染み
世の中に溢れる本の中で、僕たちが覗いた本はきっと世界中探したって見つからないだろう。
昼下がり、いつのもカフェで彼女は珍しく日本茶を飲みながら昨日買った小説の世界にのめり込む。
僕はそんな彼女を少し眺めた後、手の中にある物語に意識を投げた。
2人の間に流れる音は、店のBGMであろうジャズと頁を捲る乾いた紙の音だけだった。
「あれ。」
少し掠れた小さな声に僕は現実へと戻される。
声の方へ目線を上げると、彼女は頁の左端をそっと撫でていた。
「どうか、したの。」
僕の問いに彼女は僕の方へと本を向ける。
「最後の頁の最後の言葉。染みていて、わからないの。」
彼女の白い指が差す行の最後の言葉。
『嗚呼、だから僕は彼女のことが涙が零れ落ちるほど、**しい。』
確かに染みができている。
「ここ、なんだったのだろうか。」
彼女は首を傾げた。
「『愛おしい』なのか『憎らしい』なのか、『悲しい』なのか。」
黒い瞳に少しだけ、小説の文章が映る。
「物語的にはどれが当てはまってもおかしくないの。『彼』は『彼女』を憎んでもいたしとても愛してもいた。だからこそ、その気持ちに何度も悲しんでいた。そういう話だったの。」
彼女はそっと染みを撫でる。
「その本、其処まで古い物ではないよね。調べてみようか?」
僕の問いに彼女はゆっくりと首を横に振る。
「確かに正解はきになるけれど、これはこらで素敵だと思わない?読んだ時の解釈によって『彼』の気持ちに変化があるかもしれない。ねえ、この本は世界中探せばごまんとあるけれど。きっと『この本』は今此処にしかないんだよ。それってとても素敵な事だと思わない?」
にんまりと笑う彼女は楽しそうで。
僕はそんな彼女を見るのがとても好きで。
『彼』の言葉を借りるなら、僕は彼女のことが涙が零れ落ちるほど『愛お』しい。
染み