異世界が来い!レベル無限のリトライ英雄譚
Fin - 0 デッドエンド
人生の最期は美しいものだと思っていた。けれど、俺の人生はあっけなかったんだ。
美しくなんてないんだ。
昨日学校の帰り道に蹴っ飛ばした道端のいしっころが次の日には見当たらない。
きっと、そんな感じなんだ。
少年は神を名乗る少女と対峙する。
その眼光は鋭く、ただじっと彼女を捉えた。少女も同じように目線を交わした。
あどけない双眸が慈愛に満ちた表情で少年を見つめていた。
少年は腰に差した鞘から剣を抜く。夜を映し出したかのような真っ黒い刀身がギラリと煌めいた。
少女も同様に剣を抜いた。少年の持つ剣とは対照的な雲のように透き通る白刃。
二人は言葉を交わした。
少年はしんと静まり返った世界に轟く怒号。少女はそれを包み込むような優しさを響かせた。
やがて、二人は切っ先を向け合い、その剣を振るった。
「行くぜ、女神様」
「おいで、私の騎士様」
それは彼女が見た悪夢。
それは勇者たちが生きた現実
少年は少女の胸にピリオドを打つ。
0-1 夢の終わりと始まりの朝
世界は終わらない夢を見ていた。
その夢はあまりにも長く、そして、悲劇に満ちていた。
誰かにその夢を終わらせてほしいと強く願っていた。だが、彼は独りぼっちだった。
膝を抱え、いくつも見える人々の平穏と不穏を見ていることに嫌気が差したのは、人類が地球の顔を蹴り上げ、のうのうと闊歩し始めて二〇〇〇余年が過ぎた頃だった。
目が覚めるとカーテンから射し込む光がじりじりと顔を焼いていた。
その熱から逃れるように身をよじると布団を巻き込みながら、高杉陽太の体は床に落ちていった。
のんびりとした落下と突然現れた浮遊感に頭がクラクラした。
陽太はむくりと顔を上げた。
あれ。
いつの間に家に帰ってきたのだろう。
昨日の出来事を思い出すことが出来ない。
学校が終わり、友達と遊んで、そして、どうしたっけ。
まだ微睡から冷めきっていない陽太はぼんやりと考えた。
「陽太!朝ごはん食べなさい!」
突如ふすまを突き破るような勢いで現れた高杉凛子は思考を遮るような怒鳴り声をまき散らした。
「あ、はい」
弟という生物にとって、姉という存在ほど恐ろしいものはない。何といっても職権乱用の第一人者と言っても過言ではない。
姉という職権は下っ端の弟にとっては親という職業よりもよっぽど脅威である。
「陽太、今日パパとママはいないからね」
去り際に凛子はそう吐き出した。
別に親がいない日を喜ぶ者はいても不満に思う者はいないだろう。
これで今日は深夜までゲームが出来るぞ。
「ゲームは二〇時までね」
陽太の思考を読み取ったかのように先手を打たれた。時間はまだ朝の七時だ。
何も十三時間後の話を今しなくてもいいだろうに、朝から憂鬱な気分が足元から這い上がってきた。
「父さんと母さんどうしたの?」
椅子に腰を下ろしながら尋ねる。
凛子はフライパンの上の目玉焼きを陽太の目の前にあった皿の上に乗せた。
テレビに聞け、とばかりに凛子はリモコンを陽太に押し付けると何も言わずに炊飯ジャーと向かい合った。
その背中をじっと睨むのにも飽き、陽太は渋々リモコンでテレビに狙いをつけた。
奇妙な映像が流れた。
ハンディカメラで撮った映像だろう。荒い画質の中で夜の闇が闊歩している。そして、その向こうではゆっくりと動く獣のような姿が見える。
人間とは違う動きをするそれが何なのかは映像からは判断できなかった。
動物とは違う。もっと早い。そして、刺々しいシルエットが見える。
「クマだって」
そんな馬鹿な、という言葉を飲み込み、代わりに味噌汁をずずずと啜った。
「すぐ近くなんだってさ。パパとママは今日一日捜索活動と夜は見回りしてから帰るってさ」
高杉夫妻はそろって警察官だ。といっても、映画やドラマに出てくるような堅物夫婦ではない。
のほほんといつも過ごしている。平和な街なのだ。たまにこうしてクマが下りてきたとかくらいにしか活躍の場がないのだ。
そんなときはいつも二人そろって制服に身を包んで街の中を歩き回る。
制服デートと母ははしゃいでいた。今日もそんなテンションでいそいそと準備をして、二人で仲良く手を繋ぎながら出勤したのだろうと予測する。
「あれってホントにクマなの?」
「あんたみたいなお子ちゃまがそんなこと考えたって仕方ないでしょ。私も今日は遅いからね」
やれやれと嘆息を吐き出すと共に姉は告げた。
「え、夕ご飯は?」
凛子は大学生だ。陽太の記憶では凛子のバイトのシフトは休みだ。
「昼間のうちに作って冷蔵庫入れとくから帰ったらチンして」
凛子の料理はお世辞にも上手とは言えない。ましてや冷めたりしたら食べられたものではない。
「わかった」
だが、それを言ってしまえば竜の逆鱗に触れるよりも恐ろしい目に遭うことは明白だった。
陽太は自分自身が賢くなったと頷きながら、今日はカップラーメンで済ませようと心に決めた。
「あ、カップ麺切れてるから、ちゃんと食べるのよ」
インスタント麺というものは文明の利器だ。文明社会に生まれ落ちたにも拘わらず、今日は原始的な夕飯が待っているのだと思うと返事をする気にもなれなかった。
「食えよ」
じっと睨み付けられ、陽太は観念したように首を縦に振ることしか出来なかった。
高杉陽太の通う中学校は元々市内で一番のマンモス校だったそうだ。だが、市の区画整理や子供の教育環境強化により周囲に中学校が増えていき、生徒たちは分散された。
今では巨大な校舎が目立つばかりで、生徒の数は一番少ない。やがて廃校に追いやられるのだろうということは陽太の目にも明らかだった。
一階には一年生の教室が乱暴に詰め込まれ、二階はニ年生。三階が三年生の自由の城という形を成している。
陽太は二年生なので二階の教室を目指す。小学校を卒業したばかりの落ち着きのない幼児たちが阿鼻叫喚している教室の前を通り過ぎ、動物園と化した二階の廊下へと到達する。
「おはよう、陽ちゃん」
階段を上り切ったところに立っているのは幼馴染の樹美鈴だった。
中学生にして乳お化けというあだ名を男子から与えられた名誉ある乳房を隠すように胸の前でカバンを持っていた。
美鈴とは幼馴染だが、決して家が近いわけではない。幼稚園の頃に知り合い、たまたま送り迎えのバスが一緒だったから、という理由でよく話すようになった。小学校でも違うクラスになった時でも美鈴は陽太の後を追いかけていた。
「おはよ、美鈴」
陽太はそう言いながら美鈴の頭を撫でた。
彼にとっては美鈴というのは妹のような存在だ。いや、どちらかというと犬だ。
飼い主が現れるのをいつもの場所でじっと待って、飼い主がやってくると嬉しそうに尻尾をぶんぶん、もとい乳をぶるんぶるん振り回すのだ。
思春期である。いくら妹のような存在と思いつつも陽太はとっさに視線を逸らした。
「陽ちゃん、陽ちゃん、昨日ねぇ、クッキー焼いたんだよぉ」
足を止めない陽太を追いかけ、そこが居場所とばかりに美鈴は陽太の隣を確保した。
美鈴はほとんど毎日お菓子作りに熱中している。
女子力高めの乳お化けは、その糖分をもう少し脳に与えるべきだと思う。
成績は悪いし、運動も下手。上手に表現は出来ないが、いつもふわふわしたような雰囲気でニコニコしている。
姉の高杉凛子が美鈴と同じ性別であるということをたまに忘れるほどだ。
「ね、食べてみて!」
そう言って美鈴はカバンの中から誇らしげに袋を取り出した。
女子力高めの乳お化けはこういったところまで女子だなと思わせる。
毎日陽太に餌付けてくれるのはありがたいが、そんなピンクの可愛らしいリボンのついた袋を押し付けてくれるのは、正直恥ずかしい。
いつもなら奪い取ってそそくさとカバンにしまうのだが、たまたま見知らぬ男子がニヤニヤしながら、こちらを見ているのを見てしまった。
「いいよ、放課後に食うから」
美鈴の手を押さえつけ、袋を取り出すのを阻止した。
「え、でも、え、放課後?」
キョトンとした顔で逡巡。美鈴の頭のてっぺんに浮かんだ疑問符が現れたと思ったら消えた。
「いいよぉ。じゃあ、今日は陽ちゃんちでお菓子パーティだね」
「え、俺んち?」
昔はよく美鈴は陽太の家に上がり込んだ。だが、それは小学生の頃だ。まだ乳お化けではない頃なのだ。
美鈴の胸が成長するに合わせて凛子の目はいやらしい目になっていき、二人でいると陽太の部屋を勝手に覗き込もうとするくらいだ。
「がんばれ、童貞」
と言われた時は意味を分かっていなかったが、今となってはその言葉の意味もしっかりと分かる。
そんな凛子の励ましが頭の中で反芻した。
「だめなの?」
美鈴は唇を尖らせて、少し拗ねたように陽太を見上げた。
「姉ちゃんがいるし」
それを言うと美鈴はいつもなら、お姉さんに会いたいと喚き散らすのだが、今日の美鈴はいつもと違った。
「じゃあ、私と二人になりたいの?」
「バ、バカ言うな」
予想外の言葉。そして、その言葉の淫靡な響きに陽太の顔がみるみる内に赤くなった。
それを見て美鈴はけらけら笑いながら、陽太を置いて教室へと飛び込んだ。
女子の成長は早いと聞く。
乳お化けなら、なおさらなのかもしれないと思った。
0-2 夢と現実の狭間を生きる人
ニュース見た?
うん、近くの山だって。
あれホントにクマ?
わかんないけど、すげぇ形してたよな。
うんうん、お化けかな。
お化けなんているかよ、宇宙人かも。
そっちの方が嘘くさい。
でもさ、どっちにしても見てみたいよな。
「おい、そこ!授業に集中しろ!」
はーい、と気怠そうな声が響いた。
クラスではそこかしこでニュースの話題でもちきりだった。
思春期の多感な時期である。未知との遭遇を嬉々とする者は多い。
当然、高杉陽太もその一人である。興味ないようなそぶりを見せながらも、耳はしっかりと聞いていた。
やはりアレをクマと見ていた者は誰もいないのだ。だから、といって漫画の主人公のように探しに行こうなどという思考回路にはならなかった。
素っ気ないふりをしているのは陽太と隣の席に座る月野卓郎の二人だった。だが、陽太には月野が一番ワクワクしているのだろうということが手に取るように分かった。
月野は小学校の頃から厨二なのだ。中学二年生になってようやっと成りを潜めるようになったが、その頭の中身は小学校の頃から進歩していない。
一生懸命黒板に描かれた小汚い文字をメモしているふりをしているが、おそらく近所の山に現れた生物の絵でも描いているのだろう。
想像するに皮膚は黒く、目は赤い。後ろ脚は小さく、前足はゴリラの腕のように太く鋭い爪を持っている。挙句吹き出し付きで「深淵の闇が・・・」とか書いているに違いない。
それが上手であればまだ見られたものだが、よく絵を描く癖に月野画伯の画力は幼稚園の頃から進歩していない。
容姿端麗、成績は下の下、運動音痴。中学一年生にしてモテ期を謳歌すると同時に性格に難ありという烙印を押された挙句に男子から敵視されている。
彼曰く「一般人には我が放つ仰々しくも禍々しい気を気取ることは出来まい。しかし、その邪気を何かとはわからずとも感じ取ることは出来るのだろう」と不敵に笑っていたが、そんなことを無邪気に言えるのは彼くらいだ。
そんなことを思い出しながらぼんやりと月野の横顔を見ていた。
それに気づいた月野は過去のモテ期到来を彷彿とさせるような爽やかな笑みを浮かべて見せたが、彼の頭の中は深淵よりも闇が深い。いや、むしろ明るすぎてまぶしいと表現した方がいいのかもしれない。思わず目を背けるという意味では闇よりもしっくりくる。
今年の春もその爽やかな笑みを校内で振りまいてしまったがゆえに貴重な紙資源を月野の下駄箱に投函するという暴挙に及んでしまった女子生徒が多かった。
ひぐらしが鳴き始めた頃、月野がピンクの便箋を破り捨てるという行為を目撃する回数が減り始めたが、いまだに彼が放課後に女子生徒から体育館裏へと拉致される姿は目撃される。
どんな断り文句を並べているかは知らないが、彼の特殊なキャラのおかげで失恋の傷は浅いように見える。
クラスメイトの中には彼の毒牙に自ら掛かった者もいる。
星宮灯里はボーイッシュで男子よりも女子にモテるタイプだ。
背が高く運動が出来る。女子バスケット部のエースでもある。
ショートヘアの似合う美人なのだが、男子よりも男気のある姿が女子からの人気のタネらしい。
一時期は星宮も同性愛者という疑いを掛けられたこともあったが、陽太の失言により男子からの人気が急上昇中だ。
小学校からの付き合いで美鈴とも仲がいい。それだけの関係だったのだが、先日の誕生日に美鈴と共にプレゼントを贈ったのだ。
ボーイッシュとは程遠い愛らしい女子が好きそうなぬいぐるみをプレゼントしたのだ。
ただタイミングが悪く、さっさと済ませてしまおうと投げやりに陽太はプレゼントを渡すことになった。
それも美鈴の計らいで陽太と星宮に仲良くなって欲しかったらしい。
教室のみんなの視界にばっちり入るポジションで、差し出されたぬいぐるみを美鈴が選んだ、というフレーズ付きで手渡すと星宮は学校で守り続けてきたキャラクターを崩壊させた。
まるで、幼い少女のようにぬいぐるみを抱きかかえ、頬を朱に染めて小さな声でありがとうと述べていた。
どきゅーん、と心臓を撃ち抜かれた男子は多い。もちろん、元々確固たるものだった女子からの株も過去最高値へと達した。
それ以来男子からは尊敬と愛嬌を込めて筋肉乙女と呼ばれているが、本人にそれを面と向かって言うと彼女の隆々とした筋肉の洗礼を受けることになる。
そんな筋肉乙女は不運にも月野の後ろになった。
誰もが星宮のような女が深淵の使者を名乗る月野の毒牙に掛かるはずはないと思っていたのだが、月野の何気ない乙女イチコロスマイルの餌食になってしまった。
その事実を知っているのは星宮から直接恋愛相談を受けた美鈴と、それを美鈴から聞いてしまった陽太だけだ。
「なぁ、陽太」
ふいに体を乗り出して月野はにやりと笑った。
嫌な予感がした。月野のノートの端っこに見える赤い目をしたゴリラが深淵を歌っている。
「今宵は魔物退治と洒落こむぞ」
0-3 悪夢への切符
「ホントに行くの?」
放課後という時間はあまりにも退屈である。だからといって部活動に勤しむほど、熱血的な青春を送るつもりはない。
何しろ月野卓郎が暇を持て余すのだ。彼の相手を出来るのは高杉陽太くらいのものだ。
放課後という時間。何となく樹美鈴と二人きりになることを嫌がった陽太は月野を家に招き入れた。
月野の私服は基本が黒だ。そして、年中膝まで覆うような薄手のコートを身にまとっている。
最近はシルバーアクセサリにも力を入れている。おかげで目がちかちかする。
一時期眼帯にもハマっていたが、遠近感がつかめないとかでよく何もないところで転んで膝をすりむいて半べそになったことがあったが、その一見以来顔には装飾の類はない。
ちなみに、ピアスをするという話もあったのだが、痛そうだから、という理由で却下したらしい。
陽太の自室へとたどり着いた三人は足を崩して美鈴が用意したクッキーを頬張っていた。
ちなみに陽太と美鈴は制服である。
「あぁ、アイツは俺を待っている」
むしろ待っていたのはお前だろうと陽太は心の中でツッコんだ。
「まぁ、俺が行かなくてもコイツ一人で行くっていうだろうし、ついてってやらないとさ」
美鈴は危ないと言いながら胸の凶器を振り回して制止したが、二人は明後日の方向を向いて断固として美鈴の意見を取り入れなかった。
月野が行くというのは当然としても、本来なら陽太が行く必要性はない。だが、月野は元々厨二だとしても、陽太は現役の中二なのだ。
大人の階段を上ることよりも未知との遭遇に対する興味の方がよほど心を動かされるのだ。
ましてや両親も口やかましい姉の凛子もいない。
思春期の少年時代は怪しく見えるものほどまばゆく見えるものなのだ。
「えー、じゃあ、私も行く」
二人の説得を断念した美鈴はにへらと笑った。
「やめておけ、俺とあいつの戦いに巻き込まれたらお前は死ぬぞ」
戦うつもりなどさらさらない陽太はため息を吐き出した。
「お前が来ると月野が本気を出せないんだよ」
厨二力の本気を出した月野を見た者は陽太以外にいない。なぜなら、月野にわずかに残された羞恥心が他者の目に怯えているからだ。
そうだ、とばかりに月野は胸を張った。
それを見て美鈴は憮然として二人を睨んだ。いつもの美鈴ならば、あっさりと諦めていただろう。だが、最近の女子の成長は早いのだ。
「おっぱい触ってもいいよ」
バッと二人の顔が美鈴の顔を見て、一瞬視線が下に落ちるのをかろうじて回避した。
「な、なんて魔力だ」
逃げるように視線を落とした月野は息も絶え絶えにつぶやいた。
まったくもって同意だ。意識をしていなくても視線が重力に引っ張られるかのようだ。
「いつの間にこんな味な真似を」
悔しそうに月野は手で顔を覆っていたが、すでに魔法にかかっていたようだ。
指の隙間から恍惚とした表情を浮かべる月野の目が見えていた。
「ホントだよ」
チンチンとかウンコとかそんなことでなら爆笑できるのだが、目の前にぶら下がったおっぱいでは爆笑よりも羞恥心がこみ上げてくる。
陽太の羞恥心のリミッターを知り尽くした美鈴にとって、今の陽太は扱いやすい。
にやりと意地悪に笑みを浮かべると乳房の魔女は畳みかける。
「じゃあ、にらめっこで勝ったら連れてって」
勝機が見えた。
いくら羞恥心の芽生えた男子にとって女子の胸囲に脅威があろうと顔の造形を変える程度容易いことだ。
「いいだろう、貴様に異形なる者の真の恐怖を教えてやる」
いつもの調子に戻った月野はくくくと笑って右手を震わせた。
「いくよー」
のんびりとした調子で美鈴は声を上げた。
「笑うと負けよ」
リズムよく響く歌声と同時に美鈴の動作に気が付いた。
「月野!やめろ!」
「見ていろ!陽太!これが忌み嫌われた禁忌の力、すかるふぇい!?」
あっぷっぷ、のリズムに合わせて美鈴は胸を寄せた。ただでさえ破壊力のある兵器である。
目の前で戦闘力が爆発したのだ。至近距離にいた月野のダメージは相当のものだ。
「ぐっへぇあ」
月野は耳まで真っ赤にして仰向けに倒れた。両手で顔を覆い隠し、ぴくぴくと悶絶している。
「俺の屍をこえていけ」
がくっと項垂れ、思い出したようににへらと顔をだらしなく崩していた。
負けてはいられない。
月野の死を無駄にしてはいけないと言い聞かせ、陽太は魔女と対峙する。
胸を寄せる程度なら耐えられる。美鈴の弱点も熟知している。
ゆえに先手必勝である。
「笑うとまっけよー」
月野を倒したことで美鈴はより一層活気づいている。さながらダンジョンのラスボスだ。だが、しょせんRPGに用意された程度の敵である。
倒せぬはずがないのだ。
「あっぷっぷ」
先手必勝。
目の端と口と鼻の穴に指を突っ込み引き裂くような勢いで引っ張り上げる。
ボスの攻撃はワンパターンだ。想定済みの行動に臆すような勇者ではない。
一瞬の沈黙。
美鈴はにこにこしているだけで笑わない。陽太は涙がにじみ出るほどに目を見開き、真正面から勝負している。
仰向けに倒れたままの月野はそれを目撃した。
まるで、流麗な線が弧を描くような優雅な動作で美鈴は指先を翻した。
「いかん!防御呪文を唱えろ!」
そんなん言えるか、と心の中でツッコミ、そして、彼の言葉の意味を理解するのが遅かったことに気が付いた。
「ぐっへぇあ」
まさか、チラリズムだと。指先を胸元の隙間に滑り込ませ、下着が見えるか見えないかのところまで引っ張った。それだけならまだしもトドメは谷間の小さなホクロだ。
陽太は少しマニアックだった。
見事二人を打ち負かした美鈴はガッツポーズを取り、魔物退治への切符を手に入れることに成功した。
0-4 チュートリアル終了のお知らせ
「ホントに行くの?」
放課後という時間はあまりにも退屈である。だからといって部活動に勤しむほど、熱血的な青春を送るつもりはない。
何しろ月野卓郎が暇を持て余すのだ。彼の相手を出来るのは高杉陽太くらいのものだ。
放課後という時間。何となく樹美鈴と二人きりになることを嫌がった陽太は月野を家に招き入れた。
月野の私服は基本が黒だ。そして、年中膝まで覆うような薄手のコートを身にまとっている。
最近はシルバーアクセサリにも力を入れている。おかげで目がちかちかする。
一時期眼帯にもハマっていたが、遠近感がつかめないとかでよく何もないところで転んで膝をすりむいて半べそになったことがあったが、その一見以来顔には装飾の類はない。
ちなみに、ピアスをするという話もあったのだが、痛そうだから、という理由で却下したらしい。
陽太の自室へとたどり着いた三人は足を崩して美鈴が用意したクッキーを頬張っていた。
ちなみに陽太と美鈴は制服である。
「あぁ、アイツは俺を待っている」
むしろ待っていたのはお前だろうと陽太は心の中でツッコんだ。
「まぁ、俺が行かなくてもコイツ一人で行くっていうだろうし、ついてってやらないとさ」
美鈴は危ないと言いながら胸の凶器を振り回して制止したが、二人は明後日の方向を向いて断固として美鈴の意見を取り入れなかった。
月野が行くというのは当然としても、本来なら陽太が行く必要性はない。だが、月野は元々厨二だとしても、陽太は現役の中二なのだ。
大人の階段を上ることよりも未知との遭遇に対する興味の方がよほど心を動かされるのだ。
ましてや両親も口やかましい姉の凛子もいない。
思春期の少年時代は怪しく見えるものほどまばゆく見えるものなのだ。
「えー、じゃあ、私も行く」
二人の説得を断念した美鈴はにへらと笑った。
「やめておけ、俺とあいつの戦いに巻き込まれたらお前は死ぬぞ」
戦うつもりなどさらさらない陽太はため息を吐き出した。
「お前が来ると月野が本気を出せないんだよ」
厨二力の本気を出した月野を見た者は陽太以外にいない。なぜなら、月野にわずかに残された羞恥心が他者の目に怯えているからだ。
そうだ、とばかりに月野は胸を張った。
それを見て美鈴は憮然として二人を睨んだ。いつもの美鈴ならば、あっさりと諦めていただろう。だが、最近の女子の成長は早いのだ。
「おっぱい触ってもいいよ」
バッと二人の顔が美鈴の顔を見て、一瞬視線が下に落ちるのをかろうじて回避した。
「な、なんて魔力だ」
逃げるように視線を落とした月野は息も絶え絶えにつぶやいた。
まったくもって同意だ。意識をしていなくても視線が重力に引っ張られるかのようだ。
「いつの間にこんな味な真似を」
悔しそうに月野は手で顔を覆っていたが、すでに魔法にかかっていたようだ。
指の隙間から恍惚とした表情を浮かべる月野の目が見えていた。
「ホントだよ」
チンチンとかウンコとかそんなことでなら爆笑できるのだが、目の前にぶら下がったおっぱいでは爆笑よりも羞恥心がこみ上げてくる。
陽太の羞恥心のリミッターを知り尽くした美鈴にとって、今の陽太は扱いやすい。
にやりと意地悪に笑みを浮かべると乳房の魔女は畳みかける。
「じゃあ、にらめっこで勝ったら連れてって」
勝機が見えた。
いくら羞恥心の芽生えた男子にとって女子の胸囲に脅威があろうと顔の造形を変える程度容易いことだ。
「いいだろう、貴様に異形なる者の真の恐怖を教えてやる」
いつもの調子に戻った月野はくくくと笑って右手を震わせた。
「いくよー」
のんびりとした調子で美鈴は声を上げた。
「笑うと負けよ」
リズムよく響く歌声と同時に美鈴の動作に気が付いた。
「月野!やめろ!」
「見ていろ!陽太!これが忌み嫌われた禁忌の力、すかるふぇい!?」
あっぷっぷ、のリズムに合わせて美鈴は胸を寄せた。ただでさえ破壊力のある兵器である。
目の前で戦闘力が爆発したのだ。至近距離にいた月野のダメージは相当のものだ。
「ぐっへぇあ」
月野は耳まで真っ赤にして仰向けに倒れた。両手で顔を覆い隠し、ぴくぴくと悶絶している。
「俺の屍をこえていけ」
がくっと項垂れ、思い出したようににへらと顔をだらしなく崩していた。
負けてはいられない。
月野の死を無駄にしてはいけないと言い聞かせ、陽太は魔女と対峙する。
胸を寄せる程度なら耐えられる。美鈴の弱点も熟知している。
ゆえに先手必勝である。
「笑うとまっけよー」
月野を倒したことで美鈴はより一層活気づいている。さながらダンジョンのラスボスだ。だが、しょせんRPGに用意された程度の敵である。
倒せぬはずがないのだ。
「あっぷっぷ」
先手必勝。
目の端と口と鼻の穴に指を突っ込み引き裂くような勢いで引っ張り上げる。
ボスの攻撃はワンパターンだ。想定済みの行動に臆すような勇者ではない。
一瞬の沈黙。
美鈴はにこにこしているだけで笑わない。陽太は涙がにじみ出るほどに目を見開き、真正面から勝負している。
仰向けに倒れたままの月野はそれを目撃した。
まるで、流麗な線が弧を描くような優雅な動作で美鈴は指先を翻した。
「いかん!防御呪文を唱えろ!」
そんなん言えるか、と心の中でツッコミ、そして、彼の言葉の意味を理解するのが遅かったことに気が付いた。
「ぐっへぇあ」
まさか、チラリズムだと。指先を胸元の隙間に滑り込ませ、下着が見えるか見えないかのところまで引っ張った。それだけならまだしもトドメは谷間の小さなホクロだ。
陽太は少しマニアックだった。
見事二人を打ち負かした美鈴はガッツポーズを取り、魔物退治への切符を手に入れることに成功した。
登場人物紹介 レベル0
高杉陽太 14歳
幼馴染の樹美鈴に弱い。また厨二病を否定しながらも、若干その傾向もある。
両親は警察官、大学生の姉の凛子にこき使われている
樹美鈴 14歳
乳お化けの異名を持つ中学二年生。その発育の良さから男子からの視線を総取りしている。高杉陽太と幼馴染で執着している様子がうかがえる。
月野卓郎
眉目秀麗、成績微妙、運動音痴の一歩進んで二歩下がるタイプ。現役で厨二病を患っているが本人は他人の目をあまり気にしていない。とにかく黒とか闇とかが好き。美月という妹がいる。
星宮灯里
女子バスケット部に所属する通称筋肉乙女。ショートヘアの似合う女子にモテる女子。恋愛経験などはないが、男子との交友関係も良好。
1-1 レベル1のペンシルナイト
物語は紡がれ始めた。
それを見ていた世界はにっこりと満足そうに笑った。暇つぶしには持ってこいだった。
誰も傷つかないし、誰も悲しまない。
それでいて傷つく恐怖に世界中が怯えるのだ。
これで人類は無駄な争いをやめるのだ。彼らがこれに懲りなかったら、またゲームをしてしまえばいい。
世界は笑っている。
終わらない悪夢が終わろうとしている。
高杉陽太は指先が震える感覚を楽しんでいた。ぐーとぱーを繰り返し、何度も押さえ付けようとするが両腕が、全身が好奇心にうずくのだ。
テレビ画面には下手くそな落書きなような字体で「ワールドオブナイトメア」という文字だけが浮かんでいる。
ロード時間のようなものだと思い、しばらく待っていた。だが、いくら待っても動かない。
いい加減待ちくたびれた。手の震えも全身の震えもどこかに吹っ飛んでいた。
不覚にも中途半端な良心の呵責が陽太にシャープペンを握らせていた。
金曜日までの宿題を終わらせようと思った。
テレビと向かい合い座布団を胸の下に敷いてうつぶせに宿題を始めた。
最も効率の悪い宿題のやり方である。何といってもすぐに腕が疲れるのだ。おまけに頭はゲームでいっぱいだ。
新発売のゲームをやる時だって、ここまで集中力を削がれたことはなかった。
ちらちらとテレビ画面に目を向けるが、一向にゲームは進行しない。
ついには宿題を終えてしまった。やれやれと嘆息を吐き出しつつ時計を見る。
すっかりお昼を過ぎていた。もう午後の授業が始まる時間だ。
こんなことなら学校に行っていればよかったと後悔した。きっと、月野卓郎ならば喜んで、この非現実を共有してくれることだろう。
樹美鈴も現実として受け入れることは出来ないだろうが、真剣に話を聞いてくれるだろうということは予想できた。
学校が終わったタイミングを見計らって連絡してみようと思った時だった。
ふいにインターフォンが鳴った。
日中の自宅訪問など決まっている。新聞の勧誘か保険の押し売りだ。
陽太はこほんと一つせき込むと迫真の演技で病人を演じ切ることを決めた。
「はい、今お父さんもお母さんもいませんよ」
先手必勝とばかりに声と同時に咳を吐き出す。返ってきたのは一瞬の沈黙と躊躇いがちの息遣いである。
『あの、高杉よね?』
遠慮気味に響いた声にわずかに聞き覚えがある。
慌てて寝癖を抑えつけて玄関へと飛び出す。
玄関の向こうには女子バスケ部のエースでクラスでは筋肉乙女と名高い星宮灯里の姿があった。
服装は制服だが、足元にはバスケットシューズを装備している。
ショートヘアの似合う部活少女がこんな時間になんの用なのか。
そんな疑問を感じ取りつつ、星宮は周囲を気にしながらもそそくさと陽太の家の中に上がり込んできた。
「ちょ、ちょっと」
陽太の制止の声も気にも留めていない様子だった。土足で部屋の中に上がり込むと陽太の自室へと一直線に向かった。
「な、な、なんだよ」
と、声を上げたのもつかの間。陽太は閃光のような速度でベッドへとダイブした。
そこには不覚にも男子のたしなみが顔を覗かせていたということをいまさらになって気が付いたのだ。
学友から押し付けられたような借りものだ。バレてはいないかと星宮の様子を伺ったが、星宮はテレビ画面にくぎ付けになっていた。
ほっと一息つくと本の表紙の上で妖艶に笑う裸体の女性の乳房に顔を埋めた。
「高杉、あんた、もう起動しちゃったの?」
腕の中の本を慌てて布団の中に突っ込むと陽太はベッドの上で正座した。
「な、なにを?」
キョトンとして問いかけると星宮は鋭い目つきで陽太を睨み付けた。
ぎょっとする間もなく星宮は殴り掛からんばかりの勢いで陽太の胸倉をつかんだ。
「あれ!ゲーム!」
ズル休みしてゲームをしていることを怒っているのだと思った。
それほどに陽太はパニックに陥っていた。なんといっても星宮の足元に一冊取りこぼしが落ちているのだ。
しかもよりによってショートヘアの似合う素人と書かれている。こんなものを見られたら、本当に殴られてしまう。
「ご、ごめん、ごめんなさ」
ベッドの上からつま先を伸ばす。だが、無慈悲にもつま先もかすりそうにない。ひたすらに足をピンと伸ばす。
素っ頓狂な陽気な音楽が聞こえたのと陽太が足を吊った痛みに苦悶の悲鳴を上げたのは同時だった。
痛みに悶絶しながらも、何とかショートヘアの似合う素人をベッドの下に退避させることに成功し、陽太は安堵のため息を吐き出した。だが、それとは裏腹にテレビ画面にくぎ付けになっている星宮の横顔は苦痛に悶えているかのようだ。
見られたのだろうか。
「いい?これ以上進めないで。私が全部終わらせるから、あんたは家に引きこもってな」
陽太の無駄な杞憂を知らない星宮は唾でも吐き捨てるかのような表情を浮かべ、乱暴な言葉を置き去りに玄関へと小走りで去っていった。
少なくともショートヘアの似合う素人は守られたようだ。
ふぅ、と一息つくと陽太は台所へと向かい、ペットボトルのコーラを取り出した。
ラッパ飲みは凛子にきつく禁止されていたが、経った今プライベート空間を荒らされた陽太にしてみれば、そんなもの些細なものだった。
「装備を選択してください」
テレビの画面に浮かんだ文字を見つめる。その下には項目がいくつも並んでいた。
一番上に剣、槍、弓、と言った基本的なものから杖やら水晶などと言った魔法使いが好みそうな武器まで並んでいる。
とりあえず、やっぱりRPGと言えば剣だろう。月野にそんなことを言えば凡庸すぎると一蹴されそうなものだが、剣士という響きこそ至高なのである。
陽太は迷わず剣を選択した。だが、ゲームは随分と細かいところまで求めていた。
剣の種類まで選ぶことを望んでいるのだ。
直剣、曲剣、といったものからレイピアや刀まである。
一刻も早くゲームをプレイしたいと思った。それ故に陽太は詳細を省くことにした。
直剣を選び、次の画面を待った。
次に画面に映ったのは陽太の視界そのものだった。まるで、陽太の目玉がカメラにでもなったかのようだ。
目を動かせばテレビの中に映る景色も同じように動いた。
そこに映るのは今まさに陽太の目の前に映るものだ。
「ベースとなる武器を選択してください」
もう選んだじゃん、とばかりにふてくされた。
その上、今まで選択肢形式だったにも拘わらず、今度はその文字がうっすらと見えるだけで選択肢のようなものは出ていない。
コーラに目を向け、次に宿題のノートに目を向けた。開いたままのノートにはシャープペンシルが寝転がっている。
何の気なしにシャープペンシルを手に取った。
コンビニで一〇〇円程度で販売されているシャープペンシルである。
ずっと握っていると指は疲れるし、たまに詰まる。
これはないな、と頭で否定すると同時に目の奥がきゅっとなった。
カメラのシャッターを切る時のような動きに似ている。ハッとしてシャープペンシルを落として、何度も目をこすった。だが、気のせいだったのか、目はなんともなかった。そして、テレビ画面には先ほど陽太が手に取ったシャープペンシルの画像が映し出されている。
そんなもの武器のベースにされてたまるものかと慌ててキャンセルボタンを押した。つもりだった。
気が付くと画面は次の画面へと進んでいた。
ゲームの最中に手を放すとたまに決定ボタンとキャンセルボタンを間違えてしまうアレだ。
慌ててキャンセルボタンを押すが、時はすでに遅かった。
ごとん、と音がして、その方向へと目を向けるとシャープペンシルがどこかに行ってしまっていた。
その代わりとばかりに黒い刀身の剣が、そこに寝転がっていた。
「・・・」
何度も目をぱちくりとまばたかせた。口は半開きで、部屋の端っこにあった姿見に間抜けな自分の姿を見て、ようやっと我に返った。
まるで、シャープペンシルをモデルにした剣のようだ。
芯が黒い刀身へと姿を変え、指を支える滑り止めのゴムは剣の柄に変わっている。そのほかの装飾は鍔に凝縮されているようだ。オレンジやら青やらの鮮やかな色合いが、鍔で混ざり合って竜のシルエットのようにも見える。
手に持ってみれば、その軽さは元々の大きさと何ら変わらない。頑張ればペン回しだってできそうだ。
陽太の身長の半分ほどの長さを誇るそれは見た目とは裏腹に軽々と持ち上げられ、しっとりと手に馴染むようだった。
「ナビゲーターを装備します。しばらくお待ちください」
そんな言葉が画面に映るとほぼ同時だった。突然左腕に痛みが走った。
視線を向けるとそこには身に覚えのないデジタル式の腕時計が取り付けられている。
大きな画面には何も映っていない。外枠には「ワールドオブナイトメア」という下手くそな刻印が刻まれている。
「ナビゲーターの指示に従って行動してください」
その文字を陽太が読み終えると同時にテレビの電源がぶつんと切れた。
代わりにナビゲーターが音もなく産声を上げたのがわかった。
腕時計にしては大きな画面には「その他の装備を三つまで選択できます」と表示されていた。
武器は選択できないらしい。
頭、肩、腕、腹部、腰、脚部、靴、の選択肢がある。
股間を真っ先に思ったが、いきなりパンツがシャープペンシルのように変形しても滑稽である。
陽太は腕を選択する。
操作はスマートフォンと一緒だ。指先でタッチして選択する。
腕を選択し、右腕、籠手を選択する。
せっかくシャープペンシルが剣になったのだ。どうせなら文房具でそろえてしまおうと思った。
籠手に選んだのはコンパスだ。陽太が持つ文房具の中で唯一鉄製のものである。
そのうえ、切っ先は尖っていて武器にも使える。
その選択は正解だった。右腕を覆う青いコンパスはがっちりと腕を守ってくれた。
重さもほとんど感じない。全体の重さは元々の物体の重さを反映するのだろう。
続いて二つ目だ。
陽太はまたしても腕を選択する。先ほどは右腕、今度は左腕を選択する。
形状は盾、ベースは折り畳み式の定規である。
なぜ籠手は防御力を重視したにも関わらず、盾は定規なのか。
それは折り畳み式というところがポイントである。それすらも反映されるのであれば、と陽太はわくわくしながら定規が変形するのをじっと待った。
案の定、盾は折り畳み式の形を要した。手動で展開しなければならないというデメリットを除けば、軽い上に目立たない。
剣と違って日常的に装備することが可能であるということを理解する。
さて、これで二つがそろった。
問題は三つ目である。
腕を守るということは最初から決めていた。だが、そのほかにどこを守るべきか。
やはり、股間、という選択肢が浮かんだが、なんとも滑稽だ。
改めて全身を見る。
鏡の前に立つと大事なものがないことに気が付いた。
鞘がないのだ。
陽太は腰を選択し、その中に鞘という項目を発見した。あとになって後悔したのは肩という項目にも鞘があったということだ。
肩に鞘をつければ背中から剣を抜くという流浪の剣士のような様を成すことが出来たのだが、それに気づくのは少し先のお話。
三つの装備を手に入れ、陽太は満足げにうんと一つ頷いた。
準備は完了した。
「レベル1.ターゲット」
そこに映しだされた映像に陽太は息を飲む。
グラウンドの土のような色をしたラグビーボールが人間を襲っている様がまざまざと映っている。
鋭い牙を剥きだしに画面越しに赤い目で陽太を睨み付けている。
昨日見た今日が、今日であるならば、それは今日の夜に出会うことが出来る。
陽太は確信をもって、剣を握りしめた。
1-2 レベル1のスタートライン
夜が訪れる。昨日見たはずのテレビ番組が流れている。展開も話題もやはり昨日見たままだった。
昨日はそこそこ笑えたはずだったのに、今日はくすりともしなかった。
高杉陽太は装備を改めて整えていた。
校則では自転車通学をする生徒は全員着用するようにと差し出された自転車用ヘルメットはあまりにもダサい。だが、身を守るには十分だった。
原色のような黄色いヘルメットを油性のマジックで黒く塗りつぶす作業は時間がかかった。
昨日過ごしたはずの今日の二〇時。予定の時刻までは十分に時間があった。
それなのに手が震えたのだ。恐怖からか高揚からかはわからない。だが、太いマジックで丸いだけのヘルメットを塗りつぶすという作業に必要以上の時間を取られてしまった。
時間を掛けただけで丁寧さはない。
当初の目的の時間まですでにいくばくもなかった。
軍手を握りしめ、履き慣れた運動靴につま先を突っ込む。靴ひもをきつく結び立ち上がった。
「魔物退治と洒落こむか」
自分自身を引き締めるように囁いた言葉と共に玄関を飛び出した。
昨日は三人だった。だが、今日は一人だ。
とてもじゃないが二人を巻き込むわけにはいかない。
一度失った命だ。怖いはずないじゃないか。
一人きりで訪れた夜の森はより一層深く暗い。地上を彷徨う仄暗い闇が目の前に横たわっている。
最初から見えていた。
森の奥深くに赤い瞳だけがぎょろぎょろと動いている。
獲物が近づいてくるのをただじっと待っているように体は微動だにしない。
陽太はそっと剣を抜いた。黒い刀身が闇の中でわずかに煌めいた。
どくどくと心臓が破裂しそうなほどに踊っている。剣を握る手にも心臓があるみたいだ。ビクンビクンと鼓動に合わせるように剣先が跳ねていた。
走る。
これは狩りではないのだ。モンスターとエンカウントし、戦闘態勢に入る。
コマンドを選択し、攻撃を当てればいい。
ただ、それだけだ。
物々しい足音に赤い目が陽太を捉えた。
戦慄が走る。
大丈夫。
勇者はレベル1だとしても敵を倒せるのだ。ましてや自分と同等のレベルだ。
負けるはずがない。勝てないわけがない。それなのに、足はすくんでしまった。
ぴたりと走ることを止めてしまった。
地面から伝わってくるじっとりとした恐怖に、陽太の足は根っこでも生えたかのようにビクともしなかった。だが、赤い目玉は刻一刻と迫ってきている。
足を振り回す姿に躊躇いなどない。ただ目の前の得物を捕食することだけを考えている。
自分が狩られるなどとは微塵も思っていないのだろう。
きっと、ついさっきまでの自分もそうだった。だが、目の前の対象が恐怖であるということを脳が理解してしまうと忽ち勇気はしぼんでいき、代わりに怯えた自分が顔を出す。
その自分と向き合ってしまった瞬間、体は石へと変わってしまう。
陽太はへっぴり腰で剣を目の前に突き出していた。両手でしっかりと掴んでいるはずなのに、剣先はぷるぷると震え狙いを澄ますことが出来ない。
赤い目は跳躍する。一つしかない目玉をしっかりと陽太に向けながら、狙いを澄まして口を開く。
ギラリと尖った黒ずんだ歯、そこから糸を引く銀色の体液。
陽太はしっかりと対峙し、目を放さなかった。そして、そのまま頭部は口の中に飲み込まれた。
まただ。再び今日がやってきた。
うんざりするような気怠さが全身を包み込む。昨日過ごした今日と違うのは、ナビゲーターが左手首で光っていることだった。
まるで、アラームか何かのようだ。画面の下の方に1という数字が書かれていた。
最初はこんな数字はなかったはずだ。その数字が意味するところはカウントであると推測する。
数字が並ぶことの出来る幅は二桁だけ。最大で99ということだ。だが、それが必ずしも99とは限らない。
それが10だとしたら。いや、9かもしれない。どちらにしてもカウントは始まっている。
このゲームはオートセーブを繰り返す。そして、ゲームオーバーになると最後のチェックポイントへと自動的に戻されるのだ。
もう一度戦えとそれは沈黙のまま命令を繰り返す。
時間が過ぎていく。今日は筋肉乙女と名高い星宮灯里の姿は現れなかった。
同じ今日が訪れているはずなのに、違う今日がやってきた。
違いが生じるのはなぜか。
高杉陽太は考えた。
初めて今日を迎える人間はその日の出来事を知らない。それ故に小さな物事一つで一喜一憂するのだ。だが、それを知っている人間は違う。
知っているからこそ同じ行動はとらないのだ。
星宮はそれを知っていた。だから、突然学校を休んだ陽太のことを気に掛け、突如として現れた。そして、同じ今日がやってきたはずなのに、彼女は現れなかった。
「陽太!朝ごはん食べなさい!」
雷のように響いた姉の凛子の声は三度目になるが、やはりびくりと心臓が飛びはねた。
朝食をそそくさと済ませ、陽太は装備をカバンにしまい込む。だが、剣はどうやっても通学用のカバンには収まりきらない。
渋々陽太は大きめのボストンバッグを用意した。宿泊研修の時に活躍して以来すっかり成りを潜めていたが、ようやっと再び活躍する場を得ることが出来た。
剣をしまい、それを覆うように籠手を重ね、隙間に盾を滑り込ませ、それらを隠すようにジャージとタオルを詰め込んだ。
ただジャージを持っていくにしては大層野暮ったく見えるが、この際人目を気にしている場合ではない。
陽太は通学カバンとボストンバッグを持って玄関を飛び出した。
そこにあるのはいつも通りの日常である。会社に向かうサラリーマンや小学校に向かう子供たちの群れ。
ありふれたものだ。とても今日の夜に少年が一人死ぬことになる街の光景とは思えない。
通学路には見知った人の姿はない。たまに月野卓郎と出会うことがあったのだが、やはり会うことはなかった。
当然だ。最初の今日も彼と出会うことはなかったのだ。
無駄な期待を抱いたことをため息とともに吐き出し、陽太は学校へと向かった。
動物園のように騒ぎ立てる一年生の教室の前の廊下を通り過ぎ、二階へと向かう。
「おはよう、陽ちゃん」
聞き慣れたほんわかとした樹美鈴の声が耳に入ってきた。
ふいに安堵がこみ上げてきた。いつも通りの日常が随分と懐かしく思った。
「おはよ、美鈴」
ふいに声が揺らいだ。まるで、長いこと悪夢でも見ていたかのようだ。
美鈴の声が聴けたという事実だけが、ただひたすらに嬉しかった。
「どうしたの?」
心配そうに美鈴は陽太の顔を覗き込む。その瞳を直視することが出来ずに、陽太は目をこすりながら顔を背けた。
「なんかゴミ入ったみたい」
必死に顔を隠したが声が震えているのがバレバレだった。だが、それでも理由を言葉にしない陽太を見て、美鈴はそれ以上追及しなかった。
「じゃーん」
美鈴は見せびらかすようにカバンからクッキーを取り出した。いつもなら学校でそんなものを渡されると嫌がっていたのだが、今はすんなりと受け取ることが出来た。
美鈴にとっても意外だったらしい。一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに満足そうに笑みを広げた。
「教室行こうか」
陽太が声を掛けると美鈴はうんと一つ首を縦に振った。
教室にたどり着き、陽太は自分の席ではなく、星宮灯里の元へ向かった。
普段見慣れない光景に誰もが不思議そうに二人を見ていた。
星宮だけが、それをわかっていたとばかりにじっと陽太を見つめ返した。
「話がある。ちょっと来い」
意味深な空気が教室中に充満する。毒ガスにも似た重たい空気の中、星宮は何も言わずに立ち上がる。
「陽ちゃん、何かあったの?」
不安そうに美鈴は尋ねた。
「すぐ戻るから」
それだけ美鈴に伝え、陽太は星宮と共に教室を出た。
廊下を直進する。二人は職員室とは反対の方向へと歩き出す。
非常階段へと通じる扉を開き、階段の踊り場で二人は対峙した。
二階の非常階段からは裏門が見える。ホームルームが始まろうとするぎりぎりに到着した連中が閉じられた裏門を飛び越えていた。
「高杉、あんたの今日は何日目?」
その問いかけに答える代わりに陽太はナビゲーターの画面を星宮の顔の前に突き出した。
「まだ一回目ね」
やれやれとばかりにため息を吐き出し、星宮は非常階段の手すりに凭れ掛かった。
「星宮は?」
星宮もまた問いかけに答える代わりにナビゲーターの画面を見えるように突き出した。
一八、という数字が目の前に表示されている。
「もう半月もこんなの繰り返してる」
星宮の顔には油性の太いマジックでウンザリと書かれていた。
「何が起きてるんだ?」
陽太の問いかけに星宮はしばらく考えるように口を閉ざした。
ホームルームの開始を知らせる鐘が鳴り終えると同時に星宮は語り始めた。
星宮も死から始まった。部活の帰り際に校舎の裏でラグビーボール頭の赤い目玉の化け物と遭遇した。
初日はそれで終わり。
再び星宮をこのループに導いたのは、やはりゲームだった。と言っても、星宮の家にゲーム機などない。
部活で帰りが遅くなることから持たされるようになったスマートフォンの画面にそれは現れた。
チュートリアルを終了しますか、という選択肢に縋る思いで、はい、と選択をした。
今になって思うといいえを選んでいれば、日常に帰れたのかもしれない。だが、ゲームは進行し、ロールプレイングゲームはリアリティを持って現実を侵食していた。
タイムリミットは深夜の〇時である。深夜の〇時までにモンスターに殺されれば、リセットされ朝に戻る。また〇時を過ぎても一緒だ。それまでどんなに遠くに逃げたとしても結局は始まりの朝へと戻る。そのほかに自殺や事故などで死んだ場合もゲームはリスタートされる。
「そうか、星宮の装備は?」
ただ気になった。だが、星宮はあきれたような表情を浮かべるだけだった。
「そこ?もっと、大丈夫?とか聞けないわけ?」
大丈夫そうじゃないか、という言葉は胸にしまった。
なにせ一八回も今日を過ごしているのだ。大先輩も同然だ。
星宮は渋々装備を見せてくれた。
武器の種類は鈍器、分類はモーニングスターと呼ばれる武器。本来なら持ち手から鎖で刺のついた鉄のボールと繋がれているものだ。ベースは女子バスケ部の星宮らしいバスケットボール。
防具は家で使っていたメガネをベースにしたゴーグルと手首を守るバンテージをベースにした籠手。そして、愛用しているバスケットシューズを防具として選択していた。
陽太もまた星宮に応えるように装備を見せた。
「これシャーペンなの?」
黒い刀身の剣を見て星宮は大層たまげたという顔をしていた。
当然だ。陽太だってシャープペンを武器に選ぶことになるとは思っていなかったのだ。
いまさらになって少しだけ恥ずかしいとすら思えたが、それを顔には出さなかった。
「耳赤いわよ」
耳は顔じゃない。うっかりしていた。
「それより、あれはなんなんだよ」
話題を逸らそうと表情に怒りを貼りつけたが星宮は毅然とした態度で淡々と言葉を並べた。
「名前なんて知らない。でも、アイツを倒すのが鍵なのは間違いない。ナビゲーターが表示するのは二つだけ。標的と死んだ回数。高杉も気づいたでしょ?これは二桁しか表示されない」
星宮は99までカウントがあると思っているようだ。実際にそれが99までカウントを数えてくれる保証はない。
「そうだね」
だが、すでに一八という数字をカウントしている星宮にそれを告げることは躊躇われた。
「早く帰りたい」
日常。その言葉が随分と遠くで聞こえた気がした。
二人はホームルームには戻らなかった。防具を体に身に着け、モンスターのいる場所へと向かっていた。
星宮灯里は一八という今日を繰り返し、赤い目の行動を把握していた。
道中、星宮は何も知らない高杉陽太に事細かに説明してくれた。
暗闇で赤い目と戦うということは無謀だと星宮は話した。あの目には光という概念はない。強いライトを当てて目くらましを試したことがあったが、気にも留めなかったという。
赤い目との戦いに適しているのは森ではない。赤い目の前足は実際のところ足ではない。人間のように五本の指が生え、それで枝を掴み、腕力を頼りに高速で移動する。
実際の足は後ろ足だけ。それは巨大な体躯を支えるには小さすぎて、平地では随分動きが遅くなる。
腕にさえ気を付けていれば傷をつけることが出来る。また、一度ゲームで作られた武器によってつけられた傷はループしても残る。
赤い目が片方しか開いていないのはその原理からだという。
「まずは平らな土地におびき出す。それまではひたすら逃げて。森の中で戦うことになったら、勝ち目はないから」
森の中ではモンスターは空を飛んでいるようなものだ。木から木へと飛び移る速度は人間の足では逃げ切れるものではない。
「じゃあ、逃げられないじゃん」
その矛盾を突くと星宮は高らかに笑った。
「私が囮になる。でも、万が一、逃げ切れなかったら森の中で戦うことも覚悟して」
さすがに慣れていると思った。一八回も死ぬ思いをしているんだ。実際に死んでいるのだし当然だ。
星宮の作戦は星宮が囮となり、モンスターをおびき出す。モンスターが森の中にいるのは一四時から一八時まで森を徘徊し、日が沈むと二人の通う学校まで一直線に向かい、再び暗くなると森まで戻ってきて深夜まで身動き一つせずに息を殺してじっと獲物を待つ。
モンスターを音でおびき出すことは出来ない。だから、星宮は自らモンスターの視界に飛び込み、後を追わせる形になる。
平地と呼べる場所に出るまでモンスターの立っている地点から一五〇メートル。モンスターが走り出すのは半径一〇〇メートル以内に入った時。
そこからは持久戦だ。森を走り抜け、平地へたどり着いたら選手交代だ。
まずは足止めだ。
いつも森を抜けたところで星宮の体は悲鳴を上げ、まともに戦うことが出来ない。なので、彼女が息を整えるまで時間を稼ぐ。一分も休めば十分に動けると星宮は宣言した。
先に死なれては意味がない。一分間だけ死なずに動きを止めてほしいという願望を陽太は受け入れた。
時間はまだ一〇時だった。この時間にモンスターは森の中にいない。現れるのは決まって一四時。
それまではモンスターがどこにいるのか星宮にもわからないという。
「ここから」
星宮はつま先で地面を削って線を引いた。そして、再び歩き出す。昼間の森の中は木漏れ日が指す幻想的な世界だ。
いくつもの光の柱が頭上から降り注いでいる。
星宮は先ほどつけた印から五〇メートルほど歩くと再びつま先で線を描いた。
「ここまでの距離」
実際に歩いてみると大した距離ではない。だが、命の危険を脅かす化け物と追いかけっこをするには長すぎる距離だった。
「私がここについたら合図する。高杉は」
そこから二五メートルほど後退する。近くにあった木の枝を拾い上げ、地面に突き刺した。
「ここにいて。私が合図をしたら高杉も逃げて」
そこがスタートラインである。
1-3 レベル1の作戦
星宮灯里が高杉陽太の部屋を訪れるのは二回目だ。
作戦実行まで時間があるということで、二人は陽太の家にやってきていた。
星宮の家は星宮が嫌がったために却下され、ファーストフードで時間を潰そうものなら店員に注意される。
一八回というループの中で星宮が最も求めたのは居場所だった。
いつもなら学校へ行き、時間を潰すのだがあまりにも退屈な日々に辟易していたところだという。
新鮮さを求めていたのだろう。星宮は陽太の家が今日は誰もいないということを嬉々としていた。
渋々彼女を家に上げることを承諾したのだが、陽太は動揺していた。
何しろ再び訪れた今日ではショートヘアの似合う素人と題された本はまだ隠れていないのだ。
なんてこったい。
下手をしたらこれから何度も顔を合わせるのだ。家族や友人にも話せない二人だけの秘密に結び付けられる。
もし、今日が再びやってくるとなると毎日のように星宮は陽太の家に来ることになるだろう。それも毎日軽蔑の視線を陽太に向けて。
そんな事態に陥る前にショートヘアの似合う素人を隠さねばならない。
「ちょっと待ってて」
玄関を開けるなり、靴を履いたままの星宮を置き去りに自室へと飛び込んだ。
まずはショートヘアの似合う素人だ。無造作に足で蹴り上げ、ベッドの下にたたき込む。
次は枕元に隠してある巨乳軍団だ。
おいしい若妻の召し上がり方、君と僕はビンビンビン、俺のカルピス苦いけど飲むか、エッチな幼馴染の大きなボイン。
もし、今日が終わればすべて焼き捨てよう。こんなもの筋肉乙女に見られたら大変だ。
「忙しそうね」
ハッとして振り返ると苦笑いを浮かべる星宮が部屋の入り口に立っていた。
見られてはいないはずだ。だが、見透かしたような表情で星宮はじっと陽太のことを見ていた。
重厚なプレッシャーが襲い掛かる。今にも罵詈雑言を吐き捨てられるような恐怖感が腹の底から這いあがってくる。
それはモンスターと対峙する時とは、また違う威圧感。まるで、すでに自分が敗北者であるかのような劣等感のおまけつきだ。だが、心は怯えているが確信があった。
本の類はすべてベッドと壁の隙間に隠しきった。ショートヘアの似合う素人もベッドの下で眠っている。
星宮の立っている場所からでは陽太の背中しか見えなかったはず。
「なんか飲む?」
上ずった声で問いかけると星宮はにっこりと笑った。
「苦いカルピスじゃないならなんでもいいよ」
見られていた。
高杉陽太は正座していた。
部屋の中央には小さな座卓が一つ。その上にはコーラの入ったコップが二つ置かれている。
星宮灯里は壁に背を凭れて漫画を読んでいた。
作戦決行までかなり時間がある。それまでの時間を会話もない空間で過ごすという地獄は陽太には酷であった。
今にも逃げ出したい。
いっそのこと装備に羽でも選択すればよかった。そうすれば今にも窓を開け放ち空へと飛び立つことが出来ただろう。
いい加減足もしびれてきた。
「そういえば」
沈黙を破るように陽太は口を開いた。漫画に目を落としていた星宮が不思議そうに顔を上げた。
よくよく見ると星宮は随分とまつ毛が長いことに気が付いた。
「えっと、なんで俺がゲームをしてるってわかったの?」
学校を休んだ日、星宮が乗り込んできた。そして、一人で片を付けると宣言して出ていった。
次の日には現れなかった。そして、再び訪れた今日には突然話しかけた陽太に驚く素振りも見せずにすべてを語ってくれた。
「なにか感覚的なものがあるのか?あいつはゲームしてるな、とか」
やれやれといった具合に星宮は漫画を閉じると陽太と向き合った。
「私は一八回今日を過ごしている。その中で人はみんな毎日同じことを繰り返すの。ずっと同じこと。同じ時間に学校に来て、同じ人に話しかけ、もう何日も前の昨日のテレビの話をしてる。でも、その中でも少しだけズレがあるの」
それはほんの些細なズレだという。例えば、授業中に消しゴムを落とした時に一昨日は右手の人差し指と親指で拾っていたのに、今日は親指と人差し指に加えて中指でつまみあげる。
そんな些細な気まぐれだ。最初は気のせいだと思ったし、見間違いだと思った。だが、そのズレは次第に大きくなっていく。消しゴムを落とさなくなり、授業中によそ見をしていて先生に怒られる。
「それが俺だったの?」
極めつけは学校を休んだこと。それにより星宮の中の違和感が確信へと変わったのだという。
「俺たちの他にもいるのかな」
他の仲間がいれば、モンスターを倒すことは容易である。だが、陽太の希望的推測を否定するように、星宮は首を横に振った。
当然だ。その希望を星宮が抱かなかったわけがない。毎日訪れる死のループに怯え、誰よりも他者からの救いを求めていたのだろう。
一八回という死を乗り越えた先でようやっと見つけた仲間なのだ。彼女にとって唯一同じ時を過ごすことの出来る人物だ。
これが本当にゲームであれば、ヒロインとヒーローの出来上がりだ。
「だから、逃げ出したりしないでよね」
少しだけ思い出された孤独を振り払うように星宮は軽快に笑った。
それに応えるように陽太も笑みを投げかけた。
二人が森へとたどり着くと時計は一四時五分を指していた。
森の中心に木々に紛れて動くモンスターの姿が見えた。月明かりの下で見た恐怖の塊とは少し違う。
それは漆黒の闇が奪ったリアリティに満ちている。
薄気味悪さというベールを纏った獣の赤い瞳がじっと高杉陽太を見つめていた。
日の下で見るモンスターの姿はまさに木のようだった。
犬よりも大きく、クマより小さな体躯。その体には不釣り合いな小さな後ろ足、それとは正反対の大木のような巨大な腕。体毛の生えていない学校のグラウンドの土のような色をした肌。質感は土というよりもごつごつした岩のように見える。
極めつけはやはりラグビーボールのような頭だ。その半分の面積を埋め尽くすような巨大な赤い瞳がぎょろぎょろと蠢いている。
その目には人間のような白目がない。眼球そのものが赤い瞳のようだ。
地面に突き刺さった枝の地点までたどり着いた。
陽太はカバンから剣を取り出し、鞘をベルトに固定した。
「ここで待ってて」
星宮灯里はそう言い捨てるとバスケットボールが入っていた袋から棒を取り出す。ジャラジャラと音を立てて鎖が顔を出し、その先端に刺のついたバスケットボールが現れた。
呼吸を整える。一歩、一歩、と近づくたびにモンスターは待っていたと言わんばかりに唸り声に似た低い声を震わせた。
星宮が距離を詰めれば詰めるほど、その声に歓喜にも感情が孕んでいくのがわかる。
それが爆発したのは、ちょうど星宮が引いた線を彼女自身が踏んだ時だった。
ゴリラのような歩行だ。腕を軸に体を持ち上げ、ブランコの要領で体を前へと押しやる。
傍の木に腕を伸ばし、爪を食い込ませるとその体を軽々と持ち上げた。
そのままもう片方の腕で別の木へと手を伸ばし、再度爪を食い込ませる。
それを見て星宮もまた踵を返し、走り出す。陽太はまだ剣を抜かない。
柄に手を伸ばし、ただじっと握りしめ、星宮の合図を待った。
星宮が走り出したのを見てモンスターはぐるぐると低い唸り声を上げながら、爆発するように勢いを増した。
掴んだ木から自分自身を投げ飛ばしているかのようだった。
木から木へと飛び移る姿はターザンを彷彿とさせる。改めてその光景を目の当たりにすると背筋がゾッとした。
星宮との距離はアッという間に詰められる。だが、星宮もさすがだった。
フットワークを生かし、わざと狭い道を選んで走っている。モンスターも木々に阻まれ、攻めきれずにいる。
星宮との距離が一〇メートルになった。合図が出た。だが、すっかり怖気づいてしまっていた陽太は動くことが出来なかった。
「走って!」
星宮が吠えた。その声に突き飛ばされるように、陽太は前のめりになりながら走り出した。
すぐ背後で音がする。星宮の息遣いも近くで感じる。それと同時に空気を切り裂くような音が迫っていることにも気が付いた。
振り返ってはいけない。自分自身にそう命じてひたすらに足を振り回した。
目的地へと到着する。そこは本来工事現場か何かだったのだろう。視界の端には積み上げられたコンクリートが放置されている。
遮蔽物も何もない平地。森から飛び出したモンスターはどすんと大きな音を立てて陽太の目の前に着地した。
目の前にすると巨大な怪獣のようだ。犬よりも大きく、クマよりは小さい。だが、陽太よりもはるかに大きく感じられる。
思い出したように鞘から剣を抜く。黒い刀身が日の光を吸収するように一度だけきらりと煌めいた。
モンスターは星宮が言っていた通り動きが随分と鈍くなった。赤い目を動かして周囲にあるものを見ていたが、使えるものがないと判断したのか、諦めたように陽太と向かい合った。
陽太のすぐ背後で星宮は膝に手をついて乱暴に呼吸を吐き出している。
陽太の呼吸も十分に荒い。だが、体はまだまだ動けそうだ。
対峙するのは三度目。二度目と違い、味方もいるのだ。
わずかに震えてはいるが、狙いが定まらないわけじゃない。わざと体を持ち上げるようにぴょんと飛び跳ねてみた。
初めて一人で向かい合った時に比べれば体は随分と軽い。たったの一分だ。
その一分を耐えきれば、なんとかなると思った。
「一分よ、頼むわ」
ぜぇぜぇと喘ぎながら星宮は陽太に声を掛けた。
「わかった」
モンスターは動き出す。腕を足のように使いながら走ってくる。
陽太はじっと剣を構えて、それを待ち受ける。
「逃げて!」
星宮の声が響いた。
ここで逃げたら男が廃る。と、心の中で勢いづいたものの、眼前にまで迫ったモンスターの腕に易々と薙ぎ払われた。
陽太の体はまるで綿毛のようにゆったりと宙を舞った。あまりにも一瞬の出来事だった。
空中で見えたのは疲れ切った星宮が武器を振り回している姿だ。だが、刺の生えたバスケットボールはモンスターの左腕に易々と弾かれ、残った右腕が横殴りに星宮の体に襲い掛かる。
折りたたまれるように星宮の体はぐにゃりと曲がった。地面に体が落ちるまでの一秒にも満たない時間の出来事だ。
陽太の目には赤い目が陽太を見てニタニタと笑っているように見えた。
陽太は無防備にも頭から地面に落ちる。痛みなどなかった。ただ、気が付くと自室のベッドの上にいた。
1-4 レベル1の惨敗
再び訪れた今日にため息を吐き出した。
高杉陽太は学校に向かい、星宮灯里に対して謝罪をしようとしたが、星宮にそれを拒絶された。
てっきりものすごく怒っているのだと思ったのだが、そうではないらしい。ただ、怒っていることに違いはなかった。
放課後、星宮は当たり前のように陽太の家にやってきた。
「パラドックスを見つけるの。そのためには毎日同じことをしなきゃダメ。私達みたいな人が現れるのを待つの」
星宮のカウントは一九を指している。九という数字が随分と不吉に思った。
カウントが二〇を刻む保証はない。これまでは当たり前のように過ぎていったかもしれないが、この節目に恐怖を覚える。
他の仲間が現れるのを待っていられるような時間などないのだ。
陽太がよほど情けない顔をしていたのだろう。星宮は気さくに笑い声をあげた。
「あんなのと正面からぶつかり合ったら負けるのはわかったでしょ?次は失敗しないようにすればいい」
的外れな答えだったが、陽太に笑顔を取り戻すには十分だった。
星宮は今までの経験を教えてくれた。
まずモンスターと戦うことにおいて、モンスターの攻撃は森の中では機敏で牙を使った攻撃をメインとして来る。森の中での戦いが長引けば、森の中だろうと攻撃のバリエーションが増えていく。
道を塞ごうと木を倒すこともあった。枝を引きちぎり、投げつけてくることもあった。
平地になると攻撃のバリエーションは限られてくる。
スピードは落ち、腕を使った攻撃がメインとなる。よほど近づきすぎなければ、かみついてくるようなことはない。
腕の攻撃も大振りだ。しっかりと見据えていれば避けられない動きではない。ただ、その分の威力は底知れない。
人間の体など容易に吹き飛ばされる。その時に生きていたとしても打ち所が悪ければ、その一撃で死んでしまう。だが、その一撃さえ回避できれば、攻撃を与える隙は十分にある。
「その隙を突ければ、目の一つや二つ、潰すくらいは出来る」
一八回の死。その中で彼女が与えたのは一撃だけ。致命的な一撃だ。だが、それだけだ。
隙を突くということがどれほど難しいことなのかを静かに理解する。
当然だ。一分耐えろと命じられた陽太が三秒で殺されたのだ。
モンスターと対峙した時の一秒がどれだけ長い時間なのか。陽太は身をもって知っていた。
時計は一六時半を指している。太陽が傾き始めた。柔らかな西日が世界を徐々に赤く染める。
再び狼煙は上がったのだ。
「そろそろ行きましょう」
星宮はそう言って刺のついたバスケットボールに手を伸ばす。
それに倣うように陽太もまた鞘に手を伸ばし立ち上がった。
二人は沈黙した。今日で、今日を終わらせると心に誓った。
星宮は森を駆け抜けた。最小限の動きで木々を避け、モンスターの攻撃を回避した。
星宮が合図する。それを見て、陽太も走り出す。だが、後ろでどさりと音がして立ち止まった。
星宮が転んだのだ。剣を抜くのも忘れて陽太は駆け寄る。だが、それよりも早くモンスターが星宮の体の上に着地した。
めきめきと骨が砕かれる音が響いた。星宮は一瞬だけ苦悶の表情を浮かべたが、すぐに動かなくなった。
陽太の足も動かなかった。
モンスターが再び木に腕を食い込ませ、体を持ち上げ、陽太に狙いを澄ます。
陽太は剣を構える。だが、足はいつでも動けるように小刻みに震わせる。
ぐぐ、と全身を一度後退させるとバネの要領でモンスターは体を発射した。
一撃目。陽太はすかさず横に飛びのき、それを回避する。剣を握りしめているだけで精いっぱいだった。とてもじゃないが、攻撃をする暇などない。
二撃目。ポールダンスのような要領で、掴んでいた木を一周する。爪の食い込んだ木が、バキバキと悲鳴を上げた。
射出。斜め上から飛び込んでくる牙。陽太は再度足を振り回すが、間に合わなかった。
左足首に鋭い痛みが走ったと理解したのは、足を引きずられ宙ぶらりんになった時だった。
あとはいつも通り。眼前に迫るのは鋭い牙とぎょろりと歓喜に満ちた赤い瞳。そして、またベッドの上で目を覚ました。
星宮のカウントが二〇になる。
1-5 レベル1のデート
次の日の今日も星宮灯里は顕在していた。
カウント二〇を迎えても星宮は当たり前のように今日を過ごした。
高杉陽太は二〇で終わりではないかとゾッとしていたが、二一という数字も難なく迎えた。
学校へ行き、放課後は部活動にでも参加するようにモンスターと対峙した。
平地まで誘い出すことも困難だった。最初の一回で成功したのが奇跡とも言える。
星宮のカウントが二九を迎えたにも拘わらず成功したのは最初の一回を入れて三回だけ。
「三回に一回は成功してる」
星宮は嬉々として笑ったが、誘い出すことに成功しているだけだ。そこから先は決まって敗北する。
陽太の攻撃ではモンスターにダメージを与えることが出来ないのだ。
岩のような固い肌に阻まれ刃が通らない。攻撃をすることには成功するのだが、その攻撃でダメージを与えることが出来なければ意味がない。
目を狙うにしても近づく必要がある。だが、目に近付いた途端に陽太の頭は丸呑みにされる。
戦いの結末はいつもそこまでだ。そして、その戦いはいつも一分にも満たない。
三〇秒もてばいい方だ。星宮も途中から一分という時間を諦め、一五秒で戦いに参加するようになった。だが、当然十分な時間ではない。疲弊した体では満足に動くことも出来ない。
それこそ死ぬ気で戦わないと勝てるものも勝てないだろう。だが、星宮の頭はマヒしていた。
次頑張ればいい、と投げやりになり始めた。陽太が倒れれば降参だとでも言うように武器を放棄し、あっさりと食われるのだ。
それを責めることが出来ない。陽太もまた潔くなっていた。
まるで、本当にゲームでもしているみたいだ。だが、これがゲームであると思えば思うほど、冷静な部分が分析を始める。
コンティニューには回数制限がつきものだ。それが九九なのか五〇なのか三〇なのか。
陽太にはわからない。ただ九という数字に怯えている。そして、星宮が九という数字にたどり着くとわずかに安堵していた。
少なくとも星宮がたどった道程までは、陽太は今日を迎えられる。その保証を突きつけられているようだ。
それが唯一、陽太の心に安らぎをくれた。そして、二九回目の戦いに敗北して迎えた三〇回目の今日。
星宮は朝から陽太の家に来た。
姉の凛子が出かけた後に庭先で、おいしい若妻の召し上がり方、君と僕はビンビンビン、俺のカルピス苦いけど飲むか、エッチな幼馴染の大きなボイン、ショートヘアの似合う素人たちを次々に燃やすのは毎日の日課だ。
儀式にも似た行動だった。陽太にとっては一〇回目の儀式。星宮にとっては初めての出来事だった。
玄関先で驚いたように足を止めた。真昼間から焚火をしている少年の後姿は、一見すると狂気的に映る。
「なにしてるの?」
不安げに揺れた星宮の声に驚きながら陽太も振り返る。朝から星宮が現れるということにも驚いたが、星宮の格好に驚いた。
いつでも動けるようなスポーティな格好ではない。まるで、これからデートでもしに行くような装いだ。
可愛らしい色合いの服。短めのスカート。星宮らしいボーイッシュな一面を残しながら、しっかりと女子であることを認識させられる。
「な、なによ」
その手にはその恰好とは不釣り合いな黒い大きなバッグが掲げられている。
その中に物騒な刺のついたバスケットボールが入っていることを知らなければ、ただの女の子だ。
今まで化粧をしている姿も見たことはなかったのだが、星宮の頬はさくらんぼのように赤く、唇はシルクのように滑らかに輝いている。
「午前中だけ付き合ってよ」
耳にまで化粧をしたのかと思った。そう思わせるほど、星宮の耳は赤くなっていた。
二人乗りをしたことがない、と星宮灯里が仁王立ちで宣言した。
「だから?」
歩き出そうとしていた高杉陽太は足を止めて振り返った。
星宮は不服そうに両目を釣り上げ、じぃと陽太を睨み付けた。
「察しなさいよ、バカ」
ふん、と荒々しく鼻息を吐き出すと筋肉乙女は肩を怒らせてむんずと歩き出した。
陽太は疑問符を浮かべながら、星宮の背中を追いかけた。
「なに?どういうこと?」
肩を並べると星宮は耳を赤くして睨み付けるだけで、何も答えなかった。
ただただ当惑する陽太だったが、直に頭が冷静になると現状の分析を始めた。
なぜ星宮がおめかしなどしているのか。
陽太は星宮が重度の厨二病と名高い美少年、月野卓郎に片思いをしていることを知っている。
では、なぜか。
電撃のような衝動が走り抜けた。
今日は星宮にとって三〇日目の今日である。
コンティニューの回数制限の上限が来たのだと陽太は理解した。どういう仕組みかはわからないが、彼女に虫の知らせが届いたのだろう。
星宮は戦って生き抜くことを諦め、最後の日を楽しもうとしているのだと理解した。
スポーツ少女と謳われ、筋肉乙女として生き、本来の少女としての本分を忘れていたのだ。
それゆえに彼女は今になって、最後に訪れた今日を少女として生きることを決めたのだと思った。
「星宮」
存分に付き合ってやろうと決めた。
ふいに星宮の名前を呼び、その手を握りしめた。
「へ?な、なに?」
茹蛸のように首から上が真っ赤になっている。
「今日は・・・その、可愛い、な」
どもった。けれど、言った。
星宮は陽太の手を振りほどき、あらん限りの力で陽太の頬に握りこぶしを叩きつけた。
中学生の男女が駅前で歩き回っていると人目を引いた。ましてや星宮は化粧をしているとそこそこに美少女である。
見る人が見れば恋に落ちたとしても不思議ではない。
ゲームセンターでは店員から逃げ、ショッピングセンターでは警備員にマークされ、商店街に向かえば警察官に追われる始末だった。
「最悪」
駅前から少し離れた公園で二人はブランコに座っていた。
デートと呼ぶには随分と慌ただしい逃走劇を繰り広げた。まともに楽しむことが出来たものは一つとない。
「まぁ、仕方ないか」
星宮はブランコに揺られながら散々文句を吐き終えると満足したように呟いた。
何といってもそこそこに充足はしていた。
ゲームセンターでパンチングマシーンの威力を競い、ぎりぎりで陽太が勝利し、負けず嫌いの星宮でエアホッケーで陽太を惨敗させた。
ショッピングセンターでは星宮のキャラクターには似合わない可愛らしいアクセサリーを購入していた。
猫のシルエットのイヤリングだ。ピアスは高校生になってから空ける予定なので、今はイヤリングで我慢すると涙ながらに語っていた。
他にも物欲しそうに見つめていたが、あいにく小遣いは雀の涙ほどしかないらしく、渋々諦める形になった。
商店街では星宮は常連らしく、八百屋のオヤジに大根を押し付けられ、肉屋のオバサンには昼間から男連れて歩くなんてさすがだとか褒められていた。
星宮はけらけらと笑いながら、それらに応えていた。
不満も十分だが、満足も十分に得られた。
それゆえの不安。
清々しいほど冴えわたるような笑みを浮かべる星宮の横顔には満足であると書いてある。
もう悔いはない。そんな言葉が聞こえてきたような気がした。
「ねぇ、お昼にしよう。私、行きたいお店があるの」
そんな陽太の心配をよそに星宮は歩き出した。
ふいに星宮がどこか遠くに行ってしまうような気がした。思わず伸ばした手は星宮の手を掴んでいた。
「ふぁ!?な、なによ」
星宮は声を裏返らせながら振り返った。
「今日を終わりにしよう」
自分でも驚くほど力強い声が出た。星宮は一瞬戸惑ったように視線を彷徨わせ、恐る恐る陽太の目を見た。
「そしたら、またこうやって遊びに行こうか」
星宮は蚊の鳴くような声で、うん、と短く答え、逃げるように陽太の手を振りほどいた。
「は、早くいこ」
そう言って星宮は陽太に背を向けて走り出した。
うなじまで真っ赤になった星宮の後姿を見て、陽太も頬が熱くなったのが分かった。
1-6 レベル1の激闘
今日こそを今日の終わりとする。
二人は小さく誓った。交わった小指の熱を握りしめるように高杉陽太は剣を手に取った。
「いつも通りいくわよ」
森の入り口。相変わらずいつものポジションで、赤い瞳はただぼんやりと二人を見据えていた。
星宮灯里も武器を構え、ゆっくりと歩を進めた。
「星宮」
陽太はポジションにつき、先行する星宮に声を掛けた。
星宮は肩越しに目を向けると、ただ柔らかく微笑みを返した。
一歩、一歩、とモンスターとの距離が縮まっていく。相変わらず、それを嬉々としているようにモンスターは息遣いを荒げていく。
そっと風を切り裂くように剣を抜く。真っ黒い刀身が光を反射して煌めいた。
動いた。それは微かな予備動作だ。跳躍する前の、目を凝らさなければわからないほどの小さな動きだった。
星宮はそれを見逃さない。即座に踵を返し、走り出す。それ
それとほぼ同時にモンスターが木へと手を伸ばす。
「星宮!来るぞ!」
陽太の声を合図にしたかのように、モンスターは跳躍する。背後で感じた風の流れを感じ取り、滑り込むように木々の合間を走り抜ける。
モンスターの牙が木の肌をえぐり取る。
星宮からの合図が出た。陽太も星宮から目を放し走り出す。
味方の姿も敵の姿も見えない二五メートルだ。ただ背後で響く静かな物音に耳を傾ける。
足音が聞こえる。その距離も近づいてくる。だが、それと同時にモンスターが木へと爪を食い込ませる音も距離を詰めてくる。
それがどれだけの距離なのかは見当もつかない。ただ、迫ってきているという事実だけを肌で感じ取る。
森を抜けた。
まばゆい光を全身に浴びると共に陽太は速度を落とし振り返る。同時に星宮も森を抜け、転がるように陽太の隣へとたどり着いた。
第一目標をクリアした。
星宮と視線を交わし、それを確認するように二人は互いに頷き合う。
どすん、と二人の背後にモンスターが着地する。
グルグルと唸り声を上げ、片方だけの瞳で二人を交互に見た。
「俺が一分稼ぐ」
武器を構えた星宮を制して一歩前に出る。
星宮は驚いたように陽太を見ていたが、陽太の目には眼前の敵だけが映っている。
その横顔を星宮は信頼した。
「わかった」
星宮の声を聞き届け、陽太はゆっくりと動き出す。
今までは正面から向かい合ってきた。逃げてはいけないと自分に言い聞かせていた。いや、どこかで勝てるような気がしていた。
ましてや何度死んでもやり直すことが出来たのだ。その分、気が緩んでいたのかもしれない。
モンスターの動きには随分と慣れた。意地でぶつかり合っても負けることもわかっている。
陽太はモンスターを中心に円を描くように歩き始めた。
呼吸は落ち着いている。一一回の死線を潜り抜け、陽太は少しだけ成長していた。
我流の剣とは言え、何度も危機に瀕し、何度も研究を重ねられた剣である。
その足さばきも、独自の呼吸も、少し前の少年のソレではない。
磨き抜かれたものではないが、洗練されたものであることに違いはない。
モンスターが動く。腕を使って体を持ち上げ、陽太との距離を詰める。
陽太は右手の剣を低く構え、左腕の盾を高く構えた。盾で打撃を抑えることは出来ても、衝撃までカバーすることは出来ない。
ないよりはマシという程度の防御策だった。
陽太もそれは理解している。一度、正面からモンスターの攻撃を受け止めたが、あっさりと体は弾かれ、倒れたところにとどめを刺された。
ゆえに陽太は盾そのもので受け止めることを断念する。
モンスターが右腕を振り上げ、盾を構え、タイミングを計る。
上から振り下ろされる垂直な攻撃を退避するのは容易だ。だが、敵の間合いに入った時点で、その腕を薙ぎ払うように水平に振り払われたら避ける術はないに等しい。
腕を振り上げ切る前に回避行動に移れば、高確率で腕を薙ぎ払う。横に飛んでも逃げきれない。かといって後ろに飛んでも避けきれない。ましてや追撃をされる可能性の方が高い。追撃の二撃目は左腕による薙ぎ払い攻撃。バランスを失った状態での回避は不可能。
陽太の選択はただ一つ。腕を振り下ろされると同時に横へ飛ぶ。その一瞬がチャンスである。
唯一の隙。手を伸ばせば届くところに赤い目玉が現れる。
いくら動きが遅いとは言え、目の前で対峙した時の腕の体感速度は遠目に見ている時の倍以上に感じる。
目で追いかけていれば、その一撃から逃れることは出来ない。絶妙なタイミングだった。
実際、モンスターは攻撃を悩んだ。わずかに斜めに線を描いた腕は陽太の体を捉えることは出来ずに地面へと突き刺さった。
陽太は跳躍した時には、すでに剣を構えていた。左腕で狙いを澄まし、右腕をぐんと引いていた。
弓を引く動作に似ている。それと違うのは右腕に込められた力だ。手を放せば飛んでいく矢とは違う。
前進しろ。
その刃を叩きつけろ。
星宮はじっと見ていた。まるで、予測していたとばかりにモンスターは体を後ろへと逸らしていた。
突き出された剣先はわずかに届かない。
当たらない。
絶望の波が星宮の体を包み込む。だが、それと同時に星宮は両足に力を込めた。
陽太が一分稼ぐと宣言してから一〇秒も経っていない。だが、何度となく繰り返された毎日の中で、初めてモンスターが回避行動に移った。
その刹那を星宮は見逃さない。
左腕が持ち上げられる。その腕の影に星宮の体が重なり、モンスターの視界から星宮が消える。
陽太は諦めていた。攻撃が届かないという現実に、昨日までの今日だったならば、殺されることも致し方ないと諦めていた。だが、新しく迎えた今日に後退の道も諦めるという選択肢もない。
陽太はただ剣を突き立てたまま待っていた。
その腕が振り上げられ、その腕の背後へと回る星宮の姿。その星宮が両手で握りしめた鎖の先、刺のついたバスケットボールが弧を描いて、ラグビーボールに叩きつけられる。
ゴン、と鈍い音を立ててモンスターの頭が少しだけ前に動いた。
ほんの数センチだけだった。だが、眼前に突きつけられた剣先は、ほんの数センチだけ動いただけで、易々と赤い瞳に突き刺さる。
表面に薄い傷をつけただけだ。だが、モンスターはその痛みに悶絶した。
二人は一気に畳みかける。
星宮の武器はバスケットボールの軽さと柔軟性を備えている。強い衝撃を受け、その衝撃の強さに合わせて飛び跳ねる。頭上へと上昇したバスケットボールを再度標的に向けて振り下ろしてやるだけで、次の攻撃へと転じることが出来る。
星宮はバランスを崩したまま着地した。だが、しっかりと狙いは澄ましてある。再び、ラグビーボール目がけて星宮の打撃が襲い掛かる。
瞼のない目が、閉じることのない目玉が、赤い体液をこぼしながら星宮を振り返る。
陽太の攻撃は目玉以外にダメージを与えることが出来ない。それなのに、陽太の視界にはモンスターの背中しか見えなかった。
ダメージを与えられる箇所がない。
モンスターはそれを見破り、陽太よりも星宮を先に排除することに集中した。
「させるかよ」
今日を終え、昨日と同じ明日を迎えるのはごめんだった。
陽太は拳を握った。
作戦があったわけじゃない。何かを見出したわけでもない。
刃が通らないなら、刃以外のもので動きを止めるしかないと判断した。
陽太が思考するよりも早く、彼の体は反応していた。
コンパスのガントレットが叩きつけられる。がつん、と響いた鉄と岩がぶつかり合うような不協和音。
赤い液体をこぼす瞳がギロリと陽太を睨み付けた。そして、その視線の向こうからバスケットボールが流星のように降り注ぐ。
勢いを増した衝撃にラグビーボールが砕けた。固い表皮がはぎ取られ、柔らかい血肉が顔を出す。
二度の攻撃が通った。それもかなりの有効打。
劇的な進歩だ。
イケる。
それは確信だった。そして、それゆえの油断だった。
モンスターは命の危険を感じている。それは初めての事態だった。
怯え、恐怖する。そこに規則的な動作などない。
地面に爪を立て、威嚇するように咆哮する。至近距離で響いた怒号に鼓膜を劈くような耳鳴りが轟いた。
鋭利な刃物で脳みそを突き刺されたような痛みが駆け巡る。思わず二人は目を閉じた。
敵を眼前にして目を閉じる。それは死への片道切符を自ら手にするようなもの。
目を開くと同時に陽太の目の前にモンスターの腕が迫ってきた。とっさにことに身動きを取ることが出来ず、陽太の頭は易々と鷲掴みにされた。
岩のような手のひらが弾丸のように放たれたのだ。触れただけで陽太の脳みそはぐわんぐわんと揺れていた。
思考することが出来ない。それ故に、絶望も悲しみも星宮の体に爪が食い込んでいるという事実にも気づけなかった。
星宮が退屈そうに笑っていた。
あーあ、また失敗か。
そんな風に囁く星宮の声が暗く沈んでいく思考の中で聞こえた気がした。
1-7 レベル1の戦う意思
再び訪れた今日に高杉陽太は声を失くした。
いつも通り姉の凛子の声に起こされ、食卓に着いた。そして、何も知らずに学校へとたどり着いた。
いつも通り二階の廊下の入り口で樹美鈴と共に教室にやってきて、いつも通り席に着いた。
直に教師がやってきて、星宮灯里が学校に来ていないことに気が付いた。
星宮はたまに学校を休む。必ず学校に連絡を入れ、なくても昼頃には登校していた。だが、放課後になっても彼女は現れなかった。
星宮のカウントは三〇を超えた。三一を迎えることは出来なかったのだと理解した。
それを星宮もわかっていたのだろう。だから、昨日の今日を楽しく過ごそうと決めたのだ。
十分に楽しみ、悔いもなく死ぬことが出来た。
それを人は何と呼ぶのだろう。後悔のない死を喜ぶべきだろうか、それとも、いなくなった星宮の死を悼むべきだろうか。
陽太にはわからなかった。ただぼんやりと日が暮れるまで教室にいた。
ただじっと斜め後ろの星宮の席を眺めていた。
「陽ちゃん?」
ふいに美鈴の声が聞こえた。顔を上げると教室の入り口に美鈴の姿があった。
すっかり日の暮れた教室で陽太は美鈴と向かい合う。
「どうした?」
何でもないような顔で問いかけると美鈴は遠慮気味に自分の目尻の当たりをノックした。
その動作に倣うように目尻に触れるとわずかに濡れていることに気が付いた。
慌てて制服の袖で目元を拭う。湿った制服を見て、初めて泣いていたことに気が付いた。
「なにかあったの?」
美鈴はいつだって気に掛けてくれる。伊達に長いこと幼馴染をしていない。些細な変化にも美鈴は見抜いてくる。
ループを繰り返し、心が挫けそうになっていた時も美鈴は声を掛けてくれた。
セリフはいつも同じだ。陽太を心配してくれる心も、そのぬくもりもいつも同じだけ与えてくれた。
「べつに」
相談したことはあった。美鈴は陽太の話を理解はしてくれなかった。だが、陽太の心は理解してくれた。
打ちのめされ、膝をつきそうになった時も、美鈴は陽太の辛さを理解しようと努力してくれた。だが、今回は説明することも理解してもらうことも出来そうになかった。いや、陽太自身が努力をすることが出来なかった。
美鈴にとっては星宮はただ学校を休んだだけなのだ。ただ、それだけなのだ。
美鈴はゆっくりと近づき、隣の席に腰を下ろした。視線を合わせようとしない陽太の顔を覗き込もうとしてやめた。
陽太は口を開くことが出来なかった。時折ため息を吐き出しては項垂れるようにぽつりと涙をこぼした。
「ねぇ、陽ちゃん」
ほとんど日は沈んでいた。かすかな夕日に照らされた美鈴の顔が手の届く距離にあった。
美鈴はじっと陽太の顔を見つめた。
「陽ちゃん、ちっちゃい頃のこと覚えてる?」
「え?」
美鈴は陽太の頭を持ち上げるように頬に手を添えた。
しっとりとしたぬくもりが心を満たしていくような気がした。
「陽ちゃんね、いっつも私のこと守ってくれたんだよ」
一体どれほど昔のことを話しているのだろう。
美鈴が近所の悪ガキにいじめられていたのは、二人が幼稚園に通っていた頃のことだった。
今思うと悪ガキなりの愛情表現だったのかもしれない。
好きな女の子をいじめてしまう。無垢な子供ゆえの過ちである。
いつも小さな理由で美鈴はいじめられていた。というより遊びに混ぜてもらうことが出来ずに泣いていた。
悪口はいつも決まって泣き虫から始まった。
幼稚園の中の出来事だから、その泣き声はいつも陽太の耳にも届いた。
陽太にとっては妹だ。それ故にお兄ちゃんが妹を守るのは必然だった。
「私が泣いてるといっつも助けてくれるの。すっごい嬉しかった。でも、陽ちゃん、喧嘩には勝てなかったね」
多勢に無勢だった。
美鈴は泣くばかりで痛い目に遭うのは決まって陽太だった。
「でも、陽ちゃんは泣かなかったね。勝てなかったけど、陽ちゃんは負けてなかったよ」
諦めの悪い子供だった。というよりも美鈴の前で泣いてたまるかとばかりに意地になっていた。
「カッコよかったよ」
「カッコ、よかった、ね」
皮肉の込められた言い方に自分自身でも嫌になる。だが、美鈴はただそっと陽太の頬を持ち上げ、陽太の視線を美鈴に向けさせた。
「今も、だよ」
夕日が沈む。夕日に照らされていた美鈴の顔が見えなくなった。
「陽ちゃんが自分のために泣く人じゃないって私は知ってる。陽ちゃんが泣く時は誰かのためなんだよね。でもね、陽ちゃんは泣き虫じゃないんだよ。必要な時しか泣けない人だって、私は知ってるの」
暗闇に溶け込んだ美鈴の顔が得意げに笑ったのがわかった。
「でも、陽ちゃんは泣き虫じゃない。ずっと泣いてるだけの人じゃないよ。勝てないことがあるかもしれないけど、陽ちゃんは絶対負けない」
勝てない。けれど、負けない。
その言葉と赤い瞳がリンクする。
傷つけられた痛み。傷つけた衝撃。敗北の苦み、一撃の重み。
明日を約束した二人。
「陽ちゃんは泣いて諦める人じゃないよね」
その言葉が、陽太の心に喝を入れる。
泣いて、ただ諦める。
そんな選択肢は初めからありはしない。だが、気が付かない内に、それを選んでいた。
その過ちを正してくれたのだ。
「ありがとう」
その一言ではとてもじゃないが足りないと思った。
「貸しひとつだぞ」
美鈴は歌うように笑うと陽太の頬から手を放した。
自然とその手を握りしめていた。表情が見えなくても、美鈴が戸惑っているのが分かった。
「ありがとう」
その声を耳にして、美鈴の戸惑いが消え、そっと握り返してくれた。
美鈴の手のひらから、生きる力を分けてもらえたような気がした。
1-8 レベル1の研ぎ澄まされた一撃《シャープエッジ》
高杉陽太は剣を抜く。
月明かりの下、森の入り口までやってきた。
森の中に赤い瞳は見えなかった。だが、何かが暴れ回っているのだけが見える。
太い両腕を振り回し、周囲の木々を傷つける。その悲鳴が確かに聞こえていた。
その声に紛れるように、陽太は息を殺して歩を進める。
昨日訪れた今日、星宮灯里との共闘により、残された片方の目を潰すことに成功した。
時折、月明かりに照らされる頭部には、星宮がつけた傷が見えかくれする。
唯一、陽太が攻撃を出来るポイント。そこに剣を突き立てれば、ゲームクリアだ。
星宮を殺した。何度も、何度も、その命を屠り、その命を咀嚼した。その暴挙を許してはならない。
光栄に思え、一度の死でチャラにしてやる。
走る。
足音に気が付いたように、ぴたりとモンスターは動きを止めた。
首を左右に振り回し、音の発生源を探そうと画策している。だが、モンスターは音を見失う。
陽太の体は互いの吐息が触れるほどの距離で、息を潜めていた。
標的は近い。だが、傷は小さい。
無駄に剣を振り回しても当たる確率は低い。
一分よりも、一秒よりも短い一瞬を捉える。
突然、音が途絶えたことに驚いたように、モンスターは小刻みに首を震わせる。
耳を澄まして陽太を探している。
下を向け。
陽太は膝を曲げ、剣先を天に向ける。
モンスターが足元を覗き込もうものなら、そのまま地獄へと引きずり落としてやる。だが、モンスターも、じっと息を潜めるだけだ。
モンスターの呼吸に溶け込むように、陽太も呼吸を繰り返した。
静寂と沈黙。
遠くで響く木々の歌声と夜風の走り抜ける足音が、一人と一体の鼓膜を震わせる。
暗闇のまま、孤独の中で見えない敵の存在に怯えている。それが手に取るようにわかる。
二度と味わうことの出来ない苦痛だ。星宮も孤独の中で戦った。
「今度は!」
声を張り上げた。飛び跳ねたようにモンスターは顔を下に向けた。
陽太の眼前に傷口が顔を出す。剣先はずっとそれを狙っていた。息を殺し、目の前の命を屠ることに歓喜していた。
躍動すら感じられていた。
両目を潰されたモンスターには、陽太の動きが見えない。怯えるように喉元を震わせ威嚇している。
「俺の番だァア!」
孤独という暗闇の中、二人で掴んだ瞬間だ。たった一人では迎えることは出来なかった。
いつも待ち構えていたのは牙の生えた大きな口。今はその口が恐怖に震えている。
月を衝くのだ。
夜のような黒い刀身が、風を切り裂くように空へと昇る。
研ぎ澄まされた一撃はモンスターの傷をえぐるように突き刺さる。
モンスターはがくがくと震え、大きな口をだらしなく開いて、異臭を放つ唾液を足元にこぼした。
勝った、と思った直後だった。
モンスターは乱暴に頭を振り回した。
剣はモンスターの額に突き刺さったまま、陽太の手を離れた。それと同時にモンスターの左腕が陽太を襲う。
陽太の体は軽々と吹き飛ばされ、地面を転がった。
モンスターも致命傷を負い、力が入っていない。陽太の体に受けた衝撃は陽太の動きをわずかに封じる程度のものだった。
背中から覆いかぶさるような鈍痛に思わずうめき声を上げた。
その声に反応するように、モンスターは目のない顔を陽太に向ける。
存在しない赤い瞳が陽太を睨み付けている。
その瞳が陽太の命を咀嚼しようと笑っている。
諦めることは簡単だ。涙を流すことも、こらえることに比べたら容易だ。
「泣いて諦める人じゃない」
樹美鈴の言葉が頭の中に反響する。
それ故に立ち上がる。
ただ、殺されてたまるものか。
立ち上がれば体が痛む。両足が軋む、拳が震える。
力強く握りしめ、右手を構えた。
残された攻撃手段は青いコンパスを元に作られた刺のついた籠手の一撃だけ。
全力で殴ることが出来るのは一度だけ。的を外せば待っているのは長引く苦痛か、自室のベッドだ。
もう同じ今日は繰り返さない。星宮のいない今日を、それを誰も知らない毎日を、眺めるだけの自分を許さない。
モンスターがふらふらとした足取りで歩き出し、腕を振り子のように振り回しながら、陽太との距離を詰めてくる。。
爪が地面をえぐり、土ぼこりが月の明かりに照らされてダイヤモンドのような輝きを残す。
その粉塵の中を、陽太は走り抜ける。
あと一秒遅ければ、左腕の爪が陽太の腹部を切り裂いていただろう。
あと一秒早ければ、その腕に薙ぎ払われて二度と立ち上がることは出来なかっただろう。
その拳は二人が握りしめた明日。
もう一度、星宮と共に街を歩きたかった。
もう一度、手を握りたかった。
もう一度、ただ、会いたかった。
陽太はただ一人、君がいない明日へと跳躍する。
「一昨日来やがれ!」
明日を取り戻すたの拳が研ぎ澄まされた一撃の柄に叩きつけられる。
ズドン、と拳から全身へと伝わる衝撃。それと理解すると同時に陽太の体から力が抜けるのが分かった。
仕留めた。その達成感からか疲労感からか、陽太は地面に倒れた。
モンスターは悲鳴を上げることも忘れ、ポカンと大きな口を開いたまま膝を崩した。そして、その命が燃え尽きたかのように、体は粉塵へと返る。
目に見えない小さな欠片へと姿を変え、恨めしそうに一声だけか細い悲鳴を残して消えた。
陽太はそれを見終えると満足したように安らかな顔で目を閉じた。
1-9 レベル1の白昼夢
高杉陽太は都合のいい夢を見ていた。
最期に二人で出かけた姿の星宮灯里が陽太を見ていた。
「やればできんじゃん」
星宮は満足そうに笑っていた。
陽太の真上に星宮の顔がある。その向こうにはいくつもの星が輝いている。
「美鈴に言われて思い出したんだ」
独り言のように陽太は言葉を吐き出す。星宮はじっと耳を傾けた。
「俺は弱虫で泣き虫だった。本当は星宮が学校に来なくて、怖かったんだ。俺も同じだって、何回も、何回も死んで、最後には・・・次に頑張ればいいって思いながら、満足して死んでいく。そんな今日が、いつか来る気がして、もう星宮にも会えない気がして怖かったんだ」
星宮は、知ってた、と笑ってくれた。
微笑みがくれた優しさがぎゅうっと陽太の胸を締め付ける。
「でも、俺は泣いてすべてを諦めるような男じゃない。何回でも繰り返せるからって、惰性に生きるようなことは出来ないんだ。何回でも死ねるなら、何回でも生き抜いてやる。そう思ったんだ」
だから、戦った。
君がいない明日のために、君がいるはずだった今日のために。
「がんばったね」
子供をあやすように、星宮はそっと陽太の頭を撫でた。
その手のひらのぬくもりに抱かれて、陽太は静かに泣いた。
自分勝手な夢だった。
もう会えるはずのない星宮が、そっと陽太の頬に唇を触れさせた。
登場人物 レベル1
高杉陽太
武器 剣
タイプ 直剣
ベース シャープペンシル
特徴 黒い刀身、握りやすいゴム製のグリップ
防具
種類 籠手
ベース コンパス
種類 鞘
ベース シャープペンシルのキャップ
種類 盾
ベース 折り畳み式の定規
必殺技
『研ぎ澄まされた一撃』
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星宮灯里
武器 鈍器
タイプ モーニングスター
ベース バスケットボール
特徴 グリップと鎖で繋がれた刺のついたバスケットボール。射程距離1.5メートル。衝撃を与えられるとより強くバウンドし、さらに強い衝撃を与えることが出来る。
防具
種類 籠手
ベース バンテージ
種類 ゴーグル
ベース メガネ
種類 靴
ベース バスケットシューズ
必殺技
『なし(今のところ)』
異世界が来い!レベル無限のリトライ英雄譚