サイコパスの純情  ~サイコロ課、再び~

序章

 サイコパス。
 この言葉を目にして、或いは耳にして、どのような光景や人物像を思い浮かべるだろう。
 殺人、犯罪者、反社会的行動。そういった概念が一般的かもしれない。
 
 ご存じだろうか。
 サイコパス達は、現在も普通に、元気に暮らしている。
 そう、殆どが。
 彼らは決して反社会的でもなく、犯罪者になり得るような人間ではない。ただ少しだけ、通常の人間と違う心理をその片隅に宿すのみである。
 心理学的に、ある意味において共通したサイコパスの定義がある。

「良心の欠如、他者に対する思いやりの欠如、他者を平然と見下す心。冷淡な心の持ち主にして、平然とつく嘘。その嘘は慢性化し、罪悪感も後悔の念も皆無。自尊心が過大で自己中心的、自分勝手に欲しいものを奪い、好きに振舞う、無慈悲でエゴな人間」

 ところが現実はどうか。
 一見では到底判り得ないのが通常で、一人きりでいる無口な人間でもなく、常常周囲から疎まれるような行動をとることもない。極々一般的な、ありふれた人間像。一般社会に溶け込んでいるかのように見える彼らは、口達者で表面的にはとても魅力的なのだという。
 普段はきさくで明るい人。それが多くのサイコパスに共通する外見である。
 そう。あなたの隣で、あなたの向かいで、明るく笑う。その人こそが、本当はサイコパスかもしれないのだ。

 もしかしたら、あなたの隣にも、サイコパスがいるかもしれない。


 警察庁刑事局特殊犯罪対策部サイコロジー捜査研究課。
 サイコパスの犯罪を心理学的観点から検証し、警視庁及び各道府県と情報を共有、日本の警察機構が未だ成し得ていない反社会的行動=サイコパス犯罪を未然に防ぐ手法を確立することを目的として設置された部署である。
 物的証拠を収集し犯人検挙に奔走するのが捜査一課や鑑識課、科学捜査研究所であるとするならば、サイコロジー捜査研究課は物的証拠の無い事件で、事件前から事件後に及ぶ犯人の心理プロファイルを取り纏め、捜査本部に情報提供する。
 その他、未解決事件における犯罪者の心に潜む行動心理から事件にアプローチし、同一犯罪の起こり得る可能性を見極め、連続した事件に発展するのを防止する。いわば、表に出る捜査部隊がハードとするならば、サイコロジー捜査研究課はソフト。お互いが背中合わせとなり、科学捜査の一助を担う存在とも言えよう。

 犯罪心理、行動心理、認知心理、児童心理、発達心理、臨床心理、等々。課の全員が、入庁前から何らかの形で心理学に携わり、入庁後も心理学的観点から各地で事件解決に尽力した精鋭たちだ。
 精鋭という、インテリジェンスを感じさせずにはいられない扇情的アピール。外国映画の日本バージョンを彷彿とさせるキャッチコピー。日本人が不得手とされる横文字を効果的に使用したセンセーショナルな触れ込みにより、昨年開設された新部署である。

 果たしてその実情は。
 どうしようもない心理通の集合体というお粗末なピエロの軍団であり、日中はのんびりとタブレットやパソコンを眺めながら、過去のデータを洗い出し、これといった特徴も無い事件に関わるサイコパスのプロファイルを述べ続ける毎日が続く。
 警察庁内では、「サイコロ課」と呼ばれ変人扱いされている国内各地のプロファイラー。
そのメンバーは、5人。

 和田透、(わだとおる)、28歳。
 自他ともに認める北国のシャーロキアン。

 弥皇南矢(みかみあけただ)、39歳。
 気障で素性の知れない独身アラフォー男。一説には、とんでもない金持ちという噂もあるが真実を知る者はいない。

 佐治嘉元(さじよしまさ)、46歳。
 奥方と娘から疎まれながらも、人には言えない可哀想なお父さん。

 麻田茉莉(あさだまつり)、41歳。
 美女にして猛者、T大出身お一人様。今でこそ独身驀進中だが、密かに弥皇との噂も耳にする。和田情報では、限りなく「クロ」
 
 市毛那仁(いちげともひと)、55歳。
 課長。唯一の警察庁出身者だが出世欲など皆無。妻がいるが、どうやら市毛妻と上層部の間には何かしら繋がりがあるらしいとの、和田情報あり。

第1章  第1幕  配置転換

 発足して1年のサイコロ課。
 なのに、今年なんと配置転換=人事異動があった。
 佐治が退職し、麻田が警察庁内で異動したのである。

 みな一様に驚いた。
 佐治は、奥方のご両親が生業としている生花店を継いだ。
 奥方のご両親は、今迄2人で好きな生花のためにガタのきている身体を騙し騙し働いて来たものの、生花店の仕事は、花を生けるだけが仕事ではない。結構な労働力を要する体力勝負なのだという。
 年を重ねるごとに身体に負担となるのは否めない。その上、店先での営業的なスマイルもだが、生花を納入する先をゲットする本物の営業力も必要になる。
 営業はご両親に教授されつつ、体力的な部分は佐治が主になり担当することになった。佐治を疎んじていた奥方も、この決断には驚いたと見える。
 要は、奥方のご両親の面倒を見る、と公言したようなものだ。
 地方公務員たる県警の警察官を退職したことをぶつぶつ言いながらも、奥方の表情は明るくなったらしい。
 娘も初めは父親たる佐治を無視する状態が続いていたが、額に汗する父を見るうち、少しずつではあるが、フラワーアレンジメントといったクリエイティブな分野にも興味を持ち始めたという。少しずつ手伝ってくれるようになり、会話が増えたと喜んでいた。
 昨年まで、時折寂しい顔をしていた佐治の生活を考えれば、何よりである。

「僕もある程度なら、お役に立てるかもしれません。ホテルとか、常に生花を必要とする場所がありますから。知り合いに声掛けしてみますよ」
「お前がいうと、冗談とかお世辞に聞こえないから、怖い」
「やだな、佐治さん。これでも応援したい気持ち全開ですから。お役に立てると良いけど」
 弥皇が言うと、冗談に聞こえない。
 サイコロ課のメンバーは皆、そう思っている。
 昨年起きた東北のサイコパス=緑川事件に登場した、ブラックカードと小切手帳。金目の話になると、弥皇はさらに気障度が増す。言い方が自慢げではない分、その口から洩れる発言は信憑性に満ちている。
 その都度、皆がどんぐり眼になるのも無理はなかった。


 麻田は、SPとして警察庁警護課内に異動の命が下った。
 毎年数々の武術大会で優秀な成績を収め男性を圧倒し続けてきた闘将。
 あまつさえ心理に傾倒し過ぎたがために所属県警では持て余したようだが、SPとしての資質はこの上なく好ましい材料という評価があったらしい。
 今回、警察庁で初の女性幹部を登用することが決まった。女性幹部であるからにはSPもある程度の割合で女性を、という機運があったとしても、当然といえば当然。
 要は超一軍=女性キャリア組が目立つように、という上層部の意向であろう。SP軍団を構成するに当たり、それ相応の年齢層女性を希望した警察庁。たまたま東北で騒ぎになったサイコパス事件の際に、唯ですら男顔負けの武術成績を残していた麻田を見つけ、県警出身者とはいえ、SP全体のリーダー役として白羽の矢が立ったという。
 SP業務に就くことにより、心理プロファイルを滔々と述べている暇をなくせ、という別の噂も聞くが。

 東北のサイコパス事件=緑川事件と言えば、被疑者として緑川は逮捕された。
 サイコロ課プラスαの活躍により、連続殺人を阻止しサイコパスへの金の流れを断ち切ったと思われたこの事件。

 サイコロ課内では、被疑者の緑川は罪を認め償うか、裁判で白黒をつけるつもりなのか、両者のどちらかだろうという顛末を予想していた。
 ところが、まさかの展開が、サイコロ課の面々を待っていた。どんでん返しを食らい勝負が見えない事態、とも言うべき心理が彼等を呆然とさせる。
 なんと、よりにもよって、とある男性が緑川と結婚すると宣言したらしい。それは、当時、振込通帳に名の無かった、同県の60代、退職も間際かという地方公務員の男性職員だとか。
 週刊誌の中吊り広告で緑川の名を見た市毛・弥皇・和田の3人は、しばし広告を見つめたまま目が離せなかった。
 いや、週刊誌を買ってまで読む気にはならないが、それでも呆気にとられた。この期に及んで結婚宣言とは。男性の人物像や財産、そして緑川が男性を口説き落とした手口とは、一体どんな方法だったのか。
 結婚とあるからには、相手は独身男性に間違いないだろうが、若造好きの緑川が一体どんな手を使ってご老体、いや失礼、ナイスミドルを口説き落としたのだろうかと、3人が3人ともに、当時のことを思い出さずにはいられない。

 特に、餌食になりかけた弥皇は鼻で笑うような言葉で緑川という人間を全否定するし、ペットにされかけた和田も悪態をつく。
「何が良くて、あんな阿呆を相手にするのかね。僕には解らないし、解りたくもない」
「凄かったですもんね。僕、犬になった気分でしたよ。人生最大の屈辱だった」
 微かに引き攣り笑いを浮かべた市毛課長。
「あそこまで追い詰めたのにまだ食い下がるとは、な。サイコパスの本性は果てしないものだ。まさか、今度は結婚してから殺すつもりか。長くなりそうだ、この事件」
 
 さて、佐治と麻田が抜けたサイコロ課に、4人が転入することになった。
 和田が夢に見るほど願った、新人からの脱出である。

「おはようございます」
 微かに聞こえるような声で入ってきたのは、和田の眼から見て30代前半の女性。俗にいう、「萌え系」の愛らしい顔立ち。ふっくらとした体型、穏やかそうな口元。
 和田の心はもう、青空一色、ホームズ一色である。
 これでやっと、データ入力から解放される。解き放たれた和田の人生は薔薇色に輝き、周辺を包み込むオーラは芳しき香に思えてくるのだった。

「おはようございまぁす」
 続けて入ってきたのは30代前半、和田より少し年上くらいの男性。スーツが似合うイケメンだ。こんなイイ男が心理に通じているのか、と少々不思議に思えてくる。
 和田は、シャーロキアンが増えたような錯覚に捉われる。皆が和田の机上にあるホームズ本を見つめているように感じた。
 やった。
 念願かなって、去年までの僕からの『卒業』

 隣で和田と一緒に、新人たちを観察していた弥皇。
 和田くんにしては観察を怠っているな、と腹の中で大笑いする。
 今回ばかりは、和田は限りなく浅はかな考えで物事を見ているようだ。
 何故かと言えば、女性の方は若く見える風貌だが、40代後半ほど、アラフィフで多分お子様持ち。明らかに弥皇よりも年上だ。ただ単に童顔なだけであろう。
 何といっても、顔に法令線が見える。
 ご婦人には口が裂けても指摘できないが、法令線がでるということは、ある程度年齢を重ねたか、以前ふくよかだったご婦人がダイエットした、或いは自然に痩せた証しだ。若い女性は少しくらいダイエットしても法令線は目立ちにくいが、お肌に粗さが見える所を勘案すると、この女性は若い部類に属さない。
女性の階級は麻田さんよりも下のようだが、麻田さんは県警採用段階で幹部候補生。
 ということは、目の前にいる彼女は、幹部候補生以外の採用で出産後痩せた口だ。身体にも締りがない。
 おっと、失言。こんな言葉ではセクハラになってしまう。
 弥皇が言いたいのは、筋肉の付き具合や姿勢からすると、体力的には、これといった特技が見当たらないと判断したのだ。こちらのご婦人は、純粋に心理面、または別の何か特殊な技量を感得して此処に配属された、というのが妥当な線だ。

 まあ、「新人たちが何かの役に立つ」という前提付きのシナリオではあるが。

 次に、30代前半の男性。いや、こちらは20代後半、和田くんと同じくらいのお年頃。
 ちょっとばかり驚いた。
 機動力を狙った人事など、サイコロ課に限ってあるわけもない。
 ところが彼は違う。スーツの上からざっと身体を見る限りでは、つくべきところにがっちりとした筋肉が付いている。かなりトレーニングを積んでいるに違いない、均整のとれた筋肉の付き具合。『脱いだら凄いのよ』ってやつだ。
 何が得意分野なのか知らないが、体力系といっても十分に通用する。麻田さんのように武術系に長けていて此処に来た心理分野系統かもしれないが、何となく違和感を覚える。弥皇には、目の前のこの男性が心理に通じているようには見えなかった。
 眼力の鋭さなどから見ても、心理を語る風情ではない。どちらかといえば、捜査関係や鑑識関係に携わってきたような匂いがする。
 どのような理由でサイコロ課にきたのか、少しばかり興味を引くところだ。

 スーツの彼女が仮にお母様だとすれば、データ入力はお母様がメイン、和田くんを心理部隊に本格的に組み込む策も有りということか。
 ナイス人事。
 弥皇にとっては、願ったり叶ったりの展開になるかもしれない。

(僕は、なるべく外出を避けたい。あ、明日麻田さん非番だ、僕も交代してもらわないと)
(麻田さんが休みの日には、何か美味しいものご馳走してあげたい)

 すっかり麻田の下僕、いやはや忠犬と化した弥皇。
 それでも、あからさまに警察関係者の目につくような交際はしない。上に洩れれば、どちらかが、嵐とともにどこに配置換えされるかわからない世界である。両者とも自室での行動は避けて、ホテルに部屋を取って色々と情報交換したり、料亭に個室を借りて食事をしたり、およそ警察官に似つかわしくない場所で、交際と言えば交際を続けているのだった。
 弥皇が麻田にぞっこんには違いなかったが。
 警察官同士の結婚=それは、不文律という形式ではなかったが、どちらかが職を辞することが大前提=暗黙のルールとなっている。弥皇自身はさっさと辞めても良かったが、麻田に止められた。
「お互い、出来るところまでやりたい」と。

 人事異動により、SPとして本来の輝きを取り戻した麻田。弥皇は、SPとして麻田が輝くなら、自分は職を辞しても悔いはない。結婚とかそういった具体的行動は別として、麻田の後方支援に回れるなら、仕事を辞めることも厭わなかった。無念な思いが一切ないのだ。
 佐治さんも、自分のように無念な思いなど無かったのだと今更ながらに気付かされた。
 そんな思いで新人たちを見る弥皇。自ずと、嘱目する期待度は違う。

 課長が狙って綺麗処の桜の枝を手折った人事なのか。
 それとも昨年の自分たちのように、春一番に吹き飛ばされて、はるばる此処までやってきた人事なのか。

 弥皇は、課長の顔を見る。
(僕としては、そちらに興味がありますね、課長)

 っと、バタバタと走りながら課に入ってきた女性がいた。
 息をハアハアと切らせているようにみえるが、これはフェイクだ。
 エレベータに乗るまで一歩たりとも走っていないはず。化粧の乱れが全くないし、体温上昇の気配もない。まして、こめかみに汗の滲みすら一本も無ければ、この息継ぎが嘘なのは誰が見てもわかる。緑川と同じ手を使うとは、いやはや、恐れ入った輩だ。
 服装もだらしがない。
 異動初日というのに、スーツどころかジーンズにコートを羽織り、足にはロングブーツ。
 通勤するために履いているのかそれとも日がな一日履き続けるつもりなのか、ジーンズが目立たないような柔らかめのロングブーツのようだ。何処かに遊びに行く洋服としか思えない。
 紛れもなくこちらは20代半ば。和田くんより若いのは確かだ。今風のメイクをばっちりとしているが、目鼻立ちはお世辞にも良いとは言えない。目が離れすぎている。魚顔とでもいうべきか。鼻筋も通っておらず、唇は薄い。耳が尖っていて、まるで何か、そう、ミニモンスターのようだ。
 の割には、不敵な笑みを終始浮かべ、周囲への配慮というものを知らないように見える。
 顔で人を判断してはいけないが、心理学の観点から言うと、相当自分に自信のある顔つきだ。
 おまけに驚くほどに煙草臭いし、酒臭い。一体、この女性は昨晩いつまで我を忘れて享楽に溺れていたのだろう。今日が異動初日にも関わらず。入庁して間もない輩と見えるが、此処までやりたい放題はないだろう。
 サイコロ課と聞き異動を喜ぶ人間はいないと思われるが、あまりに馬鹿にしている。

 麻田のように、真摯な態度で仕事に臨む女性を一番に好む弥皇としては、特にお近づきになりたくないタイプだった。
 
「さて、揃ったか。一人来ていないな。ま、いいか」
 課長が人事の概要をさらりと説明する。
 今年度は2名が転出した。昨年の一連の動きや社会情勢などが複雑化している中、我々心理専門だけではなかなか身動きが取れないと見た上層部から打診があった。今年度は、総務課、SAT、科警研、サイバー室から計4名転入。総勢7名体勢で業務にあたる、という方針だ。
 新人たちは言い放題だ。若者2名が口々に雀と化す。お母様だけが、ただ黙って座っていた。
「誰だって、サイコロ課って言われてホイホイ来ないわよねえ」
「僕も流石に驚きましたね。何の罰ゲームかって」
「あーあ。お先真っ暗」
「SATからこっちに来るなんて、墓場に行けと言わんばかりじゃないですか」
 そこに、廊下から比較的大きく、「カツーン、カツーン」と音が響いた。そこはかとなく凄みを感じさせる、低く、大きく、ゆっくりと響く音。カツーンと最後に音が止み、ゆっくりとドアが開く。

 音につられ、皆がドア付近を見つめる。

 そこに姿を現したのは、警視庁でも凄腕のSATスナイパーとして有名な男性だった。離れた場所からの狙撃の腕は百発百中だが、たまたま暴力団に襲われた際に足を撃たれ、今はスナイパーとしての業務から離れたという。
 マル暴か?と思えるような風貌。
 怖さ満点の威圧感。
 闇の帝王張り。

 そんな恐怖処を相手にしても、新人2名はまたもや口々に私語を発しだし、朝礼にならない。
 普通の職場なら、全員に一発、平手打ちが飛びかねないところだ。
 仕方なく市毛課長がホワイドボードをポインターで2、3度叩く。ポインターの音に気が付き課内は静まった。
 課長から、転入職員の紹介と各自の業務分担を書面で渡され、引継ぎに入る。書類を机の上で二度、トントンと纏める課長の手付きはいつになく乱暴で、まるで新人たちを好意的に受け入れないとでも言いたげな雰囲気だった。書類を配り終えた後、課長が転入組の紹介を始めた。
「転入してきた者の紹介から初める。俺が話すから全員黙って聞くように。最後に、業務分担を割り振った部分を全員見ておくように。引継ぎがある者は業務に支障の無いよう手短に引き継いでくれ。最後に一つだけ言っておくが、昨年の様子を皆見聞きしていることだろう。今年は去年よりハードになるはずだ。体力トレーニングに励むよう、これは上層部からの命令でもある」
 市毛課長が転入組の氏名を呼ぶ。各自が立って「はい!」と返事をし、そのまま待つ。
 弥皇は、市毛課長の声から新入組の転入意図の有無が知れるのでは、と目を瞑り黙って聞いていた。

 牧田早苗、総務室から。データ入力中心に翻訳、心理面での犯罪担当。
 清野洋子、サイバー室から。サイバーテロ関係中心担当。
 神崎純一、科警研から。サイバーテロ以外にも科学系統全般担当。
 須藤毅、県警特殊部隊から。須藤は基本的に現場に行かず、主にプロファイル担当。

 これに伴って、和田と牧田の業務を交代する。引き継ぎ終了次第、業務を交代。今年は昨年以上に、心理面と他の業務面で横の繋がりを持つことが一つの試みとなっている。そういった事情から、異種業務職員も転入した。
 以上。

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 課長による新任課員の紹介が終わった。
 どうやら、欲しくて手折った桜の枝では無さそうだ。
 弥皇はちょっぴり、がっかりした。手元の書面に目を落としながら都度新人たちの顔を見回す。そして舌打ちしたくなるのを抑えながら小さく溜息を吐いた。
 今年はどうもいただけない。去年のメンバーとはあまりに違い過ぎる。麻田さんのように、佐治さんのように、心理を熱く語れる人々ではなさそうだから。

 課長の転入組課員紹介が終わると、早速弥皇の隣、元の麻田の席に座っていたブーツ女、清野が手を挙げた。
「弥皇さんの噂ってホントなんですか~?」
 課長には珍しく、さっと顔色が変わり憮然とした表情になる。そして、清野を直視した課長から驚くべき言葉が飛び出した。
「業務に関係がないなら慎め。初日からだらけるな。基本的に制服を着用する必要はないが、乱れた服装で仕事に臨むな。今すぐ着替えろ。着替えが無いなら今日は帰れ。欠勤扱いにする」
「えー、すみませーん。じゃあ、店が開いたら買ってきまーす。何着ればいいですかー?」
「基本はスーツだ。それ以外は認めない」
 去年、課長はこのような物言いをしたことが無い。弥皇と麻田の言い合いを諌めたことはあっても、欠勤だなどという言葉が課長の口から発せられたことは無かった。

 自分の名前を出された弥皇。清野と目を合わせようともしない。
 清野の隣に席があったものの、データ入力をしようと弥皇の傍らにいた和田は、弥皇が腹の底から怒っていると理解した。
 基本的に、弥皇は女性に優しい。というより、フェミニストというべきか。ご婦人方には、どんな場合でもやんわりと対応する。その弥皇が無視するのだから、腹の中の沸騰具合は相当な状態と見た。
 去年は、麻田さんがどんなにからかっても、上手く切り返し麻田さんの喉元でフィニッシュを決め、よく悔しがらせていたものだ。麻田さんとこの彼女では、全然勝負にならない。 
 和田が一目見ただけでも分かる。美的センスだけとは言わないが、全てにおいて麻田さんが勝るだろう。
 第一に、弥皇さんは綺麗好きだ。目の前の彼女は課長の言うとおり清潔感が違う。服装を見れば一目瞭然。まして、TPOに合わない服装など、弥皇さんが認める訳もない。ここでまず、弥皇ブロックに当たる。あとは回転の速さとか。考えても仕方がない。どうみても麻田さんの方が上なのだ。この清野さんとやらは、己を知って早く諦めるべきだ。
 和田の御尤もな所感である。

「では、業務を開始する」
 課長の号令とともに、今迄和田が入力していた資料を牧田に渡し、入力方法を教える。去年は1件ごとに事件状況を論議してきたが、今年はどうやら止めるらしい。ハイペースで入力は続く。その中で目ぼしいと思われる事件を課長がピックアップする、という手法に変えた。
 確かに、今年のやり方は効率的かもしれない。時間短縮などメリットを考えるのだが、今年は、何というか、異常なまでの静けさが和田のペースを狂わせる。言いたいことがすぐ口に出てこない。
 和田は昨年のスタイルの方が好きだった。お互いに言いたいことを声の限り出し尽くし、最後は課長が締める。その方法で、何件か事件解決の糸口になったこともある。昨年の課員たちは人数こそ少なかったものの、よくあれだけポンポンと口から言葉、特に課員同士、相手への罵詈雑言やら嫌味やらが飛び出してきたものだと、あらためて感心する。

 昨年度は本当に面白い1年だった。

 懐かしく思うのは、和田だけではない。
 手元のデータベースを見ながら、弥皇もまた、昨年を振り返っていた。毎日のように麻田と交わした激論。すぐ熱くなる麻田をからかいながら、冷静な観点から心理というものを考えることの出来た日々。たまに麻田に足元を掬われ、悔しいと本気で思った瞬間。
 今年は和田が残ったとはいえ、何とも心許無い心理研究集団。粗い布陣。
 目の前にいるSAT出身の鋼鉄のような心と身の彼。たぶん、彼はFBIに派遣された口だろう。SATから一転、FBIに出向きプロファイルの技術を磨いたか。FBI帰りの彼だけは、目を見ればわかる。着眼点に優れ方向性をすぐに引き出せる手合い、頼もしい限りだ。FBIを匂わせないためにサイコロ課に来たのかもしれない。
 あとの3人は、心理専門の弥皇から見て、使い物にもならない。

 一体、今年何をしろというんだ。まあ、昨年だってそれは同じだったけれど。何かをするためにここに着任したわけではなかった。ただ、県警から用無しで追い出されただけだった。それでも自分たちなりに、何かを掴み取った感触があったからこそ、周囲から何を言われようとも、別に気にしていなかった。
 その上で、今年この体制ということは、心理は犯罪にとって何の役割も果たさないと駄目出しを叩きつけられたように感じた。
 弥皇は、椅子に凭れ掛かり天井を見上げた。順序良く並んだ蛍光管。所々で点滅サインが出ている。
 もうすぐ寿命。
 電池切れ。
 そうか、サイコロ課も蛍光管と同じ運命かもしれない。
 いよいよ、自分たちは用無し部隊に成り果てたということか。

 毎日続く、退屈な心理研究の時間。特に猟奇的な事件も無い。サイコパスが起こす事件は、このところ、なりを潜めていた。データベースへの入力は、転入した牧田が担う。物凄いスピードで、かつ正確に入力していくため、事件の類いをじっくりと眺める時間は増えた。牧田は、時間がくると静かに挨拶しすっと姿を消す。子供がいるのは確定だろう、と弥皇は思う。それにしても、気になる。

 何が気になるかといえば、牧田の、市毛課長への嫌悪感だ。
 特にあからさまなわけではないが、たまに、下から睨み上げる目線で課長を見ている。
 何故かはわからない。
 二人とも警察庁出身だから、昔何処かで一緒にいたのかもしれない。その割に、余所余所しい所作がありありと態度に出ている。課長は殆ど気にかけていないように見せているが、牧田の方は判り易い。
 和田も気が付いていたようだ。
「二人とも本庁出身ですから。ほら、僕等にはわからない歪みの中にいたのかも」
「嫌だなあ。僕なんて春が来たから、歪むどころか満開の花状態」
「弥皇さん、麻田さん異動してから春爛漫ですよね、勤務時間外だけは」
「そう。春爛漫の花盛り。和田くん、もっと聞いてくれる?」
「いえ、結構です。ところで、まだこの時期だからですけど、なんか雰囲気違うような気がしませんか。空気が汚れているような」
「ああ、何かある。はっきりわからないけど。和田くんも研ぎ澄まされてきたねえ」
「弥皇さん、去年とは違いますよ、僕も。ところで、牧田さんの余所余所しさもなんですがね。サイバー系2人、なんでまた畑違いの2人が此処に来たんでしょう」
「うちがサイバーテロに遭って困ることもないしなあ。あのバカ女のようなとんでもないのは僕としてはお断りしたいんだけど」
「清野さん、か。ありゃ金の亡者ですね。緑川を思い出しちゃうな。こういうイヤな空気って、サイコパス到来みたいな感じで東北にいたあの日がリフレインですよ」
 
 春は春でも、怪しさ満載の春一番が吹き荒れる。
 これからサイコロ課はどうなってしまうのか。
 
 牧田の動きはまだはっきりしなかったが、少なくとも弥皇にとっては、邪魔な人間ができた。
 ブーツ女、清野である。

 初日、課長に服装を注意されたにもかかわらず、毎日ブラックデニムや革のパンツを穿いてくる。机の下で脚は見えにくいからだろう。流石に桜前線も東北・北海道に移動した時季となり、ブーツだけは止めた様だが。
 上着もジャケットこそ羽織るものの、インはTシャツ。出なければ、シャツの裾を見事に出したスタイリング。ジャケットそのものが置きジャケットだし、ボトムスもその通りだから、課長の言葉は頭の片隅にしかないらしい。
 ゴテゴテとしたネックレスの類いやベルトにサングラスをかけての御出勤。もちろん、凡そ仕事には似つかわしくない革製のライダースジャケットを着ているときもある。バイクの運転でもしているのか。
 あの時課長は「スーツ以外は認めない」そういった。意味が解らないほど馬鹿なのか。

 確かに、もしかしたらこの服装が今の流行りで、清野自身、これを着ないと世の中生きていけないの、という部類の人間なのかもしれない。
 しかし、だ。
 それはあくまで、ドレスコードの無い普通の民間企業で、なおかつ社長が許した場合に有効=セーフなのであり、警察、税務、上級官庁では制服やスーツなど当たり前であり、ドレスコードを守れない人間は、それすら人間性の評価に繋がって行く。

 おまけに、このバカ女ときたら、食事に行こう、飲みに行こう、休日遊びに行こうと、毎日のように弥皇を誘う。
 人前で誘うことで、断られないと思うのだろうか。
 交際を強要するような場面が目立ち、勤務時間内の心理研究でも私語が多く業務の邪魔をする始末だ。勤務時間内なら課長や須藤が注意するのだが、一向に直る兆しはない。
 勤務時間外はまるでストーカーだった。帰宅時にも付いてこようとする。
「付いて来るな!」と、弥皇が思わず叫んだほどだった。
 毎日、毎日、金目の話題ばかり。
「ブラックカードの話、ほんとですかあ」
「小切手帳、本物って聞きましたけどぉ」
 下賤な女。
 そんなに金持ちが好きか。
 食事や飲みに行きたい、一緒に遊びに行きたいのは、男ではなく金だろう。
 そうして事ある毎に弥皇の気持ちを逆撫でする。弥皇にとって清野は嫌いを通り越し、最早不要の存在と成り果てた。
 普段なら、嫌いな女性のお誘いも丁重にお断りする弥皇。
 だが、清野に誘われると「NO!」と書いたボードをポインターでバンバン叩き、口も利かず部屋を後にする。腕にまとわりつかれると、するりと抜け出ながら「触るな」とタブレットにメモした文字を見せつける。
 弥皇自身、清野に対するガン無視そのものは気にしていないのだが、ひとつだけ心配の種があった。

 心理的攻撃ターゲットの性別、とでもいえばお解りいただけるだろうか。

 こういった薄汚い目的を持った女は、別の女性の気配を感じると、その女性を攻撃する。女性の場合、俗に言う三角関係も殆どの割合で同性への攻撃が見受けられる。
 女-男-女がいたとする。この場合、女の敵はほぼ100%、女だ。一般に女性心理というのは、そういうものらしい。
 これが、男-女-男だったとする。するとどうなるか。男の敵は男、ではない。これもかなり高い確率で、男の敵は女になる。そこで始まる暴力やモラハラ。
男女で、こうも違う憎しみのターゲット。

(麻田さんはこんな低俗な女に嫉妬などしないだろうけれど)

 心配なのは、この低俗馬鹿が麻田に嫉妬することだ。何をしでかすかわからない。
 弥皇は清野のことを麻田に話さず、秘密の交際を続けていた。

 これがのちに大きなトラブルを呼ぶとは思いもせずに。

第1章  第2幕  H-15ファイル

 いつものように、牧田がデータベースに入力を始めていた。近頃何もなかったサイコロ課では、皆、少し気が緩んでいた。今日もあるはずがない、という惰性の心理が働いて。
「おい。今日入れたH-15ファイル見ておくように。午後から打ち合わせを行う」
 市毛課長が、太く低い声で課員たちに促した。

「H-15ファイル 都内北部ホームレス殺傷事件」
 4月25日、都内北部私鉄沿線の公園にて、ホームレスの60代後半とみられる男性が胸を刺された状態で発見された。男性は病院搬送後、死亡を確認。事件前後の目撃者及び目撃証言なし。近隣のゴミ捨てスペースには、段ボール箱に入った猫の死骸が廃棄されていたとのこと。関連があるかについては現在捜査中」
 午後にだらだらと集合したサイコロ課の面々。課長が喝を入れる。
「これはサイコパスの起こした事件で連続性が限りなく高い。事件の起きそうな場所など予測したい」

 神崎が聞く。
「どうしてサイコパス事件と断定するのか、説明お願いします」
「最初に動物を殺傷してから、次に人間を狙う心理が見え隠れしている」
 和田と弥皇も参戦した。
「まず小さなもので試してみる、という心理も考えられます」
「こういった場合、若年層の犯罪という可能性も考慮しないといけない」
「小学校高学年から高校生までを我々は若年層と呼んでいます。それ以上は、青年層」
 清野や神崎は専門が心理ではない。年齢層や連続性など、疑いの眼差しが心理担当たちに向く。
「若年層ですか。子供たちの犯行と言い切る根拠は?」
「ホントに連続殺人なの?引き籠もりの人が動物殺してホームレス傷つけて憂さ晴らししてるだけじゃないの?」
「切り口は両方違うものが使用されている。他の要素が見つかるまで、同一犯と断定するのは時期尚早ではないでしょうか?」
 両名とも懐疑的だ。
 牧田は何も言わなかったが、心理方面の知識もあると聞いた。弥皇は、敢えて牧田に意見を求めて見る。
「牧田さんはどう思います?」
 慎重に言葉を選びながら、答える牧田。
「サイコパス犯罪かどうかと言われれば、否定的です」

 市毛課長がホワイドボードに私鉄沿線の地図を投影させ、今回の現場をレーザーポインターで示す。そのあと、ホームレスのたまり場や宿泊施設などがある場所をポインターで赤く示す。
 和田が気が付いた。
「デビルスター。五芒星を上下さかさまにすると、ちょうどその位置に当たりますね」
 市毛課長は小さく頷いた。
「無駄足になってくれればいいんだが」

 須藤がやや残念そうに呟く。
「所轄に連絡だけはします。ただ、やっこさんらは確たる証拠を求めてきますからね、信じないでしょうよ。構いませんか」
「構わん。此処にいる課員で現場を回れば済む」
「えー、あたしぃ、一人じゃ怖いから弥皇さんと一緒に行くぅ」
 市毛課長が手厳しい一発をかました。
「弥皇。一番確率の高いと思う場所に行け。清野は此処でデータ整理しろ。自分のデータも整理出来ないやつが、現場に行けると思うな」
「弥皇さんと行く。あたしの言うこと聞きなさいよ」

 市毛課長は、たまに、ほんとたまに、物凄く怖いことをいう。
「誰か、清野にスタンガン当てろ」
「ほいきた。まったく。誰に向かって口聞いてんだか」
 須藤が暴力団顔負けの怖い顔をして、いつから用意されていたものか、スタンガンをポケットから取り出した。
 冗談だと思っていた清野は、弥皇に腕組みしようとして跳ね付けられていた。誰も清野を助けようとはせず、また課長の言葉に異議を申し立てる者もいない。清野は余程嫌われているようだ。
 その背中から腰にかけて、須藤がスタンガンをさっと当てた。
 途端に清野はその場に崩れ落ちた。
「縄巻いてデータの前に転がしておけ。仕事を舐めてる。須藤、起きたら清野に説教してくれ。聞かないようなら、スタンガンちらつかせろ」

 神崎が笑い出した。
「課長、鬼みたく怖いです」
「お前も怖いことされたくなかったら真面目に仕事しろ。今年は進みが悪い」

 和田は吃驚した。去年はこんなこと一度も無かった。みんな口々に叫んで、結局みんなで現場に行ったりした。ふざけたような心理合戦にも辛抱強く付き合ってくれた市毛課長。
 それでも、課長の口から進みが悪いという愚痴、いや、説教めいたフレーズは出てこなかったのである。
 近頃の課長は酷く機嫌が悪い。
 進みが悪い=使えないやつが増えた、なのだろうか。

 弥皇は、五芒星を逆さにした状態で地図に記しを付け、その場所に私鉄沿線の路線図を重ねた。
 車などを使った犯行ではない、と直感していた。車は目撃証言が取れやすいからだ。
「和田くん、見てくれ」
 和田と須藤、神崎、牧田がその地図を見た。
「あ!」
「そう、私鉄大平和線、この駅周辺とホームレスには関わり深い場所が多いようだねえ」
 弥皇の言葉に対し、和田と神崎が反応した。
「最初に猫の目撃情報を集めましょう。それなら所轄にも話しやすいでしょうし」
「鑑識的には猫と人間の関係性は薄いと思うのですが。大袈裟に考え過ぎでは?」
 和田が神崎に説明する。
 若年層の心理的な要素として、大きなものの殺傷前に小さいものの殺傷がある場合が多い。まるで練習するかのように。一旦成功すると犯行は徐々にエスカレートする。
 再発防止にさえなればサイコロ課の務めは果たされたと言っても過言ではない。今回の場合、サイコパスとしてデータが回ってきているが、サイコパスというには何か欠けているような気がする、というのが心理担当者たちの意見のようだ。
 須藤が和田の言葉を引き継ぎ、神崎に向かってスタンガンを振り回す。
「俺も和田と同意見だ。犯人は人前では大人しい。そして不満が常々周囲を取り囲んでいる。その不満から抜け出せなくて犯行に及んでいる、といったところだな。サイコパスは、人前でいい子ぶった態度を見せるが、不満に満ちた窮屈な言動はない」
 なおも神崎は食い下がる。
「須藤さん、やはり若い世代なんですか。てか、スタンガン振り回すの止めてください」
「俺のような中年男がやると思うか?俺なら、別の方法で不満解消するさ。例えそれが痴漢や強姦だとしても、猫やホームレスよりそっちにいくね」
「野蛮ですね。まあ、極端な例えなんでしょうけど」

 弥皇が最初に駅周辺の聞き込みに出た。和田も出かけた。牧田は残りのデータを入力していた。神崎は、出かけもせずに科警研から借りてきたデータ照合機やらパソコンの類いを使って遊んでいる。清野は倒れたまま。
 毎日こうやって倒しておけば五月蝿くなくていいな、と課長に耳打ちした須藤。
 頭を抱える市毛。
「まったく。想定外だ。此処まで酷いとは」

 夕方、弥皇と和田が戻ってきた。
「現場での動物殺傷などについて、目撃証言、ありませんでした」
「こちらもです」
 
 考える市毛。
「私鉄大平和線の沿線にあるホームレス施設に間違いないんだが」
 須藤が地図に鉛筆で書き加える。
「これならどうだ?」
「あ、セレマ」
 和田が声を上げる。弥皇も気付いた。
「そ、クロウリーの六芒星。こっちの方がオカルト的要素は大きい。若い世代なら悪魔の御世に身を投じたいという心理が働く可能性もある」
「じゃ、明日そっちを回りましょうか、弥皇さん」
「うん、此処から此処までを僕が、残りは和田くんにお願いするよ」

 須藤が気付いたオカルト的エレメント。
 魔術の儀式として行われたのだろうか。
 その時、また私鉄大平和線の沿線でホームレスが襲われたという第2のホームレス殺傷事件が牧田によってデータベースに入力されていた。
 和田は六芒星の地図をチェックしていたので、データベースを見ていなかった。無論、第2の殺傷事件に気付くはずもない。
 第2の事件を知った和田の顔色が変わった。牧田に対して信頼できないといった表情があからさまに出ている。
 何のことはない。声に出して「ホームレス事件続報あり」と言って貰えれば、事件概要を見ながら資料を整理できるからだ。時間の無駄を省くため、和田は去年全部読み上げていたくらいだ。
 和田が、怒りを押し殺したように言い放つ。
「牧田さん。僕たちが動いている事件と関連あるんですから、少しくらい声に出してくれたっていいんじゃないですか?」
「貴方がデータベースを見れば済むことです」
「僕の言っているのはそういうことじゃない。みんなが意識共有して事件解決や再発防止のために動いているんです。あなたには情報共有という考え方、無いですよね」
「打ち込みもろくにできない若造が、私に意見すると?」
「意見とかじゃなくて、仕事が円滑に進むようにして欲しいんです。僕が若造で意見言っちゃいけないなら、課長なり相応の人に言われれば言うこと聞くんですか?歳で差をつけるのか?後輩に仕事の進め方も教えられないオバサンに言われたくないよ!」
 
 和田が、ブチ切れた。サイコロ課に来て、初めて切れた。
 おお。オバサンと知っていたか。
 弥皇は、和田が成長したな、と感じて嬉しかった。いや、そこは決して、感心したり、嬉しがるべき部分ではないのだが。
 和田は今迄、感情を抑え込んで我慢して、一人で苦しみもがいていた時期もある。もう大丈夫だ。これで仕事面での感情移入の感覚がつかめていくだろう。

 しかし、今は喜んでいる場合ではない。
 ここぞとばかりに弥皇が間に入る。和田と牧田の間では埒があくまい。
「牧田さん。貴女の言い分は後程聞きます」
 弥皇と和田くんは二人で何十カ所もホームレス関係の場所を回っている。早くしないと、第3、第4の事件が立て続けに起こる。2回、人間に殺意を向けたということは、もう後戻りできないサイコパスになりかけている可能性があるのだ。
「言っときますが、この犯人、貴女の子供よりずっと小さいはずですよ」
 牧田も心理担当経験者ならわかって当然だ。だから、いつどこで事件が起きたのか、読み上げて欲しいと願い出る。それが嫌なら、神崎に声をかけてくれ、と。須藤は我々と場所を特定しているのだから。

 牧田は声を出さなかった。代わりに、駅の名前と大凡の犯行時間をメモして、弥皇に渡した。間もなく定時。牧田は帰り支度を済ませるとさっさとサイコロ課を後にした。
 弥皇が駅の名前と大凡の犯行時間大きな声で読み上げ、地図から犯行仮定地域を割り出す。
「和田くん、明日回ると言ったけど今日回ろう。もう時間がない。タイムアップしたら、犯行は見境が無くなる」
「わかりました。ただ、夜ですし、一人で回るのは正直辛いですね」
 須藤が言う。
「さっき言ってた和田の分、知り合いに頼むから弥皇と和田はシナリオ通り、弥皇分を回ってくれ。何処かに動物の殺傷跡があるはずだ」

 二人一組とはいえ、夜は回りにくかった。犯行をくい止めたいというその一心で、和田は動いていたようだ。弥皇も、タイムアップまで時間がないのを感じていた。
 勝負は、今晩中。

 現場で茂みの中やゴミスペースを漁りながらホームレスの人たちに話を聞いたりするうち、猫がケガを負う事件が勃発した地域が浮上した。猫が足を切り付けられたり、胸を刺されそうになったり、耳を切り付けられたり。何れも未遂。近くには、大平和線の駅があり、ホームレス施設も多かった。
 市毛課長に電話連絡した。ちょっと外にいるから、戻っていてくれという課長。課長が出かけるのは珍しい。何処に行ったのか。
「弥皇さん。此処、ちょうど次の目的場所として、やり易い場所ですね。暗がりもあるし」
 一旦、二人はサイコロ課に戻ることにした。捕まえるのはサイコロ課の領分ではない。サイコロ課人が出張ったら越権行為になってしまう。

 サイコロ課内に入ると、倒れていた清野も帰ったらしい。弥皇は久しぶりに晴々した顔つきに変わる。
 一人で居た神崎に声を掛けた。
「課長も須藤さんも、何処いったんです?」
「お酒でも飲みに行ったかな、二人とも居なくなりました。僕もお先します」
 こんな時に課長たちがそんな真似するわけないだろう、と拳を握る弥皇、和田両名。
 昨年なら、間違いなく拳骨合戦開始だ。沸騰しそうな心を押さえつつ、和田は事件を整理することにして地図をもう一度見た。第1の場所。第2の場所。そして、これから事件を起こすであろう、第3の場所。
 一度でも犯行現場を押さえられれば、暫く犯行には至らない。捕まえられればそれに越したことはないが、こればかりは運、なのかもしれないと思う。
 何しろ、捕まえるのは警視庁所轄の仕事だ。

 捕まえたところで、犯人が20歳未満なら少年法の適用となるが、14歳以上16歳未満なら警察の取り調べののち家庭裁判所に送致、処分するのが通常案件。
 16歳以上での重大事件、そう、殺人や殺人未遂といった凶悪なケースなら家庭裁判所から検察への逆送致、刑事裁判も可能である。
 ここで重要なのは、14歳から15歳の少年たちに対する処分のあり方で、日本の場合は刑事裁判を受けない。悪質なケースであっても現在の法律では少年院に送致されることになる。
 しかし今、14歳前の年齢から、凶悪な殺人を犯すケースが増えている。これらの少年全てに刑事罰を与えるのが道理かと言われれば、それは違うだろう。精神面で何らかの病態を伴う場合は医療少年院へ送致しなければいけないが、快復までには時間を要するかもしれない。
 または、根っからのサイコパスが顔を覗かせるケース。サイコパスには罰則をもってしても自戒の余地はない。
 昭和の良き時代を少年として過ごした面々にはわからない少年サイコパスの事件。
 今回の犯人はどちらなのか。

 二時間後、もう時計が翌日を知らせる頃だった。課長と須藤が帰ってきた。課長に何処に行ったか探りを入れた和田と弥皇だが、確信を突いた返事はない。
「課長、須藤さんと一緒にお出かけでしたか」
「ああ、和田。お疲れだったな、よく回ってくれた」
「須藤さん、脚悪いから大変ですよね」
「俺?ほら、このとおり」

 和田の目の前を、足を引き摺らずにスタスタと歩く須藤。なんと、数年前の事件の余波で右下肢を引き摺っていたはずの須藤が、キリリとした姿勢で歩いている。サイコロ課人は、すっかり騙されていたのである。それにしても、何故芝居までする必要があるのか。
 課長は須藤が歩き出したのを見ながら何処かに消えた。

「俺、外国でFBIの研修もさることながら、手術受けてリハビリしたのよ。やっぱ腕、鈍るからさ。でもって、心理学かじって此処に配属してもらったわけ」
 弥皇の不思議満面の口元から須藤に質問が飛ぶ。
「どうして隠しているんです?」
「そりゃお前。捕まえたい奴がいるからよ」
「サイコロ課に?」
「それがなあ、わからん。見極め状態。絶対に秘密な。お前ら2人と課長と、麻田だけ」

 どうして麻田さんの名前が出る。
 弥皇に口を挟む余裕を与えず、事件の内情に切り込む須藤。流石に現場で動いてきただけのことはある。何より知識、経験や勘所が素晴らしい。
「これ、見ろ。六芒星の印内中央にある豪邸なんだけどな。此処からたまに、抜け出していく中学生がいるらしい」
「もしかして」
「高級住宅街で夜は目撃者もそうそういない地域だけど、行きと帰りの服が違うらしいんだ。で、その日付聞いたら、事件の日にどんぴしゃり。時間的には定かじゃないけど、たぶん、此処を張っていれば事件は起こらないだろう。所轄にも話してきた」
「じゃあ、事件は解決ですね」
「和田くん。もうひとつ、高いハードルが待ってるよ」
「流石、麻田のお気に入り、弥皇くん」
「なんだか、僕より須藤さんの方が麻田さんのことよく知ってるような口ぶりですね」
「悔しがるな。大学の同期。サークルも同じだったから仕方ねえんだよ。麻田のこと、よろしくな」
 和田がにっこりと笑いながら、さらりと須藤に聞く。
「須藤さんは恋愛感情とか無いんですか、麻田さんに」
「俺?ふられたもん。友達以上恋人未満ってやつ?もう20年前の話よ。もう今じゃそんな気も起きやしねえ。お互い、まだ独身だけどな」

 今度は弥皇が項垂れる。
 和田も、何となく弥皇の心理が読める。
「須藤さん、僕、今凄く泣きそう。須藤さんの方がかっこいいし。男前じゃないですか」
「麻田は男前な奴じゃなくて、自分を安心させてくれる奴がお似合いなんだよ。あの通り男勝りで絶対譲らないだろ。スマートな男の方が調子狂って、ちょうどよくなる。今のままじゃ鬼ババだろ」
「麻田さんは鬼ババじゃないですよ!まあ、頑固だけど。強いけど」
「ほら、弥皇。それはおいといて、だ。このお宅に行って、お子様に話聞かなくちゃいけねえ。行政の児童相談所から職員が来るが、お母様が間違いなく口出ししてくる。だから行政なんざ使い物にならん。こっちは殺傷容疑だから、押さえて家裁に送致しなくちゃいけない。お子様の事件は、この微妙な綱渡りが、な」

 そこに市毛課長が帰ってきた。
「すまんな。犯人の家を特定できそうだったんで、須藤と動いたんだ。どうしたものかな。うちが動く筋合いじゃないから声はかからないと思うが」
「原因は、ネグレクトですか?共依存?女子?男子?」
「まったく別の、かごの鳥だな。中学2年の女子生徒だ」
 市毛課長曰く。
 家の躾が余りに厳しいと、子供の精神に歪みが出ることが往々にしてある。この生徒の場合も同じだった。父も母も名家出身であるがゆえに、躾、特に成績に厳しかった。
 エスカレーター式の学校に入るため幼稚園から受験に巻き込まれ、幼稚園は落選。小学校を受験するも再び不合格。中高一貫校を目指し中学には合格した。
 母親は、喜ぶどころか「やっと決まった」と恥さらしのように周囲に漏らしていた。母は成績以外にも、「いい子」であることを物心つく前から求め続けていたという。その結果、女生徒の精神のバランスはいつしか著しく崩れはじめ、命の大切さを考えられなくなった可能性は大きい。
 母親との共依存とも考えられたが、共依存の段階に至る前に女生徒の精神バランスは釣り合わなくなった天秤の如くアンバランスな状態となり、砂時計がサラサラと落ちていくように時が流れる。砂が全て落ち切った暁には、人格の崩壊の波が彼女の全身を喰らい尽くしてしまう。
 人格が壊れて俗に言う多重人格を引き起こす場合も多いが、攻撃的な面が心の中を占有した場合、最悪、動物や弱者、ひいては尊属殺人などに発展しかねない。事実、学校内で飼育している動物を傷つけたり、魚に毒を盛って死なせたりと、人目に付かない場所で小さな犯行を重ねていたらしい。

 親と子供、両方が現状をはっきりと認識し、病院でしっかり治療したうえで、カウンセリングなどを通じて自分を外に出し、親とのコミュニケーションが図れるようになれば十分に更生は可能だ、ということだった。若しくは、親から引き離し、子供だけを更生させる手立てしかないという。
 大人は、見栄や地位、名誉に振り回されるため、もう更生の余地はないのかもしれない。

 所轄でどう処理したのか分からないが、その後、ホームレスや動物虐待事件はデータベースに入ってこなかった。どちらに転んだかわからない。それでも、若い世代には更生して欲しいと願うサイコロ課人だった。

 その事件以降は暫く大きな動きも無く、はっきり言って「飼い殺し」状態のサイコロ課人。
 牧田は、和田から指摘を受けても、なお自分を変えようとはせず、和田は怒り心頭に発していた。チームワークなんて今更かっこつける気も無いけれど、ひと言発するだけなのに、どうしてそれが出来ないのか理解に苦しむ和田。
 15歳で中学校卒業したばかりの女子なら、恥ずかしいのも解る。もうすぐ50歳に届こうというアラフィフババアが話せない訳がなかろう。思うたびに腹が立つ。
「では、お先します」
 牧田は今日も定時でさっさと帰る。ババアがさっさと帰るのはいいが、データベース以外の掃除とかしていけ。あんたがしないで誰がやる。あーあ。前はみんなで「やるぞー!」って声掛けながらやってたっけ。昨年が懐かしすぎる。

 そこに、神崎がやってきた。
「和田くん。随分機嫌悪そうじゃない」
「判ります?神崎さんに判るんじゃ、僕もサイコロ課落第ですね」
「僕が成長したの。この分だと心理を収めるのも遠くないから事件解決に役立つと思うな」
「で、何か?」
「飲みに付き合って欲しくて。一人飲み、実は苦手でさ」
「お付き合い程度なら」
「よし、居酒屋じゃなんだから」
 神崎には行きつけの店があるらしい。六本木の路地裏をくねくねっと曲がった場所に、凡そ飲み屋とは思えないボロい建物が見えた。
 中に入ると、色々な種類の酒が置いてある。
「神崎さんって、すごい所知ってますね」
「なに、知り合いの店だから。結構融通利くよ、秘密の会合とか、ね」

 酒類を見ながら驚いた顔。次第にワクワクした表情の和田。
 ゆっくりと神崎に顔を向けた。

「で、何を知りたいんです?」

 神崎は、ニヤリと笑った。
「知りたいのは僕じゃなくて、キミの方じゃないのかな」
「僕?シャーロキアンの会合さえあれば別に何も」
「サイコロ課の秘密だとしても?」
 神崎は、和田の肩に手を置いてピアノの旋律を奏でるような仕草をしながら口笛を吹く。フレデリック・ショパンの練習曲ハ短調作品10-12、別名『革命のエチュード』
 和田は、警戒する。
「へえ。相当色んな情報集めているんですね。自信たっぷりだ」
「そりゃもう。まずは、牧田さんかな」
「あの人は、勘弁してくださいよ。胃が痛くなる」
「腹ん中では、そう思ってないだろう?」
 和田の頭の中は厳戒態勢に入った。情報を集めるということは、何処から集めているのか、そのソースが気になるからだ。自分が集める側にいるから、ソースのことはとても気になる。なるべく酒を飲まず、知らん顔しないと。
「こないだはですね。事件絡むと、昔からサイコロ課のメンバーって血気盛んでしたから」
「牧田さん、旦那さん警察官だったみたいだよ。でもね。死んだらしい」
「殉職ですか。お気の毒ですね」
「和田くん。それが違うんだよ。殺人のうえに、無理心中の犯人」
「お酒のせいかな、耳が遠くて聞こえなかったようです」
「牧田さんの夫は、市毛課長の奥さんのお兄さんを殺して、自分は不倫相手と無理心中」
 普段、比較的冷静な和田も言葉が見つからない。

 神崎によると、牧田の夫は警察庁内で不倫の末、不倫相手の女性警察官が別の男性警察官と付き合い始めたと勘違いした。牧田夫は男性警察官に嫉妬し、自分の立場も考えず、あろうことか男性警察官を殺し、自分は不倫相手の女性警察官を殺めた上で自死していた。所謂無理心中である。無理心中の巻き添えをくった男性警察官は、市毛課長の親友であり、市毛課長の妻の兄だった、というのである。

 市毛課長の妻の父=義父は、当時警察庁の上層部にいたという。罪のない息子が殺害された場合、通常、親はどんな反応をするのだろうか。いくら同じ所属の上層部にいたとはいえ、市毛の義父のやり方は、余りに残酷だった。『火の無い所に煙は立たず』などと言われかねない、自分の立場も危うくなると考えた市毛の義父は、市毛に密かに命令した。一旦左遷するが直ぐに呼び戻し昇格させるから、総てを隠蔽し書類を紛失させろ、と。
 市毛は、命令通り書類を紛失させ罪を被った。非難を浴び、遥か遠い島まで異動した。事件のショックと、たまたま同時期に子宮外妊娠、流産した上に子宮筋腫が見つかり、結局子宮まで摘出したという市毛の妻の傷心はいかばかりだったことか。
 親子の軋轢や子供への思いを癒すのに何年という時間が掛かった。その後、本庁への異動話など来なかった。何年か経ち、少しずつ中心部に異動内示が発令された。当然、昇格の話も出たことだろう。市毛は何に興味を示すわけでもなく、昇格は全て断った。市毛の妻も、夫の異動先や昇格に興味を示さず、ただ、夫婦仲睦まじい家庭を守ることに専念したという。年数が立ち義父も退職、昇格の話もストップ。今のサイコロ課にいるという、専らの噂。

 入庁当初はトップの座を走っていたと言われた市毛が、突然失速しコースから外れた。
 当時からつい最近まで、警察庁の中では噂が飛び交っていたのだという。何故、戦力外通告を受けたのか。奥方が昇格に興味を示さないのは、実父への憎悪ではないのか、等々。

「ね?凄いだろ」
「人間関係が複雑すぎて、わけわからんですねえ」
「じゃ、おさらいする?」
「いやいや、少し頭の体操すれば、頭の整理も付くでしょう」
「市毛課長は出来る人間だって、評判だったし。実際に出来る人だと思うからさ」
「そうすかあ?美人みると華の下伸ばしてますよ」
「そうなの?」
「なんだったかな。なんかの時、みんなで美人カテゴリの写真みたら、鼻の下伸ばすどころか言葉失くしてました」
「そういう一面もあるのか。サイコロ課異動ですごく凹んだけど、人間観察も面白そうだ」
 項垂れることで凹みを表現した神崎に向かい、心の中でどす黒い霧を発生させる和田。

(なんだって?サイコロ課異動で凹んだだと?おいおい、聞き捨てならないな)

 その心に反し、顔は、にっこりと素朴な笑いを浮かべる。
「人って色々ありますからねえ。さて、僕は失礼します。シャーロキアンクラブの会報、今月僕の担当なんですよ。こないだの事件で遅れてて。すみません。あ、いくらですか」
「今日は奢るよ。シャーロキアンか。変わってるな、キミは」
「ホームズのライバルこそ、究極のサイコパスですから」
「今日の話、内緒で頼むよ」

 会報作成は和田の仕事ではない。
 今日のように飲みたくない日に究極の逃げ道として使う手のひとつだ。それにしても、どこから噂を仕入れたのやら。和田に話したということは、次々と噂を広めているに違いない。そして、牧田さんと課長を対峙させるのが目的だろうか。
 神崎は、心の底が読めない人間だ。俗に言う「腹の読めない人間」というやつだ。

 普通、何らかの行動を起こす場合にはそれ相応の目的がある。今日の出来事で言うなら、情報を仕入れて拡散させるのが手段で、誰か特定の人に聞いてもらうのが目的。
 数種のカテゴリに分類された動機がある。
 サイコロ課では「動機づけ」と呼んでいるが。
 一番解り易いカテゴリが「金銭」のプラスマイナス。
 それから「損得」これは白黒はっきりしている。
 あとは、「感情」プラスからマイナスにかけて様々な感情がある。好感や罪悪感、劣等感、嫌悪感、等々。
 神崎の動機づけがどのカテゴリに分類されるか、和田には神崎の真意が図りかねた。

 牧田さんと課長を対峙させ、本当のことを牧田さんが知ったところで、誰の得にもならない。不幸を呼び、人間関係を悪化させるだけだ。噂話で済むような軽いトラブルではないのだから。
 もしかしたら、神崎自身がフィクサーでありトリガーの役目も果たしているのか。そう、和田たちが定義するところの、サイコパスなのかもしれない。

第1章  第3幕  D-7ファイル

 サイコロ課に舞い込んでくる本当の意味で物騒な事件は、1年に多くて数件だ。他は、必死になって過去の事件を洗い出し犯人像をプロファイルし、似たような傾向の事件が起こらないよう、警視庁及び各県警をつうじて日本中の所轄に啓発していくところにある。
 サイコパスが絡んだ事例は、なかなかあるものではない。

 神崎が、ある日データベースをみて、皆に尋ねた。
「D-7ファイル 中学生万引き事件。これって、うちに来たってことはサイコパス絡みなんですか?」
 皆でファイルを読んでいく。

 概要
 都内N区で、3名の男子及び女子中学生【中学2年】A・B・Cがコンビニで万引きをした。店主及びアルバイト男性、男性客に取り押さえられ、所轄の生活安全課少年係に引き渡された。店内の防犯カメラからも、3人の犯行が裏付けられた。
 未成年の犯罪であることから、保護者を呼び状況説明、身柄引き渡しの予定だった。
 全員、別室で事情を聴いていた。

 A(男子)の父親が最初に来た。
 父親はAに向かい、親に恥をかかすなと、Aの両頬何度も平手打ちしてAに土下座させた。結局、商品代金は払ってやる、と店長に凄んだ。

 続いて来たのは、B(女子)の母親。
 Bを怒る様子は一切なく、札束を放り投げた。金さえ払えば文句はないだろうと嘯いた。さ、Bちゃん、帰りましょう。それだけ言うと、さっさと警察を後にした。

 C(男子)の両親が最後にやってきた。
 両親は、コンビニの店長や警察官を前に、土下座して謝った。お金がないのは親のせいだと貧乏を嘆き、欲しい物を言ってくれればお金を準備したのに、と悲しんだ。Cに対して謝ることは強要しなかった。最後に両親が謝った時、Cはほんの少しだけ頭を下げた。

 その後もコンビニでは万引きが続いた。
 AとBは常習者になった。
 Cは、一切万引きに手を染めなくなった。
 万引きに目を光らせていた店では、再度A・B・Cを取り押さえたが、万引き映像を解析したところ、Cの関わりが無いことが明らかになった。
 コンビニの店長は、両親のことを思い出し何気なくCに聞いたという。
 なぜ、万引きを止めたのか。

 Cから返ってきた答えは以下のとおり。
「親が泥水を舐めるような真似をしたのが許せない。うちの親は恥だ」
 しかし、本心は違っていたようである。親に土下座させたのが申し訳なかったのだ。
 自分の罪に対し親が謝るのが辛かったのであろう。

 AとB、他の二人は、万引きを続けた。それにも理由がある。なぜか。
 親が子供より体裁を気にしたからである。金で片を付けようとしたからである。
 子供の心を推し量ろうとしなかったからである。

 市毛課長が答える。
「この万引き自体は、サイコパスとは限らないな。将来的な可能性は別だが」
 神崎が首を捻る。
「じゃあ、どうしてここに回ってきたんですか」
 和田と弥皇が同時に言葉を発した。
「その下。見てください」

「少年犯罪の変遷」
 何十年に1度の割合で、日本中、いや、世界中を震撼させるようなサイコパス事件が起きている。
 主として猟奇的に殺人を行うものが多い。

 その年齢層は今や成人男性に留まらない。
 少年法の改正が行われた以降も少年たちによる猟奇的連続殺人が増えているのが事実だ。最初にそういった事例が発表されたとき、周囲はその行為にばかり目を向けた。
 少年の背景、家族と良好な関係を保っているか、親が拒絶していないか、善悪含め、子供を受け入れているか。そういった内部事情を世間が知る必要はないまでも、事件の特殊性にのみ、メディアは特化した形で報道を続けた。

 その特殊性だけをテレビで見た小さな子供たちが、今、同じことを繰り返そうとしている。特殊性を伝えるだけでは、巡り巡って何十年後の犯罪を引き起こす可能性を忘れてはならない。子供たちを、サイコパスの世界から遠ざけなくてはいけない。

 しかし、一見特殊な少年犯罪に見えても、多くの場合、守ってくれた肉親との別れ、慕った肉親との別れを経験している。それを契機として動物狩りを始める場合も多い。
 動物狩りの前に、少年たちは学校など公共の場で何らかの事件を起こしていると考える。その時、肉親は泥水を舐めることをしたのか、それとも体裁を取り繕ったのか。そこがターニングポイントになってくると思われる。子供を怖れた場合も、それは虐待と同じ効果を表すことに繋がりかねない。

 親に拒絶されたか、受け入れられたか、それしかヒナには判らないのだから。

 以上


 須藤が溜息を洩らす。弥皇も緑川的な女性を一番に思い出した。須藤と市毛課長が掛け合いを始めた。
「そうなんだよ、簡単に見ればサイコパスなんだ。でもな、違うんだよ」
「一番最初に話しただろう、サイコパスの定義。全て当てはまるものと違うものがある」
「両親の愛に飢えた場合は、特にその傾向が強い」
「一方で、愛に飢えていないのに一方的にサイコパス要素を膨らませる者もいる。これは緑川事件の緑川のように自己愛性パーソナリティ障害という見方もあるが、何れサイコパスの中のサイコパス、というカテゴリに分類される」
「いずれ、少年犯罪はこれからもっと難しい局面を迎えるだろうなあ」
「俺達が『宇宙ヒーロー』を好んだように、今の少年たちは悪のカリスマを求めている可能性もあるからな」
 
 神崎が、科警研時代の話として、ぼそっと口にする。
「神サイト、闇サイト。どちらも殺人依頼サイトですからね」
 須藤が神崎の顔を覗きこんで聞いた。
「そんな物騒なサイトがあるのか?」
「科警研では潰しきれないから、サイバー室にお願いしていると聞きましたけど」
 
 弥皇は、サイバー室の体質に手厳しい。
「サイバー室?清野の様な阿呆しかいないんじゃ潰せないな。助長させる一方だ」
 腹を抱えて笑いながら須藤が答える。
「だからサイコロ課に捨てていった」
「うちはゴミ箱じゃないんだから。失礼だよねえ、神崎くん」
 そう呟きながら、今度は弥皇が神崎の顔を覗きこむ。
 今度は神崎が目を丸くして、弥皇の目を直視した。
「え。僕もゴミのひとつ?」
 弥皇は、にっ、と猫のような口元になり神崎の左肩に手を置いた。
「さあ、キミ次第ってところかな」

第1章  第4幕  悪運

 未だに続く、仕事中及び仕事終了直後の誘い。
「弥皇さん、今日の夜空いてますか?」
「弥皇さん、来週、ライヴ行きません?」
「弥皇さん、海行きましょうよ。ダイビングとか」
 五月蝿い。
 ハエより五月蝿い。
 ハエの方が余程マシだ。
 ハエは纏わりつくが喋らない。

 まして、こんなガサツな声で知性の欠片もなく男を誘うハエなど、この世に不要だ。
 近頃課内での弥皇は、いつも額に縦皺が寄っている。いつもはボードにNOと書きポインターでバンバン叩くだけだが、流石にこう礼儀も何も知らない女だと、はっきり言いたくもなる。
「清野、全て却下だ。これまでも、そしてこれからも。お前に費やす時間はない」
「あら、随分な言い様ですね。彼女いるんですか?」
「お前に答える必要は無い。僕のことは放っておけ」
「ふうん。いないなら彼女候補に名乗り上げてもいいよね。いたとしても、弥皇さんがあたしを好きになれば、それでハッピーでしょ」
「何があろうと、お前など相手にしない」
 時間になると、弥皇は何処かに消えていく。清野は頬をプックリと膨らませながら自分も帰り支度を始める。そんな毎日が続いている。
 
 和田は、清野がいくら動いても無理だと知っているが、弥皇が口にしない以上、麻田のことは話さない。清野が麻田さんの存在を知った場合の反応を考え、麻田さんを心配しているのだと理解している。
 東北での事件以来、弥皇は、麻田と付き合っているか、そこまでいかなくても麻田に対して同僚以上の感情を持っているのだから。
 この春になるまで皆でデータベース内の過去に起きたサイコパス事件を論じ合ってきたが、サイコロ課が新設された頃と、冬が過ぎ1年が経とうとした頃では、空気が違っていた。
 何より、麻田を見る弥皇の眼差し。
 サイコロ課が新設された頃は、一般の女性として弥皇が麻田を敬うことはあっても、麻田を心配することは、一度もなかった。
 そう、麻田が何を食べようが何時まで夜更かしして目の下にクマを作ろうが、挙句身体が鈍っていると筋をバキバキ言わせようが、興味を示さなかった。
 麻田が怒りそうな毒を吐いては、笑っていたものだ。
 それが、東北の事件以来、麻田を心配するようになった。弥皇本人は心の底から本気で言葉を発しているため、自分が変わったという意識は、あまりないらしい。

 弥皇の変貌ぶりに目が点になり、お腹の筋肉が痙攣するのではないかと思われるくらい笑ったあの日を、昨日のことのように思い出す。
 麻田は、変わったような、変わらないような。男勝りな性格は相変わらずだし、弥皇をからかう癖も最後まで健在だった。もしかしたら、弥皇さんの片思いなのかな。ブラックカードや小切手帳をもってしても、麻田さんを落す材料には成り得なかったというわけだ。
 じゃあ、麻田さんを振り向かせるターニングポイントなんて、この世にあるんだろうか。ホームズの推理をもってしても、こればかりは解けない謎かもしれない。そう思う和田である。
 市毛課長も二人の気持ちは知っているようだが、何も口にしない。だから、和田と佐治は約束していた。
 見ざる・言わざる・聞かざる。
「自分たちの口からは、二人について何も話さない」

 幸い、といっていいのかどうか。和田は見た目、天然坊やに見えるらしい。そう、嘘つきには見えない。世渡りに長けたウサギには見えないのである。
 清野が、帰り際の和田を呼び止める。
「ちょっと、和田くん。弥皇さんって彼女いるの?」

(なんで年上の男性にクン付けするかな。ああ、緑川思い出す。やだ)

 飄々とした表情で切り返す。
「さあ、外のこと話しませんから」
「貴方よね、東北に一緒にいって結婚詐欺の女に会ったって」
「はい、行きました」
「その時ブラックカードとか小切手帳使ったって、本当?噂なんだよね、御曹司って」
「僕は見ていません。特異な事件でしたからね」
「此処では見せたことないの、カードとか小切手とか」
「そういう話が出たこともないです。心理犯罪がメインのサイコロ課ですし」
 和田なりに、相手のプロファイルを簡単にしてみる。プロファイルにもならない。
 ただ単に、金持ちの彼女に収まりたい女性。ははは、弥皇さんが一番軽蔑する女性だよ。まるで緑川みたいだ。清野は9分9厘、自己愛性パーソナリティ障害なのだろう。

 弥皇さん、窮地に立たないと良いけど。何かこう、緑川の時と同じような匂いを感じる。噂を聞いて弥皇さんのお金目当てに近づく女性は多くなるかもしれない。前ならサイコロ課の変人男で済んでいたのに、このままでは面倒なシチュエーションも増えることだろう。
 弥皇さんは色仕掛けにも母性本能にも反応するような人間じゃないし、今どきのスーパーな女性、何でも一生懸命で彼を支え家庭のことはパーフェクトな女性ですら、弥皇さんは興味を示さない。
 でも、女性に優しいのは確かだ。勘違いする女性がいてもおかしくない。さっきの会話を聞いている限りでは、勘違いさせるような言葉で使っていないようだが。
 というか、結構キツい物言いだったような気もする。ま、大丈夫か。麻田さんのように、一生懸命な部分がありながらどこか手を抜き、男性のためには何もしない、甘えない女性が好きなんだよなあ。

 面白い。

 この時点では、弥皇も和田も、清野の際どい計画に全く気がつく様子もなかった。

 その後も清野から弥皇へ誘いは続く。個人的誘いを毅然として断る弥皇。清野は、次第に目つきが変わっていた。弥皇の後をつけ回すような行為が見受けられるようになった。弥皇が気付いていたのか、それとも麻田が忙しかったのか。弥皇のマンションに麻田の姿を見ることはなかったのが不幸中の幸いだったかもしれない。
遅かれ早かれ、トラブルに巻き込まれる可能性は否めないのだが。

 そんなとき、神崎がサイコロ課のメンバーで酒を飲もうと言い出した。普段なら、所轄や県警本部と違い捜査が無い分、時間とともに帰庁できるサイコロ課。新メンバー歓迎会というわけだ。
「サイバー室から来た清野でーす。好みはぁ、弥皇さん」
 クールに切り返す弥皇。
「昨年からいる弥皇です。五月蝿いハエが一番嫌い」
 自己紹介は続く。
「科警研から来た神崎です。何でも得意です」
「総務から来た牧田です。残業しない派ですので、協力お願いします」
「SATから飛ばされた須藤。今はもう大人しいから安心して構わない」
「去年からいる和田です。自他ともに認めるシャーロキアンかな」
「俺は自己紹介しなくていいだろう。市毛だ」
 個室を借り切っての歓迎会。酔って何を話すかわからないからだ。人数は去年より増えたはずなのに去年の歓迎会より静かだな、と和田は感じた。ああ、佐治さんや麻田さんがいないからだ。麻田さんの個性の強さ。男と対等に渡り合い酒を飲み、確かジャージをお店から借りて、麻田さんが弥皇さんに寝技を掛けたんだった。思い出し笑いが出てしまった。
 すかさず、清野が反応した。
「和田くん、何笑ってるの?思い出し笑いみたい」
「ああ。すみません。県警時代の歓迎会と雰囲気が似てて。その時に喧嘩した男女の同期が柔道で勝負したんですよ。投げ技禁止、寝技中心で。確か女性が勝ったのかな」
 ヒューっと口笛を吹く神崎。
「凄いな。男性顔負けの女性がいるのか、キミの出身県警には」
「どの県警にも結構いるみたいですよ。大会に名前を連ねる女性は多いですからね」
「そういえば、去年いた麻田女史も有名だったじゃないか」
「麻田さんか。話には聞いたことありますけど、実際試合とか投げ技とかは、見たことないですね。そういう事件も無かったし、ね、弥皇さん」
「僕も和田くんに同じ」

 うやむやに話す和田に感謝する弥皇。昨年のカード、僕と麻田さんが寝技の掛け合いで大騒ぎしたのを覚えていたか。あの日は楽しかった。いや、昨年は楽しかった。そう思うと、弥皇も頬に笑みが浮かびそうになったが、ハエが周りを五月蝿く飛び回るので表情に出すのは止めた。

「ね?二次会、二人で行かない?」
 清野が手を握ってくる。青筋が立ちそうになる心を収めながら、ピシャリと手を払う弥皇。
「行かない。一刻も早く諦めろ」
「諦めなかったら?」
「何があろうが諦めろ」
「あたしは諦めない。どういう手を使っても」
「僕にはお前など目に入らない」
 神崎が間に割って入る。
「お二人さん。何話してるのか知らないけど、ほら、飲んで、飲んで」
 特に、弥皇に向けて酒を強要する。
 弥皇自身はワインで慣れている。日本酒程度ならそれ程酔わないのだが、神崎はどこから持ち込んだのか、店では出していないはずのウォッカやラム、リキュールなどのアルコール度数が高い酒を勧めてくる。銘柄を見れば、大体の度数はわかる。60度から80度近い酒ばかりだ。まるで、酔うように仕向けているようだった。和田に目くばせして、水と取り換えて貰ったりするが強要は止まない。
 何か変だ、と思いながらも、弥皇は不覚にも意識が飛んでいた。

 目覚めた弥皇はマンションのベッドで大の字になって寝ていた。頭がズキズキと痛む。二日酔いは数年ぶりだと思った瞬間、尋常でない事態に気が付いた。
 全裸だった。
 弥皇は殆ど二日酔いしないからだが、かつて記憶喪失プラス廃人の二日酔い洗礼を受けても、全裸にだけはなった事がない。
 勿論、そんな趣味もない。
 記憶を辿るが、酒を強要されたところで途切れる。思い出そうとしても、記憶を司る脳部分が全く機能しなかったかのように、ほんの一欠けらの記憶すら思い出せない。もやもや考えていると、隣で何か蠢くものが目に入った。不意に、そちらに顔を向けた。
 清野だった。清野も全裸のまま、うつ伏せになりベッドに横たわっていた。

 やられた。

 神崎に無理矢理強い酒を飲まされた記憶はある、泥酔したのも間違いではあるまい。血中アルコール濃度は瞬く間に上がったことだろう。ブラックアウト状態になり判断力が低下したのも否めない。複雑な判断を必要としない帰宅なんぞは慣れた作業だから、タクシーに乗って部屋まで帰ることくらいはできたはずだ。
 しかし、だ。
 この場合、狙って弥皇の意識が飛ぶように誰かが仕向けたと見るべきか。
 弥皇と清野がお互い全裸なら、普通、何か行為があったと言われても返す言葉がない。
 
 数年ぶりの二日酔いもすっかり吹き飛び、弥皇は怒鳴った。いや、頭が痛いとか、最早そんなレベルではない。
「おい、起きろ。清野!起きろ!」
「う、ん」
「そうか、起きないか。それなら起きなくていい、鑑識を呼ぶ。そのまま寝てろ」
 本当は目が覚めていたらしい。清野は飛び起きた。
「どうして鑑識?何するの」
「狸寝入りか。僕の体液や精液がお前の身体に残っているかDNA鑑定する」
 弥皇は何処かに電話した。
「はい。女性の体内に僕の精液や体液などが付着しているか、DNA鑑定してください」
「どうして其処までするの?あなたがあたしとイイコトして寝ただけでしょ」
「冗談じゃない。僕は性欲もないし全裸になる癖も無い。ましてや、お前とイイコトなどあり得ない。こうして既成事実を作れば何とかなると思ったか。甘いな」
 そういって清野にガウンを投げつける。
 それから、弥皇も自らガウンだけを羽織り何かを探す素振りを見せた。整然とした部屋の中。すぐにカメラを引き出しの奥から出すと、部屋の中を撮影し始めた。
 脱ぎ散らかされた洋服の位置、テーブルの上、冷蔵庫の中、台所のシンク、トイレの中、天井、壁、棚の中、玄関のシューズクローク。鑑識の撮影張りにどんどんシャッターを切る。
 気が付くと、テーブルの上に見慣れないウイスキーの瓶があった。グラスが二つ。弥皇は基本、ウイスキーを飲まない。余程いい頃合に熟成されたアイリッシュ以外は手にしたことがない。
 今、目の前にあるウイスキーは、コンビニで買ってきたと思われる品。蓋を開けた形跡はなく、水や氷を準備した形跡もない。フェイクで置いたとしか思えない。

 清野の声がする。
「シャワーも浴びるなっていうの」
「当たり前だ。浴びた段階で、課長に詳細を話してお前の身体検査をさせる」
 両人ガウンのみ羽織り、DNA鑑定を行う検査機関の職員を待つ。

 許せない。

 不覚にも倒れた自分が悪いのだが、それにつけこみ既成事実を作り上げようとするこの浅ましさ。目の前にいるこの女は、そのためなら平気で裸になれるらしい。 
 此処まで心がさもしい女は初めて見た。ブラックカードの噂でも聞いたのだろうが、良心すら持ちえない卑しい人間が隣にいると思うと、鳥肌が立つ。

 弥皇の脳裏で、麻田との比較が始まる。麻田さんなら、好きな相手がふらふらに酔っていても、スーツを脱がせる、或いはネクタイを外すなど身支度だけ整えて、そのまま帰って寝るだろう。無理矢理引き止められても、最悪寝技で失神させて帰るような人だ。相手が正気でない時に既成事実を作るような、卑劣極まり無い真似などしない。
 麻田さんなら、と再び考えているとき、検査機関から何名か人が来た。
 清野は暴れようとしたが、簡易キットでの検査は、身体はおろかベッドにも体液は見られなかった。勿論精液などある筈もない。検査キットを持った人たちが帰った。全裸にされた清野を見ても、性欲はおろか、小汚い生物がいるくらいの認識しか持たない弥皇。
「消えろ。二度と来るな。協力者にも失敗したと伝えろ」
 悔しそうな顔をして、清野は下着をつけ、シャツを着てジーパンを穿く。
 テーブル脇にきちんと置かれていたバッグを持ち、コート掛けに掛けたコートを片手にすると玄関に向かった。
 弥皇は動かなかった。
 清野が玄関に揃えられた靴を履き、何も言わず部屋を飛び出したのを確認した。

 ガウン姿のまま、協力者が誰か考えた。
 神崎に違いない。強い酒を飲ませ続けた。
 それで神崎に何のメリットがあるのか。弥皇は今迄意識が無くなるほど飲んで帰ったことが殆どない。一族で飲んだ時、廃人にされたくらいの記憶しかない。それゆえに分からないのだが、起きたとき、部屋が整然としていた。元々弥皇は綺麗好きで部屋の中も片付いている。弥皇のイメージでは、普通、意識の無い酔っ払いの大トラが2匹も部屋に入れば、そこらのものを散らかすはずだ。ま、綺麗好きの酔っ払いなら片付けるのかもしれないが。
 今朝、部屋の中は散らかった様子も無く、ベッドにあの女がいただけ。テーブルのウイスキー、ソファ脇にきちんと置かれた女のバッグ。コート掛けに掛けられた女のコート。玄関を見たときも、靴さえきちんと揃えてあった。不自然極まりない。
 となれば、あの女は然程酔うまで飲んでいなかっただろうし、誰か協力者が弥皇を運んだと考えるのが至極妥当な線。そして、それを実行できるのは神崎しかいない。清野に頼まれ協力しただけなのか、麻田のことも含め何か裏で動いているのか、今はまだ判らない。

 弥皇の悪運は続く。

 インターホンが鳴った。1階のオートロック共用玄関ではなく、自室玄関の方からだ。この部屋の鍵を渡しているのは、両親と麻田しかいない。まさか、あの女と遭遇したのでは。麻田のことばかり心配し、自分の格好を忘れ、弥皇は、そのままドアを開けてしまった。いつもなら元気に「がはは」と入ってくる麻田が、小さな声で、伏し目がちに呟く。
「あ、ごめん。お呼びじゃないところにきたみたいね」
「麻田さん。どうしました?」
「ごめん、帰る」
「待ってください。どうしたんです?」
 嫌な予感がして、弥皇は咄嗟に、麻田の手首を掴んでいた。
「電話があったのよ。昨日飲んで具合悪いみたいだから行ってみてくれ、って」
「男でしたか?女でしたか?電話の相手。知らない声だった?」
「男の人。知らない声。昨日歓迎会だったでしょ、今頃なら起きるだろうって」
「で、ロビーでアホ面した女がいて、弥皇と寝たと、鼻で笑っていたんですか」
「どうしてわかったの」
 麻田の顔が憂いを帯び、狼狽している様子が見て取れる。やはり、そこまで計算していた人物が糸を引いているということか。
「昨夜の歓迎会で、ある人物に強い酒を強要されたんです。不覚にも会場内で意識を失いましてね。起きたら、僕とあのバカ女が全裸で寝ていたと。どうやら既成事実として認めさせる筋書きだったようです。バカ女は狸寝入りでしたけど」
「でも、記憶ないんでしょう」
「だからDNA鑑定するために検査機関の人呼びました。いくら意識なくても、あんなのに引っ掛かったとは思っていません。簡易キットでは陰性だったし、そのうち結果が出るでしょう。麻田さんに見せるなら、何でもOKなんだけどな、見ます?全裸」
「ううん、見なくていい」
「残念。僕の総てを見たいって言ってもらえたら、直ぐ脱ぐのに」
「弥皇。その下、全裸でなかったら直ぐにでも投げ飛ばしたい」
 
 流石の麻田も、見知らぬ女性に『弥皇と寝た』と言われて平常心を保つことは難しかったのだろう。麻田の目尻に、うっすら涙が滲んだのがわかった。それでも、弥皇のアホな一言で、少しだけ本来の麻田に戻ってくれただろうか。
「麻田さん。あのバカ女と協力者の目的ですが、ひとつは既成事実。もうひとつあるに違いない。麻田さんの顔を確認することです。わざわざ此処に来るよう誘導したことから考えると、交際レベルも確認したかったのでしょう」
「何か起こる、いえ、起こすとでも?」
「麻田さんを狙う、或いは麻田さんの邪魔をする」
「今の仕事をしている限り、あたしは狙い放題にはなりそうね」
 麻田は大きく溜息を吐きながらも、納得したようだ。いつもの麻田に戻ろうと、髪をかき上げる癖を見せた。
 
「スーちゃんにも伝えておいて。今年転入した須藤くん。あたし大学の同期なのよ。彼、今でも腕には自信あるでしょうから」
「麻田さんが『ちゃん』付けで呼ぶ男性がいたなんて、驚きです」
「ああ、あの顔でしょう。ただでさえ誤解されやすいからね。あれでも良い人なのよ」
 弥皇は、急に二日酔いのズキズキが戻ってきた。
 張りつめていた糸が切れたらしい。
「麻田さん、僕、今、もの凄く嫉妬してるんですけど。二日酔いで頭痛いし」
 ガウン姿のまま、麻田を抱きしめる弥皇。結んだ紐が緩む。ハラリと肌蹴た胸がちょうど麻田の顔に当たる。麻田が弥皇の体温を直接感じたのは初めてだった。二日酔いのせいか、肌が熱く感じられる。
「ちょ、ちょっと。前、肌蹴てるって。裸見えちゃわよ」
「麻田さんになら、何見せても構わない」
「あたしは嫌だって。全裸なんでしょ」
「そう言われると、もっと見せたい衝動に駆られる」
「あんたねえ。ちゃんと着なさい」
「やだ」
 子供みたいな弥皇。本当に脱ぎかねない。
「ああ、もう。投げても見えるし。まだ酔ってるの?」
「あはは、困った顔の麻田さん、面白い」

 口元に笑みを浮かべながら、麻田が弥皇の胸を抓る。抓られた痛みが心地よい弥皇。いや、誓って言うが、決して弥皇はMではない。麻田と何処かで繋がっていたいという少し子供じみた弥皇の仕草と思考が、何となく可愛らしさを感じさせる。
 まるで、懐いて離れない子犬や子猫のようだ、と麻田は思う。

「ほら、兎に角着替えて。そしたら、ちゃんと話すから」
 漸く弥皇にTシャツとイージーパンツを穿かせ、玄関先で話す。
「中まで入るのは、何かと、ね。いや、ヘンな想像してるわけじゃないけど」
「僕、性欲無いから無害ですよ」
「そういう話じゃなくて。あの女性が寝た部屋に入りたくないのよ。寝たベッドを見たいとは思わない」
「すみません、麻田さんの気持ちを考えないでしまって」
 180cmほどの弥皇が縮こまっているのに対し、168cmほどで女性としては目立つ体格の麻田。今は何故か麻田の方が大きく見える。
「そういえば、あの女性、何か変だった。そう、緑川に似てたかも。目が」
「緑川?あ、和田くんもそんなこと言ってた気がする。緑川も清野も、どっちの名前も聞くのが嫌で耳に入れなかった」
「あの女性、清野っていうのか。和田くんも言ってたの?サイコパスなのかな」
 どうやらサイコパス的要素に麻田も気付いたようだった。

◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇
               
 次の日、弥皇は出勤すると即座に和田に耳打ちして3階の非常階段に降りた。時間差で和田が姿を現すと、清野の情報を集めてくれるよう和田に頼む。
「お願いできるか?麻田さんも、緑川に似ているって言ってた」
「でしょう?僕も感じたし。弥皇さんが厄介ごとに巻き込まれないといいなって。弥皇さんにもアドバイスしたのに、春爛漫で忘れたんでしょう。もう新緑の季節ですよ」
「麻田さんを狙っている節もあってね。けど、その狙いが掴めなくて」
「要は、麻田さんのキャリアに傷をつけたい、と考えるのが妥当な線だと思うんですよ。男を寝取るのに失敗したから、次の手、でしょう?」
「和田くんの口から寝取るなんて言葉が出るとは思いもしなかった」
「いい年した大人ですよ、僕たち。兎に角、手出ししてなくて良かったじゃないですか。万が一麻田さんと間違えて手出ししてたら、今頃地獄行きですよ」
「麻田さんと僕のこと、どこまで知ってるんだい?」
「気持ち的には限りなくクロなんだけど、プラトニックですよね、お二人は。でもって、交際を知られないよう高級な場所で逢瀬を重ねている。こんなイメージです」
「さすがだね。緑川事件以来、開花したって本当だったんだ」
「だから僕もこないだ、やられたのかな。神崎さんにありったけ飲まされてタクシーに乗せられたんです。もう、散々でした」
 ちょっとやそっとのことでは酔わない和田が酔うとは。余程飲まされたらしい。弥皇はますます神崎の粗暴な行いに疑問を覚えた。
「他の人たちは?」
「課長と須藤さんは普通に飲んでましたよ。牧田さんは途中で外したし」
「僕はなんとかなるからいいけど、麻田さんが心配で」
「情報については任せてください。ソンウさんとかフランブルクさんがいたら超特急なんですけどね、あはは」

 5階にあるサイコロ課に、再び時間差で戻った弥皇及び和田の2名。他の課員たちも通常どおり出勤してくる。挨拶を交わす。神崎が出勤してきた。神崎の目を見ながら挨拶する。飲ませすぎてすみません、と謝られた。
「ああ、結構酔ったな。僕、どうやって帰った?」
「僕がタクシーに乗せて一緒に帰りました。弥皇さんが途中下車して。住所は自分で話してましたよ」
「歩いて帰れたのか。部屋の状態が無残でねえ、誰かに付いて来てもらったのかな」
「そこまで意識が飛んでるようには見えませんでした、すみません」
「いや、次から僕も注意するよ。酒で身を滅ぼしたくはないからね」
 当たり前だ、阿呆。お前のお蔭で麻田さんに泣かれそうになった。次はもう、ないと思え。喉元まで声が出掛る弥皇。必死に我慢する。いつも遅刻ギリギリの清野が、いつもどおりに出勤してきた。弥皇は、無視してしまった。
 麻田さんに「弥皇と寝た」と嘘をついた罪。麻田さんを傷つけたお前は許さない。相手の思うツボに嵌る危険性を知りつつ、自分の正直な心と、大人の振る舞い&リスクの見極めの狭間で、頭を抱える弥皇だった。
 ま、今日は聞こえなかったことにすればいい。その日、データベースへの入力と様々な事件の羅列で時間が過ぎていくものの、弥皇は集中できずにいた。述べる意見も少ない。どうしても、目は神崎に向いた。
 昼休み、和田とすれ違い二言三言交わした。
「あ、弥皇さん。ついでに、今年の転入組すべて調べます?」
「そうだな、お願いしていいか?須藤さんだけは除外していいようだ」
「どうして?」
「麻田さんの友人らしい。スーちゃんだとさ。ちゃん付けだぞ。僕なんてくん付けなのに」
「まあ、そんなにヤキモチ焼かないで。弥皇さんは麻田さんのことになると解り易いから」
「そうか?気をつけてるつもりなんだけど」
「僕とか佐治さんなら直ぐに分かりますよ。情報、少し時間下さい。ちょっとキナ臭い気がするんです」

 1週間後、和田が弥皇を飲みに誘った。佐治も入れて心理談義をするという。あの全裸の件以降、清野から五月蝿く付きまとわれることは、ほぼ無くなっていた。今年の転入組に関する情報共有だから、居酒屋を使わず弥皇の部屋に行く。
「うわ。綺麗。弥皇さんの繊細さがわかりますね」
「洋服は畳んでたのか?二人とも。どっち側にあったかも重要だぞ」
「そういえば写真撮ったな。どれ、畳んではいないですね。お互いの外側に脱ぎ散らかしています」
 パソコンに取り込んだ写真を見て、佐治と和田が笑い出した。和田の強烈なアッパーカットが弥皇を見舞う。
「弥皇さん。嵌められたにしても、お粗末ですねえ」
 去年サイコロ課で打ち込みに必死だったため皆に交じることの出来なかった悔しさを晴らすような、和田の一発。

 泥酔状態の男女が、どちらかの部屋に二人で行く。ブラックアウト状態になり記憶が飛んでいたとしても、酒を飲む、あるいは何かを食べるという行為は、行われても通常、当人は覚えていない場合が多い。食欲は極々通常の欲だからという説が一般的だ。同じように家に帰る動作も慣れた作業と言える。よく、こんなことがないだろうか。店を出たところまでは記憶があるが、どうやって帰ったかは覚えていない。また、気が付いたら服を脱ぎ散らかし部屋で寝ていた、という風に。
 全く記憶が無いのは、普通に帰って普通に寝る。いわば平常と変わった点が無いからである。
 一方、伴侶や彼女以外の第3者との性交に関しては、全く記憶がないのは不自然である。通常、何がしかの断片的な記憶を伴うことが多い。性欲も生物学的な欲だが、性行為自体、毎日行われるものではなく、まして、初めての相手と性行為に及ぶ場合、何らかの緊張が記憶を残存させると思われる。性交時の状況だけでなく、ドアを開ける金属的な音であったり、エレベータの中や乗る時など、断片的な記憶としてうっすらと残る。
 なおかつ、性交まで発展するには、通常、両者の合意形成が必要になる。泥酔状態での合意は心理学や生物学的な知見から、容易に想像できる。

 ここで重要なのが、どの段階で合意形成に至ったか、である。そこには、異性を口説き性欲を満たそうとする男女間の駆け引きがあって然るべきである。口説きタイムが終了しお互いが合意形成に至ってこそ、円満な性交渉が営まれるのであって、男性側からの一方的な行為は、性交とは言わず強姦となる。その場合、推して知るべし、犯罪である。

 合意形成に戻ろう。部屋に入る前から合意形成に至っていれば、部屋に入った途端に性交の準備を始める。洋服を脱ぐのである。その場合、性交が目的であるから、コートやバッグといった上着や小物を然るべき場所に置くことは不自然だ、というより自然の流れから逸脱する。
 片方が泥酔していない場合に限ってのみ、コートやバッグを然るべき場所に置くと考えるのが自然だろう。スーツなどの洋服に関しても同様だ。弥皇ほど泥酔していて、洋服を畳むどうかは怪しい。何があっても洋服を畳む癖があれば別だが、弥皇は全裸で寝る癖はない。この場合、性交後であっても何らかの洋服、例えばガウンなりを羽織ると思われる。

 第2に、部屋に入ってから時間が立ち、会話の後に合意形成された場合。家の中にワインセラーがあるのに、テーブルにコンビニ買いの開けていない酒類があるのは、これまた不自然である。つまみすら買っていないのも不自然極まりない。
 アルコール類とつまみなどが一緒にあり、酒を開けて飲みながら異性を口説き、合意形成に至る事例は往々にして存在する。聞けば弥皇はつまみ程度の料理ならすぐに作れるし、その材料も常備してあるとのこと。となれば、当時、弥皇は女性を口説ける状態になかったことを指し示す有利な事例となる。

 第3に、合意形成がどちらから齎されたか。男性が女性を口説き合意形成に至った場合男性が女性の洋服を脱がせる方法が一般的である。その場合、男性側に洋服は重なっておかれることが多い。または、女性の服だけを雑に畳む行為は考えられる。
 女性の洋服を女性側に放り投げることは女性を愚弄した動作であり、性交を目当てに家に連れ込んだ場合にはそういった所作にもなろうが、弥皇ほど女性を口説くことや性交に興味の無い人間では、通常そのようなシチュエーションは考えにくい。
 女性側に洋服が放り投げてあるということは、女性側から合意形成が齎されたという事実を一般的に示している。ただし、交際中、或いは配偶者など常に合意形成がなされている場合はこの限りではない。

「あるとすれば、弥皇が口説き落とされた場合か。でも、無理だろ。いくら口説かれても性欲無けりゃ始まらない。ホントに無いのか?」
「無いですねえ。麻田さんに対しても無いくらいですから。他の女じゃ、どう頑張っても」
「ていうか、この酒。弥皇さん飲まないでしょ。ワインセラーも目立たない場所にあるし、弥皇さんのワイン好き知らなかったんでしょうね。ワインを見てもどんなふうにセッティングするかもわからなかった。だから一番手っ取り早いウイスキーにしたんでしょう。やっぱり、やらせですね。証拠ないけど」
「和田くん。佐治さんは家庭持ちだから理解できる。僕は性欲無いからだけど、キミ、よく解るねえ」
「ノーコメントでお願いします」

第1章  第5幕  秘密

「で、清野と神崎なんだけど。何か出て来た?」
 弥皇がドアに背を向けるように座って、せがむ様に二人の過去を尋ねる。同じく座り込んだ和田が各自のプロフィールを掻い摘んで話す。
「清野さんは、思った通り緑川のような育ち方をしています。緑川より顔悪いですけど」
 要は女王様気質に育った清野。何不自由なく育ったように見えるが、少なくとも2回、思い通りにならなかった出来事があった。
 何のことは無い。緑川の場合、可愛すぎて一人っ子だったが、清野は妹が出来た。それまで親の愛を一身に受けた清野が、妹を許せたとは思えない。その妹は今、離婚し子持ち出戻り状態で、清野が金を恵むときもあるという。それが清野の自尊心を満足させていたことは想像に難くない。
 もうひとつ、清野の思い通りにならなかったのは、お定まりの受験。こちらも緑川同様高校は地元の難関校に入学したが、大学は滑り止めの私大に入学している。県外の大学に行っていないことからも、最初から国公立に入れないと解っていて受験したと推察される。
 清野情報は、このくらいだが、緑川に近い人種なのは確実である。サイコパスの危険性もはらんでいる。
 弥皇は目眩がしそうになる。
「やっぱりサイコパス気質か」
「有り得ますね」
「神崎という男は?」
「神崎さんは一見普通ですが、要注意人物です」

 成績優秀、頭も切れるし運動神経は抜群。学生時代から射撃系のクラブ等に所属していた神崎。薬学や医療分野にも精通している。ITの知識も果てしなく広く深い。
 こちらも、ただひとつ、思い通りにならないことがあった。
 神崎と同期の男性警察官は、警察庁の中で神崎と似たような人生を歩んでいた。漏れなくどちらもモテたわけだが、二人は同じ女性警察官に好意を抱いた。
 ここから変化があったと見るべきか。
 女性警察官は、初め神崎と交際していたが二人は破局し、女性は結果的に神崎でない方の男性警察官を選んだ。
 選定基準は、神崎の実家はお金持ち=名家で、一般家庭に育った女性を蔑んだとの専らの噂だった。もう一方の男性警察官の実家は、当時は破産して貧乏だったらしいが、とても優しい親御さんだったという。女性への気遣いもしっかりしていたと。

 佐治が肩を竦める。
「自分自身が悪くないなら、そりゃまあ、神崎としてはどっかに向けて腹立てるだろうな」
「ここからはオフレコです」
 居酒屋でもないのに、和田の声が小さくなる。
 和田曰く。
 交際女性が、破局した後にもう一方の男性警察官と交際をスタートさせたと知るや、神崎はジェラジーからか、精神的なモラハラパワハラひっくるめて、その女性に圧力をかけた。女性は精神を壊す一歩手前で退職し男性警察官と結婚したが、その夫婦への嫌がらせが凄かったらしい。IT系詳しいことも手伝ったのだろう。何処から情報を手に入れたのか、彼女の実家までターゲットにして嫌がらせ繰り返したという話であった。ここでも、男の敵は女だということが分る。
「物騒なヤツだなあ」
 佐治が再び肩を竦める。弥皇もげんなりした顔でブツブツ文句を言っている。
「どうしてそういう男がサイコロ課に来たかな。麻田さんに危害加えられたら困るんだけど」
「課長のことだから、何か請け負ってきたんじゃないですか」
 淡々と話す和田を横目に、幸せオーラ満載の弥皇は、揉め事に巻き込まないでオーラも放っている。
「もしかしてサイコパス退治とか?あり得過ぎて怖い。変わりたい、異動したい。元の県警に戻されてもいい」
「課長の考え、分からないからなあ。でも須藤さん動けるから戦力になりますよ」
 佐治の眼がランランと光る。
「脚、治したのか?ブラッディ・スナイパー。俺達の間じゃジーニアス須藤って有名だったんだ。顔は極悪非道だけどな」
「天才的な何か持ってるってことですか」
「そうだな、野生の勘だったり、力技だったり、駆け引きだったり。何でも熟せる。ああ、麻田同期だったはずだぞ。聞いてみろ。たぶん今も独身だ。麻田と噂あったような気がする」

 弥皇は、引き攣り笑いになっている。今の話を聞いた限りでは、どう見ても自分は勝てない。須藤さんは昔のことだというけれど、麻田さんが離れていくのではないかという心配が、引き攣りを全身に助長させる。
「はあ、やっぱり凄腕なんだ。佐治さんの県警まで伝わるんだから、その噂、相当信憑性高いですよね」
「あ、弥皇。お前嫉妬してんだろ。男のジェラシーはみっともないぞ。今ここで話したばかりだろうが。でなきゃ、須藤を超えるんだな。一族のことも含めて」
「勿論、一族に口出しはさせません。僕のパートナーになる人は僕が決める。麻田さんとの縁が無いのだとしたら、もう一生、そういう縁はないです。断言します」
「その意気込みがあるんなら、大丈夫だろ。力は麻田の方が強いし。何も心配いらないさ」
「佐治さん、何気にグサグサ突き刺すような言葉のメドレーラッシュなんですけど」
「悪いな、弥皇。女を守るってのはそのくらいの意地がないと無理なんだよ。意地を持て」
 弥皇の溜息と、片や佐治と和田の笑い声が響く。
 
 佐治も和田も、清野が麻田への攻撃を強めるはずだという。考えられるとして、人事サイドへの誹謗中傷、麻田への精神的及び肉体的直接攻撃。精神的には、先日の弥皇との写真などを送り付ければ、結構なダメージになる。佐治曰く、一番ダメージとして有効なのは視覚だという。
 あとは、肉体的な攻撃。こちらは銃で狙撃でもしない限り麻田の身体に触れることは出来ないだろう。ただ、弥皇も心配した通りマルタイの護衛中に狙撃させるという手がある。かなりリスキーな方法だが、確実に傷を負わせられるのは確かだ。
 サイコロ課内で、弥皇自体への攻撃はないと考えて間違いない。弥皇に対する攻撃はしない、という判断だ。そう、女の敵は女、なのである。

 佐治や和田たちが考えたとおり、日を追って相手からの攻撃は威力を増した。
 まず、麻田のマンションに、清野と弥皇が全裸で抱き合っている写真が、何枚か送られてきた。弥皇が起きたときは抱き合っていなかった。ということは、誰かが写真を撮ったはずだ。あの時部屋中の写真を撮った。隠しカメラは無かった。複数枚送り付けられた写真は、そのどれもが違うアングルから撮られていた。
 その頃には体液のDNA検査結果は出ていて、弥皇が何もしていないという証明は終わっている。それでも佐治の言ったとおり、視覚から入ってくる情報は何よりも心を乱す原因になる様だった。
「ほら、僕は寝ていて、自分から何かしている恰好には見えないでしょう?」
「そうね。でも、こうして肌を重ね合っている写真をみせられると、流石に辛いわ」
「麻田さん。ていうか、自撮りでもないのに、どうしてこんなアングルで撮れると思います?僕の部屋にもう一人誰かがいた証拠ですよ」

 その日は、たまたま、以前から予約していたホテルの部屋で逢っていた。サーブしていた料理に見向きもせず、麻田は窓から目の前に洋々と広がる海岸付近の灯りを辿るように目線を動かす。麻田は料理に手を付けることも無く、ワインだけをグイグイ飲み干していた。弥皇は、正直どうしていいかわからなかった。
「麻田さん。傷つけてしまって、すみません。どうすれば貴女が笑ってくれるのか、僕にはわからない。僕の不覚が起こした事だから許してなんて言えないけど」

 暫しの沈黙が流れた。麻田の口から出された提案。
「弥皇くん、あたしたち、少し逢わないでみようか」

 予想もしていなかった展開に、驚きを隠せない弥皇。普段のポーカーフェイスは何処かに吹き飛び、弥皇の顔が青ざめた。
 どちらからも、言葉も、溜息さえも聞こえては来なかった。まるで深淵の底にいるような静けさ。
 何分くらいそうしていただろうか。

 やがて、くるりと麻田に背を向けた弥皇が、口にした。
「もう、終わり。そういうことですか」
「終わらせるなんて言ってないじゃない。暫く逢わない、よ」
「暫く逢わないなんて相手を振る常套句じゃないですか。僕を許せないなら、はっきりとそういえばいいのに」
「許してないわけじゃないわ。でも、辛いのよ。こんな写真みて笑っていられると思う?」
「なら、こうすればいい」
 弥皇は部屋の内鍵をかけ麻田の手を取ると、麻田を歩かせてベッドルームに連れて行く。壁際に麻田を立たせてドン、と壁を叩くように麻田の肩付近に手を置いた。麻田よりも背の高い弥皇が、麻田の顎をクイッと引き、逃がさないと言わんばかりに顔を近づけてくる。
「何するの」
「あいつ以上に肌を重ねればいい」
「ちょっと、やめなさい」
「どうせもう逢えないなら、とことん嫌われるまでやっても、結果は同じでしょう?」
「そんなことやめて」
 弥皇が自分の上着を脱ぎ捨て、シャツのボタンを引きちぎる。そして、その手は麻田に伸びた。自分が無造作に脱ぎ捨てたときと違い、優しく上着を脱がせる。弥皇の指は麻田のシャツのボタンを丁寧に外しにかかった。
 しかし、麻田はその手を拒んだ。
 シャツのボタンに掛かった手を跳ね除けた瞬間。
 パシッと渇いた音だけが部屋に響く。
 動から静に空気感が変わり、響いた音はブラックホールに飲み込まれたかのような、暗く、重い空気が辺りを漂い始める。

 自分の口からは何も言えず、弥皇が言葉を発するのを待っていた麻田。
 麻田の思いが伝わったのかどうかは分らない。

 果たして弥皇は、一言も口を開こうとはしなかった。普段以上に、優しい仕草で麻田の身支度を整えさせると、無言のまま、そっと麻田の背中に手を添え、手荷物一式を麻田に持たせてドアから廊下に押し出した。此処はオートロック式のホテル。
 もう、弥皇が開けない限り会話も出来ない。

 麻田は、泣きたい気持ちで一杯の自分の感情を抑え込んだ。一方、今迄本気で怒ったことのない弥皇が怒った、その事実に驚いていた。弥皇が繊細なのは知っている。麻田から拒まれたという事実を、弥皇の精神状態がどんなふうに受け取るか心配だった。
 自分のマンションに戻る途中、マンションに着いてから、寝る前と、何度も弥皇に電話したが電話は通じなかった。メールの類いも返事はない。
 まさか自暴自棄になって事故でも起こしてはいまいか、と思いホテルに電話した。
 すると、弥皇は麻田が出た直後にチェックアウトしていた。麻田は、誰かに弥皇の行方を一緒に探してほしかった。和田に相談するのが恥ずかしかったから、須藤に電話した。
「あ、遅くにごめん。あたし、麻田。お願いあるの。明日そっちに弥皇くん出勤したかどうかだけ教えて」
「ケンカか?」
「ん、まあ」
「写真、か」
「どうして知ってるの」
「人事に流れた。課長がくい止めてるけど、どう転ぶかわかんねえな」
「あんなことする人じゃないの。証拠だってあるんだもの」
 弥皇を庇う麻田だが、須藤の言い分は厳しいものがある。
「何処まで証拠として通じるかね」
「何か方法ないの?」
「お前が最初に寝ないから悪いんだろうが。あいつを追い込んでる一つの要因だ」
「あたしがそういう柄じゃないの、知ってるでしょ」
「弥皇の気持ちは知ってたよな。本気にさせといて、あたし知ーらない、じゃ最低だろ。いいか、あいつはお前にぞっこんなんだよ、何を捨ててもいいほど。命さえ、な」
「今も何処にいるかわかんないの。お願い、無事に見つけて」
「俺は迷子相談室のお兄さんじゃねえよ。自分でケリつけろ、といいたいが。ちょっと嫌な動きもあるから、何かあったら知らせるわ。これに懲りて、素直になれ。好きなら態度で示せ。相手からだけの好意に満足しないでお前からも示せ。わかったか」
「うん、わかった」

 翌日、翌々日、何日過ぎても麻田の下に須藤からの連絡は無かった。勿論、弥皇からも。
 弥皇くん、何処に行っちゃったの。麻田はあらためて思った。
 彼はとても繊細なところがあった。別れの常套句と言われた。手を払ったことで拒否されたと感じたに違いない。あたしもそれどころでないのは確かだったけど、彼は多分それ以上に困り果てていた。あれが本当に寝ていたのならまだしも、嵌められた挙句、写真まで人事にばら撒かれるなんて。
 あの女。
 一人で計画していないはず。泥酔状態の弥皇くんを一人で担げるわけがない、ましてや抱き合ってる写真を撮るなんて中国雑技団ばりの身体の柔らかさをもってしても、120%無理だ。絶対に誰かと一緒だったはず。それにしても、弥皇くん、一体どこにいるんだろう。
 麻田自身、仕事が身に入らなかった。


 時を同じくして、こちら、行方知れずの弥皇、本人。

 あの晩。
 麻田をホテルの部屋から追い出した弥皇は、物凄い形相で何処かに電話を掛けていた。
 そして、直後に着替えを済ませるとホテルをチェックアウトして夜の闇に消えた。夜にも関わらず市毛課長に電話し長期休暇の旨と、休暇に対する懲罰は甘んじて受けること、ただし複数人の弁護士を通じて、麻田宛に送りつけられた写真や封筒から指紋検出した鑑定書と、自分の体液が清野の何処からも検出されなかったという鑑定書を同封することを話した。
 市毛課長は溜息をついていたが、そんなの知ったことではない。そのあと海外に飛んで、色々な場所に足を運んでいた。こちらは捜査や鑑定のようなレベルではなく、ただ単に買い物をしているようだった。日本に戻ると、東京のマンションではなく大阪に足を運んだ。電話で色々やりとりしていた。

 ホテルから姿を消し、皆の前から消えて、早1ヵ月が経とうとしていた。
 弥皇が、漸く羽田空港に姿を見せた。タクシーに乗り込んで何処かを目指す。サイコロ課でもなければ、自分のマンションでもなく、麻田のマンションでもなかった。
 弥皇がタクシーを止めたのは、麻田のマンション近くにある50階建てほどのマンション。何も持たず鍵だけ持って降りる弥皇。黙ってそのマンションに入ると、ロックを解除し中に消えた。

 麻田が、1カ月近くも姿を見せない弥皇を心配したのは言うまでもない。かといって仕事に差し障るような真似も出来ず、精神的に、かなり参っていた。自分が如何に弥皇に甘えて来たかも、わかるような気がした。言われてみれば、須藤の言葉は正しいことばかりだ。
 気が付くと、麻田はこの頃、下ばかり見て歩いていた。今日も駅から疲れた足を引きずるように歩いている。また、下を見て。
 と、自分の前に誰か立っている。避けようと思ったが疲れて上手く体が動かない。麻田の身体が左によろけそうになり、相手の両腕に掴まれ、漸く立つことができた。

「お疲れのようですね。よろしければマッサージしましょうか?それとも食事がいいかな」
 聞き覚えのある透き通った声、気障なセリフ。麻田は顔を上げた。
「弥皇、くん?」
「麻田さん。お久しぶりです」
 麻田は、胸の内を隠しておくことなど、もうできなかった。
「ばかっ!ひと月も音沙汰無くて心配したんだから。何処にもいないしサイコロ課休むし!いなくなって、こんなに辛いなんて思わなかったんだから!」
 弥皇の腕が優しく麻田を包みこむ。
「嬉しいな。麻田さん、初めて気持ちを外向けに言ってくれた。逢わなくて辛かった?」
 麻田が珍しく顔を赤くしながらいう。
「うん、辛かった。寂しかったし、申し訳なくて」
「申し訳ない?何かありましたっけ」
「ボタン外そうとする手を跳ね除けたでしょう。逢わないっていう言葉も、常套句って思ったでしょう」
「常套句は本気で思いましたけど。ボタンは、どうでしょう。怒っていたら麻田さんのシャツのボタンさえ引きちぎったでしょうから」
「今迄何処にいたの?」
「その前に行く所があるんです。お疲れのようだけど、すぐだから我慢してください」
 弥皇が、肩を抱く。麻田は弥皇にもたれながらも真っ直ぐに歩いた。下ではなく、前を見て。
 そこは麻田の通勤路だった、うちに来るのかしら、と思う麻田。立ち止まる弥皇。目の前の建物に麻田を迎え入れる格好をする。そして入って行く。

 弥皇が入ったのは、麻田のマンションより駅側にある高級マンション。麻田は毎日見る度、宝くじが当たったら買えるかしらと思ったものだ。エレベータに乗り、ボタンを押す弥皇。ところが、その数字は部屋番号表に掲載されていない。頭の中が「?」の麻田を乗せて、エレベータはどんどん上に昇って行く。エレベータが止まると、弥皇が部屋の鍵を開ける。
 麻田は驚いていた。
 延びている廊下の突き当たりには、海岸線を走る道路や車が発する光や、遠くには光の橋が見える。相当、高層階にいるのだと気付いた。セレブな生活とはこういうものか、と疲れも忘れてドキドキする麻田。弥皇がドアを開けて、麻田を招き入れる。
「さ、どうぞ。僕等の空間へようこそ」
「僕等?どういうこと?説明、お願い」
「一族のマンション借りました。ここ最上階は誰も入れないんですよ。階下の一覧表に部屋番号も載っていないし。これなら不審な輩に入られることも考えにくいでしょう?」
「よく借りることできたわね。こんな一等地。ましてや高層過ぎる。海見えるのよ!」
「一族に、僕がストーカーに狙われてると公言したら、何十軒も物件斡旋されましたよ。ここなら一番二人にとって暮らしやすいかな、って思ったんです」
「あたしの荷物はどうすれば。あの、洋服とか色々」
「向こう解約するなら引越し必要ですけど、暫く借りた方がいいかもしれません。目くらましにもなるし。此処は二人の隠れ家ということで。すみません、洋服はサイズ分かっていたので僕が準備しました。失礼かとは思ったんですが、下着類も揃っています」
「え?弥皇くんの前で脱いだことないよね?」
「酔っぱらうと必ずサイズ自慢してたでしょうが。忘れたんですか」
「あ、あら、そうだったっけ」
「最低限の家具は揃えてあります。最初からこうすれば良かったんだ、ってあの時気が付いたんですよ。だから長期休暇取ってインターバル置きながら、少しずつ準備したんです」
 
 普通、窓の数を数えればある程度ビルの階層はわかることだが、此処は面白いことに、室内エレベータを利用したメゾネット仕様の部屋がある分譲マンション。まさか一番上の部屋が階下の一覧表に掲載されていないとは、一見しただけではわかりにくい。万が一の保険に、管理組合名簿にはビルオーナーとして別人の名前が掲載されている。通勤には営業車を手配するという。駐車場は地下なので、二人の車を置いたとしても部屋番号はわからない、というトリッキーな仕掛けだった。

 余りのサプライズに驚く麻田だったが、変わらない笑顔を見せてくれる弥皇が、本当に本物なのか、実は夢で仮面の下に悪魔の顔が潜んでいるのではないかという、白昼夢のような、妙な意識に捉われた。
 弥皇の好意に甘え続ける自分。それでいて、プラトニックでいたいと思う自分。それなのに、女性と全裸でいる写真を見せられ動揺している自分。こんな自分を、果たして弥皇は許してくれたのだろうか。
 どうしようか。迷った挙句、麻田は弥皇の肩に手を伸ばした。180cm近くある弥皇は少し屈んでくれた。麻田は、躊躇いながら自分の唇を弥皇の唇に触れさせた。
 軽く、自然に。
 弥皇は少し驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になって麻田を抱きしめた。麻田も抱きしめ返す。この想いが本物だと、やっと気づいた自分がいる。弥皇が待っていてくれていたことが嬉しくて、自分自身の感情が嬉しくて。その夜は、疲れているだろうと、弥皇が麻田にマッサージをしてくれた。余りに疲れていて、途中で寝てしまったらしい。気が付くと、先程とは別の部屋でベッドに横たわっていた。枕元には、隣室に繋がる電話がある。

 ちょっと自分には似つかわしくない生活。噂どおり、弥皇は金持ちの家柄なのだろう。自分は一般家庭に育った。付き合いだけならとても楽しい。でも、金持ちや旧家の嫁は、とてもじゃないが務まらない。家柄を見て嫁を決めるのだとも聞く。最後まで好きになったら必ず不幸になる。
 須藤には素直にと言われたが、やはり怖かった。

 昔、一度だけした恋がそうだった。好きで、好きでたまらなかった。相手も、とても大事にしてくれた。この人と結婚して幸せな家庭をつくる、そればかり考えていた。その結果が、まさかの不倫&W妊娠。
 そう、相手は結婚していた。知らなかった。そして自分と正妻がほぼ同時に妊娠した。不倫が分った時点で別れる決意を固めたが、自分は闇の中、人工中絶を余儀なくされた。正妻は嬉しそうにお腹をさすって歩いていた。中絶料金だけは払うと言われ、一人で病院に行き麻酔をかけた。痛い、痛い、そう叫んだのを覚えている。
 あれは、自分が痛みを覚えたのではない。消えゆくお腹の子供が自分を恨んでいるのだと思った。自分は殺人者だと思った。相手を恨んだ。性行為そのものに嫌悪感を覚えるようになった。
 今は地元の県警である程度の地位に就いているのだろう。知りたくもない。あいつのような汚らわしい男が人の上に立てるのかと思う。全て忘れられたらどんなにいいか。
 今でも夢に見ることがある。赤ちゃんが、痛い、痛いと叫ぶ声で。
 麻田にしてみれば、これだけは人には言えない、特に弥皇には言えない秘密だった。

第1章  第6幕  怪文書

「D-8ファイル 青酸カリ連続殺人事件」
 新規に入ってきた事件だ。現在進行形の事件であるが、被疑者は確保されている。
 青酸カリ。毒劇物として、余りにも有名だ。本名は青酸化合物(シアン化カリウム)、毒物劇物取扱責任者がいないと、現在は取扱うことすらできない。ホームセンターで売っているような類の扱いでもない。
 昭和50年代前半に起こった、『青酸コーラ無差別殺人事件』
 青酸カリをコーラに混ぜ飲料水自販機の出口に置き、無差別に殺人を行ったという世間を震撼させた事件以降、青酸カリは管理が徹底強化されている。
 まだサイコパスという言葉が一般に知れ渡らなかった頃の事件であり、現在も犯人は逮捕されていない。犯人像を総合的にプロファイルすると、完全なサイコパスであったと思われる。

 今回の青酸カリ事件も、まるで緑川事件の再来のようなヘボ展開。結婚した男性を次々と手に掛け、財産を根こそぎ奪い取る手法だった。主たる犯行の全容を担っていたのは料理や家事などのスーパーメイドではなかった。被疑者の写真を見た瞬間、牧田を除き全員が「ありえない!」と叫んだ。
 須藤も、弥皇も和田も、皆「カテゴリ以下だろう」と項垂れる。
「どうしてこんなババアに引っ掛かる?なんでだよ?」
「僕に聞かないでください。いくらナイスミドルになろうが、この顔は御免です」
「世の中って、色んな趣味の人がいてこそ成り立つんですかね」
 流石の課長も、見て見ぬふりをして、トイレといい残し廊下へ出た。敢えてカテゴリ話に口を挟みたくないらしい。記憶力がいいから、緑川の時によだれを垂らした、と言われたのを覚えているのだろう。1年も経たないからだが、忘れない人だなと和田は可笑しくなった。

 その時、神崎が口を挟んだ。
「一般に、今言ってる、カテゴリっていうのは顔立ちを指しているんですよね」
 すかさず弥皇が返事をする。
「ま、そうだね」
「僕、今迄サイコパスの事件見てきて気付いたことがあるんです。被疑者たちは、顔立ちこそ様々ですが、その殆どが話し上手というか、ある意味詐欺師並みの話術を駆使しています。今回の事件も、その当たりから崩していけるかなと」
「おお。なるほど。話術か。神崎くん、心理研究デビューじゃないか」
「弥皇さん、ふざけてる場合じゃないでしょう」
「悪い。この被疑者、最初に薬品の卸会社経営していた男性と結婚したみたいだね」
「其処で経理を任されて、数種類の毒劇物を抜き取ったか」
「ただ抜き取っただけでは、立ち入り検査で指摘されるはずなんだけど」
「売ったことにしたんでしょう」
「そしてマージン差っ引きで手元に戻す」
「共犯者、といっていいのかどうか、口車に乗って手助けした人間がいた」
 可能性としては、十分に考えられる。 

 管理強化された毒劇物の数量や販売については明確なルールが設けられ、失くしちゃった、盗まれちゃった、では済まない。
 とはいえ、使い道は、我々一般人が思うよりも幅が広いらしい。漁業などに使う例もあると聞く。だからこそ、共犯者を募ることも簡単だったのだろう。
「共犯者は、まさかそれで被疑者が夫を殺すとは思わなかった」
「後の祭りですね、口にすれば、『お前も共犯だ』と脅迫されたでしょうから」
「早く言えばいいものを。まーた再婚繰り返して10人か?12人か?被害者」
「13人目です」
「被疑者確保したのか?」
「一応。容疑全面否認してます」
 今更なのだが、結構強烈な臭気もあると言われる青酸カリを、どうやって口にさせたのだろうか。神崎が科警研から情報を持ってきた。
 青酸カリは白色の粉末上結晶で無臭。水溶性になると臭気が出る。
 会社では、薬品卸をする際、カプセルの容器も卸していた。青酸カリそのものは白色の粉末上結晶で無臭でもあることからカプセル容器に入れ、近頃話題の健康食品類のカプセルと偽り飲ませていたらしい。あとは味付けの濃い料理を準備し、水溶性になり臭気が出るときに備えて匂いを誤魔化せば、思い通りに事が進んだのだろう。カプセルが苦いのだと嘘をつき。被疑者が一貫として否認する中、カプセルの秘密を本人に聞くと、顔色が急に変わったという。

 そして、共犯者である人間には、超法規的に「本当のことを言えば罪に問わない」と持ちかけた。囮捜査と並び、日本ではタブーの司法取引。 
 殺すことを幇助したことに変わりはなかったが、進んで幇助に手を貸したわけでもなく、手を貸したのは殺人が起こる前。司法取引せずとも、幇助の罪は免れたかもしれない。
 
 この世で口車ほど恐ろしい物は無い。人を洗脳し、コントロールするのも人が発する言葉である。この青酸カリ事件の犯人は紛れもないサイコパスだったが、サイコパスによりマインドコントロールされた人たちは、どんなふうに変化してしまうのか。日本にも、サイコパスにより洗脳、或いはマインドコントロールされ団体生活していた人々がいた。
 いや、正確には、今もいるであろう、その人たちに聞いてみたい。マインドコントロールの実態を。殺人さえも厭わない、その鬼と化した心の中を。

 青酸カリ事件の捜査が思ったより早く終わったため、サイコロ課の連中は、漏れなく暇を持て余していた。そんな時期。和田の予想通り、展開が急にスライドした。
 警察庁内及び各道府県警に、怪文書が流れたのである。

『警察官諸君へ 
  
警察庁刑事局特殊犯罪対策部サイコロジー捜査研究課に所属する牧田早苗の夫、元警察庁総務課所属の牧田浩二は、25年前、同課所属小野寺香と不倫関係にあった。
小野寺が元警察庁官房室所属の小山内篤志と交際していると考えた牧田浩二は、小山内を都内小山内宅で絞殺し、山梨県内の山麓に死体を遺棄した。
その後、小野寺を車で拉致し再度山梨県内の山麓に向かい、車内で小野寺に睡眠薬を飲ませ眠らせたのち、車内に目貼りをし排気ガスをホースで車内に引き込み、心中に見せかけて自殺した。これは、心中ではなく、牧田浩二による無理心中である。
当時の警察庁は、事件の概要を総て存知していたにも関わらず、警視庁及び地元県警による捜査を拒否し、当時警察庁官房室に所属していた現警察庁刑事局特殊犯罪対策部サイコロジー捜査研究課長 市毛那仁に情報操作させ、関係書類の一切を破棄させるとともに、市毛を左遷し事件の隠蔽を図ったものである。
                  
正義の使者』

 とんでもない内容の怪文書。
 何処からメディアに洩れたのか、警察庁前にメディアが集まっていた。本来、警察庁に捜査権はない。警視庁の所轄警察署で担当するため、警察庁に来られても答える人間がいない。それでも、『警察庁内の不倫三角関係殺人・無理心中事件内部隠蔽疑惑』と何処かの週刊誌が見出しをデカデカと乗せたらしい。スクープ記事を載せた週刊誌には、まだ実名が載っていなかったようだが、怪文書には実名が総て記載されていた。

 サイコロ課の電話が鳴る。牧田は休んでいた。仕方なく、和田が電話に出る。
「あのー、週刊ウィークリーの和多、かずたと言います。例の事件で、牧田さんの奥さんと、殺された小山内さんの義理の弟さんが一緒に仕事してますよね」
「さあ、何のことかわかりませんが」
「牧田さんか市毛さん、います?」
「どちらもいません」
「またまた。気付いてました?そのこと」
「僕たちはサイコロジー捜査のために設立された部署で仕事をしていますから。個人的なことは何も知りません」
「じゃ、また電話してみます」
 ガチャリと電話が切れた。今日何回目の電話か。いないはずの市毛課長は、和田の目の前にしっかりと座っている。
「和田、悪いな」
「いえ、これでよければ」
「ああ、そろそろ上から呼び出し来るだろう。今度は南鳥島行きかな」
「コンクリートしかないですよ、単身赴任も出来やしない」
「夫婦で行ければ、何処でも構わないさ」
 と、また電話が鳴る。
「はい、サイコロ課」
「市毛課長はいるか」
「お待ちください」
 和田が、額に立てジワを寄せた変な顔つきで、電話機を差しながら課長に招き猫のポーズを取る。周囲も小声で話し出す。
「な、どっからだよ、和田」
 須藤が強面すぎる顔をする。フルフル、と首を横に振る和田。
「んあんだ、相手、名乗りもしねえってか。お偉いさんか」
 和田は、うんうん、と首を縦に振る。隣で弥皇が溜息をつく。
「微妙な線だな」
「情報の密度が半端ないですよ。緑川事件も凄い情報量でしたけど、あれは捜査用でしょう?今回のは、目的が解んないです」

「誰かの失脚が目的?まあ、市毛課長はもう失脚してるけど」
 神崎が嬉しそうに声を上ずらせる。
「神崎。お前いやに面白そうだなあ。人の失脚がそんなに面白いか?」
 須藤がドスの利いた声でそういうと、神崎の目の前に立った。
「いえ。そういうわけではないです。本当のことなら知られても仕方ないかなって」

 この日は牧田ばかりか清野も休んでいた。弥皇がマンションを変えたことを知ってか知らずしてか、清野は前ほどあからさまに弥皇の周りをうろ付かなくなった。それでも、何かイベントでもあろうものなら弥皇の近くに陣取って狙っていたことに変わりはない。
 須藤が和田と弥皇の方に顔を向ける。清野は最早サイコロ課にとって用無しだった。
「最初の殺人が何故起こったか、市毛課長は喋らないだろうしなあ。怪文書には何も書いていない。怪文書の作者自身、知らなかったと見えるな」
 和田が怪文書を読み返す。
「もっと他に事実あるんですか?何だろう?そういえば、交際していると考えた、って怪文書に載っているけど、交際していたのと、していないのではかなり違いますよね」
「交際していれば、ややこしい三角関係。していなけりゃ、ただのとばっちり。勘違い。遺族だってお前、悔しいだろうが」
 
 神崎が和田の隣に陣取り、肩を小突く。
「和田くん。僕、前に話したと思うよ。勘違いされて、巻き添えくったって」
「あれ?神崎さんから、この話聞いていましたっけ?」
「やだなあ。僕のいうこと信用しなかったから忘れたんだよ。がっかりしちゃう」
「すみません。多分別のことで頭一杯だったんですよ。お兄さんは結婚していたんですか」
「いや、独身。市毛課長の親友だから。2人とも将来のホープって期待されていたんだ」

 この時間になり、休んでいたはずの清野が手書きのハーケンクロイツ、ヒトラーの鉤十字と呼ばれるイラストTシャツを着てマオカラーのジャケットを羽織り、下はジーンズというラフな格好で出勤してきた。大遅刻。
 課員たちが電話応対する中、一件も電話を取るでなく、弥皇の肩や背中にベタベタと触る。ついには手を握ろうと、爪を伸ばし派手なネイルを施した細長い指が弥皇に近づいてくる。勿論、弥皇は素知らぬふりで椅子から立ち上がり、清野に肘鉄砲を食わせた。
「弥皇さーん、牧田さんの家に、あたしたち二人だけで行こうよお」
「五月蝿い。触るな」

 隣では神崎が牧田の心配をしていた。何がどう転んでも、和田が牧田を心配するはずがない。須藤に向かい、神崎が心配そうな声で話しかける。
「牧田さん、くるかな。どうします?」
「様子見るしかないだろう。本人には受け入れられない事実だろうから」

 静まり返るサイコロ課内。其処に、靴音が響く。男性の靴音ではない。女性のハイヒールの類いだ。
 姿を現したのは、牧田だった。
「牧田さん」
「今日のデータ入力分をください」
 神崎が心配して一言声を掛ける。
「大丈夫ですか」
「何?憐れんでるの?それとも面白がってるの?」
 低く言い放つ、冷ややかな目と態度。課内の皆が、それぞれに目を逸らす。弥皇が柔らかく語りかける。
「誰もそんなこと言ってないでしょう。心配するのが当たり前ですよ」
「何を心配するの?あたしの異動先?旦那の罪の重さ?課長の奥さん?」
 キレてはいけないと自分を自制する和田だったが、牧田の言動を見て、再びキレる。
「あんた、性格悪いよね。あんたの旦那が何したかなんて、僕達には関係ない。課長の家の中だって、僕達が口出しする事じゃない。誰だって、人に知られたくないことはあるんだ。秘密にしたいことがあるんだ。サイコパスの他に、僕たちが秘密を暴く必要はない。あんたが話したくなきゃ、黙ってりゃいいんだよ」
「クソ生意気だわ、あんた」
「あんただって後輩の鑑にもならないクソババアじゃないか」
 和田の一撃に、須藤と弥皇、神崎までが微妙に頷く。

 和田と牧田の喧嘩腰の言い合い、そのボルテージが上がっていく。
「僕が一番気にかけてるのは、情報のソースだ。どんな情報にせよ、ソースの出所が重要なんだ。何処を経由して出てきたかを調べれば情報をばら撒いた犯人の特定につながる」
「あたしはソースなんてどうだっていいのよ!昔、警察から心中って聞いてたのに、今更無理心中で2人殺した犯人です、って?これまでだって人目気にして生きて来たのに、ますます生きづらいじゃない!市毛が皆、隠したって?何のためよ?誰のためよ?自分のためじゃないの?」
「あんた、やっぱりバカだな。50近くなっても、脳みそ小学生以下。課長が25年もどれだけ苦労してきたかなんて、あんたに分かるわけないだろう?自分だけが苦労してるなんて、甘えるな」
「あんたみたいなクソガキにわかんないわよ、あたしの気持ちなんて」
「わかんないね。あんたみたいにウジウジしてないもん。ババアは僻みっぽくてかなわないよ、まったく。事実は変わらないんだ。犯人とっ捕まえてシバくしかないだろ」
「犯人分かったところで事実が知れたのはもう戻らないじゃない!って、誰がババアよ」
「あんた。自分が何をすべきかさえ分かんない、馬鹿なババア」
「先輩に向かってババアって、あんた何様よ」
「麻田さんみたいな完璧な人なら先輩って呼ぶけど、あんたはババアで十分でしょ」
「比べないで!」
 バシッっという音。言葉の終わりとともに、和田の頬は見る見るうちに赤みを帯びる。そう、和田に平手打ちする牧田がいたのだった。

 弥皇が返事は要らないというように牧田の前に立ち、手を翳しながら、牧田の本心を指摘した。
「なるほど。夫の浮気相手も、課長の奥さんも、貴女にしてみれば羨望の対象だったんですね。麻田さんも似たようなものか。誰も自分のことなど気にかけてくれない、子供ですら自分から離れていった。もう、何をどうしたらいいのか分からない。そうですね?牧田さん」
 牧田は黙ってデータベースの方に向き直り入力を再開したが、その肩は震え、手もキーボードを押すことができないほどガタガタと震えていた。
 誰も何も話さず、沈黙の時間が流れていく。

 市毛課長が戻ってきた。須藤が離れた場所から皆を代表して課長に話しかけた。
「課長、何かあったんですかい」
「いや。昔のことをあれこれ言われてもな、内部隠蔽などない。ただそれだけだ」

 その時、信じられないことが起きた。
 課長席の方から、また、先程と同じような音がした。牧田がつかつかと課長に近づき、平手打ちしたのだった。今回の方が鈍い音だったかもしれない。平手打ちし損ねたような鈍い音。
 課員全員が音のした方を振り向く。
「どうしていい子ぶってるのよ?親友殺されて笑っていられるのよ?奥さんの兄貴殺されて笑っていられるのよ?」

 其処にいた皆が驚いた、市毛課長への平手打ち。
 上司を平手打ちとは。
 須藤はじめ、和田や弥皇が牧田を諌めようとしたが、課長はそれを敢えて制した。その表情は、まるで鬼の如く目に火花が散るように感じられた。
 そう、課長の親友であり奥さんのお兄さんが、巻き込まれて嫉妬の犠牲になり、罪もないのに殺された。課長の目を見て、須藤、弥皇、和田の3人は直ぐに過去の真実を知った。
 神崎は、自信満々の顔をしている、自分の情報に間違いはないと。

「牧田。お前に話すことは何もない。内部隠蔽などないし、俺は妻と仲良くいられればそれでいい。大事な者を失った悲しみや戻ってこない命は、皆同じだ。今じゃ時効だ」
 言葉は柔らかいが、その表情は依然として厳しかった、怒りたかったのかもしれない。それとも、牧田のように頑固を通り越して優しい声さえ届かぬ、頑なな人間になりたくない。
 ただ、それだけだったのかもしれない。

 その日は、仕事にもならないまま、時間が過ぎていった。
 怪文書は、翌週発売の週刊誌に原文が掲載され国民の知る所となった。辛うじて実名は避けられたようだった。先日、課長が呼ばれたのは、ここまで情報を出す、という内部調整だったと見える。関係者全員が殆ど亡くなっていること、左遷された人物はラインから外され昇格の道を断たれたことなどが週刊誌に書き加えられた。警察庁としては事件の幕引きに躍起となっていたのだろう。

 連日、電話は鳴りつづけ、牧田は休暇を取る時も多かった。
 ある日、25歳前後ほどの男性と女性が市毛課長を訪ねてきた。応接室に通す。
「牧田早苗の子供です。お時間いただければと思い、伺いました」
「課長の市毛です。どうぞ、おかけください」
 子供たちは、牧田が心中事件後から現在に至るまで、コンプレックスに悩み、ある種、精神的な不安定さを抱えていたと市毛課長に謝った。
 牧田が課長を平手打ちしたあの日あの晩、牧田と子供の間で派手に騒ぎ立てたのかが想像できる。

 結局、25年前の事件のあと、牧田一人では子供の面倒を見られず牧田の実家から母が来ていた。牧田は毎日のように亡くなった夫を蔑み嘲りながらいたらしい。精神不安が増した牧田は子供の面倒を見られなくなり、子供たちは牧田の実家に引き取られ育てられた。中学、高校と大きくなるにつれ、母が精神を病んでいると子供ながらに気付き、母を刺激しないように生きてきたという。
 今回、父親が不倫心中ではなく、殺人と無理心中という2つの罪を犯していたという事実は、25歳ほどの子供たちにとって心を痛める結果ではあったが、事件当時まだ生後間もない赤ん坊だった2人の子供には、成長してから真実を目の当たりにしたことだけが何よりだったのかもしれない。
 蔑みは、子供たちの心の歪みを引き起こすのだから。
 何より、牧田の夫は自分勝手なサイコパスだったのだろうか。
 今となっては、それは誰にもわからない。想像すら徒労に終わる結末だったのだ。


 弥皇と麻田が同じマンションの隣同士で暮らすようになって、荷物の片付け等、やっと落ち着いた頃だった。当然のように毎日尾行を撒いてきた二人だったが、今度は麻田個人を誹謗中傷する文書が出回った。
 牧田の事件に続き、またもや怪文書が流れたのである。
 麻田や弥皇の別マンションから転送される郵便物にも、怪文書は交じっていた。二人は同時に、それを目にすることとなった。誰も知らないはずだった内容。

 当事者を除いては。

『警察官の諸君に告ぐ

警察庁警護課SP所属の麻田茉莉は、15年前に所属県警本部において、同僚である藤木正志と不倫し、妊娠の末捨てられ人工中絶を行った。正義感面しておきながら、陰で不倫行為を行う淫奔な女だから、今も性的享楽に溺れていることだろう 

正義の使者』

「あ、あ」
「麻田さん、どうしました?」
「いやだ、見ないで。やめて!やめて!痛い、痛いよ、見ないで!」
「麻田さん、麻田さん、落ち着いて、ね?落ち着こう」
「ダメ-----------------っ!嫌だ--------------っ!」
 弥皇の声さえも耳に入らない様子で、麻田は混乱状態になった。
 耳を押さえて蹲る麻田。

 1時間はそうしていただろうか。
 頃合いを見て、弥皇は静かに語りかけた。
「麻田さん、大丈夫?」
 弥皇に向け顔をあげた麻田は、虚ろな目をしていた。
「あ、藤木さん?今日も楽しかった。帰るの?寂しいな」

(藤木?)

 すぐに弥皇は、麻田が記憶混濁し、自分と不倫相手を間違えていることに気が付いた。通常なら、頬を叩いてでも現実に引き戻したいところだ。
 が、麻田の混乱状態が余りに激しく、余計なことを言えばショック状態になってしまう可能性がある。最悪、対人恐怖症や人格崩壊に繋がりかねない。
「今日はずっと一緒ですよ。麻田さん」
「ほんと?今迄忙しかったのに、今日は休めるのね」
「ええ、暫く休みましょう。疲れたでしょう」
「うん、ありがとう。いつも優しいのね、藤木さん」
 麻田をベッドに寝せ、リビングに戻る。

 弥皇は、直ぐ市毛課長に電話した。
「課長、弥皇です。怪文書。ご覧になりましたか」
「ああ、人事と警護の方に届いたそうだ」
「本人と僕にも届いたんですが、本人がショック状態で記憶混濁を起こしています」
 市毛課長が驚いた声を出す。
「混濁?」
「当時の状況まで戻っているようですね」
「そうか。当時から現在に戻すことが可能か?時間はかかるだろうが」
「やってみます。ただ、麻田さんの性格からして、SP業務は無理だと思います」
「15年も前の話を蒸し返す馬鹿もいないだろうから業務でのお咎めはないだろうが、少し休暇が必要だな。それにしても、やり方があからさまになってきたな」
「はい。このままでは麻田さんの神経が参ってしまいます。課長、力を貸してください」
「調べさせる。少し時間をくれ」

 電話を切ったあと、弥皇は考えていた。どうやって15年も前の不倫行為を調べ上げたのか。そもそも、相手は県警勤務の現職警察官。そちらから漏れるだろうか。ま、有り得ないでもないか。不倫相手が有名になればなるほど、実は昔、という話が出ないとは限らない。先日の牧田事件も内部の奥深くに隠蔽された資料が突然流れた。
 どうも腑に落ちない。

 今回の怪文書も、同じ犯人の仕業と考えるのが妥当か。
 まだ情報が足りない。

 麻田さんの、ある種異常なまでのあの潔癖性は、そこから始まっていたということか。そして、潔癖性の理由こそが、知られたくない過去。まるでメビウスの輪、負の連鎖だ。過去から逃れたくて仕事に打ち込み武術に打ち込み、有名になって過去が明らかになり、また自分を鉄壁のガードで抑え込む。

(もう、麻田さんに悲しい過去なんて要らない。僕が消し去ってあげたい)

 麻田を介護するために休暇を取った弥皇は、精神科医と連絡を取り合いながら甲斐甲斐しく麻田の面倒を見続けた。
 初めの1週間は、疲労が激しく寝たきりになった麻田。2週間ほどが経っても、麻田の記憶は戻らなかった。麻田にとって、過去の楽しかった日々が続いていたのだろう。
 弥皇の知る限りでは、現在の麻田は殆ど料理をしない。
 それなのに、記憶が遡った過去においては、全然別の様相を呈していた。
 麻田が自分で料理をしたがり、弥皇をキッチンから追い出そうとする場面も何度となく見受けられた。
 しかし、ナイフを握らせている最中に記憶が戻ればそのまま自分を刺しかねない。そんな心配もあって、理由をつけては麻田をキッチンから遠ざけ、ハウスキーパーを頼んだ。
 弥皇はいつでも麻田と一緒にいた。麻田は、自分が仕事を辞め藤木と暮らしていると思い込んでいたようだった。

 藤木さん、好きよ。
 藤木さん、愛してる。
 藤木さん、キスして。
 藤木さん、抱いて。

 弥皇は、哀しかった。辛かった。もどかしかった。こんなに素直に、想いを言葉に出来る人だったのに、裏切りによって変わってしまった。若い頃に戻ったまま、可愛らしく笑う麻田を見て、抱きしめずにはいられなかった。

 そんなある晩、弥皇は、麻田が寝入ったのを確かめると須藤に電話した。
「弥皇です、お願いがあるんですが」
「怪文書だろ。むかつく。俺でさえ知らなかった。どっから情報出てきたんだか」
「となると、情報の出所は本人、或いは奥さんでしょうか」
「今頃奥方がその話を出してもメリットねえだろ」
 須藤も怒った声だが、弥皇の冷たい声とはまた違う。
 弥皇は、敵討ち狙いで情報を集めていた。
「ご本人ですか。また、どうして15年も経ってから」
「麻田がSP業務でメディアに出るようになったからな」
 藤木本人にしてみれば、自分はトントン拍子の出世も叶わず目立たない存在。自信が無くなったのかもしれない。過去の栄光にすがって自分を大きく見せたい。だから飲みの席で昔の自慢として話したのではないか、と須藤は言う。
 市毛課長経由の情報だろうか。

「くそ。懇意の県警課長に頼んで、どっかに飛ばしてやる」
 熱く語る須藤が頼もしく思える一方で、どこかひんやりとした口調の弥皇がいた。
「ありがとうございます。飛んでくれればスカッとするフィナーレですね。ときに、ご本人と麻田さんを会わせたいんですが」
「おいおい、意識混濁してお前を藤木って呼んでいるんだろう?」
「はい。たぶん、このまましばらく戻らない可能性が高いです。楽しかった時代に帰りましたから」
「でも、現代に戻さなきゃならない」
「はい。ですからご本人に会わせて、悲しかった過去を封印するのさえ馬鹿馬鹿しい過去に変えないと」
「万が一しくじったら、人格崩壊起こす可能性もあるぞ」
「それでも、僕は麻田さんと一緒に生きていきますから。麻田さんが生きてさえいれば、それでいいんです」
「うわ、気障っ」
「真面目に言ってるのに。どうしてみんな気障呼ばわりするかな」
「そこで、お願いなんですが」
「なんだ、サイコロ課のプリンス」
 弥皇が動かなければ、須藤が動いていたかもしれない。何だかんだと言いつつ、須藤自身、愛とは違う感情ながらも麻田のことを第一に考えているのだ。
 弥皇は須藤に感謝しつつ、話の本筋に入っていく。
「藤木さんとお会いしたくて」
 笑いながら、須藤がOKしてくれた。
「いいよ、藤木を呼び出してやる。何処に呼び出せばいい?」
 弥皇はコンクリートむき出しの部屋にでもいるような、冷たいトーンで返事をする。
「住所教えてください。こっちから行きます。須藤さんも、ご一緒に如何です?」
 それだけで須藤には弥皇の本気度が伝わったようだ。
「いや、藤木家の将来を考えて俺は遠慮する。じゃ、午後2時でアポ入れとくぞ」
「ありがとうございます。必ず、麻田さんを元に戻してきます」

第1章  第7幕  復活

 精神科医に相談し、食事の度に精神安定剤を飲ませ、毎晩、麻田が寝入るまでそれを見守る弥皇。優しく麻田を見つめながらも、窓に映る自分を見ると、まるで表情の無いロボットのようになる。一族が一族たるべき冷たい血が弥皇の中に流れ込むのが分る。

 藤木。此処まできて、お前が口を割った責任は重い。一族の力を借りてでも、麻田さんが突き落とされた闇に葬り去ってやる。15年、そう。同じ時間、闇にいてくれればそれでいい。

 窓の外から麻田へと視線を戻す。明日が勝負。人格崩壊などのリスクを免れつつ、麻田を必ず現代に呼び戻さなくてはならない。常に冷静に行動しないといけない。360度、目を光らせて敵を威圧しておかないと。

(藤木さん、『本当は怖い童話』の始まりですよ。待っていてくださいね)

 翌日、午後2時ちょうど。
 藤木の自宅に着いた弥皇と麻田。造成されて15年は経つという、戸建ての住宅街。車のナビに住所を入れて走って来たので、迷うことはなかった。
 ナビが指し示した戸建の住宅は、薄紫の屋根に白亜の壁。玄関周りは奥方の趣味なのだろうか、綺麗な花が咲き乱れながらもきちんと剪定されていた。
 予め、須藤からアポを取ってもらっている。向こうは安心しきっているはずだ。
 弥皇は藤木家のカーポートに車を入れると、麻田を車から降ろし、抱きあげて歩く。麻田は後部座席で車に揺られ寝入っていた。普段なら重い重いと冗談めかすところだが、何故かその日の弥皇には麻田の身体が軽く感じられた。


 玄関に立ち、インターホンを押す。
「こんにちは、弥皇と申します。藤木さんにお会いしたいのですが」
 最初に応答したのは藤木の奥方だった。
「はい、少々お待ちください」
 奥方が玄関を開けると、それから30秒も経たないうちに、奥から藤木本人と思われる中年男性が姿を現した。
「はい、藤木は私ですが。あっ!」
「中に、よろしいですね。お邪魔します、ああ、奥様、どうぞお構いなく」
「お前は向こうに行ってろ!」
 奥方を寄せ付けない藤木。

(それじゃ、バレバレじゃないですか。ま、どっちでも構わないけど)

 奥方の姿はどうあれ、玄関先に佇ずみ麻田を抱いたまま、早速、本題に入る弥皇。
「さて、藤木さん。こういった怪文書が出回っています。こちらの県警では如何です?」
「いいえ、いいえ。わたしどもの県ではこのような文書は拝見しておりません」
「そうですか。で、単刀直入に伺います。あなたがこのような行為をされたというのは事実ですか」
「まさか。それこそでっち上げでしょう」
「これは嘘だ、ということでよろしいですか」
「はい」
「でしたら、この文書の下に一筆書いていただきましょうか。なお、我々がこちらの県の全病院カルテを調べています。通常5年ですよね、カルテの保管期限は。ただし、こういったケースの場合、レイプなど事件の可能性もあるので、もっと長く保管してある病院も多いそうですよ。さて、見つかりますかねえ」
 弥皇の嘘八百に対して目線の定まらない藤木。その表情を見ながら、げんなりとして情けなくなる弥皇。

(麻田さん。はっきり言って、男の趣味、かなり悪いっス)

 藤木に釘を刺したあと、麻田に優しく声を掛け、起こす。もうすぐ薬も切れる時間だ。
「麻田さん、麻田さん、起きましょうか」
 麻田はすんなりと目を覚ましたようだった。弥皇を見て、にこっと笑い藤木と呼ぶ。
「あら、藤木さん。此処は何処?」
「麻田さん。彼が、誰だかわかりますか?」
 麻田は、本物の藤木をふわりとした目線で追った。
「この方は?誰?」
 弥皇は、麻田を立たせ、後ろから両手で思い切り抱きしめながら、耳元で呟いた。
「藤木正志さんです。麻田さん、こんな男など忘れなさい」
 5分ほど経っただろうか。ふわふわとしたあどけない目線だった麻田が、急に覚醒した。弥皇は、再び麻田をしっかりと抱きしめる。
「ぎゃ---------------っ!」
「大丈夫、麻田さん。弥皇です。僕がいるから。こんな男、忘れましょう」
「いや、みないで、みないで。あたしの過去。汚れきった過去」
「麻田さん。貴女には僕、弥皇がいます。いつまでも一緒にいましょう、ね?」
「ダメよ、もうダメ」
「相手の男も殺人者ですよ。ねえ、藤木さん。お宅の子供さん、14歳くらいでしょう?この怪文書のとおりなら、カルテには一体、誰の名前があるんでしょうねえ」

 最初はおろおろとするばかりだった藤木が、たまらなくなって怒り出す。
「キミ達、失礼じゃないか。勝手に上り込んで言いたい放題」
 麻田を抱きしめたまま、弥皇が笑いを浮かべ藤木を追い込んでいく。
「須藤さんを通じて、アポとったでしょう。それとも、当の須藤さんに来てもらいますか?さて、どうなりますかねえ。怒りなんて、そんな安っぽいもんじゃありませんでしたから。麻田さんのことでジーニアス須藤がどれだけ暴れるか、見ものですね」
「い、いや、須藤とは話したから」
「何を?」
「近況などを。昇格したからね」
「そうでしたか。それはおめでとうございます。次の異動まで全うしてくださいね」
 
(次の異動は直ぐに来ますよ、左遷&降格という形で)

 それまでいうことが支離滅裂だった麻田の目に、光が戻ってきた。
「弥皇くん。ここ、どこ?手、緩めて。キツイ。苦しい」
「ようやく目覚めましたか、麻田さん。不本意ながら、藤木さんのご自宅です」

 弥皇は手を緩め、麻田を自由の身にした。藤木の名を聞き、身構える麻田。いつもどおりのガードの強さが戻っている。
「藤木?どうしてあたしが藤木の家にいるの」
「怪文書の出所を探しに。でっち上げという御話しでしたが。あとはねえ、ちょっと待っているんですよ」
「何を?」
「郵便屋さん」
 と、そこに郵便配達のお兄さんがやってきた。
 藤木が立ち上がり郵便を受け取ろうとしたが、不審そうに思っていたのだろう。奥方が電報を受け取ってしまった。弥皇が待ち人キタルと言わんばかりに麻田の手を引き奥方に詰め寄る。
「奥様。わたくし警察庁の弥皇と申します。わたくしその電報を待っておりました。見せていただけますか」
 奥方は迷っているようだった。
 その隙を突き、弥皇は電報を奥方から取り上げ電文を確認した。

「警視長 藤木正志  

事実確認聴取を実施する
下記時間まで登庁のこと

   5月25日 午前9時
     警察庁行政監察部」

「きたきた」
 弥皇がいたずら小僧のような表情で、形だけ恭しく藤木に渡したのだった。

 藤木が麻田を詰り始めた。
「なんで俺だけこんな目に。麻田だって同罪だ」

 弥皇がロボットのような冷たい視線を藤木に投げつける。そして背後から藤木の肩を押さえつけ、その耳元で囁いた。
「自業自得じゃないですか。貴方自身が招いたことでしょう。貴方が麻田さんに嘘をついて交際したのですから、麻田さんに非は無いと思いますが」
「何だと。お前が出る幕じゃないだろう」
「これは、これは。貴方のように悪い人間は、然るべき罰を受ければいい。赤ちゃんを失わざるを得なかった、麻田さんの身体の痛みと、心の痛み。貴方が償うのは当然のことだ。一番傷ついたのは麻田さん。貴方のような不甲斐ない男のせいで、このひと月、優秀な麻田さんが仕事に支障をきたしました。迷惑千万とはこのことです」
「俺だって困る。何で警察庁に呼び出される。普通なら県警内で済むはずだ」
「貴方の県警には文書が流れていないのでしょう?こちらでは流れました。そのせいで麻田さんは仕事ができない状況に追い込まれた。だから警察庁から事情聴取されるんでしょうが」
 藤木が虚勢を張って弥皇を見た。震える声で最後に足掻き始める。
「お前は何者だ。俺に指図できる立場か。住居不法侵入で訴えてやる」
「指図も何も。訴えるならご勝手にどうぞ。それより覚えておいて下さい。麻田さんを傷つける奴は、現在だろうが過去だろうが僕が許しません。それが何処の誰であろうとね」



「弥皇くん、早く帰ろう。こんなところに居たくない」
 麻田が弥皇を引っ張る。この空間に身を置くのが嫌そうだった。
 藤木家の崩壊も今や時間の問題か。
「では、これにてお暇いたします」
 不敵な笑みを浮かべながら藤木に暇乞いする弥皇。
 廊下では、藤木の奥方が弥皇と麻田を見つめていた。麻田は脇目も振らず玄関へと足を向ける。過去と現実との狭間から現実へ。見た目はいつもの麻田に戻っていた。
「弥皇くん、帰ろう。あたしたちは此処にいるべきじゃないから」
「そうですね、帰りましょうか」
 車に乗り込みエンジンをかける弥皇。助手席に素早く乗る麻田。弥皇は助手席の後ろに左手を回し、キュキュキュッとバックし道路に出る。家の中では藤木の奥方が夫に詰め寄る姿が見えたが、弥皇も麻田もそれには触れないまま藤木家を後にしたのだった。

第2章  第1幕  キツネ狩り

 藤木宅から自宅マンションに戻った麻田と弥皇。弥皇の部屋で、床のクッションと壁にもたれた恰好でワインを片手にリラックスタイムを過ごしていた。麻田は、怪文書を一目見たときから、記憶を失くしていたようだった。気が付くと藤木の家にいたという。怪文書のことは、弥皇は敢えて口にしなかった。
 口にしたのは麻田だった。

「あの怪文書。弥皇くんに一番知られたくなかった過去。全部、本当なの」
 付き合っていた時に待望の赤ちゃんができた。喜びの声が聴けると思って報告したところ、実は結婚しているという衝撃の告白。中絶を強要された。理由は、相手の奥さんにも同じ頃赤ちゃんが出来ていたから。自分自身、もう散々な気持ちだった。相手からは中絶費用だけ出すと言われ、中絶用の書類、父親欄に名前だけ書かせて、あとはサヨナラした。
 結婚するつもりだったのは自分だけ、というお粗末な結果。不倫を知っていたら、その場で殴って別れたはずだった。身体など許さなかった。弁解になるかもしれないが、結婚すると思って付き合ったから、初めて身体を許したのが藤木だった。
 病院は、怖かった。麻酔で全部は覚えてないが、痛い、痛い、って叫んだのを覚えている。ああ、赤ちゃんが殺されかけている、自分は殺人者だ、自分はもう汚れている。そう思った。それから、男を相手にしなくなった。
「でも弥皇くんは、性欲無いとか言って安心させてくれて。凄く大事にしてくれて。楽しい一方で怖かった。最後まで好きになっちゃいけない、好きになったら不幸になる、って」

 弥皇が、麻田の頬にタッチする。
「過去の過ちとか言うけど、真白く綺麗な過去しかない人間なんて、この世にいません。それに、不倫と分かっていて付き合ったわけではないでしょう。だから妊娠しても困らないと思っていたわけだし。僕は、麻田さんにとことん僕を好きになって欲しい。僕はとうの昔に、とことん麻田さんのことを好きになっていますから」

 麻田が、下を向く。好きになるだけでは世の中進まない、何か他の要素が必要なのだと言わんばかりに。

「不幸にならない保障はないでしょう。貴方の場合、人間的に最高の人だけど」
「好きなだけでは、それだけではダメですか?結婚という形が欲しい?」
「わからない。ただ、結婚して嫁だの女だの言われたら、逃げるかもしれない」
「まだそこまで考えなくて構いませんよ。それより赤ちゃんのご供養しましょう」
「そうね。本当に、15年間、そこまで頭が回らなかった」
「さて、ご供養するのに何か必要な物、ああ、実家に聞いておきます」
「実家ってお寺だっけ?あたしのこと、言うの?」
「いえ、母方の一族がそっち系なので、そういうことを覚えていないと五月蝿い。麻田さんのことは言いません。今の世の中、そういった形で産まれることの出来ない赤ちゃんは多いですから」

 麻田が溜息をついて、グラスを空にした。ワインを継ぎ足し、また一気に飲み干す。
「SP解任は想像つくけど、もしかして警察官もクビかな」
「いいじゃないですか、のんびり暮らせる」
「それもそうか。何か出来ること探せばいいか」
「僕としては、警察辞めるのに悔いはないんだけど、麻田さんを狙う犯人は捕まえたい。ブタ箱どころか、この世の果てまで追い詰めてやる」
「ありがとう。大丈夫よ。心の錘が無くなったから身体軽くなったはずだもの」
「じゃあ、夜這いは無理?」
「うん、寝技一発逆転かな」
「残念だな。じゃあ、今日は上半身だけということで」
「却下」
「ご褒美も無いのかあ、寂しいなあ、やっぱりご褒美欲しい」
「何、急に」
「麻田さん、本当は素直に愛を口に出来る人なんですよね。さっきの告白、これだけは言わなかったでしょ」
「え?どうして知ってるの?まさか藤木じゃないよね。なんで?」
「このひと月、過去の麻田さんが見えたんです。天使のような可愛さでしたよ。これぞまさしくラブリーちゃん」
「そういうことは知らんふりしてもらうと都合よかったな。かなり恥ずかしい過去だし」
「正直なのが取り柄ですしねえ。あんな可愛い言葉、僕も言って欲しいなあ」
「15年も前と違うわよ。今じゃアラフォーですから」
「年は関係ありません。事件解決のお祝いに、僕にも可愛い言葉」
「何を言えっていうの?」
「好き、愛してる、キスして、抱いて、あと、なんだっけ」
「うざっ。今更言えないわよ」
「ダメ。今日こそは言ってもらいます。ほら」
「勘弁してえ。もう、あの頃と性格真逆になったんだから」
「残念。だけど、ずっと一緒にいる約束だけは守ってくださいね」

 1カ月余りの休暇期間を経て、麻田は再びSP任務に戻された。
 過ちは過ちとして処分対象にはなるものの、藤木が麻田を騙していたことを白状したため、それまでの成績を鑑み、麻田以上の適任はいない、という人事評価だったようだ。
 しかし、また問題が持ち上がった。心配していた通り、麻田が警護する要人狙いと見せかけた麻田狙いの射撃を始める、という予告電話が入ったのだ。

 和田が情報を仕入れてきた。定時を過ぎ、弥皇と須藤しかいないサイコロ課の中で、和田が口火を切った。
「清野の射撃の腕は皆無です。清野が犯人だとしたら、誰かを雇っている可能性があります。反対に神崎は射撃プロ級です。警察関係では殆ど披露目していませんが、学生時代やクラブなどの成績は常に上位ですね」
「前から思っていたんだけど、二人の関係性ってなんだろう、何繋がり?」
 弥皇の素朴な疑問に和田が答える。
「清野は自分が主導者だと勘違いしています。神崎が自分の言いなりだと。神崎も、清野の前では媚びているのかもしれません」
 須藤も和田論に賛成する。
「事実は逆だろう。有り得るとすれば、神崎が清野を前に出し、フェイクに使っている」
「射撃も、実際に神崎が行うとは思えません。相手が要人ですからね。万が一捕まったらクビ飛ぶだけじゃ済みませんし」
 弥皇は全裸事件の時から清野共犯者として神崎を疑っている。凝り固まった弥皇に比べ須藤は全体を見渡しながら今回の予告電話に関して推考を重ねていた。
「誰か使っているにしても、相当ヤバイ仕事頼んでいるよな。要人への狙撃に見えるだろ」
「はい。裏ルートがあると考えるのが自然な流れかと」
 イライラしたような表情を隠さない弥皇。
「暴き出す手がないかな。今のままじゃ麻田さんが危ない。見てられない」

 サイコロ課は立ち上げ当時から周囲の奇異な眼差しを受けてきたが、今は別の意味で奇異な情報が乱れ飛んでいる。
 牧田は、夫の殺人騒動で辞めるのでは、若しくは異動するのではと見られていたが、動きはない。
 子供たちが来たあと、牧田は少しずつ変わったように見えた。あまり声には出さなかったが、大事なポイントはメモして須藤か弥皇に渡していた。和田のことは、許すまではいかなかったようだが。和田とてそれは同じだったので、お相子である。
 牧田には特技があった。最初課長から話があったのだが、翻訳である。様々な国の書籍や手紙など、翻訳できる。
 サイコロ課ではあまり出番がないが、総務課でならそのキャリアも生かせるという。
 ある時、牧田が須藤にメモを渡した。また事件のポイントか、皆はそう思っただろう。 須藤が、弥皇と和田の顔を見て顎を斜めに突き出した。瞬時に「後で話したい」という意味と捉えた。トイレに行くふりをして、弥皇が席を立つ。時間差で須藤と和田も席を立った。
「牧田からのメモだと、アジア系のマフィアが国内に潜入しているらしい。これらマフィアへ情報を流している供給源が警察庁内にいる。その噂は元からあったんだが」
「供給源が、サイコロ課内にいる可能性があるとでも?」
「牧田が掴んだ情報では、そうらしい」
 弥皇が壁を蹴る。
「ただでさえ狙撃でいらいらしてるのに」
「その狙撃も、マフィアに依頼してる可能性がある」
 弥皇が冷静になれない分、和田は冷静だった。
「対価は?」
「機密文書の横流し」
「かなり不味い展開ですよね。マフィアなら、かなりの手練れ送ってくるでしょう」
「情報内容にもよるだろうさ。どうしても欲しい情報なら一流処が来る可能性もあるが、元々スナイパーは暗殺主体だからな。情報云々じゃねえ」
「それにしたって、麻田さん、危ないですよ」
「そこなんだよな、SPはそのためにいるからなあ」
「麻田さんには辞めてもらいます」
 弥皇が今すぐにでも人事に駆け込もうとしている。
「まあ、待てよ。SP辞めたとして、麻田への攻撃は止まないぞ。かえって防備しにくくなるだろう。麻田は優秀だ、一番いい方法を探すはずだ。俺達が犯人見つけりゃいいだろうが」
 須藤の言うとおりである。SPを辞めても、攻撃対象であることに変わりはない。犯人の目星。一番怪しいのは神崎であろう。あとは、サイバー室にいたなら情報系くらい動かせるであろう、清野。動機という点では、清野が怪しい。こればかりはどちらとも判断が付きかねた。

 須藤から牧田に頼み、全員の室内用タブレットを、海外との連絡調整に使っていないかを調べる。タブレットの使用には指紋認証とパスワードが必要になるため、誰がいつ、どのタブレットを使用したかわかる仕組みだ。まあ。これすらも、パスワードを盗み指紋を盗んで登録してしまえば動きようがないのだが。サイバー室に頼めば一発でわかるが、市毛課長からOKが降りなかった。

 数日後、牧田から須藤にメモが来た。『清野の指紋&パスワードでアジア系人物とのメール送受信記録あり。翻訳文と本文を、和田専用タブレットに転送します』 
 和田のタブレットに転送される記録。
 昨年和田が使っていたタブレットで、今年は使っていなかった。だから須藤と牧田以外の転入組はその存在を知らない。
 その後も、アジア系人物とのメール送受信記録は、和田のタブレットに転送され続けた。英語以外を翻訳できるのが牧田しかいないため、牧田様様になる。
「ようやく和田との接点見つかったな」
「ババアも成長したんですかね」
「お互い仲直りしろよ」
「いやです。ああいう素直さに欠ける女性、僻み根性の激しい女性はパス」
「彼女選びじゃないんだから」
「ま、今回こうして働いてもらえるのには感謝します」
 和田の頑固な面を知っている弥皇。呆れ半分に和田を見る。
「あとは、牧田さんから和田くんに転送しているのがバレないといいけど」
「牧田さんポーカーフェイスだし。何処かに転送しているのが解っても、僕のだと解るまで時間を要するとは思うんですが」
 須藤が頬杖を突きながら一言洩らした。
「何考えているかわからん犯人だからな」

 数日後、その心配が、現実のものとなった。
 牧田が自宅周辺で襲われ、右手肘下から手首、手指にかけてナイフで切りつけられる、というものだった。然程重症ではなかったが、念のため入院し運動神経に影響にかかる経過観察を行うという。検査入院期間は1週間前後。
「犯人が狙いに来る可能性がある。個室を取って、我々と所轄の者が廊下に待機。内部には女性警官に入ってもらう」
 市毛課長の命で、サイコロ課は動き出した。清野は相変わらず遊んでばかりなので用無しである。清野犯人説を唱える弥皇が課長に直談判し、清野を病院から遠ざけたのも作戦のうちだった。

 弥皇は、この事件に限っていえば、被疑者は清野しかいないと考えていた。
 もしかしたら、清野と神崎はお互いのターゲットを消す約束なのかもしれない。牧田は力技も無く、清野でもどうにかできる。一方、麻田は清野の手に負えない。となれば神崎が動かざるを得ない。自分のターゲットでなければ、動機づけは何も無くなるから被疑者から外れる。
 その前に、清野は麻田を付け狙う理由があるが、神崎が牧田を狙う理由が見当たらない。

 今年のサイコロ課は、実に厄介な人間ばかり転入してきた。なんの罰ゲームなんだろう。
 弥皇と和田がそう思ったのも無理のないことだった。

 牧田が、須藤に「真夜中、男性警官を外して麻田を呼んでほしい」とメモを寄越した。
 課長の了解を取り、麻田を呼ぶ。
「麻田さん、気を付けてください。誰が被疑者かわからない状況です」
「大丈夫。東北のときお世話になった江本さんや内田さんもいるから」
 果たして、気の早い被疑者らしき人物は、すぐに病院を嗅ぎつけたようだ。コツ、コツと聞こえるヒールの音。ハイヒールではなく、頑丈なヒール音。部屋向かいが丁度非常階段だった。男性陣がこちらに待機する。ゆっくりと、被疑者と思しき人間が、引き戸に手を掛ける。
 静かに、時間をかけて戸を開ける。闇に紛れて犯行に及びたい気持ちの表れか。中に一歩、また一歩と踏み込んで行くのがわかる。男性陣は、音がしないよう素早く牧田の部屋の前に移動した。
「ギャッ!」
「キャーッ!」
 同時に声が聞こえ、男性陣が中に入り、灯りをつける。其処で見た光景は、牧田を庇った麻田の右腕がスッパリ切られた血だらけの状態と、江本及び内田によって取り押さえられた清野の獣の様な姿だった。腕の血も関係なく、麻田が江本と内田に指示する。
「警護課に連絡。江本、内田両名はその後帰宅。充分休養して明日の業務に備えなさい」
「麻田チーフ、大丈夫ですか。所轄での聴取、私たちが行きますか」
「救急で包帯貰えば大丈夫。所轄に行ったら長くなるから。病院には車で来たでしょう、気を付けて帰りなさい」
「了解しました。麻田チーフもお気をつけて」
 弥皇もサイコロ課に電話する。
「課長。被疑者確保、清野です。須藤、和田が所轄まで連行します。確保の際麻田さんが負傷、治療後所轄に急行します」
「了解。皆にご苦労と伝えてくれ。別の警官を1名配備する」
 須藤が清野に手錠を嵌め、ナースコールで部屋を片付けてもらったあと、須藤と和田で清野を所轄まで連行する。麻田は、怪我の治療をしてから所轄まで赴き、事情聴取があるはずだ。弥皇は救急センターに付き添った。
「こんなの傷にも入んないから、大丈夫よ。心配し過ぎ」
「なら安心ですけど。清野、麻田さんの顔見たんですか?」
「牧田に向けてナイフを振り下ろしたのは本当よ。肩から腹にかけて傷を負わせるつもりだったようね。あたしの顔は見えなかったかも。暗かったし」
「麻田さんが前に出てブロックしたから手首から肘にいった。ということは、肩か胸から腹に掛けて切るつもりだったはずですよね」
「そうね。状況的に、牧田狙いだったのは確かだと思う」

 傷害の疑いを掛けられた清野は、所轄の事情聴取で素直に罪を認めようとはしなかった。狙ったのは麻田で、牧田が入院した部屋は知らなかったという。また、自分のバッグに麻田がこの部屋でこの時間、要人警護をしている、狙い時だ、と書かれたメモを受け取ったと言い張った。当然のように、メモなど出てこなかった。

 挙句の果てに清野は、たまに自分のした行動を思い出せないことがあると言い出した。なぜ、怪我をしたのか。なぜ、こんなところにいるのか、といった具合に。今晩のことですらも、何故自分が病院の個室にいて、ナイフを握っていたのかわからないという。
 春以降、弥皇への気持ちがバーストしてコントロール不可になり、解離性同一性障害を引き起こしていると主張する清野。
 解離性同一性障害とは、親兄弟から壮絶な虐待やネグレクトを受け続けた子供が、自分の中に別人格を有することによって事実から逃避し続けることで有名である。
 一般的ではないにしても、このような事例は珍しくない。サイコパスのなかにも同様の種別がいないとは限らない。通常虐待を受けている側が、別人格として犯罪を行うのは充分に考え得る。
 そもそも清野の場合、育ち具合からしても、解離性同一性障害には当てはまらなかった。女王様気質で生きてきた人間が別人格を有する必要などない。有り得るとすれば、弥皇にフラれてバーストした挙句、感情がコントロール不可になり殺人鬼と化す。そこまでコントロール不可になる恋愛感情。ないとは言い切れないのが厄介なところだった。結局清野は、精神科系の病院で検査入院という形で釈放された格好になった。見張りがついてはいたものの。

「一発お見舞いしてくるか」
 弥皇がぼそりという。
 須藤がまたも頬杖をつきながら、口元に笑みを浮かべた。
「へえ。ダイナマイト級落とすのか?」
「今回はそれくらいで、いいでしょ」

 牧田は退院し通常業務に戻っていた。弥皇は、市毛課長の耳元でこそこそと話したあと、皆に高らかに宣言した。
「皆さん。僕と麻田さんの結婚を前提とした交際が決まったんです。婚約式を挙行する予定です。その周辺はお休みもらいますので」
「すげーな。あいつが落ちたか」
「須藤さん、詳細は後程。清野さんにも知らせないと。和田くん、神崎くん、バーストをコントロールできないのが僕のせいだとすれば、きちんと伝えないとね。課長に了解貰ったから。これから病院に行くんだが、皆付いて来てくれないか。バースト状態を心理学的に見ておきたい」
「趣味悪い。相手の心理状態を調べるために、婚約自慢に行くんですか」
「神崎くん。心理っていうのは残酷なんだよ。僕たちは常々残酷な輩を相手にしてる。サイコロ課にいる限りは残酷さに慣れてもらわないと」
 神崎は納得のいかない表情だったが、須藤に首根っこを掴まれたため、首を縦に振るしかない。神崎クラスでは、須藤の相手は到底務まらないようだ。男性4人で清野の病室を訪ねる。個室ではないため、3階にある談話室のような場所に移動した。
 そして、弥皇が伝えた。
「清野さん。いろいろあったけれど、僕と警護課の麻田さんの将来的な結婚が決まってね。正式にお付き合いすることになったんだ。婚約式も行われる。今迄秘密にした挙句、失礼なことばかり言って申し訳なかった。許してほしい。バーストの原因が無くなることを祈るよ」
 須藤が祝いの言葉を述べる。
「もう結婚まで決まったのか。これが一番良かったんだよ。麻田にとっても、清野にとっても。さ、みんなでお祝いしよう、拍手!」
 おめでとうございますと、口々に拍手する男性達。当然、清野も後ろで拍手していた。 和田の目に入ったその光景は、壮絶な嫉妬の塊。わなわなと身体を小刻みに震わせ、表情を失くし眼だけが異常に出ているような錯覚に捉われる。これはバーストによる解離性同一性障害ではない。麻田や弥皇に知らせなければ。 
 清野は病院から出られないだろうから、少し時間がある。直ぐにサイコロ課に戻って、弥皇さんと麻田さんにメールしなければ。
「ちょっと用あるんでお先します」
 皆から離れ、病院を出る。そのあとをついてくる車があるとも知らずに。いつも比較的冷静な和田にしては、焦り過ぎて周囲への注意を怠っていた。

 和田は警察庁に入り、3階非常階段に走った。陰で話す時やメールはいつも3階と決めている。サイコロ課は5階にある。4階だと聞かれる可能性があるし、6階以上だと何かあった時に飛び降りられない。スマホを手に弥皇、麻田両名にメールを打つ。

(清野はバーストしていない。人格は1人きり)

 送信しようとした時だった。背後に何者かの気配を感じた。尾てい骨の辺りが浮き上がったような気がした。そのまま、頭から地面に身体が落ちていくのを瞬時に悟った。思わず頭を庇った。
 衝撃と痛みを一瞬感じた後、和田は昏倒し記憶を失くした。
 誰かが見ていたのだろうか、それとも、たまたま非常階段下を歩いていたのだろうか。ヘリウムガスを使った変声で119に連絡した者がいた。消防署では胡散臭い悪戯情報と見ていたようだ。が、警察庁内の場所を細かに話され、強ち嘘とも断定できなかったようで、手を拱いていたらしい。その後、清掃員により発見された和田。すぐさま救急車が到着した。消防署員は驚いたことだろう、悪戯と思われていた情報が正確無比であったのだから。和田は直ぐに病院へ搬送された。

 騒ぎが静まり、人影も無くなった非常階段下。花壇の茂みに落ちていたスマホ。和田個人のものだった。運よく壊れていなかった。弥皇にメールを送信する手前で止まっていた。それを目にした人間がいた。にやりと笑ったその手には、和田個人のスマホが握られていた。
 勿論、メールが送信されることはなかった。

 和田は肩の骨にひびが入り、全治3か月と診断された。咄嗟に頭を保護したことで最悪の事態は免れた。一応精密検査を行って、個室に移された。身の回り品を確認した際、個人持ちのスマホが無くなったことに気が付いた。ナースのお姉さんを通じて、弥皇を呼び出してもらう。
「弥皇さん。まず、危険サインです。清野はバーストしていません、人格はひとつのみです。必ず麻田さんを狙いにいくはずです。気を付けてください」
「そうか。ダイナマイトを爆発させた甲斐があったか。そのためにこんな怪我までさせて申し訳ない」
「いいえ、いつもなら周囲にもっと目を配っているのに、あの日に限って自分を見失っていました」
「済まなかったな」
「時に、弥皇さん。僕が落とされた日、スマホの落し物が非常階段下になかったか総務に確認してもらえませんか」
「ああ、いいよ。どっち」
「個人用の方です。サイコロ課用カタスカシは自宅に置いてました。この頃物騒だし」
「わかった。聞いてみる。自宅からサイコロ課用カタスカシ持ってくるかい?」
「助かります。あと、今度、課長を除く全員でお見舞いという形で来てくれませんか。犯人が僕のスマホを持ってると思うんです、どうにか、あぶりだしたくて」
「今週末くらいにお見舞いに行くから。それまで養生してくれ」
 週末まで、弥皇は忙しかった。総務に落し物の確認を入れ、和田のアパートに行き管理人さんに頼みこんでカタスカシ電話を入手した。それ以上に、麻田が狙われる危険性を重視していた。相変わらずSP業務でチーフを務める麻田だったが、弥皇は、出来れば任務を降りてほしい。言っても麻田は納得しないし、頷くことも無いだろう。考えようによっては、SPが多人数の方が狙いにくいかもしれない。警護の間は要人警護のプレッシャーはあるが、他のSPもいるしチームで動くから安心感も違う。

 それよりも、やはり面が割れて公務以外で襲撃されるのが一番の懸念材料となる。一般市民を巻き添えにすれば、警察組織は我々を守ってくれない。須藤曰く、牧田からは、その後マフィア関連メール送受信のメモが届いていないという。
 ちょうど清野が病院に行った辺りからか。

 メールの送受信は清野か。外国マフィアが麻田さんを狙う理由にもなる。牧田からは、その内容を聞いたことがないが。そうだった、和田のタブレットに転送していたんだった。和田や須藤は内容を知っていたはずだ、牧田が翻訳していた文も送っていたのだから。和田のタブレットは、何処にあるんだろう。神崎のいないときに探さなければ。それにしても、何が書いてあったか聞いてないとは、うっかりしていた。
 牧田がすべて、きちんと翻訳していればの話だが。

 木曜の夜、皆が帰宅してから、弥皇は和田の机周りを探した。ホームズだらけで目眩がする。事故で和田が病院に運ばれたあと、神崎が姿を見せる前に和田のバッグを見た。タブレットは入っていなかった。とすれば、家に持ち帰っているとは考えにくい。こんなふうにホームズの間にタブレットを隠している可能性の方が余程高いというものだ。
 会報をごそごそと触っていると、硬い物に触れた。中を見る。これだ。去年のタブレット。周囲に気を付けて、念のため、その日はサイコロ課に泊まることにした。今や、翻訳機というアプリもスマホやタブレットで使える。須藤に電話した。どうせ彼も独り者だ。呼び出しても家族に怒られる心配はない。

「うわっ、まだサイコロ課にいんのかよ。何してんの」
「牧田さんが和田くんに送ったメール内容を翻訳してたんです」
「牧田から翻訳後の日本語バージョンもらっただろ」
「あれが総て本当なら、話も早いんですが」
「なるほどね。信用できるヤツは少ない、ってか」
「麻田さんへの攻撃は必ず起こる。被害を最小限に食い止めないと」
「で、俺にサイコロ課までご足労ください、と」
「つまりは、そういうことですね。すみません、飲んでました?今度埋め合わせしますよ」
「ブラックカードの店に連れて行け。それなら許すぞ」
「承知しました。見繕っておきます。では、お待ちしています」

 30分ほどで須藤が姿を現した。存在感があるので安心できる。
「僕が翻訳機に突っ込んでいくので、それと同じ文章が出るかどうか確認してください」
「おう」
 30分ほど作業をしただろうか。
「ダメダメ」
「あれ、僕、入力間違えました?」
「いや、お前の間違いじゃない。翻訳の間違い、つーか、間違い以前の問題」
「どうしました」
「まるっきりでたらめ。今日は晴れてる、よかったね、みたいな翻訳になってる」
 弥皇は溜息とともに、和田のタブレットを自分のバッグに仕舞った。
「信用しましたからね、そうか、そう出たか」
「どうするよ」
「課長次第ですが、一番は総務に持って行くことですよね」
「動かないと思うぞ」
「どうしてなんでしょう」
「キツネが何処にいて、その仲間が何処にいるかわからんから」
「上からの指示か。キツネをサイコロ課内で捕まえろ、と」
「そういうこと。だから俺がいるの」
「だから須藤さんが来たのか。漸く納得した」
 二人で溜息をつく。
 二人分の珈琲を入れる弥皇。また、溜息が出る。
 それにしても、ジーニアス須藤が怪我のリハビリ後、すぐにスナイパーに戻れないとはいえ、上からの指示でサイコロ課に来たとは思わなんだ。なるほど、キツネがいたか。

第2章  第2幕  罠

 頬杖を突くクセのある須藤が、デスクに突っ伏している。
「何がどうなってるのか、誰が何のために誰を狙ってるのか、わかんねえ」
 代わりに頬杖を突く弥皇。
「つながらないですね、何もかもが」
「市毛課長に課された問題は、2つあるぞ」
「情報漏洩は本当だと思うんです。たぶん、あとはサイバーテロ」
「ああ、SATの時代にやられたな。犯人捜し、今頃やってんのか?」
「サイバーテロはもう済んでるでしょう」
 警察庁内では、近年サイバーテロや情報漏洩、つまりスパイ活動を行っている職員がいるという、専らの噂だ。清野はサイバー室から来たし、神崎は科警研から来た。総務課で何をしていたかわからないが、諸外国との連絡調整をしていたとすれば、データさえあれば牧田でもマフィアを動かせるはずだ。
 問題は、動機づけ。何が目的なのか、どういった利害があり、どんな手段を使っているのか。麻田のこともさることながら、スパイ活動は警察の威信にも関わる重大な罪だ。
 麻田への攻撃がスパイ活動と連動しているのかもしれない。
 弥皇と須藤は、まさに不夜城の中で『眠れぬ夜』を過ごしていた。

 金曜の夜、課長を除く全員で和田の見舞いに行くことになった。牧田は終始不機嫌そうな顔をしていたが、見舞いには応じた。和田の部屋に入る。
「おう、元気か」
「ありがとうございます。お見舞いついでで申し訳ないんですが、僕のスマホ知りませんか。弥皇さん、番号コールしてみてくださいよ」
 弥皇がコールするが、着信した気配はない。
「うーん。やっぱりダメか。電話会社に連絡しないと。あれって本人ですよね?」
「事故ったんだから、警察絡めば大丈夫じゃないかな」
 弥皇がカタスカシ用の電話を他から見えないように枕の下に滑り込ませ、さらりと話をした後、病室を後にした。スマホの件は不発に終わったようだ。あとは、早く治って退院を待つしかない。
 
 早いもので、梅雨の時期も終わろうとしていた。本格的な夏到来である。

 とある日。夜に和田の部屋に客が来た。麻田と弥皇、須藤だった。
 和田のスマホを拾ったという輩から麻田たちに、メールがあったのだ。和田のメールアドレスからだったから間違いないと各人は言う。

『サイコロ課の諸君へ
 
 入院患者が明日退院するという噂を流した。被疑者は今晩、必ず来る

                           正義の使者』


「腹立つわー、正義の使者ってみると、悪の権化だろ、って思う」
「右に同じですね、須藤さん。弥皇さんも麻田さんも、どうか気を付けて」
「被疑者、絶対に押さえたい」
 須藤たちは、個室のカーテン陰に隠れた。
 カチカチと鳴る置時計の秒針が、時間の流れを物語る。只管長く感じる、時間。夜中、寝たふりをする和田。
 和田はホームズシリーズの代表作でもある、巨大な犬が出てくる話を思い出していた。
 ホームズたちが引き受けた事件。何時間か待つ間に霧が出てきて、目当てとするモノが見えない危険性が出る。霧は見る見るうちに立ち込め、目当てはもう霧の中に隠れてしまった。そんな中の銃声。読んでいてあれ程ドキドキした瞬間も無かった。まるで自分も一緒に其処にいるかのように感じたものだ。今晩もそういったシチュエーションに感じる。
 やはり、和田の心臓は毛が生えている。何処の誰かも分からない犯人に狙われているのに、何を考えているのやら。

 犯人を待つ麻田、弥皇、須藤。コツ、コツ、コツ。足音が近づく。足音が重い様子がない。果たして犯人は女性なのか。
 警護の警官は予め隣室に待機してもらっていた。引き戸が静かに開き、ベッドに近づく音がする。月に照らされ、その姿を見せたのは、牧田だった。犯人とは考えにくい。さしたる武器も持っていないであろう牧田が、なぜこの時間に。納得がいかない。
 
 弥皇は思わず牧田を問い詰めた。
「どうして今時間、此処に来たんです?」
「明日退院だと聞いたから。被疑者も来るというし、皆揃っていると思って」
「誰に聞きました?」
「メールが着たのよ。和田くんの電話から」
 丁寧な言葉の弥皇を押さえ付けるかのように麻田がしゃしゃり出る。
「なるほど。正義の使者ってやつね。悪いけど、隣の部屋に行くか、帰ってもらえるかしら?」
 牧田はいつもと変わらぬ静かな調子で、麻田に問うた。
「被疑者を捕まえるの?」
「さあね。キツネ狩りはしたいけど、来るのがキツネとは限らないし」

 その頃、神崎はサイコロ課でデータベース処理中だった。そこに来たのは、市毛課長。
「お疲れ、飲め」
 神崎にカップ入りの珈琲を勧める。
「ありがとうございます、課長」
 珈琲をググッと飲んだ神崎は、船を漕ぎ始めたかと思ったら、直、データベースの前に崩れ落ちた。
「悪く思うな」
 処理中のデータベースを消去し、課の電気を消し、神崎を残して鍵をかけ、立ち去る課長。和田の入院先に集められたサイコロ課のメンバーたち。病院にいないのは清野と神崎、課長。清野の罠か、神崎の作戦か。はたまた課長が黒幕か。

 一旦、部屋を出て隣室で待つ牧田。直後、病院内が突然停電した。電源が回復しない。病院で停電などするわけがない。非常電源が直ぐに作動するのだから。暗くなった際、周囲の騒ぎ声で院内は騒然としていた。何故か和田の病室がある3階だけは依然として暗いままだった。誰かが3階の非常電源を切るか、回復しないように操作しているとしか考えられない。
 何れ、一般人の仕業でないことは明らかだった。
 入院患者の叫び声やナースが走り回る足音。辺りが騒然とする中、不穏な空気が病室に流れ込んだのを、誰が気付いただろうか。
 暗闇の中、和田は何者かによって首を絞められた。横を向いていたはずなのに、締めるその手指は首を押さえ付けるというよりも、首から上方に向かい手をスクリューさせているような感触を受けた。
 来るとわかっていて身体と心の準備もしていた和田だったが、息も出来ず、痛みも忘れ手足をバタバタさせて周囲に知らせようとするが、声にならない。

 刹那。
 須藤が、犯人のその腕を強引に掴み、叫ぶ。
「手錠!」
 月明かりが部屋の中をぼんやりと照らす。その中で、麻田によって手錠を掛けられ確保された犯人は、清野だった。病院にいるはずの清野が何故ここにいるのか。
そう。清野は、病院を脱走していた。

 現行犯逮捕され、所轄に送られた清野。自分が狙ったのは、麻田であり、和田ではないと言う。そうかと思えば、あくまで解離性同一性障害を主張する清野だったが、鑑定の結果、解離性同一性障害は認められなかった。犯行に当たり、善悪の判断をできる状況にあった、との判断で留置場に送られた。現在は取調べ中だという。
 取り調べの中で、新しい事実が明らかになったという情報がサイコロ課に入った。清野が警察庁へのサイバーテロの犯人だった。ただし、本人はテロの件も否定していた。留置場の中で、叫んだり泣いたりと情緒不安定を訴えたり、両親を呼べ、弁護士を呼べと叫んでいるらしい。

 市毛課長が皆に説明した。
「警察庁へのサイバーテロが相次いだ。清野が怪しいと目されたため、身柄をサイコロ課で預かり犯人かどうか目星を付ける狙いだったが、傷害事件にまで発展するとは正直、想定外だった」
 神崎が課長に向かい少し怒気を含めながら質問する。
「あの晩、どうして僕を眠らせたりしたんですか?僕のアリバイが無くなるとこでしたよ」
「あのまま帰っていたら、それこそアリバイが無かったさ」

 ほっとしたのもつかの間だった。
 再び、怪文書が流れた。麻田への攻撃は止む気配が無かった。


『サイコロ課の諸君へ

 警護課警視正 麻田はその職責に相応しくない。粛清する
 
                      正義の使者』

 今回の怪文書は、麻田を24時間狙い放題という超難問を、活字にして公言したも同然だった。
 要人警護は昼夜を問わない。
 ピリピリした現場の仕事は、麻田にとって遣り甲斐もある反面、それを傍から見ている弥皇には心底辛かった。これまでも、内々に狙撃や攻撃には備えてきたが、これからも一層緊張感を持って狙撃や何らかの攻撃に気を配らなくてはならない。
 通常ならまだしも、翌週は国賓級の来日があり、警護課の業務も24時間の神経戦となっていた。要人警護という神経戦は緊張もマックスに近い。
 チーフである麻田は打ち合わせや警護などで帰宅できない日もあり、疲れも相当なものになっていった。麻田は、神経戦で疲労がピークに上った。
 そしてついに、事が起こってしまった。

 警護していた要人に怪我を負わせてしまったのである。命に関わるような怪我ではなかったが、SPとして、要人の身を守れなかったのは業務を忠実に熟すことができなかったと同義であり、どんな理由があれども、謝って済む問題ではなかった。
 その身は警護課預かりとなり、一連の責任を取る形で警察庁から離れ、採用時の県警に戻された。
 だが、麻田には申し訳ないと思いつつ、弥皇は内心ほっとしていた。一族に頼みシークレットサービスをつけることも考えた。申し出は、当然、麻田の意に染むものではない。
「でも、何処から狙われるか、武器が何かさえわからないんですよ」
「要人警護も同じでしょ。それが無くなっただけでも有難いわ」
「通勤は?此処に住むなら、今迄より通勤時間長いじゃないですか」
「藤木のいる県に住むなんて真っ平だし。いいの、適当にして時間通りに帰ってくるから」
「麻田さん、狙われている自覚あるんですか」
「自分の身くらい守れるわよ。周囲を人質にされたら困るけど」
 弥皇の意見を聞こうともしないが、実家に戻るとは言わなかった。これまで同様、此処にいてくれる。それだけで嬉しいと思う弥皇。それでも、なかなか距離は縮まらない。麻田が結構遅かったり実家に寄ってきたり。連絡無く麻田が遅いと、弥皇は本気で心配した。24時間狙い放題が消滅した訳ではないのだから。

 仕方なく、弥皇は弥皇で、麻田への攻撃文を様々な見地から鑑定していた。正義の使者とやらは清野だとばかり思っていたが、清野ではなかった。清野が逮捕されたあとだ。あの怪文書が着たのは。
 課長がスパイ容疑者をもサイコロ課に拾ってきたのだとすれば、犯人は2人のうち、どちらかだろう。
 神崎。神崎には動機がないのが不自然だが、スパイ容疑なら彼が犯人でもおかしくない。
 牧田。思わぬダークホース。今迄考えも付かなかった。麻田にコンプレックスがある。
 しかし、スパイ容疑ともいうべき機密文書をどうやって入手するのか。それを考えると限りなくグレーだ。
 ないとは思うが。スーちゃん須藤。動機も何もない。麻田を狙う理由。失恋の痛手にしては、20年は長すぎて理由にもならない。何かあるとすれば、FBI絡みというところだろうか。

◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇

 麻田が県警に異動して2か月が経った。『同じ職』という足枷は、もう無いも同然だった。弥皇は、意を決し、夜、隣の麻田に会いに行った。麻田が玄関で出迎える。
「麻田さん、弥皇です。お久しぶりです」
「元気?通勤に時間かかってさあ、逢えないね、近頃」
「今夜、麻田さんの部屋で飲んでもいいですか」
「いいわよ、明日、あたし非番なの。飲もう!」
「じゃあ、ワインは麻田さん持ちで」
「補充分は弥皇くん持ちよ」
 弥皇の部屋にワインがどっさりあるのを見越して言う麻田。実にちゃっかりしている。
「任せてください。あ、今晩泊めてくださいね。異議申し立ては却下します」
「最初からそのつもりでしょう。寝る場所、マットレスしかないわよ」
「一緒のベッドは?一緒に寝たい」
「ダメ。さ、どうぞ。一緒のベッド以外ならいつでもOKよ」

 マンションを変えてから部屋が隣同士とはいえ、麻田の部屋に泊まったことはない弥皇。補充分のワインを5本、両手に持ちながら、再び麻田の部屋のインターホンを押す。弥皇は、部屋に足を踏み入れるとあらためて緊張した。
「でも珍しい、泊まりたいだなんて。初めてね」
 僕が?緊張?どうしてだ?麻田さんに泊めてほしいってお願いしただけなのに。麻田さんがOKしてくれたということは、麻田さんの中では泊めてもいい人、特別な人になるんだよな。まさか、誰にでもOKしててその中の一人、そういうオチじゃないだろうな。
「麻田さん。僕、今晩泊まっていいんですよね?」
「うん」
「まさか、男女問わず誰でも宿泊OKなんてオチじゃないですよね?」
 弥皇。投げ飛ばすわよ。あたしが、そういうふしだらな女に見える?というのが普段の麻田だ。実は、そういう返事に備えていた。それが今までの麻田だったから。

 不覚だった。
 今日は、泣かれた。
「もう、そういう目でしか見てくれなくなったのね」
 ボロボロ泣いて、その涙は止まりそうにない。無理もない。誹謗中傷のビラで、淫奔女呼ばわりされ、心の底から傷ついたに違いない。ふしだらな女扱いするのは、麻田さんに対して一番失礼だ。ああ、どうしよう。こんなとき。モテ男なら女性をどのように扱うのだろうか。弥皇は、麻田の足下に跪き右手を差し出し、掌を上に向けて許しを請うような仕草をとった。まるで子犬のように。弥皇が顔を上げると、麻田が泣き止みこちらを向いた。
 
 瞬間。
 麻田に「お手」された。
 咄嗟に掌をひっくり返して反応してしまった。
 負けた。
「はい。マッサージお願いね」

 麻田といると、必ず麻田のペースに乗せられる。弥皇は自分のペースが保てない。

 やっと麻田の顔に笑みが戻り、メガネを外しマットレスにうつ伏せになりながら、顔を上げて麻田が弥皇の顔を見る。ブラックジョークに反応し、あはは、と大口を開けて笑う。こんな表情でも、やはり美人だ。

「はあ。マッサージね。そっちですか。一晩中は無理ですよ。いくら僕でも、体力の限界有りますから」
「今の弥皇発言って、聞く人によっては微妙なニュアンスだと思わない?」
 途端に意味を考え、真っ赤になる弥皇。
「麻田さん。マッサージしちゃいましょう」

(でないと、いくら普段は羊みたいに大人しい僕でも、珍しくオオカミになりそうだ)

 弥皇は、丁寧に身体を揉み解しながら、たまに骨の辺りをグキッと整える。以前スポーツトレーナーの下で修業したから心配はない。
「相当こき使われてましたね。硬い」
「うん、あーっ、そこそこ、いい、すごくいい、ね、もっともっと」
 何とも色っぽい声に反応し、弥皇は、ますます赤くなる。
「麻田さん、人聞きの悪い発言は止めてください。此処は聞こえない場所だからいいけど、すごい意味深な発言でしょう」
「だってこんなに上手なんだもん。声だって出るわよ」
「だから。その発言が危ないんですって。男なんてみんな下心の塊なんですから」
「貴方は、別の下心じゃないの?」
 弥皇が抱いていた別の意味での下心。麻田にはお見通しだったようだ。それにしても、マッサージで色っぽい声を出されるとは思っても見なかった。

(下手に手を出せば寝技で瞬殺されそうだから我慢するけど、こりゃ、流石の僕ですら心臓に悪い)

「麻田さん、前もやりますか?」
「前?」
「仰向けですよ。できることはあるんだけど、ちょっと、僕の心臓に悪いから」
「何、胸揉むって?おい、そういうことか?弥皇」
「はしたないなあ、麻田さん。僕の方が余程恥じらいってものがある」
「もう、壁は無くなったから」
 そういって、麻田は起き上がり弥皇の右頬にキスした。
「はい、仰向けお願い」
 弥皇も吹き出しながらマッサージを続ける。色っぽく際どいニュアンスのオンパレードが続く。
「あ、やだ。そこはダメ。そう、そこ、そこ」
 弥皇自身の心臓の鼓動が、麻田にも聞こえるのではないかと思うほど、ドキドキと音を立てる。普段、性行為に興味の無い弥皇でも、これはキツイ。
「麻田さん、誰にでも、こんな色っぽい声出しておねだりするんですか」
「うーん。整骨院では、たまにやる」
「気の毒ですね、その男性。性欲と仕事の狭間じゃないですか」
 にやりと笑う麻田。弥皇との会話は、こういうところが楽しいと言わんばかりだ。
「大丈夫。女の人しか指名しないから」
「そりゃ結構。でも、声は聞こえるでしょ」
「完全個室だもん」
「此処だって完全個室ですよ」
「大丈夫よ、いざとなったら寝技に持ち込むから」
「そういう大団円で幕引きするつもりでしたか。ああ、危なかった」
「何?弥皇くんも性欲ってあるの?前に無いって聞いたけど。プラトニック派だって」
「そうですよ、基本的に性欲ありません。でもねえ、間近でこんな声聞いちゃうとねえ」
「うわ、ごめん、狭間に来た?ぎゃーっ、痛い!」
 最後に首筋周辺をさらりと揉み解し、背後から麻田の身体に腕を回した弥皇。麻田も、流石に調子に乗り過ぎたかなと反省しかけたその瞬間。背骨界隈に脚を当て、前に回した腕を横Tの字に調整し右、左と立て続けに伸ばされた。
「弥、弥皇。ギ、ギブアップ」
「最後の必殺技が効いて何よりです。首も痛いけど、最後のはね、とっておきなんです」

第2章  第3幕  幸せな時間

 お互いを見て、笑う。
 肉体とか精神とか、愛とか恋とかの色分けとは少し違った感情。相手が其処に居て笑ってくれればそれで満足という弥皇の想いが、麻田には痛いほどわかる。だから弥皇に求められたら応じてしまうかもしれない。例え、それが何だったとしても。
「あー、気持ち良かったあ。弥皇くんも、やってあげる?」
「遠慮します。僕は肉体行使してませんから。麻田さんに触られたら笑いそうだし」
「くすぐったりしないわよ。そういえば、何か相談あるんじゃないの?」

 弥皇が、ワインセラーからワインを片手に、もう片手にはワイングラスを2つとソムリエナイフを持っていた。麻田もワインが好きだから、ワインオープナーとソムリエナイフどちらも持っている。
 ソムリエナイフの使い方は弥皇の方が遥かに巧い。フランス製のマイ・ソムリエナイフをさらりと使いこなし、キャップのシールを切って行く。ボトルは動かさない。麻田にはそれが難しい。
「半周切れ込みを入れたら、ナイフを持ちかえて、もう半周、ボトルを動かさずにできますよ。コルクはテコの原理を使えば結構すんなりと抜けますから。ソムリエナイフのメーカーも結構重要かもしれませんね。僕のは譲り受けた年代物なんです」
 これまた、さりげなく言ってのける。
 冷蔵庫の中を適当に漁って、弥皇がサラダを作り、ナッツ類等のつまみを持ってきた。 リビングのテーブルにつまみを置き、お互いは隣り合って壁に寄りかかり、クッションを手に胡坐をかいて座る。

「麻田さん、飲みましょう。至福の一杯だと思いますよ。シャワー浴びてからにします?」
「ううん、最初に話聞いてから。だから、飲もう!」
 弥皇は、少し話を出しづらいのではないか。少なくとも麻田には、そんな表情に見えた。
「さ、マッサージして疲れたでしょ。飲め、飲め」
 程なくして、弥皇が麻田の肩に寄りかかった。酔っているわけでもないらしい。弥皇が酔った姿など、見たことも無い。下戸どころではない。底なし沼の二人だ。そんな弥皇が、何か躊躇しているように感じられる。

 結構、麻田は鈍感だ。いや、弥皇が繊細というべきか。寄りかかったまま、弥皇が話し出した。
「僕ね、この仕事辞めようかなって思うんです」
「一族に捕まったとか?」
「違いますよ。一族はどうでもいい。仕事もどうでもいい。麻田さんといつも一緒にいたいんですよ。こうして夜を過ごしたい」
「で、あたしはどうすればいいの?一緒に辞めるの?」
「麻田さんが辞めるの勿体無いじゃないですか。心理面の方さえ少し我慢すれば有能なんだし」
 弥皇に拳骨をかます麻田。
「あたしは別に仕事の鬼じゃないわよ、辞めても構わない。って、心理面我慢?捜査会議でプロファイル喋るの、止めろってか。県警さんよお」
「痛いなあ。もっと優しくしてくださいよ」
 麻田は、別に仕事の鬼ではない。お一人様だから働いているに過ぎない。弥皇は、そこを勘違いしているような気がする。常から麻田のことを過大評価している。いつもそう思う。でも、サイコロ課で心理を話し捲った日々は、警察官という職業的に大変言いづらいが、今迄の勤務の中で一番に楽しく過ごせた時期でもあった。弥皇は、ワイングラスをテーブルに置くと、横に倒れ込んで麻田に膝枕した。

「こうしていれば、喜怒哀楽を二人で分け合える」
「そうね、二人だと楽しいし」
「楽しいだけですか?」
「いいえ、一人だと寂しい。そっちが本音」
 一族、金銭、弥皇には弥皇なりの苦労があるのだろうと麻田も思う。緑川事件さえなければ、それらを表に出さずに済んだのだから。今では残念ながら、方々の県警から麻田にまで電話が来る。『警察庁に居候する御曹司』という、不思議ネーミングで。
「僕は、今でも怖い。もし、麻田さんに何かあったらどうしようって。僕等の関係性さえはっきりすれば、ふざけた女に入り込ませる隙を作らなくて済むでしょう?」
「お金持ちの噂広まってるから、寄ってくる女性は多いと思うけど?」
「心に決めた好きな女性います、って断れるでしょう。今迄そんな女性いなかったから」
「女はね、寝技使ってでも男をモノにするのよ。清野のことで解ったはずじゃない」
 弥皇が、麻田の膝に右手の人さし指で何か落書きしている。こそばゆい。もしかしたら、先程のマッサージで体力を使ったために本当に酔ったのかしら、と麻田は弥皇を見下ろした。
「ん?どうしました?」
「弥皇くん、もしかしたら、酔ってる?」
「まさか。僕の酒飲み度合い、知ってるでしょう。嬉しいんです。こうしていられるのが」
 んふふ、と笑ってまた膝に落書きを始める弥皇。
 やっぱり酔ってる。
 弥皇が酔うなんて、初めは信じられず演技しているのかと訝ってしまうが、演技する理由もない。
「ねえ、麻田さん。仕事の話は取り敢えずおいといて、籍入れましょう」
「は?こりゃまた、どうして」
「入籍すれば寝技掛けられなくて済みますよね。ね?」
「寝技掛けられたくないからプロポーズするの?とんでもない理由ね。聞いたことない」
 弥皇の結婚観が分かるようで分らない麻田。たぶん、今の言葉が弥皇なりのプロポーズなのは理解した。
 素直じゃない二人らしい、素直じゃない婚姻の約束。
 それにしても弥皇、パートナーの話はどうなった。結婚しなくていいからパートナーが欲しいのではなかったのか。麻田は東北の緑川事件が解決して間もない頃、弥皇が発言したパートナーという言葉を思い出した。
「結婚とかでなくてもいいからパートナー欲しいって言ってたわよね」
「そ、あくまでパートナーです。入籍してもパートナー」
「入籍して夜は一緒に過ごすけど、結婚形式にはこだわらないってこと?夫婦は嫌だと」
「夫婦、嫌です。男性と女性は対等だから。この意味が解らない人とは縁を結びたくない」
「弥皇くんらしい。さて、あたしはどうお答えすればいいのかしら」
「簡単ですよ。OKサインさえいただければ。如何です?夜が楽しくなること請け合い」
「そうね、夜の寂しさは無くなる。でもね、酔っ払いさん。本当にあたしでいいの?籍入れてから失敗したじゃ済まないのよ。まあ、離婚率も高いから離婚如きで騒ぐ世の中じゃないけどね」
「僕は麻田さん以外の女性をパートナーにしたくない。それだけです。よかったら今度、近畿方面まで一緒に行っていただけますか」
 弥皇は、一度起き上がり麻田の額にキスして、また寝そべった。まるで子犬か子猫の様に体中に触ってくる。その純粋な瞳は、じゃれ付き、見つめ、傷を舐めて、寄り添ってくれるように感じられた。

 首輪は果たしてどちらにつくんだろう、飼い主はどちらだ?
 そう考えると、麻田は少し可笑しくなって、ふふっと静かに笑った。

 その晩は、弥皇を寝せるのに苦労した。弥皇が酔っぱらって寝たのを始めて見た。酔っ払いの男性を先程のマットレスまで運ぶのに一苦労。流石の麻田も体力が落ちて来たのか、重労働に感じた、まあ、酔っ払いを介抱したことが無いだけとも言えるが。また、マッサージを要求しなくては。
 自分はベッドに横になったものの、弥皇の言葉の端々が耳から離れない。割り切って生活してきた一人での暮らし。初めての交際で負った傷。それ以来、結婚という二文字に憧れは抱けなかった。そのうち女や嫁といった言葉が、まるで自分の姓を名乗ることすら叶わず物として売られていくような、そんな惨めな場面を想像するようになった。別に両親が仲違いしているわけでもない。母は専業主婦。専業主婦が楽なのか、そうでないのかさえ、今も判断できない。
 かといって、辞めても構わないが、辞めて自分に何ができるんだろう。専業主婦という柄でもない。退職後の自分。全くイメージができない。一族の話も、何か途轍もない話のような気もする。あたしで本当に大丈夫なんだろうか。うとうとしながら、眠りについた。

 翌朝、弥皇に頬を掴まれて目が覚めた麻田。弥皇は冷蔵庫にある材料やパンなどで簡単な朝食を作ってくれていた。麻田は普段、作るのが面倒で朝は食べないが、美味しそうな香りに引き寄せられた。パジャマ姿のまま顔を出すと、弥皇が笑っている。
「最初に食べちゃいましょう。温かいうちに。あとはシャワー浴びて。ゆっくりしてもいいし、出かけてもいいし」
「ありがとう。ごめんね。あたしこういう女性らしいこと苦手でさ」
「好きな方がやればいいじゃないですか。僕はこういうのも好きだし、麻田さんも好きだから作ってあげたくなるんだなあ」
「いやあ、面目ない。女子力の欠片ないから」
「そういう麻田さんだから好きなんですよ。ところで、お願いあるんですが」
 弥皇は、昨晩の言葉どおり、次の非番の日を合わせ近畿に行きたいと言う。はい、わかりましたと答えるしかない麻田。まあ、多分、旧家か何かなのよ、だから家柄を気にするんだわ。

 と思いつつ、その日が来てしまった。
 訳も無く、とても緊張しながら弥皇の後ろを歩く麻田は、しょっちゅうスーツの色や靴、バックのスタイリング、果てはスーツのシワまで気に掛ける。
 近畿方面の歴史や建造物等の話をしながら、新幹線は京都駅で停まった。そこからタクシー移動する。何処をどう走ったのかわからない。繁華街を抜け、1時間も走っていないはずだ。雄弁な景色が目の前に広がるような、そんな風景が辺りを包み込む。1軒の寺院らしき建物が見えてきた。どうみても古い時代の寺院なのだが、こんな建造物、歴史にあったかしらと麻田は考える。奥まで進むと、普通の家が見えてきた。

「ただいま」
 弥皇を見た家族と思しき人々は、麻田が普段聞かない言葉で大騒ぎを始めた。はんなり言葉を連想していた麻田は面食らった。話すスピードが半端なく、早い。どうやら、今迄どうしていたのか、連絡もしないで、隣の女性は誰だ、おお、念願の嫁か、で、子供はできたのか・・・という具合だったらしい。
「子供?いてへん。そんなんそっちで決めや」
 弥皇は、子供は居ない、跡取りはそちらで決めろ、と言ったように麻田には聞こえた。跡取り問題で、兄だ弟だと、また大騒ぎが始まる。要は、緑川事件の際に発した言葉、次男坊というのが本当だったということだ。それから何軒回ったことか。5軒近くは回った。何処でも反応は同じだったが、藤原、とか安倍、とか蘇我、とか、果ては卑弥呼の名前まで聞こえてきた。余程の旧家ということだけは理解した。

 次に、大阪から兵庫方面まで足を延ばした。ビルに入って行く弥皇。どう見てもVIP室に通されて、大阪弁で捲し立てられる。大阪弁の詳しい翻訳は、麻田には無理だと悟った。いや、大体は解るのだが標準語に訳すのに?マークがたくさん並ぶ。弥皇もついていけない粗さがあるようだ。ここでも内容的には京都方面と同様のような話だったと思う。大阪と兵庫でも5,6軒は回ったはずだ。6軒目を出た瞬間、弥皇の言葉が変わった。

「すみませんでした。色々と連れ回して。ただ、皆了解取れましたので、もう安心です」
 え?向こうはOKしてないと思うんだけど、と不安になる麻田。
「麻田さんは何処に行っても評判良かったです。流石、僕の眼は一流だと言われました」
「嘘ばっかり」
「ホントです。言葉はどうあれ、皆満足げだったでしょ。笑っていたじゃないですか」
「子供とか跡取りとか皆から言われてたじゃない」
「ああ、僕、兄も弟もいますから。兄夫婦には子供いるし。国外に逃げられましたけどね。家督はどっちかに譲るから問題ないんですよ」
「じゃあ、もう追い回されなくて済むわけ?」
「さあ。こればかりは、ね。家督は譲るけど会社は別だっていうし」
「なんか凄く込み入った家系図のような気がするんだけど」
 弥皇曰く、近畿でも京都奈良は母方、大阪兵庫は父方の親類とのことだ。旧家は母方、ド派手なビルで商業系は父方ということで、どちらにとっても家督を継いで欲しい跡目なのだそうな。跡目合戦で火花を散らす親類縁者というわけか。そういえば、何処で心理を勉強していたのかさえ知らない。聞いたところ、アルファベットのK大ですよ、としか教えてくれなかった。心理とは言わなかったけれど、まさかのK大?今迄秘密にしちゃって。

「今日で挨拶回り終了。来週、僕の両親と一緒に麻田さんのご実家に伺いましょう」
「え!」
「何か不都合ありますか?」
「いえ、まあ、心の準備ってやつよ」
「では、よろしくお伝えください」
 弥皇は、気障なナルシストのようでいて、こういう行動は早い。
 宣言どおり、次の週、弥皇とご両親が麻田家を訪れ挨拶が始まった。弥皇の両親は関東に在住しているが、一族同様ガッツなはんなり行動は抜けないようだ。麻田自身の想いを余所に、スケジュールはあっという間に決められていく。別に結婚が嫌だというわけではないが、嫁や女として扱われるのが大嫌いな麻田。本当に大丈夫なんだろうかという、大きな不安に駆られる。
 横にいる弥皇が、麻田の想いを見逃すわけがない。
「ああ、みなさん、此処で一言よろしいですか」
 弥皇が皆を制した。
「麻田さんには、今迄通りの生活をしてもらいます。やれ嫁だ、やれ女だ、家事だ、母親だ、という言葉は絶対に使いませんし、僕の一族にも使わせません。仕事を完璧に熟している麻田さんはとても有能です。その能力は潰しませんので」
 麻田の家では、相手がかなりの一族らしいと聞き、嫁に出せるのか心配になったようだ。頭の優秀さではなく、所作、所謂立居振舞や客捌き。
 ちょうど、梨園の妻を想像したらしい。

 弥皇の両親が帰ってから、麻田母は耳元で麻田に囁いた。
「務まらなかったら、戻っておいで。別に一人だっていいんだから。気負わないでね」
「ありがとう。今迄は結婚しろって五月蝿かったのに」
「相手によりけりよ。披露宴とかさ、その、お相手の家系、お金持ちの方多いみたいだし」

「披露宴?麻田さんがしたいなら。一族には口出しさせませんから大丈夫ですよ」
 母と娘は、急に後ろから弥皇が口を挟んだので、心臓がバクンバクンと波を打つ。
 麻田が咄嗟に取り繕う。
「あたしは、ねえ。この歳になってドレスを着たいとは思えなくて」
「麻田さんなら、どんなドレスでもお似合いだと思うんですが。残念だな」
「どっちかっていうと、制服着て写真撮った方が落ち着くのよね」
「ああ、いいですねぇ。でもなあ。ドレス着て欲しいなあ」
 東京に戻る新幹線の中で、弥皇に披露宴のことを聞いてみた。近畿辺りの披露宴は関東では思いもよらぬような派手なものだという噂を聞き、正直、麻田の両親は経費を気にしていたのだった。

「なるほど。披露宴ですか。先程ドレスの話が出たでしょう。麻田さん、ドレスが着たいのかなって思ったんです。それなら、披露宴でも海外挙式でも、人に見られたくないなら写真だけって言う手もあるでしょう?」
「若い時は憧れたものよ、海外で二人だけでの挙式。青い海や白い教会をバックに写真撮って。でもあれ、結婚証明書じゃないのよね。本物じゃないんだーって」
「記念の証明は本物でしょう。婚姻届のような紙切れこそが証明にならないと僕は思うんですよ、今でも」
「あら、だったら入籍しなくてもいいじゃない」
「それとこれとは別でしょう。紙切れは要らないけど、寝技は回避したい」
「何、それ。あ、こないだのマッサージ」
 麻田が弥皇の右掌を抓る。
「そう。あそこで下心出したら寝技で瞬殺ですよ?紙きれ一枚で、まるっきり扱い違うじゃないですか」
 弥皇が声を上ずらせて答えた。あの時のマッサージは、かなり緊張したようだ。あの夜を思い出したのだろう。
「あは、あはは。貴方、それだけのためにここまで大篝に動いてるわけ?」
「誤解しないでください。筋を通さないと許されない世界がありますから」
 警察という我々の組織がそうだ。入籍しないで交際状態なら、もしかしたらまた二人ともサイコロ課で仕事ができるかもしれない。でも、どうがんばっても夜は一緒に過ごせない。二人一緒の夜を過ごしたい。お互い一人の寂しさを埋めたい。お互いに寂しい思いをさせたくない。それだけだ、と弥皇は言い切る。
「この、気障野郎」
「僕、正直が唯一の取り柄ですから」

 両家一族協議の結果を待たずして、弥皇の一存で、披露宴という形式にとらわれず奄美沖縄周辺の小島を借り切って野外パーティー形式での結婚報告会が執り行われることに決まった。
 時期は1か月後。本当なら半年は準備期間に要したいところだが、警察という組織は、いつ何が起こるかわからない。何かが起こってしまえば警察全体で動くことになる。サイコロ課と言えどもそれは変わりなきことで、まして県警配属の麻田は事件など起こればすぐに帰らなくてはならない。
 警察のヘリや弥皇の一族自前の小型ジェット機を待機させ、いつでも職務に戻れるなら、との指示があったという。
 麻田が非番の時に弥皇が一緒に動く。主に、結婚報告会の次第調製であり、弥皇がドレスの見本を麻田の部屋に届けさせる。着替える度にこの世のモノとは思えない賛辞を贈る弥皇。
「麻田さん。世界中の誰よりも、貴女が一番綺麗です」
 相変わらず、ストレートな弥皇である。ストレートも度を越すと堪忍袋の緒が切れる。麻田の堪忍袋は異常なほどの賛辞だ。たまに弥皇を拳骨アタックして目を覚まさせてから、もう一度ドレスを選び、家族だけで執り行う結婚式の次第を確認する。
 神父さんの手配やプロの写真家、プロの司会者。弥皇の一族からのお祝いの一部だという。小島の借り切りも一族の配慮によるものだと聞き、麻田は目眩を覚えていた。

 結婚を控えたカップルにとって、1ケ月は瞬く間に過ぎていく。弥皇と麻田の場合もご他聞に漏れず、あっと言う間にその日がやってきた。
 花嫁は結婚前にマリッジ・ブルーという心理が働くという。本当にこれでいいのか、という独身最後の足掻きなのかもしれない。マリッジ・ブルーを経験したくなかったら、猶予なく結婚してしまうことが最善の策だ。
 麻田もマリッジ・ブルーなどという言葉に縁もないほど忙しかった。

 結婚報告会のパーティーにはサイコロ課のメンバーも招待された。海外セレブの結婚パーティーを彷彿とさせる大掛りなパーティーで、弥皇一族は元より、目の飛び出るような政財界の大物たちが来賓として続々と出席していた。どれくらいの人数が野外を埋めたのかもわからないくらい、人の渦が巻く。やっとサイコロ課のメンバーや佐治一家を見つけ、安心した麻田。
 佐治が奥方と娘を紹介してくれた。幸せそうな家族に戻ったのであろう佐治家。
「やっと、というか、ついに、というか。仲良くしろよ、お二人さん」
「僕の言った通りじゃないですか。麻田さん、弥皇さん」
 和田は相変わらず容赦がない。
「やっと幸せ掴んだな、俺にもおすそ分けしてくれ」
 須藤もにこやかだ。
 其処に、市毛課長が奥さんと一緒に姿を現した。
「課長、いらしていただきありがとうございます」
「おめでとう。こっちは、我が奥方だ」
「お噂はかねがね。本当にお綺麗だわ」
 と、そこに警察庁の一団が姿を見せ、課長の奥方様を囲んだ。総ての人間たちが最敬礼している。奥方様、何者?麻田は怪文書事件が立て続けに起こり、記憶が曖昧だったらしい。
 奥方様の父上が旧警察官僚と聞き、やっと納得がいったようだった。

 パーティーの前半にあらためて指輪の交換と結婚報告、終盤にかけて音楽や食事を楽しむ趣向。
 弥皇らしい演出。
 麻田自身、ドレスは恥ずかしかったが、一度くらい着てみたいと思うのが女性の本音かもしれない。純白のドレスに身を包み、時間帯によってドレスを変える。日本の結婚式ではカラーのドレスを着る場合が多い。
 それでも、時間帯を遅くして来てくれる警察関係者や知人友人のために、全て白で統一したドレスを着ていた。
 弥皇曰く、真白いドレスを着る日の女性ほど、輝いた存在感はないのだという。
 経費は一切弥皇側持ちという、ド派手なパーティーは屋内に場所を移し夜半まで続いた。全員一緒に休みが取れないという警察事情によるものだ。たぶん、警察庁史上最も有名な結婚披露宴と目されること、間違いないだろう。

 事件が無ければ、という鎖付で、1週間の休暇を貰えた弥皇と麻田。沖縄方面に足を延ばす機会も少ないだろうということで、場所を変えて沖縄本島北部のホテルに滞在することにした。ホテル近くには、プライベートビーチとも呼べる綺麗な海が広がっている。
 水着に着替え、道路を一本渡って浜辺に向かう二人。
「事件があったらどうするの?」
「自家用ジェットを呼びますから大丈夫」
「あ、そか。弥皇の家ってそこまで凄いのね」
「僕のものじゃないのは確かですよ」
「何、都合良い時だけ借りるの?」
「当たり前です。僕等の仕事に差し障らないように借りるだけです」
「モノは言い様ねえ」
 麻田が立ちあがってストレッチ運動を始めた。しなう身体の動き。40歳を超えても、麻田のプロポーションは完璧だ。痩せすぎず、ウエストの括れとバストやヒップの上がり具合。身体を鍛えているからこその外国人アクション系女優並みプロポーション。
 浜辺で麻田は、ビキニの様な水着ではなく、ホルターネック型で胸の辺りを強調し、背中の露出度が高い水着や、前後ともクロスさせたような、見せないようでいて何気に色気のある水着を着ていた。本人曰く、お腹が見えるビキニは着ないのだそうだ。弥皇もたまにジムで鍛えるからだが、麻田の方が、腹筋が割れているような気がする。
「ねえ、麻田さん」
「何?水着、ヘン?」
「素敵ですよ。麻田さんて、腹筋4つか6つに割れてません?」
「はいはい。割れてますよー。今日の夜は、寝技掛けてあげるからね。弥皇くん」
「酷いなあ。正直に言っただけなのに」
「腹筋割れてるっていうのが褒め言葉だと思う女性は、この世に少ないわよ」
 弥皇の頭に、また拳骨ひとつ。あはは、と笑って波打ち際へ向かう麻田。この幸せが永遠に続けばいい、と願う弥皇。
 夜は外国人が多めのレストランを予約する。外国の香りがそこはかとなく漂う中、海岸付近を航行する大型船舶や微かに光を放つ橋など、派手派手しくない観光路線が二人の好みだった。
「さ、麻田さん。ホテルに戻りましょうか」
「うん。弥皇くん。今晩はきっちり寝技掛けてあげるからね。腹筋発言の罰よ」
「じゃ、僕も寝技返しで」

 翌朝、二人は朝陽がだいぶ上がった頃、漸く目を覚ました。昨夜ホテルに戻り、またワインを飲み、レスリングや柔道の寝技の掛け合いから始まって、酔いに動きが交じりすっかり出来上がっていた。二人とも、何があったか覚えていない。
 一緒にベッドに入り、二人とも何も身に纏っていない、という事実があるだけだった。
 洋服は部屋中に脱ぎ散らかされ、ワインの瓶はテーブル下に転がっている。辛うじてテーブルやベッドにはぶつかっていないようで、壊れているものは見あたらなかった。
「ね、弥皇くん。昨夜何したか覚えてる?」
「いいえ、全然」
「いいのかしら。これで」
「ノープロブレム。僕たちパートナーですから」
「貴方ってこういう時まで気障よねえ」
「寝技掛けるために籍入れたんだし、覚えてなくても差し支えないでしょう」
「そうよね。覚えてないってことで、着替えようっか」
「その前に」
 弥皇が麻田の健康的な肌に、まるで子犬のように絡みついて体中に軽いキスを続ける。麻田の身体には、色の変わった部分がたくさんあった。昨夜、余程子犬がじゃれ付いたらしい。
「くすぐったいってば」
 麻田が半ば悲鳴にも似た笑い声をあげた時だった。スマホのコールが鳴った。弥皇のスマホだった。

「ああ、これからだったのに。無視しようかな」
「どこから?」
「サイコロ課。僕がハッピーな日々送っているの知りながら、どうしてコール寄越すかな」
「相当なヤマだから」
「やっぱり?仕方ありませんね。はい、こちら弥皇」
 弥皇の顔色が変わった。メモを取ることまではしなかったが、麻田も弥皇の表情と顔色にすぐ気が付いた。何かあったに違いない。
「どうしたの?」
「清野が留置場から脱走しました。正確には取調べ中に脱走したそうです。誰か手引きをした者がいるのかどうかまでは判らない。麻田さんは危ないから此処にいてほしい」
「自家用ジェット呼ぶんでしょう。あたしも戻るわ」
「そんなもの、何遍でも呼べますよ。気にしないで」
 そんな会話の最中、麻田のスマホもコールが鳴る。
「はい、麻田」
「市毛だ。ゆっくりのところ申し訳ない。弥皇から聞いただろう。君にも一時的に応援を頼みたい」
「了解しました。弥皇くんと一緒に向かいます」
 弥皇は、その間自家用ジェットを呼ぶ手配を整えていたらしい。麻田の電話内容に気が付かなかったようだ。
「どこから?」
「市毛課長。清野の追跡手伝って欲しいって」
「ダメだ。麻田さんを囮にするようなものじゃないですか」
「あたしなら大丈夫よ。それより、気を付けて。女の怨念は怖いから」
「結婚しやがったから殺しちゃえーって?だから女性は苦手なんですよ」
「心理的には、女性が狙うのは女性なのよ。だから防弾チョッキなりの装備はする。貴方も装備して。お願いだから」
「わかりました。麻田さんが言うなら」
「必ずよ」

第2章  第4幕  結末

 二人は予定を早め、自家用小型ジェット機で羽田空港に戻った。
 防弾チョッキは、二人とも旧自宅マンションに置いたまま。
 そのままタクシーで各々旧自宅マンションに向かい、サイコロ課で落ち合うことにした。
「じゃあ、あたしはここで。準備忘れないでね」
「わかりました。麻田さんも気を付けて。麻田さんの方が狙われる立場かもしれないんですから」
「あたしなら大丈夫」
 麻田はマンション前でタクシーを降りると、部屋に駆け込んだ。大き目のスーツの中に防弾チョッキを着こんで、万が一に備える。そして自宅近くからタクシーを拾いサイコロ課に急行した。

「麻田、到着しました」
 バタンと勢いよくドアを開け課内に入る。メンバーの顔触れがだいぶ変わった。違う課に来たような錯覚を覚えた。と同時に、ある種の違和感も覚えた。1年近くサイコロ課にいたからこその違和感。何だろう、この違和感は。
「弥皇は?」
 市毛課長に聞かれ、途中で別れ此処で落ち合う予定だと話した。
「遅いな、もう着いても良い頃なのに」
 麻田は背筋にゾクリとした視線を感じたような錯覚に捉われた。先程の違和感とは別物。
「弥皇のマンションに急行します!」
「僕もいきます!」
 麻田と、漸く退院し業務に戻った和田が、車で旧弥皇のマンションに近づいた時だった。救急車のサイレンの音がパトカーのサイレンとシンクロしつつ、不調和音を奏でる。周囲に野次馬が増える中、和田に車を停車させ、500メートル以上麻田は全力疾走した。
 まさか、まさか。

 発進しようとする救急車を、一旦身体を張って停めた。当然、相手も怒っている。
「あなた、どなた?時間との闘いなんですよ!」
「警察の者です。後ろの人物って、弥皇さんですか?507号室の」
「そうです。背中周辺をナイフで刺され重傷です。ご家族探しているんですが」
「家族です。和田!弥皇発見、広背筋損傷で救急搬送。搬送先からコールする!」

 同様に車からマンションまで走ってきた和田に情報を伝え、サイコロ課に戻る様指示し、麻田は救急車に乗り込んだ。
 どうやら弥皇は、マンションの部屋に入ったところを背後から刺されたらしかった。背骨から腹部周辺にまで血が滲み、返り血とみられる血の跡が耳たぶまで飛んでいる。
 受け入れるはずだった救急病院には、別の急患が入ってしまった。受け入れ先が見つからず、救急車はなかなか発進できない。5分、10分。腹部に施された応急処置の部分が段々、血で赤く広がってきたように見える。何処か、何処かないのか。警察病院は無理なのか。
「彼も警察官ですが、警察病院で受けて貰えますか」
「もしかしたら。どうして最初に言って貰えなかったかな。何軒も電話して損したよ」
「すみません」
 普段なら平手打ちするような相手の言葉遣い。
 そうだ、最初に気が付かなかった自分が悪い。麻田は素直に反省した。警察病院は一般にも開放されているが、警察関係者は何時何処で事件に巻き込まれるか分からない。救急ベッドの準備くらい、しているかもしれない。
「空きありました。警察病院に向かいます」
 弥皇は、麻酔で眠っているようだ。さぞ、痛い思いをしたことだろう。犯人の目星は付いている。清野。以前、ストーカーまがいに付きまとって弥皇のマンションを知っていた。酔ったふりをして部屋に入ったこともある。脱走し、近くで待ち伏せ、凶行に及んだに違いない。
 許さない。あたしを狙うならまだしも、どうして弥皇くんに矛先を向けた。女性なら、好きな男に刃を向けるわけがない。向けるのは同性であるあたしのはず。
 何故。

 消防無線ではなく、スマホを使って課長にコールしようとした。消防無線を盗聴したと大騒ぎしたドラマがあった。自分は消防署の人間ではないから本当かどうかわからない。でも、本当なら盗聴はされたくない。
「邪魔になるからスマホは使わないで!」
消防署員に大声を出されてスマホを取り上げられた。代わりに消防無線を寄越された。サイコロ課に無線を繋ぐ。
「課長、警察病院に向かっています。向こうで現状及び処置詳細を聞き次第、おって連絡します」
 病院に着いた。直ぐに救急病棟に移され、手術室に移動した。傷の縫合と思われた。オペが始まり、廊下で一人、立ち尽くした。自分を責めた。何故一緒に行動しなかったのか、と。
 そう。どちらかを狙うにしても、二人一緒なら此処までの怪我にならなかったはず。
 ああ、ご両親に電話しなければ。
 ところが、弥皇の所持品として渡された、胸に入っていたと思われる弥皇のスマホに一族の電話番号は無い。これでは連絡のしようもない。万が一、と思うと涙が溢れて止まらなかった。
 
 手術室に、課長と和田が姿を見せた。
「一旦、お前は戻れ」
「いえ、オペ終了まで」
 その時、バタバタと中でざわつく音がした。
「心肺停止・ショック・輸血」
 手術室内や周辺で怒号が飛び交う中、廊下をバタバタと走り回る病院スタッフ。
 看護の助手と思われる看護師たちが麻田や課長、和田の前を行き交う。

 途端に、麻田がフラフラと立ちあがった。
「戻ります。始末しなくちゃ」
「麻田さん?大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫」

 麻田は、廊下の闇に消えた。
 そしてそのまま行方が知れなくなった。
 SP業務で携行している拳銃を所持していることも判明した。誰が連絡しても、コールもメールも繋がらなかった。

 そんな中、課長の下に届いた一行だけのメール。
「あの人がいなくなるなら、誰を犠牲にしてでも、あいつを地獄に落とす」
 サイコロ課のメンバーが目にしたのはそれだけだった。発信元はネットカフェ。今頃は場所を変えているだろう。麻田のことだ、監視カメラにも映りこまないよう変装するなり、さもなくば非常階段を使っただろう。
 居場所の特定も出来ない。

◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇

 麻田が姿を消してから、2ヵ月近くが経とうとしていた。麻田は、弥皇の死亡ニュースだけはチェックしていたのだろう。
 そのニュースが流れない限り、清野も捕まっていない、と考えていたようだ。実際、手術の際に状態の悪化した弥皇だったが、奇跡的に命は取りとめていた。ただ、傷が深くSISUを経てISU、一般病棟と移動するまでに2か月近くを要したのだった。

 たまたま弥皇が一般病棟に移った直後のこと。神崎が一人で弥皇の病室を訪ねた。
「怪我が良くなってよかったですね。位置からすると、大体身長が同じくらいか少し低いくらいの被疑者と見ているんですが」
「まったく覚えてないんだ」
「しゃがんだりしませんでした?」
「わからない」
「もし、しゃがんでいれば、それより身長が低くても可能性があります。思い出したら教えてください」
「ああ。わかった」
「それより聞きました?麻田さん、でしたか。2か月も行方不明だそうですよ」
 
 神崎の一言は、弥皇の傷口に塩を塗りつけるようなものだった。
 普段冷静な弥皇が我を失い相手構わず取り乱す場面が見受けられ、傷の状態は悪化したりと乱高下した。弥皇の依頼で、市毛課長が呼ばれた。
 課長は、麻田はどうやら清野を追っているらしいこと、総力を挙げて麻田と清野を探していること、片方でも見つければ、これ以上事態は深刻化しないことなどを弥皇に言い含めた。
「俺達が絶対に見つけるから、心配だろうが休め。お前の回復が一番のニュースだ」

 弥皇たちが心配する中、麻田はネットカフェやラブホテルなどを渡り歩き情報収集しながら自分も身なりを整えていた。
 自分が犯人ならどうするだろう。それを考えた。
 弥皇の事件はメディアを通じて「警察官傷害事件」と報道されたが、入院場所などは一切明らかにしていない。報道規制をかけているはずだ。インターネットの掲示板を見ても場所や弥皇の名を出している人間はいない。これなら、弥皇が今何処にいるか、誰も検討はつかないだろう。
 あの日、車で救急車を追わなかった限りは。
 犯人が清野なら車は使っていないはずだ。脱走時に車を準備しているか、他人の車を盗むような真似をしない限り、清野には弥皇の入院先が分らないだろう。
 大体、脱走を一人でやってのけたとは思えない。誰か手引きした人間がいるはずだ。
 それならば、何度か留置所で面会しているはず。その時にメモか何かでやりとりした可能性が高い。どちらが主導的立場だったか、それは判断できないが。
 ネットカフェの監視カメラ、コンビニの監視カメラを解析すれば清野が映りこんでいる可能性は高い。それにしても、範囲が広すぎる。範囲を絞らなければ。清野が所持しているのは多分ナイフ。拳銃までは準備できなかっただろう。どこかで人質を取られた場合、解放させる手立てが必要になる。ジリ貧になる様なら、脚を撃つ。人質に当たろうが本人に当たろうが構わない。怯んだ、その一瞬に清野の脳幹を狙う。いや、動けなくさえすればいい。あとは何発でも撃ち込める。

 麻田は考えた。
 清野も、弥皇事件は気になっているだろう。
 好きだ、あるいはモノにしたいという感情があれば、近くに行きたいと思うのが一般的な気持ち。サイコパスという部分をプラスしても、あいつは絶対にあたしが邪魔なはず。緑川のように金蔓にしようと弥皇を誘い出すならまだしも、清野は自ら身体を提供しようとした。好き嫌いに関わらず、金だけではなく、弥皇との肉体関係を狙っている証拠だろう。
 だとすれば、弥皇の病院を探す、でなければ弥皇のマンションに舞い戻る、そうでなければ、あたしの部屋。姉妹と偽れば、管理人さんにマスターキーを借りることが可能だ。
 現実的に、弥皇の病院は知らないはずだし警護が付いているから近づけない。弥皇のマンションは血だらけの部屋がそのまま残っているだけだから戻ったところで怪しまれるだけ。やはり、あたしのマンション界隈に潜んでいる。

 間違いない。

 麻田は、昼間1時頃に、珍しくジャージの上下を着てフードで頭を隠し、自分のマンションに戻った。監視カメラに顔を映さないようにオートロックの鍵を開ける。その後も、監視カメラにでかでかと写り込まないように歩き、自室に辿り着いた。部屋の取っ手を回して、引く。やはり、麻田の部屋は誰かが開けていた。銃を片手に、2LDKの部屋を片っ端から確認する。トイレ、バス、ひとつずつ部屋の中を見回す。
 最後に残ったのは、リビング。
 麻田は音がしないように摺足でリビングに近づくと、中に向けて銃を構えながら、右手でリビングドアの取っ手を回し、そのまま右足で勢いよくドアを蹴った。
 一瞬で中を見回す。
 そのとき、思わぬ声が聞こえた。
「おいおい、撃たないでくれよ。妻を残して死ぬのは嫌だからな」

 誰の声なのか、初めは判らなかった麻田。そんな麻田の視界に入ってきたのは、市毛課長だった。
「課長」
 市毛課長が一人で立っていたのを、漸く麻田は視認した。
「弥皇が心配しているぞ。やっと一般病棟に移ったんだ」
「ああ、良かった」
 麻田は狼狽しながら、力が尽きたように床に座り込んだ。
「お前、誰を犠牲にしても犯人に復讐するみたいなことメールで送って寄越したな。本気か?」
 課長の言葉に対し、課長の目ではなく、項垂れ、床を見ながら歯を食いしばる麻田。
「本気です。大事な人を不条理に奪われたら、黙っていられません」
「お前がサイコパスになってどうする。今回は身内でもあるし、捜査から外れろ」
「この界隈に潜んでいると思って一人捜査を進めていたのですが」
「所轄でも清野の逃走予想経路に基づき捜査を進めているようだ。それより病院へ行くぞ。逢いたいだろ、弥皇に。その前に連れて行きたいところもあるし」
 
 市毛課長に連れられ、麻田は警察病院へと向かった。
 すぐに弥皇のところに行くのかと思ったら、行き先はNICU・新生児集中治療室。低体重児、未熟児、先天性の病気を持った乳児などが集まっている。皆片手に乗るのでは、というくらい小さい。それでも懸命に息をしようと必死に見えた。
「見ろ。皆、生きたくて手足をバタバタさせている。命っていうのは、それだけ重いんだ。俺達が簡単に奪っていいようなものじゃないんだ。解ったか」
 15年前の思いがフラッシュバックした。この小さな命を、自分は奪った。堂々巡りの感情が渦巻く中、また一人の小さな患者が運ばれてきた。虫の息だった。
 麻田の眼に涙が溜まり、目の前が見えなくなった。溢れていく涙は一気に眼から頬を伝わり雫となりながら床に落ちた。と、麻田が姿勢を崩し床に倒れ込んだ。肩は震え、脂汗が滲む額。
「あ・・・い、痛い・・・痛い・・・」
「どうした?おい。麻田。何処が痛い?」

 目覚めた麻田は、個室のベッドで眠っていた。市毛課長の奥方がベッド脇に座って心配そうに麻田を見ていた。
「動き過ぎて、危なかったみたい。今日から絶対安静。2か月から3ケ月くらい。もっとかな?あとね、物騒なものは取り上げた、ですって」
「課長の奥様、ですよね。どうして私が絶対安静なんですか?もうお腹痛くないです」
「やだ。余程集中して動き回っていたのね。気付かなかった?切迫流産の危機だったのよ」
「流産?」
 麻田は妊娠の兆候に全く覚えがなかったうえに、一種異様なまでに神経を集中していたため、自分の身体の異変に気付かなかったと見える。生理がないことさえ忘れていた。
 課長の奥方曰く、自分は子宮を摘出したために子供が出来ない。麻田にとって出産は高齢出産というリスクを伴うものの、子供が産める機会があるのなら、是非産んでもらいたい、というのが市毛夫妻の考えだった。
 そのためには、今回の絶対安静を守ることから、子供を守る一歩が始まるという。歩かない、車椅子も最小限。弥皇に逢いたいだろうが、医師の許可を貰い、ある程度身体が落ち着くまでは毎日出歩くことは避ける。
「いい?折角授かった命なんだから、大事にして。ああ、このことは市毛と私しか知らないから。他には洩らさないでちょうだいね、ご実家もダメよ。ご実家と県警への連絡は、市毛の方で動くから」
「はい、了解しました。色々ありがとうございます。課長にもよろしくお伝えください」
 
 その時、麻田は気付かなかった。
 何故課長は、サイコロ課のメンバーに自分の入院を知らせなかったのか。切迫流産で入院したと言えば、捜す手間は省けるはずだ。例え後日何らかの沙汰があったとしても、メンバーたちが連帯責任を負うわけではない。

 麻田は、医師の了解を取り、弥皇の病棟と部屋番号を聞いた。
 お腹に力を入れないように気遣いながら車椅子を動かし、弥皇の部屋を目指す。今迄乗ったことも無いからわからなかったが、車椅子を動かそうと思うと、結構お腹に力が入る。なるべく力を分散させ車椅子を動かそうと工夫する麻田。
 いつも走ってばかりいる自分が車椅子など、もどかしい気持ちで一杯だったが、お腹の命、と言う言葉を思い返し、ゆっくりと進める。やがて、弥皇の部屋の前に着いた。警護の警官がいたので、弥皇の部屋は遠くからでも直ぐに分かった。
 それでも、ゆっくりと進む。警官たちの前に着いて、警察手帳を見せ了解を得る。ガラガラ、という音とともに、引き戸が揺れた。

 そこも個室だった。
 被害者だから当たり前といえば当たり前なのだが、個室は、寂しがり屋の弥皇にとってこの上なくつまらないことだろう。余程怪我も酷かったに違いない。最近やっと此処に移ったと聞いた。カーテンを引こうとしたが、お腹に力が入ってしまう。カーテンをそのままに、弥皇が背中を見せてベッドに横たわる姿を見た。

「弥皇。弥皇くん」

 眠っていたのか、返事がない。まさか。一瞬、最悪の事態が脳裏を過る。
 そんなことを考えていると、向こうを向いていた弥皇の声がした。
「麻田さん。どうして危ない真似したんです」
 
「ああ、良かった。生きてた」
 麻田は安堵の溜息を洩らす。
「死んでません。でも、怒ってます。単独で動くなんて危なすぎる」
「だから罰が当たったみたい」
 そっぽを向いていた弥皇が振り返った。
「あ、いてて。傷、痛ってえ。罰って何?どうしたんです?どうして車椅子?怪我したんですか?」
「あのね、赤ちゃんが出来たって。でも切迫流産の危険があるから絶対安静って」
 弥皇が声に出さず、涙だけ零れさせて泣きだした。起き上がれないが、お腹に触りたがる。麻田は、もう少ししてお互い車椅子で歩けるようになったら行き来しよう、と約束した。
 もう、絶対に自分を粗末にしないことも約束した。
 生まれくる命のために。

 サイコロ課では、清野の逃走経路及び潜伏範囲を狭めて行動に移りつつあった。麻田の予想した通り、最終的に麻田を狙ったものと思われる。麻田宅近辺を、変装しながら歩く姿が防犯カメラに写り込んでいた。市毛課長が言う。
「清野が弥皇の入院先を知れば、病院に向かう可能性も否めない。病室には動けない状態の弥皇がいる。情報は、断じて漏れてはいけない。一方の麻田は、依然として行方が知れない状況だ。麻田は弥皇の入院先を知っているが、そこには近づかないだろう。いずれ、誰かが弥皇の病院に近づけば、その人物が重要参考人になるからな」
 神崎が何処から持ち込んだのか、警棒をぶんぶんと振り回している。
「どうして麻田さんは近づかないとわかるんです?」
「一度行ってから姿を消したんだ。一番解り易い参考人聴取ができるだろ。ましてや、弥皇が転院したかもしれないじゃないか」
「転院したんですか?弥皇さん」
 神崎の問いに、課長は素っ気ない。
「俺も顔を出してないからわからん。ご家族に、くるな!って、物凄い剣幕で怒鳴られた」
 
 二日後。
 ミーティングルームに集められたメンバーたち。課長からの指示が飛んだ。
「麻田と連絡が取れた。今日の夕方、近くの公園でなら会う、ということだ。俺が行く」
「清野の逮捕は警視庁所轄に任せてある。我々は後方支援だ」
「今回特別に拳銃携行の許可を取った。万が一武器を使う際も、過剰防衛にならないよう充分に気を付けてくれ」

 課長の号令の下、夕方を待つサイコロ課メンバー。
 和田の中では違和感がもやもやと湧き上がる。
 麻田さんがそんな陰でこそこそするか?と。あの人は堂々と人前に出るタイプだ。何か違う空気が辺りを包んでいる。違和感バリバリの和田。
 夕方、麻田らしき私服の女性が現れた。でも、何か違う。髪の毛がサラサラしていない。ということは、やはり麻田ではない。もしかしたら、清野?
 和田が遠目に確認しようとした瞬間、信じられない光景がメンバーの目の前に広がった。
  
 一発の銃弾が女性の額に命中したのである。

 驚いた皆が近づき、生死を確かめようと顔を確認する。和田の想像どおり、撃たれたのは清野だった。驚くサイコロ課のメンバー、そして、所轄の人間たち。ナイフしか武器を持たない脱走犯人を狙撃する事が、果たして許されるのか。
 そして、誰の銃から発射された銃弾なのかも不明だった。麻田が真っ先に疑われた。線条痕が麻田の拳銃とよく似ていたのである。
 麻田犯人説が取り沙汰される中、市毛課長の証言により、清野殺害時刻、麻田は某病院に入院し絶対安静の診断を受け、見張りの警官も付いていたことが報告され、麻田のアリバイが成立した。
 麻田さんが入院し絶対安静、あの人にそんな傷を負わせられる人がいるのか、と和田は驚きを禁じ得ない。須藤も同様の考えだったようで、その話を真に受けているのは神崎だけだった。牧田は無関心といった風情で話に交じってこない。
 
 では、誰が犯人なのだろう。
 和田は密かに、自分が襲われた案件と、今回の弥皇案件には関わりがあるような気がしていた。清野射殺事件は、物証はあれど犯人像すら不透明なまま、表立っては捜査をしていたが、裏では幕を引く形となったのだった。

 麻田の妊娠は、市毛課長と奥方殿しか知らない。切迫流産も予断を許さないことから、一般病棟ではなくNICU近くの個室に移らせ、看護師たちの目があり、尚且つ女性警官が張りつける場所を選んだ。動けるようになってきた弥皇は麻田に会いたがったが、課長から一時的に止められていた。麻田が起きかねないという単純な理由を付けたが、別の理由があった。
 警察病院に弥皇が入院していることは周知の事実であるが、麻田の入院は伏せられていた。犯人に身重の麻田を襲わせないためにも、市毛課長は弥皇の動きも封じる必要に迫られていた。

◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇

 結末は、意外な場面であっさりと終わってしまうこと方が多い。
 劇的結末など、ドラマや小説の中だからこそ、面白く感じるのかもしれない。

 清野事件以降、事件らしい事件もなく、データ入力のみで毎日過ごしていたサイコロ課。ある日、市毛課長が朝早くから出勤していた。次々と出勤してくるメンバーたち。
 課長は、ある資料をひらひらとさせ、データ保存用のUSBメモリを取り出した。そして、声も出さずに課内を暗くして、データ内のファイルが壁に移る様にした。それは、紛れもない重要書類を某国あてに送ろうとした、スパイ容疑データの全容。そして次に出たのが、サイコロ課人に黙って取り付けた隠しカメラの様子。

 そこに写っていたのは、なんと牧田だった。

 牧田は瞬時に市毛課長に向けナイフを構えた。
 しかし、同時に素早く動いた須藤の拳銃が、牧田のこめかみを狙っていた。須藤は上層部からの意向を受け、市毛課長と共にスパイ容疑者確保の任に就くため、警視庁との兼務扱いで捜査権を持ち、銃の携行を許されていたのである。

「さて、あんたは何をするつもりなのかな」
「別に、何も」
 牧田は暴れることもなく、ナイフを取り上げられ、須藤によってその手に手錠を嵌められた。

 市毛課長は椅子に深く腰掛け、皆の方に背中を向けたまま話し出した。
「上層部から請け負った仕事があってな」
 それは、スパイ容疑とサイバーテロ容疑の被疑者特定。
 容疑が掛けられたのは、総務課牧田、サイバー室清野、科警研神崎。サイバーテロはサイバー室から清野が異動した途端終わったため、清野を被疑者と断定していた。清野は素行も悪く仕事をしないため、サイバー室でも扱いに苦労していたという。
 一方、スパイ容疑は時間が掛かった。牧田傷害事件、和田傷害事件、麻田狙撃公言、弥皇傷害事件。次々と傷害事件が起こる中、一番に苦労したのが動機づけとストーリー展開。

 神崎には、過去に個人的な嫌がらせ行為があったものの、今回のスパイ対価としてメリットが然程感じられなかった。それでも、弥皇傷害事件については男性の犯行という見方も強く、科警研での機器類操作や、多方面に亘る知識の豊富さも相俟って、一種の快楽犯という見方があった。

 牧田の場合、市毛に対する恨み、市毛の妻に対する嫉み、麻田に対する嫉み、和田に対する憎しみ、麻田を愛する弥皇への複雑な感情。加えて25年前の事件を公にした目的は、一義的には市毛の現状を不利にすることだった。
 加えて、牧田の夫の事件の場合、小山内殺人に係る殺人罪の懲役刑は15年前後。そう、もし殺人と断定されていれば、或いは牧田の夫が生きていれば、2010年に刑事訴訟法が改正される前に服役を終え、戻っていたはずだった。
 実際には無理心中にて故人となり、小山内の遺族も訴追を望む気配も無く今迄生きてきた。
 これが、不倫していた小野寺まで手にかけたとなれば、故人であっても民事訴訟法の訴追範囲となり、小野寺の遺族は損害賠償を求めたかもしれない。また、刑事訴訟法でも訴追は免れない事実になったであろう。2人殺して無期懲役、3人殺せば死刑という枠は取り払われつつあったのが実情だ。
 刑事訴訟法による訴追は覚悟しただろうが、牧田にとっての問題は民事訴訟法にあったと推察される。そして、次の麻田の事件を噂で終わらせない布石とするために、25年という節目をもって、自分を裏切った夫を晒し物にした。
 
 それが牧田の本心だった。

 麻田を愛する弥皇が金持ちだという噂も牧田にとって面白くない材料だったが、弥皇は応対において隙を見せない。子供と同年代の和田に不満を言われると、子供に責められているように感じ、余計喧嘩腰になった。以前からスパイの仕事に誘われており、自由になる金も欲しかった。
 サイコロ課以上の様々な内容が総務部のデータベースには保管されている。暗証番号や指紋認証、ログイン画面などは、どこの部署に移っても使えるよう、上層部の管理者のものを使っていた。翻訳は本職であるから、難しいことはない。暗号文を使用し内容を伏せ、相手にメールを送る。
 最初は報酬が金銭だった。が、途中で気が変わった。殺人を依頼してみた。相手はすんなりと受けてくれた、それなりに重要なデータさえ送れば。

「以上が今回の人事の内情であり、請け負った仕事だ。決着は着いた」

 牧田が叫ぶ。
「何よ、善人面して。あたしは貴方さえ葬れたらそれでよかったの。次々と課員を襲う計画は目くらましだもの」
 市毛課長は黙っていたが、手錠を握っていた須藤が凄む。
「お前さん、何処まで腐ってんだか」
「須藤、貴方に関係ないでしょう。それとも愛する麻田の危機に直面して焦ったの?」
「麻田を愛してんのは弥皇だろ。俺はもう、恋愛感情ねえぞ」
「ふん、舐めんじゃないわよ。判るんだから」

 その時、警視庁公安部外事二課から2名の警察官が牧田の身柄拘束のためサイコロ課に到着した。牧田は、もう叫ぶことなく、そのまま警視庁行きの車に乗った。

 サイコロ課内に、男性が4人。
 ポカーンとする和田。
「僕が子供と同じ年だから喧嘩してたってことですか?信じられない、クソババア」
「俺は犯人が神崎だと思ったんだが」
 課長の言葉を聞いた神崎が、肩を竦めて過去の行いを心から悔いていることを皆に明かした。元カノ夫妻が、現在元気に暮らしていれば自分としては満足だと言う。
 
 課長が神崎を上から下までチェックする。
 学生時代から大会で鳴らした射撃の腕前。ただの青年ではない筋肉の付き方。相当鍛えていると思ったという。ITにも詳しい知識を持ち、英語も達者、医学、薬学にも通じている。科警研にてその総てを持て余し、サイバーテロ犯と間違えられサイコロ課に来た。牧田のミスリードだったのかもしれないが、余計に被疑者として見てしまった読み違いはある、と。
「麻田が居なくなる分、体力派の須藤を呼んだんだが、お前もどうして。その分マル被としてみた部分もあった。申し訳ない」
 和田もちくりと針を刺す。
「最初に清野さんの片棒担いだでしょう?あれで一気にヒール扱いになったんですよ」
 神崎は一生懸命、己を擁護する。
「だって、麻田さんは各種大会の優勝者で猛者だしSPのチーフですよ?怖いイメージしかなかった。それに比べて清野さんは弥皇さんのこと好きそうだったじゃないですか」
 そして和田にカウンターパンチを喰らっている。
「真逆ですよ。清野さん、お金の亡者だったし。麻田さんのほうが全然真面。また来ないかな、麻田さん。無理か。弥皇さんいるし」

 最後に市毛課長がアドバイスする。
「お前のキャラは何となくわかってきた。神崎、お節介はやめておけ。トラブルになる」
「トラブルメーカー?そういえば科警研時代もよくトラブル起きてたなあ、周りで」

 市毛は、皆に知らせないまでも、事件の特殊性を考察していた。
 事件のあらまし、特に麻田の動きは誰も予想できなかった。
 牧田はおろか須藤でさえも。市毛が麻田の部屋にいたのは、麻田の読みどおり、清野が潜伏した場所の1軒だったからだ。
 そこには、清野の記したメモが残されていた。弥皇と麻田が写ったスナップの額縁の中に。牧田に逃がしてもらったこと、牧田がスパイ=イコール真犯人であること。
それでも、清野が残した証拠をどこまで信じるだろうか。1度失われた信用を取り戻すのは容易ではない。牧田は、そこまで考えて清野を泳がせていたに違いない。

 和田を非常階段から突き落とし、声を変成させて消防に連絡したのも牧田。清野の病院から和田が急ぎ帰るのを目にして自分も戻り、方位に神経を配らなかった和田を見つけた。非常階段の手すりを使い、テコの原理で下半身を浮かせれば下に落ちる。
 何故助けるような真似をしたかと言えば、牧田傷害事件と和田傷害事件でどちらも現場に居合わせ、尚且つ自分は犯人と違う位置に立てば、己のアリバイは完璧になる。誰も牧田を疑うことなく、総ての罪を清野に被せることが出来る。
 3階の非常電源が復活しなかったのも、殺人依頼の前振りとしてマフィアに資料を流したのだろう。
 清野が射殺された暁には暫くマフィアとの癒着を押し留め、時が満ちたら、また情報の横流しを始めるつもりだった。大体そんなところか。

 あとは、弥皇の事件。牧田は、パーティーの時間と弥皇が最速で戻れる時間を総合して、時間を割出し、マフィアを通じ闇ルートで入手した車の鍵を清野に差し入れ、メモに『取り調べ中に具合が悪いフリをして、警官が1人になった隙に逃げろ』と「清野脱走事件」を起こした。その後、事件性を装って弥皇のマンション管理人室に行き、家族のふりをして鍵を借り、弥皇の帰りを待ったのだろう。
 弥皇の傷が少し深すぎるという医師の話から、サイコロ課では和田や須藤と協議した結果、女性の犯行ではないという結論に至った。
 では、犯人は誰か。それこそが牧田狙いどころだった。神崎の過去を洗い出したところ、射撃や医学、薬学など次々と出てくる知識。
 これらは、科警研メンバーとしても有能ではあるが、闇のフィクサーとしても有能な証。神崎を犯人に仕立て上げれば、か弱い自分は除外される。清野の暗殺は、麻田が行おうがマフィアが行おうが問題はない。
 線条痕など、過去のデータを弄ればどうにでもなると過信していたようだ。だからこそ市毛が麻田の確保に全力を挙げたことまでは、牧田自身、知らなかったらしい。

 麻田のいうとおり、心理的に、女性の憎しみターゲットは、ほぼ100%女性である。麻田に対しては、武術的では全く敵わないという嫉みがあったのか、それはわからない。だから逆に弥皇を狙い、麻田から大切なものを奪おうとしたのかもしれない。
 女性は一般に非力と思われがちであるが、体重40kgほどの女性でも洗濯機を持ち上げたりするという。要は、どれだけターゲットに集中するかなのだろう。弥皇がしゃがんだときに行われた犯行だったが、その結果として、『犯人は男性』と思わせることに成功したのだから。

 そう、ネコ科の動物は、メスがハンターだ。

第2章  第5幕  F-4ファイル

 牧田が逮捕されたその夜。
 市毛は、犠牲になった清野だけが闇のターゲットだったのか、ずっと不思議に思っていた。25年前のあの時から、牧田は見た目も腹の中も全然変化が無い。タラレバの話を警察官がしてはいけないと思いながらも、考えずにはいられない。
 25年前、夫の不倫を知った時から、用意周到に練られた計画だったのではないかと。夫が無理心中すれば残された牧田の家族も非難されるが、ただの心中なら、不倫した女も非難される。
 自分の親友であり妻の兄、小山内がその女性とどういう関係にあったのかなど、本人たちしか知らない。事件の内情など、牧田にはどちらでも良かったのだ。総て牧田自身は蚊帳の外、という理屈で、可哀想な妻を演じながら今迄厚顔無恥に生きて来たのではないか。25年前の事件時子供を遠ざけたのも、夫や不倫相手を貶めることに成功した歓びが大きかったからかもしれない。
 それなら、どうして25年経った今になって全てを白日の下に晒そうとしたのか。
 牧田の心情は判り切っている。市毛をとことん追い落としたかったのだろう。
 サイコロ課に転入し、市毛を見た瞬間に新たな計画を思いついたに違いない。課員を次々に襲うことで、市毛の立場をじりじりと攻めていく計画だったのに、肝心の市毛妻の兄に関して、充分な検証を行っておらず、中途半端な怪文書となってしまった。
 市毛を追い込むつもりが、反対に犯人として浮上したなどとは夢にも思わなかった牧田。自信過剰の為せる技だったのだ。

 25年前、市毛の義父の指紋認証を使用してサーバーに侵入したとすれば、義父も事件を公にはしたくなかっただろう。義父が関わっていたかは知る由もないが、牧田は25年以上前からスパイ工作をしていた可能性は高い。通常は金が報酬で、場合によって殺人依頼。
 ちょうど夫が不倫騒動を起こした25年前と今回だ。そして、犯人でないというアリバイ作り。本人は緻密に計画を練ったのだろうが、もうスパイの容疑は掛けられていた。
 その傲りや不遜な心が油断を招き、今回、逮捕の切っ掛けとなった。

 何をどう整理しても、親友は戻らない。妻と自分、二人だけの時間しか思い出すことができない。あの事件が元で妻は子供を産めなくなったのだから。
 今はただ、亡くなった方々のご冥福をお祈りするばかりだ。

 やがて産まれてくる弥皇と麻田の子供に、夢を託そう。

◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇

 1年半が経った。
 弥皇たちの秘密の部屋、一族のマンションは最上階が改装され、2戸あった住戸が1戸になり、広々とした空間に変わっていた。
 ある朝のこと。
 其処には弥皇と双子の赤ちゃん、そして麻田の姿。超高速ハイハイで麻田の後を追いかける男の子2人を、弥皇がくい止めるのが日課だ。
「ふぎゃ!」
「ぴー!」
「ママお出かけなの。ごめんね」
 二人を抱きしめ頬にキスする麻田。スーツに着替え、化粧を5分で済ます。その頃、二人の赤ん坊はパパに捕まっている。その光景たるや、まるで猫か犬のような捕縛状況。
「完璧ですよ、麻田さん。こちらも大丈夫。いってらっしゃい」

 弥皇は、サイコロ課に席だけ残ったものの育児休暇を取得、机の上には麻田と赤ちゃんの写真だらけ。須藤、和田、神崎の独身軍団が辟易とした表情で会話していた。
「須藤さん。弥皇さんイクメンですって?いつまで休むんです?」
「3年だとさ」
「3年も?もう机無くなるでしょ、唯でさえサイコロ課なのに。怖い者なしだな」
「ほら、弥皇、小切手帳の君だから」
 神崎が訝る。
「何です?小切手帳の君って」
 須藤が面白がって笑う。
「お前知らなかったのか?清野が弥皇獲得に動き出した大元の事件。弥皇、東北で何億って小切手帳を白紙で渡したんだよ、ホシに」
「白紙の小切手帳?だから清野さん、あんなに執念燃やしたの?」
 和田も会話に混じってきた。
「そうですよ。で、あとは、ブラックカードの君」
「そうそう、ブラックカードで支払いして、プラチナカードもお持ちなんだとさ」
 神崎はヒューっと口笛を吹く。
「仕事舐めてるでしょ。流石の僕でも普通のカードしか持ってないのに。それにしても清野さん、冗談だとばかり思ってた。金目当ての女の手伝いしたのか、僕は」
 神崎の向かい側に座っていた須藤がチッチッっと右手一指し指をメトロノームのように振った。
「神崎。お前、騙されやすいタイプかもな」
「そういえば情報です。麻田さんがこちら警察庁方面に復帰するらしいですよ」
「げっ、嫁に働かせんのかよ」
 和田がフォーローに回る。
「まあまあ、須藤さん。かねてからの弥皇さんの口癖なんです。より役立つ人が働くべきだって。麻田さんT大だし。猛者だし」
「そういう弥皇はどこの大学出身なんだよ」
「僕の情報によれば、K大みたいですね」
「すげっ。有り得ねえ学歴夫婦。おい和田、あいつらなんでサイコロ課にいるんだか」
「不思議夫婦でしょ。でも、男の子2人がこれまた可愛いんだ。モデルできちゃうかも」
 男盛りの部屋の中に、何故か女性の声がする。
「ちょっと、誰が嫁ですって?夫婦とか嫁とか、弥皇くんの前じゃ禁句だからね」
 
 背後から聞こえる、太い声。皆、緊張したような顔つきになり、汗がこめかみ周辺に滲む。すーっと振り返ると、麻田がいた。
「ご無沙汰。今日、弥皇くんとオチビワンツーが来る予定なんだけど、まだ来てない?」
 須藤が組んでいた脚を組み直す。
「職場を待ち合わせ場所にすんなよ、お前。公私混同だろうが」
「スーちゃん、言いたいことはわかる。でもね、あたし忙しいのよ。異動内示あんの」
「あ、そういえば弥皇さんの代わりに誰か来るらしいですよ」
「今度は真面なのが欲しい」
「右に同じ」

 市毛課長が姿を見せる。
「課長、新しい人って、何処から来るんです?ちょっと楽しみ」
「あー。某県警からだな。麻田茉莉。今日から働いてもらう。弥皇の代替だ」
「うげっ。あ、貴女が麻田さんですか、僕、神崎といいます」
 神崎の名を耳にした瞬間、麻田の顔つきが鬼のように変わる。声は1オクターブ低くなり、ゆっくりと話す姿は、まさしく赤鬼の麻田。
「あら、貴方が噂の神崎くん?その節は世話になったわね。今度じっくりとお礼するから。楽しみに待っててちょうだいね」
「麻田さん、落ち着いて。彼、悪気ではないみたいだから」
 和田のフォローも耳に届いていないのか、麻田が首から腕に掛けてボキボキと鳴らしている。神崎は、顔が引き攣りはじめた。
「柔道やレスリングはできるわね、学校で習ったでしょうから。是非とも一度、お手合わせいただかないと、踏ん切りがつかなくてさあ」

 周囲に涙目でヘルプを求める神崎だったが、皆冷たい。麻田に思い入れのある須藤は特に手厳しい。
「神崎。諦めろ。清野に加担した段階で罪だったんだ。罰は受けにゃいかん」
「洗礼ってやつですか」
 麻田はもう、巨人と化して神崎を飲み込もうとしている。
「このクソガキが。反省しやがれ。あの写真騒ぎで大変だったんだから」
「すみません、情報収集が未熟すぎました」
「これ以上はお節介しないことよ。噂話も程々に」

 和田が神崎に言い含めるように、肩越しに話す。
「そうですよ、神崎さん。情報はね、小出しがいいんです、ね?麻田さん」
「そう。折角此処に来たんだから、何か1つ以上、エキスパートになってちょうだい。和田くんは情報収集、弥皇くんは心理、スーちゃんはオールラウンド、あたしは武術。神崎くんも何か自分しか出来ないことを見つけて」
 和田が俯いて呟く。
「もしかして、今日から僕がまた、入力役なんですね」
 神崎が和田の肩を叩いた。
「いや、僕がやってもいいよ。ただ見ているより打ち込んだ方が覚えるし、皆に声掛けすればいいんだろう?」
「いいんですか?神崎さん」
「こういう作業は、全然苦にしないから。心理で皆とディベート出来るわけでもないしね」
「難しい事例も増えているけど、サイコパスの基本は同じ。亜種が多いだけなのよ」
 麻田の言葉を引き取って須藤が後押しする。
「解り易い事件と、そうでない事件もあるしな」
「聞いていれば、おいおい解るようになるから、安心してちょうだい」
 課長の号令がかかる。
「そろそろ始めるぞ」
「はいっ」

 データベースへの打ち込みを続ける神崎。少しずつ、サイコパスとサイコパス以外の精神的な症例に違いがあることに気が付いたらしい。
 ある日、打ち込みを続けながら、定期的に親兄弟が死亡していくという事例を見つけた。
 神崎の頭に、何かが響く。
「課長。F-4ファイルの事例なんですが」
「おい、みんな開いてくれ。F-4ファイルだ」
「えーと、この内容によると親兄弟や叔父叔母など9名のうち、数名ずつ、計7名亡くなっています。勿論、死亡原因は違いますが」
 麻田も反応した。
「神崎くん。最初に亡くなったのは誰?で、今の生存者は?」
「20年前は父親事故死。10年前に叔父叔母、母が自死。今年の2月、兄姉が全員焼死」
 データベースを探していく神崎。須藤も一緒に探してくれる。
「おう、あった。最初は親父だ。後部を鈍器にぶつかるような格好だ。外部侵入の形跡はなし。当時、子供はまだ小学6年生から小学1年生。現在の生存者は、26歳の末っ子2人、男性の双子」
 父親が亡くなったのは20年ほど前。
 当時高額の生命保険に加入しており、保険金狙いの殺人事件とも目されたが、父親は普段から夜、酒に酔うと家族に見境なく暴力を振るっていたらしく、常に泥酔状態だったという。
 暴力的背景の証拠に、参考人聴取を受けた家族8名全員が何らかの傷をその身体に認めている。小学1年生の子供までが。
父親を殺害したのは、家族全員の総意だった可能性もある。家族全員のアリバイも鉄壁であり、結局事故で処理したようだ。とはいえ、100%、事故にも思えない。
 生存する家族の現在を追う。男性の双子で、同居。二人とも働き慎ましく生活していた。

 和田と麻田で生存者である2人に会いに出かけた。大人しそうな青年たちだった。
 双子の兄弟に会ってみると、二人の手首に凄まじいリストカットの痕を見つけた。
 和田が、申し訳なさそうに頭を下げながら尋ねる。
「失礼ですが、このキズ、誰かに傷つけられたものでしょうか」
「いいえ、お恥ずかしい。いつごろからかな、中学の辺りだったかな。生活が荒れていて。二人ともリスカすることで、日頃の鬱憤を晴らして紛らわしていたんです」
「中学でリストカットですか、辛かったでしょう。親御さんはその時?」
「無視されていましたから、気が付かなかったと思います」
「食事とかは?」
「何も与えられなかったので夜中に冷蔵庫を漁りました。残飯ですよ」
「食べ盛りの身体にはきつかったですね」
「それより、冷蔵庫を漁ると叔父叔母が気付いて、だいぶ折檻されました」
「お兄さんやお姉さんは、何と?」
「笑って見ていました。兄たちからも叩かれたり蹴られたり。一度叩き返したら、首を絞められて。その後はナイフを喉元や腹に突き立てられたり、ライターの火を当てられて、火傷もしたかな」
「大変な思いをされたのですね。言葉が見つかりません」
 双子はそこで、大き目な拍手を1回だけ相手の顔の前で行うと、お互いの顔を見合わせて楽しそうに笑い、二人で高らかに叫んだ。
「でもね、今は2人だもん。すごく幸せ!」
「そうだよね!今が一番幸せ!」
 麻田と和田は、最後の2人の言葉に、異様な違和感を抱いた。

 サイコロ課に戻り、双子の様子と今迄に至る経緯を説明した。
 生まれてから程なく起きた、父親からの暴力。
 その父親が亡くなり、待っていたのは母親のネグレクト。それも、養育放棄と無視という惨い仕打ち。食べる物すら与えられず、リストカットし冷蔵庫を夜中に漁る日々。それでも叔父叔母に折檻されるという過酷な生活。大人から守ってくれなかった兄や姉たち。そればかりか、暴力、犯罪紛いの苛めを助長した。
 麻田が報告する。
「大人しい男性2人でした。生活では相当苦労したようですね。私の見立てですが、あの2人、どちらも解離性同一性障害かもしれません。確たる証拠はありませんが」
「僕も、最後の言葉に違和感ありました。麻田さんの考えに賛成です」

 課長が聞く。
「男性2人は、なんていったんだ?」
 麻田が答える。
「『でもね、今は2人だもん。すごく幸せ!』『そうだよね!今が一番幸せ!』です」
「なるほど」
「大人しい26歳の男性にしては、少し人格的に幼い発言かなと」
「そうか。心のバーストがいつだったかはわからないが、コントロール不能になって別人格を形成した、ということか」
 須藤が殺人の可能性も指摘する。
「たまに狂暴な別人格が2人一緒に出てきて、叔父叔母を絞殺し、母親にナイフを突き立てた。3人がいなくなり、兄姉に邪魔にされた時、また別人格が出て家の中で火を放った。その火は、ライターで火傷した、その怖さが引き金になっていたのかもしれないな」
 神崎は話を聞きながら自分の中で纏めるように話し出す。いくらか想像も入っていたが。
「要するに、計画的な殺人ではないけれど、一家皆殺しってことですよね?すみません、ちょっと時間貰っていいですか。今回の情報集めて整理したいので。3日ください」

 ちょうど3日後。
 神崎が自分のタブレットに入った情報を、読み上げると言い出した。
「あくまでこれは情報であり、事実かどうかわかりません。万が一事実だったとしても僕にはデータベースに入力する気になれない。弥皇さんが以前、心理は残酷だと言いました。本当に心理は残酷だと思います。では、読み上げます」

 20数年前に保険金目当てで夫を殺した母と、母の弟夫婦。叔父叔母である。子供たちも全員暴力に悩んでいたことから、これは家族全員の総意であり、アリバイも確実に封じた。

 一方、その後は、長男長女二男の子供3人こそ可愛がったが、何故か双子を疎んじた。母の故郷で、昔双子が忌み嫌われたからかもしれない。
 叔父叔母と母の発言内容は、すべて母の故郷にいる友人や親戚筋からの情報。
 母親のネグレクトで養育放棄され、無視され、食べ物され与えられなかった。リストカットし、痛みによって自分の存在を認識する毎日。中学生という食べ盛りに食事を与えられず、冷蔵庫を夜中に漁る日々。母の弟夫婦だったからか、叔父叔母にその度折檻されるという極度の緊張と疲労。兄や姉たちまでが犯罪紛いの暴力に走り、苛めが続いた。
 兄や姉たち3人は全日制の私立高校に入学した。双子は、高校に行くことを許されず、勿論お金も1銭たりとも出してもらえなかった。成績の良かった双子を案じ、中学校の先生が奨学金で全日制の高校に通うことを提案してくれたが母は許さなかった。家に帰ると、叔父叔母共に半殺しの目に遭うほど折檻された。当時の学校担任がその傷を覚えていた。
 中学卒業の春から、双子は働きながら夜間高校に通い出した。
 その頃からである。大人しかった双子に変化が現れた。
 最初は面白おかしく生きる人格が出た。
 そして、次に母親のように優しく庇ってくれる人格も出た。
 年齢の割に大人びたことを言う人格や、子供っぽいことを喜ぶ性格も出た。
 そのうち、狂暴性のある男性人格が現れるようになった。
 別人格は、少なくとも5つにわたったと考えられる。

 働き出して3ケ月。双子は、母親が叔父叔母の生命保険金を増額したことを耳にした。何も考えることなど無かった。生きるのに精一杯だった。そんなときだった。夜中に冷蔵庫で残飯を漁っていると、ナイフを持った叔父叔母が来た。中学を出て働き出したばかりの双子に、金の無心に来たのである。
 一瞬間、双子の中で二人同時に狂暴性のある男性人格が現れた。 
 2人は勤め先で使っていたロープで叔父叔母の首を絞め、軒先に吊るした。自殺に見えたらしい。次の日起きて双子は驚いた。疑いの目は、当然母に向いたが、母にはアリバイがあった。双子は自分たちに罪を擦り付けられると思ったが、母は黙っていた。何か考えがあったと見える。良い考えでなかったのは確かだが。
 母は保険金を受け取ると、兄姉たちに小遣いを与えたが、双子は無視された。
 その晩、母の寝室に狂暴性のある男性人格と大人びた人格となった双子が現れる。
 母はナイフをその手に握らされ、そのまま双子によって壁に押し込まれた。一見、自殺に見えるように。ナイフは母自身が握っていたのだから。
 事情聴取でも、大人しい二人は、容疑者リストの下位に置かれた。兄たちの方が余程狂暴だったからだ。

 父母や叔父叔母の財産を相続した兄姉たちは、自分たちに身寄りが無くなったことを知った。そして、相談を始める。兄や姉たちの職場周辺から、相続に関わる相談があったとされる。双子を始末すれば、双子が受け取った財産すらも、兄姉で分けることができると考え協議したのか。或いは双子が聞きつけたのかもしれない。
ある冬の日、兄姉に怒られ薄着のまま庭に放り出された双子。周辺の住民が目撃している。怒られる前、やはり兄姉は双子の殺害計画を話していたと思われる。
 聞いていた双子に狂暴性のある男性人格が現れた。
 台所に行きフライパン鍋に油を入れ、火をつけた。自宅は寒いため、台所と茶の間は、ドアで仕切られていた。
 30分、1時間くらいしてからだろうか、家の中から火が上がった。
 もう、大人になった兄姉だ、通常なら逃げられないわけがない。
 ところが、兄と姉は、いつも双子を外に出すと、家の至る場所に鍵を掛けた上に、外から開けられないようアルミ製の雨どいを中に取り付け、玄関すらも動かないようにアルミ板を張っていた。ガラスを壊しても無駄だった。中に入ろうにも時間がかかる。
 絶対に双子が中に入れないようにした仕掛けが、自分たちの首を絞めた。
 家は全焼し、兄姉たちは焼死した。
 双子は、元の人格に戻っており、兄と姉を泣きながら呼ぶ双子の声が響いた。
 その後、財産は双子のものとなった。別人格が出ることは殆どなくなった。
 極稀に、理不尽に苛められたときくらいだろうか。目つきが変わり、言葉が変わるのは。誰も双子が解離性同一性障害と気付かず、現在に至る。


 神崎がやるせない、といった面持ちでタブレットを仕舞う。
「彼らを犯罪者とみるのかどうか、僕には自信がない。此処まで壮絶な人生で別人格を作らないと生きていけないほど切羽詰まっていた。誰が彼等を責められるっていうんです?」

「この事件は、全て確たる証拠がないから被疑者として捕えても刑法第39条における責任無能力が証明できるか否か、だ。出火時の状況を考えると、双子は外で震えていたという多くの目撃証言がある。親の自死事件は既に自死と断定され、常々周囲から双子への同情は多かったらしい。事実が何であったにせよ、せめて、こういう事例が減るような世の中にしないといけないだろうな」

 課長の言葉に、麻田、須藤、和田も同意見だった。皆、深く頷いた。

終章

 神崎が珍しく凹んでいるように見える。
 麻田がその顔にデコピンを食らわせ、大きな声で叫ぶ。
「今日、課長ご夫妻がオチビワンツーの面倒見てくれるの!ですから!弥皇も誘ってブラックカードで飲むぞ!ちなみに、ワンは聖(さとし)、ツーは理(さとる)よっ」
「ただでさえナーバスなのに。って、子供自慢かよ。今日お礼参りするってか」
「こういう凹んだ日はパーッと楽しまないと。安心して、ブラックカードの店でお礼参り無理だから。あとでね。でも、絶対に忘れないわよ。充分鍛えておきなさい」
 神崎は麻田の男勝りな性格についていけない。
「ねえ和田くん。麻田さん、思ってた以上に男前すぎるし。弥皇さんがオネエに見えるわ」
「オネエ?ああ、弥皇さんホストクラブとか似合うかも。ねえ、麻田さん」
「誰がホストだって?ああ、弥皇くんね。神崎、あんたも似合うわよ。潜入捜査にはもってこいの相棒になること確実。ね、スーちゃん」
「で、ブラックカード目当てのおばさまが通って、それ以上にお金を落していくのか」
 麻田が高らかに笑い出す。
「それよか、ワンツーにモデルのスカウト話がくるのっ!あたしに似たのね。ベストチョイスだわっ!」
「おい。麻田。弥皇にいったら泣かれるぞ。でも、あいつのことだからステージパパやりそうで、怖い」
「須藤さん、何気に怖いこと言ってますね。麻田さん!知らなかったとはいえ、ホントにすみませんでした!さ、もう謝った」
「あーあ。始まったよ、自分の言いたいことだけ大声で話す、昔っからの、あの習慣」
 和田が皆を指差し、懐かしげな顔をして呆れたように笑う。
 神崎が皆を前に、ホスト役と思しき手付きで華麗な振る舞いを魅せる。
「では次は僕、神崎が皆さまを禁断のスペースにご招待いたします、ブラックカードは流石に無理ですが」
「神崎。貴方やっぱりホスト役できそう。あたしと弥皇くん、ワイン派。ある?」
「どのような種類でも。お任せください。ただし、盗品は扱っておりません。ご承知おきのほど」
「貴方も相当不思議な男ね、情報通だし。運動系、科学的知識、ここじゃ役不足だわねえ」
「僕に聞かないでください」
「そういや貴方、写真の撮り方、すごく上手かった。流石のあたしも半分信じた」
「そりゃあ、昔取った杵柄ってやつですよ。全裸から死体から、多数目にしましたから」
「なるほど。そういう部分もこれから役立っていきそうじゃない」

 麻田は、弥皇とは違った意味でホスト向きの神崎が気に入ったようだ。
 弥皇たちの全裸写真撮影の罪はあれど、失神の刑が実行されるのか、減刑されるのか。麻田の性格上無罪は有り得ないが、清野がスパイの罪をきせられ現世を去った今、神崎に矛先を向けたところで何が変わるわけでもない。
 麻田のこういう、さっぱりとした部分が、男性同僚から対等に扱ってもらえる所以だ。

 弥皇が来た。柄にもなく、ぼそぼそと独り言を呟いている。
「日本版FBI、或いはCIA、KGBまでいくと破壊的かな」
「何をぼそぼそ呟いてる、弥皇」
「何でもないです。課長、奥様にお願いしてきました。オチビをよろしくお願いします」
 課長が見たことの無いような笑顔で答える。
「おう、みんなで楽しんで来い。俺はやっと幸せを掴んだ、孫みたいでなあ」
「ベビーシッターさんもいるし大丈夫です。オチビも、課長や奥様のお顔をみるとご機嫌なんです」
「夢だった。子供と遊ぶのが。俺も妻も、いつも楽しみでな」
 和田が明るくいってのける。いや、あからさまというべきか。
「多分、双子ちゃんは本物の両親いなくても全然OKですよ。1週間いなかったら、生みの親のこと、他人だと思うかも」
 麻田が、さっと顔色を変える。どうせ子供の世話をベビーシッターさんとか、弥皇さんに押し付けているに違いない。みな、共通意見だったようで、麻田と目を合わせないように、そっぽを向く。
「今、何か聞こえたような気がするの。誰?」
 弥皇が笑って手を挙げる。
「ワンツーは貴女に似て、豪快な性格だと言ったんですよ。本当のことでしょう?」
「そうね、豪快過ぎて、たまに末恐ろしいときがあるわ」
「あとは僕の腹黒さも備わっているんですよ。麻田さんのお腹の中、筋肉しかないから」
「弥皇くん。筋肉は余計。女はね、強かさを身に付けないと。この世で生きていけないの」
「ああ、だから天使の呟きも封印しましたか」

 先程以上に顔色を変えた麻田が、弥皇の口を閉じようと焦ったように室内をパンプスのまま走り追いかける。笑いながら机の間を逃げ回る弥皇。暴露されては一貫の終わりと、捕縛に必死な麻田。
 逃げる弥皇を尻目に、須藤、神崎、和田が麻田を取り囲む。まるで麻田の退路を塞ぐかのように。
「おい、麻田。天使の呟きって何だ。若い頃に何かやらかしたか。聞いたことねえぞ」
「去年もそんな話、聞いてないし。僕の情報網にも引っ掛かってないですよ」
「僕がこれから調べるとしましょう。麻田さん、もし僕、神崎が情報入手したら無罪放免ということで如何です?取引の対価としては、充分かと」
「か、神崎。あなたも腹黒いわね。いいわ、もし情報掴んだら無罪釈放してあげる。その代り、誰にも話しちゃ駄目よ。冥途の土産に持って行くのが条件」
 麻田は手を震わせながら、ちょっと顔を赤らめて神崎の申し出を受けた。和田も調べたいと申し出たが、対価が無いと麻田から拳骨を食らった。

 課長が皆に挨拶する。
「じゃ、御先に。みんな、気を付けろ、飲み過ぎるな。今日は酔って暴れるなよ」
「はい!サイコロ課、出動!」

 その頃、くすくすと笑ってその様子を監視カメラから見る人物数名。
 別の場所では、これまた微笑みながら何度もぬいぐるみの胸をナイフで刺す人間がいた。

 片方は警察庁の上層部だろう。
 もう片方は・・・。

◇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・◇

 弥皇がイクメンと化し、麻田がサイコロ課に舞い戻ってから1ケ月が経った。
 サイコロ課の面々は、今日も過去の事件に関するデータを神崎が読み上げ、和田が犯人に関するプロファイルの先陣を切る。
 そこに参戦するのは麻田。
 激しいプロファイルの応酬が巻き起こり、麻田が和田に拳骨をかましそうになるのもしょっちゅう。
 須藤が麻田の暴挙を押さえる役目を担う日々が続く。
 神崎は、和田に比べて要領が良い。
 データを読み上げながらも自分なりのプロファイル感覚を養い、麻田と和田が見逃したような側面から犯人の特殊性を引き出したりする。
 これも、科警研出身ならではの技か。
 神崎の敏腕能力はこればかりではない。逆に和田は鋭い一言や切迫した時間内のプロファイルをせっつかれ、しどろもどろになるシーンもあるくらいだ。その数何度に渡ることか。
 シャーロキアンの会合にも顔を出さず、自室で一人今迄の事件をひっくり返しては自分の考えを簡潔かつインパクトに溢れたフレーズを用いて周囲にアプローチする方法を模索する和田であった。

 神崎はサイバーテロの犯人と目された人物の一人。
 科警研ではそれなりの働きをしていたものの、ただ一点、汚点を残したことによりサイコロ課へと吹き飛ばされた。
 サイバーテロの犯人が見つかったことにより、神崎を元の部署に戻す動きはあったらしい。
 しかし神崎はサイコロ課に残る道を選んだ。
 科警研との結びつきはそのままに、サイコパスは何たるかを紐解きプロファイルに役立てようとしているようだ。

 これからサイコロ課はどちらへ舵を切るのか。
 それはサイコロ課の人間にしか分り得ないことだ。

サイコパスの純情  ~サイコロ課、再び~

サイコパスの純情  ~サイコロ課、再び~

あのサイコロ課が戻ってきた!今度の事件とは。

  • 小説
  • 長編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-01-30

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 序章
  2. 第1章  第1幕  配置転換
  3. 第1章  第2幕  H-15ファイル
  4. 第1章  第3幕  D-7ファイル
  5. 第1章  第4幕  悪運
  6. 第1章  第5幕  秘密
  7. 第1章  第6幕  怪文書
  8. 第1章  第7幕  復活
  9. 第2章  第1幕  キツネ狩り
  10. 第2章  第2幕  罠
  11. 第2章  第3幕  幸せな時間
  12. 第2章  第4幕  結末
  13. 第2章  第5幕  F-4ファイル
  14. 終章