ガミ

 普段の講義ならば300人入る大講堂が満員の学生で埋まっていて、わいわいと元気のいい無数の声が講堂に響き渡り教室の外からもその活気が伝わってくるほどであるが、今日の講堂は閑散としている。授業開始後数分してこの防衛医学特論の講義を担当する竹内先生が助手の人を引き連れて入ってきた。苦労してそうな助手の人が大講堂をいそいそと回ってレジュメを配る。
「はい静粛に!皆揃ってるね?今日の講義は少々ショッキングなものであるからして耐性の無いものは欠席でかまわんと伝えたが、参加者がいるとは結構なことだ。配ったレジュメは大変珍しい症例の患者が記した日記のコピーである。ここが防医大であるから使用できる特別な教材であることと、そのコピーは防衛機密に抵触するため講義終了後は回収する事、この講義の内容を外部にもらした場合機密保全規約に反する事を授業前に伝えておく。では諸君、30分でレジュメを読み通したまえ」
 強い脅し文句に学生の顔が引き締まる。私も気合を入れてレジュメを読んでいく。

2015 8/20  晴天 東欧 ラズラビア ラズラビア国際空港付近のビジネスホテル
 ラズラビアに到着。今日からフィールドワークを始める事にする、目的は中近世ヨーロッパで行なわれた原因不明の乱獲で絶滅したとされるべリアララと呼ばれる植物の類似系統及び原種の発見である。ベリアララとは古ラテン語で『ベリアルの娘』という意味である。今回の調査は植物学のフィールドワークというより冒険家のそれに近いが植物学的な意義には事欠かない。べりアララは主に中世ヨーロッパの植物学、薬学、はたまたあるいは魔術書にまれに登場する植物名で長年学会では架空の植物であると言われているが真相は定かではない。歴史的には14世紀半ば頃からローマ教会がベリアララを『悪魔の草』と宣言し全ヨーロッパにおける根絶を各地の国王に命令したとされる。なぜベリアララが悪魔の草と呼ばれるようになったか、どのような効能があるのかは未だに謎に包まれているが、私はその謎を解く鍵を手に入れた。ヨーロッパから駆逐されつつあったベリアララの群生地があるという情報である。19~20世紀に活躍した冒険家スウェン・ヘディンの未公開のノートを友人の学者が入手したがそこにヘディンが行なった幻の東欧冒険の記録が残されていたのだ。ヘディンによると、東欧の僻地には地域の住民が決して近づかない『悪魔の舌』と呼ばれる盆地があり、そこには伝説のベリアララが咲いていると記録がある。このノートが真実だとすると、その東欧の僻地とはラズラビア奥地である。植物学者としてこれを黙ってみている訳には居られない。今すぐにも調査してベリアララの真実を明らかにしたいのだ。

2015 8/23 曇 ラズラビア奥地 テオドア地区のアパート
 ラズラビアの首都から車で二日ほど行った奥地の山中でついに私はベリアララと呼ばれる植物を発見した、見事と言い表す事しかできない真っ赤な花弁に形容しがたい色をしたつたのような部分が付いている。急ぎサンプルを保存する。しかし奇妙な植物だ、こんな花弁の色も茎や根の形状も見たことが無い。根の部分は植物というより動物の神経系に近い形をしているようだ、中世の人々はさぞや気味が悪かったろう。現代を生きる私でも気味が悪いぐらいだからな。あと不思議なのは花の香りだ、かなり甘い香りがするが周囲にいる昆虫が集う様子も無くむしろ避けているようだ。その代わり野豚や猪などが花をもりもり食べている、なんだか変な風景だ。思いっきり香りを嗅ぐと花粉が鼻に吸い込まれ咽てしまった、予想よりはるかに多い花粉量だ。一体どんな植物なのだろう。

2015 8/24 雨 ラズラビア 同上
 なんだか鼻の奥がむずむずする、今日は雨だし一日標本を作っていたら終わった。それになんだか熱があるような気がする、寒さから風邪でも引いたのかもしれない。ベリアララの解剖やらは明日の夜に回すことにする、とりあえず昼は標本サンプルチェックしたり環境調査をしていたら終わるだろう。疲れたから今日の日記はここまでとする。

2015 8/25 曇 ラズラビア 同上
 サンプルの確認が終わり環境調査に出かける、これと言った発見はなかったもののベリアララを食べていた野豚や猪の個体の中に身体が弱っているものが居たことに気づいた。弱毒生で長い間食べると体調が悪くなるのかもしれない。夜、極めて重大な発見をする。この植物は葉緑体を持たない。どういうことだ?ならばどいかにしてエネルギーを補給しているのだろう、これは植物学上に名が残るかも知れぬと野望が膨らむ、極めていい気分だ。貧乏学者の名前が教科書に載るかも知れないぞ、最高の旅に乾杯だ。

2015 8/26 晴 ラズラビア 同上
 ベリアララの標本の数を増やすため今日も採取に向う、するとベリアララ群生地付近で猪が死んでいた。外傷も無く目立った病気の痕も無いが異様に衰弱している、風土病か何かだろうか。いやな気分になったから標本を採取してすぐ帰ってきた。しかしこのベリアララという植物は面白い、細胞がまるで動物細胞と植物細胞の中間のような形態を取っている。成分を分析すると一種の幻覚作用をもたらす物質が発見された、中世の乱獲はこの幻覚性のため起きた宗教的な理由によるものだったんだろう。旅費も心もとなくなってきたのでそろそろ調査を切り上げる頃か、書き忘れていたが微熱が続いている。たいしたことはないが身体が不調を訴えているような気がする・・・外国の病院にいく気は無い。早めに帰国しよう

2015 8/28 ラズラビア ラズラビア国際空港 空港内
 微熱が治まってきたが新しい問題が起こっている。悪夢だ、大勢の触手が私に襲い掛かってくる夢を繰り返し見る。一度襲われたら最後触手はけっして放さずに体内に触手を挿入し体液を根こそぎ吸い取ってしまうのだ。体液だけではない、肉を、栄養を、意識を、魂を、あのおぞましい化け物が私から啜り上げる。しかも夢見る時間が日に日に延びるようだ。なんて嫌な夢だろう、慣れない旅で調子を崩したのかも知れない。早く日本に帰りたい。

2015 8/31 日本 東京 自宅
 ようやく帰国した・・・悪夢がずっと続いてぐっすり眠れない。だんだん私がわたしでなくなっていくような変な気分になっていく。ストレスから異様に食欲が出て食べ過ぎてしまい気分が悪くなる、どうなっている?一体何がおこっているんだ?今夜も眠れぬ夜が来る、誰か私を助けてくれ・・・

????(判読不能)????
 たす・・・・け・・・われる・・・・(判読不能)・・・まい・・・(以下判読不能)・・・・

2015 9/5 日本 同上
 悪夢がようやく収まった。 なんて気味の悪い夢だったのだろう、日記を見返したらまるで錯乱状態に書いたように字も文も乱れているではないか。今ではとても穏やかな気分だ、今まで夜型で不健康な生活をしていたが悪夢の件以来朝日を浴びないとイライラするようになった。おまけに夜にもすっかり弱くなり、子供のように早く寝る生活が続いている。そして非常に重大な出来事だ、ベリアララのサンプルが生きている。繰り返すが標本にした固体が生きているのだ、なんてとんでもない植物だろう。蛸が飢えた時に自分の足をたべてしまうかのように、自分の茎を余った部分を養分に直して生きながらえていた。とてつもない生命力だ、検疫も済んでいるし自宅内で栽培する分ぐらい問題なかろうという気分になったためこのベリアララを育てる事にする。本来は生態系の問題や植物学者としての倫理関わる絶対にやってはならない事だがどうしても私にはベリアララを処分する事が出来ない。そう思わせるほどこの花には気品溢れる美しさと儚い可憐さが溢れていた。まるで本能に訴えかけるような美だ。育てるついでにより詳しくこの植物を観察できる、一石二鳥だろう。そしてもう一つ気になる事がある、講義の最中に手が震えてチョークを落としてしまった。まさかこの歳で病気というわけでもないだろうが・・・いやな予感がする

2015 9/6 日本 同上 以下特記する必要が無ければ省略する
 今日は大学に一日中出かけていたが、ベリアララはわずか一日放置していただけで家の壁一面につたを張ってしまった。いくら家が日当たりが良くてもこれは限度を越えている。よほどエネルギー効率がいいのか・・・いやそもそもベリアララは葉緑体を持たないはずだ、こんな植物があっていいのだろうか。少し調べてみる必要があるだろう。。食欲もどんどん落ちていてラズラビア行き以前は三食おやつ入りでドガ飯もりもり食べていたのが今では二食でいっぱいだ。しかし不思議と空腹感は感じない。ふと気づくと近所の野良猫がベリアララを食べていた。あちらの猪といい動物にとって美味いのだろうか。謎は尽きない。手の振るえだが、一向によくならない上足まで震えてきた。おかげで身体を動かすのが億劫になっているが帰国して以来の毎日公園で日光浴する習慣は続いてる。

2015 9/10
 ベリアララの葉緑体の件だが、日本で確認したサンプルでは全てに葉緑体があった。調査ミスが原因か?しかし私がそんな単純なミスをするとも思えない。もう一つ気になるのがベリアララの生殖方法だ、ベリアララの受粉実験は全て失敗している。昆虫もこのベリアララには寄り付かないし・・・気候が合わないのだろうか?だがこの植物の生命力は想像を絶している、そんな事はないだろうと思うのだが・・・散歩していたらベリアララをたべていた野良猫がひょろひょろに衰弱して死んでいた。あちらでも見たが嫌な光景だ、ベリアララに毒性はないし偶然だろう。それにしても最近日光が気持ちいい。一日中日光を浴びていたい・・・食事も取らず日の光を浴びていたら一日が終わっているという日が続いている。何だかぼうっとした幸せに包まれているようだ。毎日つけていた日記も続かなくなってきているし、もう学者も研究もやめて日光を浴びる毎日を送りたい・・・

 日記はここで終わっている。おそらくこの日記中にあるベリアララという植物が起こした精神錯乱が原因だろう。教授の『よし!では再始する』という声で学生がズッと一斉に首を上げる。
「諸君はこの日記を読んで精神錯乱や幻覚だと連想したのだろうが、この症例はそんな生易しいものではないぞ。さあいよいよ予告していた衝撃的なサンプルの登場だ、皆覚悟は出来てるな?」 
 教授の言葉にゴクリと生唾を飲み込む。教授は机の下から大瓶を持ち上げ慎重に教壇の上に置いた。

 教壇に置かれたそれは、瓶に浮かぶ脳のホルマリン漬けだった。ただ一つ普通のそれと違うのは・・・脳にみっしりと植物の根が根付いていてその頂点には咲きかけの蕾がぷっくり膨らんでいた所である。悪趣味なマスクメロンのような趣に吐き気をグッと堪える。
「このベリアララと呼ばれる植物は極めて高い環境適応性を持ち、日光が当らない所では動物の肉体に寄生して脳を支配する。そして宿主の本能や一部思考を支配し宿主を衰弱させ、肉体を食いつくし外に出てくる肉食寄生生物だ。感染源は花粉、花粉を吸い込んだり花を食べた場合体内の粘膜から根が伸びて脳に到達する実に危険な生物だ。こっちがベリアララの花」
 再び教授がベリアララを取り出す、その花を見て私は戦慄した。なぜならその花は今朝自宅の庭に咲いていた可憐な花だったから・・・

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-02-08

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