毒を吐く竜
毒を吐く竜
19:57 2009/10/17
青都
遥は幼い頃に聞いた『竜の物語』を思い出していた。
幼い頃といっても小学生の時分の頃だったか、それより下の年齢だったかはっきりと覚えてはいない。
覚えているのは、その話を語ってくれたのは地元の図書館の司書さんで、そういう児童向けの本の読み聞かせは毎週定期的に行われていたということだ。
記憶のある限り、母や父が遥に本を読んでくれたということはない。
そもそも部屋の中に本というものがない家庭だった。たまたま珍しく遥は本を読むことが好きだったけれど、自分一人の力で読めらるようになるまでは、母にせがんでよく図書館に通ったものだった。
司書さんが語ってくれた一つに『竜の物語』があった。
窓際のカーテンが丸く持ち上がって遥の頭の上にのっかった。とげのないぬめった風が頬を触っていく。うららかな午後の授業だった。科目は国語だった。
各自がおのおの好きなテーマを立て、調べてきたことについて、5,6人でグループディスカッションを行うというものだった。
例えば「豊臣秀吉」についての発表に対し、「どこどこのところをもう少しくわしく聞かせてください」とか、「わかりやすくて良い発表でした」とかそういうことを言い合うのだ。
遥の発表は真向かいの席にいる小田の次だった。小田は絵本のいろいろな作品を羅列し、あらすじをまとめたのを発表していた。準備は周到で、とてもマニアックに調べ上げた物語のリストが目の前に並べられていた。
聞いたことのある有名なものや、遥の知らないマイナーそうなものまであった。
非難すべき個所は何もなかった。中には「それ読んだことある」とお気楽なことをいうのもいたが、いざ真面目に感想や意見を言おうとすると適当な言葉がまったく思い浮かばかった。
だから「ただ本を並べているだけ。だから何を言いたいのかわからない」と発表の根本を否定した。
どこからか「あいかわらず厳しいな」とささやく声が聞こえた。遥の意見が終り、あとの四人が一つ覚えのように「よかった」と感想を述べる中、不意に『竜の物語』を思い出したのだった。
竜は口から毒を吐いた。
人間が辛いことなどがあってため息を漏らすように、無意識に硫黄臭のする煙を吐いた。
すっと息を吸い込むと、次の瞬間には辺りが紫色の靄に包まれた。
竜だって毒を吐きたくて吐いているのではなかった。子供の頃はみんなと同じ呼吸をしていた。
それが年とともに成長し、大きくなるにつれてそんな体になってしまった。子供の頃友だちだった花はいつしか枯れいき、動物たちは竜のそばに寄り付かなくなってしまった。
毎日、毎日外に吐きだしているのだから、いつかは花のように、毒は枯れつきて消滅してしまうだろうと竜はたかをくくっていた。
しかし、毒は竜の体の中で絶えず精製され続けているようだった。
そして、彼があやまって他の命を殺めるたび、毒は鍛えられ、より濃度を増していった。
次第に竜は、自分が自らの毒によって死んでしまうのではないかと思うようになった。
確かそんな話だった。その後竜になにがあったのか、そこまで思い出したわけではない。
どうしてそんな話を今頃になって思い出すのか、それさえ皆目検討もつかなかった。
「遥の番だよ」
いわれてはじめて我に帰った。
遥は発表を行い、一つ覚えの「よかった」という賛辞をうける、まずまずの結果をのこした。そんなふうにして時間は過ぎ、授業が終ってしまった後で誰かが泣いているのに気がついた。
同じグループだった荒岡だ。
彼女のはまだ発表するスタートラインにもたっていない代物だった。どうやらそのことを私が厳しく意見しすぎたらしい。
またやってしまった。遥は唇をかんだ。
よくそういうことがある。知らず知らずのうちに、厳しいだめ出しをしているということが。例えば友達との何気ない会話の中にも、気に入らないことがあれば強く非難をした。
相手はそんなことを指摘されたくて言ったのではない。ただ軽い賛同のようなものをほしかっただけなのだ。
ある友達曰く、「遥ちゃんの気がつかないところで、私、しばしば傷ついているんだからね」
「ごめん」というと、荒岡は無視してどこかへいってしまった。誰か適当な友人を探して、愚痴を吐きに言ったのだろう。そのくらいのことは容易に想像できた。
ぐったり自分の席に座ると、竜の話を再び思い出した。
あれから竜はどうなってしまったのだろう。彼は自分の弱点を乗り越えて誰か親しい友達を作ることができたのだろうか。それとも一生孤独のうちに自分の毒にやられていってしまったのか。あるいは自分が生み出す毒では死ぬことができなかったのだろうか。
竜はちゃんと自分の毒で死んでしまうことができたのだろうか。
それが気になった。
絵本の発表をした小田ならば『竜の物語』の結末を知っているかもしれない。
小田は隣の席で本を読んでいた。
「ある竜の物語って知っている? 子供の頃聞いたやつだから知らないなら知らないでいいけど」
いつのまにか言葉は勝手に口から飛び出していた。
「どんな話?」
遥は竜の話を語った。どうしてこれほど饒舌になるのかわからないほど、容易に語ることができた。
「はじめてきいた。面白い話だな」
小田は好奇心を目に光らせて笑顔になった。
「やっぱ好きそうだよね」
「好き好き。なんか心に残る種類の話だな」
小田はカラカラと喜んだ。
「別にどうでもいいけど」
遥は机の上で頬杖をついた。小田はこちらの意向をまったく気にせず話をすすめた。
「ファンタジー好きなの?」
「あんまし。子供っぽいから」
小田は再びカラカラと喜んだ。
あんたを喜ばせるために話しかけたわけじゃないんだけどな、と遥は思った。
それから机の脇にかかっているかばんから次の授業の教科書を取り始めた。一式机の上に並べると、まだ片付けていなかった国語の教科書を同じところにしまいこんだ。
「ファンタジーにもいいところはあるんだよ」
「へーたとえば」
遥は空の返事をした。
「例えばその竜の話もそうだ。
それは一見かわいそうな竜の話だけに見えるけれど、本当に伝えたい内容はほかにある。でもそれを物語として誰かに伝えるときには竜の話にするほうが都合よかったのさ」
「つまり?」
「つまり、他人と共有できない感情はファンタジーの姿をとる。だからファンタジーにだって大きな意味があるんだよ」
「何それ」
遥は手をやめて小田に顔を向けた。
「気にしなくていいよ、ふっと湧いて出た言葉なんだ。ある日竜が毒を吐くようになったようにね」
下手な例えだ。それでも小田は笑顔だった。
「そんなに気に入るとは思わなかった」
「だからいってるだろ。本当に面白かったんだって」
「ふうん」
『竜の物語』はあきらめたほうがよさそうだ。軽い挨拶をして、遥は小田を後にした。
毒を吐く竜