他人の不幸を楽しむ』ために『霊の社』と対峙するなら、心して挑むがいい。
 でももし君が『本当の自分を救う』ために教団と対峙するなら、私たちは協力しよう。
 だがそれでも予想を遥かに超える、苦しい挑戦になることは変わりない。
 その判断のために三島一月の事件の資料を君に渡す。
 この資料はどう使おうがかまわない。
 それは『阿修羅』に見せることも前提だ」

 日内は有馬から資料が入った封筒を渡された。
 三島一月の事件だけの情報でも、かなりの量の資料である。

 その資料の重みを、日内は心して受け取った。

新しい友人

 その後日内は客間を出て、須藤の部下に車で家の近所まで送ってもらった。
 近所に着いた日内は車を降りて、運転してくれた部下にお礼を述べた。

 車を見送ったあと家の方角を見た彼は面食らって驚いた。
 そこには意外な人物の姿があったからだ。


「日内君」

 そう言ったのは相生七瀬だった。

 日内は七瀬に自分の家の場所を言った覚えはなかったのである。
 目をぱちくりしている日内にかまわず、七瀬は言葉を続けた。

「今日、この近所で合う約束してたよね」
「おっおう…そうだな」
「待ち合わせ場所の石の下神社に行く前に、ちょうど日内君の家をみつけたから寄ってみたんだ」
「…いや。オレ七瀬君に家の場所教えてないけど、何で分かったの?」

 眉をひくつかせる日内にかまわず、七瀬は無表情のまま答えた。

「推理したんだ。
 君は待ち合わせ場所を『石の下神社』と指定した。この『石の下神社』は中村さんが三島主将との待ち合わせに使う場所みたいで、よく主将の話しに出てたんだ。そして君と中村さんは家が隣同士ともきいていた。これで石の下神社は君たちの家の近所だと確信したんだ。
 そこから『石の下神社』付近で『中村』と『日内』の看板が並んでいる住居が君の家だと予想したんだよ」

 日内は内心こう突っ込みたかった。
(名探偵か刑事かよ!)

 でもここで七瀬の機嫌を損ねてしまってはいけない。
 彼が帰ってしまったら、せっかくの情報を聞き出せないからだ。
 ため息まじりに彼は七瀬に忠告をした。

「あのな…。たとえ分かったとしても、本人が場所教えていないのに家まで駆けつけるのはルール違反だって。
 中にはあまり自宅に来て欲しく無い人間もいるんだ。そこ注意したほうがいいぞ」

 七瀬は少しだけ目をぱちくりさせた。そして
「じゃあ、日内君は来て欲しくなかったの?それなら謝るよ」
 と一切慌てている様子もなく、冷静にそういっただけであった。

 それを見た日内は
(こいつ、本当に反省しているのか?)
 と疑わしく思ったが、文句をいったら拉致があかないと判断した。
「まっまぁ、オレは別にいいよ。次から気ぃつけろって事だ」
 日内は口でそう言いながら、心の中で七瀬に盛大につっこんだ。

(お前がボッチなのは、そういう所があるからだ!)

 そんな日内の心内など知りそうもない七瀬は「分かった」と軽く返事をした
 あと
 身震いをした。

「…寒いのかお前」

 日内の問いに七瀬は無表情を崩さずこう返す。
「…大丈夫。気にしないで。石の下神社に行こう」

 夏に入ったが日が暮れだすと、まだ肌寒い。
 七瀬は夜風に煽られ、あきらかに寒さで震えていた。

 日内は肩を落としてこう言った。
「オレの家行って話しすっか」
 七瀬は夜風に震える小動物のごとく、日内に連れられて彼の家に入って行った。

…………………………………………………………………

「ただいま~っ」
「おじゃまします」
 二人分の声を聞き、日内の母は台所から玄関の方にひょっこりと現れた。
 どうも息子の康平が友人を一人家に上げたみたいで、彼は息子の指示にしたがって階段を上がって行っているようであった。

「お友達も一緒なの」
「そう」

 母の質問にそっけなく答える息子に、彼女はさらに質問を投げかけた。

「誰を連れて来たの」
「ああ。山守高校の相生七瀬だよ。母ちゃん、お茶となんかつまむもの後で持って来てくれ」

 それを聴いた日内の母は固まった。
 そして
「あんた、相生さんって、いいところのお坊っちゃまじゃないの!
 そんな育ちのいい子に差し上げるお茶とお菓子なんて家には無いわよ」
 とおおいに焦っていた。
 そんな母に日内は
「そんなの普通の麦茶とせんべいでいいよ」
 とため息まじりに答えた。

 しかし母の頭はそれどころではなかった。

「康平、最近のあんたの友人関係は一体どうなっているの?この前はガラの悪い先輩が来て、今度は山守の一流のおぼちゃまって…。
 あんたまさか、変なトラブルに巻き込まれてないだろうね!」
 日内の母は息子を心配してしつこく訊ねてきた。
 そんな彼女を日内は鬱陶しく感じてしまい、つい反発した。
「大丈夫だって!オレがそんなヘマするわけねぇよ!友達待たせているから、オレ部屋に行っとく」
 そういうとそのまま彼は二階の自室へと行ってしまった。

 日内の母はため息まじりに
「まったく!」
 と文句を言いながらも、せっせと客人のためのお茶請けを用意した。

………………………………………………………………

 自室に入った日内は、部屋でぼんやり立ち尽くしている七瀬に座布団を用意した。

「ここに座っとけ」
「ありがとう」

 七瀬はお礼をいった後、座布団の上に綺麗な正座を作って座った。

「足崩していいから」
 日内の助言に七瀬はこう返した。

「足の崩し方が分からない」

 何から何までずれている七瀬に、日内は頭が痛くなった。
「こうやって胡座かいてりゃいいんだ。その方が楽だろ?」
 日内は実際に自分で胡座をかきながら七瀬に教えた。

 七瀬はそれを見ながら少し不器用に胡座をかいてみせた。
 背筋が綺麗にのびている分、変に見えるのだろうか…。

(…なんか変な気がするけどまあいいか)
 日内はとりあえず七瀬の胡座のかきかたをスルーする事にした。

 ちょうどそのとき
「康平、お茶とおせんべい持って来たわよ」
 と母が部屋の外にお茶請けを持って来た。
「おう」
 日内は引き戸をあけてそれを受け取った。そして小さな折りたたみ机の上に置いた。
 日内の母は七瀬を見てにっこりと微笑んだ。

「お口に合うかわからないけど、よかったらどうぞ」
「…ありがとうございます。いただきます」

 七瀬はお礼を言うとせんべいを一枚取り出し、パンをちぎる様な美しい動作で一口大にせんべいを割わった。
 そのせんべいを、フランス料理を優雅に食べる貴族のように、上品に口に運んだ。

 日内の母はそれを見て息子を小突きながらこう訊ねた。
(…おせんべいって食べる作法でもあったかしら?)
(いやねぇよそんなモン。あんなに優雅に食べるもんじゃねぇだろ)
 日内親子は七瀬がせんべいを一枚食べるまで、彼に聞こえない様な小声で突っ込みをし合っていた。

「美味しかったです。これ、どこで売っているのですか?」

 七瀬の質問に、日内の母はハッとなりこう答えた。
「えっと…。この近所のスーパーよ。気に入ってもらって嬉しいわ」
「はい。今度父さんにお願いして買って来てもらいます」
 それをきいた日内は(そこまでせんべい気に入ったのかよ!)と今日何度目かの心の突っ込みを入れていた。


 その後日内の母は機運を察し「私は失礼するわね」といって部屋を出て行った。


 それを見届けた後、七瀬は日内に話しかけた。

「日内君。今日は話したいことがあるってきいたけど?何かな」

 そう、今日二人が会う約束を取り付けたのは日内だった。
 実は日内はある人物から、那奈と三島に関する良く無い情報を手に入れていたのだ。
 だが直接那奈にきいても三島との詳しい関係性は話してもらえず、日内は少しやきもきしていたのだ。

 そんな事もあり、山守高校での三島と那奈の様子を七瀬から聴きたかったのだ。

 そのくだりを七瀬に説明した日内は、心配そうにこう訊ねた。
「那奈のヤツ三島に晩飯おごったりなんかして、今まで以上に変にいれこんじまっているからな。
 あいつ今までの彼氏とも鬱陶しいおせっかいが原因で分かれっちまったから、三島も鬱陶しくなってないかなって心配でさ。
 第一、那奈の話し聞いているこっちまで息苦しいんだよ」

 そこまできいた七瀬はしばらく考え込んでいたが、考えがまとまったようで次の様に答えた。

「それは違う。僕が見た限りでは押し付けているのは三島主将だ」
「へ?三島が?」
「そうだ。彼は無意識に中村さんに膨大な要求をしている。
 練習で疲れていたら普通は家に帰って休みたいはずだ。
 でも彼は疲れているときほど中村さんを呼んでいるように見える」

「そういえば…」
 日内は普段の那奈と三島の様子を思い出した。

 彼らが会うのは部活の終わり。
 特に金曜日や土曜日の練習の疲れがたまっている時が一段と多いのだ。
 聡明な那奈は疲れている三島が今何を欲しているのか読み取り、それを次から次へと与えている。
 この前なんかは那奈から、三島のために新しい野球用スパイクシューズを買い与えたと聞いたのだ。

 普通の男なら彼女にお金を出させるのをためらうものだ。
 しかし三島はそのシューズを履いて、藤平との練習試合に出た。

 すなわち平然と彼女に金品を出させた事になる。

 それに限らず思い返す程に、三島のそういう態度が見て取れた。
 日内は彼に対して非常な憤りを感じた。

「そして日内君が息苦しく感じるのは、中村さんが三島主将の限りない要求に答え疲れて、痛々しいからだよ。
 この関係が続くようでは彼女の身は持たないだろう。
 君、本当は
 それを知っているんじゃないの?」

 その七瀬の言葉に日内は内心ギクリとした。

 自分も知らない本心をえぐり出されたような、そんな嫌な感覚に襲われた。
 だから日内は
「えっと…。そうか、七瀬君にはそう見えたんだ。ありがとな、話し聴いてくれて」
 と話題を打ち切るぐらいしか抵抗が出来なかった。

 もし自分にも七瀬ぐらいの洞察力があったら…。

 日内は心の奥の言葉をぐっと飲み込み、
 もう一つ七瀬から聞き出したい事項を切り出そうと、突破口を探していた。

「…そういや、三島って兄弟がいるのか?」
「?いたよ。お兄ちゃんが。今は死んでいないけど。何でそんなこときいたの?」
「いや、あいつ何だか末っ子気質だなぁって思って確認したかっただけだ。七瀬君は三島の兄ちゃん知ってるの?」

 日内はどうにかして七瀬を三島一月の話題に誘うことに成功した。
 少し危ない気もしたが、ギリギリセーフだろう。

 そう、日内は思い切って七瀬本人に『霊の社』の儀式、そして三島一月は本当は誰に殺されたのか聴いてみようと考えたのだ。
 噂どおり犯人は『七瀬』なのか。
 それとも有馬が掴んだ情報どおり『どこかの組織的集団』なのか。
 日内は我ながら大胆な試みをしたものだと思った。
 那奈と三島の関係を彼にリークした人物のせいでもあるなと、ふと考え直したりもしたが…。

 そんな彼の内心を知ってか知らずか、七瀬は遠い日を思い出す様に三島一月の話しをした。

「知ってるも何も三島主将の兄は、僕の小学校一年生の担任の先生だ」
「ふーん。どんな先生だったの?」

「最低だったよ」

「へ?どういう事」

「三島先生は生徒達に暴力を振るっていた。気に入らない子は特に必用に責め立てていたよ」
「は?そうだったら生徒から両親へとその事がバレて、その三島の兄ちゃんは職員をクビになるだろ?」

「クビにはならないよ。
 彼は両親が無関心な子どもを見つけて、暴力をふるっていたんだ。
 反抗出来ない弱い立場の者にターゲットをしぼっていた。
 もし告げ口をされたとしても彼は母親達に取り入るのが上手で、彼女達は先生の方の味方だった。
 だから悪者にされたのはいつも被害者の子どもだ」

 その話しをきいた日内は胸がムカムカしてきた。

「なんだよそいつ。教師辞めてホストすりゃ良かったじゃねぇか。
 もしかして七瀬君もそいつの暴力を受けていたの?」
 その質問に七瀬は顔を曇らせていった。
「うん。僕の場合は学校じゃなくて自宅でだけどね。三島先生は僕の母さんの不倫相手だったから」

 それをきいた日内はうんざりした。
 もし彼が七瀬と同じ様な目に会ったら、どんなに幼くても絶対家出してるだろうと予想した。

「家出とか考えなかったのかよ」
「それは出来ない。弟がいたから。先生の暴力から彼を守らなきゃ」

 それを聞いた日内はため息をもらした。
 七瀬は反抗しないのではない。
 反抗出来ない自分より弱い者を守っていたから、魔の手から逃れようとしなかったのだ。

 今まで見えなかった七瀬の性格が、少しだけ見えた気がした。

 日内は気を取り直す様にこう言った。
「まあ、でもそんな先公死んで良かったな。生きてたらたまったもんじゃねえし」



「死んで良かったなんて言うな」



 七瀬の鋭い否定に、日内は一瞬びくっとなった。

「驚かしてすまない。でも日内君、死んで良い人間なんてこの世に一人もいない。
 実は三島先生は僕に野球を一生懸命教えてくれた恩人なんだ。
 おちこぼれの僕を見捨てなかったのは彼だけだよ」

 その七瀬の言葉に日内は面食らった。

「は?お前、おちこぼれってどういう事だ。
 世間じゃ『天才投手』って有名だろ。嫌みか」

「嫌みじゃない。昔は…今も基本そうだけど、僕は大の運動音痴さ。
 野球に関わる意外の運動はからっきしだよ」

「マジか…?」

「うん。僕が実力を付けたのは練習を人より多くしているだけだ。
 そうしないと皆の足下にも及ばないから」

 それを聞いた日内は七瀬の野球の練習量が気になった。

「ふぅん。じゃあさ、一週間でどれぐらい練習してんの」

「今なら…平日は早朝ランニングの後に学校の朝練行って、放課後も部の練習の後自主練習をしている。土曜日は部活の練習以外に、ジムに通って体のバランスを取る筋トレとストレッチ。日曜日は部活も休みだけど、体のメンテナンスのために整体に通ってる。他にも」

「おいおいおい!どんだけ野球漬けの毎日だよ」

 日内が突っ込んだように七瀬の日常は野球漬けのストイックな日々だ。
 部活のない日はヘラヘラと遊びに行ったり、この様に教団脅しの材料を集めている彼には耳の痛い事実だった。

「そんなんだったらプロ野球のテレビ中継も見れないだろ。
 この前あった球団の試合、めちゃくちゃ面白かったのに。特に」

「止めて!」

 ふと見ると七瀬は両耳を両手で塞いでいた。

「日内君、それ以上言わないで。その試合録画していて、帰ってから見るつもりだったんだ」
 それを見た日内はにやりとした後、口を大きく開いてしゃべり始めた。

「わーっ!止めてっ。聞きたく無い」

 そういって必死に耳を押さえていた七瀬だが、日内の口の開き方がおかしいことに気が付いた。

 七瀬はいぶかしい顔をして日内の方を見ながら、耳にあてていた両手をゆっくり外した。
 日内はただ口を動かしているだけで何も言っていなかったのだ。

「…だましたな」

 七瀬がうらめしそうにそう云うと、日内はしたり顔でこう返した。
「騙したさ。お前の能面顔を崩せて楽しかったぜ」

「…?能面顔?」

「そうだ。お前の『何でも完璧にこなせてます』っていう澄まし顔が気に入らなかったんだよ」
 日内は苦虫を噛んだ様な苦々しい顔をして答えた。

 だがそれを見た七瀬は

「フフフっハハハっ!日内君変な顔」
 と
 とんちんかんで失礼きわまりない事で笑い声をたてた。

 さすがに日内はそんな七瀬に激怒した。
「テメェッ、バカにしてんのか!オレの顔のどこが可笑しいんだよ」

 七瀬の胸ぐらを掴んだ日内だが、七瀬は冷静になってこう返した。
「だって面白いよ。こんな顔してたんだもん」

 七瀬は今先ほどの日内の顔真似をした。
 眉を中心に寄せて、口をへの字に曲げた滑稽な七瀬の顔を見て、日内は大笑いをした。

「ハハハハッ!お前こそ変な顔だぞ」

「笑った!僕もっと変な顔出来るんだ」

 七瀬は次々とおかしな顔を作っていった。
 それを見た日内は七瀬の胸ぐらから手を離し、腹を抱えて笑った。

「アハハハっ!お前そんな特技あったのかよ。いつもお高くとまっているから全然イメージ出来なかったぜ」

「そうなんだ。僕が変な顔をしようとしたら母さんやクラスの女子に止められるんだ。
『顔を歪ませるなんてらしくない』って。
 本当の僕はお笑いとかコントとか大好きなのに心外だよ」

 そんな七瀬の意外な一面に日内は驚いた。

「お前、お笑い好きなのか」
「うん。野球選手になれなかったら、お笑い芸人になりたいんだ」

 あまりの話しに日内は七瀬に突っ込んだ。

「イヤイヤ、お前に芸人は無理だって。その器量で芸人っておかしいだろ?」
「それは自覚してる。けど誰かが突っ込み役をしてくれたら結構いけると思うんだ」
「うん…。確かにな。でもその突っ込み役をだれがするんだ?」

 日内は七瀬に問いかけたが、彼の瞳は真っ直ぐに日内の方を見ていた。

「オレ?ってちょっと待て、オレを巻き込むな!」
 大慌てする日内を見て、七瀬はクスリと笑った。

「ゴメン。今の冗談」

 日内は七瀬の首に腕を回した。
「お前…オレをからかっていたのかっ!」

 そういってプロレス技をかけるように首をしめる真似をした。

「ハハハッ。胸ぐらを掴まれたお返しだよ」
「コンチキショ~!これでもくらえ~っ」
「ぐえええっ」
 七瀬はふざけて変な声を出し、それを聞いた日内は可笑しくなって大笑いをした。
 そしてそれを見た七瀬もつられて可笑しくなり、二人は声をだして大笑いした。

 そんな二人に
「コラッ!二人とも、夜も遅いんだから静かにしなさい!」
 と日内の母の雷が落ちた。

 二人は彼女に驚き、笑い声をぴたりと止めた。

「分かればよろしい。また騒ぐようだったら、今みたいにおばちゃんが怒りにいくからね」
 そういう日内の母に七瀬は
「すみません」
 といい、日内も
「ごめん母ちゃん」
 とすごすごと謝った。
 日内の母はそんな二人を見て怒りが収まったのか、笑顔で
「よろしい」
 と言うと、そのまま下の階へ下りて行った。

 残された二人はバツが悪そうな顔でお互いを見合った。
 そんな様子がなんだか可笑しくなってしまい、七瀬と日内は少し小さく笑い合った。

「今日はありがとう。君のおかげで久しぶりに大笑いすることが出来た」
 そういう七瀬の言葉に、日内は少し照れながら頭をかいた。

 結局日内は七瀬から三島一月の事件の事を聞き出せなかった。

 けど今の彼の気持ちはそんな事よりも、久しぶりに心から大笑い出来た開放感でとても満たされていた。
(オレは何で今まで人の挙げ足を取る様な、姑息な笑いを求めていたんだろう)
 日内は今まで自分がしていた暗くて陰険な楽しみがばかばかしく思えてきていた。

 それもこれも七瀬の存在があったからだ。

「すまなかった。勝手な思い込みでお前を評価していて。
 こっちこそ今日は素直な気持ちで笑う事が出来た。ありがとな」

 日内は自分の素直な本音を七瀬に告げた。
 七瀬は全てを受け止めるように日内の目を見てうなずいた。

「そういってもらえて嬉しいよ。それでお願いがあるんだ」
「お願い?」

 七瀬は決断をしたように日内にこういった。

「うん。日内君のこと『康平』君って呼んでいい?」
「…。いいぜ、好きに呼んでくれてよ。…」

 日内は七瀬の心の内の何かを感じ取った。
 七瀬はそれに答える様に心内を告げた。

「…昔、名前で呼び合っていた友人がいたけど、ある事があって僕たちは名字で呼び合う他人のような存在になってしまったんだ。
 今まではまたそんな事になったらと不安でたまらかった。

 でも君と彼らは別人だ。

 だから僕はその過去と決別するよ。
 じゃないと君にも失礼だ」

 その昔の出来事は七瀬にとって、とても辛い出来事だったのだろう。
 でもそんな辛い過去を乗り越えてでも七瀬は日内と距離を近づけて、そして日内個人を見てくれているのだ。
 そんな彼の気持ちを日内は嬉しく感じた。

 しかし無理をしているような七瀬が、ちょっぴり心配でもあった。

「そういってくれるのは嬉しいが、あんま背伸びすんな。
 お互い自分のペースで仲良くなりゃいいんだ。
 オレは自分の考えでお前と近づくからさ、お前も自分の気持ちに無理すんな。
 あ、オレもお前の事『七瀬』って呼び捨てにするけどいいか?
『七瀬君』なんてオレのガラじゃねえからさ」

「うん。呼び捨てでいいよ。むしろその方が康平君らしい」
「ハハッ、そうか」
「うん、そうだよ」

 そう七瀬が答えたとき
“ボーンボーン”
 と部屋にあった時計が夜の九時を告げるチャイムを鳴らした。
 それを聞いた七瀬は日内にこう告げた。

「そろそろ時間になったし、僕は帰るよ」
「おう。階段急だから気をつけろよ」
 七瀬は部屋を出て階段を下り、日内も一緒に階段を下りて、玄関まで見送った。
 玄関には日内の母の姿もあった。

「おじゃましました」
 七瀬はぺこりと頭を下げそして日内家を後にした。
「また来いよ」
 そういって外に出て見送る日内に、七瀬は少し微笑んだ。
 そして山守の方に歩いて行き、そして夜の町並みに消えて行った。

 その様子を見ていた日内の母は息子に笑顔でこういった。
「あんた、良いお友達が出来たわね」
「まあな」
 日内は照れくさそうにそう言いながら、自分の家へと入って行った。

贖罪の少年 第3章 6部

※「贖罪の少年」は毎週火曜日18時頃に更新予定です。

贖罪の少年 第3章 6部

この話はあなたの「助け」になるかもしれません。 長編連載小説、第3章 6部。 ※「贖罪の少年」は毎週火曜日18時頃に更新予定です。

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-02-09

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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  1. 敵の正体
  2. 導き
  3. 『悪』と『正義』
  4. 新しい友人