一緒にいた時に君は喜びと涙に明け暮れていた。

昨日は僕の心の中に悲しみの涙が微かに流れた。それは久しぶりの恋が失恋に終わった時だったけど切り返しは早くて、今はそれほどのダメージは受けていない。僕はとても卑怯かもしれないけど、もう一人の女性が心の中に湧きあがってきたのだ。その人は年齢は25歳くらいで、とても純真というか世間慣れしていないというか子供の頃からエホバの証人として育てられて、たぶん、心の内で悪いことというか、人を憎んだり、軽蔑したりすることは無かったのではないか、とそのように感じた。僕とは全く違った人格の持ち主で僕はといえば、人を虐めたこともあるし、高い地位のある人に媚びへつらったりしたこともあるし、貧しい人を侮蔑したことだったある。将来高い地位につくことを想像して自分の心を満足させたり、お金持ちになったことをイメージしたりして優越感に浸ったことだってあるのだ。でもそんなことをいくら考えてもそれは虚しいことだと感じたのはつい最近だ。僕はエホバの証人になって10年は経過しているけど神との親しい関係を築くことこそがもっとも人生で成功をおさめることだと理解したのだ。僕が失恋から立ち直って新たな女性に恋を抱いたのはこれはひょっとしたら間違いなのではないか。そう思ったことがあるのが正直な気持ちだ。まずは自分が神との関係を最優先させて、神と近しい状態を保つこと、これがとても重要なことなのだ。その為にできるだけ多くの時間、神に祈りを捧げて密接にまるで愛する人にいつも抱き付いているような、そんな気分を継続してゆくこと。それが大切だと近頃僕の思いの中でじわじわとまるで体全体が揺さぶられるように実感しているのだ。愛する方。その名はエホバ神。そしてエホバを愛する人を愛すること。そんなことができるなら、それはとても素晴らしいことではないのか。僕のようなずる賢い人間が、でも心の中では純粋になりたいと願ってはいるのだけど、神を純粋に愛している女性を愛してよいのだろうか。その女性は僕の心の内にある気持ちを理解してくれるだろうか。多分そこまで自分のことを知ってはくれないだろう。僕にとって理想の女性は僕の良い面と悪い面を把握して全てを愛してくれている人、それが僕の待ちわびている人なのだけど、恋をしている女性は僕の基準に達していない。そのことが引っかかっているのだ。はたしてそんな女性が現れるだろうか。それを思うと唯一そんな基準に合う人はほとんどいなくて、ただエホバ神だけが僕のことを理解してくれているんだと今更ながらに感じるのだ。でも僕は愛する人を抱きしめて、その温もりを感じたいし、そのことを想像するだけで涙が溢れてしまいそうになるのだ。これはまるで独白じゃないか。僕は人を愛したいという思いはあるんだけど、実際に人を目の前にすると何だか冷めたように人に対してたんぱくになってしまうんだよなあと感じてしまう。僕っていったい何様なんだろう。こんなことを考えていると心が悲しくなってきて、不完全な自分の対して、ただただ神に全てを注ぎだしたくなってくる。僕の目の前にいる父はテレビでラグビーの試合の中継を見ているけれども、彼には僕の心の内を理解して知ることなんてできないだろう。そのことで自分の父親なのに全く人の感情を把握できないことに、僕は苛立ちを感じるし、憎しみ、殺意さえ感じることもある。こいつはいったい何者なんだと思うこともある。でも神はとても善良でそのような人にも、たとえ僕のことを憎んでいる人達に対してさえ愛を示すように言っているのだから、僕もその神の教えに従わなければいけないのだ。だから僕は今、神に祈る。どうか父を愛することができるようにと。

一緒にいた時に君は喜びと涙に明け暮れていた。

一緒にいた時に君は喜びと涙に明け暮れていた。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-01-31

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