たてまぶたの姫君

 むかしむかし、と聞いてあなたが思い浮かべるよりもずっとむかし、大きな国の王様に「たてまぶた姫」「よこまぶた姫」と呼ばれる、双子のお姫様がありました。二人はその名の通り、たった一つの部分を除いて瓜二つの顔をしていました。
 妹のよこまぶた姫が馬車に乗って城下に出れば、美しい姫をひとめ見ようと人々が押し寄せて、通りはいつもお祭りのような賑わいになりました。一方のたてまぶた姫が街を通れば、その顔のあまりの恐ろしさに人々は慌てて家に逃げ込み、窓をぴったり閉めてベッドの下でぶるぶる震えるばかりでした。
 姉君のたてまぶたがあまりに恐ろしいので、お(きさき)様は心を塞いで床に臥し、お城の大臣たちまでが、
「あんな姫君が生まれたのは、国が呪われている証拠にちがいない」
 とささやきあうようになりました。
 ヴェールをつけても仮面をつけても、外を歩けば悲鳴と笑いに囲まれます。姉君は自分の部屋から出ることもできず、楽しみといえば着るあてのないドレスに刺繍をするばかりの日々を送るようになりました。
 困り果てた王様は、はやく娘たちに婿を取らせようと、周辺諸国の王子をお城に集めて晩餐会を開くことに決めました。

 パーティーの日を迎えると、お城の大広間は千人に及ぶ来賓で埋まりました。贅を尽くした料理と酒がふるまわれ、やがて宴もたけなわになったころ、いよいよ姉妹の登場です。広間の奥に垂れた繻子のとばりから、まずは妹のよこまぶた姫が現れると、千人の王子たちは我先に詰めかけて薔薇の花束を差し出し、お城の中はまるで戦場のような騒ぎになりました。
 続いて姉のたてまぶた姫が、美しい刺繍で飾ったドレスをまとって歩み出ると、姫の顔を見た王子たちはみな食べたものを噴水のように吐き散らかして気を失い、大広間は墓場のように静まり返りました。
 妹君はキンキンと甲高い声で父王に訴えました。
「お姉様のせいでわたしまで“よこまぶた”なんて呼ばれて笑い者よ。このままじゃ、たとえいいお婿さんが見つかっても、わたし、幸せになんかなれないわ」
 堪忍袋の緒が切れた王様は愛娘の言葉にうなずくと、テーブルの下にあった大きな青磁の壺をつかむなり、しくしくと泣いていた姉君の顔にがばりとかぶせてしまいました。
「おまえのようにおぞましい娘がわしの子であるものか。二度とこの壷を取るでないぞ」
 そして兵士らに命じて彼女を引き立て、一頭の若いロバの背中にくくりつけてしまいました。
「これに乗って国を去り、世界の果てに消えてしまえ」

 首まですっぽりと壺をかぶった娘が、ロバの背に揺られてとぼとぼと城を出ると、沿道の人たちが口々にはやしたてました。
「壺かぶり姫が通るよ」
「顔を見たら地獄に落ちるよ」
 ロバは山を越え川を越え国境を越え、晩餐会に招かれた王子たちの国をいくつも越えて、どこまでもどこまでもまっすぐ進んでいきました。自慢のドレスはぼろきれ同然、食べ物が尽きても物乞いできる村は消え、すれちがう旅人の影は絶え、やがて道が果てしない砂漠の中に吸い込まれたころ、ついに娘はロバもろとも砂の上に倒れ伏してしまいました。
 壷を傾けて彼方を見れば、小さなオアシスが目の前ですが、歩くどころか這う力さえ残っていません。どれほど時が経ったでしょう。気が遠くなりかけた彼女の耳に、どこからか大勢の隊列が近づいてくる気配が聞こえてきました。しくしくと響くのはラクダの足が砂を踏む音、かちかちと揺れるのは甲冑の擦れる音。やがて隊列はすぐそばでぴたりと止まり、頭上から若い男の声が届きました。娘のまったく知らない国の言葉でした。
 力強い腕に抱き起こされ、頭の壺を脱がされそうになった彼女は、最後の力を振り絞って男の手を払いのけました。
「わたしを哀れと思し召すなら、このまま世界の果てで死なせてください」
 すると若者の声は優しい笑いに変わり、娘の口元に細長い葦の茎が差し出されました。それを吸って皮袋の水を飲み干した娘は、たくましい腕に向かって言いました。
「ありがとう、優しいお方。……この世の果ても冥府の門も、わたしにはまだ遠いのですね」

 ロバと一緒に命を救われた娘は、隊列とともに砂漠を越え、さらにいくつもの山川を越えて、大きなお城に連れていかれました。廊下や階段は驚くほど長く、美しい璧玉が床に惜しげもなく敷き詰められているさまから、母国のそれに劣らぬほど立派な城であることは明らかでした。
 数ある部屋の一室で、娘は何人もの男女に囲まれてあれこれ問い質されましたが、言葉が分からなくては答えようもありません。途方にくれていると、女たちの手がぼろ服の裾に残っていた刺繍を興味深げに撫でました。これは自分が縫ったものだと娘が身振りで伝えると、周囲から驚きの声が上がりました。

 娘は刺繍の針子として城で働くようになりました。もともと大好きなことですし、なにしろ“たてまぶた”ですから壷をかぶったままでも手元はよく見えます。仕事はどれも素晴らしい出来栄えで、気立てが良く物腰もたおやかな彼女はまたたくまに城じゅうの評判となり、やがて彼女は一介の下女にもかかわらず一部屋を与えられ、高貴な身分の人々がじかに訪ねてくるようになりました。
 来訪の顔ぶれはほとんどが女性でしたが、一人だけ、身なりのよい若者が毎日のように娘の部屋にやってきては、軍服や礼服の刺繍を注文するだけでなく、珍しい糸や新しい図案紙を贈ってくれ、この国の言葉を熱心に教えてくれました。彼が砂漠で葦のストローを差し出してくれた命の恩人であることを、娘はもちろん気付いていました。

 ある日、若者は娘の手をとって、城の真ん中にある豪華な絨毯が敷かれた部屋に連れていきました。
「遠征先であなたを助けたときから思っていた。もしや異国の身分ある方ではないかと。どうか、わが父母の前で素顔を見せてはくれまいか」 
 思わず壷を押さえて身を固くする娘に、家来の叱責が飛びました。
「なにをしている。国王陛下ご夫妻の御前、皇太子殿下の命であるぞ」
 娘は覚えたばかりの言葉で訴えました。
「わたしはこの世でもっとも醜い顔をしております。とても皆様にお見せできるものではありません」
 そして自分が遠い国の王女だったこと、容貌のせいで国を追われた身であることを涙ながらに話しました。王子は驚き、異国の姫を下女として働かせた無礼をわびて、家来に申し付けました。
「姫君のお体を清め、最上のドレスを着せて差し上げろ」
 湯浴みの雫をぬぐって美しい衣装をまとった娘は、首の壺さえ除けばこの上なく美しいお姫様になりました。王子は彼女の手をとって両親の待つテーブルに導き、国中から取り寄せた珍味でもてなしました。皿には柄の長い銀のフォークが、杯には銀のストローが添えられており、優しい言葉と美味しい料理、そして濃厚なワインのおかげで、姫君は天国に昇ったような気持ちになりました。その夜、彼女は久しぶりに羽毛のベッドに身を沈めることができました。

 真夜中、姫がぐっすり眠ったのを見計らって、王子は彼女の部屋に忍び込みました。その素顔を確かめたいという気持ちが、どうしても抑えられなかったのです。
 そっと壺を脱がせた王子は、あっと声を上げました。醜いどころか、彼女の素顔のあまりの美しさに心を動かされたのです。その声に目を覚ました姫も驚きました。目の前にある若者の顔が、自分と同じたてまぶただったからです。見れば、部屋に駆けつけた王や后、そして家来たちも一人残らずたてまぶたなのでした。
 王子は姫の手をとって言いました。
「これほど美しい人をあざけるとは、あなたの故郷の方々はなんと奇妙なのだろう。ぜひこの国で、ずっとぼくと暮らしてほしい」

 こうして二人は結婚し、王子は国を継ぎました。王妃となった娘は夫に愛され、間もなく双子の男の子をもうけました。兄の「たてまぶたの君」は両親に似てとても美しい姿で生まれましたが、弟の「よこまぶたの君」は、取り上げた産婆も手伝いの侍女たちも一人残らず卒倒するほどの顔立ちでした。
「話には聞いていたが、まさかこんな恐ろしい姿とは」
 青ざめる王様に、家臣たちが言いました。
「このお子は、一刻も早く妃殿下の故郷、世界の果てに送り返すがよろしいでしょう。さもなければこの国に大きな災いが降りかかるやもしれません」
 それを聞いた王妃は叫びました。
「まぶたのたてよこがなんだというの。かわいいわが子を遠くにやってしまうだなんて、わたしは絶対に許しません」
 その剣幕に、家臣たちはもちろん若い王も押し黙るほかありませんでした。
 兄弟はやがて立派な若者になりました。兄君にはあちこちの国から「ぜひわが姫を」と結婚の申し出が寄せられるのに、弟君にはお城の下女すら気味悪がって近寄りません。父である国王さえ、下の息子の前では目を伏せて、深々とため息をつくのでした。

 ある日、弟君は思いつめた表情で、王妃の部屋にやってきました。
「母上は、どうしてぼくをこんな姿に産んだのですか」
 母は刺繍の手を止めて、優しい声で諭しました。
「他の者たちがなんと言おうと、わたしはおまえの美しさを知っています。恥じることなどありません」
「美しい? このよこまぶたが、本当に?」
「ええ、本当ですとも」
 王妃がうなずくと、王子はいきなり彼女を寝台の上に押し倒しました。
「なにをするの」
 驚く母親の手から針とはさみを奪い取り、目の前に突きつけました。
「では、母上をぼくと同じ目にしてあげましょう。このまぶたを横に裂き、たてのまぶたを縫いふさげば、いまよりずっと美しくなるはずですね」
 それを聞いた母親は、ふっと全身の力を抜き、まつ毛の豊かなたてまぶたを閉じました。
「いいでしょう。おまえの好きになさい」
 静かなその声に、息子はよこまぶたを吊り上げました。
「好きにしろ? 本当に良いのですか。あなたのまぶたを横に裂いても斜めに切っても、ぐるりと丸くえぐっても?」
「ええ。それでおまえの苦しみが癒えるなら、目の上の小さな皮など惜しくはないわ」
 それを聞いた王子は手にしたものを投げ捨てて、母親の胸にすがって声をあげて泣きました。
 どれほど泣いていたでしょう。よこまぶたを赤くはらした若君は、ようやく涙をぬぐって立ち上がり、寝台の脇に飾られていた青磁の壷を手に取りました。それは王妃が若いころにかぶっていたあの壷でした。
「お母様、まぶたの代わりにこれをください。ぼくは世界の果てにあるという、あなたの故郷に行きましょう」
 彼の決心が固いのを悟った王妃は、小さくため息をつきました。
「許しておくれ、なにもしてやれなかったこのわたしを。おまえの旅を助けてくれる者は厩にいます。あのロバなら、きっと道を覚えているわ」

 すっぽりと壷をかぶった王子は、母の言葉を信じて城を出ました。
「この世の果てにある国へ」
 新しい主の命令に、年老いたロバはぶるんと耳で返事をすると、ぽくりぽくりと歩き始めました。手綱を握ってその後をついていく若者に向かって、沿道の人々ははやしたてました。
「壺かぶり殿が通るよ」
「顔を見たら呪われるよ」
 若者は壺の中で唇を噛みながら、ロバに導かれるままいくつもの山を越え、川を越え、どこまでもどこまでも旅を続けました。そしてついに大きな砂漠の真ん中にさしかかったとき、ロバはぴたりと足を止めました。
「どうした、進め」
 手綱を引いても尻を叩いても、ロバは一歩も動きません。いぶかしんだ若者がそっと壷を脱いであたりをうかがうと、目の前にまったく同じ壷をかぶった娘が、息も絶え絶えの姿で倒れているのでした。
 若者は慌てて娘を助け起こし、携えていた葦のストローで水を飲ませてやりました。
「ここにいるのはぼくとあなたの二人だけ。そんな壷はお脱ぎなさい」
 若者が壷に手をかけると、娘は必死にあらがって叫びました。
「お願いです、わたしを哀れと思うなら、このまま世界の果てで死なせてください」
 それは母である王妃がかつて教えてくれた、遠い異国の言葉でした。若者はおもむろに自分の壷をつかんで大きく振り上げ、娘の壷に叩きつけました。二つの壷は粉々に砕け、太陽の下に露わになった娘の素顔を見た若者は、思わず息を呑みました。相手の娘もたてまぶたを大きく開いて彼を仰ぎ、大粒の涙を浮かべました。
「なんとひどい仕打ちでしょう。あなたもやはり、わたしの顔を見て驚くのですね」
 若者は娘を抱きしめました。
「かわいそうに。きみは自分の美しさを、誰にも教えてもらわなかったのか」
 娘は腕の中でもがきました。
「どこまでわたしをからかえば気がすむの。あなたのような人にこの苦しみが」
「分かるのさ」
 若者は優しくほほ笑みました。
「だって、君が思っているよりも世界はずっと広いから」
 彼は娘の手をとって立ち上がらせ、ロバの背中に乗せました。
「さあ行こう、近くにオアシスがあるはずだ。ぼくらは世界の果てからやってきて、世界の真ん中で出会ったんだ。この場所なら、新しい幸せが築けるよ」

 こうして二人は結ばれました。その子孫たちが砂漠に作った国は、小さいながらいまも幸せに栄えているといわれています。
 わたしのお話はこれでおしまい。その国がどこにあるのか誰も知らないけれど、あなたは勇気を捨てずにお行きなさい。くじけそうになった時のために、このお守りを贈りましょう。ただの古い布のようだけれど、美しい刺繍が入っているのがお分かりかしら?
 でも、これだけは忘れないで。幸せの国を見つけるまでは、そのヴェールをけっして脱いではいけませんよ。

【終わり】

たてまぶたの姫君

たてまぶたの姫君

むかしむかし、ある国に、たてまぶたのお姫様がおりました。その顔の恐ろしさは、晩餐会に集まった諸国の王子が一人のこらず気絶するほど。腹を立てた父王はとうとう……。【童話:17枚】

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-05-01

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