我が異世界遊記
主人公旅立ち編
【受験の失敗】
「ない……」
そこには、あるはずのものがなかった。本来であれば、この手にもっている紙に書かれた番号と同じものが掲示版に載っているはずなのだが。何度見返しても、同じだった。手がぶるぶる震えて、冷たい汗が体から湧き出てくる。まわりにいた人間たちがざわついているようだが、何を言っているのかそんなことも頭には入ってこない。
山下航はその日はふらふらと家に帰った。合格していても落ちていても報告しろと、担任には言われていたが、そんなこともどうでもよくなるほどの衝撃を受けていた。
何とか、家に帰ることができ玄関のドアを開ける。
「おかえり。結―、―だった?」
「……」
母親が何か言っているようだ。だが、そんなことを答える気力さえも失っていた。家に帰るなり、二階の自室に戻りベッドに倒れ込んでそのまま眠りについた。
ざざ……。ざざ……。
「受験先はここにするといい。父さんの母校なんだ」
ぼやけた意識の中でそんな父の言葉を聞こえた。
「へー。じゃあ、そうするかね」
あまり、何も考えずにそう答えた気がする。どこでもよかったわけではないが、特にやりたいことも決めているところもあったわけではないので、そう答えた気がする。それに、父親の言うことを聞いていて失敗したことがそれまでなかったのも大きかった。
ざざ……。ざざ……。
そこから、ある友人との会話に場面が映った。
「よー、航。昨日渡された進路希望調査書いてきたか?」
「ああ。一応書いてきた」
「うーん、どれ……。なかなかのところじゃないか。 大丈夫なのか?」
「ああ、計画通り勉強すれば、通らないところではないと思う」
「そーか。別にいいけど、どうしてそこを選んだんだ? これまで特にどこにいきたいとか、何をしてみたいとか曖昧な感じだったけど、その割にはすんなり書いてきたな?」
ざざ……。ざざ……。
「お兄ちゃん。お兄ちゃん。大学、どこ行くの?」
そんな妹の声がする。
「ああ、A大学に行くことにした」
「へー、A大学かー」
「ああ」
「そういえば、A大学ってお父さんも通っていたいた気がするけど」
「ああ。そうだな」
「へー」
ざー……。
受験の終わりの始まりだった。だが、大学受験に落ちてすぐにやる気になるはずもなく、それからというもの堕落した生活を送っている。
毎日のスケジュールはざっとこうだ。朝起きる、朝昼両用ごはんを食べる、ネットサーフィンをする、夕ご飯を食べる、ネットサーフィンをする、寝る。このエンドレスループだ。立派な、浪人生という名を借りた立派なニートだ。
堕落というものは恐ろしい。酒におぼれるもの、麻薬におぼれるもの、異性におぼれるものなど堕落する理由は数多くあるが、どうやら俺は時間におぼれているらしい。
毎日、毎日、くそみたいな、しかも意味のないことを繰り返している。そうしているうちに、時間という観念を失いそうになってきている。日々、以外に緩慢に時間は過ぎ去っている感覚なのだが、他人がその時間を有意義に泳いでいるのに比べて、俺はおぼれているに等しい。
それが分かっているのなら、さっさと、まっとうな浪人生活に戻れという、人がいるかもしれないが、わかっていてやれるくらいならそれは堕落とは呼べない。わかっていてやれないからそれを堕落というのだ。
無意味なことをやって今日もまた一日が終わっていく。
【異世界へのいざない】
「お兄ちゃん、朝だよー。お兄ちゃん朝だよー。お兄ちゃんあさ……」
妹萌えの人間ならば誰しもがあこがれるシチュエーションで航は目覚めた。そして、寝すぎてぼんやりとした頭を稼働させながら手を目覚まし時計まで持っていき、萌え語を発し続けている無機物のスイッチを押した。
あたりは明るく、日の日差しが中天にかかっている。航は、まだ寝ていたいという欲望を押し殺して、起き上がった。
部屋には、乱雑に様々なものが散らばっている。飲みかけのペットボトル、一週間は洗っていないであろうコップにお茶碗、そして、引きっぱなしの布団。堕落していない人間の部屋が片付いているとは限らないが、堕落している人間の部屋はほぼこんな感じだろうと、航は自分に言い聞かせた。
「堕落生活も板についてきたな」
誰に言うでもなくそんな感想を吐く。
「ふー。今日も暇な一日の始まりか」
そんな独り言を言いながら、自室の扉を開けて階下にあるリビングルームへ向かう。そうすると、そこには、いつものように朝昼両用のごはんが置いてあった。昼ごろということもあり家には誰もいないが、ちゃんと毎日飯は作ってくれている。
ほぼニート化したごく潰しの浪人生にもごはんを作ってくれているというのだから、とてもありがたい。おそらく、家族以外でこんなことをしてくれる人間なんていないのだろうと思う。甘えているとはわかっていても甘えさせてくれる人間がいることにしみじみとし、ごはんを食べながら、航は今日もネットサーフィンで時間をつぶすことを決意する。
パソコンをつけて、いつものように航はネットの世界に意識を沈めていく。目的が特にあるわけではない。ただ、時間をつぶしているだけだ。最近気になっているのは、海外の国々を紹介しているサイトである。最近、家に閉じこもってばかりいるせいか、あるいは、現実に目を向けたくないせいか、とにかく外で外の世界に興味がわいてくる。
今日もそんなサイトを見ていた航は好奇心をそそられる記事を見つける。タイトルは「異世界に興味はありませんか?」というもの。なんか、胡散臭さ満点だがどうせやることもないのでそのページに飛んでみた。
タイトル「異世界に興味はありませんか?」
地球に生まれた貴方、世界は一つだけではありません。無限に広がる空間に無限ともいえる世界が存在しています。そんな中でも現在、異世界に存在する とある惑星を地球の人間の方におすすめするために紹介しています。興味のある方は↓にある記事もぜひぜひ見ていってください。
~アシワラ星の紹介~
アシワラ星は、地球生まれの人間にぴったりの環境です。気温も水も空気も食べ物も、その他生物が生きていくために必要な環境が地球生まれの人間に適合します。
Aさん「アシワラ星はサイコ―です。地球生まれの人間にとっては他に類を見ない過ごしやすい環境です」
Bさん「ここはよい。それほど文明が発達しているとは言えないが、それでも住む価値がある」
※本人の体験談をもとにしています。客観的な根拠があるわけではありません
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「なんだこれ」
胡散臭さ95%のとても釣り要素の高い記事に航は目を丸くした。普通なら、海外の国の良いところや美しい写真などが書いてあるはずのサイトなのだが、その記事には、それとはまったくかけ離れたことが記述してあった。
「異世界転移ねー。そんなとこあるなら行ってみたい気もするけど。まあ、応募したところで何が減るわけでもなく」
航は、注意事項を読むことなく異世界転移同意書に必要事項を記入して、同意ボタンを押してしまった。
この堕落した日常のちょっとした興味心が彼の一生を左右する最大の決断となるのだが、そんなことが今わかる訳もなく、ただ、運命だけが動き始めるのである。
【神使登場】
「最近、家族以外の人間にあっていないな」
航はそんなことを言いながら、やおら立ち上がり自室を出て階段を下り、家の玄関を開けた。
「うわ。まぶしい」
そこには、なんの変わり映えもしない風景があるだけなのだが、家の中に一日中籠りっぱなしの身にはあまりある日の強さだった。
「さて、久しぶりにコンビニにでも行くか」
久しぶりにコンビニにいくというのはいかにも忙しい人間の言いそうなことだが、堕落したニートにはコンビニに行くことさえも、経験のない冒険者パーティがドラゴン退治に行くことと同じことのように思う。
日の光による業火に身を焼きながら、航はコンビニまでの道をとぼとぼと歩いている。とても、人の歩けるような道ではないという感じである。堕落して一日中家にこもりっぱなしになっているというのは、二重の十字架を背負うことにるようだ。一つには、身体的な衰えだ。もう一つには、精神的な衰え。
二重の十字架を背負いながら、航はコンビニへの道をひた歩く。そして、コンビニのすぐ手前にある十字路を渡ろうとしたところ、何か上から鳥のような黒いものが下りて来たかと思うと、視界が真っ黒になり――意識が消えていた。
「君、―たまえ、起―まえ」
航が意識を取り戻すと、何か、頭上でぶつぶつということが聞こえるのに気が付いた。何を言っているのかはよくわからない。
「君、起きたまえ、起きたまえ」
注意して聞いたので今度は何を言っているのかが分かった。どうやら、何者かが自分を起こそうとしているらしい。そう思い、体を横たえたまま 航は目を見開いた。
「うわっ」
「何が『うわっ』か、失礼な」
航を見下ろすように立っていたのは、人間ではなく、少し大きいカラスのような真っ黒い鳥だった。しかし、カラスというのは、ごみを漁っているようなきたならしいイメージだが、まとっている雰囲気はそんな感じではない。神々しいのだ。
「おい、人間。立ちたまえ」
「ああ、はい」
いまいち頭がはっきりしておらず、さらには、状況も呑み込めなかったが、鳥に促されて航は立ち上がった。鳥に敬語を使うのはおかしいかもしれないが、その鳥の鳥とは思えない神々しさにそうするしかなかった。
「君が、異世界転移同意書に同意した山下航であろう?」
「異世界転移同意書?」
鳥がよくわからないことを尋ねてきたので航は腕を組んで考え込んだ。初めて聞く固有名詞のような気がする。
「そう、異世界同意書である。一か月くらい前に、『異世界に興味はありませんか?』というサイトで同意ボタンを君が押したことは報告に上がってきているが。 違うのであるか?」
「ん? そういえば……」
そういえば、そんなサイトを見ていたような記憶があるようなないような……。いや、ある。
「だとしてなんですか、取り消しますよ」
こういうことははっきりと言わないと。クーリングオフだ。
「そんなことできるわけないであろう。注意事項にもそう書いてあったであろうが」
そんなことを言って、鳥が注意事項の書かれた紙をよこしてくる。そして、航は神を受け取り、注意事項に目を通した。
注意事項
・・・
・・・
異世界転移を行うかどうかは家族や友人とよく話し合ってから決めてください。一度、同意したからには、取り消しはできません。たとえ拒否しても、強制的に転移してもらいます。
・・・
・・・
「ほれ、書いているであろう」
「でも、……」
「まさか、拒否するわけではあるまいな。拒否した場合は、オプション機能付加がなくなるばかりか、すぐさま強制的に転移に移るため、翻訳機能付加にバグが入りこむ可能性があるぞ」
鳥が脅すように航に注意してくる。
「え?」
「別に脅してはいないのである。それも注意事項に書いてあろう?」
航は手元に持った紙を読んでいく。すると、確かにそんなことを書いてあるようだ。万事急須である。
「受けます」
「分かったである。それでは、オプション機能の抽選を行い次第、すぐさま転移の儀式に取り掛かる」
「え、待ってください。少しぐらい説明はないのですか? それに、翻訳機能付加は?」
不安になって航は鳥に問いかける。
「ない。それも、あのサイトに載っておったし、説明をよく読めという記述が注意事項にもあるであろう? 翻訳機能付加は転移の儀式に盛り込まれておる」
「……」
航はもはや何も言葉が出てこなかった。
「では、この中から2つ引くのである」
鳥はそういうと、両翼を大きくひらいて何やらぶつぶつとわけの分からない呪文らしきものを唱え始めた。すると、鳥の両翼からまぶしい光が出てきて、直径が2センチくらいの光の玉が数十個あまり鳥の頭上に浮かんでいた。
「さあ」
鳥に促され、航は無作為に一つの光の玉に手を伸ばした。指先にあたった光の玉ははじけたかと思うと、体の中に何か温かいものが溶け込んでくるのが分かった。
「なんだこれ?」
「それがオプション機能が付加された証拠である。さあ、もう一つも選ぶのである」
同じ要領で航は無作為にもう一つ光の玉に手を伸ばした。先ほどと同じような感覚が体の中に浸透するのを感じた。
「で、どんなオプション機能が付いたか、分からないのですが?」
「それを発見するのも、異世界に行ってからの楽しみである。ちなみに、それも注意事項には書いてあるぞ」
何度か繰り返されたやり取りに疲れたように航はうなずくしかなかった。
「さて、では転移の儀式を始める。すぐに終わるので数分後にはあっちの世界に行っておろう」
そういうと、その鳥はやおら呪文を唱え始め、さらに、両翼をバタバタとはばたかせるような動きを繰り返し始めた。航は、その動きをじっと眺めていたが、何度か同じようなことが繰り返されたと思う頃、体に何かが溶け込んできたという感覚がしたすぐ後に、視界が暗くなっていき――急に意識が途絶えた。
我が異世界遊記