雪華

雪華

雪華

(一)

三十年以上も経ったある吹雪の日、私は激しい風雪に身を捩じらせながら、その通りを歩いていた。正午も過ぎたばかりだというのに、辺りはすでにどんよりと暗く、渦巻くように舞い上がる雪嵐の中では、前後の方角すら覚束なかった。
 私は前かがみに身体を折り、顔に叩きつける雪を避け、薄目がちにのろのろとあの場所を目指して進んでいた。古い駅舎からそこまでは、晴れた日ならものの十分もあれば着くはずだが、この日の歩みは計りようもないくらい遅々としていた。
 頭の中にはしっかりと辺りの地図は刻まれていたが、そんな感覚さえもこの吹雪の中ではあやしく、足取りはまったく頼りなかった。こんな季節に、電車や飛行機を乗り継いで、遠路はるばるわざわざこの港町に戻ってくるとはよほどの用事があったはずだが、荒れ狂う真冬の雪空の下では、まともな思考もかなわず、ただ途方に暮れるばかりだった。

 千歳空港ターミナルからJR線に乗り換え、暖房の効いた電車のボックス席に身を置くと、急激に気だるい疲れを覚えた。この雪のシーズンには、悪天候ゆえの飛行機の欠航もしばしばで、無事に北の大地に到着できただけで張り詰めたものが消え、気が抜けたせいかもしれなかった。
 窓の外を走る寒々とした雪景色を眺めていると、旅の空の居心地の悪さも手伝って、自分一人だけがその冷たさに曝されているような気分になっていた。
 
私は外を眺めるのを止め、寒さから身を守るように身を屈め、目をきつく閉じ、じっとして揺れる電車の轟音の中に入り込んだ。
気がつくと電車はすでに札幌を過ぎ、じきに海岸線の見えるところまで来ていた。慣れぬ旅の疲れと列車の振動に揺られながら、私はいつの間にか寝入っていたらしい。朦朧としたまま辺りを見回すと、車内は随分と込み合っていて、私のボックスにも空きはなく、人いきれに満ちていた。余程眠りが深かったのか、途中停車したはずの札幌駅の喧騒も知らずに眠り込んでいたことが私には驚きだった。
 しばらくして、電車の進行方向右手に荒々しい白波が見え始めると、私の内部は急に覚醒した。故郷の街に繋がるこの海岸線は、私には特別なもので、ただこれを目にしただけで胸は高鳴った。
電車は、山と海に挟まれた狭い曲がりくねった線路を、激しい高波の飛沫に追われるようにしながら駆けていた。おまけにいつの間にか降り出したのか、細かな雪片が窓を叩き、暴れ狂う鈍色の海原が次第に霞んでいくほどだった。

 用事というのは、こんな季節に帰省するために無理に拵えたもので、高齢の母親の具合があまり良くないと言えば、家族もそして私自身も納得するものだった。だが、私の心に湧いてきて、どうしてもこの時期再びこの生まれ故郷の港町に戻らなくてはと迫ったのは、母のこととはまったく別の想いだった。
 私の内部で消えることなく、ずっと長い間微かに生き続けていたある光景が、いつの頃からか、急激に勢いを増し私に向かってきた。それは、生地を思いやるというありふれた郷愁に、加齢という冷徹な現実が、さらに拍車を掛けたせいだったかもしれないが、その情景は私の内部にいつまでも残存し、繰り返し繰り返し止むことなく届く、故郷からの冬の定期便のようにも感じられた。

除雪車に跳ね除けられた雪が、家々の軒下近くまで高く積み上げられ、屋根の庇から突き出た数メートルにもなりそうな太い氷柱と、ある高さでぶつかり合うような冬景色の中に女はいた。
頼りなげな細い電信柱に取り付けられた小さな電灯の下で、冷たい風に舞う雪を受けた派手な色合いの傘が回っていた。
 厚手のコートの赤が、弱々しい光に反射し雪の白に映えていた。この凍てつく寒さに拮抗するかのように、無造作に垂らした長い髪の黒と、濃い目に引いたルージュの赤が際立っていた。
「ねえ、お兄さん、ちょっと」女の声は、深閑とした雪の夜道に木霊した。
 
(二) 

父が死んだ後、独り残った母は札幌の兄のもとへ移り、その際私たち家族が長い間住んだ、静屋(しずや)通りに面した二階建ての古い木造家屋は他人の手に渡った。それは十五坪程度の小さな家で、もとは小料理家だったのを住宅用に改築し、引っ越したのは私が中学三年の秋のことだった。
この建物を購入したそもそもの理由はと言えば、衣料品の行商を生業としていた父母にとって、駅から十分という商売上好都合な立地条件が気に入ったからだ。鉄道を利用して頻繁に他所に商売に行くことを考えれば、民家としては狭く、しかも築五十年はゆうに経っていたその古さはさほど問題にはならなかった。それに当時は、駅の間近に手頃な売家が出るなどということは少なく、この家はめったにない好物件だった。
 それまで住んでいた家は、三軒続きの借家で、駅からも遠く、そして家族五人が住むには狭すぎたが、終戦後の厳しい時代を生き延びるのに精一杯だった両親には、日々を暮らすために必死で、自家を持つなどという余裕はまったくなかった。
だが時代は変わり、町の住環境も次第に改善される頃、幼い時には感じなかったその家の貧弱さを、私は次第に感じるようになり、中学生になった頃だと思うが、それとなく母親に苦情を言い立てたことがあった。  
母は息子から言われたその言葉にひどいショックを受けたという。
自分の子供から「こんな家は嫌だな」そう言われたことを、「お前のその言葉は忘れられなかったよ」と、後になって母は私に向かってしみじみと語った。
「だから、この家が売りに出ているのを聞いた時は、何としても買って移ろうと思ったよ」
その言葉通り、母は実家に赴き、両親に頭を下げ、借用証書まで拵え、数百万の金を工面してこの家を購入した。没落商家の長男坊で商才に劣る父には、当時資金を用立てる力はなく、母は恥を偲んで実家に頼ったのだ。そんな苦渋の経緯を、私は母から後年聞かされて知った。
小さくて古い家だったが、借家住まいの居心地の悪さを思えばまるで別天地で、通りに面した二階に自分用の部屋を与えられた私は、借家の時、二人の姉たちと狭い空間を分け合い、自分だけの居場所など無いに等しかった境遇から抜け出し、ようやく新しい人生が始まるような、ひどく高揚した気分になったのを覚えている。

家のあった静屋通りは、繁華街である都通りと、札幌に至る交通の要衝国道五号線に挟まれた狭い通りだ。昼夜は人通りや車の往来は少ないが、夜明け前から八時ころまでは、中央市場に隣接する場外市場の趣があって、露店形式の店が連なり人通りも多く、かなり賑やかな一画になっていた。
港町小樽は海産物が豊富で市場も数多くあったが、中でも駅に近い中央市場は規模も大きく商店の数も多かったから、当時は海産品を中心とした食品の流通基地としては市でも有数の繁華街となっていた。夜明けの遅い冬期などは、夜の暗闇が残る中で人の動く気配や賑やかな売り声がして、引っ越し当初はこの早朝の喧騒がひどく気になったりもした。
 だがこの通りが賑わうのは一日のうち早朝の間だけで、朝も九時を過ぎると一気に静寂が訪れ、あとの大半は静かだった。特に夜間の静けさは気味の悪いほどで、たまに通る人の靴音が、異様な響きで通りに面した二階の私の部屋に聞えるほどだった。
町内には、染め物屋、仕立て屋、寿司屋、八百屋、飲み屋、古い倉庫などが軒を連ね、裏通りの地味な暮らしが窺われる環境だったが、その中に旅館が一軒あった。染め物屋と寿司屋に挟まれた間口の狭い、ちょっと見には商売屋なのか一般家屋なのかわからない造りの小さな旅館だった。
背の低い小太りの醜い老婆が、朝方よく玄関先の掃き掃除をしていたが、通学時にその老婆の崩れた姿を見かけた時などは、幼い私は、何かひどく汚いものを見たような嫌な感じを受けたまま、早足でそこを通り過ぎたものだった。
 そこがいわゆる《連れ込み旅館》だと知ったのは高校に入学後のことだった。
通りを挟んで向かい側に大きな倉庫があり、日が暮れるとその角にある電信柱に付けられた電灯が燈った。暗い通りの中で、電灯の下には小さな明るい空間が出来ていた。女たちはこのわずかに明るい地点に立っていた。
女は一人のときもあれば、何人か一緒のときもあった。時には和服姿の恰幅のいい年配の女性が立っていることもあった。雨の夜も雪の中でも女たちはここに立って、通りすがる男たちに声をかけた。夜のその時間帯にここを通る男たちの目当ては決まっていたから、女たちも男の姿を見かけると、「お兄さん、ちょっと」そんな言い方で声をかけていた。
遠くからリズムよく響いていた靴音がこの辺りに来ると急に動きが鈍り、時には止まり、そしてひそひそとした話し声に変わる。微かな電光に照らされた小舞台で、女は男に媚を売り、男は女の品定めをし、そして商談がまとまれば、例の旅館の中に消えた。星の夜も、雨の晩も、そして雪の舞い散る厳寒の中でもその光景は繰り返された。

 高校に入り、クラブ活動の後遅くなって帰る時は、すでに彼女たちが立っていることもあった。
私が家の玄関に入るには、彼女たちの視界を避けて通ることはできず、その一瞬私はいつも緊張した。学生服姿の私を女たちが意識することはなかったろうが、その種の女の立つ空間を潜り抜ける時、私の意識と身体の両方は、異常なほどの硬直を強いられた。
 夜の早い冬は、女たちの出るのが早く、私の帰りが遅いときはほとんど毎回彼女たちに遭遇した。特に雪の降る日などは、彼女たちは電灯の下ではなく、雪を避けて我家の軒下に立つこともあり、私は彼女たちに迎えられるようにして帰宅する羽目になり、さすがにこれはこたえた。中には「お帰り」とまで言う女もいて、夜の闇の中で、私は赤面してそそくさと玄関を開けるのが常だった。
 真っ白な雪闇の中に派手な色合いの傘が林立し、女たちは我家の窓から漏れる薄明かりの中でおしゃべりしながら男たちの来るのを待っていた。わずかな灯りを受けて光る傘色と雪白の色彩の対比は、この闇の通りの中で幻想的な空間を作っていて、いつまで経っても私の脳裏から消え去らない強い印象を残した。私はそんな彼女たちの傘の間を、クラブ活動で疲れ切った肉体をこわばらせてすり抜けた。
 一階の居間の窓に嵌められた広い摺りガラスの向こうに、雨や雪を避けて集う女たちの影が映ることもあった。この窓には初めはカーテンがなく、女たちの動きが影絵のように映っていたが、母が気を利かせたのか、いつのまにか厚地のカーテンが掛けられていた。それでも雪の激しい夜などは、彼女たちの気配を消すことはできず、居間でテレビを見ながらも、私は絶えず女たちの存在を意識していた。
二階にある私の部屋の窓から、通りの向こうにあるその場所はよく見えた。男と女の密かな交渉の場面は、暗闇の中で小さなスポットライトを浴びて浮かんでいた。
 夜の風景は高校生の私を激しく揺さぶった。二階から直視できる妖しい世界は、現実のことでありながら、ひどく遠くのものに思えたが、これを無視するにはあまりに身近な出来事だった。
 夏の蒸し暑い夜は、窓を開け網戸越しに夜風を入れると、その向こうにあの世界が見えた。明かりのついた部屋は下方からもよく見えたから、意識が過剰になり、思わず蛍光灯を消して、下の動きを窺ったりしたこともあった。
 闇の中で一点だけ照らされたその小さな舞台では、女と男が対峙して互いに見つめ合い、余計なセリフを言うこともなく短い商談を交わし、折り合えば二人して舞台から消えた。
 同じような所作と短いセリフが夜毎に繰り返えされ、仰々しい演技とは無縁の静かに営まれる寡黙なシーンは、無言劇のような印象で私の中に強く残った。
自分の中に性の衝動が激しく暴れ回っていて、やり切れない想いに苦しんでいたころだったが、この光景が自分の情欲に関係するようにはとても思えなかった。
我家の軒下に集う女たちと直に接することは、とうてい考えられなかったし、同じ町内のあのみすぼらしい旅館や醜い老婆のことを思うと、いっそう気分は遠のいた。それは間違いない現実の男と女の営みではあったが、夜な夜な映写される映像の中の出来事のようにも思えた。
派手な衣装と人目を引く濃い化粧の女たちは、妖しい魅力で男を引き付ける女優にも似ていた。
彼女たちはいつも極めて近くにはいたが、所詮はスクリーンの上の存在で、直接触れることなどできぬ遠い存在に感じられた。
 毎晩といっていいほど女たちは私の目前に現れたが、私にとってその女たちは、母や姉、そして同じ高校の女生徒たちのいずれの女たちとも同じには思えぬ、まったく別世界の存在でしかなかった。しかし私の意識の中では、彼女たちにひどい違和感を抱きながらも、女たちの姿が消えることは決してなかった。

 硬くなり伏目がちで通り抜けていたとはいえ、長い付合いのうちに、自然に女たちの顔は覚えていった。この場所を縄張りにして立っていたのは五人ほどの女で、夜ごとに立つ人数はまちまちだったが、その中の一人が特に目を引いた。   
体格のいい目鼻立ちのハッキリした女で、長い豊かなストレートの髪をばさりと垂らしてタバコを燻らす姿は、ちょっとした女優の趣があった。濃い化粧がいっそうその艶やかさを際立たせてもいた。女たちの中でリーダー格であることも、その目立つ存在感から容易にうかがえた。
遅く帰る夜、私は彼女が立っていることを密かに期待するようになった。彼女をその一画で見かけると、私の心身は強張り、重い鞄を持つ手に力が入った。
小さな灯火を一身に浴びた彼女はいつも自信に満ちていて、小心な高校生を見据えて微笑んだ。私は好奇に溢れる自分の心根が見透かされている気がして、いっそう窮屈な動きで通り過ぎるのが常だった。彼女が立っていない時はひどく落胆したが、その場を通り抜ける気分はむしろ軽かった。
ごく身近にいて、しかも関心のある眼差しで強く意識しながらも、私が女たちに対し、手の届きようのない異質な人間を感じていたのも事実だった。
 彼女たちの行いを蔑んでいたからだろうか。彼女たちの職業を認めていなかったからだろうか。あるいは彼女たちに接近する男たちを忌避していたからだろうか。それとも、現実を理解しない若者の、単なるエゴイズムゆえの違和感からだったのだろうか。
私は静屋通りの古い小さな家に暮らしながら、私娼たちの住む世界への強い興味と嫌悪を同居させていたのだ。 持て余すほどの屈折した想いではあったが、それはこの通りで暮らした自分が、彼女たちと同じ時代を隣り合わせで生きていた貴重な証のような感情かもしれなかった。激しく憎悪し、激しく憧れた女たちの存在は、ここに生きた私の青春に重なっていた。

(三)

 トンネルを抜け出ると海の景色は消え去り、木造の古い家並みと所々にビルディングが建ち並ぶ街区に入っていった。
 さらに激しさを増した雪の中では、ひっそりと沈みかえる街の仔細は確かめられず、雪山に埋もれた故郷の町並みを思い浮かべながら、私は落ち着きを失っていった。終着駅手前の南小樽駅を出る頃には、私はすでに席を立ちデッキに赴いていた。中心街の上を走る高架橋を通る時は胸が震えた。待ち望んだ冬の小樽に、私はようやく帰ってきたのだ。
電車は豪雪の中をなおも走り抜け、ほどなく雪に囲まれた故郷のホームに到着した。吹雪は止む気配もみせず降りしきり、降り立ってホームを行く乗客たちは、皆顔を覆い、身を屈め、よろけながら駅舎の中に駆け込んでいった。こんな雪に遭うのはあの頃以来のことで、私は雪嵐に急き立てられながらも、このホームに再び立てる喜びに浸っていた。
 
 改札口を出て、高い吹き抜けの広場に踏み出すと、途端に意識は遡った。昔と変わらぬ駅舎に居ると、ここから勇んで旅立ったのがつい昨日のような錯覚に捉えられた。見渡せば、すぐそこに知った顔が現れるような気もした。広場のそこここにある店舗の様子もさほど昔とは変わらず、それが余計に懐かしさを沸き立たせた。心底をかき混ぜるような情感が溢れ出て、もし人前でなければ思わず泣き出したかもしれないほどだった。故郷に戻るということはこういうことなのだ。こういう感傷に浸れることなのだ。
正面入り口の向こうを見やると、横殴りの雪に視界も明らかではなかった。そのうちに少しは治まるだろうという期待と、早くあの場所に行きたいという願望に押され、私は猛吹雪の中に歩み出した。
駅前の大通りにある横断歩道を何とか渡り切って緩い下り坂に入ると、そこは除雪された雪がうず高く積もった壁になり、人ひとりが歩くのがやっとのほどの道だった。いくらこの町出身で、駅前の地理に不安はないとしても、やはりこの大雪の中では心もとなさがよぎった。帽子もなく、寒地仕様の防寒衣というわけでもなかったので、一層寒さが身にこたえていた。
雪は一向に止みそうもなく、ゴーゴーという地吹雪に煽られながら、それでも私はよろよろと歩みを進めていた。しかし、長いことこれほど猛烈な雪の圧力に出会うこともなく生きていると、すっかり意気地も失せていて、私は今ここにいることをひどく悔やんでいた。
するとさらに気力は失せ、もうこれ以上進むことはできなくなり、私は敗残の想いで引き返すことばかりを考えるようになっていた。私の内部には、すでに雪に抗う北の人種がもつ心意気も覚悟も残ってはいなかった。何十年ぶりかで、進路を阻まれ動きを止められるほどの雪嵐に曝され、私は完全に意気消沈し、後悔し、ここに来た自分を呪っていた。
私の長く抱いていた想いの不実を拒絶するような荒々しい風雪の中で、私は行くも戻るも出来ずに必死で耐えるのが精一杯だった。だが僅かの時間で忍耐も限界に達し、私はついに堪え切れなくなって、踵を返して来た道をよろよろと戻るしかなかった。

夜夕食を済ませると、私は運河の前にある石造りの観光ホテルを出て、再びあの場所に向かった。昼間の吹雪は嘘のように静まり、街灯に照らされた白い世界は、新しく降り積もった大量の新雪で気味の悪いほどに巨大化していた。緩やかな上り坂には、何台もの除雪車が出動し、交通の機能を失いかけた街の道路を必死になって復旧していた。
歩道も歩くのが困難なほど雪に覆われ、少しの幅で出来た跡を辿りながらのろのろと進むのがやっとのことだった。正面の駅舎が大きく見え出すと、私は歩きにくい歩道を出て、除雪された車道を渡り、目的の裏通りに入っていった。ここも雪に埋まっていて、道幅はほとんど半分ほどに狭まっていたが、真ん中だけは除雪車が雪をかき分けていて歩くことはできた。
 昼間、風雪に遮られて行くことを断念したのだが、今のこの穏やかさを思えば、無理をせず駅まで引き返し、タクシーで宿舎に入ったことの正しさは明らかだった。
 裏通りの家々は雪に深く埋もれ、薄暗く射す窓明かりや、半分以上の高さまで埋まった電信柱の弱々しい電灯の光が、この通りの無音の闇をいっそう引き立たせていた。
 私はやっと念願の場所に帰りついたのだ。

(四)

 高校を卒業し、札幌にある予備校に通うころ、いつの間にか女たちはこの通りからぱったりと姿を消し、気がつくと、あの旅館の入り口に掲げられていた看板も外されていた。静屋通りにある小さな古びた二階家に移ってから三年の間、私が見慣れた別の世界は忽然と消えてしまった。
 電灯の照らす小さな空間に咲いた幾輪かの華の消えた後、夜の静屋通りは前にも増して静まりかえり、深い闇をさらに広げて人の住む世界との関係を一切絶ってしまったかのような空間になっていた。
汽車通学だった予備校時代、小樽駅からの帰路、家に続く静屋通りは、所在の定まらぬ頼りない予備校生にとっては、足早に通り抜けるしかない、単に暗いだけの道に変わっていた。
わずか数か月前までは、夜の道には何人もの女たちが揃い、私は緊張と小さなときめきを抱いてここを通ったのに、今ではありふれた静寂と闇が覆うだけの、ひどくみすぼらしい汚れた場所に過ぎなかった。華やいだ色合いの傘が蠢き、男たちを妖しく誘ったこの通りは、色を失い音をなくしてひたすら寂れていた。

大学受験のために汲々とする日々、私のささやかな息抜きは、日曜日の午後早く、近くにある銭湯の一番風呂に入ることだった。気の早い常連の老人数名と、汚れのない広い湯船を独占し、何も考えず、からっぽの頭でただぼんやりと溢れる湯に浸ることが幸せだった。
 短い夏が終わって午後の日差しにも衰えが感じられるある一日、例のごとく、一番風呂に長くゆったりと浸かった。風呂から上がり、虚脱した感覚で朦朧としながら銭湯の暖簾を後にした時、私のすぐ前を、手をしっかりと繋いだ母子がさも楽しげに歩いていた。
 
 母親は小脇に風呂道具の入った桶を抱え、小さな男の子と歌を歌いながら弾むように進んでいた。風呂上がりの湯気の立つ後姿はあだっぽく、きゃっきゃと笑う男の子の声は軽やかだった。
 母親は、濡れた長い黒髪を無造作にアップに束ね、白い下着の透けて見えるピンク色の薄手のセータ、肉付きのいい腰にぴったりとはりついた短めの赤いミニスカートにサンダル履きだった。
風呂桶を揺らし、男の子を相手に愉快そうにはしゃぐ彼女のしぐさは、まぶしいほど艶やかだった。 
銭湯を出て国道を渡る横断歩道までの短い道行、私は彼女たちの歌声を耳にしながら、狭い歩道で二人を抜き去るのをためらい、ゆっくり進む母子の直後に従っていた。私はいつもの歩調を緩め、二人から数歩下がって歩きながら、幸せそうな母子を眺めていた。
 国道の横断箇所が近づくと母子は歌を止め、左右の交通が途切れるのを待ちながら、今度はじゃんけんを始めた。ひとしきり車の流れは激しく、渡れそうもない間二人は立ち止まったまま、大きな声でじゃんけんぽんを繰り返していた。
 二人の後に続いていた私は、斜め横から二人の様子と車の流れを交互に見つめていた。母親が立ち騒ぐ男の子を守るように車道を背にこちらを向いた時、私は彼女がだれであるか一瞬で理解した。
化粧気はまったくなく、強い昼の光の下であったにもかかわらず、瞬時に私はその母親があの通りの女であることを悟った。そして反射的に顔を背け、車の流れが途切れるのを確認する間もなく慌てて横断歩道を直進した。心臓の鼓動が耳の奥深くまで達し、風呂上がりの体のほてりは一挙に冷めていた。
「わあー、今度はママの勝ちよ」私の背後で大きな声が響いていた。

(五)

 目当ての場所を向こうに眺めやると、積み上げられた雪塊の背後に、巨大な建物が建っているのがぼんやりと見えた。
 心中に衝撃が走るのがわかった。私は慌てて歩を速め、雪道の重さに逆らい足をとられながら、あの電柱のあった小路に急いだ。
荒い息遣いでたどり着くと、そこには通りを挟んで対をなす灰色の高層駐車場が出現し、雪中でもその威容が辺りを圧倒していた。
 重く堆積した雪山から突き上げて出てきたような不気味なその物体は、古い小さな家々を押し潰していた。
 私の住んだ古い木造家屋は跡形もなく消滅していた。そして並びにあった何軒かの店や家もまた消えていた。赤いコートの女が凭れていた電柱は、半ば雪に閉じ込められ、かつての木製のものから強固なコンクリート製に換わり、昔の面影を僅かも残してはいなかった。
家は消え、あの旅館もなくなり、長い間ずっと私の中に繰り返し現れては私を呼んだ裏通りの華たちもいずこへか去っていた。そこは今、雪に閉ざされた深い静寂(しじま)に覆われていて、天空の闇からは、雪片が音もなく舞い落ちているだけだった。
 うず高く雪が積もった小路をよじ登るように行くと、駐車場の脇には崩れかけた倉庫がまだあった。ほとんど雪に隠れた入り口に近づいてみると、かろうじて埋もれずに顔を見せている窓の向こうには、深い暗闇がはるか遠くまで広がっていた。
 私は目を凝らして、この地にあったはずの時の証を闇の中に捜し求めた。すべてが変貌した中で、廃屋と化したこの建物だけが往時に繋がるはずだったが、確かめられるものは何ひとつ見えなかった。
しばらくの間、私は寒さも忘れぼんやりとこの闇を前にしていたが、私の郷愁はすでに行き場を失って、この廃屋ととともに雪の下で消滅するしかなかった。
私はなおも雪の中に立ち尽くし、窓ガラスに咲くいくつもの雪華を、ただじっと見つめていた。

雪華

雪華

  • 小説
  • 短編
  • 成人向け
更新日
登録日
2016-02-02

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted