「マチルダ」
「マチルダ」
マチルダ、それはある人には天使、ある人には悪魔、漆黒の薔薇といわれた女の名前である。なぜあんな女の相手をするのか皆に不思議がられた。格好は奇天烈で、愛想は悪く、客の好みは無節操。赤い髪を結いあげて、目が悪いのか顔をしかめて客を見る。だけどその客はマチルダの顔を見て驚くだろう。彫刻かと見まがうような美しさ。その顔を微笑ませたいと思った男が今宵も足を運んでくる。
レオもその一人だった、この店でマチルダと出会って三ヶ月、気がつけば週に三度は訪れる常連になっていた。彼はマチルダの赤い髪が大好きだった。さらさらと流れる赤い髪。その髪を一度でいいから触りたいと思い続けて三ヶ月が過ぎた。彼女はいつもふてくされて店の隅に一人でいる。彼は店に入ると部屋の隅を探すのが恒例になっていた。「マチルダ、今日も綺麗だね」そういって声をかける。マチルダはニコリともしないで煙草の煙を吹きかける。「何か御用?」そういうと店の隅っこで丸まっている猫を呼んだ。「マチルダ、今日の予定はどう?」「残念ながら五ヶ月先まで予約でいっぱいよ」これ以上ないほど暇そうなのにマチルダはうそぶく。「じゃあ予約のお客が来るまで一緒にディナーでもどうだい?」レオは知っている、マチルダはかなりのグルメなのだ。一流のレストランでの食事に彼女がノオというはずがないことを。「そう・・少しなら時間が取れるわ」気高いシャム猫のような女王様をうやうやしくエスコートする。店に多めのチップを払うことも忘れない。一晩共にしてもお釣りが来る金を払って、マチルダを連れ出した。今日はフランスの料理でも食べようか。その前にドレスができているはずだ。マチルダがあまりに奇天烈な格好をしているものだから、時々レストランで入店を断られる。そんな時に備えて一ヶ月ほど前にドレスをあつらえたのだ。「マチルダ、先にドレスを見に行こう」御者に命じて行き先を変える。パリからやって来た最新流行のドレスの店だ。一ヶ月前彼女は白と黒のストライプが華やかなフリルの付いた豪華な一着を注文した。完成したそれを彼女はたっぷり眺めた後「裁ちばさみを貸して」というと装飾を次々と切り離してしまった。お針子が一ヶ月かけて縫い止めた装飾を取り外してしまうと、「これでいいわ」と満足そうに頷いた。出来上がったドレスは体のラインが浮かび上がり、裾に残ったフリルがアクセントになったシンプルなものだった。マチルダは装飾がないものを好んだ。出来上がったドレスを着ると、不思議と彼女に似合った。「(レストランに入れるといいんだが)」内心レオは不安だった。
レオはマチルダが食事している姿も好きだった。肉でも野菜でもモリモリ食べて心の底から幸せそうに微笑むのだ。淑女の食事は小鳥が食べたような少食が美しいとされているが、こうやって食べている姿も悪く無いと思うのだった。彼女は食後にダージリンのストレートを飲むと決めているらしく紅茶にうるさい。このレストランの紅茶は合格だったようだ。「今日は脚が疲れたわ」そういわれて彼は嬉しくなった。これは脚なら触ってもいいという彼女の合図なのだ。満足気な彼女を連れてレオは予約していたホテルに向かう。バスルームにお湯を張って姫君の足を丁寧に洗う。十分温まった頃タオルで拭いて抱きかかえてベッドまで運ぶと時間をかけて脚をマッサージした。手でゆっくり揉み上げると、足の親指を口に含んだ。親指から小指まで指の隙間を丁寧に舐める。ベッドの枕元のライトは点いている。ライトに照らされたマチルダはさっきまでの澄ました表情は消えて、いくぶん目が潤みはじめている。それを確認しながら丁寧に足をねぶる。「綺麗な足だ」それは本心の言葉だった。足首がうっすらと赤い。気づかれないように光を当てて観察するとそれは縄の痕のように見えた。「(またか・・)」静かにため息をついた。マチルダはどんな時も手袋をはずさない。また胸から下、太ももから上を見せない。店の他の女がいうには、マチルダの客にはそういうプレイが好きな客が多いのだという。縄で手首や足首を縛り、猿ぐつわや目隠しをして、革のベルトで鞭打つような客が多いのだという。その痕が彼女の体には多く残っているのだと。「マチルダは変態よ」そう囁かれたこともある。けれど脚を愛撫しているときの彼女の表情はけして不満気ではない。それどころかレオが寝入った後にこっそりと自分を慰めている様子すらある。俺はマチルダの脚を堪能した後、今日こそはと彼女のスカートの奥に手を伸ばした。下着を触ると湿った感触がある。「いや!」脚を跳ね上げてマチルダが抵抗した。俺は慌てて手を引っ込めた。「駄目かい?」俺は至極残念だった。「向こうに行ってちょうだい」クイーンサイズのベッドを独り占めしてマチルダはいった。「マチルダ、変な客とは手を切ったほうがいいぞ」窓際のソファに身を横たえながら俺は忠告した。マチルダは何もいわなかった。
次の日マチルダはいつになくそわそわしていた。「何かあったのかい?」と俺が問うとマチルダはすぐに取り澄ました表情になった。「貴方には関係ないわ」そういうとくるりと身を翻して店の奥に向かってしまった。その時にふわりとなびいた髪がひどく美しかった。俺はその髪に引き寄せられるようにマチルダの後を追った。店の奥でマチルダは他の男と話をしていた。ブラウンの髪の男。粗野で下品な風体の男でいかにもたちが悪そうだった。その男はマチルダの腰に手を回し、尻を撫で回していた、気位の高いマチルダが着やすくそんなことをさせるとは思えなかった。男は俺の視線に気づくと見せびらかすように彼女を抱き寄せ長い接吻をした。俺は辛くなって店の奥から出た。その翌日俺はマチルダにあれは誰なのか問うた、「兄よ」とこともなげに彼女はいった。「愛し合っているの。悪い?」俺は絶句した。「縄を使ったりするのも彼かい?」俺は彼女に囁きかけた。「そんなことどうでもいいでしょう?」俺はマチルダの手を取ろうとした。彼女は身をかわした。人を避けるようにするすると窓際に移動した彼女の後を俺は追った。
彼女の行き先を邪魔するように壁に手を着くと、彼女はやっと振り返った。「俺を見てマチルダ」彼女はちらりと俺を見たがすぐに肩越しに視線を外した。「こっちを見るんだ」彼女の形の良い顎をつまんで上向かせる。グリーンとブルーが混ざった不思議な色合いの瞳が間近にあった。俺はつばを飲み込んだ。マチルダがこんなに戸惑った表情をするのは見たことがない。「やだ・・」彼女は蚊の鳴くような声でいった。動いた口から真珠のような歯が見えた。俺はその唇に口づけた。軽く口づけただけなのにマチルダは力が抜けたようにぐったりした。俺は彼女を支えながらその髪をはじめて撫でた。俺は髪にも口づけた。「お前の美しい髪が好きだ」そういって何度もキスをして匂いを嗅いだ。俺はマチルダを連れて二階の部屋に移動した。マチルダは驚くほど従順に付いてきた。部屋のベッドに座らせると時間をかけてキスをした。唇が弱いのか頬がだんだん赤くなってきた。耳たぶや首筋にもキスをすると、彼女をベッドに寝かせた。コルセットを解きドレスを脱がす。ドレスに隠されていた肌にはゾッとするような傷が付いていた。赤いミミズ腫れになった傷は鞭によるものだと思った。「マチルダ・・」俺はマチルダの髪を撫でた。
「誰がこんなことを?」俺は尋ねたがマチルダは答えなかった。「さっき兄さんと愛し合っているといっていたが」「君の兄さんはどんな人なんだ?」と尋ねると彼女は答えた「兄とは血がつながっていない」「私は父の連れ子で兄は母の連れ子、他にも弟と妹の二人が居る」「父は再婚してしばらくして死んで」「家族の中で私だけいじめられた」レオはマチルダを抱きしめた。「でも兄と寝たらご飯が食べられた」「だから兄が望むままに私は・・」「兄はこんな私でも愛してくれる」「私は兄を愛している」そこで彼女は言葉を切った。「マチルダ、君はもっと幸せになるべきだよ」そういうと優しくキスをした。だけど、どうしてもマチルダの痛々しい体を抱くことができなかった。今思えば、あの時無理をしてでも彼女を抱くべきだった。まともな男女の愛し合い方を彼女に教えるべきだったのだ。彼女を抱かなかったことで、彼女は兄の言うとおり、自分は誰にも愛されないと誤解してしまった。彼女が店の金を持って失踪したのはその直後だった。
マチルダが行きそうな場所を、俺は虱潰しに当たった。まさかと思ったが高級レストランにも足を運んだ。店員にマチルダの風貌をいってそんな客が来なかったか尋ねたが、誰も知らないと答えた。俺はある店の裏口で途方に暮れていた。もうマチルダはロンドンに居ないのかもしれない。空を見上げてため息をついていると、レストランの裏口から調理人の見習いらしき若い男が出て来た、短く切りそろえられた赤毛。だぼだぼでちっとも似合っていない厨房着、俺は何の気なしにその男の顔を見た。見間違いかと思った。その横顔はマチルダにそっくりだった。俺は思わず声をかけた、男はきょとんとした顔でこちらを見た。赤毛が美しいその男は名前をクリスといった。俺は何度となくその店に通い、クリスと言葉をかわした。クリスはロンドンの郊外の出身で兄弟と妹が三人いる。「母が再婚してその再婚相手が連れていた姉が一人居るんだ」「だけど姉は乱暴者でしばらくして家を飛び出してしまった」俺はクリスに俺の屋敷の厨房で働かないか切り出した。クリスは時間をくれといって考えていたが、いい話だと思ったのか承諾した。
俺はマチルダの店から彼女の持ち物一式をもらってきた。彼女の服は誰も着そうにないドレスが数着だったので、いくぶん多めに金を渡すと喜んでそれを譲ってくれた。俺はそのドレスをクリスに見せた。マチルダの、君の姉さんのものだといって。マチルダは源氏名なのかその名前ではないといった、彼の乱暴者の姉の名前は「ボギーだ」と。ドレスは着丈もサイズも彼にちょうどいいように見えた。「ものすごく申し訳ないのだが、そのドレスを身につけてくれないか?」俺は恐る恐る彼に尋ねた。彼を見ているとマチルダが思い出されて仕方ないのだ、彼は最初断ったが、俺があまりにもがっかりするのでしぶしぶ着てくれた。ドレスを着た彼は男にしてはヒップが大きい、「失礼だけど、君は女性じゃないのか?」クリスは不思議そうな顔をした「僕は男です」だけどマチルダその人としか思えなかった「鏡をみてごらん」鏡を見たクリスは怪訝そうな顔をした。「僕は男だよ!」そう叫ぶと、別室に駆け込んだ。僕は別室のドアをノックして中の彼に声をかけた「すまなかった、クリス。」「男性でも女性でもいい、この屋敷にずっと居てくれないか」しばらく待っていると、屋敷の厨房着に着替えたクリスが出て来た。「僕の体がおかしいことには気づいていた」苦しげにクリスはいった。俺はいった「もしかして君の体にはミミズ腫れになった傷が複数あるんじゃないのかい?」クリスは頷いた「誰にもいったことないのにどうして知ってるんだ」俺は考えた、不思議な事だが、彼はマチルダでありクリスなのだと思う。俺は考えた、マチルダがおかしくなったのは俺と口づけをしてからだった。「クリス、ちょっと試してもいいかい?」そういうと俺は彼を抱き寄せた「何をするんだ!」嫌がる彼を押さえつけて口づけした。力づくで彼に接吻するとクリスもまた力が抜けたようにぐったりした。「やめろ・・僕は男だぞ」喘ぎながら彼は俺から逃れようとした。だけど男の力に女の体で敵うはずがない。俺はソファに彼を押し付けると長く接吻した。段々と抵抗する力が弱まってきたので俺は大胆になって彼の耳たぶや首筋にキスをした。耳を噛みながら胸を触ると、これ以上ないほど興奮した。「マチルダ、君を抱きたい・・」彼女の顔を見ると目に生気がなくなっていた。「大丈夫か?」俺は彼女を揺さぶった。
「ここは・・どこ?」視線の定まらぬ目で彼女は尋ねた。「俺の家だよ」、彼女は不思議そうに俺の胸に手を伸ばし、肩から首、顔を触った。「貴方は誰?」俺は愕然とした。「俺はレオ、店で何度も会っているだろう?」「お店?」「何のお店?」「私、帰らなきゃ、兄さんに怒られちゃう」俺は恐る恐る尋ねた「君は誰なんだい?」「私はアガサよ」アガサは俺の腕を振りほどくと、ソファ伝いに動き始めた「アガサ、君は目が悪いのかい?」「そうよ。生まれつき見えないの」俺はいった「今日はもう遅いから泊まって行きたまえ」「明日、君を家族の所に送っていく。兄さんが怒るなら一緒に謝るよ」アガサは振り返ると「本当?嬉しい!」と喜んだ。「君の家族の話を聞かせてくれないか?」「いいわ。私の家にはお兄さんが二人とお母さんがいるのよ」「最初のお父さんは死んじゃって、二人目のお父さんが豚と一緒に来たのよ」「でもそのお父さんもすぐに死んじゃった。」「豚はね、お母さんが調理しようとしたんだけど、大声で鳴き出すものだから諦めちゃった。」「今は一番上のお兄さんがペットにして飼ってるのよ」「あの豚は臭いから、目が見えなくてもどこに居るかすぐ解るわ」「家族みんな仲がいいのよ。素敵な家族よ」アガサはニコニコと話し続けた。「アガサ、君はいくつなんだい?」「この前十二になったばかり」素敵な笑顔で彼女は答えた。
メイドに頼んでアガサのために部屋を一つ用意してもらった。メイドは料理人のクリスからアガサの変わりように驚いていたが、チップを弾んで口止めした。アガサは眠るまでそばに居て欲しいとねだった。夜の音が怖いのだという。「私の家じゃ夜になると怖いお化けが出るの」「ベッドでじっとしていないとひどい目にあわされるのよ」「お化けは一晩中うなっている時もあるの、とても怖いのよ」アガサはとてもお喋りで、止めなければ一晩中でも喋っていそうだった。俺は彼女の横に添い寝しながら、子どもを寝かしつけるように毛布を手で軽く叩いた。「お休みのキスをして」そうねだられて、俺はうっかりキスをしてしまった。軽いキスだったのに、彼女はまたぐったりと力が抜けてしまった。
深い眠りから覚めたように彼女は俺にいった「なぜ貴方がここにいるの?」俺はハッとした「マチルダ?」彼女は強くこちらを睨んだ。「ここは僕の屋敷だよ」マチルダは部屋の中をぐるぐる見回すと「私、帰るわ」といった。俺は彼女を抱きしめた「いやよ、何をするの!」彼女は力の限り暴れたので抑えるのに苦労した。「頼むからここにいてくれ」俺はマチルダに、彼女が店の金を持ち逃げしたこと、クリスという青年と、アガサという少女になっていたことを話した。君の弟と妹だと思うとも話した「そんな人たち知らないわ」彼女はそういうと頭を抱えた。「私は子供の頃から嘘つき呼ばわりされていたの」「記憶が時々無くなってしまうの」「ぽっかり穴が空いたようになって、どうやっても思い出せないの」俺は考えた。「一番最近の記憶はなんだい?」マチルダは考えていた。「兄がお店に来たわ、私の売上を手に入れるために」「その後は思い出せない」マチルダはベッドに腰掛けて足元の一点を見つめていた。「不安で仕方ないの」「突然人が怒りだしたり、馬鹿にしたり、乱暴したり」「どうすればいいのかわからない」俺はマチルダの肩に手を回した「今日はゆっくり休むといい」「明日考えよう」マチルダは一人になりたいといった。しかし俺は不安だった。寝ている彼女には近づかない約束で、同じ部屋のソファで寝ることを許してもらった。
翌朝、ベッドをのぞくとマチルダは居なかった。慌てて屋敷を探すと、優雅に朝食を取っていたところだった。「このダージリンはまあまあね」彼女はクールに微笑むと満足そうに立ち上がった。「お気に召しましたかな?」俺は嬉しくなっておどけた。彼女は悠然と屋敷の中を歩いた。まるで自分が女主人であるかのように。「良いところね」そういうと、適当な一部屋に入ってくつろいだ。「夜になったら両親や兄弟に紹介するよ」そういうと、彼女はフンと鼻で笑った。「どう紹介するの?夜の街で春をひさぐ女?」「そんな風にはいわない、結婚したいと思っている女性だよ」俺がそういうと彼女はそっぽを向いて「貴方ってそうとうの変わり者ね」といった。俺はマチルダの幼少期を聞き出そうとした。彼女はほとんど覚えていないといった。その次に兄との関係を聞いた。マチルダは嫌そうな顔をした。でも記憶がなくなる原因が解るかもしれないというと、そろりそろりと話しだした。
マチルダの兄は再婚相手の連れ子でとても乱暴者だった、子どもの頃から何かにつけて彼女を殴り、様々ないじわるをしていた。父は早くに亡くなったので再婚相手の継母しかおらず、彼女は息子を溺愛していた、そのためマチルダを救ってくれる相手は居なかった。夜の仕事を紹介したのも彼だといった。
レオは深く考えずに「君は兄と愛しあっているといったね」と聞いた。マチルダの顔から血の気が引いた。その顔を見てまずいことを聞いたとわかった。マチルダは「そんなことあるわけない!」と強くいった。俺はわけがわからなくなった。兄と関係を持っているという事実はこの時のマチルダにとっては最大の秘密だったのだ。「ごめんね、マチルダ」そう謝ったが彼女はすっかり塞ぎこんでしまった。そして一人になりたいと強くいったので、屋敷から出ないことを条件に一人で部屋に残した。二時間ばかりして、メイドがお茶のおかわりを持ってその部屋を訪れた。メイドの悲鳴に俺は嫌な予感がした。マチルダはカーテンのレールに紐をかけ首を吊っていた。テーブルの上には彼女が書いたらしいたどたどしい文字で、別れの手紙が置かれていた。俺は急いで医者を呼んだ。彼女は目を見開き、これ以上ないほど苦悶の表情を浮かべていた。死んでは・・・居なかった。メイドが扉を開ける音がきっかけになって彼女は首を吊ったらしい。だから時間は短かった。しかし、それから三日間、彼女は生死を彷徨った。その間、俺は彼女の残した手紙を何度も読み返した。手紙にはこう書いてあった。
レオ、なぜ、兄とのことを知っているの。それなのになぜ結婚しようと思ったの。私は狂っている、貴方を好きになりそうで怖い。兄は自分以外を好きになっては行けないといった。私は兄を愛さなくてはならない、貴方とは一緒になれない。お屋敷を汚すことを許して。さようなら。
彼女は息を吹き返したが、何も喋らなくなった。俺は看病をメイドに任せて、彼女の兄に会いに行くことにした。彼の居場所はマチルダが居た店の男に聞けばすぐわかった。しかし「あいつとは関わらないほうがいい」と忠告された。いわれた場所は貧民街でも最もガラの悪い酒場だった。そいつは朝から酒を呑んでいた。俺は彼に一杯おごる名目で色々話しかけた。「マチルダという女を知っているか?」「俺はあいつに金を借りていたのだが、最近店で見かけない、どうしているか知っているか?」そういうと金を巻き上げようと思ったのか、自分はマチルダの兄だといいはじめた。俺は続けた「あの女は変わり者だな」「記憶が時々無いのだといっていた」兄は笑い出した「あいつは死に損ないなんだよ」「お袋に毒を盛られて殺されかかったんだが、死ななくてな」「それから頭がちょいとばかりおかしくなったのだ」継母は再婚相手の父親の財産を独り占めしようと、マチルダを殺そうとしたらしい。毒を飲んで苦しみ、ベッドから動けないことをいいことに、この男は幼いマチルダの体を汚した。それに味をしめ、マチルダが回復してからも、むりやり関係を持った。そのころから彼女はおかしくなった。自分は別の人間だと言い始め、おかしな行動を取るようになった。兄は彼女に暴力を振るい、関係することを好んだ。今でもその性癖はあり、同じような性癖のある男を集めて、彼女をなぶった。「あの女に興味があるんなら探しだしてやろうか」レオは断った。彼女が持ちだした店の金はどうした?とレオは聞いた「俺が命じて持ち出させた」そしてこういった「マチルダは本名だが誰もその名前を覚えていない」「田舎であいつの名前はボギーというんだ」「村はずれで飼われていた豚がボギーという名前でな、俺はいつもその名前でマチルダを呼んだ」「豚そっくりだなボギーってな。」俺はそいつをぶん殴った。殴らずにはいられなかったのだ。
それから俺はマチルダの側にいた。そのかいあってか彼女は少しずつ話せるようになった。俺は彼女の過去について聞かなかった。マチルダはある日夢で見た話としてあることを話してくれた。それはボギーという豚の話だった。
ボギーは悪い豚だった、毎日嘘をつき村人に嫌われていた、ボギーは夜になると醜い女になった。昼間の仕返しとして村人はその女を殴った。ある日、村の外から王子がやってきた。どういうわけか王子はボギーを連れて帰りたいと言い出したのだ。
「ボギーはどうしたんだい?」俺は尋ねた。「ボギーは王子に着いて行くといった」とマチルダは答えた「でも嘘つきだから嘘かも知れない」俺は笑って彼女を抱き寄せた。「俺が怖いかい?」というとマチルダは「少し怖い」といった。「どうして怖い?」というと「抱き合うと幻滅するかもしれない」といった。「じゃあ、幻滅されないように頑張るよ」そういうと俺は唇を避けて彼女の首筋にキスをした。そしてたっぷり時間をかけて彼女の体を慈しんだ。彼女の体に深く刻まれた傷を何度も舐めた。多分一生消えることはないのだろう、だけど薄めることはできるはずだ。彼女が快感の最高潮に達するまで指や舌で攻めた後、俺は彼女の中に入った。ゆっくり時間をかけて中をほぐすと、自分の快感に任せて動かした。射精をどうするか迷ったが、彼女の外に出した。ふと気が付くと彼女は涙ぐんでいた、俺は焦った、嫌な思いをさせたのだろうか。彼女はいった、人の肌がこんなに暖かいなんて知らなかった、と。俺は思いっきり彼女を抱きしめた。そうして熱いキスをした。そうして、しまったと思った。また性格が変わってしまう、男のクリスでも十二歳のアガサでもこの状況はまずい。そう思った。マチルダは少しぼんやりとしていたが、今、クリスやアガサの気持ちがわかったといった。彼女はマチルダのままだった。もう一人ボギーという人か何かわからない者がいる、彼女はとても暗い過去を持っていてまだ近づけそうにない。といった。焦る必要はない、ゆっくり時間をかけようというと、彼女の方から熱い口づけをしてきた。俺は幸せだった。
彼女を正式に両親に紹介し、俺は結婚の許しをもらった。彼女を様々なパーティに連れて行くと、最初は奇抜な格好に眉をひそめられるものの、やがて彼女の格好を真似するものが増え、次の年にはその格好が流行したりした。その頃には彼女はまた別の奇妙な格好を見つけて眉をひそめさせている。黒いドレスを好んだ彼女をいつしか人は社交界に咲いた漆黒の薔薇と呼ぶようになった。
― 了 ― 2016年1月26日
「マチルダ」