フラクタル

 これは遠い昔、あるいは遠い未来のお話。あるところに勇敢な若者がいました。すべてのいくさが終わり、百万年の平和な時代。素粒子に棲む矮人や宇宙の果てに立ち並ぶ透明な柵、ありとあらゆるものが調べ尽くされ、人びとは武力や資本や知性ではなく道徳によって支配されていました。
 勇敢な若者は退屈でした。この世界の誰もが勇敢さを求めていなかったからです。あまりに退屈なので、若者は旅に出ることにしました。しかし、ありとあらゆるものが調べ尽くされた時代、宇宙の果てまでもすぐに着いてしまいました。失望した若者は、望遠鏡を覗いて外の世界を見ようとしました。
 ところが、見えたのは望遠鏡を覗きこむ自分の姿。そう、宇宙の果てに立ち並ぶ透明な柵とは、道徳という引力の折り返し地点だったのです。勇敢な若者は、外の世界を見たいと思いました。外の世界を見なければならないと思いました。
 若者は勇敢であったので、その透明な柵に手を掛けて望遠鏡を外の世界へ躍らせました。再び覗きこむと、今度は見たこともない光景が広がっていました。まず見えたのは、仄暗い空間に浮かぶ巨大な球体。もう一つの宇宙なのでしょうか。若者は新たな発見に身震いをしました。倍率を上げると、高速で運動する三連の粒子が見えました。若者は、どこかで見たことがあるような気がしました。
 さらに倍率を上げると、古代地中海式住宅の室内が映りました。若者は首をかしげました。宇宙の果てから望遠鏡で外の世界を見ているのに、なぜ古代人の家が映ったのでしょう。若者の肌に冷たい汗が流れました。
 赤道儀を回して天頂を見やると、古代の水瓶が口を開けていて、そこからたくさんの水が溢れていました。逆向きに赤道儀を回すと、空の陶杯が見えました。
 今まで我々は何を勘違いしていたのでしょう。素粒子に棲む矮人とは、我々のことでした。この世界は、瓶の水でありました。
 次の瞬間、若者の世界は杯に落ちた衝撃で相転移しました。今では、あの若者は存在したのかしなかったのか、それは過去のことだったか未来のことなのかすら分からなくなりました。ただ一つ言えることは、若者は勇敢であったということです。

《了》

フラクタル

フラクタル

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-02-03

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