ほしのうえでめぐる
序章
『日本の目指す宇宙エレベーター「明星」は、一握りの人類や、富裕層が何億もかけて楽しむよりも、ずっと安価で、身近な、宇宙旅行の先駆けとなるだろう』
ずっと昔。
僕らが、思いっきり子供の頃。
NASAを退職したエリート、「森田」とかいう男が、テレビの中で語っていた。
隣にもう一人いたと思ったけど、正直全然覚えていない。
森田さんは、顔のタトゥ―のインパクトと、その後も何度か動画サイトで見て記憶に残っている。
物心ついたときから、「明星」はずっと沖の人工島で建設中で、天空まで延びていた。
蜘蛛のようにコンテナをカーボンナノチューブで吊るすタイプではなく、そびえる塔のような形状。
完成まで、あと5、6年。
あれは未来の乗物。夢の乗物。僕らの街のシンボル。
いつでも、誰でも行ける、宇宙への旅。
みんな、そう聞いて育った。
結局大人になった今でも、それはずっと建設中だった。
だから、今朝の報道を聞いても、ほとんどの人は、打ち砕かれたような落胆はしなかった。
『昨夜のJSECE(日本宇宙エレベーター建設機構)の緊急発表は、事実上の建設一時凍結とみられ、長年の建設遅延から、専門家からは改めてその費用対効果に疑問の声が…』
第一章 LIFT
「おっす!島田タケル!」
開店前だった。
母が趣味で始めた雑貨店。
入り口を掃除中だった僕の前に、一人の女性が、雑に膨らんだキャリーバッグとともにやってきた。
テンションは、やけに高い。僕をフルネームで呼ぶほど高い。
「おう、小崎」
小崎メグミ。
一応、僕の恋人という事になっている。交際は2年目。
タヌキ顔に、小動物のような小回りの利きそうな体躯。洒落っ気も、化粧っ気も、皆無と言っていい。ただ贔屓目にも、外見より余りある彼女の魅力は、これから描く、その生き方だと思っている。
「ひさしぶりだな!店員A!」
「ひさしぶり。店長代理な」
意味のないハイタッチ。
顔を合わせるのは、3か月半ぶりだ。「一応恋人」と断ったのは、そのせいだ。
この時代に珍しいことだが、小崎からの音信は気まぐれである。ほぼ不通。
浮気を疑ったことも、されたこともない。
お互い、放し飼いの猫のような感覚に近いかもしれない。
「経営大丈夫かー?この店!」
「母さんまた旅行してるから、大丈夫なんじゃないの」
「へーっ。いいねえ!よろしいよ!」
何がいいんだか、過剰なボディタッチ。若干痛い。
「このごろ、客何人来た?」
「一体かな。ヘアピンが一個売れた」
「一体?なんじゃそれ。やっぱ怪しーなー、この店!」
ゆるい縮毛をふにゃふにゃと踊せて、僕の周りを落ち着きなくうろうろし、ズケズケ物をいう。
これが、彼女特有の空元気であることを、僕は知っている。
「いつ本土来たんだ?」
「さっきだい!」
「・・・」
今回は、すごく重傷らしい。
「そのカッコで帰って来たのか?」
無言でカクカク、うなずく小崎。
色気ゼロの薄汚れたツナギ服に、背中と右胸には「JSECO」のシンボル。
沖合の人工島で、『明星』の建設を主導しているのが、彼女だ。していた、というのが正しいのだろうか。
「・・・どっか行くか?」
とりあえず、聞いてみる。
小崎が、あの島を出てくる理由は限られている。いつもの流れだ。
「しゃーねーな!メシでも付き合ってやっか!」
「よし」
掃除の続きを済ませ、シャッターを下ろし、『本日休業』の札を掲げる。
「いいのか休んで。まさかの殿様商売だな」
「今日みたいな日はな」
わざと、そ知らぬふりをする。それが必要な日なのだ。
「すぐ用意するから」
「シャッターも下ろすの?」
「なんか最近、野生のサルが出るらしくってな。ニュースでやってたろ」
最先端の島で働く彼女と違い、本土の町はそこそこのどかなベッドタウンなのである。
それとは別に、小崎は、
「あ、ニュース、見たんだ」
と、力なくつぶやいた。互いに察し合う間が、再会の邪魔をする。僕は話題をそらすために、
「…ほら、これやるよ。うちで今、一番売れてるやつ。腕につけてみ」
母が、どこかの国で買い付けてきた、店の売り物。
「なにこれ?あ、なんか知ってるぞ、なんだっけ」
「すっげ―昔に流行ったんだって。今、再ブーム」
布で編みこんで作ってある、民芸風の輪っか、ミサンガ。母の時代はプロミスリングと言っていたらしい。
「つけると絶対、夢が叶うアイテムだっけ。絶対」
小崎は、わざとひねくれて言って見せたが、あまり笑ってなかった。
「小学生か」
* *
初めて会ったのは、冬の高台公園。駅から家への通り道だった。
背後で、痛烈な打音がした。
振り返ると、どこの公園にも必ずある、遠心力だかなんだかで前後左右に動く馬乗りの遊具が、ビヨンビヨンと挑発的に揺れていた。
少女が、そこにぶっ倒れていた。
「ううううう~~。くっそおお~~~っ」
と、うずくまっている少女。人非人でなければ、声をかけるべきだった。それだけ凄い音だった。
「大丈夫か…?」と言ったと思う。
「写真……撮ろうとして…のったらおちた…」
と、少女は言った。華奢で、化粧っ気のない子だった。
実際いい大人が、どうやら、この、不安定な馬乗り遊具の上に立っていたらしい。
「絶対あぶねえぞ、それ」
「それは、もうおそい…」
少女は涙目で頭を押さえていた。頭を打ったとしたら、あの音は相当痛い。
マジマジ観察したつもりはないが、スラリとした脚のスネも痛打しているようだった。
「何…撮ろうとしたんだ?」
スマホは、馬の遊具の根元、バネの影になって転がっていた。
「『明星』…」
少女は地味なコートの砂を払いながら、海を指差した。
「ああ、宇宙エレベーター?」
ここの高台公園から、水平線上に見える島。1つの山のような形状の建造物と、雲を突き抜けて天空に延びる管。日本が建造中のそれだった。
「撮ってやろうか?」
簡単なことだった。彼女の背丈と比較しても明らかに容易な親切だった。
「……」
少女は、少し変な間をおいて、黙って端末の設定をいじって、僕に差し出した。感謝こそされ、不機嫌なのが解せなかったが、なぜかキュートに思えた。第一印象だった。
「膝、すりむいてるぞ?あっちの水道で洗って来いよ」
「いいから撮れ。10枚でも20枚でも」
「なんだよそれ…」
たしかに、放課後の夕日を受けて輝く「明星」の風光は、被写体として見事だった。
言われるままに撮りながら、
「観光?」と聞いた。
「あそこで働いてる」
と少女。まだ、10代か20代前半に見えた。
「…エリートだな」
4回目のシャッター。
「外側からは、そう見えるもんだよ。銀行員が下着集めてたりするんだ」
「…ひどい例えだ」
「ほら、ジャンジャン撮る撮る」
立ちあがった彼女は、僕の腰のあたりを小突く。人見知りしない性格であろうことは、大体わかった。
「つまり、エリートじゃないのか?」
「いや、まあ、いっぱいいっぱいいっぱい、勉強したけどな!」
胸をツンと張る。よく見ると、顔も美人…というか、単に自分の好みだったのだろう。
「でも、あたしも、ここから見るのが一番好きときている」
と、望洋にふける。そしてふいに、
「近くから見るものと、遠くで見るもの、綺麗なのが多いのは、どっちだとおもう?」
と言いだした。
「……え?」
「何を見るかより、どう見るかが大事なんだ。うん。きっと、世の中そうだ、人類はそうやって進歩してるんだ」
……なにやら、壮大なことを言っているようで、ちょっと可笑しかった。
「鼻で笑ったか?エリート中のエリートを!」
「…悪い」
彼女は続けた。
「あの中で、仕事でいやなことがった時、こうやってここにきて、綺麗な外見を見て、誤魔化してる」
「…ストレス解消か」
それで肉体的ダメージを受けては、気の毒としか言いようがない。
「子供の頃、実際の苦労も分からないのに、何かに憧れたりすんじゃん?芸能人とか、スポーツ選手。あの気持ちを補充するんだ。あれは大事だ。夢への原点だ、嘘でもインチキでも。チャージしなければいけない」
自分を納得させるように、僕に熱く説教する。
でも、なんとなく、わかる気がした。
「でも、ここ結構遠くないか?」
ここから島までは、景色で見る以上に距離がある。定期便も含めて、数時間はつぶれる。
「そう、朝から、なんもくってねー」
面白い子だと思った。
「…食い行くか?俺がそんな怪しい外見じゃなければ」
「……どうだろうなあ。ナンパ野郎かもしれん」
「じゃあ帰る」
「あいたたたた、脚が急に。オラ、腹へって…」
妙な三文芝居が入る。
「……割り勘。愚痴なら聞いてやるぞ」
彼女がぴょこんと顔を上げる。
「乗った。飯食って帰る!」
こんなきっかけだ。
次の来訪から、冷やかしに店にも顔を出すようになった。
本土に来る時はいつもへこんでいて、空腹で、不機嫌で、空元気。
興味と好意とが同じ比率で、ずっと付き合いたいと感じる女性。
実際、小崎メグミはそうなった。
* *
初対面の場所から程近い芝生の上で、大の字になる作業着の女性。
「あー、食った食った」
ここから見える「明星」も、2年前と変わらず空に伸びている。
小崎は、コンビニで買ったパンとか、カルボナーラとか、ビールとか、適当なものを適当に胃の中に放り込んだ。好き嫌いがないというより、食べ物に関して執着がない人だった。
「………」
僕が思い出にふけっていた間、無言でやけ食いして、半分酔っぱらって、そのあと、僕の頭をモシャモシャして、絡んでくる。
「痛い…つか、なんか、動物臭いぞこの服」
「うっせー、夢破れた女のヤケを思い知れ」
変な汚れや毛が付きまくっている。
「これから、どーすんだ?」
と聞いた。いつものように。軽傷なら最終便で島に戻り、それ以外ならうちに転がり込む。実家は、訳ありで滅多に戻らないという。
「泣く!泣くながれだね、これはー」
「…そうじゃなくてだな」
「じゃー、おまえんトコの、呪いのアイテムとか売れ。水虫が止まらなくなるの」
「ねーよ、性格悪いなその道具」
「女はみんな性格悪いんだぞ?男が卑屈になるかわりに」
「…はあ?」
小崎は絡みながら一拍置いて、
「ニュース、見たんだろ?当分、無職ッスわ」
「………」
「ひょっとしたらずっとかも」
「…………」
と、ここへ来た時の慣例で、水平線の「明星」を撮り始める小崎。
「親も、ここぞとばかり、うるさいんだよね、こっち、帰ってこいって。アキちゃん結婚するんだよー、なーんつってさー」
「誰だよアキちゃんて」
酔っている。
「私は、偏屈で、自己中で、空気読めないわ、ついでに軽く親不孝予備軍なんですと」
「…考え過ぎだって。なにか、きっかけ作って話したいだけだろ、親も」
「お前はオトナだなー」
頭をぐりぐり。髪をぐしゃぐしゃ。
そんなツッコミも無視して「っつーわけでだ」とか勝手に遮って、
「言ってよ」
「……」
「ほら。今までで、いちばんすっごいの」
「やだ」
泣きたいのを、ずっと我慢してたらしい。
「言えよ。タケルが、いいんだから」
「…………」
「怒ったりしないから」
「……ったく…」
小崎の目を見て、辛酸を浴びせるのは、これが最初じゃない。
だいたい、どうなるかはわかっている。
心を決めて、彼女にきっかけをぶつける。
「明星さ、たぶん最初から無理なんだよ。建設中止とかいってるけど」
「………」
「昔ガッコの先生も言ってたぞ。リニアモーターカーもそうだったって。“もうすぐ乗れる”とか、そーやって、散々子供の期待を煽って、夢みたいの見させて、乗れるころにはこんな歳になったって」
「………」
「宇宙エレベーターなんて、俺たちが生きてるうちなんか、絶対無理なんだって。宇宙旅行の時代なんか、どうせまだまだ来やしないんだって」
「………」
「あと、へこんでるからって、いちいち俺を利用するな。なんか迷惑っつーか…」
続けようか迷った。
小崎を見ると、もう、限界らしかった。
「…へぐっ。えぐっ。ううぇぇぇぇ~~~っ!」
嗚咽が始まる。
彼女はコレがしたくて、これを我慢して、会いに来るのである。
「なんで、なんで、そーゆーこと、言うんだよぉ~」
整った顔が、くしゃくしゃになって、せき止めていた涙が溢れ返る。
「言えって言われたから」
僕の腕の中で、小さいパンチが何度も唸る。
「へぐっ、あたし、ずっと、がんばったのにィ」
「知ってる」
「夢壊すこと言うなよぉ。うううぇぇぇ~~~」
「ごめん」
彼女の全身を包むようにして、その中でたくさん怒り、悔しがり、悲しんだ。
「最後のが一番効いた…」
「俺も」
* *
3度目の本土帰還の時。
「私は、タケルのことが好きみたいだ。好きなようだ」
「……おう」
不意に訪れた小崎は、僕にあっさりそう言った。
あの時も、同じようなカッコで。
「迷惑だったら左、なんか嬉しかったら右挙げてくれるか」
僕は迷いもせず、右手を挙げた。それなのに、このエリートは、
「私から見て右ってことで」
と言った。
「じゃあこっちか」
と、左に訂正したところで、急に小崎が笑った。爆笑というやつだ。
マイナスイオンでも出てるんじゃないかと言くらい、綺麗だった。
「あははははははっ。あたし、どんだけ自己中だよ」
と、ひとしきり転げまわった。
「まったくだ」
『明星』の光がよく届く海岸。
彼女との、最初のキスの前フリだった。
* *
ドラム式の洗濯機が、1階奥で回る。
泣き疲れたのか、半ば酔いつぶれるようにベッドで寝入る小崎に、今日何度目かのキスをする。
「……明日、どっか行くか?宇宙以外でならどこへでも」
「うう~ん…」
返事はない。
小崎の細腕には真新しいミサンガ、自分の腕にも、やや色あせた同じモノが、まだ切れずにぶら下がっていた。
「……切れた時に叶うんだよ、これ」
と、呟いた。
すると、不意を突くように、
「…今頃そういうこと言うんだ」
と、彼女の優しい眼差しがあった。
* *
その夜。
売り場の方で物音がした。
電気をつけっぱなしで、シャッターを半開きにしておいたのがまずかったらしい。時計は、夜8時を回っていた。
「すみません」
声の主は、色白い若い男だった。
「はい?」
「最近、このあたりでサルが出るという噂、聞きませんでした?」
とぼけたような、それでいて、目線をそらさない妙な風采を醸す、銀髪の好青年。
「はあ…、ニュースでなら。あの、この時間は閉店なんで…」
その男は、疲れをにじませながらも、幾分恐縮した様子で、
「何か被害はありませんでしたか?」
「被害?特にないですけど」
「そうですか」
若い男は、商品を物珍しそうに見まわした後、一押しのを見つけた。
「あ、これ、願いが叶うっていう、アレですよね。今、本土で流行ってる奴でしょう?」
「本土…?」
「あ、僕、「明星」で働いてるんで。あなたタケルさんでしょう?名前だけは知ってます」
「…ああ」
若い男は、無口な店員に親しみを込めた目線を送った。
「ドゥルかあ。とてもいい。無理言って申し訳ないです、これ、売っていただけますか?」
「……はあ」
僕にはうまく聞き取れなかった。
帰り際、銀髪の男は早速腕にソレを付けながら、
「小崎チーフは、あなたの事が大好きです。あ、横恋慕とかじゃないです。彼女にはあなたが、なによりも必要です」
と、涼しく言った。
「知ってます」
当たり前のように答えた。
営業時間外に来たその客は、「またいい機会があれば来ます」と笑顔で言ったが、二度と店を訪れることはなかった。
第二章 ファスナー
「クビ…ですか?」
ゆるキャラ、とでも言うべき体系の「怪獣エレゴン」が呆けた声を出す。中の人は、鳥谷タクヤという学生である。
「んー、いや、建設凍結解除まで…みたいな?君たち、一応ここのマスコットキャラだからさ。PRも凍結ってことで」
広報課・イベント担当の「江川」という、これまた着ぐるみに対抗するような小太りの男が、スマートに説明する。
「いつまでですか?」
冷静なのは、もう一体のゆるキャラ、「怪獣ベタコ」。
『エレゴンと相思相愛の彼女』という設定。中身は、犬飼サエという鳥谷と同年代の少女である。
「再開になったら連絡するよ。悪い。キミら、すごく良いカップルだったのになあ」
「いえ、赤の他人です。カップルじゃないです」
と、即座に否定する犬飼サエ。
「え?そうだったの?舞台での愛称抜群だったからてっきり…」
事実だった。まったくの赤の他人で、お互いの素性は学校からアドレスに至るまで、なにも共有していない。相思相愛は着ぐるみの怪獣の設定が、そうだというだけである。
二人が理不尽にも宣告された場所は、宇宙エレベーター「明星」、イベント事務室。
エレベーターそのものは未完成だが、島のPR観光は何年も前から稼働しており、彼らは認知度上昇と子供たちを集客する要の役目を担っていた。
『エレゴンとベタコ』という、怪獣劇である。
* *
「マジかよー…。金ねー」
着替えを終え、男子更衣室を出た鳥谷の心中には、ネガティブが渦巻いていた。
ロビーに続く廊下で出会ったのは、あり得ることに、犬飼サエ。ケータイ通話に余念がないといった感じだった。
柔らかな髪に、大きな瞳。スレンダーでしなやかな肢体からは、とてもあのメタボ怪獣を操っているようには見えない。
「えっ?それほんと?うん、じゃあ、時間出来たら連絡してよ…うん。わたしからもするから。絶対だよ」
鳥谷の視界に入って5秒もしないうちに、やり取りは終了する。
聞かれてマズかったのか、あからさまに不機嫌な目線を鳥谷に投げつける。
「な、なんだよ…?」
「べつに」
そのとき、2人を割って、男の奇声が廊下に轟いた。
「たたっ…たいへんだああああっ――!」
先ほどクビ宣告を受けた事務室から、小太りの身体が、スーパーボールのようなはじけっぷりで、廊下転がってくる。言うまでもなく江川だった。
「ききっ…キミら、まだ帰ってなかったか!ちょうどいい!」
「はい?」
「バイトしないか!?」
「・・・・」
2人は、悪意を込めて、当然の反応を示した。
「はァ?」
犬飼に至っては、人をおちょくってんのか?と言わんばかりの蔑視だった。
「20分前に、クビにしましたよね?」
「ち、ちがう!別のだ!別の!ちょっ…こっち来てくれ!早く!」
強引に引かれる二人の腕。連れられて舞い戻った事務室の端末モニタには、「おしらせ」として一匹のサルが映っていた。
「猿ですね」
「本物ですか」
2人の素朴な疑問に、江川は興奮で応える。
「エレベーターの試運転に乗せている、被検体の猿君だ!タケル君だよ!タケル君!」
犬飼少女は知らねーよ、という顔をしている。鳥谷も同様である。
「いなくなってしまったんだよ、4日、5日前から!きっと本土だ!これ今朝のニュース!最近本土でサルが目撃されてるって出てるだろ?間違いない!」
「はあ…」
話の趣旨が見えない。
「彼…いや、この猿を探してくれ!バイト代は劇の倍払う!見つけたらボーナスも!」
「マジすか」
素直に昂ぶりをみせる鳥谷。一方、犬飼は冷静に、
「でも、絶対無理じゃないですか?本土で4、5日前なら、きっと警察とか保健所が・・・」
「大変だ!ああ、えらいことになるぞ・・・!あれほど言ったのに・・・!とにかく頼むよ君たち!捕獲には、これを使ってくれ!」
聞いちゃいなかった。江川は、大砲と見紛うような筒状の物体を、鳥谷に渡した。
「これはいったい・・?」
「もし、そいつから曲が鳴り出したらヤバい合図だから、なんとか急いでくれ!…ああ、本土行きのバス来る!とにかく、頼んだよ!」
突っ張りで押し出されるように、バスに積まれる二人。
彼の、焦燥と脂汗に満ちた狼狽ぶりが何を意味していたのか、少年少女は知る由もない。ましてや、遠い宇宙の彼方で「何か」が起きることになるなどいうに及ばない。
* *
二人が本土についたのは、午後2時を過ぎたころだった。
私服姿のまま、成り行きで、サル探しのバイトに赴くことになった。
「トリタク、それの使い方わかるんですか?」
犬飼は、白く細い指で、鳥谷が腕に装着している「捕獲機(仮)」を指す。
「トリタクって何」
「鳥谷タクヤで、トリタク」
「やめてくれ。赤の他人なんだろ」
「絶対、あだ名だと思うんですが」
「いや、仮に、実際そうだとしてもだ」
「やはり」
人見知りしない鳥谷が、相方ともいうべき犬飼と舞台以外で日常会話を交わすのは、初めてに近い。犬飼は常に男性を避けているように思えたのだ。同じく金欠なのか、余程動物が好きなのかはわからないが、今、こうして並んで街を歩いている。
「こんなので捕獲できるんですか?」
「麻酔銃的なもんかな。でかいわりに軽いし。トリガーぽいのもあるぞ。網が飛び出るやつかもな」
「恥ずかしいので、ちょっと離れて歩いてください」
「……」
大筒の捕獲機は、手元の一番近いところにモニタがあり、GPS機能であろうか、対象(おそらくタケル君という名の猿)の現在地を示していた。
「こんな装置あるなら、私たち使わなくて、自分らで探せばいいと思うんです」
「社員は忙しいんだろ?建設凍結の調査とかで」
「島の観光営業まで中止にすることないと思いませんか。おかげで暇です」
「逆にいいんじゃねーの?」
「え?」
「さっき、島の廊下で電話してたろ。彼氏と、なんかあったんじゃねーの?…っと、こっちか」
特に共通の話題もないので、つい、島での話に触れてしまった。プライベートに踏み込んだ気まずさを察した鳥谷は、すぐに話題を中断しようとした。しかし、
「あれは、私のおねーちゃんです。オメデタだそうです」
意外にも、犬飼のレスポンスは早かった。
「おう、それは、おめでたいじゃん。少子高齢化には…」
「めでたくないです。トリタクはこれだからダメです」
すこし強い口調で、鳥谷の言葉は遮られる。
「そ、そっちが今、めでたいって言ったんじゃないか!」
「結婚なんかしてないんです。できちゃったあとの結婚なんて、サイテ―です」
発する言葉は悪いが、潔癖で古風な倫理観を持つ少女だと鳥谷は理解した。
「・・・でも、あんま姉ちゃんを責めるなよ」
「男の方をサイテ―だと言ってるんです、トリタクはこれだから」
加えて、男性不信なのかという疑いも鳥谷をよぎった。
「なんで、俺を指差すんだ。そもそも、男の方が全部悪いって考えはおかしいぞ」
「おねーちゃんが目を覚ますまで、男は、基本的に生ゴミと思う事にしているのです」
「生ゴミて・・・」
男性にとって腹立たしいことこの上ない言われようだが、悔しいことに、犬飼の容姿は客観的に見て美少女の条件を満たしており、謎の丁寧語口調もあってか、袖にすることを躊躇わせる、恵まれた特質を持っていた。それを本人が自覚していた場合はタチが悪いのだが、彼女は倫理観含め、天然の言動らしい。試しに鳥谷は、
「俺もそのゴミか?」と彼女の目を見て問う。
「・・・」
これには、少し沈黙があって、
「・・・私の知る限り、仕事ぶりは真面目なので、資源ゴミにしてあげます」
と認定した。使い道はあるというわけか。
「おもしろいな、お前」
その時、手持ちの捕獲機が、妙な音を奏で始めた。
江川が、二重顎を震わせて恐れていた、「音楽」である。
* *
「空に注目です、資源ゴミ」
「トリタクでいい。むしろトリタクで」
音楽の消音に四苦八苦していた鳥谷を尻目に、犬飼は西の空を指差している。
「!」
日本政府が有する戦艦が3隻、ゆっくり空に昇って行く。ここぞと、鳥谷の目が輝いた。
「ひ、日向級装甲戦艦だ…!ニニギと、ホホデミだな。補給艦のヤタガラスも!かっけー。なんかあったのか?この編隊は演習じゃないだろ?な?」
「知りません。男子のミリタリーでカーゴパンツな会話にはついて行けません」
女子にはさほど熱くなれない分野らしい。
「か、カッコよくね?日本の宙域戦艦は全部日本神話から来てるんだよ、たとえば…」
「結構です」
即、拒絶。
「お、俺の進路希望なんだぞ」
「プラモデルメーカーですか」
「設計技師だよ!戦艦の!アマテラス級なんざ司法試験よりずっと難関で…」
「夢より、今はサル捜しをがんばりましょう。迷彩男」
「………」
男(資源ゴミ)の滾るロマン的なものは、一切通用しない様子だった。そしてなにより、
「いや、さっきから、このモニターだけどさ」
「はい?」
「あそこの男を、ずっと指してるんだよ。どうみても猿じゃないんだが…」
* *
ショッピングモールの屋外飲食スペースだった。
色白の、若く、どこか中性的な男が、おひとりさまで嬉しそうにソフトクリームを頬張っていた。
異質ではあるが、どう見ても猿には見えない。実際猿じゃない。
「…どう思う?」
2人で物陰に潜みながら、相方にご意見を仰ぐトリタク。
「……いけめんというやつですね」
「お前の好みって、ああいうのなのか?」
「いえ。客観的な評価です。認定は燃えるゴミです」
「じゃあ、俺の勝ちか」
「…何言ってるんですか」
犬飼は、小さな眉を吊り上げる。
「そーいや、捕まえた時のボーナス、いくらかって聞いてなかったな」
「あとでいいじゃないですか。ていうか、あの人捕まえようとしてるんですか?」
そんな取り留めのないやりとりの最中、
「やあ、エレゴンとベタコちゃんですよね?」
2人の眼前に、その対象の男が笑みを浮かべていた。
「うわあああ―――――――っ!?」
監視に気付かれると、こうも心臓に悪いものかと思い知らされる。
形勢が一気に逆転されたかのような、得も言われぬ絶望感である。色白の男はさも愉快そうに、
「あははははっ。やっぱりそうだ。息ぴったりだねえ」
と、無邪気に破顔している。
「エレゴンは気のない振りして、実はベタコちゃんのことが好きなんだよね?2人の乱闘、最高だよ」
青年はにこやかに、着ぐるみの「中身」を観察する。だが、それは公表されていない事実である。
「な、なんでそれを…。着替え中、見られたか?」
「ピュアな少年の夢を壊してしまいました…」
明らかに少年ではないのだが、鳥谷は聞き流す。
「あ、そっか、中の人は秘密だっけ」
すっ惚けたように、話を切り上げる男。
「あの…。猿をみませんでしたか?」
鳥谷が、反応を探るような眼差しで、男に問いかける。
「猿?」
「猿です。捕獲するのです」
わずかだが、色白の男に影が差した。
「不思議なことをいう人間だね」
* *
半年前の話だ。
鳥谷タクヤと犬飼サエは、初対面も着ぐるみだった。
バイトの面接に通った鳥谷は、そのまま、エレゴンを着させられた。予想に反して動きやすかったのが、着てみた感想だった。
そのまま、打ち合わせ中の舞台に案内され、
「今日から、急きょ、あたらしいエレゴンとなる鳥谷君だ。こちらはベタコちゃん」
と、紹介する、アフロの演出担当。ベタコは無言で、短い手を軽く振って見せた。中身はベテランか、普通に男だと鳥谷は思った。アフロの男は続けて、
「今日は、簡単な撮影会と、見学ちびっことのふれあいイベントだけだから。MCのお姉さんが簡単なフリをするから、アドリブで反応しちゃって。台本使った劇は来週ね」
アバウトな説明だった。鳥谷はそういうのが嫌な性分で、
「あの…一応その台本を読んだんですけど、ちょっといいですか」
「うん?」
「エレゴンはベタコが好きなんですよね?そういう設定ですよね?」
「そうだよ」
「じゃあなんで、早く告白しないで、ライバルのシンドラちゃんとかいう女の子怪獣と遊んだりするんですか?」
「………」
ベタコは、「そうそう」とばかりに、黙ってカクカクと後ろでうなずいていた。だが、演出のアフロと、その周囲の怪獣たちは、鳥谷にがぶり寄り、
「わかってない!わかってないよ青少年!サブカルの奥行きの何たるかを!」
「えっ?」
「『エレゴンとベタコ』の全シリーズは、かのラブコメ作家の女王、星風ナナコ大先生が遺した不朽不滅の名作だよ!この3角関係が織りなすアップダウンが、話の幅を広げるんだよ!エレベーターだけに!そして、いつまでもハッキリしない二人の関係性が、完成に至らないこの明星すらも暗喩している!」
「すばらしいわ!」「サイコーのメタファーだよ!」と、相槌を咆哮する怪獣たち。
「いやいやいやいや」
ちびっ子にそんなプラトニックなテーマ、伝わるわけないと鳥谷は思った。
「とまあ、毎回ベタコちゃんに軽く一撃食らうのが、そこのミソだからね、よろしくたのむよ」
と、アフロ男は鳥谷の肩を弾いて、そそくさと奥へすっ込んでいった。これが罠だった。
舞台当日。台本通りに飛んできたのは軽いパンチなどではなく、なにか深い恨みがあるんじゃないかと思えるほど質の高いドロップキックで、あまりの容赦なさにキレかけたエレゴン(鳥谷)は、乱闘にちかい態勢になり、MCのおねえさんも面白半分の絶叫と仲裁、結果、子供たちにはその方がウケがよかった。前任のエレゴンが空き、ベテランの怪獣たちが主役の彼をやりたがらない疑問が、同時に解消できたというわけだ。
ベタコが女で、思っていた以上に華奢で可愛い子だと知ったのは、その日の反省会でのことだった。
「君が、ベタコだったのか?」
着替えが別々なので、そんなような気がしてた。なにより、少女がベタコの頭を抱えていたので疑問の余地はなかった。
「……ああ、エレゴンですか?」
スマホを片手に、少女は冷めた反応。
「お前、なんか、俺に恨みあんのか?結構いてえんだぞ。つか、エレゴン役が入れ替わり多いのって、このせいか?」
「…エレゴンが悪いんです。好きなら好きでハッキリしないから」
「いや、台本は、俺もそう思うけど!」
「電話するんで、失礼します」
「ちょっ…!」
毎回その程度の会話で、犬飼は更衣へ移り、本番で暴威が乱れ飛び、終わって、日々は去っていった。
鳥谷が前任者と違い、挫けずエレゴンを続けていたのは、この時、中の少女犬飼と、2匹の怪獣に対する思いが一致したことが微かな支えになっていたこと、単純に2匹の結末が知りたかったという2つの理由であるが、どちらにせよ、偉大なる星風ナナコの魔力に他ならなかった。
* *
「猿は知らないけど…それ、変な道具だね?」
色白の男が、とぼけたように捕獲機を指した。
「猿を捕まえる道具だそうです」
と、犬飼。男は悪戯っぽくニヤついて、
「音とか、なるんじゃない?メロディーがさ」
といった。
「音楽が鳴ります。曲名はよくわかんないですが」
「知ってるんですか、これ?」
鳥谷は、警戒心を強める。この男は、どこか得体が知れないという直感があった。
「まあねー。いつ鳴ったの?」
「30分くらい前です」
「ふーーーん、さぞご立腹だろうなあ」
と言って、慣れた手つきで装置を弄り、電源を落とす。
「5分くらい待って、もう一回ここ押して、起動してみなよ。モニタをよく見て。その場所できっと見つかるよ」
柔らかな物腰で、二人に語った。
「じゃあ、デートの邪魔しちゃ悪いね」
とにこやかに告げる男。
「カップルじゃありません」
犬飼の注釈。2度目のデジャヴである。
「そうなんだ、バンバなんだね、ベタコちゃんは。いや、エレゴンの方か」
「……バンバ?」
男は、何か面白いものを見た後のような清々しさで、聞きなれない単語を口にした。そして、
「じゃあ」
と、立ちすくむ二人を残して、消えるように去って行った。
* *
時計は、夕方6時を指そうとしていた。
男が言ったとおりで、再起動後、猿の反応位置が変わっていた。
「逆方向かよ、めんどくせーなー。明日にすっか?」
江川さんには兎角早急に、と言われた気がするが、鳥谷は無視して提案した。
「……」
それに対する、犬飼の反応はなかった。モニタから顔を上げると、犬飼は五歩ぐらい後ろで、スマホ画面を前に、歩みを止めていた。
「なんだ?疲れたか?」
犬飼は、口に出すか迷った末、絞るように、
「おねーちゃんが、プロポーズされたって」
と、画面に目を落としながら言った。
「……」
妙なタイミングだった。
「その、相手の男ってのは、どの程度のゴミなんだ?」
「え?」
「気に入らないんだろ?」
「・・・」
「・・・こないだ、ショーのあとで会いました。地元新聞の記者で、真面目そうな人でした」
それ以上何を望む、と言った感じで、鳥谷はうなずく。
「姉ちゃん、喜んでたか?」
「それはもう」
「いいじゃん、それで」
淡々と、本人も事実を咀嚼しているようだった。
「…猿、探すのやめるか?」
「………むう」
「むうってなんだ」
犬飼は一歩、前へ進みだした。
やめることはしないらしい。
「私は、「よかったね」、とか、…言うべきだと思いますか。浮気なエレゴン」
「……」
何も答えない鳥谷を理解して、
「言うべきですね」
と、言い、
「そう思う」
と、彼も続けた。
それを聞いて、犬飼はスマホをしまい、さらにシッカリと歩き出した。
空の戦艦はさらに増えていたが、鳥谷の気には止まらなかった。
* *
「あ」
「いた」
猿はいた。示す場所にあっさりと。
驚くほど単純に見つかって、拍子抜けしたくらいだった。
逃げもせず、「タケルくんおいで」と犬飼が言ったら、ヒョコヒョコ歩いてきた。人に飼われていたせいだろうか、抵抗する素振りは皆無だった。
そして、帰り道、また例の音楽が鳴った。
「この曲、かなり昔だよな?じ―ちゃん家か、どっかで聞いたことあるんだけどなあ」
と、鳥谷が言うと、
「いい曲です」
と、少女は猿と一緒に相槌を打った。
「いい曲だよな」
二人は確かめるように言い合って、それ以上交わす言葉は少なく、共に島へサルを届け、最終便で本土へ戻り、そのまま別れた。
* *
1週間後。
何がどう好転したかはわからないが、建設は無事再開され、観光と劇の営業も再開された。。
いつも通り、同じようなオチが繰り返される劇が始まる少し前、エレゴンとなった鳥谷は、半分ベタコになりかけの犬飼に歩み寄り、告白した。ごくありふれた感じの言葉で。
口を半開きにした犬飼は「ふうむ」などと思わせぶりなしぐさをして、
「手加減はしませんよ、トリタク」
と笑って見せ、ベタコのファスナーを上げた。
第三章 DISTANCE
宇宙エレベーターの巨塔は、今日も悠然と街に聳えている。
一つ違うのは、装甲戦艦が、ひと際多く空を昇っていくことだった。ニュースでは、急きょ行われる大規模艦隊訓練だと言う事以外、詳細を伝えていない。トピックスのメインは、『宇宙エレベーターの建設一時凍結』と、逃げた猿の話題だ。
そんな河川敷での出来事。
市の地域安全課職員と、粗大ごみ回収業者の輪ができていた。
時刻は昼を少し回っていた。
「これか?通報のあった投棄ロボットって。うわっ」
「きもちわりいデザインだなあ…。虫みてえだ…」
「さっさと処理しようぜ。クレーン準備良いか」
それは、昆虫の甲殻のような身体に、無数の可変ポリマー樹脂でできた触手を持ち、左右に3つの複眼を持った、古い、異形のロボットだった。確認するまでもなく、その機能は終えていた。
この物語は、これより数日から数年さかのぼる。
人間たちによって吊るされている、「彼」の話である。
* *
望月邸は、この街でも指折りの名家である。
望月一馬と言えば、アマテラス級戦艦「オオヤシマ」を率いる、奸智に長けた現役最高齢の艦長らしい。
豪奢な生活よりも、奥まった生き方を好むようで、高校生の小崎ジンが、彼の孫娘に当たる望月ユリを見舞いに訪れたときの印象は、物が少なく、名士のわりにずっと質素な邸宅というものだった。
ただ一点、『グレゴリー』のインパクトを除けば、だ。
「グレゴリー!喉が渇いたー!」
高音の、可愛らしい声が邸内に響く。
少女は、ベッドの上で、脚を放り出して、明け透けな願望を吐いていた。
『はい。ユリさま。温かいものと冷たいもの、どちらに?』
グレゴリーは蜘蛛のような多足を動かし、彼女のそばに近寄る。
「つめたいのに決まってるじゃん!」
『はい。では麦茶を…』
「ジュースがいいー」
わがままは続く。
『小崎様がいらしてるんです。夕飯前ですし、少しは我慢を…』
小崎は、ユリとグレゴリーから離れたところで、今日の学校での授業をまとめている。
「いーから、ジュース!」
『はい…』
グレゴリーは6つの目をパチクリさせて(というしぐさに見える)、何本かの触手を部屋の外まで延々と伸ばし、冷蔵庫を開け、グラスに注ぎ、丁寧におぼんに乗せ、タコの動きを見るような奇妙さ以外、一寸の無駄もなく、戻ってくる。
『グレープジュースです』
「おれんじがいいー。ストローがないー」
ユリはこの期に及んで不平を洩らす。
「わがまますぎるよ、小崎さん」
大きな理由が一つある。
望月ユリは目が見えない。
4年前、外宇宙からの感染症に侵され、以来、原因不明の失明状態となっている。グレゴリーはその為の高性能介護ロボットで、多忙な一族に成り替わり、サポートの限りを尽くしているのだ。
「ふう。小崎君も飲んでる?」
ユリはそれとなく小崎ジンに声をかける。
「いや、夕飯が近いから」
『偉いです。とても偉いです、小崎様』
「高校生ぶっちゃって」
「一応、高校生なんで。小崎さんもだよ」
彼女は、小学6年当たりまでのジンしか記憶にない。
幼馴染と呼ぶには、微妙な距離感があった。
『明後日は、いよいよ目の手術です。ブドウにはポリフェノールが豊富でこれは目によい効果が…』
「外で遊ぶ!」
ユリはパリッと立ち上がり、塞がった目をものともしない勢いで、グレゴリーの触手を掴む。
『……ユリ様、今日はお勉強…』
「明後日には見えるようになるんだから!そっから頑張る!」
そういって、部屋の外へ向かう。
4年も閉じこもっているわけではないのだが、
「ダメな人間の思考だよ、それは」
と窘めるジン。
「うるさいっ。今日の授業まとめたら、帰っていいよ!グレゴリーが教えてくれるから」
『…申し訳ありません、小崎様』
グレゴリーは20本近くの柔らかな触手を繰り出し、ユリの歩む先を、物凄い処理速度で、未然に保護する。その醜い外見は機能性に特化したが故のデザインであり、グレゴリーは優れた知性と性能を有していた。
「わわっ」
と、コケそうになる瞬間も、グレゴリーの手が瞬時にそれをささえる。
『あまり突飛な動きは控えてください』
「心眼なんてマスターできないんだなー」
と、ユリは明るく笑って見せた。
明後日の手術で、彼女の目は元に戻るのだ。
彼女が、ここまで明るく目を閉ざしていられたのも、グレゴリーのお陰であることをジンはよく知っていた。
* *
「グレゴリー・ヴァイセン・ブレッター。俺の知る限り、最高の介護マシンだ。医療知識以上のあらゆる性能が詰まっている」
『はじめまして。グレゴリーとお呼びください』
彼女の目が見えなくなって数週間後、一族の長である望月一馬の友人で、『原田』というみすぼらしい格好の老人が、機械生命体を連れてきて、一同の前で披露した。みな、その蟲のごとき醜悪な姿に絶句したという。
黒光りする銅に無数の触手が蠢き散らし、頭部には6つの複眼と長く伸びる2本の触覚、足は8本あり、奇妙な動作で自在に動き回った。
「メンテは俺がすべて引き受けるぞ、一馬」
と老人は付け加えた。
「お前が言うなら、確かだろう。皆もよいな?ユリの介護はグレゴリーに任せる」
と、望月艦長は睨みを利かせ、一族の首肯を促した。彼の威厳の前では、ユリの父母であろうと正面から異議は唱えない。ただ、その裏で、
「な、なに、あの気持ち悪いロボット。虫みたいじゃない」
「父さんと原田さんが決めたんだ、仕方ないだろう。ユリに余計なこと言ってストレスを与えるんじゃないぞ」
「そもそも、あの原田さんて何者なの?」
「し、知らないのかお前…!あの人はな…」
と、父の決断と、グレゴリーの悪態を口々にささやいていた。
当然、目の見えないユリ本人には、グレゴリーの外見など、問題ではなかった。当時のユリは、光を失い、ふさぎこんで部屋からほとんど出ない状態だった。
グレゴリーは、周囲の悪評には反応を示さず、そのままユリの部屋へ向かっていったという。
『こんにちわ。ユリ様。今日からお世話になります。グレゴリーと申します』
彼女の部屋をノックし、入室するグレゴリーに、
「うるさい!」
と、無為に投げつけられた枕。グレゴリーのどこに当たったのかも、彼女には見えていなかった。
『・・・ユリ様』
グレゴリーの触手は、枕を拾い上げ、優しく彼女の膝に置いた。
『お約束します。あなたは治ります』
「え…?」
『ユリ様の特異な症状は、現在多くの専門家が積極的に研究を進めています。すぐにとは申せませんが、2、3年内に、実践に向けた成果が得られると伺っております』
「・・・そんなにかかるの?中学、おわっちゃうじゃん」
法整備等を含めると、やはり、それなりの時間がかかるという。
『私は36年前に製造されて、原田さんに買われるまで、起動せずに眠っておりました。意外と速いものですよ』
彼女の頬が、少し緩んだ。
『貴女の行動を、私がすべて補助します。どうか、私を張り切らせて下さい』
翌日、ユリは久しぶりに、グレゴリーの助けで私服に着替え、庭の空気を吸った。
* *
庭はあの日と変わらずに広く、眺めも手入れも行き届いていた。
東京ドームの大きさで例えた時代があったらしいが、とにかく、望月家の敷地は広い。
彼女の記憶にも、それは残っている。
「ねえ、グレゴリー、そこに小崎君いる?」
『いえ。部屋の方で、手術後の授業内容の整理を続けています。敬服いたします』
それを一つ確認して、
「小崎君て、カッコいい?」
『は?』
「グレゴリーから見て、どう?」
『…私には、美意識に関する知覚が欠如しています。お答えできません』
「じゃあ、小6から変わってる?背とか伸びてる?」
『はい。それは確かに。明後日には確認できます』
「へっへー。ワクワクするなー。グレゴリーにも会えるわけか」
『もう会っておりますが?』
芝生は丁寧に刈られ、小石や庭石は、この数年で全て排除されていた。
『小崎様には、重ねて、お礼を言わなければいけませんよ。ずっとユリ様のことを、気にかけてくれているのですから』
「うん。・・・も、もしかして、私のこと、好きなのかな?」
『嫌いなら、訪れたりはしないでしょう』
今まで考えが過らなかったわけではないが、口にすると何かに反応するように、顔面が火照る。
「こ、小崎君は昔からああいう人だったんだよ。休んだ子の家にプリント届けたりさ」
『なるほど、なるほど』
グレゴリーは柔らかい触手で少女の頭をプニプニ撫ぜる。
他の手は、尖った草や、枝の一本に至るまで、彼女の障害になるものを絶えず弾いて動く。
ユリの不安や、その考えも、グレゴリーにはわかる。
グレゴリーを初めて目の当たりにした時の小崎の反応は、驚きこそあったが、10分も会話を続けるうち、その高機能ぶりに感服し、打ち解けた。彼の言葉では、「姉同様、変わり者だから」ということらしい。
「……わたしも、変わってたりするのかな?」
小崎の外見がそうであるように、グレゴリーは、美感に対する回答を用意できない。
『身体的成長以外、私には分かりません。ですが、変わってないモノもございます』
「なになに?」
『例えば、宇宙エレベーター「明星」です。まだ完成しておりません』
グレゴリーが手を取り、方角を指し示す。
天空に延びる柱は、グレゴリーの言葉のとおりなら、ユリの記憶と重なる。
「あははは。小崎君に言っちゃダメだぞ、おねーちゃんが家飛び出してまで働いてるって言ってたんだから」
『はい。私も、ココだけの話にしておいてください。原田様に怒られます』
「そうだよ」
一人と一体は、いつものようにひとしきり芝生の上で、体力を発散して、部屋に戻った。
* *
『明日は、午前中、原田様の自宅へメンテナンスに行きますので、ちゃんとお勉強をなさっていてください』
「わかってるよー。リスニング学習の達人だぞ私」
『戻ったら小テストをします』
「ええええ~~~っ」
小崎はそんなやりとりを横目で楽しみながら、まとめ終えたノートをグレゴリーに渡し、
「日本史、大事なとこ、教科書に線引いといたから」
と、付け加えた。
『わかりました。お疲れ様です』
お礼を言う。
今日はそれに続いてユリも、
「小崎君」
「ん・・・?」
「いつもありがとう。ていうか、これまでずっと。暗黒面のネガティブ女に堕ちるのを阻止できたのは、小崎君と、グレゴリーのお蔭だ」
と言って、手を差し出した。
小崎は握手の意味を、少し間を置いて考えたのち、そっと握り返した。
「あさっての手術、成功するよね?」
「だいじょぶっしょ」
『失敗の確率は2%以下と聞いています。まず問題ないでしょう』
「そか」
小崎は、ゆっくりと手を離し、何かに納得したように、荷を肩にかける。
「・・・じゃあ、帰るよ」
「うん」
少女は閉じた瞳で、整った微笑みを送る
グレゴリーは向きを変え、
『途中までお送りします、小崎様。少し、お願いがありまして…』
「ん?」
* *
翌日。
グレゴリーは小崎を伴って、原田老人の家の倉庫にいた。
原田老人の家は、名家望月とは不釣り合いなほどの、みすぼらしい工場だった。看板は傾き、屋外には古びた自転車と、仮設の寝所があるだけだった。
「・・・ふう」
原田老人は、年齢を感じさせない手際で道具や部品を持ちかえ、捌き、そして、何度となく、今のような溜息をついた。寂れた外観とは別に、設備はそれなりに充実していたのが小崎には不思議でならなかった。
『・・・ありがとうございました、原田様』
「あ?まだおわってねえぞ」
『いえ。終わっているはずです。機械にも寿命があることは、私も理解できる摂理です。正確には、老朽化による多機能不全でしょうか。40年は記録的です』
「俺より若いだろうが」
原田老人は、軽く彼のボディを小突く。
『残念です。ユリ様の回復した後は、あなたの介護をと思っておりました』
「・・・ふふ。10年はえーよ」
小崎ジンも、この原田老人が何者なのか、よくわかっていなかった。
見た目通りの人で、グレゴリーのメンテナンスを請け負っている、という認識だけだった。
仰向けのグレゴリーは、
『原田様』
「おう?」
『ユリ様の為に、質問させてください。あちらに同伴して頂いている小崎様は、「カッコいい」の判断に適しておりますか?』
「・・・ん?」
グレゴリーが彼を連れて来た理由の一つは、これを聞く為だった。
彼の機体に、美感を感受する機能がないのは、原田老人が一番良く知っていた。
「おい、そこのアンちゃん」
と、老人がペンチだか工具で小崎を指して、
「は、はい」
「あんた、ユリちゃんのこと好きなのか?」
「え・・・。いや、その・・・」
視線をそらさず、15秒くらいの睨みあいのあとで、
「んー、“まだまだ“って感じだな。そう言っとけ」
と、軽く噴き出した。
「っ!」
小崎の苦悶の表情は、グレゴリーには届かない。
『わかりました。ありがとうございます』
「ちょっ…」
「はははは」
爺さんは、ゆるく笑った。
『お世話になりました、原田様』
「ああ」
機体を起こし、出口まで見送りにきた原田老人。
小崎とグレゴリーが見えなくなるまで、寂しそうに佇んでいた。
* *
『私の機能は、もうすぐ停止します』
メンテナンスの帰り道、グレゴリーは小崎に告白した。
「え?」
『お聞きになったでしょう?私は、製造も保証期限も、とうに過ぎた機体なのです。複眼も、2つしかすでに機能していません』
「……手術は?望月さんは知ってるの?」
『あらゆることを考慮した結果、後日、あなたにお伝え頂くのが、もっとも効果的だと言う結論に至りました』
「………」
『この、優秀な私がです』
触手が自慢げにうごめく。
「…わかった」
その答えを聞くと、グレゴリは信号機の手前で、
『時間があるので、私は少し寄り道をして帰ります。今日はお付き合いいただき、感謝します。それに…』
「…」
『私に接してくれて、ありがとう』
そう言って、普段は歩かない方向へ脚をむける。何本かの触手は、地面を引きずっていた。
見送る小崎の後ろで、グレゴリーを知らない人が
「うわぁ、古っ。」
「何だあれ?キモいな」
と、口々に言って、小崎を苛立たせた。
* *
グレゴリーは器用に歩く。
8本の脚も、2本はすでに動いていない。
風変わりな、店の前で呼び止められる。
「へえ、グレゴリー・ヴァイセン・ブレッターか」
背の高い、不精な雰囲気と、親しみやすさが混ざっているような青年だった。
その店の、店員らしい。
「懐かしいなあ」
『こんにちは。ご存知の方がいらっしゃるとは珍しい』
「うち、変なアンティークもん売ってるから。知識だけね」
店の名は『星風』とあった。
「ヴァイセン社の無骨なデザイン、いいよな。一般ウケわるかったけど」
男は正直者らしかった。
『倒産しました』
グレゴリーは自虐的に言って、
『…長くお世話になった女性への、お別れに、なにか良いものがあれば、売っていただけないでしょうか?』
と聞いた。
男は、にこやかにうなずいて、彼を店へ招いた。
* *
望月邸の夜は、8時に大体終わる。
要は、ユリが入浴を済ませ、ベッドに入って、音楽やグレゴリーの小説音読の娯楽が終われば、就寝となる。
その時のグレゴリーは、触手を伸ばし、低音ドライヤーとタオルで、ユリの長い髪を乾かしていた。他の触手は、歯ブラシを携帯している。
「今日はどこ行ってたの?グレゴリー」
『ユリ様の、手術祝いのプレゼントを買いに。ヘアピンを』
「えっ?!だ、ダメじゃん、そーゆーのはカッコよく黙っとかなきゃ!」
『…そういうものですか。カッコよさとは、そういうものですか』
「そういうものだよ」
とうなずく仕草。
「小崎君のカッコよさは“まだまだ“って、よくわかんないなあ」
と、会話の続き。その響きには歓喜が滲んでいる。
『ご確認の時の、お愉しみです』
「でも目が見えるの、すごい久々だ。あー、ワクワクする」
少女は両足を羽ばたかせる。
『愉しいことばかりではありませんよ』
「えー?」
グレゴリーが、水を指すように、ユリの頬を優しくぷにぷに押して
『覚えることがたくさんあります』
「そう?」
『まず、服だって、ろくにたためないじゃありませんか』
「そんなの、すぐ覚えるもん」
『私は、無理だと思います』
「で、できるってば」
ユリは少し語気を強めて宣言する。
『漢字も。数学もです。料理だって、基礎くらいは覚えないといけません。ユリ様ご自身が、頑張らなければいけないことが、きっと、人より多くふりかかります。よりひろい世界で、考え、判断し、飲み込んでいくのです』
「もー、信用ないなあ!大丈夫だよ!」
『信じられません。すぐに私を呼んで、助けを乞うことが予測できます』
髪は、少し前に乾かし終えていた。
少女は高らかに、
「そんなこと、もうしないよ!」
と、いつもより勇ましく、グレゴリーから歯ブラシを奪い取った。
『・・・・・』
グレゴリーは髪を綺麗な髪を撫でながら、
『安心しました』
と言い、明日の手術の予定を告げて、就寝の支度を整えたユリをベッドに寝かせた。
「おやすみ、グレゴリー」
『おやすみなさい』
* *
深夜の河川敷。
街の灯り土手の向こうに揺らめいている。
一体の醜いロボットが、地を這い、未完成の「明星」が灯す夜景を楽しんでいた。、
そこで、一匹の猿に会った。
6つあった眼の光は、その時はもう1つになっていて、全身は、ほぼ機能を終えていた。
「こんなとこで、なにしてるんです?」
猿が言った。
『家出を・・・しました。ほんとうは・・・自立したいのですが』
と、グレゴリーは端的に、もしくはめんどくさそうに答えた。
「おもしろいこというね、機械生命体なのに」
『私も・・・驚きです。猿が・・・人間の言葉を話すなんて』
猿はグレゴリーの肩に、無遠慮にのっかかり、
「君、もうすぐデュルスなんだろ?しばらくそばにいてあげるよ」
と言った。前半の単語は、識別できなかった。
『ご自由に』
「君、名前は?」
『私はグレゴリー・・・。グレゴリー・ヴァイセン・ブレッター。・・・かっこいいロボットです』
* *
翌日の午後2時。
仰向けの少女が、4年ぶりの世界で最初に見たのは、白い天井と、看護士と、一人の少年だった。
「小崎くん?」
と、無意味にVサインなんかを送ってみる。
少年の反応がいまいちだったので、本人じゃないのかも、と疑ったくらいだった。
「グレゴリーは?」
起き上った少女の髪には、真新しいヘアピンが午後の光を反射して、少年の次の言葉の背中を押した。
「あのさ・・・」
「?」
「小崎さんに伝えたいことと、伝えなきゃいけないことがあるんだ」
第四章 特別な他人
昔、どこにでもいる、ある大金持ちが、数億払って、宇宙を25分体験した。
地上に戻ってきた彼は、感想を求める人々に、
「お金の使い方を間違えた」
と、言った。
数年後、彼は、持てるモノのすべてを使って、たくさんの子供たちに一つの『約束』をした。
男の名は、「原田征一」という。
彼の約束、夢みた未来は、今も多くの人々の心に刻まれている。だが、彼の名を憶えているのは、ほんの一握りである。
名を遺すことなど、まったく興味がなかったからである。
* *
「僕、このエピソード大好きなんですよ」
井川ジンは、原田征一の異様に薄い「自著伝」を、ベッドのわきのテーブルに置いた。
「本音を言ってみろ。じゃなきゃ帰すぞ」
ベッドの老人は、気難しい男で有名らしかった。
井川は「では」と、ばかりに小さく咳払いをして、
「自伝にしては薄すぎだと思います。絵本じゃないんだから。…・出す意味あったんですかね。仮にも宇宙エレベーター事業の創始者でしょう?」
正直に述べた。冊子と言っても良いくらいの薄さだった。
「ははは、それでいい。俺も、あいつにそう言った。というより、無理やり書かされたとか言っていたな」
とある病室での会話である。
記者の井川ジンは、「森田ツヨシ」という名の入院患者と、取材名目で午前中から放談にふけっている。
「一体、どうやったんですかね?中小企業の社長から、芸能界の重鎮、出版社、アーティスト、当時の国土交通相、文科省、知事までが賛同してる」
「俺なんかに聞かないで、原田の家に直接行ったらどうだ?この街にいるはずだぞ?」
森田は、彼の自伝をめくりながら、親しみやすくも鬱陶しい記者に助言する。
「あの人は、きっと詳細に語ってくれません。その自伝がいい証拠です」
原田老人が、街外れの倉庫のような鄙びた場所で、機械いじりをしながら暮らしているのは知っている。信じられないくらいの物件だが、彼にとって豪奢な生活などは、昔から「まったく興味がない」とブった斬る性格らしい。驚いたことに、大金持ちだった頃も、工事現場用のプレハブで過ごしていたらしい。
井川は、森田の目の奥を優しくえぐるように、
「それに、『明星』を設計段階から現場で指揮していたのはあなたです。原田さんは、正確には発案者に過ぎない。キーパーソンはあなただ」
井川の狙いはそこだった。
「あんた、賢いのかバカなのかわからんな。一流新聞の記者でもないのに」
森田は悪意のない視線を向ける。
「……い、一応、褒めてもらったと理解します…」
彼はすぐさま立ち直り、
「今般の、“「明星」建設一時凍結“発表の理由について、本当になにか心当たりありませんか?」
「知らん。とうに引退した入院患者に聞くことか?あまりしつこいと、合コンじゃモテないぞ?」
「…行かないからいいんです」
「なんだ、じゃあ、もういるのか?」
「…」
下世話な会話になってきた。
「答えないなら、ゲイってことにするが」
「います。はい」
「あんたのことを、少し話してくれ。ノロけ話でもかまわん。そしたら考える」
「…あなたは、そーゆーのを滅法嫌う鉄面皮な男だと伺ったんですが…」
「昔はな。今は退屈で仕方がないんだ」
「・・・・・・」
井川は観念し、とりとめもない身の上話を、なるたけ、「明星」に焦点を絞るように語りだした。
* *
「ほらあれ!あれが私の妹!」
「…どれ?今キックされて吹っ飛んだ方?」
「キックした方!女の子の方!」
周囲で沸き返る子供たちの歓声で、聴きとるのも一苦労だった。
「ベタコの方か?」
「そう!」
とある休日、井川は恋人である新米中学教師・犬飼リオナに連れられ、人工島「明星」の屋外フロアにて、キャラクターショー『エレゴンとベタコ』の見物に興じていた。なにより、妹がそのヒロインとのことで。
「痛そーだったなあ、あのエレゴン」
「煮え切らないで浮気な態度取ってるからダメなんだよ、エレゴンは。シンドラちゃんも、解っててエレゴン誘ってるんだ。まあ、そこが面白いんだけど」
相当、ストーリーを熟知しているようだが、井川はそこまで感情移入していなかった。
観劇(と呼べるのかも疑問の寸劇)は子供たちの歓喜と爆笑うちに終わり、いい大人の二人は島を散策する。妹よりも、ここで働いている同級生の友人に会って、ビックリさせたいのだという。ときめき濃度の薄いデートコースだが、双方、こういうブラブラまかせの時間の使い方は好きな方だった。
「あの怪獣劇、ラブコメ設定みたいなのは必要なのか?ただのマスコットキャラになのに」
「はっ!」
犬飼は、彼氏の指摘を聞いてか聞かずにか、つぶさに開眼して、
「『乗り入れが激しい』という、ある種のメタファーかもしれないな、これは!エレベーターだけに!」
「いやいやいや…。メタファーて」
絶対そこまでの深さはこの寸劇にはないと、井川は確信している。だが、熟考に耽る犬飼はの表情は、彼にとって脳殺にも等しい可愛らしさだった。知的そうな仕草をするネコ、といったような。
そこへ突然、
「ふがっ!?」
平和なカップルの間を裂くように、井川の頭部に降りかかってきたのは、一匹の猿だった。
「おおっ?これは!」
「な、なんだこいつ?!」
「ニホンオンセンザルかな?うん」
犬飼は冷静かつ的確に、その闖入者を分析する。
猿は、すこすこと、犬飼の柔肌に抱きついて落ち着く。
「わー。かわいいですなあ」
「おい、すり寄せてるぞ。このエロ猿」
猿は、犬飼の柔らかな肉感を、全身で享受している。
「エロくないよねー?エロって言った方がエロなんだよねー?」
「なにその理論」
犬飼は早くも猿と、小悪魔的なコミュニケーションを成立させている。
井川が理不尽なやきもち色に染まる中、
「ああ、すいません~」
と、白衣姿の女性がおたおたと近寄って来た。太い縁の眼鏡に、ウェーブのかかった髪。色香はさほどでもないが、清廉な研究者、といった感じだった。
首から下げたカードで、ここの職員であることが判別できた。
「タケルくん!ダメでしょーまったくー」
間延びした声の女性が、ストレス・ゼロな叱責を猿に与える。
『タケル君』と言う猿は、それでも犬飼の体から離れようとせず、遺憾なことに、胸に顔をうずめるようなオイタをなさっている。
「あーもー、えっちだなあ」
「こいつ…」
「はいはい、飼い主さんがお呼びだよー、タケルくん」
猿は言葉を理解したのか、すぐに白衣の女性の腕に収まる。
「タケルくんっていうんですか?」
犬飼は屈託なく、白衣に話しかける。
「そうですー。うちの主任が名付け親で。たぶん弟とか父親の名前だと思うんですけど」
女性同士、打ち解けるのが早い。
「明星のスタッフさんですか?」
と、井川も挨拶を交わす。
「はい。タケル君、あの着ぐるみショ―大好きなんで。主任が引きこもってるんで、少しは散歩させないといけませんし」
「お仕事大変そうですね」
つい、仕事の話題をふってしまう。
白衣の女性は、今時珍しく、山のような書類を抱えていた。
「ええ、まあ。色々と…ああっ!そうだ、早く戻らないと!」
白衣女性の眼鏡の奥が急に光りだした。
「じゃあ、私たちも失礼します」
察した犬飼も、丁寧にお辞儀する。一方の白衣女性は、挨拶もそこそこに、スケベなサルを抱え、大急ぎで去っていった。
「…激務なんだねえ」
「そういえば、なにか事故があったとかなかったとか噂が出てたな。今度取材…」
「おい。それタブー」
犬飼の眼光がひときわ突き刺さる。
休日は、お仕事厳禁。大抵、この掟を破るのは井川の方で、あとで埋め合わせを迫られる。
「仕事で忙しいようなら、私はペットでも飼おうかなー。お猿さんとか飼えるのかなー」
「やめてくれ。謝るからそれだけは」
* *
「で、その日の夜は、いつもより野性的な埋め合わせをしたというオチか?」
森田は愉しそうに、結末を予測する。
「止めてください…ほんとに」
年寄りはどうしてこう、下ネタを下ネタとも思わず、当意即妙に言えるのだろう、と井川は眉を顰める。
「はははは」
「噂とはずいぶん印象が違うなあ…」
現役時代に、明星完成までのすべての工程、あらゆる対処法と設計を遺してきたといわれる天才。それ以前は、宙域戦艦建造の第一線で活躍していた、国宝まがいの頭脳を持つ男。当初は、井川の内でそんなイメージだった。
「僕の話はこれくらいでいいとして。で、まあその時、『明星』建設に疑問を感じた、という話です。建設凍結が発表される少し前だったんですから。あの白衣女性の慌てぶりは何か関連ありかと」
そう。
今の話は、ほんの1、2週間前の話である。
「…なるほどな」
と、森田は窓の外の明星を見つめて、
「小崎の奴は、しっかりがんばってるのか」
と、嬉しそうに呟いた。そして、身内話のご褒美のように、口を開いた。
「猿は、エレベーターの運転実験に用いるんだ。人体への影響を調べるためにな。「明星」はどんな一般人でも乗れることが第一条件だったからな」
「…タケル君もその中の?」
「おそらくな。虐待してるとか記事にされると、バカな連中が騒ぐから困るんだが…」
そう前置きしたうえで、
「過去に事故がなかったわけじゃない。そのたびに万全を喫して、しっかり原因を突き止めて、対応してきた。起こりうる事態の対処法もすべて作った。一時凍結の発表なんてのは初めてだ」
「じゃあつまり、今回のトラブルは相当…」
「おそらく奉公会の…」
言葉の途中、、森田の脇の医療機器が、異常を知らせる音を発する。
彼の体は一瞬波打ち、意識はすでに途切れていた。
「…森田さんっ?!」
* *
懐かしい。
あの井川とかいう男のおかげで、久しぶりにこの夢を観る。
「はがぐッ!!」
あの日、窓の外で、自転車が木に衝突していた。ママチャリというやつだった。
俺は、部屋に居ながら、スマホを切った。
通話の主はかつての上司で、今の職に興味を失って楽隠居の道を模索していた矢先、「今から世紀の大人物がそちらに行くから、話を聞いてみてくれ」とのことだった。
窓の外の男は、着古したジャージ姿で、「はーっ!」と、そのままの覇気で立ち上がる。
短髪に、丈夫そうな骨格の好青年だった。
「大丈夫ですか原田さん」
連れであろうか、全身黒ずくめに美しい金髪の小柄な女性。心底呆れている。
「この自転車、あとで修理するぞ根本ちゃん!」
「買った方がよろしいかと…」
実に、不釣り合いな二人だった。口調からして、雇用主は男の方らしい。
男は美女の助言をサラッと無視して、俺の部屋の方へ視線を上げた。そして
「あんたが、後藤ツヨシか!?」と、太い地声を張り上げた。
俺の旧姓だ。これも今では懐かしい。
「・・・・」
「腹を割って、相談があるんだ!」
男は『原田征一』といった。
彼は、部屋に入ってくるなり、なにやら構想をまとめた書類の山を突き出し、「宇宙エレベーターを作りたい!」と言い出した。
「あんたの仕事は全部見た!船から兵器、コロニーまで設計ができるんだろ?」
「ああ」
無礼な男だと思った。歳は近いようだが、全てにおいて礼節に欠ける。
ただ、まるで太陽か、エネルギーの塊のような人間だった。自分に無いモノが出会って瞬間思い知らされる『何か』を、この男は放っていたのだ。
「作れるか?作れないか?どっちだ?!」
「…………………」
彼は、目を輝かして彼の返答を待っていた。
連れの美女は、何度も深々と頭を垂れている。
「重ね重ねのご無礼を、申し訳ありません後藤様。私どもは、…」
「いや、いい。無礼なのはこの際問題にしない」
「顔の割に心広いな!ごっちん!」
「…原田さん…!初対面で馴れ馴れしいのはいつも…」
「どうだ、ごっちん!」
俺は、彼の構想の概要を、その場で理解した。そこで最初の指摘として、
「……国の法律から相手にしなきゃ無理だ。おそらく島が一島」
と、答えた。
すると、先ほどまで慎み深く平身低頭だった美女、根本は素早く何やら端末で処理を始めた。
隣のジャージの男は、
「つくれるのか!?」
と、目の輝きをそのまま、俺に向け続けていた。
「作れる」
と、俺は短く答えた。
「よし!!」
と、原田も短く、大きく頷いた。
その答えを聞くと、先程の態度を一転させ、深々と頭を下げた。
目線は、俺から一秒も離れなかった。
「俺と一緒に仕事をしてほしい」
「………」
理由はよくわからない。俺は「負けた」と思った。
構想が面白そうだった、というだけではない。この男だったから、というのが正確だ。
そして、隣の美女が、
「後藤さま。島は人工島でもよろしいですか?」
と、端末から口を話して確認を求めた。
「ああ」
「原田さん、承認されました」
「よし!じゃあ、森っち!3日後また!いくよ根本ちゃん!」
原田は、再び嵐のように去っていった。
一方の根本は、別の書類をテーブルの上に置いた。
「こちらが契約書になります。原田さんと同額、月給18万8000円」
「薄給だな。あの男は民間機で宇宙旅行行ったんじゃなかったのか?」
根本は、小さく頷いただけだった。
「それ以外で希望があれば仰ってください。奉公会の承認が下りれば実行されます」
俺は、構わずサインした。生活の質など、目の前の構想と、あの男を見れば些事でしかなかった。
「奉公会…?」
俺の疑問に、根本は美しい魔女のような微笑みを浮かべて、契約書の控えを残し、
「原田さんに会って感じた想いは、一生大事にしてください」
と、深く一礼して部屋を後にした。
* *
森田の個室は、にわかに慌ただしくなった。
「森田さんは危険な状態なんです…たぶん本当は…」
「先生、これを…!」
井川を締め出した医者は、言葉の最後におかしなことを言った。
「どういうことですか?」
と、看護師に詰め寄ると、「ご家族の方以外には、詳しくお教えできません。すみません」の一点張りだった。
森田の意識が戻ったのは、24分後だった。驚いたのは、すぐに面会が再開されたことだった。
「びっくりさせたか?たまにこうなるんでな」
森田は多少の疲れは見えたが、先ほどと変わらない物腰でそう言った。無理をしているようにも見えなかった。
「…お身体、大丈夫なんですか?やっぱり今日はもう…」
「あと5時間くらいは大丈夫なんじゃねーかな」
「…どこがお悪いんです?」
「さあな」
悪戯にはぐらかし、椅子を指さして井川に遺留を促す。井川は溜息をついて、質問を改めた。
「明星は完成するんでしょうか?」
「するよ」
森田は言い切った。
「…個人的な見解を、正直に言います」
井川は早々に切り上げるつもりでこう言った。
「僕は、この建設には無理があったと思っています。いくら夢があると言っても、これは採算取れないだろうし、なにより計画性がなさすぎます。戦艦だって宇宙の遠方まで飛ぶ時代です。たしかに宇宙旅行は民間人には未だ遠いものですが、あのエレベーターの生む価値はそれをだけの…」
と、言いかけたところで、テーブルの上で、スマホが震えた。犬飼レオナからの「緊急」の通知だった。
「……えっ…?ちょっと、失礼します」
5分後。
戻ってきた井川の表情は、喜びを含んだ複雑なモノで、相殺しあって無表情に近かった。
「…?」
「子供が出来たそうです。俺と彼女の」
犬飼からの、妊娠の知らせだった。
「…おまえ、結婚してたのか?」
「………いえ、その、まだ」
この答えは、エロジジイにとっては最高の肴だったらしい。
「ふはははっ」
と愉快そうに言って、
「お前、さっき俺になんか説教してなかったか?計画性がどうのこうの」
と皮肉った。
「……………」
そして、何も言い返せないでいる、この優秀な記者に、
「早く帰れ。……まあ、これ以上聞きたかったら、お前のエレベーターが、いつ頃彼女に着工したのかを詳しく…」
「か、帰ります!」
最低な下ネタにつっこむこともせず、あせりながら帰り支度をする若者。その背中に、老人は小さく、
「夢があっていい」
と言って、目をつぶり、彼を送りだした。
井川が微かに聞いた、彼の最期の言葉だった。
森田は、その日の夜に再び意識を失い、戻ることはなかったという。
* *
いつかの日の為に用意しておいた、身の丈精いっぱいのプロポーズを井川は贈った。
言葉だけの、単純な誠意。五里霧中の未来。場所はコンビニの駐車場。
ホントなら、もっとドラマのようなサプライズを、丈夫な足場から贈るつもりだった。
「その気持ちを、一生忘れないように!」
という笑顔が、犬飼リオナの返答だった。
第五章 小惑星がゆっくり回るように
「森田さんの容態は?」
「危篤状態です。ただ、午後まで楽しく記者と面会して、そのあと、ナースに弁護士への伝言を頼んだそうです」
「根本さんか?」
「はい」
「そうか…」
「先生はどう思われます?森田さん、やっぱり妙じゃないですか?まるで、一つの体に二人がいるというか…、バイタルの数値が不安定で…」
「…妙なことを言っているのは君だよ。もういい、あとは引き継ぐ」
「はい…。ここ最近、何度も、同じ夢を観ているそうですよ。たぶん今も…」
* *
「腹を割って、相談があるんだ!」
原田と名乗った男が、屋外で叫んでいる。
おそらく、この部屋にあがってくる気だろう。
同時に端末は、同僚からの呼び出しを受けていた。
「おい、後藤!辞めたって本当か?」
望月だ。情報部上がりだからか、相変わらず耳が早い。異例の若さで探査船副船長に上り詰めた友人の言葉には、幾分トゲがあった。
「ああ。もう私の力は必要とされないようだ」
一時前の上司への言葉を、同じように彼にも繰り返した。
「長距離戦艦製造の却下のことか?前にも説明したろ?地球には、まだ銀河間航行する船は早いって…」
「ああ、そのようだ。植民星探査の方が先らしいな。だが、必要な設計図は提出した。活かすも殺すも、上が決めればいい。俺は、やるべきことをやっただけだ」
「次の就職先は?」
望月は、次の言葉を用意しているような口ぶりで聞いてきた。
「まさかお前も、会わせたい奴がいる、なんて言うわけじゃないよな?」
「よくわかったな。俺の同級生でな。なんつーか、異次元から来たような男だ」
窓の外には、大転倒した自転車が綺麗に駐輪されていて、二人の姿はなかった。
「今さっき、上からもそんな話を聞いたが、同じ人物か?どんな有名人だ?」
望月は、端末の向こうで愉快そうに笑った。
「有名じゃねえよ。あいつにも、まったくその気はない。まあ、会えばわかるし、悪いやつじゃねえとだけは言っておく。多分そっちに…」
言い終えないところで、俺の部屋の扉が大きく放たれた。
俺の人生が、大きく変わった瞬間だ。
* *
『明星』建設開始から2か月。
あの「原田」という男が、どんな権力を振るったのかわからないが、土台の人工島は目覚ましいスピードで開発が進んでいた。島は多くの人と資材であふれ、俺が望んだものが、根本という参謀を介してすぐに支給された。この資金と組織力に関する疑問には、誰も口を開かなかった。
そして、日進月歩で築かれる巨大な建造物とは対照的に、小さなプレハブ小屋が一軒、島の脇に据えられていた。これが創造主、原田征一の「自宅」だという。俺は、本土での住民説明会兼プレゼンの準備に追われていた。原田が、俺の言葉は専門的で難しいから、毎回自分の口で説明すると言い出したので、打ち合わせが変わってきたのだ。
その日、原田は殺風景な小屋の中で、500円を貯金箱に入れてホクホクとしていた。
「おはようございます、後藤さん」
根本も一緒だった。見た目は10代の少女。年齢不詳だが、原田の行動から、島の事業まですべて把握している。
「みてくれよ、ごっちん!500円貯金始めたんだ!」
これが、兆単位を優に動かしている男の言葉だ。俺は無視して、
「プレゼンの原稿は上がっているのか?」
「まかしとけって!」
緊張とは無縁の性格らしい。用意しているようにはとても見えない。
「見てくれよコレ!」
原田が喜々として見せてきたのは、介護ロボットのCMだった。文句はこうだ、
『ノアロニックブレイン搭載!新時代の高機能型介護ロボット!ヴァイセン・ブレッダー社より発売!』
「かっけえ!俺、これ絶対買うぞ!」
病気一つしたことがないと胸を張っていた男が、なにやら購買欲を刺激させられている。ヴァイセン・ブレッダー社は医療補助ロイドの生産で有名な企業だが、デザインより機能性を重要視しているため、一部の愛好家を除き、ヒット作に恵まれないメーカーだ。
「では、そこのお財布担当に頼めばいいだろう」
根本は、俺の視線に首を振る。
「承認できません。ゆえに、原田さんは貯金に目覚めたのです」
ロボット一台、この島の計画に比べれば駄菓子のようなものだが。
「よし、そろそろ現場行くぞ!根本ちゃん!乗れよ!」
原田は颯爽と飛び出し、表の自転車に乗る。奇妙なことに、この男は週の半分、工事現場で労働者として働いていた。
「二人乗りは原則禁止です。この島、今は私有地ですが、いずれは…」
「一任する!」
「はい」
二人のやり取りは、加速しながらも続いていた。
残された俺は、溜息を一つ掃き出し、「彼ら」に連絡を入れた。
* *
*
原田に夢があるように、俺にも、譲れない大望があった。この計画との出会いは、まさに大海の木片だった。
明星の設計を引き受ける一方で、俺は原田たちを利用していたのだ。どちらにも損のない形で。
「はい、カラオケハウス『コズミックBOX』です」
受話器の向こうで、若い男の声。
「俺だ、エトウ」
「お疲れ様です。ゴトーさん」
「計画は順調に進んでいる。お前が見つけた例の音源、確かに使えそうだ。良く見つけたな」
「でしょー。ていうか、そもそもなんでこんな計画に?最初は遠距離航行の船を造らせるはずじゃ…」
「『我々にはまだ早すぎる』だそうだ。退職を決めたときに話しただろ」
「それは、まあ、同感ですけどねえ…」
「建設が53%進んだ段階で試運転を実行する。皆にもそう伝えておけ」
「いや、それがですね…実は…」
エトウが言葉を詰まらせた、その時。背後でドラム缶やら諸々が崩れる耳障りな音と、人の鈍い悲鳴が耳を裂いた。
「ぐおおお~……」
缶に埋もれながら、それは唸っていた。女性のようだ。
「すまん、かけなおす」
「え、ちょ…ゴトーさ…」
強引に電源を切り、うずくまる女に近寄る。どういうわけか、プレハブの屋根に上っていたらしい。今の話を聞かれたかもしれないという警戒心が脳裏にあった。
「おい、君」
「ううう・・・」
大怪我ではないようだが、ブラウン色の髪と、エスニック柄の服は、砂埃を浴びて無残だった。
「な…」
女性は、差し伸べた手を振り払う勢いで、
「なんだチミは!」
と、色白な顔を真っ赤にして叫んで、起き上がった。女性は、大事そうに散らばったスケッチブックを抱えなおしていた。
「俺は、ここの設計主幹…」
「エロメガネ!」
女性は、問答無用に俺を罵って、原田たちと同じ方向に駆けていった。
「………」
* *
「ああ、彼女は星風ナナコ先生ですよ」
と、根本ハルル弁護士は一瞬目を合わせて即答した。
「一般人か?」
「いいえ。漫画、脚本、イラストレーター、サブカル方面で人気の高い、オピニオンリーダー的な方ですよ。明星のイメージ戦略の一翼を担ってもらっています」
「関係者かどうか聞いているんだが」
道理で、色白いはずだ。
「にこにこぶんぶん、ご存じありませんか?」
「知らん」
「アニメは放映6周年、毎週日曜夕方6時30分」
「知らんと言っている」
余程の国民的作家か、根本の造詣か深いか、どちらかだろう。
「あなたに取材したいそうですよ」
「俺に?」
根本はか細い指で奥の壁を指した。エスニック柄の女性が、おずおずとこちらを見守っている。
「他人への関心が薄いこと、あなたの欠点ですね」
と、根本は付け加えた。
* *
「先ほどは失礼しました」
開口一番、星風ナナコは頭を下げた。
「むっつりエロメガネなどと暴言を私…」
「むっつりはいってないだろう」
華奢で、顔色の悪い女性だった。長い髪と眼鏡の縁で隠れているが、白皙の肌に長いまつ毛、幼顔の美人だった。
「俺に何か用か?」
それを聞くや否や、この若者のカリスマは眼鏡を輝かせて、
「は、はい!後藤さん、このエレベーターの設計者だと伺ったんで、えっと、ぜひ付きまとわせていただきたくっ」
「つきまとう?」
「あ、いや、見学というか、ご意見をちょっと…」
「……」
俺の見た目が堅いのだろう、星風も笑顔の奥をガチガチさせて返答を待っていた。
「質問なら、手短に頼む」
「はい!じゃあ…」
スケッチブックを開きながら、星風は用意していた単純な質問を俺にぶつけてきた。
「宇宙人はいると思いますか?」
「……」
「……」
星風は、赤面しつつも、思っていることを全部吐き出すように続けた。
「や、やっぱり、こーゆーの設計する人は、なんかすごいもん信じてるんだろうなー、とか思ったりして…。いちおう私なりに、ここのマスコットとか考えてみたんですけど…」
星風は、星と、エレベーターを角に見立てた侍のようなキャラを俺に見せてきた。
「ちきゅーちゃんです。頭がエレベーターになっていて、こう、電波塔っていうんですか、すごく遠くの星とも連絡が取れるんです」
「………」
俺の絶句を、彼女は勘違いしたようだった。
「だ、だめですよねやっぱり!一人だと、こんな変な設定に行き着いてしまったんで、一度リセットして、もっと現場の雰囲気を吸収して、愛着あるキャラにしようと…」
俺には、この女の言葉を最後まで聞いている余裕がなかった。
なぜ、この女がそこまで知っているのか。
一体、何者なのだ。
* *
「えっ、星風ナナコ先生、そこにいるんですか?!
エトウは、あの女の名を聞くなり、色めき立った。
「さ、サイン欲しいです。あ、後ろでウラジも猛烈にアピールしてます」
「バカを言うな!」
俺は、あの場から逃げ、人気のない海岸沿いに来ていた。もしあの女が追っ手なら、戦うか、逃げるしか選択肢はない。本能が選んだのは後者だった。
「あの女は何だ?何者だ?」
「漫画とか、脚本、絵本なんかもやったりする人ですよ。どれもすごい売れてて。でも、最近体調崩したって聞いたけどなあ」
「ほんとにただの作家なのか?」
「はい、それがどうしたんですか?」
エトウは、カラオケBOX店内の音響を下げた。
「妙な女だ。このプランの妨げになるようなら、いっそのこと…」
エトウは、俺の思考に水を差すように、
「あの、ゴトーさん…。そのプランのことなんですけど…
「なんだ?」
「やめませんか?」
エトウは短く切り出した。
「なんだと?」
「エノモトとトレルたちは修理する方を選ぶといっていました。デメルも最近集会に来ないし…」
「だめだ!こっちのプランの方が実現性は高い!戦況すらわかっていないんだぞ!」
あれを修理できたところで、その先に何ら好転する兆しはない。拙速だ。俺の、このエレベーターを利用した手段なら、時間は犠牲にしても、一縷の望みはある。
「そー言ったんすけどねぇ…」
「約束したはずだ、俺は必ず全員を…」
「無理っすよ」
エトウは、断を下すように言った。
「デメルが最後に言っていました。あなたは賢いが、信頼できないそうです。こっちの言葉では、個人プレーっていうんですかね……あ、ぼ、僕らは違いますよ!ちゃんと毎回集会に…」
エトウはあわてて何か訂正していたが、俺は端末を海に飲ませていた。
これは、彼らとの関係の断絶を意味していた。実際に彼らに最後に会ったのは、もう5年も前の集会だった。実現可能な策を模索し、俺自身が先頭に立って皆に希望を持たせようと尽力してきたが、彼らにとっては、士気の低下と、不信を買うことしかできなかったらしい。
エトウ、ウラジ以下の部下たちは、もう俺の力を必要としていない。では、俺の目的は?任務は?すべてを傾注してきたここでの努力は、何の意味もなさなかったのだろうか。
「あ、あのう…」
気の遠くなるような意識の背後で、女性の声がした。
走ってきたらしく、肩で息をしながら、スケッチブックを盾にこちらを覗いていた。
「わ、私、また…失礼なこと言っちゃいましたか?」
「……」
星風は続けた。
「みんなに、愛されるキャラクターを作りたいんです」
今の自分には、一番遠い言葉のように思えた。
「できるのか、そんなものが」
トゲのある答えを返してしまった。
「はい。がんばれば、きっと」
華奢な女性は素直に答えた。
「俺は…何をすればいいんだ?」
星風ナナコは、一呼吸おいて、
「じゃあ、まずは握手から」
と、色白の手を差し出した。
* *
その日から、星風ナナコと行動を共にすることが増えた。
自分の食生活から、行動のパターンまで把握され、まるで刷り込まれたカモの子のように、一歩後ろに控えて、ムニャムニャ独り言を言いながら、スケッチやメモにデザインを描き込んでいる。だが、邪魔に思えたことはなかった。彼女は俺を観察するばかりで、質問はその日の最後のメールで、まとめて送られてきた。一度、質問があるならその場で聞いても構わない、と言ったが「私のことは空気か観葉植物のようなものだと思ってください」と変なことを言ってよこした。
逆に、面白がっていたのは原田の方だ。せわしなくついて回る星風をいじるので、「俺の観葉植物の邪魔をするな」と一喝した。原田は「すんませんでした」と言い、根本は「ほほう」と言った。星風はスケッチブックで顔を隠してモジモジしていたので、何が起こったのか自分にはさっぱりわからなかった。
そんな日々が、1か月続いたある日。
「宇宙大怪獣エレゴンとベタコ!決定です!」
と、達成感を満面に浮かべて、星風は俺のおやつタイムに異例の乱入をしてきた。
「えれごん、か」
「後藤さん、こないだ怪獣映画が好きと言っていたので、それで一気に!」
「いや、正確には、好きというより特撮の情熱と科学技術へのアンチテーゼが複雑に絡みあっていて興味深いと…」
「イベントショーのラブコメシナリオ50本も書いちゃいました!」
「聞いてるのか?」
星風は、ぽってり太った怪獣のイラストで顔を半分隠しながら、
「…ボツですか?」
と、こちらの目を見て、返答を待っていた。
「…」
「…」
正直に白状するほかはなかった。
「俺には、娯楽の良し悪しはわからない」
「・・・」
「だが、君の創作は休みを利用してすべて目を通してきた。マスコットとしては、星風ナナコのポテンシャルを十分に発揮できていると思う。これで答えになるか?」
星風は、ポカンと小さな口を開けて、小さく身震いして、ようやく顔を上げた。白い肌が、わかりやすいくらい火照っていた。
「私…」
「ん?」
「森田ナナコっていうんです」
自己紹介、なのだろうか。彼女は言い終えると、こちらの反応を待つように、そわそわしだした。
「ペンネームなのか?」
と、当然のような返し方しかできなかったが、彼女は「はい」と嬉しそうにうなずいた。
原田をはじめ、建設に情熱を注ぐ才気あふれる者たちと過ごす日々は、自分にとって居心地のいいものだった。設計はすべて一任され、もう一つの目的もそのまま進められた。だが、建設が進むにつれ、自分の意志は傾いていった。
大きな転機は、森田ナナコと生活を共にしたことだった。
無趣味で面白みのなさを自覚していたが、何が良いのか、自分と暮らしてみないかと、彼女から提案された。提案というより、それを「告白」というのが正確らしい。
「どうですか?」
と、聞かれ、
「俺には魅力がないと思うが」
と、謙虚さを省き、事実のみを伝えた。すると、彼女は楽しそうに、
「顔とか性格とか、みんな、いいところと悪いところがあるんです。私が観察して、後藤さんに惹かれたのは、これです」
右手を前に出して、何かの仕草を始め、
「お箸の使い方が、とてもきれいでした。惚れました。胸がきゅっとしました。この人は、ほんとに丁寧で、その分損もたくさんしてるんだろうけど、一緒にいたいと思いました」
と、冗談ではない感じで語った。
「……よく見ているんだな」
俺は彼女の告白を受け入れ、一考して、彼女の魅力を主観的にいくつか並べて伝えた。
互いの好意を確認するための返礼として、当然のことだと思ったが、彼女は大いに笑い転げた。
「卒業文集みたい!」
という評価だった。
* *
数か月後、本土の大きなイベントホールで、原田は大勢の子供たちを集め、約束をした。
わかりやすい言葉で、大きな夢を、一つの楽しみな未来を創ると宣言した。
「宇宙エレベーター「明星」は、軍や政府の一部が宇宙探査を続ける中、みんなで行ける宇宙旅行を実現させます」
壇上では、開発者や、マスコットのエレゴン、ベタコ等のお披露目も行われた。
人前が苦手な俺は、舞台袖でライトを浴びる頭上の原田を眺めていた。相変わらず、緊張感ゼロのかっこをして、なおも輝いていた。目に爛々と覇気があり、声は伸びて聞こえやすく、大言壮語にも胡散臭さを感じない。人心を掴む天才とは、こういう男のことを言うのだろう。
「後藤さん、ちょっと」
原田の演説の途中、袖を引かれた。いつもの黒服の一張羅、根本だった。
「お前は壇上に登らないのか?」
「私は、一介の顧問弁護士にすぎません。あの方の影で十分」
「ただの弁護士には見えんがな」
俺の言葉など、届いていないようで、
「こちらに来てください」
と、根本はそのまま俺を引っ張った。3メートルほど歩いたところで手を放し、
「ここで、じっとしていてください」
「なんだここは?」
根本は、暗幕の奥で小さく笑ったように見えた。
「貴方には、私のポジションは役不足です」
そう念を押して、地を指さしながら黒服ごと闇に消えた。
「一体どういう意味……ん?」
足元に目を落とすと、床には張り紙があった。
誰の描いたイラストかは、自分が一番よく分かっていた。
『しっかりね!パパ!』と手書きで。
「これは…」
口を開くのと同時に、その床は大きく上に上がっていった。
跳ね上がったその地で、俺はまばゆい光彩の中に立たされていた。
一斉に拍手が起き、背後のパネルには大きく俺の経歴や肩書が並ぶ。
「この計画は、彼なしでは何一つ形にならなかった」
原田は、いつもの悪戯な笑みでスピーチを続けている。
奈落から、壇上に迫り上げられたらしい。
「…」
「この計画が失敗したら私を責め、成功したら彼の名を讃えて、記憶に残して欲しい。無口だけどいい奴なんだ」
客席に笑いが起きる。原田は、俺の目を見て続けた。
「俺はもう、抱えきれないくらい感謝と信頼をしてる。これからは、ここにいるみんなの支えになって欲しい。街のどこからも見える、希望のカタチだ」
向けられるライトの数が増し、会場の視線と、壇上の原田は、俺の言葉を待っていた。
「……」
しっかりしたことを、言うべきだった。建設は容易ではないことも、そして、時間がかかることも。
だが、体は自然とVサインを作り、原田を真似るように、わかりやすい言葉で、
「光栄だ」
と答え、マイクはしっかりと集音して会場に届けた。
それを合図に、一斉に紙吹雪と歓声が上がる。
「宇宙エレベーター明星。例えるなら宇宙をめぐる観覧車。我々の兆戦です」
* *
原田の言葉は、会場にいる誰よりも、自分に響いた。
壇上を降りた後も、あいつの言ってくれた一字一句、会場の熱気が、鼓動を熱くしていた。
通路に、妻がいた。
出産後に体調を崩し、今もまだ車椅子で生活をしている。医者の話では、子を優先した結果、見通しは明るくないらしい。
「泣いてるの?」
と、俺を壇上に上げる計画の一員が、意地悪な笑みを浮かべている。
「いや…」
俺は、お返しのように嘘をつき、膝をついて、未来に生きる子を抱いた。
* *
西日が差しこんでいた。
走馬燈の先に、病室の天井があり、計器は穏やかな音を刻んでいた。
「遅かったじゃないか」
森田老人は、目線を目の前の青年に向けた。
病院の窓をよじ上ってきた、朗らかで華奢な男。
「驚いたなあ。まさか、あなたがこんな風になるなんて」
男は、笑顔を作っていた。
「…そうか」
「他の、あなたの仲間はどこです?今もまだこの星に…」
「死んだよ」
「・・・・」
男は、森田の断言を深く追及しなかった。代わりに、
「何か僕らに、言い残したいことは?」
と、手を森田の額に優しくかざした。
「アイスは食べたことあるか?」
「はい」
「じゃあ、特にないな」
森田はそう言って、瞼を閉じた。
第六章 ハゲタニ先生の準備室
島田タケル、また小崎メグミにとっても、新鮮な朝だった。
慕ってくれる異性がいるという心地良さは、あらゆる重荷を緩和させる。それが問題解決に直結しないとわかっていても、必要な時がある。
タケルの家での朝食。パンと、ベーコンエッグ、サラダとコーヒー。
彼が、ピーナツバターを好きだということ、彼女がトマトに砂糖をかけることを、今日、お互い初めて知った。
タケルはメグミに「宇宙以外のどこか」へ行こうと誘った。「気ぃ使っちゃってー」という照れを隠すメグミ。一番行きたい場所にはもう来ているので、他の場所の見当もなかった。口にコーヒーを流し込んだ後、「じゃあ」と、メグミは思い出したように提案する。
「ハゲタニ先生に会いたい」
* *
ハゲタニ先生という人物は、星浜中学校2-2担任。学年主任だった。
年齢不詳の(おそらく初老)で、禿げていて、いつも仏頂面で、竹刀のような棒を持っていた。「ハゲタニ」とは、冷酷無比な反抗期真っ盛りの中学生が、毎学年、自然と受け継いでいた彼へのアダ名である。
この街に住む大半の人は、昔から、未完成な「明星」に愛着と敬意を持っている。いろいろな面で、恩恵を与えているからだ。この街で育って、明星に憧れる少年少女は少なくない。かつて中学二年の小崎めぐみも、その一人だった。
その年の9月。第一回目の進路希望調査と、三者面談の予定を組んでいた時期だった。
「小崎、ちょっとこい」
西日を頭部で乱反射させながら、ハゲタニ先生はメグミを放課後の職員室に呼んだ。
机には、生徒各々の進路希望のプリントが積まれていて、一番上に小崎のそれがあった。
「お前の進路希望、『明星』?第二、第三希望は?」
と彼が問うので、
「ないです!」と、少女は大きな瞳を爛々とさせ、意気込んだ。
「子供の頃から宇宙とか大好きで、幼稚園の頃、あそこを見学したときに、ビビビだったんです!」
「ここは高校名を書く調査だぞ。模試であれだけの高得点弾いておいて、何考えてんだ」
先生は、あきれ返った。そして、いつもどおり厳しい視線で、
「明星なんて、あんなもん道楽だ」
と、突き放した。
「え・・?」
「宇宙関連ならもっと他にもあるだろう。JAXAやNASAを目指した方が、よっぽど人類に貢献するだろ。お前の今の学力ならもっと上の…」
「結構です!」
職員室にいた誰もが目を丸くする大声で、小崎は教諭の話を遮った。
「もう決めてるんです!邪魔しないでください、ハゲタニせんせい!」
「・・・・・」
衆目がタブーにギョッとする中、少女は「失礼しました!」と律儀に一礼して、そのまま職員室を後にした。
* *
「いやあ、あの頃は、中二の多感な感性が、プラズマのように発散してたからねー」
駅のホームで、小崎は舌を出して笑った。持ち合わせがないので、薄い化粧にスウェットという格好だ。恩師に出向く姿とは思えないが、当の本人は一向に気にしていない。
「“ハゲタニ”は、悪口だぞ、完全に」
「本名の方の記憶が、むしろ曖昧なんだよね…。羽毛田さん…いや武田だったかな?なんか、動物みたいな苗字だったような…」
「ひどすぎる…」
「でも、私の進路は、私の進路だもん。そりゃあ、茶々を入れられたら、反発もしますさ」
列車の到着がアナウンスされ、涼やかな午前の風が二人を撫でる。
「一応、味方として、「熱い子だった」と解釈しておく」
と、ギリギリのフォローをするタケルは、
「もしかして、そのことを謝りに行くのか?」と聞いた。
「ううん、まあ、それもあるんだけど・・・」、
小崎はセンスの欠片もない(「二年二組 小崎」と書かれている)巾着から、四角いチップを取り出した、
「本命は、これを返しに行くの」
それは、今となっては容量の乏しい、一枚のメモリーカードだった。
「……?」
* *
小崎メグミが、中二のパワーを炸裂させた翌日、クラスはどよめいた。ハゲタニ先生は、わずかに残っていた髪をすべて剃り落とし、スキンヘッドで教壇にたった。クラスの皆は、のちにそれを「完全体だ」と呼称した。先生は、そのまま無言で、小崎の前に歩み出て、机の上に書籍を山積みというレベルで置いた。そして、
「卒業までに、終わらせておけ」
とだけ言って、教卓へ戻った。名門高校から高専、大学入試の問題集だった。
「……」
「よし、授業を始める。お前ら席に付け」
いつもどおり、木の棒と、低音を振りまく教諭。小崎は、黙ってそれらをカバンの中に収め出した。ハゲタニは他の生徒に向かい、続けた。
「お前たちは、来年高校受験だ。俺の時代とは、流行ってる歌も、使ってる文房具も違うんだろうが、変わらんものもある。この先何百年も、大人は子供にこれを言う。ミュージシャンじゃねえから、捻ったことはいえねーんだ」
と、少しためた後で、
「『努力は人を裏切らない』」
使い古された、誰でも知っているような言葉だった。
「………」
当然のように、クラスメイトは一様、冷めた空気だった。
「あんま響かんな」
と言って、ハゲタニ先生は生徒たちに背を向け、授業に入った。
小崎は、「はい」と小さく呟いて、黙々と書籍の山をカバンにねじ込んでいた。
* *
「なっつかしーなー」
眼前に佇む、母校の中学。
耐震補強や、外壁を塗り替えても、基本的な部分は変わっていない。
小崎は懐かしみ、初めて訪れるタケルは、部外者ということもあってか、少なからず緊張していた。
事務室で明星勤務の名刺と、事情を話すと快く「来客」の札をくれた。
休日、行き交うのは部活動に励む、体育着の生徒たちだけだった。
職員室へ入室すると、小崎を視認した女性が席を立った。
「メグ?」
小崎と同世代の、若い職員だった。
「リオちゃん!」
リオと呼ばれた女性は、小崎より格段に大人っぽく、公務員らしい落ち着いた服装に、整った顔立ちが浮き出ていた。
「犬飼リオナ」。小崎の同級生で、昨年から、ここの教諭となったらしい。竹を割ったような快活な話し方と、相手の目を見る凛とした美人ぶりは、さぞ生徒に人気だろう、とタケルはつぶさに感じた。
「建設の一時凍結、残念ね。あの発表の少し前、島に行ったんだよ」とリオナ。
「えええー!職場に来てくれればよかったのに。…あ、音信不通な私が悪いんだっけ…」
「そう。ケータイくらい持ちなさいよ」
「持ってるけど、ずっと使ってないんだよねえ」
「それケータイの意味ない」
流れるように応酬される、女子同士の会話。
リオナはようやく、長身の男性、タケルに目を止めた。
「メグ、こちらの方は?」
「彼氏というやつだね」
「なーんだ、彼氏かー。…って、ええええええええ?!」
タケルを二度見して、冗談かと思えるほど絶叫する新人教諭。他に教職員がいなかったのが幸いだった。
「か、かか彼氏なの?ど、どこでどうそうなったのよ!」
「まあ、いろいろ。これでも一応、デート中なのだよ」
鼻をふふんと可愛らしく突き出す小崎だが、リオナは目を八の字にして絶句する。
「スウェットで!?あんた、コンビニ帰りのヤンキーだよ!夜11時くらいにうろつく!」
「電車余裕でした」
「信じられない!それでも社会人なの!JRに謝りなさいよ!」
リオナは、深いため息のあとで、タケルを周回し始める。
「こ、これはまあ、結構、ほうほう。まだ信じられないなあ」
「なに?」
タケルは身を縮めた。
「タケルさん、ハンカチとティッシュ、持ってる?」
「ええ」
懐かしいチェックが入る。ちょっとした冗談のつもりだろう。
「私持ってなーい」
と、後ろで小崎が手を振る。
「あんた、大人というより、女性としてなってないわよ」
リオナの落胆は続く。
「タケルさん、ほんとに、あの子でいいの?あの子のこと、ちゃんとわかってる?」
「はい」
「・・・・」
タケルの即答に、リオナもまるで二人の関係の深さを見透かしたように、「そう」と、彼の肘をポンと弾いた。
「私たち、ハゲタニ先生に会いに来たんだよ」
小崎はリオナをつついた。
「…ハゲタ……ああ、もしかして、鳥谷先生のこと?」
「そう、鳥谷だ!鳥谷先生!ドわすれしてたー!」
手を打つ小崎。
「そういえば、そんなふうに呼んでたよね、みんな…。怖いなあ中学生は」
リオナの苦笑い。教職員となった今では、身につまされる思いなのだろう。
「このガッコにまだいる?」
「ううん、いないわよ。退職されたんじゃないかしら。私たちの時も、もうずいぶん年配だったから…」
「……ああ、そっか」
そこへ、リオナのケータイが何かの時間を知らせる。
「あ、ごめん、私、これからちょっと病院に行かなくちゃ」
「リオナ、体悪いの?」
表情を曇らせた小崎とは対照的に、
「へへっへ。今度じっくり話そう。だから、ケータイちゃんともってなさいよ」
と、意地悪な含みを持たせ、若き教諭は軽快に身支度を整えて、職員室を出て行った。
「残念だな」
肩をすくめるタケル。小崎は、先生に返すはずだったメモリーカードを握りしめ、
「あの準備室、どうなったんだろ」
と、つぶやいた。
* *
メグミが、ハゲタニ先生から課せられたすべての課題を終え、付きだすために生物準備室を訪れたのは、その年の冬だった。
生徒の大半が下校し、夕刻の西校舎3階は人の気配すらない。冷え切ったコンクリートの廊下は、憎悪のような刻薄さを感じる。
ハゲタニ先生殊、鳥谷孝蔵は生物科の教諭であり、生物室に隣接する準備室は、彼の固有の領土のような状態だった。「立ち入り禁止」「掃除不要」とまで張り紙が出され、窓にも黒いカーテンがかけられていた。小崎の知る限り、中に入った生徒はいない。
「ぜんぶ終わりました」
と、小崎はドアをノックし、板越しに語気を荒げた。しばらくして、
「入れ」と、中から錠を外す音。
暗い廊下に、準備室の灯りと暖房の温かさがと漏れた。
小崎が足を踏み入れたのは、彼の夢の空間だった。
「な…?」
小崎には、何一つ詳しい内容はわからなかったが、怪物、怪獣のプラモデルや模型、ソフビ、フィギュア人形、宇宙をテーマにしたのであろう映画のポスターや、それらしきタイトルの小説が本棚を埋め尽くしていた。
「早く入れ。頭が冷える」
ハゲタニ先生は、自虐的に、今まで見たこともないような落ち着いた言葉で彼女の招いた。
先生は、公私混同のインテリアには一切触れず、小崎の成果を一つずつ確認しながら、「そこに座れ」と言って、話し始めた。
「俺はエレベーター造りより、宇宙飛行士になって欲しかった」
「え?」
天井から吊るされた妙な軍艦が揺れる。先生は小崎と目を合わせない。
「努力とは盲目になることだ。妥協や後悔を探す暇がないくらいにな」
「………」
「……継続は力なり、と被ってるか?」
「若干」
そこまで言って、先生は照れくさくなったのか、つややかな頭をかきながら、「よし」と、彼女の努力の跡をすべて見納めると、引き出しから、一枚の紙と、メモリーカードを取り出した。
「明星で務める方法はいくらでもある。最先端で開発に臨む層から、清掃員までな。必要な資格、学歴や進路をまとめておいた。持っていけ」
「・・・先生」
「お前の意志の強さはわかったが、不安な要素もある。昔の俺を見てるみたいだ」
先生は、深く息を吐いて、メタボな腹を弛ませた。
「このメモリーカードは?」
「俺が、こんな人間になった秘密だ。俺みたいになりたくなければ、持っていけ。卒業証書より役に立つ」
* *
ハゲタニ先生の準備室は、かつての主を失い、あるべき姿に落ち着いていた。
「・・・・」
普通の、生物準備室だった。
「ここにいたのか、鳥谷先生」
「うん」
タケルは、小崎の説明だけで想像を膨らましながら、狭い空間を見回した。それが一周して、彼女の顔で止まった時、
「じゃあ、見てみますか?」
と、小崎はメモリーカードを取り出して、寂しげに微笑んでいた。
映像ファイルだった。
準備室のモニタを起動させ、フォルダ内の1つのファイルを開く。
TV番組のようだった。不安を煽る壮大なBGMに、安っぽい再現映像、早口のナレーション、目まぐるしく表示される危険色のテロップたち。
『木曜スペシャル!矢作純UFO緊急報告第187弾!! 太平洋上の巨塔に未確認飛行物体が接触!』
『ついに始まった、宇宙戦争時代!!』『緊急報告!斥候はすでに日本に潜伏している!!』
そして、見慣れた建造物が映像に登場する。
『これは、いまや誰もが知る、太平洋上の人工島に建設中の宇宙エレベーター「明星」である。莫大な富と英知で築かれているこの前代未聞のプロジェクトには、建設当初から疑問が尽きないのだ』
UFO研究家 ロージー・アダムスとかいう怪しげな肥満のおっさんは、吹き替えで次のように語る。
『現在、地球の外宇宙を飛び回れるのは、旧国連を基軸とした軍用探査戦艦のみで、民間にはその技術の解放は許されていません。しかし、この塔の建築には日本の宇宙省の元一級戦艦設計士が深く関わっている。これが何を意味するかです。背後には、絶大な影響力を持つ秘密結社「H」が存在します』
「………」
『明星が、地球と、近年密かに建設が囁かれる宇宙軍事基地とのかかわりがあるとでも言うのだろうか?さらに我々は、驚くべき映像を入手した!』
ナレーションは、どんどん早口だった。
「………この番組、俺のじーちゃんの頃からずっとやってるぞ?」
「ここからがすごいんだよー」
メグミはニヤニヤしながら、視聴を促す。
映像は続く。ナレーションは、何を焦っているのか、饒舌で早い。
『これは、昨年4月、突如、明星の周りに飛来したとされる1機のUFOの映像である。この飛行物体は、不規則な軌道を描き、やがて島の隅へと姿を消したという。撮影に成功したのは、星浜町の中学二年生、鳥谷孝蔵くんである』
「えっ…?」
映された映像には、髪がフサフサの鳥谷少年がいた。
「あれは日本の戦艦でも、海外のでもないです。ボクは、そのあと墜落の現場までいってみたんですが、何もなかったんです」
『たしかに、撮影日時を検証してみると、その時間に軍の機体の飛行は記録されていない。では、これは、一体なんなのだろう?そして、我々はついに、火星人の又従兄弟であるという男のインタビューに成功した!』
「…………」
「ね、ね?すごいでしょ」
「……」
かつての鳥谷少年は、謎のUFOを目撃したらしい。それの真偽はどうあれ、彼は、小崎とは別の形で、宇宙の魅力に取りつかれたのだろう。映像を切るときの小崎は、そんな、理解ある恩師との巡り合いを改めて感謝しているようだった。
「いい先生だったじゃないか」
と、タケルが言うと、
「言うと思った」
彼女は、一度だけ鼻をすすった。
* *
帰り道、ふと解消できていない疑問をタケルは投げかけた。
「先生が言ってた、小崎の不安要素って何だったんだ?聞いてないの?」
小崎は、彼氏を握る手に温かい力を込めて、笑った。
「ああ、あれはクリアできたから、全然いいの!」
「…答えになってないんだけど」
小崎の欠点は、枚挙に暇がない。
それでもなお、彼女の夢に障害となるものを先生が見出していたのなら、タケルにも関心があった。
「だからー。もういいんだって」
小崎はケラケラと笑って、身を寄せてきた。
「腹減ったー!ニンニクたっぷりのハンバーグたべたい!」
「おー、いいな」
小崎は、学び舎を振り返ることなく、歩みを速めた。
* *
「お前の不安要素はな・・・。セクハラに近くなってしまうから聞き流してほしいが」
先生は額をテカらせつつも、言いあぐねていた。
「この際なんでも言ってください」
「じゃあ、言うが」
と、先生は咳ばらいを一つした。
「どんな天才や秀才も、一人で成し遂げることは不可能だ。必ず、支えとなる存在が必要になるし、多くの人間は、そうしている。守るべきもの、守られている安心があってこそ、人は孤独な努力に正面から向き合える。お前は、大人になって以降が、どうも不安だ」
そこまで聞いて、小崎は顎に手を重ねた。
「ふむ。つまり、私は結婚できそうにない、と」
「欠点のない人間などいないが、お前の魅力を理解する男は、だいぶハードルが高いぞ」
先生の結論はそこだった。
「大丈夫ですよ!こっちから好きって言いますから!」
「なにもわかってないな、お前」
小崎は、ボサボサの髪をかき上げて、
「約束です。彼氏できたら、このオタク部屋に連れてきますよ」
「オタク部屋じゃない!俺の準備室だ!」
少女はそれを聞き流し、かつて職員室でしたような覇気で、「失礼しました!」と言って扉を閉め、ハゲタニ先生の準備室を後にした。
ほしのうえでめぐる
倉橋ユウスの漫画「ほしのうえでめぐる」のプロットを校正したものです。突然回想に入るのは、その構成の都合になります。とんだお目汚しです。