追憶の聖域

遠くへ行きたい
ここではない
どこか遠くへ

遠くへ行きたい
穢れの無い
美しい世界へ

遠くへ行きたい
疑いを知らない
笑みの満ちた国へ

遠くへ行きたい
慈しみ溢れる
母のような場所へ 

遠くへ行きたい
私を承認する
甘く切ない過去へ

(このほとばしる感情に、真実はあるのだろうか)

そして
人は行き着くのだろう
——追憶の聖域へ

止まった秒針の中の世界

空気が止まってしまった部屋の中で
ひとり彷徨うようにして椅子につく

死にたくない

少女はそう言って刃をあてがった
あの震えは何だったろう
かすかな恐れ
かすかな期待
しかし、追い立てられた
虚ろな瞳に痛みは映らなかった
鉄の匂いが漂う中で
少女は紅い軌跡を描き続けた

ふと 手をとめる
明日も私を保てるだろうか
深くうつむいて息をはいた

扉をたたく人を待ちながら

インストール

人は、その心に記憶を刻んで生きていく
刻むことは傷付けること

だから、人は誰ひとり傷付けずには生きられない

傷付けないことを望めば、
あなたが駄目になってしまう
そんなのは私が許さない

恐れずに、踏み出そう
きっと、みんなはあなたを受け容れてくれる
傷付けてしまっても、きっと赦してくれる

だから自分も強くいよう
誰にどんなに傷付けられても
その人を受け容れられるような
その人を赦せるような
そんな強さを持とう

悲しいことや寂しいことは考えずに
みんなの手を取って謳おう
その手に伝わる体温を感じて
その声で伝わる存在を信じて

わたしはいまここにいる
そう叫ぼう

凍てついた記憶たち

私でも問いたい
それを拒絶する理由を
私の過去に何があった?
――凍てついた記憶に訊ねても、硬い氷が響くだけ――

                     きィん
                     かァん
                     ぎィん
今は鍵さえ失った
鎖されたその記憶には
誰の手も及ばない
――凍てついた記憶に訊ねても、硬い氷が響くだけ――

                     きィん
                     かァん
                     ぎィん
私に叫びたい
過去は、記憶は、
私は何処へ行った?
――凍てついた記憶に訊ねても、硬い氷が響くだけ――

                     きィん
                     かァん
                     ぎィん

夏は、いつも闇のない光で(わたくし)を照らす

どこからともなく聞こえてくる蟬の(こゑ)
「もういゝかい」神社で遊ぶ子供の聲
音のない風に搖れる向日葵(ひまはり)
髙みを目指す純白の入道雲(にふだうぐも)
雜木林(ざふきばやし)の向かうから聞こえる潮騷(しほさゐ)

私はと()へば、煽風器(せんぷうき)の前で團扇(うちは)を持ち
(たゝみ)に身を預けて天井を見上げてゐる
(つくえ)()いたかき氷は音を立てて崩れてゐるのに
夏は、(とき)が止まる

蟲取(むしと)り網を携へて畦道(あぜみち)をゆく少年
日燒けに懲りず海へと向かふ少女
鈴を鳴らして(はし)つてゆく自轉車(じてんしや)の靑年
セーラー服を汗で濡らして笑ひ合ふ女學生
綫香(せんかう)()き靜かに手を合はせる老夫婦

緣側の風鈴が鳴つた
その音に促されるやうにして 私は外に目を向ける

下駄の音を響かせながら繰り出す浴衣の男女
アセチレンの(あか)りに輪廓が搖れる狐の假面(かめん)
荒々しく打ち鳴らされる太鼓と(かね)の音
幼い手に握られた綫香花火の(しづく)
人影の向かうの打ち上げ花火

——ひぐらしの聲が聞こえる——

朱く染まる夕日
闇を()びた鰯雲(いわしぐも)の空
日に日に伸びる人の影
踏まれてゆく蟬の死骸
遠ざかる足音と車輪の軋音(きしみね)

夏は、過ぎ去つた

翼はいらない

翼をください

かつて そう歌った彼女は 空を翔ていた
やっと手に入れた その自由の翼で
どこまでも続く空を いつまでも翔ていた

黄金色した 芒の絨毯の上で
ふと 彼女は立ち止まり
涙を浮かべ 流し 声を上げて 泣き崩れた

ずっと ひとりだった
どこまでも いつまでも ひとりだった
だれが わたしを みつけてくれる?
だれが わたしを あいしてくれる?

そのとき
ひとつのあたたかい手が
彼女の手を握り
ひとつのあたたかい腕が
彼女の身体を抱き
ひとつのあたたかい心が
彼女の心を包んだ

ありがとう
こんなわたしを みつけてくれて
ありがとう
こんなわたしに やさしさをくれて
ありがとう
もう ひとりじゃない
そらなんて とべなくていい
あなたと いれるなら

翼はいらない

存在のアンチテーゼ

校庭の隅の
割れた時計が
指す過去から
君の呼ぶ声を聞いた

制服靡かせて
消える輪郭線
追うように振り返る

〝どこにもないこと解ってる
 でもそれが大切なコト〟
どこにもないモノ探してる
君の言葉が胸を突く

あの頃偽りと断じた言葉の意味に 今気付いた

アンチテーゼだけ掲げ
テーゼ見失う愚か者
いつまでも白き真実には至れない

この祈りは罪なのですか?
この痛みは罰ですか?
涙溢れ流れ出したら
君の姿がそこにあった

〝どこにもないモノ探しに行こう〟
笑って手を伸べる君と
どこでも行けるような気がして
黄昏の中 手を伸ばす

あの頃交わした約束 今も憶えているよ

The Antithesis of Existence

The clock that stood still on the edge of the school grounds,
pointed towards the past
I heard a voice
you called

I looked back to chase your disappearing outline
as my uniform fluttered with the wind

‘Of course, I understand that ideals are void in this reality,
but we have to pursue and believe in them, anyway’
Your words look for ideals that do not exist,
they sting my heart

Now I just notice the true sense of your words
which I concluded were falsehoods in those days

The fool who advocates only antithesis,
loses sight of the thesis
This can never lead to the white truth

Is this prayer a crime?
Is this pain, punishment?
When tears came and overflowed,
there you stood, distance between us

‘Let’s search for ideals not of this world’
You glance at me then smile, you offer me your hand
Anything is possible with you by my side
I still remember the words we shared in those days
It’s dusk
I reach for you

くちづけ

真実に伝えたいことは、
口に出してなんて言えない。

真実に伝えたいことは、
文字になんてできない。

真実に伝えたいことは、
言葉になんてできない。

(君は耳元で何か囁いた)

ほら、
はちきれそうなこの思いは
言葉にした瞬間に壊れてしまう。

(君は口紅の拭き取った唇を吊り上げた)

だから、見てて。
壊れないように、あなたに運んであげるから。

残像

夕映えの喫茶店で 貴方は逆光の席に坐った
街路樹の木漏れ日が どこか淋しそうに輝いた

黄金色の光の輪廓の貴方

はっとする

残像が重なる
過去が繋がる
二つのフィルムが重なるように
貴方の向こうにあの人が見える

貴方の
その優しさ その温もり その仕草
全てあの人と同じだったのね

私にとって貴方はあの人の残像でしかない
だめだ、私はまだあの人を愛している

「さようなら」
ソレガワタシノシアワセダカラ

わたしのただひとりのたいせつなひと。

樟の葉が揺れる
頬をかすめる風が
今も憶えている
あなたの香りを運んでくる

その心地よい風に合わせ
あなたに問いかけてみる
お元気ですか?
今、何をしていますか?

問いかけることで
想うことで
あなたが見えてくる
——そんな気がするから

この小さな窓で
頬杖をついてぼんやりとしか
あなたのことを考えられないけれど
まだ返事を待っています

わたしのただひとりのたいせつなひと。

冬の幻

切れかけた街灯が照らす
古びた橋の鼓動を聞きながら
ダイナモの重みのするペダルを強く漕ぐ

ふと、
背中に吐息を感じて振り返ろうとして

一閃、
その街灯が作った影には君が居た
荷台に坐って僕の背中に凭れていた
身体に懐かしい熱が駆けた

そう、
それは二人で夕陽の土手を走った
あの頃そのままの姿で

でも、
解っていた
それは川の風
それは欄干の影

それでも、
そう思いたくなかった
解りたくなかった

僕は冬の夜道を走っていく
背中にぬくもりを感じながら

君に捧げる最後の花束

遮断機の向こうに消えた君は
赤い赤い花束の中に浮かんでいた

最後に見た君は儚げで
その目は何かを愛おしんでいた
滲む涙が零れる前に
背を向けて、言った

「ごめんね、もう会えない」
——大丈夫、もう君を一人にさせたりしない
  今、君に会いに行くよ

架線を揺らした夜風の中で
深く深く息を吸った
まだ、君の残り香が
そこにあるような気がして

悔しかったよね
辛かったよね
寂しかったよね
痛かったよね
冷たかったよね
寒かったよね

「だから、最後に約束させて
 どんなことがあっても絶対に泣かない、って」
——ごめんね
  最後くらい約束を守りたかった
  最後くらい笑えたらよかった
  もうすぐ君に会えるのにね
  可笑しいよね

赤の点滅と甲高い金属音

そして、——

赤い、赤い、
君に捧げる最後の花束。

再会*

「大人になったら、また出逢おうね」

今頃になって思い出した
君の最後の言葉を

 更年期の妻と反抗期の娘らに短く挨拶して
 雪夜の特急にひとり飛び乗る

それはひどい別れ方だった
未熟と未熟とが傷付けあって
共依存の果てに互いを貶めあう
そんな悲しい破局

 北国の車窓は白くて硬いけれど繊細で
 秘やかにあの時代を具象している

君が嫌いで嫌いで、そして好きだった
だから私は、中学卒業の日、君の家を訪ねた

 申し訳程度の暖房が座面から伝わる
 その心地よさに揺られて私は南へと向かう

扉を開けて私を見とめた瞬間、
君は私に飛びついて
泣いた
ひとしきり泣いた
その号泣が住宅街にこだましてこだまして——
私は何故か嬉しくて
その黒髪を優しく撫でた
すると君は泣きやみ
無理やり笑顔をつくって
こう言ったのだ

「大人になったら、また出逢おうね」

私はあの日の君の涙が忘れられなくて
幾度か手紙を送った
けれども返事は一向に無く
数年後代わりに届いたのは
白黒の味気ない葉書だった

 三輌編成の地方私鉄は終電で
 乗り換えて暫く経っていた
 どうしてこんなものに目が行ったのだろうか
 どうしてこんなものに心揺さぶられたのだろうか
 ふと肘掛けを見ると
 その落書きが彫りこまれていた

  まーちゃん
  愛してる
  会いたいよ
  早く私の所
  戻ってきて
  ずっとまってるよ

  PS.まだわたしの夢
    かわってないからね

  Yより
  平成9年3月5日

「大人になったら、また出逢おうね」


な 好きな人が居るってホント? どうして約束守ってくれないの?
ああ、好きな人は、ここにいるよ だってそんな約束守れるわけ……

おじいちゃんおばあちゃんになっても名前で呼びあいたいね
だ  どうしてそんなにセンス無いかなー それじゃあまず長生きしないとな
  あたしも好き
が あ、また「お前」って言った!   嘘つき
あたしにはあいつの血が流れてる
あ どうして笑わないの? 嬉しくないの? あああああああああああああああ
ごめん、うまく笑えないんだ ……大丈夫、大丈夫だよ
ふ  あの人のこと、好きになっちゃったみたい
 来年は同じクラスがいいなー  交換日記つけようよ
れ *ね! *ね! *んでしまえ!
あいつは敵だ! もう誰も信じない!  いいさ、君が幸せなら
て 敵なんかじゃないよ、ほら、落ち着いて…… 君の為なら何事も厭わない


翌日、私は君の家を訪ねた
ご両親は私のことを覚えてくれていて
君の部屋に通してくれた
学習机の上の写真立てでは
制服姿の君がこちらに笑いかけている

「大人になったら、また出逢おうね」

「久しぶり
 君はずっと君のままだな」
すっかり老いてしまった手で
君の好きな花束を
静かにそっと
供えた

「ありがとう 
 でも、
 あなたはあなたの刻を生きて」
君のそんな声が聞こえた気がした

追憶の聖域

*『再会』「なみだがあふれて」の台詞部分は、縦書きにして読めるか読めないかの濃さで印字します。

追憶の聖域

  • 自由詩
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-02-04

CC BY
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CC BY
  1. 止まった秒針の中の世界
  2. インストール
  3. 凍てついた記憶たち
  4. 翼はいらない
  5. 存在のアンチテーゼ
  6. The Antithesis of Existence
  7. くちづけ
  8. 残像
  9. わたしのただひとりのたいせつなひと。
  10. 冬の幻
  11. 君に捧げる最後の花束
  12. 再会*