ダニエル叔父のジュークボックス(一部)
僕にはダニエルという自慢の叔父がいて、一時期は近所に住んでいたからよく遊びに行った。一時期、というのは具体的な数字にするとたった三ヶ月ほどのことで、通ったのは週に二回、多くても三回という程度だったから大した数ではないのだが、それでも思春期に入って間もない僕に彼が与えた影響は甚大だった。学校帰りや休日の昼下がりなど、胸を躍らせながらてくてく歩いて通ったものだ。
叔父さんちに行ってもいい、と尋ねた時は、まだ彼があの豪奢だがカビ臭いアパートメントの三階に越してきたばかりだったはずだ。それまでの僕はそんなに近い親戚が自分にもあるなんて考えもしなかったから、とくべつな関係を得たことがわかって興奮しきりだった。相手の素性だとか、うちの両親とうまくいっているかどうかとかは一切気にしてはおらず、我に返ると右手には既にダイヤル済みの受話器が握られていた。今思い返せば母が番号を教えるのをあんなに渋ったあたり、明らかに仲は険悪だったのだが。
そんなわけだから、僕の突然の申し入れに、叔父はやや困惑したように黙りこんでいた。幼いながらも回線の向こうにいる相手が戸惑っていることくらいは感じられた。すぐに謝って電話を切ろうとした時、いいよ、という声が聞こえた気がした。え、と受話器を再び耳に押し付けると、彼は苦笑しつつもはっきりと「いいよ」と言った。
日取りを決め通話を終えて、両親に報告したら、顔に浮かぶ不快の色を彼らは隠そうともしなかった。詳しく言えば、ソファに並んで座っていた二人の眉が揃って繋がるくらい。でも、まあいいんじゃないか、と不承不承ながらも父は訪問を許可してくれ、母は不満そうではあったものの異議を唱えはしなかった。
というわけで次の土曜の午後、リュックサックに手土産やら何やらを放り込んで、緊張でかちこちに凍りついたまま、叔父の部屋を訪れたのだった。チャイムを鳴らした僕を出迎えてくれたのは三十恰好の、なかなかハンサムで学者然とした男の人だ。
「いらっしゃい」
叔父らしきその人物はとても愛想よく招き入れてくれた。しどろもどろな挨拶をすると彼は、じゃあ、どうぞ、と背を向け歩き出した。黙って後ろを付いて行く。他にもいくつかオーク材のドアがあったけれど、玄関から続く暗い廊下を僕らはまっすぐ進んだ。踏み出すごとにぎいぎい鳴って、どことなく不気味だったように思う。
案内された先はまあ、何の変哲もない居間で、こぢんまりとしているがとても品よくコーディネートされていた。リュックを下ろし、上着を脱いで、勧められるままに緑の革張りのソファに腰かけると、彼もまたテーブルを挟んだ向かいに座った。既に用意されていたカップから、湯気がやわらかに立ち上っている。互いにしばらく黙ったままで紅茶を啜ったりなどしていたが、ようやく僕がくつろぎはじめたのを見計らったかのように彼は口を開いた。
「改めてようこそ、ジェラルド。僕はダニエル。君の……叔父になるのかな」
にやりと微笑みかけられる。この瞬間に子どもの僕は、すっかり叔父の不思議な魅力のとりこにされて、あとは彼が、
「十一歳になったって聞いたけど」とか、
「学校は楽しいかい」
「悪いね、部屋、散らかってて」
だとか、その他にもあれこれ訊かれるたび、返す言葉もなくただ夢中で頷くだけだった。彼はおかしそうにくすくす笑って、それからこんな提案をした。
「よかったら自由に見て回っておいで。家の中。ただし走り回らないこと、それから、本以外のものには許可なしで触らないこと」
「ぜったい?」
「絶対に」
僕はまた強く頷き返して、叔父は「よし。行ってこい、小さな探検隊長殿」と笑った。よく笑うし、えくぼがチャーミングだな、とぼんやり思った。
あちこちを探索した後で、また紅茶をごちそうになった。どうやら叔父のほうでも僕を気に入ってくれたらしく、もっと話をしたがったが、生憎もう日は沈みかけていた。数時間があっという間だった。「またいつでもおいで」と声をかけてもらって、その日は帰ることにした。
そうしてすっかり懇意になったのだけれど、何度目かに訪ねた時、叔父がひどく不審だったことがある。そうだ、確かあれはたまたま行事の振替かなにかで、丸一日休みになったときだろうか。陰気な小雨が降る中を、傘を差してふらふら歩いて行ったのだ。休校とはいえ、この天候では家でおとなしくしている生徒が大半らしかった。
大抵は家にいるから呼び鈴を鳴らさなくてもいい、そう言われたとおりにしたのに、玄関に現れた叔父はとても慌てた様子で「学校は」と質問した。返事はできなかった。口調があんまり怖かったので、とっさに口が利けなくなってしまったのだ。そんな僕の怯えきった表情を目にして普段の落ち着きを取り戻したのだろうか、彼ははっとして口元を押さえ、小さな声で、
「ごめん」
とだけ言った。家に上がるよう目で促すから、濡れた雨傘を脇に立てかけ恐る恐る追いかける。と、急に叔父が立ち止まり、廊下の途中にあるドアを素早く閉めた。書斎の扉だったはずだ。でも僕は前を通り過ぎるとき、そこから転がり出たと思しきなにかを拾い上げ、気づかないままの彼を呼び止めた。
「叔父さん、これ」
その時の叔父の表情は、十年近く経った今でも忘れられない。振り返って僕が差し出すそれが何であるかを確認すると、猫のような手の閃きで彼は奪いとった。今度こそ僕は、身じろぎ一つできずにいた。目の前の人物がまるで証拠を偶然にも発見されて怒りと恐れでわななく、刑事ドラマの殺人者役に見えてならない。見開かれた両目はぎらぎらとして威嚇するようであり、実際僕をその場に釘付けにするのには覿面であった。
どれくらい経過しただろうか。再び僕の「叔父さん」に戻った男は、いつもの自然で優しげなそれとはまるで別物の、苦心して無理やり浮かべたらしい笑みとともにこう説明した。
「僕も驚いたんだけどね。この家、どうやら、妖精、そう妖精がいるらしいんだ。うん。僕が引っ越してくる前――ずっと前から。きっと、だいぶ昔に死んだやつのものさ、これもね」
こちらの反応など気にも留めずに早口でまくし立ていそいそ去る彼の、なんだか妙に小さく見えた後ろ姿を呆けた顔で眺める間も、ずっと僕は、つい出てきそうになる文句を口内に封じ込めておくのに必死だった。
そんな風に、取り繕ったように笑わないでよ。何も問題ないなら、いま引ったくった物だって、見せられるはずだろ、と。
たとえそれが小人の頭蓋骨でもさ。
ダニエル叔父のジュークボックス(一部)