タケルの森
静かな森で、ハナは鳥たちの息吹を感じる。彼女がはじめて、この森に来たのは二十年前。まだ、若い頃だった。ハナの横には、タケルがいて、いつまでも彼は“隣にいる”と思っていた。ハナが、そうでないと知ったのは、タケルが、ある日、どこにもいなくなった時だった。家族によれば「ちょっと散歩に行ってくる」と言い残していたらしい。でも、タケルは、それきり帰ってこなかった。家にも、ハナのもとにも。しばらくタケルの家族は、彼を探したが、どこに行ったのか、手がかりはなかった。ハナは、タケルがいなくなった十年前に、タケルの行きそうな場所を、よく歩いた。その一つが、この鎮守の森だった。人が誰も住んでいない。生の自然が残されている秘境。でも、広い森で、タケルのぬくもりを感じたことはない。ハナがタケルといると、いつも感じた熱を、二度と感じることはないのかもしれない。それでも、ハナは、タケルが好きだった鎮守の森に一年に一回必ずやってくる。一週間分の食料とテントを持って、こっそりとサクをこえてしまう。
川を見て、ハナはタケルが、この川で魚を釣っていた日々を思い出した。彼の笑顔を今、ここで見たような気持ちになって、ハナは泣きたくなった。それが、まぼろしとわかった瞬間に、ハナは、大声で叫んだ。タケルの名前を。ハナは出せるだけの大きな音を出した。でも、森は、わずかばかりの残響を聞かせるだけで、何も答えてくれない。ハナは、昔、タケルと一緒に作った秘密基地に向かう。今では、ボロボロな小屋。あの頃は、若さが、あの建物をつくらせたのだと思う。今、木を切って、あの大きさの思い出をつくろうと思っても、きっとできないだろう。それが、青春が素晴らしい理由なのだろうとハナは実感する。とても小さな出来事の積み重ねが、やがて、大きな感情という濁流を起こすように、ハナの今は、タケルとともにあった。どうして、タケルは、何も言わずに行ってしまったのか?
ハナが小屋に入って眠っていると、わずかなオレンジを感じた。それは、タケルの色だ。「タケル?」今度は、静かに夜の闇に向けて、問いかける。でも、誰も答えない。電灯をつけようかと迷う。ハナの手は、電灯のスイッチを探す。見つからない。その時「馬鹿だな」と誰かが喋った。ハナは、すぐに声の主がタケルとわかった。同時に、怒りと、嬉しさと、悲しさと、懐かしさと、虚しさを感じた。「タケルなの?」ハナは、暗闇の相手に、はっきりと尋ねる。目が慣れてきて、確かに誰かがいるのが、わかったが、相手は、しばらく何も言わなかった。ハナは、人の温もりをつかもうと、必死で手を伸ばす。ハナの手は空を切る。「ハナ……。ダメなんだよ」タケルの声は力強い。「僕は遠いところに行かなくちゃいけない。ただ、君だけが心残りだった。どうか、僕のことを忘れて生きてくれないか?」「タケル。どうしてなの?私たちは、いつも一緒だって約束してくれたじゃない。また、あの頃みたいに」ハナの声は、叫ぶようだった。「ダメだよ。ハナ。もう僕も君も、あの頃の“僕”と“君”じゃないんだ。すべて終わってしまったんだ。そして、僕は、前に進まなくちゃいけない。そして、君もね」ハナは、タケルの手が背中に回って、抱きしめられた。ハナは、静かに目を閉じて、タケルの熱に身を任せた。
目が覚めたのは、翌朝だった。ハナの頭は、はっきりしなかったが、タケルの温もりを覚えていた。
それから、ハナは、二度と森に立ち寄らなかった。
タケルの森
物語作家七夕ハル。
略歴:地獄一丁目小学校卒業。爆裂男塾中学校卒業。シーザー高校卒業。アルハンブラ大学卒業。
受賞歴:第1億2千万回虻ちゃん文学賞準入選。第1回バルタザール物語賞大賞。
初代新世界文章協会会長。
世界を哲学する。私の世界はどれほど傷つこうとも、大樹となるだろう。ユグドラシルに似ている。黄昏に全て燃え尽くされようとも、私は進み続ける。かつての物語作家のように。私の考えは、やがて闇に至る。それでも、光は天から降ってくるだろう。
twitter:tanabataharu4
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