Reminder of the past 第一章

年の差恋愛ものになります。暴力的な表現などが含まれているところもありますので、ご注意ください。

『まもなく○○、○○です。お降りの方はお忘れ物のないよう・・・』
 夕方ということもあり客の疎らな車内に、特徴的なアナウンスが流れる。電車の窓から差し込むオレンジ色の光が、さまざまな表情をした乗客を照らしていた。
 もうすぐ駅に着く。電車は車両を左右に揺らしながら、ゆっくりと速度を落としていく。先程まで座席に座っていた高校生や、吊革につかまっていた会社員などが降りる準備を始め、車内がざわざわとした雰囲気に包まれていた。
 扉が開いて、人々が移動を始める。
 そして、その瞬間に事は起きた。
「きゃああ!」
 女性の甲高い声が車内のみならず駅にまで響き渡る。車両の扉付近に立っていたその声の主は、顔を真っ赤にして一人の男性を指差していた。
「こ、この人が痴漢を!」
 目の下の濃い隈が特徴的な一人の男性。どうやらこの人が疑われているようだ。男性は疲れ切った顔をさらに青くさせながらも、必死に否定していた。周りの乗客たちは、男性に疑いと軽蔑の目を向けるものの、厄介事に巻き込まれまいと足早にその場を去って行った。
 二人の駅員が騒ぎの起こった車内に駆けつけ、男性の顔に諦めの色が浮かぶ。女性は顔を真っ赤にしながら、痴漢に遭ったことを必死に訴えていた。
 事の次第を聞いた駅員は、とりあえず電車が出発するので降りるようにと指示した。
「ほかのお客様のご迷惑となりますので、詳しい話は駅舎の方で窺ってもよろしいですか?」
 男性が無実を訴えるものの、駅員は女性の話を聞いてばかりで男性に耳を向ける様子はなかった。
 駅員の一人が男性の腕をつかみ、半ば無理やり連れて行こうとしたその時、男性の服を掴む手があった。
「すみませんが、この人は痴漢なんてしていませんよ」
 その場にいる全員に聞こえるか聞えないかという小さな声。
 男性が後ろを振り返ると、そこにはセーラー服の少女がいた。男性よりも30センチほど背の低い少女は、まるで男性をかばう様に駅員の前に立ちふさがった。
「この男性の話をしっかりとも聞かず、強制的に連れて行こうなんて間違っているとは思いませんか?」
「・・・お譲ちゃん、この女の人が嘘をついていると言いたいのかい?」
「・・・ええ、この人は嘘をついています」
「な、何を馬鹿なことを。ふざけるんじゃないわよ!」
 女性は一瞬変わった顔色をすぐに戻し、少女を睨みつけた。少女は駅員の後ろにいた女性を見つめると、怒りのこもった声で告げた。
「あなたはあの電車の中で、どこに乗っていましたか?」
「扉の右側よ・・・それが何か?」
「この男性は私の左斜め前に立っていました。左手は吊革に、右手はその鞄を胸元に持って。まずこれじゃあその人は触れませんよね」
「鞄を持ったままでも触れるでしょう!?」
 ヒステリックな声を上げる女性。駅員は顔を見合わせながらも少女の話に耳を傾けた。
「さきほどおっしゃっていたように、あなたがいたのは扉の右側です。でも、私がいたのはその反対側の扉の近くで、この男性は私の左斜め前にいた。あなたとこの男性との距離は、目測でも一m以上離れていたんです。つまり、物理的にこの男性はあなたを触ることは不可能でした」
 女性の顔が怒りと屈辱で醜く歪んでいく。少女はそんな女性をずっとまっすぐな瞳で見つめていた。
 駅員は少女の話を聞き終わると、掴んでいた男性の腕を離すと、傍にいた女性の腕を掴んだ。
「・・・すみませんが、駅舎まで来ていただけますか?」
「な・・・なんであたしが行かなきゃいけないのよ!?」
 女性は尚も被害を訴えていたが、駅員は耳を貸さず強制的に女性を連れ、駅舎の方へと移動していった。一人の駅員が男性に対して謝罪と深いお辞儀をすると、二人を追いかけるように人ごみの中に消えていった。

**
「・・・駅舎に入ってしまったら、それは罪を認めたことと同じ意味なんです」
「え?」
 俺の服を掴んだままで、女の子は続けた。
「駅舎に入ると、待っているのは事情聴取ではなく誘導尋問です。たとえ弁護士を呼んだとしても、その弁護士は駅舎には入れません。冤罪を逃れるためには、その場で無実を証明できなければ男性側に勝ち目はないんです」
 もしあのまま駅舎に連れて行かれていたら・・・。
 考えただけでも背筋が冷えた。
 近くにいたあの女性が俺の方を何度か見ていたのは気づいていたが、まさか痴漢の容疑をかぶせられるとは思っていなかった。甲高い悲鳴が聞こえた時には頭の中は真っ白になっていたし、本当にこの女の子がいてくれて助かった。
「・・・ありがとう。あのまま君が現れていなかったら、俺はきっと今頃人生が終わっていたかもしれん。何かお礼がしたいんだが・・・」
「いえ、お構いなく。できることをしたまでですので」
  女の子はそう言いつつも、俺の服をつかんでいる手を放そうとはしなかった。心なしか、その手は小刻みに震えているようだった。
「・・・怖かったのか?」
「え・・・?」
 女の子は、言っている意味が分からないといった様子で小首を傾げていた。
 けれど、自分の手元を見た瞬間に、今まで表情を動かさなかった顔が一気にリンゴのように真っ赤に染まった。
 女の子は俺の服から手を離すと、首に巻いたマフラーに顔をうずめてしまった。
「・・・します」
「?」
「失礼します!」
「あ、ちょっと!」
 さっき俺を助けてくれた時よりも大きな声でそう告げると、女の子は走ってその場を去ってしまった。
 お礼がしたかったんだが・・・
 残念な気持ちが後ろ髪を引くものの、この後仕事に戻らなければならなかった俺はその場を離れようとした。
「・・・ん?」
 方向転換して駅を出ようとした時、足元に何か落ちているのに気が付いた。手に取ってみると、それはあの女の子の学生証だった。
「F高等学校・・・来御崎 真琴」
 近々お礼ができそうだ。
 学生証を鞄に仕舞い、俺は駅を後にした。


「・・・ない」
 次の日、いつも通り学校に来た私は、制服のポケットに入っているはずの学生証がないことに気が付きました。
 あれがないとお昼ご飯が食べれません・・・。
 私の学校では、学生証を持ってきている生徒に特別な措置があります。その一つが学食の割引です。例えば500円のラーメンがあるとします。学生証を持っていない人はそのままの値段ですが、学生証を見せると半額の250円になります。
 いつも学生証を持ってきているので半額の昼食代と電車代だけを持ってきているのですが、今日はお昼を抜かなければ帰れなくなってしまいました。
 飲み物ぐらいは買えますかね・・・。
 私は生徒たちでにぎわっている食堂を抜け、自販機のあるフロアに移動しました。
 自販機で買ったコーンポタージュを手に、教室に戻ります。実を言うと、コーンポタージュを飲むのは初めてだったりします。
ふたを開けて口をつけると、温かいスープが口の中に広がりました。こんなに美味しいものだったなんて・・・。
とりあえずこの後の授業でお腹が鳴らないことを祈るばかりです。
「あ、あの!」
 缶を捨てて席に戻る途中、クラスメイトの一人に呼びとめられました。
「・・・なんですか?」
 めったに声なんて掛けられないので緊張してしまいます。なんだかすごく怒ったような声になってしまいました。
「ご、ごめんなさい。えっと、その・・・」
「昨日、痴漢だって疑われてた男の人をかばってたの、来御崎でしょ?」
 私の対応に怯えた人の代わりに、後ろにいたもう一人の人が私に問いかけてきました。
 正直怖いです。
「・・・確かにそんなことありましたね」
 怒られる?
 生意気だといじめられる?
 そんな考えが私の中でぐるぐるします。
「来御崎・・・」
 ゴクリ
「すっげぇなお前!」
 !?
「え、え?」
「大の大人に対してあんな風に啖呵切れるなんてすっげぇよお前!」
「あ、ありがとうございます?」
 ほ、褒められた!?
「・・・すごいよ、来御崎さん!私達もあの電車に乗ってたんだけど、どうして痴漢してないって気付いたの?」
「・・・あの女性がずっと携帯と男性を交互に見ていたので、もしかしたらなにかしようとしているのかと思って見ていたんです。距離もだいぶ離れていましたし、何よりも行動があやしかったので・・・」
 二人はなんだか輝くような目で私を見つめてきます。そんなにすごいことはしていないと思うんですが・・・。
 グゥ~・・・
「ッ!!」
 なんで今鳴るんですか!!
「ん?もしかしてご飯まだだった?」
「い、いえ・・・」
 穴があったら入りたい・・・。
「もしかして、お財布忘れちゃったんですか?」
「・・・学生証をどこかに失くしてしまって、お金が足りなかったんです」
「あたし達今からだから、おごってやるよ。行こ!」
「いえ、大丈夫ですから!」
「遠慮すんなって」
 二人に腕を引かれ、私は食堂に連行されてしまいました。
 なんだか目の回る一日です。でも、嫌ではないです。
 お金を借りて食券を買い、私達は三人で席に着きました。
「なんとお礼をしたらいいか・・・」
「気にすんなって、お互い様だし」
「そうですよ、来御崎さん」
 そういえば二人の名前が分かりません。二人は私の名前を知っているようですし、どうやって聞いたものやら・・・。
「あ、あたし高橋 なつみな」
「私は佐伯 遥です」
「え?」
「今口に出してたぜ?」
 なんたる不覚。失礼なことをしてしまいました。
「すみません・・・」
「いいって、今日覚えてくれればいいし」
 そう言ってなつみさんは笑ってくれました。でも、私たちは三年生。それにもうあと数ヶ月しかありません。
「あ、あの」
「ん?」
「あ、あと数ヶ月しかありませんが、と・・・友達になってくれませんか?」
 自分から友達になってほしいと言ったのは、これが初めてでした。膝は震えるし、手の汗は止まらないし、もし断られてしまったらと考えるとすごく怖いです。
 でも、それでも私はお二人と友達に・・・。
「いーよ。っていうかそんなこと言わなくても友達なんていつのまにかなってるもんだろ」
「え?」
「そうですよ、来御崎さん。これからよろしくお願いしますね」
「っ・・・ありがとうございます」
 こうして私たちはお友達になりました。
 高校生活三年目初、クラスメイトのお友達です。


「桜庭先生、いい加減にしてください」
「・・・いてっ!」
 パコンっといい音が部屋に響く。
 なにか筒状のもので頭を叩かれたようだ。ソファに天井を見る形で横になっていた俺は、そのままの体勢で部屋を見渡す。
 昨日駅で女子高校生に助けられた後、(というと俺の威厳がなくなるというかなんと言うか・・・)仕事がまだ残っていた俺はそのまま仕事先である大学で一夜を過ごしたのだった。
「ちゃんと家で寝てくださいっていつも言ってるのに。それと、先生の講義もうそろそろ何じゃないですか?」
「・・・やば。いってくる」
「はい、いってらっしゃい」
 助教授兼俺の助手である悠陽に見送られて、俺は研究室を後にした。
 講義室までの廊下を歩きながら、俺は昨日助けてくれた女子高校生の学生証を見る。
 肩甲骨の辺りまで伸びた黒髪、同じ色をした大きな瞳、それを引き立てる透き通るような真っ白な肌。姿形はとても魅力的なのだが、彼女の纏う独特な雰囲気がそれを隠しているように見えた。
 自分ではない誰かに押し付けられた彼女のイメージを守り続けて、自分の感情を押し殺している。生気がないというか、まるで人形のような感じがした。
 そういえば、写真からはそんな印象が受けられたが、あの時の彼女はそんな風には見えなかったな。俺のことをまるで自分自身のように怒りを顕にしている彼女は、とても綺麗だった。
 ・・・待て、俺は別にそんなつもりでこの写真を見ていたわけじゃない。っていうかまず女子高校生の学生証を持っている時点で怪しいんじゃないのか!?
 結局、講義室についても頭の中はそのことで一杯で、九十分間ひたすら黒板に古文を原文と同じ書体で書き続けるという奇妙な講義をしてしまった。
 生徒たちは途中で書き写すのをやめて、授業終わりに写メを撮っているようだったが、残念ながら今回の講義内容をテストに出すつもりはない。
 とりあえず講義を終えた俺は研究室に戻った。もう今日の講義は終わったが、確か今日は教授会があったはずだ。悠陽に任せてもいいんだが、今朝のこともあったし任せっきりにはできん。
 とりあえず朝食兼昼食を準備するために、座っていたソファから腰を上げた。
「ん・・・?」
 部屋の奥にある簡易的な台所に移動すると、ラップのかかった皿があるのが見えた。
『朝はああ言いましたが、これを食べたら少し横になってください。
                           アリス』
 サンドイッチが乗った皿の横に、そう書いてある書置きがあった。アリスというのは悠陽のことだ。有栖 悠陽、でアリス。俺は下の名前で呼んでいるが、生徒や周りの教授などはアリスちゃんとかアリス先生とか呼んでいるのを見かけたことがある。
 俺は呼ばないがな。
 皿とコップを持ってソファに移動した俺は、コーヒーを啜りながら時計を見た。時計の針はちょうど二本とも真上にきたところで、教授会までまだ余裕がある。仮眠を取ったあと一度出かけて戻ってくるくらいはできるだろう。
 食べ終えた皿を流しに置き、携帯のアラームを二時間後に設定した俺は、一度仮眠を取るためにソファに横になった。
 ポケットに入っている彼女の学生証を取り出して携帯の脇に伏せて置く。起きたらこの学生証を彼女に返しに行こう。そう考えながら俺は眠りについた。

 授業終了の鐘が校舎中に鳴り響きます。
 なつみさんたちにお昼をおごっていただいたおかげで、無事に午後の授業を終えることができました。
 そういえば、学生証はどこで落としたんでしょうか。家の中で落としたのならいいのですが、通学路とか駅で落としたらもう見つかる可能性は低そうです。再発行の手続きをしておいた方がいいかもしれませんね。明日にでも事務室に行きましょうか。
 カバンに机の中の教科書などを入れながら、明日の予定を立てます。新しい学生証が発行されるまで約二週間。昼食代がいつもの倍かかってしまうので、明日からはお弁当にしてみましょうか。
 朝起きるの苦手なんですが・・・。
 二週間の我慢ですね。おかずは夜ご飯の残りを詰めればいいですし、そう考えると楽かもしれません。
 学校を出た私は、夕食の献立を考えながら駅に向かいました。
 昨日は焼き魚だったので、今日は洋風のものにしますか。確か近くのスーパーでトマト缶が安かったはずですし。
 普通の女子高校生は帰り道に夕食の献立を考えたりしない、と中学の同級生に言われたことがあります。
 孤児院で育った私は、高校入学を期に一人暮らしを始めました。受けた高校が孤児院から遠かった、というのもあったのですが、孤児院にいる兄弟が増えてきて、お母さんたちに迷惑をかけたくなかったというのが本音です。一人暮らしの費用は、私の前の保護者が残しておいてくれたのがあったので助かりました。今はバイトと補助金をやりくりしてなんとか生活しています。
 偉い、とかすごい、という人もいますが、、これが私の日常なんです。
 そんな事を考えているうちに、駅に着いてしまいました。近くにある壁掛け時計を見ると、まだ電車が来るまでには時間があります。
 私は自販機で暖かいお茶を買って、ホームの中の椅子に座って時間を潰すことにしました。
 線路を見つめていると、昨日の出来事を思い出しました。
 そういえば、あの男性には失礼なことをしてしまいました。駅員さんがいなくなって緊張が解けたことは自分でもわかっていたのですが、あの方の服を掴んだままだったことが恥ずかしくて思わず走って逃げてしまいました。
 だって恥ずかしかったんですもん。
 もしかしてあの時に学生証を落としてしまったんでしょうか?向こうの駅についたら駅員さんに聞いてみたほうがいいかもしれませんね。
 あの時の駅員さんが出てこなければいいんですが・・・。
『まもなく電車が参ります。危険ですので黄色い線の内側で・・・』
 ホーム内にアナウンスが鳴り響き、電車が到着しました。降車する人たちを待って電車に乗ろうとしたその時。
「・・・見つけた」
 そう言って私の腕を掴んだのは、マスクをかけた見知らぬ男性でした。
**

 電車から降りてきた男性は、私の腕を掴むと無理やりホームに下ろしました。
 痛い。
 腕を痛いほどに掴まれ、抵抗しようとしてもその力に圧倒されて声を出すこともできません。恐怖心だけが私の心を支配していきます。
 怖い。
 駅にはたくさんの人がいましたが、私の姿を見ても見向きもせずに去っていきます。
 何が起こったのかもわからず抵抗もできなかった私は、ほとんど引きずられながら駅の隅にある多目的トイレに連れ込まれました。
駅の隅ということもあり、人通りはほとんどありません。
ガヤガヤとした喧騒が遠くに聞こえる中、男性は私の腕を頭の上で束ねると、私の体を壁に押し付けました。
男性はマスクをかけていて表情が伺えませんが、その目には光がありませんでした
 怖い。怖い怖い怖い。
 私は顔を背けて、体をよじらせて拘束から逃れようとすることしかできません。怖さのあまり、私の目からは一筋の涙がこぼれてしまいました。
 それを見た男性は嬉しそうに目を細めると、私の足の間に膝を押し込んで距離を更に近づけてきました。
「・・・諦めろ」
 男性の声が頭の中に響き渡ります。もう、ダメなのでしょうか。
 誰か・・・。
 心の中で助けを叫びつつ目を閉じかけた瞬間、私を拘束していた男性の腕が離れ、その体が真横に倒れ込みました。
「間に合った・・・」
 その時何が起こったのか理解するのに少し時間がかかりました。
 涙で濡れた目で前を見ると、そこにいたのは昨日駅で会ったあの男性でした。
 腰が抜けてその場に倒れかけると、男性が私を抱きとめてくれました。先程の男性とは違い、とても優しくて暖かな腕。安心したのか、それまでの恐怖が蘇って震えが止まりません。必死に男性にすがっても、震えは一向に止まりませんでした。
「・・・とりあえずこの場を離れよう」
 私の耳元でそう囁くと、男性は私を背負って多目的トイレを出ました。
 広くて暖かな背中。
 恐怖でこわばっていた体の力がぬけ、だんだんと意識が朦朧としてく中、そのまま私は意識を手放しました。

 悠陽に書き置きを残して大学を出た俺は、学生証を返すためにある場所に向かっていた。
 ある場所、といってもあの子の高校なわけだが。
 電車の窓に写っている俺の顔は、目の下に隈ができているしヒゲも伸びっぱなしで、明らかに不審者そのものだった。大学にある風呂には入ったものの、こんな顔では通報されても文句は言えそうにない。あの子の高校についたとしても、学校にさえ入れてもらえなかったらどうしようか・・・。
 そんなことを考えているうちに、電車は駅に着いた。車両が速度を落とし、左右に揺られながら停止する。
 俺は降りるために立ち上がると、一番近くの扉の前に立った。
 隣の扉にも俺と同じように扉が開くのを待っている人たちが大勢いた。高校生や会社員、買い物帰りの主婦。目に入ってくる人たちはいたって普通の乗客ばかりだったが、一人だけ異様な雰囲気を放っている人物が目に入った。
 マスクをかけて、光のない目をした一人の男。パーカーにジャージという気の抜けた服装で、それだけを見れば少し変わった男なのだが、周りを包む雰囲気というか、気みたいなものがとても不気味だった。まるで獲物を狙っているような、飢えたけもののような雰囲気。
 じっとその男のことを見ていると、そのうちゆっくりと電車の扉が開いた。
「・・・!?」
 扉が開いて目に入ったのは、昨日たすけてくれたあの女の子。彼女が降りる人を待って電車に乗ろうとした瞬間、あの男が彼女の腕を無理やり掴むと、そのまま駅に引き戻されて行くのが見えた。
 俺は必死に人の波を押しのけて電車を降りたが、もうすでに彼女と男の姿はホームになかった。
「クソッ」
 最後に見えた彼女の怯えた目が脳裏に映し出される。
 あの男は完全に彼女を狙ってあの電車に乗っていたようだった。
 あの時俺があの男のそばに移動していれば、少なくとも彼女を危険に晒さなかったかもしれない。
 後悔の念が襲いかかるが、もう起こってしまったことは下には戻らない。俺はただ、彼女の無事を願いながら走り続けた。
「すみません!ここをセーラー服の女の子が通りませんでしたか!?」
 道行く人に訪ねても、わからないと首を振るか、無視されるか。
 怒りと焦りで思考が赤く染まりそうになるが、理性を総動員させて彼女を探すことに専念する。
 その時、ふと視界の端に多目的トイレが映った。駅の中でもここは端の方で、人通りほとんどない。
 願うような気持ちでトイレに近づく。
『・・・諦めろ』
 !!
 聞こえてきたのは、あの男の声。
 扉を蹴り飛ばしたい衝動を抑えて、ゆっくりノブに手をかける。
 音を立てないように扉を開けると、そこには彼女を壁に押さえつけた男の姿があった。
 そこからはもう、本能のままに男を殴り飛ばしていた。
 崩れ落ちる彼女を抱き止め、震える体を背負ってその場を離れたあと、駅員にあの男のことを伝えて駅を出た。外の冷たい空気を吸うと、それまで赤く染まっていた思考が落ち着きを取り戻した。
 冷静になって考えると、俺はとてつもなく怪しい見た目なのではないだろうか。
 まぁ、自分のことは二の次でいい。
 とりあえず彼女を休ませなくてはならない。心配する駅員に知り合いだと言ってしまったこともあるし、どこか横になれるような場所があればいいんだが・・・。
 と、その時ポケットに入った携帯が震えた。彼女を椅子に座らせて電話を取ると、着信は悠陽からだった。
『今どこにいらっしゃるんですか?』
「駅」
『・・・なぜ』
「ちょっと用事があってな。ところで悠陽、ソファに布団を用意しといてくれないか?」
『出かけるまで寝てたのにまたお休みになるつもりですか?』
「俺じゃないよ。それもあとで話すから、頼む」
『・・・分かりましたよ。くれぐれも女子高校生を連れてきたりしないでくださいね』
「・・・おー」
 なぜわかった。
 とりあえずこれで場所は確保できたか。あと問題なのはこの子の家族にどう連絡を取るか、だ。もし夜まで目を覚まさなかったら警察に届けることも考えときゃならんな。

**

 女の子を背負ったまま電車に乗るのは気が引けたので、とりあえず駅の外でタクシーを拾った。
 大学に着いて研究室の扉を開けると、げんなりとした顔の悠陽が仮眠用の布団を持って待っていた。
「まさかとは思いますが・・・ゆ「誘拐じゃない」」
 俺の顔を見るなり誘拐犯扱いする悠陽を睨みつけて、とりあえず彼女をソファに寝かせる。青白い顔に涙の跡が残っている。俺はそっと彼女の頬を撫でると、首元のボタンを一つ外して布団をかけた。
「で、何があったんですか?」
「それがなぁ・・・」
この子をここに連れてきた経緯を約束通り悠陽に話す。悠陽は黙って俺の話を聞いていたが、話が進むにつれて下を向いていった。
「はぁ・・・」
「とりあえず、すまん。反省はしてない」
「少しは反省してくださいよ」
 そんなことを言いつつも、悠陽は彼女をここに匿うことを了承してくれた。
 今は大体五時過ぎ。事情を知った悠陽が代わりに教授会に出席してくれているので、俺はソファの近くに椅子を置いて彼女を看ていた。
 やはりまだ顔は青いままだったが、緊張が解けているのか穏やかな顔をしている。そのことに安心しつつ彼女の頭を撫でると、瞼がぴくりと動いて目を覚ましてしまった。
「・・・」
「大丈夫か?」
 まだ状況を理解していないのか、うつらうつらとした目で周りを見渡している。そして視線が俺を捉えると、目を見開いて俺を見つめた。
「あ、あの・・・どうしてここに・・・」
「M大学って知ってるか?俺はここの教授の桜庭珠樹だ。とりあえず説明するから落ち着いて聞いてくれるか?」
 まだ緊張感はあるものの、彼女はゆっくりと頷いて俺の話に耳を傾けてくれた。
 俺を助けてくれた時に学生証を拾ったこと、学生証を届けに電車に乗っていたらあの男を見つけた事、君が連れ去られるのを目撃していたこと。
 順を追って説明すると、だんだん思い出してきたのか彼女の顔がこわばっていくのがわかった。
「あの男は駅員に引き渡したよ。あ、それとこれ」
 返せずじまいだった学生証を渡すと、彼女はそれを受け取りつつ色々と頭の中で整理しているようだった。
 無理もない。それほどまでに急な出来事だったのだ。
 俺すらも理解したのは説明しながらだったのだから。
「あの、助けていただいて、ありがとうございました」
「あの時君が俺のことを助けてくれたおかげで、君を助けることができた。礼を言うのはこっちだよ。ありがとう」
「いえ・・・」
 少し恥ずかしそうにしながらも、彼女はぎこちない微笑みを向けてくれた。

Reminder of the past 第一章

Reminder of the past 第一章

年の差恋愛もの。 暴力的表現あり。 未完。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-02-03

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