繰り返し見る夢の話

 その現象は決まって、入浴中に起こる。
 湯船に浸かっているときである。声が聞こえてくる。自分以外に誰もいないはずの浴室で、自分以外の声がするのである。
 目を凝らさずとも人の影も形もない。外から聞こえてくるものかと考えるが、ガラスや壁を通したにしては、いやに鮮明だ。こもった感じもない。つまり、部屋から聞こえてくるものでもないのだが、そもそも私一人で住むこの家に、他人がいるはずがないのである。仕事から帰宅した際、玄関の鍵は閉めた。部屋の窓の鍵も開いていない。私は風呂に入るとき、家じゅうの鍵を施錠するクセがあった。
 聞こえ始めた頃は正体不明の声に怯え、そそくさと風呂から上がっていた。それが数日続くと、次第に慣れてくる。恐怖が薄れてくる。私は湯船に浸かっている時間が好きなのだ。一日で最も至福に感じるこの時を邪魔されたくないのだが、声の主は声を発しているだけで、何か悪さをしてくる様子は一向になかった。
 害がないのであればと、その声が聞こえたとしても気にせず入浴を続けるようになった。時に湯の中に潜り、時に歌を口ずさみ、時に独り言を呟いたりした。するとある日突然、声の主が私に声を掛けてきた。今までなにを喋っているのか判然としなかった声が、明確に、私に向かって話しかけてきたのである。
「その歌の名前を知りたい」
 男とも女とも思える声だった。幼い子どものような舌足らずさも、老人のような深みもない。私は今しがた口ずさんでいた歌の名前を、湯気がたちこめる洗い場の方に向かって言い放った。その方向に声の主がいるのかはもちろん不明であった。
「ふうん。いい歌だね」
と、声の主は言った。いい歌だね、の部分で微笑んでいる印象を受けた。もしかしたら幽霊や宇宙人の類なのかもしれないと思った。実体のない(わからない)モノに対し、咄嗟に微笑んでいる様子が想像できたのだから、おそらく私たち同様に顔があって目鼻口を持つ存在であるのだろう。動物かもしれないし、テレビゲームに出てくるようなモンスターかもしれないが、何にせよ嫌な感じはしなかった。その日は曲名を訊ねてきただけで終わった。
 翌日、翌々日、そのまた翌日と、日を重ねるごとに声の主は質問の数を増やしていった。どういう仕事をしているのか。趣味はなにか。好きな本は。恋人の有無。私は律儀に答えてやった。私の頭の中で着々と、声の主の姿かたちが形成されていった。
 声の主は、人間である。
 人間でなくても、私たちと同じ人間の構造をした生き物である可能性は高い。
 十代後半から二十代前半で、世間に疎いわけではないが生活圏は狭いように思える。友人は少なめ、恋人はいない。実家暮らしで、インドア。対象物をじっくり吟味してから接触を試みる慎重派だが、こちらが懐を開くと簡単に気を許してしまう、情に脆い質のようだ。
「いい歌だね、これ」
 私がよく口ずさんでいた歌は、いつの間にか声の主の持ち歌となった。声の主が男なのか、女なのか、はたまたどちらでもないのか、頻繁に会話を交わすようになってからもしばらくは判然としなかった。

「そろそろ姿を見せてくれてもいいんじゃないか」
 そう提案したのは、浴室で声を聞いてから二週間が経つ頃だった。
 気になっていた職場の女性を誘ってレストランへディナーに行ったことを、私は話していた。メインディッシュだった舌平目のムニエルを、声の主は食べてみたいと、羨ましそうに呟いた。
「無理にとは言わない。だが私は、キミに会ってみたい。キミの顔を見ながら語らいたい」
 素直に思っていたことを打ち明けた。なんだか愛の告白をしているような恥じらいを感じた。
 声の主は私の提案に、ううん、だの、ええと、だの、しばし逡巡した後、
「そうだね。そろそろいいかもね」
と答えた。でも、笑ったりしないでね。声の主は続けたので、私は絶対に笑わないと誓った。
 さて、果たしてどこから現れるのか。洗面室と浴室を繋ぐガラス戸か。地上五階の浴室の窓か。排水溝の中からか、または蛇口、シャワーの穴?声の主がふつうに登場するなどありえないと思った。ふつうにドアから入ってきた方が、むしろ恐ろしいとまで思っていた。期待しながらも、平常心を保つよう努めた。
 予兆はなかった。
「お待たせ」と、声の主は現れた。
 天井から降ってきたのか、それとも湯船の中に潜んでいたか。否、降ってきたとか、湧いて出たというより、透明になれる能力を持った人間が透明人間となってこの浴室に侵入していて、私の呼びかけに応じてその能力を解いた、という感じだった。声の主は、湯船に浸かる私の真向かいにいた。私とおなじ三角座りで、裸であった。
「キミは、」
 声が震えた。私の推察通り、声の主は幽霊であった。しかも、ただの幽霊ではない。
「ひさしぶり」
と微笑んだ声の主の正体は、二十年前に交通事故で亡くなった私の双子の弟であった。

「やだなあ、勝手に殺さないでよ」
 双子の弟は困ったように笑った。
 弟は今、私の真向かいにいる。私とおなじ三角座りで、湯船に浸かっている。
 私と弟は二卵性双生児である。私は父親に似て肌が色白く、弟は母親に似て浅黒いのだったが、最近は弟もめっきり色白になった。
「それよりも、しわが増えたね。兄さん」
 仕方ない。私もあと三週間もすれば四十となる。
「お前だって、そうだろう」
 私が顎をしゃくれば弟は一瞬の間のあと、感慨深く頷いた。そうだね、兄さん。
 しかし弟は私に比べ、しわが少ない気がする。笑っても目元に小じわは見られないし、色白くなってきたわりに髭だって目立たない。そのせいか、弟は四十前にして二十代と見違えるほどの輝きを放っている。表情から、言動から、瑞々しさを感じる。双子にも関わらずこの差とは、二卵性である故か。
 それよりどうして、私はこの歳にもなって弟と風呂に入っているのか。
 公衆浴場や温泉旅館ならまだしも、ここは私の住むマンションの、ごく一般的な浴室だ。成人男性の平均身長よりやや高めの、太ってもいなければ細くもない、ほぼ平均体重である私と弟が向かい合って浴槽におさまれば、身じろぐのもためらうほどの窮屈さがあるはずだ。しかし、どうにも楽である。湯の中で弟のからだに触れたとて、柔い肉の弾力を感じることは、先ほどから一切ない。そういえば兄さんは長風呂だったね、昔から。そう笑う弟の顔色は、四十度の湯に十分ほど浸かっているはずなのに、青白いままである。照明のせいではない。まるで、血の通っていない人形。弟は訊いてきた。
「さっきの夢の話だけど、一体いつから見始めたの?」
 私は思い返してみようとして、でも、すでにいつから見始めたのか、まったく思い出せなかった。何日、何週間、何ヶ月、何年。いや、もう十何年も同じ夢を見ている気がする。頭が痛くなってくる。弟は生きている。では、二十年前に死んだのは誰か。
 二十年前の秋晴れの日、葬儀場にいる記憶が私にはあるのだった。毅然と振る舞う父。さめざめと泣く母。足が悪く車いすだった祖母。遠方に住む親戚。近所のおじさん、おばさん。小中学校の同級生。
 高校卒業を折に購入した礼服に、初めて袖を通した。霊柩車を見送る際、金木犀の香りがしてその出所を探した。火葬場ではずっと空ばかりを見ていた。上の空だった。何を考え思っていたか思い出せないが、何も考え思っていなかったのかもしれない。虚無。私は昔からぼうっと呆けて人の話を聞いていないことが多いと指摘される子どもであったが、それは空想の世界に浸っていたからであって、思想をやめたことはない。けれど、このときは芯から無であった。中身がなかった。私という私が、そこにはいなかった。
「思い出せないほど前からなんだ」
 弟は言った。どことなく面白おかしな口調であるように聞こえた。私は首を振る。思い出せそうなのに、思い出せないのだと。夢の中、浴室に現れる二十年前に亡くなったことになっている私の弟は、今、私の目の前にいる弟そのものである。今、私と向かい合い湯に浸かっている弟は、二十年前に亡くなったことになっている私の弟そのままである。
 頭が痛い。私は訴えた。やだな、のぼせたんじゃないの。弟が呆れたように笑っている。魂を分かち合った、私の双子の弟。時折ふいに、頭の中で救急車のサイレンが鳴り響く。
「もうあがって、ゆっくり休みなよ。兄さん」
 これもまた夢なのではないかと、疑うことがある。
 私を慈しむように微笑む弟を見て、なんとも言い難い寒気が私の全身を走り抜けていく。

繰り返し見る夢の話

繰り返し見る夢の話

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-01-28

CC BY-NC-ND
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