本音を暴かないで 3
夏休みになった。約一ヶ月の長期休みは、学生にとって嬉しい時間だ。普段ならできないような旅行を計画したり、やりたいことを一日中したり、新しいことを始めてみたりと、楽しみは尽きない。もちろんそこに付属される膨大な量の課題は、日々生徒たちの心を蝕むだろう。楽しいことと嫌なことの間で、常に心がざわざわするというのも、この休みの特徴である。
私の朝は、七時に始まる。夏の暑さで目が覚めるからだ。起きたら、寝間着をすぐに脱いで洗濯機へと放り込む。シャワーを浴びて、兄が出勤する前に朝食を作っておく。それが終わると、簡単に掃除して、洗濯物と布団を干す。これが終わってしまうと、夕方までは暇になってしまう。その時間を課題に当てている。なんともつまらない休みだった。
夏休み一日目はそんなこんなで退屈に過ぎていった。私の休みというと、常にこのようではあるのだが、今年は何か変わる予感がしていた。そう思ったのは、恵梨との出会いがあったからだ。彼女が私の日々に、波を立てた。刺激のない平和な海であった私の心に、波を作ってくれた。そして、海の中をかき回す奴も現れた。彼と話すと、いつも感情的な自分がいた。この二人が、何か私の人生を揺るがすような、導いてくれるような気がしていた。大げさかもしれないが、少し、いや本気でそう思ったのだ。
頭上ではぎらぎらと元気に太陽が輝き、アスファルトは悲鳴を上げた。その上に乗っかる動物たちは、この猛暑を乗り切ろうと今日も必死に歩いている。私も、必死に歩いている。
朝の九時、学校の掃除が始まる。講習は昼から、といっても中途半端な十二時からだ。せめてもう一時間後でも良いと思う。その時間のせいで、生徒たちは十一時に学校に来て、まずは昼ご飯を食べ始める。いやいや、家で食べてきなさいよ、と私は思う。
この暑さで鞄の中の弁当がやられていないか不安だ。保冷剤は二つ入れたが心許ない。
学校までは、家から駅までが五分、バスで十五分という道のりだ。そんなに遠くはないが、外に出て蝉の合唱を大音量で聞くと、学校が遙か彼方に思えてくる。
額と首の汗をタオルで拭う。オレンジの香りのシーブリーズを首と腕に塗り直した。一瞬だけ、ひやっとする。ふと足下に見えたカピカピのミミズを、踏まないように跨いだ。こいつは夏の敗者だ。
学校の玄関で、ローファーをスリッパに履き替える。
校舎内は意外とひんやりしている。物音一つ聞こえてこない。掃除担当の生徒が、まだほとんど登校していないからだろう。
下駄箱には私の靴と、もう一つ男物の靴があった。出席番号五番のところだ。五番は高坂だ。今教室に入ったら、間違いなくあいつと二人きりになる。それは嫌だった。なぜか、彼と二人はきまずいのだ。しかし、教室以外に行くところなんてなかった。
階段を上る自分の足音がやけに響く。ここにいますよ、と主張するようで嫌だった。そろそろと足を滑らせて歩いても、スリッパだから意味がない。余計に音が大きくなっただけだった。
二年三組の教室が見えると、足が重くなった。廊下には生徒一人見えない。もうそろそろ九時になるというのに、何で誰もいないのか。怒りさえ湧いてくる。
「おはよう」
驚きで心臓が跳ねた。
「高坂……くん、いたんだ」
高坂は教室から顔だけ出して、こちらを見ている。足音で私に気づいたのかもしれない。
「うん。ちょっと早く来ちゃって。長井さんが二番目だよ」
二番、という響きに思わず反応する。いや、まさかわざと言ったわけではないだろう。そんな人をおちょくるようなこと、彼が言うわけがない。彼は秀才で好青年な、女子に人気を誇るやつ。外面の良さは確認済みだ。
「そうなんだ。皆遅いね……先に掃除始めちゃう?」
「九時五分まで待ってみよう。ちょっと寝坊しただけかもしれない」
(その五分、間が持たないよ)
「そうかもね。休みだし、気が緩んでるのかも」
軽く愛想笑いする。
高坂は屈めていた頭を引っ込めて私に、入らないの? という視線を送った。身を屈めないとドアの縁に頭をぶつけそうになるくらい、背が高い。
「高坂くんって身長どれくらいなの。高いよね」
教室に入って、窓を開けてようとしていた高坂が勢いよく振り返った。彼のそんなリアクションを予想していなかった。私は後ずさる。彼は少し笑っていた。いつもの、作り笑いではなかった。
「百八十五だよ。長井さんは?」
「百六十くらい、だったと思う」
「ふーん」
高坂はやけに嬉しそうだった。身長のことを聞かれるのが好きらしい。背が高いと自慢したくなるものなのかもしれない。理解はできないが。
「廊下の窓開けてくる」
廊下の窓から外を見るのが私は結構好きだ。中庭が見えるからだ。春、中庭の木に鳥が巣を作っていた。それを毎日なんとなく眺めて、幸せを感じていた。校舎の壁に張り付いているツバメの巣も見えるので、ここは良いスポットだ。
廊下にある窓は大きめで、背が低いと鍵まで手が届かない。百五十前半くらいの身長だと、手を伸ばしても届かないだろう。私の場合、無理せず鍵を開けられる。背が高いと、こういうとき得をする。人に自慢は、できない。
「終わった?」
「あ、うん」
ちらほらと生徒たちが登校してくる。ほとんどが眠そうな顔だ。夏休み始まったばかりで、夜更かししたのかもしれない。その中に、佐藤と山根の姿は見えない。中井が階段の方から歩いてくるのが見えた。いつものごとく、仏頂面だ。もともと茶色っぽい髪を金に近い色に染めている。先生に見つかったらアウトだ。あいつはピアスもあけている。不良の真似事だと、前に言っていた。なんのためにそんなことをしているのかは知らない。
「おはよう、礼司」
高坂が手をあげる。中井も首を少し下げて、軽く手をあげた。
「うっす」
(かっこいいとか思ってるのかな)
彼の仕草はぎこちなく、そういうキャラを作っているのだと一目でわかる。クラスではマスコット扱いをされているが、案外似合っているのかもしれない。
「おい、何にやついてんだよ。うぜえ」
めざとく突っ込まれる。本当にからかい甲斐のある奴だ。女子たちが、かわいいと言うのもわかる気がする。母性本能くすぐる容姿と仕草、それをコンプレックスに思っているのが、また面白い。
「可愛いと思って」
口が滑った。笑いを含んだ言い方をしたせいか、中井の顔が怒りで歪む。
「ごめん、ごめん。クラスの女の子たちがそう言ってたから」
「え? 礼司のこと可愛いって? 俺だけがそう思ってるとばかり……」
高坂もにやっと笑う。中井はいよいよ情けない。
「そういうことまた言ったら、痛い目見るぞ」
「え? 暴力はいただけないなあ。俺にはいいけど、長井さんに手をあげるのは駄目だよ」
「隼、こいつそんなに柔じゃねえぞ・・・・・・」
中井が呆れたように高坂を見る。高坂はそうなの? と私に首を傾げた。
「いや、柔だよ」
「嘘付け! 前に俺がお前を商店街でみたとき、お前、路地に連れ込まれて」
私は鋭く中井を睨む。まさかあれを見ていたなんて。こいつとは何かと縁があるようだ。
あれは高校一年生の時のことだ。帰り道、用事があって商店街を通っていたら、急に左腕を強い力で掴まれ、路地に引っ張り込まれた。もう空は薄暗く、狭い路地は真っ暗で外からは見えない。連れ込まれたらおしまいだった。
しかし私は、幼い頃から兄に護身術を教わっていたので、咄嗟に相手の顎を下から殴り、怯んだ隙に鳩尾にも一発拳を入れて、何とか逃げられたのだった。大した力が無くても行動に移す早さが大切で、一瞬の躊躇があると、その間に両手を封じられている可能性がある、と兄がいつも言っていた。すぐに対処すれば、十分に逃げられるのだと。
それを強く実感したあの日のことを、中井に見られていたなんて。
そういえば子供の頃、兄はどうして私にそれを教えたのだろう。家に帰ろうとしても、護身術を教えるから、と帰らせてもらえないこともあった。休みの日に連れ出されることもあったと思う。
「路地に? 大丈夫だった?」
高坂の心配する声に、中井が言葉を続けようとする。
「違うんだよ。こいつ、そのあと」
「中井、古典の授業のときのこと根に持ってるんだよね? 私口が滑って恵梨に言っちゃうかも」
急所をつくと、中井は言葉を詰まらせる。恵梨には知られたくないだろう。
高坂は先を促した。
「長井さんが、そのあとどうしたって?」
「私、帰り道に商店街は通らないよ」
「そ、そうなのか? じゃあ見間違いだったかもな!」
高坂が不満げに顔をしかめた。中井がこれで誰かに話すことはないだろうと、私は安堵した。護身術ができるなんて、あまり知られたくないことだった。
結局、佐藤と山根は来なかった。私は内心腹立たしかったのだが、聖人君主のような顔で、高坂が許すと言うものだから、なんとなくそれに同意してしまった。少しは怒ったって、文句は言われないだろうに。彼は仏様でも目指しているらしい。二人が来なくても全然構わないといった態度だ。
三人で教室の机や椅子を運ぶのには骨が折れた。時間をかけないように、運んで場所が空いたところから掃除をしながら、なんとか九時四十分には終えることができた。そのとき、他クラスではとっくに掃除は終わっていた。
窓を閉めて、カーテンをひとまとめに括る。ガラス越しでも蝉の声はしっかりと耳に届いた。かすかにツクツクボウシの鳴き声も聞こえる。一定のリズムで同じフレーズを繰り返し、途中から音程が高くなってテンポも上がり、最後はブブブブブブと低い音に変わった。八月に入ったばかりでそれが聞こえるのは、ここでは珍しい。
アブラゼミは煩いが、ツクツクボウシは好きだった。昔は秋を知らせる蝉だと思っていたからだ。暑い夏が終わると思うと、気持ちが浮き上がった。
そうして外を眺めていると、高坂が隣に立った。彼を少し見上げる。
「長井さんも講習受けるの?」
彼の手には鞄が握られていた。黒色のシンプルなリュックだ。彼は、そのショルダーベルトをひとまとめにして肩に掛けた。リュックの正しい背負いかたではないが、やけにかっこよく見えた。それを無意識でできるのが恐ろしい。
「そうだけど、高坂くんも?」
「うん。隣の選択教室で昼ご飯食べようと思うんだけど、一緒に食べる?」
中井は帰ったようで、姿が見えない。
昼食をとる場所は、電気の無駄遣いを防ぐためにクラスごとで指定されている。彼と同じ教室で食べるなら、断る理由がない。しかしご飯を高坂と二人で食べるのには抵抗があった。目立つし女子に恨まれるから、なんて理由にならない。言っても、大丈夫の一言で一蹴される。嗚呼、いっそのこと外で食べようか。
私はふと、思い出した。たとえ高坂を好いている女子たちに嫌われたとしても、私はもう一人ではない。恵梨がいる。大丈夫だ。一年生の時とは状況が違うのだ。
(そこまでして避けることはないかな。高坂くんに悪いし。暑いのは嫌だ)
一拍おいて、頷いた。一緒に食べるくらい、大丈夫なはず。
「うん。食べようか」
色々考えあっての決意であったが、高坂は私がそう言ったのを聞いて、「ふーん。食べるんだ」みたいな顔をした。彼の挑戦的な態度に、頬がひきつりそうになる。
高坂が社交辞令で言っただけかもしれないという可能性に、私は焦った。彼は、一緒に食べようとは確かに言っていないのだ。あくまで可能性の話だが。八割くらい社交辞令だろう。彼お得意の。
「ツクツクボウシ、聞こえる」
窓の外を見ながら、小さく高坂が呟いた。独り言だ。私に言ったのではないことが、彼の遠くを見るような瞳でわかった。少し親近感が湧いた。
「この時期に珍しいよね」
隣の彼を見上げる。高坂は一瞬戸惑いの表情を浮かべた。
「え?」
「ツクツクボウシのことだよ。もう、鳴いてる」
「あ、ああ。そう、だね」
彼の笑顔が歪んでいた。
「長井さんってお兄さんいるんだ。俺は兄弟いないから羨ましいな」
選択教室には数人生徒がいた。私と高坂のように、掃除のあと学校に残る人たちだ。部活の練習着を来ている人たちが、楽しげに話している。
「一人っ子か。ちょっと意外」
私が何気なく言うと、高坂が眉を少し上げて、興味深そうに「何で」と聞いてくる。私も、何でそんな風に思ったのか不思議に思った。
「弟みたいな雰囲気がするから、かな」
彼はどう見てもしっかり者のお兄さんタイプなのだが、そこに垣間見える何かが、彼を弟のようだと思わせた。
高坂は、箸を運ぶ手を止めた。目を伏せて、何かを考えている。
(もしかして、失礼だった?)
「昔、親にも言われたことがある。弟みたいだって」
顔は俯きがちで、目だけが私に向けられる。その瞳は、何かを見透かそうとしているようだった。けれど、怒っているわけではなさそうだ。
「そうなんだ。やっぱり、そういう雰囲気があるってことじゃない?」
「どうだろう。自分ではそんな風に思わないから」
食べる手を再開した高坂を見て、私も手が止まっていたことに気づく。
話せば話すほど、高坂はミステリアスだった。彼を形作っている人生観や価値観は、常に他者から干渉されないようにオブラートに包まれているようだ。私から見える彼と、彼から見える彼自身との違いは大きいように思えた。そのオブラートの中身が、彼を弟のように思わせる要因の一つなのかもしれない。
私が弁当を食べ終わったのは十時半過ぎだった。高坂は少し前に食べ終え、教室内の女子たちと話していた。他クラスの子だ。交友関係の広さも、学年では彼が一番だろう。彼の外面の良さと外見に惹きつけられる生徒は少なくない。
鞄に空の弁当箱をしまって、英語の教科書とノートを取りだした。
二年の講習では、一学期の復習と、簡単なセンター試験の問題が出題される。予習などは必要ないが、しておく分には損はない。私の場合、何かを始める前には準備段階というのが必要だった。気持ちを切り替えるためにもこの段階は有効である。
鞄のチャックを閉めて、二年三組の教室に移動しようと席を立つ。講習は各生徒たちのクラスで、クラス別に行われるのだ。金曜日は英語ということもあって、クラスメイトの大多数が登校してくると思われた。すでに選択教室内は生徒であふれている。
日本人の大多数が苦手とする英語は、受験では重要科目となっている。ただ単語を覚えるだけではなく、文法も覚え、自分なりに活用でき、なおかつリスニングもこなさなければならない。そこで高得点を取れれば、受験に有利だ。
高坂の方をちらっと見た。
(先に行ってもいいよね)
目が合った。彼はひらひらっと手を振った。まだ少し女子たちと話すようだ。気にせずに先に行け、と合図を送ってくる。なぜか少し、むかついた。
講習が始まる十分前に、恵梨が来た。彼女は私の隣、高坂の席に座った。講習の先生はいつもの英語担当の先生とは違うため、自分の席に座っていなくとも気づかれない。
やはり、ほとんどの生徒が登校して来ていた。部活動を抜けてきた人もいる。
高坂がやっと教室に入ってくるのが視界の隅にうつった。恵梨が自分の席に座っていると気づくと、彼女の後ろに座った。
「高坂、席使わしてもらってるわ」
恵梨が手をあわせて、軽く謝った。
「いいよ……ただ、使う前に聞くべきだと思うよ」
彼の口調こそ柔らかいが、表情は硬かった。頬杖をついて、窓の外に顔を向けている。その姿は、拗ねた子供のようだった。
「ごめんって。今度からはそうする!」
「今度?」
高坂が眉をつり上げた。
恵梨は、彼のいつもと違う様子に、「何かあったの?」と私に視線を向けた。私は首を横に振った。
そのとき、高坂の隣、つまりは私の後ろに、古川春が座った。瞬時に高坂は頬杖をやめて、笑顔を作った。早業だ。
「隼おはよう。あ、こんにちは、かな」
「来たんだ、古川さん」
高坂の、笑顔だがそっけない返事に古川は口を尖らせる。
彼女の髪は、太陽光を受けてきらきらと輝いていた。手入れがしっかりされている、綺麗な黒髪だ。しばらくそれに見とれてしまう。私の場合、手入れが面倒でボブにしてしまった。母はそんな私に、もったいない、と言うはずだ。女はロングが一番だと、いつも言っていた。
古川は背負っていた小さなリュックを、机におろした。白いベースに青いチェック柄の鞄は、少し凹んでいた。ほとんど何も持ってきていないようだ。高坂の隣に座れて嬉しいのか、顔が緩んでいる。普段は受け身な彼女が、恋愛のこととなるととても積極的だ。まるで別人のように。
「隼は講習全部受けてるの?」
「英語だけだよ」
「そっかあ。じゃあ私も英語は絶対に受けに来るね!」
「ん」
「あ、そうそう。夏祭り、一緒に行こうよ」
「ごめん。礼司と行くから」
「そ、そっか。二日目の花火は?」
「花火、好きじゃない」
彼女が可哀想になってきた。高坂の機嫌を損ねてしまった恵梨も、彼女を気の毒に見つめている。古川はあまり気にしていないようで、明るく話しかけ続ける。
恵梨が私の耳元でささやく。
「高坂って意外とちっさいやつなんだね」
私も恵梨の耳元で返す。
「ちょっとびっくりした」
二人でにやっと笑う。
「二人して、何笑ってるの」
高坂に見られていた。古川は話をぶつ切りにされ、不満げだ。
「いやあ高坂ってモテるなって話」
(全く違うし)
恵梨が楽しげに笑うので、そういうことにしておく。適当に笑って相づちを打った。
「そうなの?」
高坂は私をまっすぐ見つめた。彼のやけに真剣な瞳を見返すと、心臓が緊張したみたいに痛くなった。鼓動が速くなる。
「うん。そう。ね? 恵梨」
「そうそう」
彼の視線が私から外れると、緊張が解けたように息が楽になった。
(これって……)
その感じを私はよく知っていた。鼓動が高まり、顔に熱が集中してくるこの感覚は、過去、篠崎祐介に対してよく感じていものだ。
(さっきまでは普通だったのに、なんで?)
何が私をそうさせたのか、考えてみてもわからない。その後、高坂を見てもその感じはわき上がっては来なかった。
「高坂も彩知もセンターの過去問良い感じだったねー」
恵梨がローファーを履いて、つま先で軽く床を蹴った。講習を終えた生徒たちが、恵梨を通り越してぞろぞろと帰って行く。私もスリッパを履き替えて、それに続いた。
「ちょっと、彩知!」
恵梨が後ろから走ってきて、横に並んだ。
「早く帰りたいの」
私の声音に、彼女は一気に神妙な顔つきになって、不安げに言う。
「もしかして、家で何か」
「え? 違う違う」
変な勘違いをさせたみたいだった。
歩調を緩めて、空を見上げた。まぶしいくらいの青と、遠くに浮かぶ入道雲が目に映った。途端に、夏の湿気と暑さが私の肌に落ちてきた。バックミュージックはアブラゼミの合唱だ。評価はマイナス。良い点は、元気があること。悪いところはあげると切りがない。
「ちょっと、一人で考えたいことがあって」
「それにあたしは必要ない感じ?」
「んー最終判断を委ねようかな。まずは自分で考える」
冗談混じりに笑って見せた。
祐介に会うことができれば、この気持ちの答えがわかる気がした。
本音を暴かないで 3
続きます。主人公の気持ちが動き出しました。
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