「イライザ」

「作家でごはん!」サイトに投稿したものを頂いたアドバイスを参考に書きなおしました。http://sakka.org/training/?mode=view&novno=13420
※アドバイスとは無関係にキャラクターの名前を変更しております。産業革命前のイギリス風恋愛ファンタジーです。

深い霧の中から重々しい鐘の音が鳴り響く。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
夏至を過ぎたこの街の夕暮れは早い、すでに街頭の明かりがぽつりぽつりと点いていた。
エドワードは急いで下宿に戻ろうとしていた、六時には間に合わないかもしれない。
よっつ、いつつ、むっつ。
大時鐘の時刻を告げる鐘が打ち終わる。
ああ、と彼は溜息をつく、
彼女はもう通りすぎてしまったかもしれない。
あの角を曲がれば下宿の入り口が見える、

気になるなら話しかければいいのにと大学の友人は笑う、
しかしエドワードはその子を遠くから眺めているだけで幸せなのだ。
声をかける勇気は未だに持ち合わせていない。

いつも下宿の入り口ですれ違う女の子、あの子はどんな女性なんだろう。
ふと見上げると、同じ建物の窓辺から少年が一人顔を出していた。

どしん、とか、ぼす、とかそんな鈍い音がして体に衝撃が走った
何かが散らばる音がする、エドワードは石畳に尻もちをついて
「いてて……」といいながら前を見た。
前には黒髪の女性が同じように尻餅をついて座り込んでいる。

曲がり角でお互いが見えずに正面衝突してしまったのだ。
エドワードは慌てて身を起こすと「お怪我はありませんか」と手を差し伸べた
彼女に手を差し伸べて、気づいた。あの女の子だ。

「こちらこそぼんやりしていて」そういうと彼女はハッとしたように周囲を見た。
彼女の持っていた籠から物が落ちて辺りに散らばっていた、
いくつかの瓶は割れていて中身らしき液体や粉末が散乱している。

「ああ、どうしましょう」彼女は頬に両手を当てると混乱したようにいった。
「僕のせいです、弁償します」エドワードがそういうと、
彼女は困った顔でエドワードを見た
「いますぐ走ったら閉まる前に間に合うかもしれません」

彼女はエドワードを連れて街角を疾走した。以外に足が速い、
通りを三つほど超えて着いた所には「ブラウン病院」と書かれていた。

全力疾走した彼女は息が切れてしばらく言葉が出てこなかった、
面食らっている受付嬢に僕は事の顛末を話し、
彼女は、ダメにしてしまった薬をもう一度買いたいと息を切らして話した
彼女は名前をイライザだと告げた。

イライザが医院を訪れたばかりだったからか、話は早かった、
無事に新しい薬を彼女が手に入れるのを確認すると、
エドワードは支払いをしようと価格をきいた
びっくりするほど高価な薬でエドワードは内心
これでしばらく飯はじゃがいもばかりだなと思った。
「ごめんなさい高価だったでしょう?」
帰り道、イライザは心底申し訳無さそうにいうと
エドワードは「僕の不注意ですから気になさらないでください」と応じた。
それにしてもあんな高価な薬が必要だなんて、何か悪い病気でもあるのかなと
エドワードはイライザを心配した。イライザはそれを察知したのか
「これは弟の脚の薬なのです」といった。
彼女の弟は生まれてすぐ事故に遭い、脚が不自由になって、
松葉杖がないと歩けない身だそうだ。
脚は時々痛むらしく痛み止めを病院から買っている、それがこの薬だという。

下宿の前に着く頃には空は真っ暗になって久しかった、
エドワードが同じアパートに住んでいると知ると、
イライザは嬉しそうに「夕飯を召し上がっていってくださいませんか」といった
家に帰ってもじゃがいもを茹でるしかないエドワードにとって夢の様な誘いだった。

彼女の部屋は簡素ながらも清潔でいい匂いがした。
「遅かったね」という松葉杖をついた少年。
ブロンドのまっすぐな髪をおかっぱにしている。
十二歳くらいだろうか大人びた雰囲気がある。
「弟のアレックスです」とイライザは紹介した。
アレックスは突然現れたエドワードに不愉快そうな表情を隠さなかった。

しかし、エドワードの持っている本に興味を惹かれたようで、
それを読みたいと言い出した。イライザは困ったように
「弟は本が好きなんです」というと、
大切な本だから貸してもらうわけにはいかないのと弟を諌めた
そんなイライザを見てエドワードは快く本を貸した、本といっても大学の教科書だから、
読んでも難しいよと付け加えるのを忘れなかった。
「構わないよ」そういうとアレックスは頭の痛くなるような経済学の分厚い本を、
メガネを掛けて読み始めた。エドワードは面食らった。
イライザは奥の台所で料理をしながら
「アレックスはこの家の本という本を全部記憶してしまったの、
私の料理のレシピの本まで」と笑った。

イライザの家の食卓もじゃがいもだった、
茹でたじゃがいも、パンのプティング、野菜のスープ
「たいしたものは出来なくてごめんなさい」そういうイライザだったが、
エドワードにとってはこの上ないご馳走だった。イライザの料理は美味しかった。

アレックスは素早く食べてしまうと、また読書に没頭した。
少年が読んでも面白いとは思えないはずだとエドワードは不思議だったが、
アレックスが不意に頭を上げて「新聞はある?新聞が読みたい」といいだした。
エドワードは自分の部屋から今朝の新聞を取ってきた。

「この子に家庭教師をつけたりしないのですか」とエドワードはイライザに尋ねた。
すると「良い方が居ればいいのですが」と彼女は口ごもる、
エドワードは「よろしければ僕がなりましょうか」と提案した。
イライザは驚いた顔をして「たいしたお礼は出来ないと思うのです」というので
エドワードは「貴女の笑顔で十分ですよ」といってしまった。

いってから彼は気づく、ひどく気障な言葉ではなかったかと、
彼女を見るときょとんと彼を見ていた、
黒い綺麗な瞳で見つめられるとこちらの顔が熱くなる、
教科書を引き上げて部屋に戻る頃合いかもしれない。

翌日、大学の授業が終わると早々に
帰宅の準備をするエドワードを友人は目を丸くして見た。
気にしてはいられない、エドワードは今から天使に会いに行くのだ。

部屋につくとエドワードはドアをノックした
イライザはきらきらと輝くような笑みで彼を迎えてくれた、
アレックスは不機嫌そうだ、

部屋の中は相変わらず清潔だった、磨かれた窓、窓の下にはソファ。
部屋の真ん中にはテーブル、テーブルの上には一冊のノートと一本の鉛筆。
ボロボロになって表紙の文字が読めない本が二冊。

イライザに席を勧められて、エドワードが座ると、彼女はキッチンに引っ込み、
紅茶をポットに入れて持ってきた、ティーカップは三つ、
そしてこれ以上ないほど優雅な手つきで
彼女は紅茶をカップに注いでエドワードの前に置いた。

エドワードはイライザを見ると心が震えた。
彼女の黒髪はミルクのような白い肌に映えて美しい。
昨日は夕闇にまぎれてよく解らなかったが、
あらためて見るイライザは、眩いくらいに美しい人だった。

アレックスは咳払いをした、
「昨日の本を貸して」彼はそういうとノートを広げて鉛筆を持った、
彼は昨日と同じようにメガネを掛けると、細かい本の文字を読みだす。
時々ノートにカリカリと書きつける、「解らない単語があれば聞いてね」
エドワードはそういうのがやっとで特にやることが見当たらない、
「ここで僕も勉強してかまわないですか?」と聞くとイライザは快く承諾してくれた。
エドワードは時間があればやろうと思っていた大学のレポートを広げた。

窓からは夕暮れ時の柔らかい日差しと涼しい風が入ってきて気分がいい。
白いカーテンが光を受けて眩しい。外からは子どもの游ぶ声が微かに聞こえてくる。
彼女は窓辺に置いてあるソファに移動して、ブルーの布を縫い始めた。
絵のように美しい光景。
エドワードはそれに見とれつつレポートを書き始めた。
ゆったりとした時間が流れている。

どのくらいの時間が経ったのだろうか、急にアレックスが鉛筆を落とした。
それはコロコロとテーブルの下に落ちて転がる。
エドワードはそれを拾い上げてアレックスに渡そうとした。ところが何か様子がおかしい。
アレックスはうつむいて青ざめた顔をしていた。肌はじっとりと汗ばんでいる。
「どうしたんだ?」エドワードは声をかけた
「なんでもない」アレックスは押し殺した声で短く答えると、
「静かにしていて」といい窓辺に視線を送った。

アレックスの姉、イライザがソファに腰掛けて眠っている。
手には完成したブルーの木綿のブラウスがあった。
フリルがたくさんついた可愛い小さな女の子用のブラウスだ。
「姉さんはいつも働いているんだ」「僕の脚を治すために」
「うたた寝くらい邪魔したくない」
アレックスは押し殺した声で話した。手は脚を掴んで微かに震えている。
「痛いのかい?」エドワードは声を潜めてアレックスに話しかけた。
「大したことないよ、薬を飲めば収まる」
エドワードはアレックスのいう通りに脚を忍ばせて戸棚の中から薬の瓶を持ってきた。
イライザは深く眠っているのか起きない。アレックスは手慣れた手つきで薬を飲んだ。
しばらくアレックスは歯を食いしばって痛みに耐えていた。

アレックスが本を手に取ったのは薬を飲んで十分ばかりしてからだった。
彼は涼しい顔で勉強を再開し「さっきのことは姉さんにいうなよ?」、と念押しをした。
「わかった」エドワードは約束するとレポートの続きにとりかかるためにノートを広げた。
レポートといっても二十行ばかりかいて先に進めなくなっている。
気が付くとアレックスがエドワードのレポートをみつめていた、
アレックスはレポートのノートに手を伸ばすと、引き寄せて考え始めた。
「これの教科書はどれ?」エドワードは彼に本を渡す。経済学のものすごく難しい本だ。
それを彼は読み始めた。「これはどういう意味?」「こっちの言葉は?」
いくつかの質問をしたあと、彼は自分の考えを述べ始めた。
見事な理論展開だった。
エドワードは呆然とそれを聞きながら
ノートを取ったほうが良いかもしれないと思った。
「ここが解らないから、明日大学で聞いてきてよ」
アレックスはとどめにそういうとレポートを閉じた。
「僕の夢は大金持ちになって、姉さんを楽にしてやることだ」
アレックスがそうつぶやくと、眠り姫が目を覚ました。
「あ、あ……ごめんなさい、寝てしまって」彼女は顔を真っ赤にしてうつむいた。

すでに外は暗くなっている、エドワードはふと時間を見た。もうすぐ6時。
「そろそろ終わりにしましょうか」エドワードがいうと彼女も頷いた。
「私も仕事に行かないと……今日はありがとうございました」
イライザは輝くような笑顔でお礼をいった。

イライザはパン屋の手伝いをしている、そこに勤めて二年、
毎日、朝早くから夕方まで働く。時には夕方からも仕事に入った。
忙しい毎日だが弟のためだと思うと苦にならない、

アレックスも本当は他の子どもたちのように外で元気いっぱい遊びたいだろう
彼はよく部屋の窓から外を眺めている、そんな時の彼はつまらなさそうだ。
今日はエドワードさんに家庭教師に来てもらって本当に良かった、
アレックスは久しぶりに楽しそうにしていた。
イライザは二人が勉強している様子を思い出すと微笑ましくて笑顔になった。

パン屋に着くと彼女は手早くエプロンを付けた。
夕方からは明日のパンの仕込みを手伝う。

その日、パン屋のおかみさんはいつになく申し訳無さそうに声をかけてきた
「実は私の姪が手伝いに来てくれることになったの」
「精一杯やってくれているのはよく分かるのだけど、
他のお仕事を見つけてくれないかしら」
イライザはショックで目の前が暗くなりそうだったが、無理やり笑顔を作ると
「わかりました。今までありがとうございました」といった。

仕事をしながらイライザは様々なお店を思い浮かべた、
どこなら雇ってくれるだろうか、レストラン、床屋、酒場、魚屋、肉屋、
明日は片端から当って仕事を見つけ無くてはならない、

もしかしたらカメリアのペンダントを質に入れなくてはいけないかもしれない。
これまでなんとか入れないで済んで来たけれど、もし仕事が見つからなければ
弟の薬代が払えなくなる。
カメリアのペンダントは生前、父が母に贈った大切な品物だ。
両親は弟が生まれた時に事故で亡くなり、他の遺品は親戚に持って行かれたり、手放したりしてもうない。
このペンダントが父と母がこの世に存在していたことを示してくれる最後の品物になる


翌日イライザは、足を棒にして街中を歩き、仕事を探したが、
案の定なかなか見つからなかった。
イライザは仕方なく質屋にカメリアのペンダントを預けお金を借りることにした
お金はあまり借りられず、薬代三回分になるかどうかという所だ
彼女は縫い物の仕事を見つけては寝る間を惜しんで働いたが、
支払いには全く足りない、

イライザは仕事を探しながら、道にお金が落ちていないか探した、
そこまでしてでもお金が必要だったのだ、
そうするうちに彼女は貧民街に紛れ込んだ、ここは不思議な臭いがする
周りの人がイライザをジロジロ見る。
彼女は目立つ格好をしているわけではない、
母から受け継いだ素敵な衣装はすでに手放してしまった
できるだけ安い布を買って自分で作った服に継ぎを当てて着ている。
それでも、ここの荒んだ空気にイライザは危機感を感じた。
早くここを離れたほうが良い。

その時、道端にキラリと光るものを見つけた、コインだろうか。
よく見ようとかがむと子どもがぶつかっていた、
はっと気づくと財布が無かった。イライザは子どものあとを追おうとする。
子どもは無言で走り去りすでに人混みに紛れ込んでしまった。
あのお金がないとペンダントを手放すことになってしまう。
なんて馬鹿なことをしたんだろう。
自分の不注意のせいで両親の形見を失ってしまうことになるとは。
あれは彼女だけの物ではない、弟にとっても大切な品物なのに。

「邪魔」女の人の声がした。
「そんなところで辛気臭い顔しないでくれる?邪魔」
綺麗に化粧をした赤毛の女性がドレスを揺らしながら出て来た。
「ごめんなさい」イライザは子どもが消えた方向を眺めた。
この街の奥に続いている。彼女はそちらに足を向けた。
「そっちは危ないわよ」女性は煙草に火を着けながらいう。
「貴女はこの辺の人間じゃなさそうね。この奥に行くのは止めたほうがいいわよ」
「でも、財布を取られてしまって・・」イライザは困って女性を見た。
「諦めなさい、もう戻ってこないわ」

赤い髪のその女性は夜の仕事をしている人だとすぐにわかる。
そういった仕事なら、もしかしたらあるかもしれない。
イライザは追い詰められていた。
「こんなところに居ないで早く帰ったほうがいいわよ」とその人はいった。
「何か、いい仕事はないでしょうか?」イライザが藁にすがる思いで彼女に相談すると、
「いい仕事なんてこっちが教えて欲しいわよ」と女性は笑った。
そしてイライザの顔をじっくり眺めて、
「そんなに金が要るなら仕事を紹介してあげようか?」といった。
その時の女性の笑顔は微かに悪巧みを隠していたのだが
イライザは気づかなかった。


エドワードが大学に行くと仲の良い友だち、レオが話しかけてきた。
「最近、どうしたんだ?ずいぶん教授が感心しているぞ」
エドワードはイライザの弟の家庭教師を続けていた、むしろこちらが生徒だった。
弟が質問してくることを伝書鳩のように大学で教授に伝えると、
たいていの教授は驚き、そして熱心に解説してくれるのだ。
エドワードの成績はすこぶる良くなった。
「いい家庭教師が付いてね」エドワードが帰り支度をしながら答えると
「そんな素敵な家庭教師なら俺もぜひ紹介してほしいね」とレオはいってにやにやと笑う。
「最近さっさと帰るのはその家庭教師に会うためか?」
エドワードはすべてを見透かされていると思った。

レオはある豪商の三男坊で遊び人だった。
家業を継ぐ必要もないが、することがないのでロンドンの大学に通って来ているのだ、
そのためか、あまり真面目に勉強していない。
それでもそれなりの成績を残せるのは元々の頭が良いからなのかもしれない。
エドワードはレオと立場が正反対だ。彼は地方の小さな商人の長男で、周りに期待されてロンドンに来ている。
勉強は頑張って一人前だが、なけなしの金で大学に出してくれた両親を泣かせるわけにはいかない。

「お前にレディの扱い方がわかるとは思えないな」
レオはぶらぶらと僕のあとを付いてくる。
「なあ、今晩空いているか?いっぱいやろうぜ」
エドワードは早く帰りたかったのでその誘いを承諾した。
どうせいつものお店で冷やかされながら呑むのだろう。
軽く呑んで早く引き上げよう。

エドワードは下宿に戻るとイライザの部屋に行った。
今日も家庭教師をしてくれと言われていたのだ。
しかし家には弟しか居なかった。
「姉さんは今日、急用で居ない」弟がそう告げると、
エドワードはがっかりした。
そんな彼を弟は軽蔑した目で見ると
「姉さんも見る目が無いな」といった。
「どういうことだい?」エドワードはムッとして意味を正す
「だって、家柄も良くない、お金もない、勉強もできないだろ?」
弟は冷ややかにいう。
ぐうの音も出なかった。エドワードがしょげかえっていると
「せめて金持ちだったら姉さんも楽になるのにな」
弟はしみじみとエドワードを残念そうな目で眺めた。

夜になってレオと合流した。いつもの酒場に行くと思ったら違うらしい。
「いい店があるんだ」レオだけがウキウキとしている
馬車を使って町外れに向かう。酒場らしき建物の前に着いた。
ドアを開けると華やかなドレスを着た女性の姿が目に飛び込んできた。
みんなけばけばしいほどの化粧をしている。
「今日は奢ってやるよ」とレオはウインクする。「こういうお店はいやだよ」
慌てて帰ろうとしたエドワードを、レオとドレスの女性らが押し留めた。
「いいから、ちょっと付き合えよ」仕方無くエドワードはテーブルに付いた。
出されたお酒を恐る恐る呑んで周りを見渡すと、
様々なドレスを着た女性が客の男性と談笑している。
「好みの女の子がいたら教えろよ」友人は悠々と酒を飲みながら周りを物色している。
そしてある一点を見つめて手を降った。
その視線の先には赤毛の女性が居た。信じられないような格好をした女性だった。
まず髪が男のように短い、タイトなドレスは真っ黒で見たことのない
不思議なシルエットをしているが彼女になぜだか似合っている。
短い髪の奥から金のイヤリングがぶら下がっていた。
そして、イヤリングの輝きに彩られた顔はハッとするほど美しかった。

「マチルダ、髪を切ったのか?」レオは尋ねた。
「とても美しい髪だったのに」本当に残念そうだった。
「貴方があんまり髪を褒めるから切ったの」赤毛の女は取り澄ましていった。
レオは「またそんなことをいって……」と肩をすくめた。
女はキセルを吸いながら「あんな赤毛が好きだなんて変わった人ね」といった。

その時、エドワードは懐かしいような姿を見つけた。
「いい子が居たかい」レオの声が遠くに聞こえる、
他人の空似というのはここまで似ることがあるのだろうか
黒い髪にミルク色の肌、普段と違うのは豪華なドレスを着ていることだ
「お目が高いわね、あの子は今日入ってきたのよ」赤毛の女、マチルダの声が聞こえる
「今日、姉さんは急用が入った」どういうわけかアレックスの声も聞こえてきた、
一瞬横顔が見えた、間違いないあれはイライザだ。
どうしてこんな所にいるのか解らないが
会わないほうがいい、これは直感だった。

マチルダは気を利かせて彼女を連れてきた。

エドワードはその時のイライザの顔を一生忘れられない。
最初彼女は微笑すら浮かべていた、
普段から美しい顔は化粧で一層輝いて
エドワードはそれをみてドキドキした
彼と目が合うと、イライザはすっと真顔に戻った
彼がエドワードであることに気づき
激しく動揺した。
そして涙が一筋頬をつたい、
彼女はきびすを返して店の奥に逃げ込んだ。

店の奥でイライザは泣いていた。
マチルダが心配そうに声をかける、
なんでもないとイライザはいって
涙を拭いて出てきた、
そしてエドワードに囁いた
「このことは弟にいわないでくださいませんか」
わかった、絶対言わないとエドワードは約束した。

レオとマチルダ、エドワードとイライザは早々に部屋を取った。

エドワードはイライザを買うつもりなんて無かったのだが
このまま何もしないで帰ると
イライザは他の客の相手をすることになるのではないかと
気が気ではなかった。
そのため部屋で二人きりになった

気まずい空気だ。
エドワードは窓の外を眺めるふりをしながら、背中に意識を集中した
後ろにはイライザがいる。
暗い窓ガラスが鏡のように部屋の中を反射している、
イライザはお酒が回っているのか物憂げにベッドに座っていた
こんな表情は見たことがない、ガラス越しに見ていると胸がドキドキする

「ごめんなさい酔ってしまって……」イライザが静かに話す
「お水をもらってきましょうか?」エドワードは慌てて応じた。
「大丈夫ですもうちょっと待ってくださいね」イライザはそういうと
ベッドの縁を掴んで立ち上がった。
イライザは背中に手を回しコルセットの紐を探す。
「苦しいのですか?」
エドワードは彼女に近寄ると、恐る恐るコルセットの紐を外した。
柔らかなドレスの布がふんわりと広がる、
紐が緩まるとイライザは大きく息をついた。
「ベッドで休んでいてください」エドワードはそういうと
「僕は床でもなんでも寝られます」といって親指で窓辺を指し示した。
イライザは不思議そうにエドワードを見つめ
「そういうわけには参りません」
「お金を頂く以上、それに見合うことをしてください」といった。
エドワードは迷った、今日の彼女はとても美しい、
抱きかかえて唇を奪いたい衝動が彼の心に忍び寄る。
しかし、それは彼女が望んでいることだろうか
エドワードが望むことだろうか、きっと違う。

エドワードはイライザをベッドに座らせると
その前にひざまずいていった。
「僕は貴女のことを愛している」
「だけど、貴女の心や体をお金で買いたくはない」
「できればこういう仕事はしてほしくないけど、貴女には理由があるのですよね」
エドワードは突然胸が詰まった、こらえきれなくて涙があふれた。
「すみません」イライザがハンカチを貸した、エドワードは涙を拭く。
イライザはいった「お金を取られてしまったのです」
「他に仕事が見つからなくてここに来ました」
「でも、間違いでした」
「今日だけにします、約束します」
そういうとイライザはエドワードを抱きしめた。

エドワードにとってその夜は
寝苦しいことこの上ない夜だった。
イライザに抱きしめられて
その胸の柔らかさや腰の細さが
切なく彼を悩ました。

部屋の向こうのベッドでは
彼女がすやすやと寝息を立てている
エドワードは彼女に近づきたい、
彼女に触りたいという衝動を
必死で押し殺しているうちに
夜が明けた。

翌日、彼女は花模様が美しく掘られたペンダントを付けていて、
これは両親の形見なんですといった。
お金が多めにもらえたので、
しばらく薬代に困りませんと笑った。

エドワードが大学に行っている間に
イライザに厄介な出来事が持ち上がっていた。
イライザに仕事を紹介したマチルダが
店の金を持って失踪したのだ。

イライザの部屋に店のチンピラ達が押しかけた、
マチルダの代わりに金を返せと彼女に迫り
止めようとした弟を殴った、
イライザは、マチルダと関係がないことを説明したが
とうとう、自分が店で働いて返すという
契約をしてしまった。

そんなのあんまりだ、
エドワードは怒った。
イライザさんに罪はないじゃないか
それなのにどうして。
そんな契約守る必要はないですよ。
イライザはすっかり怯えていた
また弟が殴られるのを見たくないんです。
そういうと、覚悟を決めた。

エドワードは手持ちの生活費を集め彼女に渡した、
それでもイライザに課せられた金額には及ばなかった

エドワードは今度レオに借金を申し込んだ、
レオはそれを聞いて心配した。

「エドワード、目を覚ませ」
「女はいくらでもいる、こんなことをして両親に悪いと思わないのか」
エドワードは諦めなかった。「イライザさんはそんな女じゃない」
「どんな女か俺が確かめてやる」レオはそういうと勝手に彼女の居る店に足を向けた。


レオが部屋に入ると女が一人待っていた。黒い髪と白い肌、たしかに美しい娘だ。
イライザといったか。エドワードが夢中になるのも無理はない。
あいつは良い奴だからこんな所で人生を間違ってはいけない。
マチルダは彼女をまだ来たばかりの女と紹介したが本当だろうか?
他の男と遊びながら、純情なふりをして別の男を騙すのはこの手の女の十八番だ。
レオはイライザという娘に話しかけた。「僕の家は代々金持ちなんだ」
「僕は三男坊で、どんなに遊ぼうとも誰と付きあおうとも何も言われない」
「だけどエドワードは違う」「あいつは自分の家を背負わないと行けない奴なんだ」
「あんたはエドワードをどう思っている?」

イライザはおびえた目でレオを見た。
「あの方はいい方です」「私も申し訳ないことをしていると思っています」
レオは彼女をじっくりと値踏みした。顔は合格、体つきも合格、性格も良さそうだ。
何かに似ているなと思ったが、わかった。鹿だ、鹿に似ているんだ。

「俺は狩りが趣味でね」
「鹿狩をよくするんだが、あんたを見ているとその鹿を思い出す」

そういうとステッキの先を彼女の胸元に向け、銃を構える真似をした。
イライザは体を硬直させて立っていた。俺は一歩彼女に近づいた、
野生の鹿を追い詰めた時のように、彼女の体が小刻みに震えている。
更に一歩近づいた。イライザは怯えた眼でこちらを見た。
レオはいった「本当のことをいえ」「実は何度も男と寝てるんだろう?」

イライザは顔を真っ赤にした「そんなことありません」
レオはさらに続けた「お前みたいな商売女は嘘が上手だ」
「エドワードは騙せても、俺は騙せない」イライザは首を振った。

……エドワードの金が目当てならばそれ以上の金をチラつかせればいい。
女は喜んでこっちになびくだろう。そうすれば適当に遊んで捨てればいい。
多少の金はかかるが、大事な友人を救って、
それなりにいい女をモノにできるなら悪くない話だ。
「エドワードを忘れろ」
「俺の女になれ、そうすればここでの借金は払ってやる」

イライザはその申し出に呆然とした。
一瞬いい話だと理性はささやいたが、感情が伴わなかった。
第一エドワードに顔向け出来ない。

イライザは迷った。
「貴方を頼れば、弟を病院に入れられますか」
子鹿のような大きな瞳がレオを見据えた。
「もちろん、病院での治療費くらい出してやる」レオはいった。
長い時間をかけて彼女は決断した。「わかりました」

レオは銃に見立てたステッキを下ろすといった。
「商談成立」

――BANG!――心のなかで銃声が響いた。

その瞬間ドアが開いた。
エドワードが店の主人の静止を振り払って乗り込んできた
「レオ、イライザから離れろ!」
殴りかからんばかりの勢いで
エドワードがレオに向かってきた。

部屋のドアでは何事かと人だかりがしている
レオは店の主人にチップを弾んで
ついでにイライザの借金も半分ばかり払っておいた
金で解決するならそれでいい。
残りは後日というと、店の主人は満面の笑みを浮かべた。

空には月が煌々と輝いている。寒い冬の夜だ。
レオはコートの襟を立てると二人に背を向けて歩き出した。
一人になりたい、無性に酒が呑みたくなった。マチルダが居ればいいのに。

エドワードは良い奴だ。イライザも悪い女ではないのかもしれない。
二人は恐らく愛し合っているのだろう。その間に割って入るのはたやすいことだ。

だけど……。
後ろからエドワードの呼ぶ声がする、レオは手を降って二人に別れを告げた。
Good Night.

イライザはエドワードに連れられてアパートの部屋に戻った。
「話は後日」というエドワードの袖を引っ張り
今日のレオがいった取引の話を話した。
エドワードはイライザを抱き寄せるとその額に口づけした。
「僕は貴女のことが好きです」
「レオは良い奴だ、貴女の幸せがレオとあるなら、僕は二人を祝福する」
エドワードの声がかすれている。
「だけどできれば僕と共に生きて欲しい」
「おやすみなさい」


イライザが部屋に戻ると時計は二時を指していた。
弟はベッドですっかり眠っている。
イライザは洗面所で化粧を落として軽くシャワーを浴びた。
寝間着に着替えると弟の隣のベッドで横になったが、
暗い中でいつまでも眠れなかった。
エドワードの言葉を何度も頭のなかで考える、
母さんが生きていればどちらの申し出を受けろというだろう。

すると、闇の中から弟の声がした。
「姉ちゃん……俺が幸せにしてやるよ」と彼は寝言で呟いていた。
あらゆる人がイライザを愛し支えている。
それに気づいたイライザは涙が出てきた。

翌朝、起きてきたアレックスにイライザは尋ねた。
「エドワードさんをどう思う?」
アレックスはぽかんと口を開け「いいやつだけど出世しないよ」
といったのでイライザは笑った「そうかしら」

イライザは首から下げたカメリアのペンダントを指でいじくり聞いた。
「この形見のペンダント、手放すことになってもいい?」
「今、どうしてもお金が要るの」弟は静かに「構わないよ」といった。

エドワードさんにまずはお金を返そう、生活費がなくて困っているはずだ
イライザはそう考えると、ペンダントを質に入れて資金を調達した。

イライザがエドワードの部屋に着くと中から話し声が聞こえる
出てきたエドワードは少し困った表情だった。
「田舎から両親が来たんだ」「良かったら入ってくれないか」

髭を生やした中年の男性と上品な女性、その二人にエドワードはイライザを紹介する
「父さん、母さん、この人を僕は愛しています」
「他の人のことは考えることが出来ない」
イライザは部屋のテーブルの上に美しい女性の写真があることに気づいた。
「(お見合いかしら)」イライザの視線に気づいたエドワードの両親はいう
「さるお家のご令嬢です」「エドワードのお見合い相手としてお話が来たのです」
「このお見合いに彼の人生はかかっています」
エドワードは面食らい、首を振って否定する。
「僕は、お見合いはしないといっているじゃないですか」

エドワードの父親は、咳払いを一つするとイライザを眺め
「エドワード、お前は最近ある女性に大金をつぎ込んだと聞いた」
「その女性がこの方かね?生活費すらもう残っていないそうじゃないか」

エドワードは父親の視線を遮るように移動する
「緊急事態だったのです」
そういって彼はイライザの弟が脚の病気であることを話した。
当面の治療費が必要だったのだと。

今度はエドワードの母親がイライザに聞いた、
「イライザさんのご両親はどんな方かしら」
「私たちはしがない商人ですが、エドワードはこれから社交界にも出なくてはなりません」
「今回のお見合い相手は申し分ない家柄の方なのです」

イライザは記憶を辿る、昔は古い大きな屋敷に住んでいた。
両親の死後、屋敷は親戚の手に渡り、イライザ達は親戚中をたらい回しにされ
大きくなってからは今のアパートに住まわされている。
ここに住んでからぱったりと親戚からの連絡は途絶えた。
あのカメリアのペンダントには生まれを表す家紋が彫ってあった。
ペンダントは今、質屋にあり、彼女の生まれを証明する手立ては他にない。

エドワードの母親は優しくも厳格にいった。
「エドワードの幸せを願うなら、お見合いの邪魔はしないでいただけませんか」
邪魔といわれてイライザは悲しくなった「そんなつもりはありませんでした」

イライザは頭を下げるとエドワードの部屋を飛び出した。
後ろからエドワードが追いかけてくる、
彼女は振り向くと持っていたお金の包みを押し付けた。
「使った生活費はこれで足りますか?」

そういって、イライザは自分の部屋に駆け込んだ。ダイニングを抜け
ベッドが置いてある部屋に閉じこもると、声を殺して泣いた。

エドワードはイライザの部屋のドアの前で呆然と立ちすくむ
ドアを叩こうとすると部屋の中から弟が顔を出した。
「姉さんを泣かしたな」そういうと彼は恨みがましい目で睨み
ドアをぴしゃりと閉めた、
それから何度ノックしてもドアは開かなかった。

エドワードの大学の成績は下がる一方で。
勉強も講義も身が入らず、彼は一日イライザのことを考えていた
両親は来週お見合いをしろ、しないなら大学を辞めて帰って来いといって、
それも悩みの種だ。エドワードはあてもなく街を歩いた。

偶然質屋の前を通りかかると
見覚えのあるペンダントが置いてあった
イライザが両親の形見といっていたペンダント、それに瓜二つだ。
エドワードは自分のせいでイライザが非情な決断をしたことに気づいた。
先日、彼女から渡された生活費は、あのペンダントを質に入れて作ったものなのだ。
あれにはきっと沢山の思い出が詰まっているに違いないのに。

大学を辞めて仕事を探そう、エドワードは決心した。
ペンダントを取り返しイライザに渡すのだ、それが自分の最大の誠意だ。
稼ぎは微々たるものでしか無かった、イライザの住む世界が
どれだけ苦しいものなのかエドワードは解った。

ある日くたびれ果てたエドワードをイライザが部屋の前で待っていた。
「大学には行ってらっしゃらないの?」エドワードの汚れた作業着姿を見て、
イライザは尋ね、エドワードは頷いた。

イライザを部屋に招く、長い沈黙が訪れた、
最初に話し始めたのはイライザで、
大学の勉強は続けたほうがいいとエドワードを諭した
「私はレオさんの申し出を受ける」そういうと彼女は唇を噛んだ。
「君はレオを愛しているのかい?」エドワードは心に引っかかっている疑問を口にした。
首を振るイライザ。「私のことはいいのです」
「一生懸命やっても、どうにもならないことはあります」
「レオさんに頼れば、弟を病院に入れることができるし、生活も楽になる」
「エドワードさんは親孝行をしてください、私はもうできないから羨ましい」

「僕は、君がレオを愛しているなら身を引くつもりだった」
エドワードはイライザを抱き寄せた。以前より痩せた体をしている。
「愛や恋なんて私には贅沢なものです」そううそぶきながら
イライザはエドワードに身を委ねた。
「僕は君を愛しているよ」そういうとエドワードはイライザと唇を重ねた。

脚が痛い、アレックスがそういって苦しみだしたのは
それから数日後のことだった。イライザは彼を病院に連れて行くと
医者はこの際、郊外の専門医にいってきちんと治療を受けたほうが良いと助言した。
入院費は高く、イライザとエドワードの稼ぎを合わせても足りない。
エドワードは両親に借金を申し込んだ、
返信には「金を出す代わりにお見合いを受けろ」とあった。
金はいわばイライザへの手切れ金である。

エドワードは次にレオの元に向かった、
彼に借金を申し込み、理由を話して土下座した。
「イライザが頼みに来い」レオはそういってエドワードを追い返した。

イライザはレオのもとに向かった、エドワードもついてくるという。
二人でレオの屋敷に足を向けた。

大きなお屋敷だった。表は人が忙しそうに出入りしていた。
二人は正面の玄関からは行けないと思い、裏口を探すと小さな門があった。
レオに用事があるというと、よくある話なのか小さな部屋に通されて、
そこで待てといわれた。
レオから、イライザだけに話があると言われたようで、彼女だけ別室に連れて行かれた。
別室は離れていて、複雑な通路を通った。

イライザが別室で待っていると
しばらくしてレオが現れた。イライザが座っていた椅子から立ち上がってお辞儀すると
レオは「やあ」と簡単に挨拶をしてくれた。

イライザは切り出した。「弟の治療費が要ります、お金を貸してください」
「そうらしいね」レオは椅子を薦めて自分もソファに腰掛けた。
パイプを取り出すと煙草に火をつけた。
「以前、俺は君の借金を払った」レオがいうと、イライザはゆっくり頷いた。
レオはイライザを眺めた。「その分をまだもらっていない」「すみません」

レオは天井を見上げると「俺のいうとおりにしてもらおうか」といった。

レオは自分の座っているソファを叩き、
「僕の横に来てお座り」といった。イライザはいわれるままに彼の隣に座る。
するとレオは肩に手を回してイライザを引き寄せた。「僕に口づけしてごらん」
イライザは彼の頬にキスした。彼は笑い出すと
「そうじゃないよ」といって彼女の顔を掴んだ。
驚いたイライザの表情をじっくり観察するように眺めると、おもむろに唇を合わせた。
イライザは立ち上がった「何をなさるんですか」といった、体中に悪寒が走る。
「いうとおりにしろといっただろう」レオは冷ややかにいった。
「辛い思いをしないで金を貸して貰えると思うのか?」
イライザは何もいえなかった。

「さて、いくら欲しいんだ?」イライザは惨めな気持ちになった。
弟の入院代を計算していうと、彼は財布を取り出してお金を床に置いた。
「好きなだけ取ればいい」
イライザは腹が立った、何も貰わず屋敷を出ようと思ったが、
弟のことを思ってとどまった。
イライザが床にかがみこんでお金に手を伸ばすと、その手をレオが踏んだ。
「そうだね、もうちょっと何かしてもらおうかな」
「俺のズボンのボタンを外してくれるか?」
できないといいかけたが、お金のためだと思うといえない。
イライザは片方の手でいわれたとおりにした。
レオはそこから男性の象徴を取り出した。
イライザは恥ずかしくなって顔をそむけた。
「こんなもの見慣れているんだろう?」「口に咥えろ」
「上手にできたらそのご褒美をくれてやる」男は薄笑いを浮かべている。
イライザは悔し涙を流しながらそれを口に咥えた。
その味が口に広がると吐きそうだ。
「ふふ、なかなか興奮する」男は面白そうにいうと「次は舐めるんだ」と催促する。
先端だけを舐めていると、顔を掴んで喉の奥までいれられた。
「下手くそだな」そういいながら奥まで差し込む。
吐きそうなのをこらえて口の中で動かされるのに耐えていると、
男の息が荒くなってやがて口の中に何かが出された。

「まだ吐き出すなよ」といわれたが気持ち悪くて仕方がなかった。
それは人の体から出たものとは思えない不快な匂いがした。
男は時計を見て「十分耐えろ」と命じた。
イライザは両手を床に付いて口に唾液が貯まるのを感じた。男を何度か見上げたが、
にやにや笑うだけで許してもらえそうな様子はない。
吐き出すことは出来ない、飲むのは絶対に嫌だった。
長い、長い十分だった。
「洗面台は向こうだよ」男が指差したドアに彼女はかけて行った。
ドアを開けるとそこは洗面所ではなかった、エドワードが待たされている部屋だった。
イライザはその場に唾液を吐き出してしまった。口中に嫌な臭いが広がる。
「こいつは、こういう女だ」レオが低い声でいった。
「金のためならなんでもする破廉恥な女だ」
「イライザ……」エドワードは言葉を失っていた。
イライザは顔を手で覆って部屋を飛び出した。
エドワードはイライザの後を追いかけようとしたがレオに止められた。
「いい加減目を覚ませ」というレオを振り払って彼はイライザを追った。

ぼんやりと街を歩いていた、どうやって屋敷を出たのか覚えていない。
イライザは自分が酷く汚い人間に思えた。悪夢なら良いのに現実だ。
いや、自分は汚い人間なのだ、こうなるのは当たり前の結果だったのかもしれない。
そもそも辛い目にあわないで金を貰えると思っていたのが浅はかだったのだ。
エドワードのことを思うと胸が締め付けられそうだ、彼は私に幻滅しただろう。

イライザと弟がアパートから居なくなってしまった。
エドワードは行方を探したがどこに行ったのか解らない。
レオとイライザが隠れて何をしていたか考えるとエドワードは吐きそうだった。
イライザを信じたいが、彼女の行方は解らない。
もう諦めるしかないのかもしれないと思った。

エドワードはお見合いに行った。
真新しいスーツを仕立て、髪を切り、髭を剃り、風呂に入った。
こざっぱりとした気分で生まれ変わったようだ。

お見合いをした屋敷の庭園は美しく、特に大きな椿の木が見事だった。
エドワードは歓迎され、着飾った婦人や紳士が賑やかに談笑していた。
お見合いの相手はにこやかにエドワードに挨拶した。
美しい優雅な物腰はイライザを思い起こさせる。
「娘はピアノが得意なんです」そう紹介されて彼女はピアノの椅子に座った。
彼女は軽やかな指の動きでショパンを弾くと
「なにかリクエストはありますか?」と聞いた
エドワードは「貴女の一番好きな曲を弾いてください」といった。
彼女は快く引き受けると、ボロボロになった譜面を引っ張りだし弾き始めた。
美しくもドラマチックなメロディ、ベートーヴェンのエリーゼの為にだ。
エリーゼはイライザ。
エドワードはふとあのペンダントの花模様を思い出した。
あれは椿の花ではなかったか。
そうだ、あのペンダントだけは返さなくてはならない。
彼はその場の全員に謝って屋敷を出た、椿に追われるように屋敷を出る。
初雪がちらついていた。

ペンダントは美しさもそのままに残っていた。
エドワードはまだイライザとの縁が残っているのだと思えて喜んだ。
彼は家中の金をかき集めてそれを買い求めた。

手紙が来ている、それはイライザの弟からだった。
彼は怒っていた、姉さんの様子がおかしい、心あたりがあるなら教えてくれ。
住所を見るとロンドンの郊外のようだ、
エドワードはすぐさまその住所に向かった。

冬枯れの牧場は、静かで何もなくて、淋しい。
うつむいて咲く椿の花だけが景色を彩る。
イライザは郊外の牧場で仕事を見つけていた、

ふとした瞬間にロンドンのことを思い出す、
記憶を消したい、思い出したくない、
彼女はハンカチで涙を拭った。
あの日から男性が怖い。

「イライザさん」聞き覚えのある声。
振り向くとエドワードだった。

「何しに来られたのですか?」イライザの言葉が邪険になる。
エドワードはいった「弟さんが貴女が変わってしまったと僕に連絡してきたのです」
「僕は貴女が心配で顔を見に来ました」
「貴方にはもう関係のないことです」イライザはわざと冷たくいった。

エドワードは続けた「お見合いは断った、親とは絶縁状態です」
「僕達やりなおせないでしょうか?」

イライザは驚いた、やり直す?どうして……。
「私は貴方に愛される資格なんてない、ずるくて汚い女です」
「私が貴方を裏切って、レオに何をしていたか覚えていらっしゃるでしょう」
ふと涙があふれた。止めようと思っても止まらなかった。
「泣かないでください」エドワードの手が肩に触れた。
「あれはレオが無理にやらせたのでしょう?」

エドワードはペンダントを取り出した。
「これは貴女のものでしょうか」
それは質に入れて手放したはずのカメリアのペンダントだった。

「どうしてそれを」イライザは信じられない気持ちだった。
「せめてこれだけは受け取って欲しい」
エドワードはそういうとイライザにペンダントを付けた。

イライザはいった、
「あの日から私は自分に嫌悪感が消えない」
エドワードは黙っていた。
イライザは続けた。
「エドワードさんはあんなことをした私に口づけできますか?」

もし、彼がイライザに嫌悪感を持つなら仕方がない。
そこまでの縁だったのだ。
だがもし、そんなこと気にしないといわれたら
今度は彼女がエドワードに対して幻滅する。
自分にとって深く傷ついた重大な出来事が、
彼にとってはとるに足らないことだったのかと。


エドワードは考えていた。
「時間がかかるかもしれない。でも必ず受け入れてみせます」

エドワードのその言葉は
こわばったイライザの心をだんだんと元の柔らかさに戻していった。

粉雪を被ってうつむいて咲く椿の花、
遠くから誰かのピアノの音がする。
美しくもドラマチックなメロディ、聞いたことのある有名な曲だ。
そう、たしかベートーヴェンのエリーゼの為に………。
エリーゼは英語に訳すならイライザ。
ベートーヴェンは、どんなイライザに恋をしたんだろうか。
静かにエドワードは思った。

― 了 ―

「イライザ」

「イライザ」

「作家でごはん!」サイトに投稿したものを頂いたアドバイスを参考に書きなおしました。http://sakka.org/training/?mode=view&novno=13420 産業革命前のイギリス風恋愛ファンタジーです。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 恋愛
  • 成人向け
  • 強い性的表現
更新日
登録日
2016-02-02

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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