悪魔の契約

2014/11/27 03:31
   悪魔の契約
青都


 悪魔と呼ばれていることは知っている。通りを歩けば、賑わっていた会話も鳴り止んだ。直接目線を向けられることはないけれど、白々しい横目が本当はどこに向いているのか、気づいていないわけではない。
 焦って早足になる子。友人を目で探し出して近寄る子。白いシャツの童顔の男性。二人組で登校する男女。朝の玄関に押し寄せる人の流れの中で、人の出入りを監視するように固まるとある三人組が浮いて見えた。懲りない連中だ。

 彼女たちは一度こちらの方に流し目を使って、内輪の会話に戻るように卑屈めいた笑みを浮かべた。
 触れてしまえば負けである。
 つり目を立て、下駄箱の端に構える三人組に近づいていく。
 怯える小動物のように、右側の子が真ん中の子の袖を二度引く。
「何? 別に私たちは、あなたの」
 彼女の上擦った声はちぐはぐに虚空をさまようこととなった。
 私は彼女たちを素通りして、下駄箱の隣に備え付けられたスリッパ立てから一足を抜き取った。踵を返すと、
「よかったら、これをどうぞ」
 と、私はスリッパを童顔の男性に手渡した。
「すいません」
 照れたように笑うと、彼は一人の先生の名前を口にした。
 受付の場所を彼に教えようとすると、受付担当の沢田さんが廊下の遠くにいるのが見えた。消耗してしまった備品を取りにいくため、席を空けていたのだろう。沢田さんを呼ぶと、後は全て任せ、教室に向かう。その際、三人組と再度すれ違ったけれど、先ほどの一件を私はおくびにも出さない。
 偽善者。ぶりっこ。背をめがけて投げつけられた呪詛には堪えた。
 言葉はいつもブーメラン。防護服を身にまとう。大丈夫。全て上手くいった。心は少しだけ晴れ晴れしている。


 放課後の屋上で、私は彼と会う。朝の白いシャツを着た童顔の男性。朝、公園のベンチで初めて出会ったとき、彼は自分を悪魔だと名乗った。
「人間、貴様はこんな願いでよかったのか?」
 人間、と彼は呼称に蔑視の感情を含ませる。
「私にはこれで十分です」
 さわやかな風が髪を大きく揺らす。屋上は学校の中でもっとも特別な場所だ。学校という窮屈で狭い世間から切り離された空間。異世界と呼んでもいいかもしれない。例えば椅子取りゲームのように、私たちは目には見えない自分の居場所を確保しようと日々躍起になっているのだけれど、そんな椅子なんて実際のところ存在すらしてはいないのだ。高いところは素敵だ。見下ろすことができる。見下ろすと、普段の風景が違ったように見えてくる。
「人間、対価は支払ってもらうぞ」
 悪魔は腰からナイフを取り出し、私の髪の毛を丈半分に削ぐと、それを口に入れて飲み込んだ。血の気の失せるような感じを覚え、私は目眩によろめいた。
「人間、貴様の魂を頂いた」
「魂を奪われると、寿命が縮むのでしょうか?」
「髪半分で人間の寿命10年分といったところだな」
「髪は命ともいいますからね。悪魔の願いの代償の相場が分からないから、十年が大きいのかどうなのかわからないけれど」
「時間の重みは種族によって異なるものだ。人間、貴様の願いは空調設備の業者のフリをして、職員から屋上の鍵を借りてくれ、というものだった。魔力を必要としない分手間だったが、スリッパとやらの妙な履き心地は気に入ったぞ。足からすり抜けていくようなところが愛らしい」
「そう、それはよかった。よかったら、それも対価として奪っていってもいいですよ」
 悪魔のツボは思わぬところにあるものだ、と私は笑ってしまった。悪魔は履いていた緑色のスリッパを手に取ると、脇に挟んだ。
「ぬう。しかしながら、対価にはそれに応じたものを提供せねばならぬ。悪魔の契約というものは常にシビアでなければいけない」
「それでは、隣に並んで下さらない?」
「貴様、人間の分際で悪魔と肩を並べようとは愚弄もいいところだ」
 これほどの屈辱はない、などと口にしながら悪魔は私の隣に並び、フェンス越しに景色を眺めてくれた。
 余興として、悪魔は魔力で空を夕焼けに変えたり、夜空に変えたりしてくれたけれど、それよりは、悪魔が私を繰り返し人間と呼んでくれることに、私は嬉しさを感じていた。
「肩を並べるわけではないけれど、実は私も悪魔って呼ばれていまして」
「人間、嘘をつくな。貴様が悪魔なわけがない」
 悪魔が言うならその通りですね、と私は素敵な悪魔もいるものだと、始終によによしていた。

悪魔の契約

悪魔の契約

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-01-30

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