ブラッドアッシュ

ブラッドアッシュ

はじめての投稿になります。
内容的には長編になることが予想されます。

多くの読者に愛されるような作品にしていきたいと思っております。

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序章 1−1

地球上に存在する全ての生物には等しく与えられているものがある。
それは『死』だ。

この世に生まれ落ちた時から死は確定し、避けることの出来ない運命。生物はその決められた運命の輪の中で生まれ、育み、愛しあってきた。

そして、その運命のサイクルは未来永劫変わることなく続くと思われていた。だが、愚かな人間達の手により変わろうとしていた。

——『死』の超越。

それが人間達の犯した罪。人間達が触れてはいけない禁忌。
人間達は、決められた運命の輪から自らの意思で外れようとしていた。

序章 1−2

「死亡確認されました」

白衣を着た男が床や壁、天井、全てが真っ白で覆われた部屋に入り、実験結果を淡白に伝えていた。

「では、そのまま最終フェイズに移ります」
「分かりました」

歳は二十代後半といったところ。しかし、仕事の疲れか、目元には二十代らしからぬクマがはっきりと浮かび上がっている。そんなクマをはっきりと作った男性研究員は、上からの指示のもと、部屋で倒れている屍体の回収にやってきた。

「なあ、こいつ本当に死んでるんだよな?」

遅れて部屋にやってきたメガネをかけた男が、不審に思いながらもクマの出来た男性研究員に声をかける。

「当たり前だ。お前も見ただろ」

こいつが悲痛な叫びを上げながら死んでいく様を、とクマの出来た男は冷静に答える。

「あれは苦しそうだったな……」

メガネをかけている男は、先ほどまでここで行われた実験を思い返す。

「絶対に俺達のこと恨んでるよな……」
「恨んでいるかもしれないが、人類のためには仕方のない犠牲だ。そんなことよりさっさと運ぶぞ」
「分かったよ。俺だけは呪わないでくれよ……」

二人は慎重に屍体を持ち上げ、キャタピラのついたタンカーに乗せ移動し始める。

「この実験上手くいくと思うか?」

よほどお喋りが好きなのだろう、メガネをかけた男は移動中もひたすら口を開いている。

「当たり前だろ。この実験は必ず成功し、人類は新たな進化を遂げるんだ」
「だといいけど……」
「俺達の研究に狂いなどありえない」
「まあモルモットには成功したから大丈夫だとは思うけどよ、もしもって可能性が……」

失敗を想像したメガネをかけた男が一度タンカーから手を離し、身震いを抑えるように自身の両肩に手を添える。

「もしもの場合はもう一度殺すだけの話だ」
「お前、怖いこというな……」
「当たり前のことだ」

そんな会話をしているうちに、二人は次の実験室までやってきた。

「被験体をお持ちしました」
「ありがとうございます。早速カプセルの中に」

二人がやってきた部屋の中には白衣を着た研究員や、カプセル、専門的な機材など揃い、ここからが本格的な実験の始まりだと感じさせる。
そして、目の前に現れたのは本研究での責任者、一ノ瀬室長という女性の姿が。

「分かりました」
「うわ、すごい空気……」
「お前は少し黙ってろ」

ここにいる人達は自分の持ち場に集中しているため、メガネをかけた男のようにムダ口をたたく者は誰もいない。

実験室内には緊迫した空気が流れていた。

「終わりましたか?」
「もう少しです」

緊迫した空気を感じ取ったのか、メガネをかけた男は先ほどから黙り込んでいる。

「よし、慎重に下ろすぞ」
「分かった」

二人は屍体を持ち上げ、慎重な手つきでカプセルの中に移し替える。

「完了しました」

クマを作った男の声を聞き、研究員の一人がボタンを押す。
すると、カプセルの蓋はゆっくりと締まり、機械的な音を上げながら横から垂直へと向きを変える。

次にカプセル内に大量の水が流し込まれた。

「では、これより最終フェイズに入ります」

全体を見渡すことの出来る位置に陣取っている一ノ瀬の掛け声と共に、周りの人間が一斉に動き始める。

「私達はこのあとどうすれば?」

役目を終えた二人は、先ほどから指示を飛ばしている一ノ瀬の下までやってきた。

「ご苦労さまでした。あなた達の仕事は一先ず終了です。指示があるまで待機を」
「分かりました」
「やっと終わった……」

メガネをかけた男は、緊張の糸がほつれたように肩で大きなため息を吐く。クマを作った男も緊張していたのか、一ノ瀬の言葉を聞いて表情が和らぐ。

「では、私達はこれで」
「はい。ご苦労さまでした」

一ノ瀬に一礼したあと、二人は部屋の外へと消えていった。

「薬品投与の準備が完了しました」
「一ノ瀬室長、こちらも準備完了です」

実験の準備は着々と進んで行く。

「分かりました。これより薬品投与を開始して下さい」
「薬品投与開始します」

一ノ瀬の指示を復唱するように、パソコンを操作している男性研究員が『開始』と表示されているコマンドを選択。途端、今まで以上に実験室内、カプセル内から機械的な音が響き渡る。

薬品が投与されている証拠として、屍体に繋がれているケーブルが命を得たかのように激しく動き回っていた。

「薬品投与完了。————生体反応、ありません」
「そんな……」

予想していた結果が現れないことに、多少の動揺が顔に出る室長。

「ど、どうしましょう?」

動揺が部下にも伝わったのか、次の指示を伺う声に力がない。

「——なあに、結果が出ないのならもう一度投与すればいいだけのはなしだよ」

不敵笑みを浮かべながら、白髪の男性が入ってきた。
歳は六十歳後半、顔には今まで生きてきた証をしめすシワが数多く刻まれている。

「結果がでないのだろ?」
「は、はい! 来栖(くるす)局長!」

来栖と呼ばれる白髪の男性がやってきたことで、研究室内の空気が再び緊迫したものへと変わる。

「だったら結果が出るまで投与を続けたまえ」
「わ、分かりました! 投与を開始します!」

来栖の圧におされた男性研究員は、躊躇うことなく『開始』と表示されているコマンドを選択。

「は、反応ありません!」
「もう一度だ」
「変化ありません!」
「もう一度だ」

このやり取りを繰り返すうち、男性研究員から躊躇いが消え変化が出ないと判断したらすぐ様次を投与するようになってしまった。

結果、屍体に六回薬品を投与した。

「来栖局長、これはやり過ぎです!」

流石に危険だと判断した一ノ瀬が、来栖のやり方に抗議を示す。

「もしなにかあったら……」
「おや、私に指図かな? 一ノ瀬君」
「それは……」

立場上、一ノ瀬はどうしても来栖に強く言うことが出来ない。それは他の研究員も同様。そのため、言われた通りに薬品を投与し続けている。

「文句がないのなら一ノ瀬君も見ているがいい。私達人類が新たに進化する様を」
「……」

一ノ瀬にはなにも言い返すことが出来ず、ただ歯噛みするしか出来なかった。

「残りの薬品数は?」
「残りは七本です」
「————では、その七本全てを一度に投与したまえ」

平然という来栖に対し、他の研究員達は顔に恐怖が現れている。だが、決して上には逆らうことは出来ず指示に従う。

「局長!」

しかし、怯える研究員達の中で一ノ瀬だけが来栖に意見する。

「流石に残りを同時に投与するのは危険です!! 分からないのですか!?」

他の研究員達も、一ノ瀬の意見に賛同するような眼差しを来栖に向ける。

「データを取り直してから再び行うべきです!!」

来栖がこれから行うことがいかに危険か一ノ瀬は必死に伝えるが——、
「続けたまえ」
意見を聞くことはない。

「続けるんだ」
「…………分かりました」

一ノ瀬の説得も意味をなさず、来栖はただ一言男性研究員に伝えるだけだった。

男性研究員も来栖の言葉通り、パソコンをいじったあと『開始』と表示されているコマンドを震えながら選択。

途端、全ての電気が落ち、辺りは一瞬で真っ暗に。

突然視界が暗くなったことに驚きや悲鳴を上げる女研究員や、慌てて大声を出す研究員。そんななか、一ノ瀬の迅速な対応ですぐに電気が復旧した。

「どうだ?」

来栖も当然の停電には動じず、男性研究員に実験結果を問いただす。

「——せ、生体反応微弱ですがあり! 生体反応はります!」

男性研究員の声が実験室全体に響き渡る。

それを合図に周りからも歓声が上がり始めるなか、一ノ瀬だけは顔色一つ変えず、屍体が入ったカプセルを見つめている。

「どうしたんだい一ノ瀬君? 君も喜ばないか」
「……はい」

一ノ瀬は、この実験の指揮を取っていたにもかかわらず、目の前で起こった奇跡を信じられずにいたのだ。

「どれどれ、近くで見ようかな」

上機嫌の来栖は、重たい腰を動かしながらカプセルの前へと移動し始める。

「おお、これは素晴らしい」

そして、カプセルを我が子のように優しく撫でる。

「見たまえ! これが今まで人類が成し得なかった、到達し得なかった領域! その領域に私達はついに辿り着いたのだ! 神にも等しい領域に!!」

喜びたまえと、来栖はカプセルに手を添えながら高らかに実験成功の喜びを表現する。

「やったな!」
「私達はついに!」
「私達は人類を超越する時が来たのだ!」

実験成功の報告はすぐに建物全体に行き渡り、次々と自分の目で確かめたいと一ノ瀬達のいる実験室へと流れ混んできた。

「本当に成功したのかよ……」
「当たり前だろ」

なかには先ほど屍体をここまで運んだ男達の姿が。
誰もが実験成功に歓喜するなか、カプセルに入っていた屍体がゆっくりと目を開いた。



そして、人類は犯してしまった。踏み込んでしまった。
————神の領域に。

第一章 決意 1−1

…………。

気がつくと、俺は真っ暗な空間の中に一人でいた。

…………。

辺りを見渡すも、光が全く届くことのない空間。

自分が立っているか座っているのかも分からない。もしかしたら浮いている可能性も、宙吊りになっている可能性だってある。
今の俺には方向感覚というものが一切失われていたのだ。

「おい、誰かいないのか?」

声を出すも、勿論返事はない。

それどころか自分の発した声が全く聞こえない。聴覚も失われている状態だった。
もしかしたら真っ暗に見えているのも視覚が失われているからではないだろうかと思ってしまう。

最初、この状況に陥った時は酷く混乱したが、何度も続けば流石になれる。

これで何度目だよ……。

そう、俺はこの状態を知っている。何度も経験している。

——これは夢。妙にリアルでタチの悪い夢だ。

夢と分かれば尚のこと取り乱す必要はない。時間が経てば自然と夢から覚めるだろう。

さて、今日は何をするか……。

いつも悩まされるのだが、今の俺はあらゆる感覚を失っている。そのため、結局どうすることも出来ず、夢から覚める。

同じ夢を見ないといけないなら、楽しい内容にしてほしいもんだ。

そんな注文をつけても決して夢の内容は変わることはない。

これからも見続けるんだろうな……。

この夢を見るようになったのは今から三年ほど前。それまでは、どんな夢を見ていたのかと聞かれたら答えに詰まる。
ある日、突然この夢を見るようになったのだ。

初めてこの夢を見た一週間後に同じものを。またその一週間後、翌月と同じ夢を定期的に見るようになった。
今では普通の夢より多く見ている気がする。だから感覚がなくなろうと全く気にしない。

最初は、同じ夢を見ることになにか意味があるのではと思ったが、三年経っても変化はないのでその考えはだいぶ前に捨てた。捨てたが何度も懲りずに見てしまう。

だから俺はこの夢に名前をつけた。

————『カラの夢』と。

内容もなく、意味もない。ただ真っ暗な空間で時がくるのを待つ。

どうして俺はこんな夢を見るようになったのだろうか……。

「一ノ瀬君、起きなさい。一ノ瀬君」

いきなり視界が真っ白い光に包まれ、俺を呼ぶ声が聞こえてくる。
そろそろ夢から覚める時間がきた。

第一章 決意 1−2

「一ノ瀬君!」
「……ごめんなさい。寝ていました」

担任である立川先生に起こされ俺は目を覚ます。

「授業中は寝ないように」
「すみません……」

起こし終えた立川先生は、教科書片手に教壇へと戻っていく。
立川緑。俺達五年三組の担任。初めて担任を持つことになったらしく、四月当初はかなり緊張していたようだが、今ではその面影を微塵も感じさせられない。
性格的には今時の先生にしては珍しく積極的で、休み時間などはよく生徒達と教室で話したり、外で遊んだりしている。
そのため、生徒や親からも人気が高い。

「はい、それでは次の問題に入りますよ」

教壇に戻った立川先生は、再び問題を黒板に書き始める。

「一ノ瀬君っていつも寝てるよね」

隣に座っていた大月という女の子がこっそり声をかけてきた。

「毎日夜遅くまで起きてるの?」
「いや、そんなことはないけど」

基本的には夜の十一時頃には眠りについているので遅くはないだろう。とくに秘密にしておく意味もなかったので、大体の時間を大月に教えた。

「ならどうしていつも寝てるの?」
「授業を聞いてると眠たくならない?」
「ならないよ。ノートを取ったりしないといけなもん」

小声で話しながら、今も黒板に問題を書き続けている立川先生に視線を向ける。
周りの奴らも真剣に黒板の問題をノートに書き写し、授業中に寝ているのは俺くらいだった。

「一ノ瀬君もノート写さないと」

要は、最初からノートを取った方がいいと言いたかったらしい。
それだけ伝えると、大月も黒板の問題を写し始めた。

「一ノ瀬君、私語は禁止ですよ」
「いや、俺は……」

大月が話しかけてきたらと答えようとしたが、ノートを取るようにと注意を受ける。
どうやら大月の声は、立川先生には聞こえていなかったようだ。

なんで俺だけ……。

「分かりましたか?」
「ごめんなさい……」

一先ず立川先生に謝り、俺は渋々ノートを開いた。

勉強か……。

言われた通り、ノートを開いて鉛筆を手に取るも、どうもやる気が起きない。
俺は早急にノートを移すことを止め、頬杖をつきながら窓の外を眺める。
因みに、俺の席は窓際一番後ろと誰もが羨む場所。
そんな特等席から窓の外を眺め、ふと思ってしまう。

————本当に、勉強などする意味があるのかと。

曇りがかった空の下、眺める先にはいくつもの倒壊した建物。
前は大きなスーパーがあった場所も、今では更地となっている。
車、人通りが少ない道路。そもそもここを学校と呼んでいいのかすら怪しい。
机や黒板は確かにあるのだが、ロッカーや隅に置いてありそうな大きめなストーブといった学校らしいものはなに一つ置いていない。何故ならここは、大きなビルを使用している一時的な仮の教室、一時的な仮の学校だった。

そのため、建物全体に学校らしい要素は一つもない。

こんなところで勉強と言われても……。

周りの奴らが平然と、あたかもここが昔から通っていた学校のように生活しているが不思議で仕方がなかった。

「いいですか、ここはちゃんと覚えて下さいね」

このまま奴らにやられっぱなしなのだろうか……。

もう一度窓の外を眺め、三年前の惨劇を思い出す。

第一章 決意 1−3

今から三年前。気がつくと見知らぬ女の人に手を引かれながら俺は走っていた。

ここが何処なのか、自分が誰なのか、全く分からない。前の記憶が全くなかったのだ。
ただ俺は、引かれるままに走り続ける。

「ここどこ……」
「……」

俺の手を引く女の人に声をかけるも返事はない。

「ねえ、ここ……」
「今は走るのよ!」

もう一度尋ねようとした俺の言葉を遮り、女の人は話を続ける。

「今は走って、走って、奴らが追ってこない場所まで逃げるの!!」
「奴ら……?」

そこで初めて周囲が悲惨な状態になっていることに気がついた。

建物や家は倒壊、無造作に乗り捨てられた車、あちこちから炎と黒煙が上がり、空は見たこともない絶望的な色に変わり果てていた。そして一番は——、

「きゃあああああああ!」
「助けてくれええええ!」
「誰か! 誰かあああ!」

周囲から聞こえてくる人間達の苦痛な叫び。

「ねえ、あれ……」

目に入ってきたものを指差し女の人に声をかける。
指をさした先には頭から血を流し、瓦礫の下敷きとなっている女性の姿が。

「た、助けて!」

こちらにに気がついたのか、女性は必死に助けを求めている。
他にも炎の中に取り残された家族や、車の中で倒れている男性など、全ての人間がこちらを見て助けを求めていた。

「ねえってば」
「見ちゃ駄目よ! 今は自分が生き残ることだけを考えなさい!」
「…………うん。分かった」

助けを求めてきた女性の言葉に目を瞑り、俺は言われた通りに走り続ける。
生き残るために走り続けた。

「行かないで!」
「誰かあああ!」

それでも助けを求める人間達の声は止まず、その悲鳴は耳を通り、体の奥底に深くに刻まれていく。
それを無視し、「ごめんなさい、ごめんなさい」と目を閉じながら、多くの人間達を見捨てて走り続けた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「ここで少し待っていて」

あれからどれ位走り続けたのだろうか、俺は女の人と共に誰もいない建物へとやってきた。

「いい、絶対ここから動いては駄目よ」
「分かった……」

すぐに戻ってくるからと約束し、女の人は足早に建物の外、地獄へと駆けて行ってしまう。

一人取り残された俺は、怯えるように部屋の片隅に腰をおろし、体育座りの状態で帰りを待つことに。すると、あれだけ走り回ったせいか、座った途端に強烈な疲れと睡魔が襲いかかる。
俺は十分と経たないうちに眠りにつき、次に目を覚ましたのは誰かの足音が聞こえた時だった。

「帰ってきたの?」

先ほどの女の人が帰ってきたものだと思い、俺は急いで飛び起き足音のする方へと向かう。
足音の方もゆっくりとだが確実にこちらへと向かっていた。

これで一安心。

あの人が誰だか分からないが、今の俺にとっては誰かといることが唯一の支えとなっていた。

「俺はここだよ」

女の人に聞こえるように大声を出しながら足跡の方へと近づく。しかし、俺はこの時点で考えるべきだった。どうして、こちらが声を出して呼んでいるのに向こうから返事がないのかと、聞こえてくる足音が妙に遅いのかと。

「俺はここ———」

声を出しながら角を曲がった瞬間、
——————奴はそこにいた。

「……」

その光景を目の当たりにし、無言のまま一歩二歩と後ずさりしてしまう。

「……」

体の至る箇所が黒色に変色し、左腕や右足が通常ではありえない方向に曲がっている。それに目は真っ赤に染まり、開いた口から流れる唾液。

「…………」

目の前のそれを、俺は決して人間とは呼べなかった。

——ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛
突然叫び出す化物。

「う、うわあああああ!」

いきなり叫び出した化物に驚き、思わずその場で腰を抜かしてしまう。

「くるな! くるな!」

体を引きずりながらも化物との距離をとろうとする。だが、奴もこちらに迫ってきているので確実に距離が縮まっていた。

——ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛

そして、ついには追い詰められ化物が俺に噛みつこうとしたその時、何故だか分からないが奴の動きが一瞬止まった。

「……え? ……っ!」

その隙をついて開いたスペースを駆けた。

幸い、奴は足を負傷していたのでこちらに追いつくことはない。俺は駆けた勢いで近くに置いてあった観葉植物を倒し、奴の進路を妨害しつつ外へと避難する。

「……そ、そんな……」

外は先ほどと状態は変わらず、火災、崩落、悲鳴や叫び声と、この世の終わりを思わせるような光景。その終わりを加速させるように奴らが。
今にも人間を襲おうとしているもの、獲物を探すように辺りをさまようもの、俺に襲いかかってきたような化物で街は溢れかえっていた。
そこで全てを理解する。

——これは奴らの仕業だと。この火災も、この崩落も全て。奴らは人間を喰らうためにやってきた悪魔だ。

理解した瞬間怖くなり、俺は急いで今いた建物へと引き返そうとする。だが、ビルのロビーには先ほどの化物が。正面には奴らの群れ。

「助けてええええ!」

近くでは、こちらに助けを求める男性。
当然、俺にはどうすることも出来ず、男性は化物の群れに襲われてしまう。奴らが重なり合うように男性に群がり、助けを求めて伸ばしていた右腕が見るみるうちに力なく崩れ落ちる。

「いや! こないで!」
「くるなあああああ!」

また人が殺された。簡単に、呆気なく。
腕を噛まれ、首を噛まれ、俺みたいな子供に助けを求めながら奴らに殺された。

目を閉じると今まで聞こえていた人達の悲鳴や叫びが、大きな雪崩となり押し寄せる。

「…………うあああああああ!」

気がつくと、女の人との約束を無視して駆け出していた。

その間も、至るところで奴らを見つけた。奴らに殺される人間を見つけた。

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

俺は大量の涙と、大声を出しながらただがむしゃらに走り続ける。奴らがいない場所へと。
しかし、心の何処かでは分かっていた。そんな場所はもうこの日本にはないことを。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「ハァ……ハァ……ハァ……」

あれからひたすら走り続け、気がつく頃には朝日が昇っていた。

走り続けたせいで足は全く上がらず、先ほどから天を眺めるように大の字で倒れ込んでいる。今奴らに襲われたら確実に殺されてしまうだろう。
既に覚悟は出来ていたのだが、奴らが襲ってくることはなかった。それどころか、朝日が昇る頃には聞こえた悲鳴や叫び声が落ち着き、奴らの姿も消えていた。

俺は運良く助かったのだ。

と言っても自分の名前、住んでいる場所、家族の顔すら思い出せない状態。
そんな状態を果たして生きていると言えるのだろうか。

「俺は一体何者なんだよ……」

自分の正体を問うように天へと語りかける。

「……」

当然答えが返ってくることはない。
聞こえてくるのは助けを求める人の声と、行き交う消防、救急車などの音ばかり。

「……一人は嫌だよ」

今の一言は声に出していたのだろうか、それとも心の叫びなのだろうか、もう俺には分からない。ただ、もしこの声が誰かに届いているのなら、助けてほしいと俺は強く願った。

「どこ行ってたの!?」

どこからか人の声が。
しかし、今の俺を助けてくれるような人は誰もいない。
どうせ別の人へと向けられたものだと思っていたが、
「——なんでじっとしていなかった!?」
視界に入り混んだのは、夜に俺を助けてくれた女の人だった。

「あなたは……」
「探したんだから!」

言いながら、倒れている俺を起こして強く抱きしめる。

「じっとしていなさいって言ったじゃない!」
「ごめんんさい……」
「怪我はない!?」
「うん……」

無事を確認すると、女の人はもう一度俺を強く抱きしめてきた。

「もう大丈夫! 大丈夫だから!」

女の人は、俺を抱きしめながら涙を流している。
先ほどよりも強い抱擁。正直かなり苦しかったが、それだけ心配してくれていたことが伝わり、とても嬉しかった。心が温かい気持ちになった。疲れなども忘れ、大声で泣き続けていたのだ。

第一章 決意 1−4

天災、悪魔の使いなどと騒ぎ立てられた化物達は、一日足らずで人口の三割を殺しつくし、忽然と姿を消した。そして、俺は一ノ瀬裕太として助けてもらった女の人の下で、一つ上の兄、海斗と一緒に暮らすようになったのだ。


もう三年経つのか……。

あれからあの化物達が現れることは一度もなかった。
一体奴ら何者で、どこから来たのだろうか。何故、あんなにも人間を襲ったのだろうか。分からない。子供の俺がいくら考えても答えが出るはずもなかった。

俺はクラスを見渡す。

こいつらのなかには、親や友達を奴らに殺された人もいるに違いない。
もしかしたら、あの悲鳴や叫びの中にいたのではないだろうか。考えるだけで胸が握り潰されたように苦しくなった。

クソッ……。

自然と鉛筆を持つ手に力が入ってしまう。

このままじゃ駄目だ……。

三年もの月日が経つと、あの惨劇を話すような人が少なくなる。子供なら尚更だ。
しかし、俺は考えてしまう。こうして過去のことにしてしまって良いのだろうかと。
確かにノートを取って勉強することも大事だ。だが、それよりも奴らへの対策を考える方が大切なのではと考えていた。

「一ノ瀬君、ちゃんとノートは取っていますか?」

立川先生に注意されるも、考えは変わらない。

「一ノ瀬君」
「先生、俺達こんなことしてていいんですか? もし、また奴らが襲ってきたら!」
「——襲ってくる訳ないじゃん」

立川先生に声を荒げていると、近くに座っていた木村という男子が鼻で笑いながら横槍を入れてくる。

「なんでそう言い切れるんだよ」

頭にきた俺は、横槍を入れた木村の前に立ち、睨め付けるように相手を威嚇する。
木村も俺の行為に腹が立ったのか、自分の席から立ち上がりこちらを睨み返してきた。

「父さんが言ってたぜ、あんなの何千年に一度あるかないかだろうってな」
「どうしてそんなことが言い切れるんだよ!」
「俺の父さんはテレビ局で働いてるからな、あの出来事の話は色々と聞かされてるんだよ」
「そんな適当な情報信じるのかよ」

あの惨劇については色々なメディアで取り上げられていたが、どれもいい加減な情報ばかり。

「あ、お前、もしかして怖いの?」
「んだとお!」

俺は勢い余って木村の胸ぐらを掴んでしまう。それを合図に木村もこちらの胸ぐらを掴み返し、一触即発の状態。

「木村負けるなー」
「やっちまえ!」

周りはこの状況を楽しんでいた。

「ストップ! そこまでです!」

そんななか、立川先生だけが冷静に俺と木村の間に割って入ってきたので、仕方なく掴んでいた手を離す。しかし、お互い相手を睨みつけることは続けている。そんな様子に、立川先生は大きなため息を吐きながらこちらに振り浮いた。

「一ノ瀬君、いきなり相手を掴んじゃ駄目ですよ」
「だってあいつが」

あの惨劇を笑い話にしようとしていたからと、立川先生に伝える。

「いいですか、確かに三年前、私達は大変な被害を受けました。しかし、こうして一歩ずつ前に進んでいます。今は後ろを振り向くのではなく前に進みましょう」
「そうだよ、あんな出来事あと何年か経てば完全に忘れちまうよ」
「木村君!」

さすがに不謹慎ですと立川先生は木村に注意する。

忘れる? あの惨劇を……?

『行かないで!』
『誰かあああ!』
『助けてくれええええ!』

今でも鮮明に覚えている。家や建物は倒壊、無造作に乗り捨てられた車、あちこちから炎と黒煙が上がり、空は見たこともない絶望的な色へと変わった世界。

あれを忘れるだって……。

気がつくと、俺は木村を殴っていた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「それはお前が悪い」
「だってさ、あいつが……」

学校からの帰り道、夕日が沈みかける中を兄の海斗と一緒に歩いて家に帰っていた。
結局、あのあと木村とは殴り合いの喧嘩になり、クラス内が騒ぎになった。当然、最初に手を出した俺は、立川先生にこっぴどく叱られる始末。

「手を出したのはお前からだろ?」
「まあ、そうだけど……」
「だったらお前が悪いよ」

海斗や立川先生が言っていることは確かに正しいと思うが、俺にはどうしても許せなかった。

「海斗はあの惨劇を忘れたり出来るか?」
「まあ、正確には覚えてはいられないだろうな」
「か、海斗もあいつらと同じこと言うのか!?」

予想もしていなかった返事に、つい当たるような態度をとってしまう。
だが、海斗は至って冷静に俺の言葉に答えていく。

「お前だって、あの時のこと全てをそのまんま覚えている訳じゃないだろ?」
「それは……」

木村と話している時は鮮明に覚えていると思っていたが、海斗の言う通り、全てをそのまんま覚えている訳ではない。しかし、あの悲鳴や叫びは絶対に忘れないと、海斗の目をまっすぐ見て答える。

「俺だって忘れないさ」
「だったらどうして、あいつらと同じようなこと言うんだよ」
「前に進まないとあいつらには勝てない」

俺には全く意味が分からなかった。

「俺はあの化け物達許さない。あいつらに殺された人達を忘れない。それじゃ駄目か?」

普段は冷静で優しい海斗だが、たまに恐ろしいほど怖い一面を見せる時がある。
今まさにその状態。
この状態の海斗にはなにも言い返すことが出来ない。昔何度か言い返したら酷い地獄をみた。

「俺さ、大きくなったらあの化物達と戦える組織を作ろうと思ってるんだ」
「組織?」
「ああ、もう二度とあんな悲劇は繰り返さないために、みんなを守るために」

拳を強く握りしめ、熱い思いを語る海斗。
こんな海斗を俺は初めてみた。

奴らと戦う組織……。

俺も、海斗と同じようにあの惨劇を防ぎたいと思っていた。

「——俺も手伝う。俺も海斗の夢に協力するよ」
「ああ、お前がいればなんだって出来る気がするよ」

一緒にあの化物達を倒そうと、海斗が俺に手を差し伸べてきた。

勿論、差し出された手を躊躇うことなく強く握り、海斗がやろうとしている計画に協力する意思を示す。
そうだよ、無いなら俺達で作ればいいんだ。奴らを、あの化物達を倒す組織を。みんなを守る組織を。

「やろう海斗」
「ああ、勿論だ」
お互いの決意を再確認しあい、再び力強く手を取り合った瞬間——、


空が一瞬強い光に包まれ、遅れて雷鳴のような轟音が街全体を包み込んだ。

第一章 決意 1−5

「裕太、裕太起きろ!」
「……かい、と……?」

俺は海斗に起こされ目を覚ました。

「大丈夫か、怪我はないか?」
「俺は大丈夫、それより……」

実際怪我はなく、気を失っていただけの俺は体を起こして絶望する。

「な、なんだよこれ…………」

飛び込んできた光景に、俺はまだ夢を見ているのではないかと錯覚してしまう。
オレンジ色に染まっていたはずの空は絶望的な色へと変わり、建物からは炎と黒煙、逃げ惑う人々の悲鳴や叫び。俺はこの光景を知っている。

——三年前、あの惨劇と全く同じ光景だった。

「おい、裕太大丈夫か!?」

目の前の光景に絶望していた俺を海斗が呼び戻す。

「海斗、これって……」
「間違いない。三年前と同じだ」

三年前、多くの人間が命を落としたあの惨劇。

海斗は冷静に状況を判断し、俺の言葉に答えた。

またあれを繰り返そうというのか……。

『行かないで!』
『誰かあああ!』
『助けてくれええええ!』

目を閉じると脳裏を過るあの忌まわしき記憶。
人々が化物達に殺され、命を落とす。このままではまた多くの人が犠牲になってしまう。

なんでまた……。

「裕太、あれ!」

隣に立っていた海斗が、大きな声を上げながら煙が最も上がっているところを指差す。

「……」

そこには不気味に白いローブを被った人影が。
一体どんな方法を使っているのかは分からないが、その人影は空中に浮いていた。

「うそだろ……」

一目見た瞬間、あいつが普通の人間ではないことを、あいつが全ての元凶であることが分かってしまった。
今も不気味に浮く人影を睨んでいると、男とも女とも判断つかない声が街全体に響き渡る。

「ワタシノナハ マクシラ コレヨリニンゲンタチヲシハイスル」

一言だけ告げ、マクシラと名乗る人影は一瞬にして姿を消す。そのあと先ほどと同じように雷鳴のような轟音が至るところから聞こえてきた。

「海斗ッ!」
「分かってる!」

海斗も険しい顔をしながら、マクシラと名乗った奴の言葉を思い出している。
やはり俺と同じように、これが三年前より深刻な状態を示していることは分かっているのだろう。

「とにかく急いで家に戻るぞ! 母さんが心配だ」
「分かった!」

提案通り、俺と海斗は急いで戻ることにした。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「誰か、救急車を呼んでくれ!」
「来るな化物!」

駆け足で家に戻る最中、助けを求める声や、化物達に襲われる人達の叫びが耳に飛び込んできたが、俺と海斗はまず母さんを助けるため、周りを見捨てて走り続けていた。

くそ、ごめん……。

「裕太、今は我慢だ!」
「……分かってる!」

考えが伝わっているのか、俺の少し前を走る海斗が背を向けたまま強く答える。きっと、海斗も周りの人達を助けたいと思っているのに違いない。

「海斗!」
「なんだ!?」
「俺は、あいつらを絶対に許さない!」
「当たり前だ! 母さんを安全な場所に避難させたらみんなを助けるぞ!」
「分かった!」

まずは母さんを助けることを第一に、俺と海斗は走り続けて家の近くまでやってきた。

そんな……。

予想通り近所も悲惨な状態。
至るところから炎が上がり、よく足を運んでいたコンビニも倒壊。まるで別の世界にやってきたような錯覚すら覚えてしまう。

「海斗君!」

俺と海斗が変わり果てた光景に絶望していると、大きな荷物を背負った女の人が声をかけてきた。
その正体は隣の家のおばさんで、この街にやってきてからはなにかとお世話になっている。

「あんたたち無事だったのね!」

そんなおばさんが、血相変えて俺と海斗の下までやってきたのだ。

「おばさん、母さんは?」
「あんたたちが帰ってくるかもしれないって、家の近くで待ってるよ!」

どうやら母さんは無事らしい。

無事を確認した途端、少しだけ肩の力が抜けた気がする。しかし、そんな安心を壊すかのように、おばさんが口を開く。

「家の近くにあいつらが出たらしいのよ!」
「え…………」

俺の安心は一瞬にして崩れさった。

奴らが家の近くに……。

「海斗!」
「ああ、行くぞ!」
「ちょっとあなた達!」

おばさんの制止など耳を向けず、俺と海斗はすぐ近くの家まで急いだ。

母さん、母さん……。

最初の方は、こう呼ぶことには慣れずかなり苦労したのだが、母さんの優しさ、愛情を一身に受け俺達は家族になれた。全てを諦めていた俺を母さんが抱きしめてくれた。

今度は俺が助ける番だ!

そう心に誓い、俺と海斗は家の近くまでやってくる。

「海斗! 裕太!」

俺と海斗が見つける前に、母さんがこちらに気がつき駆け寄ってくる。そして、そのまま俺達を大事そうに包み込む。相変わらず包み込む力は強いがそれが何故だか安心する。

「二人とも怪我はない!?」
「俺達は大丈夫、それより母さんは?」

海斗が母さんの言葉に答える。

「お母さんは大丈夫。それよりも本当に無事でよかった!」

そういうと、母さんはもう一度俺と海斗を力強く抱きしめた。

「母さん、今は逃げよう」

ここでも冷静な海斗は、母さんを安全な場所へと避難させようとしている。

「行こう、母さん」

それは俺も賛成だったので、母さんの手を取り走り出す準備を始める。
幸い、周りにいるのはあの時と同じような奴らばかりなので、走れば簡単に逃げ切れるだろう。あとは安全な場所を探すのみ。

「あっちに行っては駄目よ」

ここまでくる途中の道は奴らで溢れ返っているため、違う方向へと逃げようとしたのだが、それを母さんが止める。

「どうしてだよ」

今も奴らは近くにいる。だから止まっている場合ではないと母さんに伝えるのだが、俺の手を握り、引き止められてしまう。

「あっちも危険よ、もうあいつらで溢れ返っている」
「そんな……」

しかし、来た道も既に奴らで溢れ返っているので、引き返すわけにもいかない。
俺達は行く手を遮られてしまった。

くそ、どうすれば……。

隣の海斗を見ても、退路を断たれ苦い顔を浮かべていた。

このままじゃ……。

最悪の状態を想像してしまい、強烈な吐き気が込み上げる。

「裕太、大丈夫!?」

慌てて母さんが俺の背中をさするも我慢をすることが出来ず、学校で食べた昼食を吐き出してしまう。

「ハァ……ハァ……」
「大丈夫!?」
「ごめん、大丈夫だから」

もう大丈夫と言いながら、俺はもう一度立ち上がって辺り見渡す。
乗り捨てられた車からは場違いな洋楽が流れ、その周辺を飼い主とはぐれたであろう犬が寂しそうに鳴いている。みんな自分が生き延びることで精一杯だった。

このままだと本当に俺達は……。

俯いていると、母さんも俺の頭を撫でながら立ち上がる。

「海斗、裕太、走る準備は出来ているわね」

母さんが真面目な表情で俺と海斗に訪ねてきた。

「もちろん」
「お、俺だって!」

海斗に遅れて俺も走れる準備が出来ていることを母さんに伝える。

母さんは一体なにを……。

俺には訳が分からなかった。

「いい、今から家まで走るわよ」
「家まで!?」

突然の発言に驚き、思わず大きな声を上げてしまう。

「絶対に立ち止まったら駄目よ」
「でも母さん……」

ここから家までの距離は二百メートルもないのだが、辿り着くまでには奴らのなかに飛び込まなくてはいけない。それがどれほど危険なものかは大人である母さんなら分かっているはず。だが、それでも行こうとしている。生き残るために。俺達を助けるために。

「家の地下室に隠れてあいつらが消えるまで待つのよ」

それが唯一生き残る方法だと母さんは言う。

「分かった」

引き返したところで奴らからは逃げることは出来ない。
海斗は覚悟を決め、前だけを見据える。生き残るために。奴らを倒すために。
当然、海斗も俺と同じ子供。この状況が怖くない訳ないないのだが、気丈した態度を振る舞い続けている。

「裕太、本当に大丈夫?」

気丈に振舞う海斗とは対照的に一度は大丈夫と答えたが、いざ行うとなるとやはり恐怖が先行してしまう。もし失敗したら、もし誰かが奴らに捕まったら、考えつくのは最悪の結果のみ。

「大丈夫よ、お母さんが必ず守るから」

足がすくんで動かない俺を、母さんが優しく抱きしめる。

「裕太は前だけ見て走り続けなさい。大丈夫。お母さんを信じて」
「俺も裕太を守るぜ」
「……」

二人の言葉を聞き、自分がやろうとしていたことを思い出す。

そうだ、俺は奴らと戦うって決めたんだ! こんなところで怖気付いている場合じゃない!
「————俺も母さんと海斗を守るよ」

怖いが覚悟を決め、奴らのなかに飛び込む決意をした。

「二人共、お母さんから絶対離れちゃ駄目よ」
「分かった」
「うん」

俺達は覚悟を決め、母さん、俺、海斗という順番で奴らのなかに飛び込んでいった。

第一章 決意 1−6

「二人共、大丈夫!?」
「ああ!」
「だ、大丈夫……」

奴らが群がる場所を避けるように走り続け、家までの距離はあと五十メートル。
予想通り、奴らは足が遅く、こちらに気がつく前に走り抜けているので捕まることはなかった。

こ、これなら……。

「あと少しよ、頑張って!」

母さんがこちらを振り向き俺と海斗を鼓舞する。

「俺は大丈夫!」

海斗の表情からは先ほどのような苦い表情は消え、言葉通り余裕で残りも走りきる勢いだった。
対して俺の方は——。

「ハァ……ハァ……」

決して体力が無いわけではない。むしろ自身がある方なのだが、顔からは大量の汗を流し、呼吸は乱れ、立っているのがやっとだった。
多分、ここまで疲弊している原因は極度の緊張だろう。一歩謝れば命を落とす。その極限状態が俺の体力をいつも以上に奪っていたのだ。

や、やばい……。

既に限界は超え、このまま家まで走りきれる自身がない。

「おい、裕太!」

海斗が俺の名前を呼んだ時にはもう遅く、足がもつれてそのまま転んでしまった。当然、俺が転んだことで立ち止まってしまう海斗と母さん。このままのペースで走り続けていたら、奴らに追いつかれることはなく家まで辿り着いたのだが、転んでしまったことで距離が一気に縮まってしまう。

「裕太!」

母さんは慌てて俺を背負う。

「海斗行くよ!」
「分かった!」

再び走り続ける海斗と母さん。

「ごめん! ごめん!」
「大丈夫、お母さんが絶対守るから」

言葉通り、俺を背負った状態で母さんと海斗はドアの前までやってくる。あとは鍵を開けて、地下に避難するのみだった。

「母さん! 奴らがきたよ!」
「分かってる!」

しかし、俺が転んだせいで奴らとの距離が縮まり、すぐそこまで迫っていた。

「早く! 早く!」

海斗が家の前で奴らの動向を確認しつつ急ぐようにと伝えるが、裕太を背負いながら走った母さんも体力の限界を迎えていた。そのため、手が震え、上手く鍵を入れることが出来ない。

「母さん! 急いで!」
「——あ、開いたわ! 二人とも急いで!」

母さんがドアを開け、家のなかに入るよう指示を出す。
俺、海斗という順番で家のなかへと入り、あとは母さんのみ。しかし、ドアの前まで奴らが近づいていた。

やばい、このままだとドアを閉めてもすぐに……。

あの量の化物達が一度にぶつかれば、たちまちドアは壊れ、地下室に逃げることは出来なくなってしまう。

「母さん早く!!」

海斗が激を飛ばすも、母さんはその場に立ち止まりなにかを考えていた。いや、なにかを覚悟していた。

「二人ともいい?」

急いで家のなかに入り、母さんはドアを背中で押さえながら俺と海斗の顔見据える。
その表情には迷いや後悔もなく、ただ二人に生き延びて欲しいという気持ちだけしかなかった。

「母さん早く!」
「海斗聞いて」

急いで地下室に向かおうと提案する海斗の言葉を遮り、母さんは話を続ける。

俺達と最後の会話を。

「いい、ここからは二人で行くのよ」

母さんは覚悟していた。自分が犠牲になって俺と海斗の逃げる時間を作ることを。

「……」
「はあ、な、なに言ってんだよ!?」

本心では母さんが言っていることを理解しているつもりだったが、それを否定するためにも俺は大声を出す。その間、海斗は全てを理解したように、唇を噛みしめ下を向いていた。

「海斗、裕太、聞いて。このままだと奴らがこのドアを壊してなかに入ってくるの」
「だから地下室に逃げるんだろ!」
「そうよ。でも、ここで誰かがドアを抑えていないと、地下室に逃げる前に奴らに殺される」

だから母さんが少しでも時間を稼ぐと、俺と海斗に生きて欲しいと、言葉を続ける。

「そんなの嫌だよ! 俺達三人で生き残るんだ!」

海斗からも説得して欲しいと視線を送るが、今も下を向き、必死に涙を堪えていた。

「裕太……」

早く行こうと言っているのだが、母さんは首をゆっくり横に振る。

「どうして……」
「いい、こんな世界でも助け合えば生きていける。こんな世界だから——」
「そんなこといいから早く!」

聞いてしまったら本当に母さんとはお別れになってしまうと判断した俺は、大声で話を遮り、強引でも連れて行こうとする。

「裕太、もうやめよう……」

母さんを引っ張る手を、海斗がそっと掴む。しかし、その手には驚くほど力が込められていたため、つい母さんから手を離してしまう。

「ありがとう、海斗」
「うん……」

海斗は下を向いたまま一度だけ頷く。

どうしてだよ……。

確かに母さんが言っていることは正しい。
このままだと三人共奴らに殺されてしまう。それでも、それが分かっていても、置き去りになんて出来なかった。

「私達は家族よ。それはどんなことがあっても変わらない。たとえ、お母さんが側にいなくても私達は繋がってる。絶対に一人じゃない」

母さんは話を続ける。

「海斗、裕太こっちにおいで」

俺と海斗は言われた通り、母さんの下へと歩み寄る。その瞬間——、

「絶対に生きて! 二人で生き延びなさい! お願いよ! 絶対……絶対に……。お母さんが見守ってるから。だから…………生きて!」

最後の抱擁はとても力強く、これから出来ない分を補うように、優しく、そして長く、母さんは俺達を抱きしめた。

「二人とも、私をお母さんにしてくれてありがとう……」

その言葉を最後に、俺と海斗は母さんから離れ、地下室へと向かった。


「裕太、ごめんね……」


最後に母さんがなにかを言っているようだったが、俺の耳に届くことはなかった。

第一章 決意 1−7

あれからどれくらいの時間が経ったのだろうか、無事地下室へと逃げ込んだ俺と海斗は、備わっていた食料と水を飲み、奴らがいなくなるのをただひたすら耐えていた。

「食うか?」
「いらない……」

逃げ込んですぐ、母さんを見捨てた海斗に腹が立ち勢いよく顔面を殴った。しかし、地面に倒れたのは俺のほうだった。

顔が熱い。

どうやら俺が手を出した際、海斗もこちらを殴っていたようだ。
そこからはお互い掴み合いの応酬、体力の続く限り殴りあう。そのため今は気まずい空気から、相手の顔を見ることが出来ない。

まだ痛いな……。

最初に殴られた箇所がまだ熱を持っている。

「なあ、裕太」

海斗がぎこちなく話しかけてきた。

「なんだよ……」

つい無愛想に答えてしまう。

「……ごめん」
「え……」

突然謝る海斗の様子に、素っ頓狂な声を上げてしまった。
それでも海斗はちゃかすことなく、片手にペットボトルを持ったままこちらへやってくる。

「……母さんを見捨ててごめん」

俺の前に立った海斗は、ペットボトルの水を自身にかけながら頭を下げてきたのだ。

「海斗なにを!」
「母さんを見捨てたのは俺だ。怖かったんだよ、死ぬのが……」
「海斗……」

あの冷静な海斗がこんな行動に出るなんて予想外だった。それくらい今、この状況に追い詰められていたのだろう。それを知らずに俺は海斗を殴ってしまったと考えると、顔より胸が痛む。

「もう大丈夫だから」
「大丈夫?」
「ああ、もう俺は逃げない。お前のことも絶対に守ってやる」

「だからもう一度俺と生きていこう」と、海斗は手を差し伸べてくる。
その間も俺を責めることはなく、全てを一人で背負い生きていこうとしていた。

勿論海斗と生きて行くことは賛成だ。だけど……。

俺は海斗の手をとらずに立ち上がる。

「裕太?」
「——海斗は俺が守る」

『二人で生き延びて!』
母さんが最後に残した言葉を思い出す。

「一人で背負っちゃ駄目だ、俺達は家族だろ。家族が困っていたら助ける。違うか?」

その一言で肩の荷がおりたのだろうか、海斗の表情が先ほどより柔らかくなった気がする。

「一緒に頑張ろう」

そう言い直し、海斗は再び手を差し伸べてきた。

「勿論!」

次は差し出された手を拒むことはなく、俺も強く握り返した。二人で生きて行くことを新たに誓うように。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「そろそろ大丈夫かな?」

さすがに何時間も狭くて暗い空間にいるのは精神的にも辛く、少しでも早く外に出たいと思っていた。

「いや、まだ様子をみるべきだ」

しかし、海斗は俺の提案には乗らず、もう少しだけこの地下室に残っているべきだと言い出した。幸い、この地下室には外から酸素が送り込まれる構造になっている。それに水や食料、寝袋のストックも十分。そのため、無闇に外へと飛び出すより地下室にいた方が安全だと海斗は言いたいのだろう。

「大丈夫だよ、奴らの声もしない」

先ほどから海斗の話を聞きながらも、扉に耳を押し当て外の様子を確認しているのだが、奴らの足音や声は聞こえてこない。俺は確実に大丈夫だろうと思っていた。

「……」
「な、海斗も外に出たいだろ?」
「……駄目だ」

それでも我慢の出来なかった俺は、海斗の言葉を無視して外を確認しようと扉に手をかけてしまう。しかし、開けた瞬間俺は後悔した。何故海斗の言うことを聞かなかったのかと、何故もう少しだけ我慢をすることが出来なかったのかと。

「クソッ……!」

俺は外の様子を確認すると、急いで扉を閉じる。

「裕太……?」
「奴らだ、奴らがいたんだよ!」

そう、扉を持ち上げた先に奴らがいたのだ。

「ちょっとどけ!」

海斗は険しい表情で俺の下まで駆け寄り、慎重に外の様子を確認する。

嘘だろ、どうして……。

急いで周りを見渡すもここは地下室。当然、逃げ場は目の前の扉しかない。

「海斗、どうする?」
「落ち着け、あいつらはまだこっちに気がついていない。このままやり過ごせば——」
「おぉ、そっちになにかいたのかー」

奴らは人の言葉を喋ることはない。それは直接奴らを見てきたから間違いない。間違いないはずなのだが……。

「って、こいつらに話かけても無駄か」

奴らの唸り声のなかから人の言葉が聞こえてきたのだ。

「海斗……」
「ああ、間違いない……」

声の主も奴らの仲間。しかも言葉を話せるあたり知能も発達しているのだろう。そんな奴にここを気づかれてしまえば完全に終わり。二人とも殺されてしまう。

やばい、やばい、俺が外の様子を確認しようといったばっかりに……。

当然訪れた絶望的な状況に、俺は頭を抱えてその場にしゃがみ込む。またも脳裏によぎる人々の悲鳴や叫び、無残にも殺されていく姿。自分も同じようになってしまうと考え、パニックを起こす。

殺される! 殺される! 俺の考えが甘かったばかりに……。

「ハァ……ハァ……ハァ……」
「おい、裕太大丈夫か!?」

海斗もしゃがみ込み、俺の背中をさするように声をかけてくれているのだが、全く耳には届かない。

駄目だ、今回ばかりはどうすることも出来ない……。

三年前、奴らに襲われたかけた時はなんとか逃げ切れた。母さんの犠牲でなんとか地下室まで逃げ込むことが出来た。しかし、今回ばかりは退路を断たれ奴らは確実にこちらへと向かってきている。

くそ、ここまでなのか……。

全てを諦めかけたその時、海斗の手が俺の肩に触れる。

「——大丈夫」

海斗は、まるで母さんに拾われた時のような優しく温かい表情をしていた。

「海斗……」
「大丈夫、裕太は俺が守る」

一言、たった一言だけ伝えたあと海斗は立ち上がり、扉を真剣な面持ちで見つめる。
そこで、海斗がこれからやろうとしていることを察してしまった。分かってしまったのだ。

駄目だ、止めないと。

このままでは海斗まで命を落としてしまう。俺を守るために、俺を生かすために。海斗は母さんがやったように奴らの犠牲になろうとしていたのだ。

「か、海斗、駄目だ!」

声が震え、ちゃんと伝えることが出来たのかは分からないが、俺は扉に向かう海斗の手を掴んだ。

「行ったら奴らに……」

殺されてしまう。そう言いたかったのだが、次の言葉が出てくることはなかった。

「大丈夫、俺は死なないよ。奴らの気を引いたら必ず戻ってくる」

今までにないくらい優しい声の海斗に、恐怖さえ覚えてしまう。
どうしてここまで落ち着いていられるのだろうか、どうして人のためにここまで体をはることが出来るのだろうかと。

「……裕太」

心の声が海斗に届いたのだろうか、掴んでいた手をゆっくりと払い、こちらを振り向いた。

「海斗……」

そして迷いのない表情で、
「——家族は守る」
と答えて扉に手をかけてしまう。
まだ間に合う。まだ海斗を止めることが出来る。
そのはずなのに、俺は海斗の背中を眺めていることしか出来なかった。

「——またな」

海斗は奴らを威嚇するように扉の向こうへと飛び出して行った。また戻ってくると約束して。

第一章 決意 1−8

海斗が飛び出してから一時間以上が経過した。

最初は海斗や奴らの唸り声が聞こえたのだが、今は声どころか物音一つ感じない。言葉通り、奴らを引きつけることに成功したのだろうか。もしそうならどうして戻ってこない。

「……」

心の中ではその訳を理解していたが、どうしても自分の目で確認するまでは認めたくなかった。

海斗……。

俺は勇気を出して慎重に外の様子を確認する。
あたりは家具が散乱し騒然とした状態だったが、海斗も奴らのそこにはいなかった。
しかし、床には真新しい血痕。それは部屋を出て廊下へと続いていた。

「……海斗」

思いたくはないが、最悪の状態を覚悟しながら血痕のあとを辿る。
血痕は廊下を出て隣の部屋へと続いていた。

「……」

果たして今の自分は呼吸が出来ているのだろうか、それすらも分からない状態のまま、俺は隣の部屋へと足を踏み込んだ。そして見てしまった。目を背けたくなるような光景も目の当たりにしてしまった。

「…………ハァ…………ハァ」
「海斗ッ!」

そこには大量の血を流しながら倒れる海斗の姿が。
俺は慌てて駆け寄り海斗の体を起こす。

「海斗! 海斗! しっかりしろ!」

海斗の意識はなく、俺が大声で語りかけても反応はない。

「海斗! 海斗!」
「………ユウタカ?」

何度か語りかけ、海斗はゆっくり目を開ける。

「………ケガワナイカ?」
「海斗! 海斗!」

どうして、どうして、こんな状況でも俺の心配を……。

「………ヨカッタ ケガハナサソウダナ」
「俺なんかより海斗が!!」

怪我という一言で片付けることは出来ないほどに海斗は重症。体からは大量の汗を流し、顔は真っ青。俺一人で助けられる状態ではなかった。

「海斗! 海斗! しっかりしろ!」
「………ニゲロ」
「え、なに!?」
「……ニゲロ」

海斗がなにかを言っているが、涙で顔を濡らし、気が動転している俺には聞き取ることが出来なかった。

「え!?」

気がつくと、海斗に押し飛ばされ後ろの洋服棚に頭をぶつける。

「海斗、なにを——」

なにをするんだよ。そう言おうとしたのだが、目の前の光景に言葉を失ってしまう。

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」

目の前にはあの化物。
海斗はそのことを伝えるため口を開いていたのだった。だが、俺が気ついていないと判断し、こうして押し飛ばした。

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」
「……く、くるな……」

奴は、確実にこちらへと近づいていた。

だ、だめだ……。腰が抜けて立ち上がれない……。

一歩、また一歩と奴は俺との距離を詰める。そして、壁に追い詰められた俺に逃げ場を失ってしまう。

「くるな! 消えろ!」

大声で叫ぶも意味はなく、奴は目の前の人間を襲うことしか考えていない。俺を殺すことしか考えていないのだ。そんな相手に腰を抜かした状態ではどうすることも出来なかった。

くそッ……。

目を閉じ、奴に殺されることを覚悟したが、一向に襲われる気配はない。

一体どうなって……。

恐る恐る目を開けるとそこには奴の姿はなく海斗と共に部屋の隅に倒れていた。

「海斗!」

俺が襲われる寸前、海斗が勢いよく奴に体当たりし、そのまま部屋の隅へと倒れ込んだのであった。その際、奴は腕を負傷したのか、上手く起き上がることが出来ないでいる。だが、それは海斗も同じで、既に起き上がる体力など残っていなかった。

「海斗!」

急いで海斗の下へ駆け寄り体を仰向けにする。

「海斗! 海斗! 大丈夫か!?」
「……逃げろ」

今度ははっきりと分かるように海斗の言葉が耳に飛び込む。

「逃げろ……」

血で染まった手で俺の腕を掴み、早く逃げるようにと言葉を絞り出す海斗だったが、そんなことを素直に受け入れられる訳ない。俺は涙を流しながら首を激しく横に振る。

「海斗も一緒にくるんだ!」
「……俺はもう無理だ……、グッ……」

無理して喋ったせいか、口から真っ黒な血を吐き出す海斗。

「海斗!」
「は、はやくいけ……」
「でも!」

置いていける訳がない。
多くの人を犠牲にし、母さんを犠牲にし、今度は海斗まで犠牲にしようとしている。

俺は……、守られているばかりじゃないか……。

右手に力がこもり、やり場のない怒りを床へとぶつける。

くそ! くそ! どうしてだよ! 守るんじゃなったのかよ!

何度も、何度も、自分の不甲斐なさを悔やみ床へと当たるが、それで母さんや海斗が戻ってくる訳ではない。

「……裕太、聞け」

最後の言葉だと、海斗は震える腕を懸命に持ち上げながら俺の頬に触れる。

「——生きろ。そして俺達の夢を頼む……」
「海斗!? 海斗!?」

最後の一言を絞り出した瞬間、海斗の腕は重力に吸い寄せられるように床へと崩れ落ちた。

「海斗!? 海斗ッ!?」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」

倒れていた化物が唸り声を上げながら起き上がる。そして、そのままの勢いでこちらへと迫ってきた。だが、既に俺には化物など見えていない。今俺の目の前に映るのは母さんと海斗の姿だった。

『絶対に生きて!』
『——生きろ』

「……クッ!」

母さんや海斗の言葉通り、俺は生き残るために、奴らを倒すために、今は逃げ出すことを選択する。
二人の犠牲を無駄にしないためにも。

「俺が絶対に助けるからな」

そっと海斗の体を床に置き、羽織っていた上着を体にかけ、俺は生き残るため駆け出した。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

家を出るため玄関にたどり着くと、そこも海斗が倒れていた部屋同様、悲惨な状態となっていた。

「……か、母さん?」

疑うように声をかけてしまう裕太。
そこには左腕を削がれ、顔の一部を破壊された無残な人の姿が。あまりにも変わり果てた姿に自分の親だと一瞬判断が出来なかったのだ。

「……」

変わり果てた姿になりながらも、右腕を地下室の方へと伸ばしている。多分、奴らを行かせないため命を張って戦ってくれたのだろう。

「……ごめん、……母さんごめん」

既に冷たくなった母さんの体に手を触れ、涙を流しながら想いを伝える。
俺を拾ってくれてありがとう。俺をここまで育ててくれてありがとうと。

「俺を……、俺を……」

声は震え、視界は涙で霞み、まともに喋れているのか分からないが、俺は溢れる想いを必死に堪え、最後の一言を、冷たくなった母さんへと伝える。

「——俺を家族にしてくれてありがとう」

そう一言伝え、俺は家を飛び出したのだが、つい背を向けるように立ち止まってしまう。

『いい、ここが私達の家よ』
『海斗ってんだ、よろしく』
『こら二人とも喧嘩しないの』
『だって海斗が』
『だって裕太が』
『仲良くしなさい。兄弟なんだから』
『兄弟?』
『そう、兄弟よ』
『俺が兄貴だけど』
『兄弟……』


『裕太、私たちは——家族よ』


「ああああああああああああ!」

この家で過ごした日々を思い出し、胸が苦しくなった俺は行き先など考えずに走り出した。

助けを求める声を無視し、奴らに捕まることのないスピードで走り去る。

俺に、俺にもっと力があれば……。

走っている最中何度も転び、その度に自分の非力さ、無力さを感じながら、俺は絶望的な世界を駆けた。逃げ続けた。

第一章 決意 1−9

「はい、飲む?」

ただひたすら走り続けた俺は、羽田施設団体と名乗る人達に拾われた。
羽田施設団体は、大人十人、子供二人の十二人で構成されている。彼らも家族や友人を奴らに殺され、身寄りのないところを羽田敬三はねだけいぞうという五十過ぎの男性に拾われたらしい。今はその人達と一緒にスーパーのなかへと避難している。因みに、俺に飲み物を持ってきてくれたのはその団体をまとめている羽田だった。

「ありがとうございます……」
「災難だったね……」
「……」
「今は休みたまえ、私達が君を守るよ」

羽田は一言、少し休むようにと俺に伝えて何処かへ消えてしまった。

『大丈夫よ、お母さんが必ず守るから』
『大丈夫、裕太は俺が守る』

また俺は守られるだけなのか……。

海斗の血や転んで汚れた右手を見つめる。奴らを殺すことも、みんなを守ることも出来ない無力な右手を。握ることも、掴むことだって出来る。それなのに、二人を助けることが出来なかった。俺に力が無いばかりに。

もっと力が……。

走った疲れもあり、気がつくと俺は眠りについていた。
そして、次に目を覚ます時、再び絶望が押し寄せることになる。

「裕太君! 起きて! 裕太君!」

俺は、前野と名乗る四十過ぎの女性の焦った声で目を覚ます。

「どうしました……」
「奴らよ! 奴らが来たの!」
「え!?」

奴ら、その単語を聞いた瞬間、今まで眠っていた頭が覚醒する。

「まだこの階にはいないわ、羽田さん達が下で食い止めてくれているの。だけど……」

分かっている。そんなことで奴らの進行を防げるわけがないことを。

「みんな逃げろ! 奴らが上がってきた!」

思った時には既に遅く、奴らは二階へと進行を始めていた。

「羽田さん達は!?」

前野は血相を変えて青年に尋ねるも、首を横に振るだけでそれ以上は口を開くことはしない。
羽田さんも奴らに殺されてしまった。

「……みんなを連れて裏口から逃げるわよ!」

商品の棚を支える鉄パイプや、従業員の傘を武器代わりに持ち、二階にいた人達を先導するように、前野さんは裏口へと駆けていく。俺も顔を伏せながらそのあとを追う。

「そんな……」

なんとか裏口まで辿り着いたのだが、既に奴らが行く手を塞いでいた。その数六体。
対する俺達は大人四人、子供は俺を含めて三人。

「……どうします?」

青年が隣に立っている前野に声をかける。

「前野さん! 後ろからもきました!」

羽田達を殺した奴らが、階段を上がって直ぐそこまで迫っていた。

「……私が前を走ります。大人は子供を囲むようにそのまま後ろから着いて」
「それは危険です! それでは前野さんが……」

前野は自らを犠牲にみんなを逃がそうとしている。それは青年達にも伝わったのだろう、前野を悲しげな目で見つめていた。

「子供達を絶対に守って下さい」
「……分かりました」

それが前野と青年達が交わす最後の言葉だった。

「みんな行くよ!」

自分を奮い立たせるかのように、前野は大声を出して先陣を切る。そのあとを青年達が俺達子供を囲むように突っ込んでいく。

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」

奴らも、前野が突っ込んできたと同時にこちらへ悪魔のような手を伸ばす。あの手に捕まったら最後、逃れることは出来ないだろう。前野はその手を持っていた鉄パイプで振り払うように道を切り開いていく。

「前野さんもう直ぐ出口です! そのまま聞きましょう!」

斜め後ろを走っていた青年から希望に満ちた声が上がる。
ここにいる誰もが脱出できたと確信していたが、それを最もたやすく拒むように前野を悲劇が襲う。

「前野さん!」
「私のことは気にせず前に進みなさい!」

疲れていたのか、手に持っていた鉄パイプを下ろした瞬間、悪魔のような手が前野の服を捕え、そのまま引っ張られるように後ろに倒れ込んでしまう。当然、周りは驚き一瞬足が止まってしまうが前野の言葉ですぐに走り出した。

「待って! 前野さんが!」
「坊主、早くこい!」

捕まってしまった前野を助けるために立ち止まった俺を、青年が担いで外へと連れ出そうとした。

「前野さんを見捨てるのかよ!」
「うるせえ! 黙ってろ!」

青年は俺の言葉を無理やり遮り走り続ける。そして、前野を犠牲にした俺達はなんとかスーパーを抜け出すことに成功した。

「うああああああああ!」

スーパーのなから聞こえてくる前野の悲鳴。また罪のない人が俺の目の前で殺される。

どうして……、どうしてだよ……。
なんで俺はこんなところに立っているんだ。みんなを守るんじゃないのかよ……。

「くそ、俺達のせいだ……」
「羽田さん達を犠牲にしちまった……」

前野の犠牲を悔やむ青年達。

「どうしよう、前野さんが」
「うあああああああん」

前野の犠牲に泣く子供達。

奴らが存在している限り俺達に未来はない。いずれここにいる全員も奴らに殺されてしまう可能性だってある。なかには自らを犠牲にして誰かを助けるために。

この世界で生き残るためには誰かがやらなくてはいけない。誰かが奴らと戦はなくてはいけない。

「……」

周りが羽田や前野の犠牲で悲しむなか、俺は一人覚悟を決める。

「うおおおおおおおおおお!」
「おい、坊主!」

俺は青年が持っていた鉄パイプを奪い、今もスーパーのなかに蔓延はびこる奴らの下へと飛び込んでいく。

第一章 決意 1−10

「前野さんを離しやがれ!」

脱出した場所から再びなかへと飛び込み、今も前野に群がる奴の後頭部目がけて鉄パイプを振り下ろす。

「ゆ、ゆうたくん……」

裕太が戻ってきてしまったことに驚きの声を上げる前野。その声は弱々しく、辛うじて息をしているといった危険な状態だった。

早く、早く助けないと!

続けざまに次をお見舞いしようとしたのだが、奴が振り向いた際、手の甲がみぞおちへ直撃してしまった。

「ガハッ!」

そのまま後ろに吹っ飛び、壁に背中を強打。

「クッ……」

すぐにでも立ち上がろうとするが、痛みで体のいうことがきかない。

「ゆうたくん……、はやくにげて……」

必死の叫びも今の俺には届いていない。

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」

前野を襲っていた数体が標的をこちらに変え近づいてくる。

動け! 動けよ!

しかし、思いとはうらはらに、奴らがすぐ近くまで迫っているというのに一歩も動けなかった。

「ゆうたくん……」

前野が俺の名前を呼ぶが、彼女も既に起き上がることすら出来ない。
まさに絶対絶命の状況。

やっと奴らと戦う決心がついたところなのに……、ここで終わりなのかよ……。

迫る奴らに全てを諦めかけ目を閉じたその時、連続した銃声と共になにかが倒れる音が耳に入ってくる。

「……え?」

恐る恐る目を開けると、今にも俺を殺そうとしていた奴らが目の前で倒れていたのだ。

一体なにが……。

突然の出来事に驚愕していると、裏口の方から声が聞こえてきた。

「生存者は二名! 岩城いわき、宍戸ししど、矢野は引き続き敵殲滅を! 牧江は大至急重症者の手当
だ!」
「「「「了解!」」」」

最後に入ってきた女性の勇ましい掛け声と共に、残りの人達も指示通りの行動をとる。

なんだよこれ……。

「おうらッ!」
「死にやがれ!」

大きなハンマーや斧を持った男達が次々と奴らを殺していく。

「大丈夫か?」

目の前で行われている光景に、ただ口を開けて眺めていると、指示を飛ばしていた女性が俺の下まで歩み寄ってきた。そして、はめていた手袋を外し、俺の頭に優しく触れる。

「——もう大丈夫。頑張ったな、あとは私達に任せろ」

俺は水野薫と名乗る女性、『最果ての地』なる組織に命を助けられたのだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「水野隊長、あの女性の方は……」
「そうか……」

あれから目の前のことが早送りのように過ぎ去っていき、奴らは一瞬にして始末された。たった五人の集団に殺されたのだ。
俺は未だになにが起こったのか理解出来ていない。ただ、これだけははっきりと言える、

この人達についていけば……。

「少年、この先に避難所が——」
「俺を仲間に入れろ!」

水野の言葉を遮り俺の思いをぶつけた。

「はあ?」

当然、いきなりの発言に驚いた顔をする水野だったが、俺の嘘のない表情を伺い、すぐに態度を改める。先ほど俺を助けに来てくれた時のような真剣な表情に。

「仲間に入れて欲しいと?」
「ああ、俺には奴らと戦う力が必要なんだ」
「少年は何故力を求める?」
「それは——」

『誰かあああ!』
『助けてくれええええ!』
『くそ、俺達のせいだ……』
『絶対に生きて!』
『——生きろ』

目を閉じると、あの時助けることが出来なかった人達の、悲鳴や叫びが脳裏を過る。

もう、こんな思いはこりごりだ……。

「少年、人の話を聞いて——」
「——奴らを倒し、多くの人を守るためだ」

まごうことなき瞳で見つめながら、俺は水野の問いに答えた。

「——少年、名前は?」
「一ノ瀬裕太だ」
「そうか」

水野は一拍おいたあと、俺に手を差し出し、


「——ついてこい一ノ瀬、お前に力を与えてやる」


そして、俺は奴らを殺す力を手にいれるために『最果ての地』へ入ることを決意したのだ。

第二章 仲間 2−1

あれから四年もの月日が流れた。

「諸君、よくここまで辛く厳しい修行を耐え抜いた」

そう、俺はあの日から『最果の地』とう組織に入り、地下で奴らを倒すための力をつけた。

長かった。だけどついに……

壇上のうえに立つ『最果ての地』団長の五條源次郎。
一度目の襲撃を機に奴らと戦う組織『最果ての地』を結成し、今も戦い続けている。その証拠に右目は眼帯で覆われ、左腕は義肢と、戦いでの惨劇をものがたっている。そんな五條は、俺達訓練兵の顔を見つめながら、体に重くのしかかるような低い声で自らの信念を語っていた。

「ここに立っているということは、自らの意思で奴らと戦うことを選んだ戦士だ。なかには家族を、恋人を、
友を、奴らに殺された人もいるかもしれない。私も全てを失った。しかし、諦めはしなかった。必ず奴らを滅ぼし多くの人々を守る。その信念の下戦い続けた。諸君達にも守りたいものがあるというのなら共に剣をとり、己が信念の下、命を落す覚悟で奴らと戦ってほしい。勝者は我ら人間だ!」

五條の言葉を最後に、俺達十人の訓練兵は、晴れて『最果ての地』の一員になったのだ。


「これより、配属先の発表を始める。名前を呼ばれ者は前に!」

『最果ての地』は全国に五箇所の拠点があり、そこを十二人の隊長が管理、統括している。
俺達はその隊長の下、奴らと戦うことになる。

「では発表する! まずは九州、中国地区、柿本班:江野健二」
「はい!」

「四国、近畿地区、白井班:二宮真、渋谷翼」
「「はい!」」

「東海地区、斎藤班:松藤雪菜」
「はい!」

「続いて関東地区」

配属先を発表している水野が関東地区と読み上げた瞬間、同期全員に緊張が走る。何故なら関東地区は『最果ての地』の本拠地であり、最も被害が大きい場所だからだ。同期のなかには関東地区配属を恐れる者もいた。

しかし、俺は違う。
俺は、最も被害が甚大な関東地区で戦うことを強く望んでいた。

「それでは関東地区を発表する。朝霧(あさぎり)班:大葉知之(おおばともゆき)夏目華耶(なつめかや)、水野班:相馬圭(そうまけい)楪暁子(ゆずりはきょうこ)、そして最後は——」

緊張の一瞬。

「——一ノ瀬裕太、以上五名が関東地区配属」
「はい!」

「最後に北海道、東北地区、海月班:白城広太(しらぎこうた)。これにて配属先の発表を終了する。関東地区
以外の者は移動があるので十五分後にもう一度ここにあつまるように。以上解散!」

水野の一言で、俺達は一時解散となった。

第二章 仲間 2−2

希望通りの配属先に心のなかで喜ぶ。他の連中も大声を出し気合いを入れる者や、これからの健闘を讃え合う者など様々。
ここからが本格的な戦いの始まりだった。

「裕太、同じ関東地区だな」

一人静かに闘志を燃やしているところに、同じ関東地区に配属されることになった大葉と夏目がやってきた。

「わ、私が関東地区……」
「自信を持て、関東地区配属ってことは今までの成果が評価されたってことだ。誇っていい」

大葉が不安そうにしている夏目の肩に手を添え、優しく声をかける。

大葉知之、十八歳。身長百八十センチ、前髪を左に流したショートヘアーの男子。
実技、技能共に組織のなかでも一二を誇る実力者。その上面倒見がよく、同期のなかではリーダー的ポジションだった。どこか海斗に面影も似ている。

「そ、そうですかぁ……」

「そうだとも」

夏目華耶、俺と同じ十五歳。身長は同期の中でも一番小柄の百五十五センチ、栗色のボブヘアーの女子。
引っ込み事案で消極的な性格をしている。だが誰よりも優しく、彼女を好意的に思う者も多い。俺は知之、華耶の二人と一緒にいる機会が多かった。

「ああ、知之の言う通り、関東地区に選ばれるくらいだ、俺達は同期のなかでも優秀だったに違いない。だから自信を持て」
「わ、分かりました……。大葉君、一ノ瀬君、ありがとうございます」

言いながら、華耶が一度頭をぺこりと下げた。

「頑張ろうぜ、裕太」
「ああ、絶対奴らに勝つぞ」
「——そんな奴に限って最初に死んだりしてな」

知之や華耶と話をしていると、腕を組み、壁にもたれかかっていた男がこちらまで歩み寄ってきた。

「相馬、文句あるのかよ」

こいつの名前は相馬圭(そうまけい)、歳は十七歳。身長百七十七センチ、短髪ヘアーの男子。
訓練兵の時からなにかと俺に突っかかってきては喧嘩をしていた。

なんでこいつと同じ班なんだよ……。

俺はこちらにやってくる相馬に敵意の眼差しを向ける。

「別にないけどよ、ただ同じ班になったからには足を引っ張らないで欲しいね」
「なんだとテメエ!」
「二人とも落ち着け」
「そうだよ、喧嘩は駄目だよ」

知之が仲裁に入り、一触即発の事態を回避する。
華耶はその様子に安心仕切ったような表情を浮かべているが、周りの奴らはいつもの光景だと、とくに気にしていない様子。

「ま、同じ班同士仲良くしようぜ、一ノ瀬君」

捨て台詞を吐くように、相馬はそのまま部屋から出て行ってしまった。

「感じ悪い奴」
「まあ落ち着け。それよりも裕太、改めてこれから頑張ろうな」
「ああ、もちろん」

知之とお互いの健闘を讃え合うように強く手を握る。

「じゃあ、私達は隊長のところに行きますね」
「分かった。」

知之達が去ったあと、俺は他の奴らにも挨拶を済ませ、残りの関東地区配属となった楪ゆずりはの下へと向
かうことに。

楪暁子(ゆずりはきょうこ)、十六歳。身長百六十五センチ、髪は腰までかかる綺麗な黒髪ロングヘアー。
あの知之と同格、いやそれ以上の実力を誇る。しかし、性格はかなりきつく、たった今俺に突っかかっていた相馬でさえ楪には口では敵わないほどの切れ者。そのため常に一人でいることが多い。

まさか同じ班に配属されるとは……。

挨拶するのを少しばかり躊躇ったが、俺は今も椅子に座り、お茶を飲んでいる楪の前に立つ。
予想通り、俺が目の前に立っても楪は表情一つ変えず、こちらを眺めている。

「あら、どうしたのかしら?」
「同じ班だからさ、これからよろしく」
「そう、よろしく」

挨拶のつもりで知之達と同様手を差し伸べ握手を求めたのだが、楪は決し手をとることなく俺から目線を外し、またお茶を飲み始めてしまう。

相馬といい、なんだよこいつら。

やり場のない手をゆっくりと下げ、俺も時間が来るまで部屋の外に出ていることにした。

組織のアジトは全地区地下にあるため、日の光は届かず、壁に設置されたランタンだけが唯一の灯りとなっている。
俺はこの場で四年も過ごしたのだ。

これからは本格的に任務開始か……。

ここで過ごした四年間のなかで新たに分かった情報がある。
奴らは吸血鬼と呼ばれ、人の血を求めて行動していた。
そのなかでも俺や母さん、羽田達を襲った人の形を維持出来ない個体を堕人(おちびと)、海斗を殺した人の形を模し、喋れることが出来る個体を眷属や悪鬼(あっき)と名付けた。そして、その全ての吸血鬼達を支配し、頂点に立つものを真祖と呼ぶ。
俺達の組織は、この全ての吸血鬼達を倒すために日夜戦い続けていた。
更に悪鬼、堕人の正体が元人間であることもこれまでの調査で確認されている。繁殖方法は未だはっきりとはしていないが、一部の報告から悪鬼に吸血された人間が堕人へと姿を変えているのではないかと言われている。しかし、この情報も確実性には欠けるので、真実とは言えなかった。

この手で元人間だった奴らを……。

当時はかなりの抵抗があったが、それでも俺はやらなくてはならない。例え相手が元人間だろうと、奴らから多くの人を守るためにも俺が殺らなくてはならない。それが海斗の夢でもあるのだから。

必ずやってやる……。

「やあ、一ノ瀬」

決意を新たに再び部屋へと戻ろうとした俺を、どこからか現れた水野に呼び止められた。

第二章 仲間 2−3

「なんでみんなを連れてこないんだよ! ここなら奴らも来ないんだろ!?」
「……」
「おい、聞いているのかよ!」

この地下で生活をしているのは組織の一員と、僅かな肉親、親戚のみ。
あの時一緒に避難をしていた青年や子供達を水野は地下へと連れてくることはしなかった。それに腹を立てた俺は、何度も水野に詰め寄り訳を問いただしたが、一向に答えようとはしなかった。

「おい! 本当に聞いているのか——」
「お前には奴らを全滅させる力があるのか?」
「え?」

気がつくと、水野は俺の胸ぐらを掴み、凄まじい剣幕でこちらを睨みつけていた。

「もう一度聞くぞ、お前に奴らを全滅させるだけの力があるのか!?」
「そ、それは……」
「ないだろ!? いいか、ここにはなあ、まだ地上の人間全員避難させるスペースがないんだよ!」
「でも!?」
「もし地上の人間達が消えたら奴らはどうする? 奴らはきっとこのアジトを狙ってくるだろう。その時、お前は全ての人間を守りながら戦えると!? 自分には奴らと戦える力があると!?  確かに奴らに挑んでいった勇気は認めてやる。だけどな、お前はまだ弱い、人間は弱すぎるんだ。知ってのるか? 私達がお前を助けるために殺した化物には上の個体がいるんだよ」
「上の個体……」

『おぉ、そっちになにかいたのかー』

俺はそいつらを知っている。きっと海斗を殺した奴のことだろう。

「その反応、知っているようだな。あんな奴らが一斉にここを攻めてきたら終わりだ。奴らは次元が違いすぎる。戦えば多くの犠牲を生む」
「じゃあ奴らに殺されていく人達を見過ごせって言ってんのかよ!? そんなの人殺しと同じだ! お前は人殺しだ!」
「お前、水野隊長に!」

さすがに我慢出来なくなった隊員の一人が俺達の下に駆け寄ろうとするも、それを水野が一喝して黙らせる。

「ああ、私は人殺しだよ! 多くの人間を見捨ててきた。この手で助けられたかもしれない命に目を瞑ってきた。私は……」

この時初めて水野が涙を流す姿をみた。
そして、それ以降俺達はこの話をすることは二度となかったのだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「俺の方こそすみませんでした……」

水野に対して敬語を使うことは滅多にないのだが、この時ばかりは目の前にいる人を一上司、一大人として、自分の行いを反省するように頭を下げた。

「今なら隊長の気持ちがよく分かります……」
「一ノ瀬……」

全てを守りたくてもそれが叶わない。あの時水野がどんな思いで言葉を紡いでいたのか、どんな思いで俺の言葉を受け入れていたのか、それを理解するのに大分時間がかかってしまった。

だが、今は違う。

俺は頭を上げ、水野の目をまっすぐ見て答えた。

「——これからは、隊長でも助けることの出来ない人達を俺が助けます。この手で守ってみせます。そして、必ずこの手で奴らを倒します」

と、拳を強く握りしめて俺は答えた。

「ふん、生意気な」

水野は鼻で笑いながら優しい手つきで俺の頭を一二回ほど叩き、今きた通路を戻っていく。本当に労いの言葉だけを伝えにきたようだ。

「あ、そうだ」

呆れている俺に、水野はまだ言い残したことがあると言いその場に立ち止まる。

「なんですかー?」
「期待しているよ、一ノ瀬」

最後にそう言い残し去って行く水野。俺はその大きな背中に——、

「任せてください」

一言答えて、あいつらがいる部屋へと戻る。そして、いよいよ初任務が始まろうとしていた。

第二章 仲間 2−4

初任務の朝、俺は水野からの指示通り外へと繋がる車庫までやってきた。

いよいよ初任務。

基本俺達『最果ての地』が行う任務は奪還。奴らに奪われ拠点となっている領土を取り戻すことである。つまり戦闘、激しい殺し合いが行われるのだ。

いよいよだ、いよいよこの時がきたんだ……。

手袋をはめた自身の手を見つめ、覚悟を決める。

「おう、てっきり怖気付いてこないと思ったぜ」

決意を新たに固めていると、後ろの方から嫌味のこもった言葉と共に相馬がやってきた。
勿論、組織が用意した制服に身をまとい。

「よお、みんなは?」

『最果ての地』が用意した制服は全体的に『黒』を基調とした長いコートのような形状で、ところどころに赤のラインや、腰にポーチなどがついている。

「まだ来てねえよ」
「失礼ね、私は最初から居たわよ」
「げ、楪……」

すると、車の陰から楪がこちらに近づいてきた。

「おはよう。あと少しで遅刻よ、もう少し時間に余裕をもった行動を」

相変わらずの冷たさである。

「お前ら揃ってるな」

集合時の直前で、俺達八班の隊長水野薫がやってきた。

「水野隊長遅いですよ」
「それを貴方が言えるのかしら」

相馬が水野に文句を言うと、それを迎撃するかのように楪から言葉の刃が飛んできた。

「チッ……」

それを言われてしまうとなにも言い返せないのか、相馬は苦虫を噛み潰したような表情をみせる。

「まあまあ、言い合いは止したまえ。これから協力して任務にあたるんだ、ここで喧嘩をしていたら連携が取りにくくなってしまう」
「そうですね、分かりました」
「……了解です」

素直に言うことを聞く楪と、渋々といった感じの相馬。俺はこれからこいつらと共に任務にあたる。個々の実力は同期のなかでも上位に入るのだが、果たして上手く連携が取れるのだろうか。

先が不安だな……。

そんな不安を他所に、再び楪が口を開く。

「集合時間になりますが、あとの一人は宜しいのですか?」
「そうですよ、遅刻ですか?」

確かに楪と相馬が言う通り、俺達は基本五人で一班と訓練兵時代に教わってきた。それが正しいのならあと一人いるはずだ。しかしどうも姿が見えない。本当に遅刻なのだろうか。

「ああ、影井には頼みことをしてあるからな、もう時期くるよ」

俺はただ黙って三人のやりとりを眺めていると、影井らしき人物が両手にたくさんの荷物を抱え、駆け足でこちらにやってきた。

「すみません隊長、荷物が多くて」
「なあに、時間丁度だよ」

水野は腕時計で時間を確認しながら影井らしき人物と話をしているが、俺はその光景に驚き、開いた口が塞がらなかった。

「も、もしかしてですけど最後の一人って……」

一番初めにで相馬が口を開いた。
どうやら相馬や楪も俺と同じ考えらしく、目の前の影井に戸惑いを隠しきれないでいた。

こんな弱そうな奴が……。

「自己紹介が遅れたな、影井、自己紹介を」
「はい」

言われて荷物を置いた影井が俺達の前に立つ。

「か、影井岬(かげいみさき)、十八歳です。組織には二年前に入りました。えっと、えっと……」

言葉につまり、焦り出す影井。
影井岬かげいみさき、十八歳。身長百七二センチ、目にかかるくらいのダークブルーヘアー。性格は見ての通りひ弱。

「この通り影井は人と話すのが苦手でね、まあ本任務から副隊長を務めることになった。私がいないときは影井を隊長として行動するように」
「よ、よろしく!」
「お、おう、よろしくです」
「よろしくお願いします」

頭を下げる影井。正直楪の方が強そうであった。

「えっと、一ノ瀬君?」
「よ、よろしく」

考えごとをしていたので反応が遅れてしまったが、俺は差し出された手を取り影井と挨拶を済ませる。

「よし、これで全員揃ったな」

一通りの挨拶が終わったことを確認し、影井が持ってきた荷物を車に積み終えた水野が、自分の周りに集まるようにと声をかける。これから初任務を行う上での最終確認だろうか、取り敢えず言われた通りに水野の前に集まった。

「お前達、五條団長が言っていたことは覚えているか?」
「『己が信念の下、命を落す覚悟で奴らと戦ってほしい』ですか?」

一語一句、あの時五條が言っていた言葉を思い出しながら話す楪。

「さすが楪だな。そう、今のが『最果ての地』、私達組織が掲げている方針、掟だ」

そんなのもの今更言われなくても分かっていた。死んでも奴らを倒す。当たり前の方針で、この組織に入ると決めた時からいつでも死ぬ覚悟は出来ていた。しかし、水野は五條、組織全体が掲げている方針を鼻で笑うように続きを喋りだす。

「——いいか、そんな掟は今すぐ忘れろ」
「え、?」

当然俺だけではなく楪や相馬も驚いたような表情を浮かべ、唯一影井だけがまたか、といった表情で笑っていた。

「ここでは私が隊長だ。だから私が決めたルールに従ってもらう。お前達、周りを見ろ」
「周り……?」

水野の言葉通り、周りを見ると左右には楪と相馬の顔が。二人も言われた通りに周りを見渡していたので目が合う。そのなかで、水野が班でのルールを説明し始める。

「私達は今日からお互いの命を預け合った仲間、家族と言っても良いのかもしれない」
「家族……」

『たとえお母さんが側にいなくても私達は繋がってる』

あの時母さんが最後に言っていた言葉を思い出す。

「ああ、家族は絶対に守り抜け、そして必ず——」

いつしか驚きの表情を浮かべていた俺や楪、相馬は水野の言葉を真剣に聞いていた。

「生きてここに戻ってくるぞ」

それがここでの掟。
ルールだと、俺達に伝えたあと今回の任務についての再確認を始めるのであった。

「…………」

忌まわしき惨劇を思い出すかのように静かに目を閉じる。

『誰かあああ!』
『助けてくれええええ!』
『くそ、俺達のせいだ……』
『絶対に生きて!』
『——生きろ』

この四年間血のにじむような日々を送った。それは奴らを倒すため、みんなを守るために努力してきたんだ。
あの時の悲鳴や叫び、母さん、海斗の思い、班でのルール、その全てを深く心に刻み付け、俺はゆっくりと目を見開き、戦場へと向かう準備を始めた。

第二章 仲間 2−5

「随分と大人しいな」
「……」

嫌みまじりに言葉を投げてくる相馬。今は目的地へと向かう道中の車内。
水野の運転で、助手席に楪、後ろに相馬と影井、一番後ろの席に俺といった座り順になっている。しかし、そんな座り順はどうだっていい。俺は車内の窓から見える景色に絶望していた。
時間的にはまだ朝なのだが空は分厚い雲に覆われ、建物は倒壊。なかには残っているものもあったが、いつ崩れるかも分からない状態。四年前より自体は深刻化していたのだ。

「……」

訓練兵時代、何度か外の様子を水野や他の先輩方に確認していたが、まさかここまで変わり果てた姿になっているとは想像もつかなかった。

「おい、お前人の話を」
「うるせえよ、少し黙ってろ」
「なんだテメエ、やるのか?」

近くで騒ぐ相馬があまりにも目障りだったため、つい強く当たってしまう。
売り言葉に買い言葉。相馬も俺の言葉に腹を立て始め、今では体全体をこちらに向けて戦闘態勢。

「ま、まあ落ち着いて……」

隣に座っていた影井が宥めるも、全く意味をなさない。車内は喧嘩が始まる一歩手前だった。

「楪、影井、掴まってろ」

それだけ言うと、水野はいきなりブレーキを踏み、走っていた車を急停止させる。
楪と影井は事前に伝えていたためとくに問題はなかったのだが、当然話を聞かされていない俺と相馬は車の急停止と共に、体を前後に激しくぶつける。

「なにするんですかいきなり!」「痛ってえ……」

同じタイミングで口を開いく俺と相馬。

「お前達ここは既に戦場だぞ。これ以上くだらない言い合いをするようなら帰れ」

そこで初めて俺達が怒られていたことを理解する。

「すみませんでした」
「悪かったよ」
「分かればいい。よし、ここからは歩きだ、全員降りろ」

敵拠点のすぐ手前に車を止め、水野の指示通りここからは歩くことに。そして、アジトでも行ったようにこの場でもう一度作戦を確認しあう。
今回は比較的アジトからも近く、敵の数もそれほど多くはない拠点の奪還。俺達新人には適した任務だが油断は出来ない。

「いいか、陣形は私を先頭に左右を一ノ瀬、相馬、後を楪、更にその後ろを影井とする」
「なんで俺が先頭じゃないんだよ」
「お前は黙ってろ。隊長、この馬鹿に左側を任せるのは危険なのでは?」

闘争心をむき出しにしている俺を相馬が適当にあしらい、陣形に対する意義を唱える。

「陣形はこれで行く。いいな」
「……分かりました」

有無を言わさぬ水野の迫力にさすがの相馬も気圧されてしまう。

「では行こう」
「ヘマするなよ」
「うるせえ、お前もな」
「ふ、二人とも……」
「馬鹿みたい」

チームとして全く息が合っていないが、俺達は先ほどの陣形通りに敵拠点へと足を踏み込む。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「奴らいませんね……」

あれから敵拠点に入り込み十五分ほど歩いているが、一向に敵が現れる気配がない。

奴らは一体どこに……。

相馬が前を歩いている水野に言葉をかける。

「まあ、敵の拠点に入り混んだと言ってもまだ入り口部分だからな。奴らがいるとしたらもう少し奥にいるだろうよ」
「なるほど」
「まあ、時期に嫌でも戦闘は始まるさ」

何度も任務を行っている水野と影井、それと初任務というのに楪達はやけに落ち着いていた。
対照的に俺と右を歩く相馬は先ほどから物音一つに過敏に反応するなどと、かなり神経質になっている。果たしてこんな状態で奴らとまともに戦えるのだろうか。

「よし、一先ずここで——」

休憩を提案仕掛けた水野の表情が一気に強張る。当然、俺達には今なにが起こっているのか全く理解出来なかった。

「なにかくる。注意しろ!」

水野の一言で、この場が一気に緊張感で包まれる。

「……」

息のつまる瞬間。
俺も全神経を周囲に集中させていたその時——、

「助けてええええええ!」

倒壊しかけた建物から五歳くらいの女の子が泣きながら飛び出してきた。
そして、その後ろには奴らが。

ついにあの化物達が姿を現したのだ。

「なぜあんなところに子供が」

突然の出来事に水野が戸惑っている間にも、事態は一気に悪い方向へと加速していく。

「隊長、前を!」

俺や水野達が女の子に気を取られていると、楪から声が上がる。その言葉通り前方を確認すると、堕人の群れが。

「水野隊長、こちらにも!」

続けて右側にいた相馬からも声が上がる。
勿論、奴らが反対側にも現れたことを知らせるためのもの。気がつくと、前、左右から奴らが迫ってきていた。

「各位、戦闘態勢! 囲まれては部が悪い。一旦引くぞ」
「「「了解!」」」

水野の指示で全員袖のボタンを外し、なかから垂れてきた十字架のブレスレッドから武器を解放する。武器は刀、槍と様々。
敵は堕人、このまま引かずに戦っても勝てる可能性は十分あったが、決して無理はせず、確実性の高い方を水野は選択した。しかし、俺だけは違う。

「おい水野、あの女の子はどうするんだよ!」

そう、このまま引いてしまうとあの女の子は奴らに殺されてしまうのだ。そのため、俺は素直に水野の指示を従うことが出来なかった。

「水野!」
「策はある! だから今は一先ず撤退するぞ!」

俺の意見を聞いても尚水野は撤退を選んだ。

「おい、馬鹿一ノ瀬! さっさと引くぞ! 隊長の命令だろ!」

周りが徐々に後退するなか、相馬の言葉を無視してその場に立ち止まる。

なんだよ策って……。撤退することが作戦なのか……? それじゃあ……。

今も奴らに追われている女の子は確実に殺されてしまう。

——そんなのッ!

「一ノ瀬!」
気がつくと、俺の体は勝手に動きあの女の子の下へと向かっていた。

第二章 仲間 2−6

「誰か助けてえええええ!」

追い詰められ、今まさに目の前の奴らに殺されかけたその時——、

「危ねえ!」

間一髪のところで女の子を抱え、攻撃を避けるように横へ飛んだ。

「大丈夫か?」
「うん……」

女の子は涙を流しながらも一度頷く。見たところ大きな外傷もないので命に別状はないだろう。

もし、あと少しでも飛び出すのが遅れていたら……。

考えるだけで胸がくるしくなる。

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」

一撃を避けただけで、脅威がまだ去ったわけではない。
奴らはすぐにこちらへと迫っている。俺と女の子を殺すために。

「くそッ……」

敵は七体。その全てが何度も目にしている堕人。奴らのなかでも最低ランク。
この数なら俺一人でも十分相手に出来る数だった。しかし、なかなか武器を解放することが出来ず、女の子を後ろで守りながら後退するのみ。

「お兄ちゃん……」

心配そうに俺の服を掴み、こちらを見つめてくる女の子。

「大丈夫、俺が守ってみせるから」
「うん……」

早く、早く武器を解放しないと……。

これでは女の子を助けるどころの話ではない。二人とも奴らに殺されてしまう。

それなのにどうして……。

迫る奴らに対して武器を解放することが出来なかった。

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」
「お兄ちゃん!」
「クッ!」

覆いかぶさるように女の子をかばう。せめて女の子だけでも助けるためにと。
だが、聞こえてきたのは奴らの唸り声だけで、悪魔のような手がこちらに届くことはない。

一体どうなって……。

恐る恐る顔を上げると、そこには予想だにしない光景が広がっていた。

「——たく、女の子を助ける策はあると言っただろうに」
「——なに情けない面してんだよ」
「——貴方は馬鹿なのかしら」

俺と女の子を囲むように目の前には水野や(ゆずりは)、相馬そうまが武器を片手に立っていたのだ。

「みんな……」
「立て、すぐに引くぞ」
「水野隊長、こいつらはどうします?」
「構うな。それより女の子を避難させる方が最優先だ」
「分かりました」
「私が後方で奴らを牽制する。相馬、お前が先導して車まで戻れ、いいな?」
「了解。いくぞお前ら」

先ほどまで俺と同じように緊張していたはずの相馬だったが、今ではそんな様子を全く感じさせない。

「行くぞ!」

走り出す相馬。

「お兄ちゃん……」

不安げな表情を見せる女の子を抱きかかえ、俺は相馬と楪の後を追う。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「影井先輩の姿が見えないようだけど」
「知るか。怖気付いて逃げたんじゃねえのか?」

走っている最中、前の二人が会話をしているようだがこちらまでは聞こえてこない。今は女の子を避難させることで頭がいっぱいになっていた。

「もうすぐ助かるからな」
「うん……」

女の子は落ちないよう俺の服をしっかりと握っている。

「くそ、前から来やがった」

相馬の言葉通り、前方から化物達が迫っていた。

「相馬君、どうする?」

平坦な口調で楪は答えるも、迫る奴らの群れに僅かながら動揺している様子。このままでは奴らの群れとぶつかってしまう。かといって方向転換した先にも奴らがいるので結果は変わらない。

「おい、相馬どうするんだよ」

今この状況で指示を下すのは相馬。
そのため俺と楪は戦う準備をしつつ、相馬の指示を待っているのだが、一向に行動を起こそうとはしない。

「早く指示を!」
「うるせえ! 誰のせいでこうなったと思ってやがる! お前は少し黙ってろ!」

初任務、初戦闘、決定権と、一度に全てが押し寄せてきたプレッシャーに、相馬は冷静な判断が出来ないでいた。

敵との距離は僅か数十メートル。

「おい、相馬!」
「……ッ、お前ら——」
「そのまま走れ!」

相馬がなにかを言いかけたところに、後方から水野がこちらに追いついてきた。そして、眼前の状況を確認してもなお、走り続けろといっている。

「相馬君」

後ろで走っている楪が確認するように相馬に語りかける。

「お前ら! このまま走り抜けるぞ!」
「「了解」」

奴らとの距離が僅か数メートルに差し掛かったその時、視界から消えるようにいきなり真横へと吹き飛んでいく。

「え……」

先頭を走っていた相馬から驚きの声が上がり、そのあとも次々と目の前の化物達が倒れていく。

これって……。

「影井だよ」

訳が分からず驚いていると、いつのまにか俺達に追いついた水野が遠くに見える建物を指差している。どうや
ら、あの場所から影井が奴らを狙撃していたようだ。

あんな遠くから……。

的確に奴らを狙撃していく。

「このまま一気に突っ走るぞ」
「「「了解!」」」

水野の掛け声の下、俺達は走り続け気がつく頃には車を置いた場所まで戻ることに成功した。

第二章 仲間 2−7

「お前達、初任務ご苦労」
「……」

あれから一度車に戻った俺達は、新たに作戦を立て直し任務に当たった。
その作戦とは——、

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「なんで俺が車で待機なんだよ!」
「隊長命令だ」

俺が車で女の子の面倒をみている間に、水野達が奴らを殲滅するというものだった。
どうやら、本作戦では俺はお荷物らしい。

「なんでだよ! 俺にも戦わせろよ!」

作戦から外され騒ぐ俺を他所に、周りは水野の提案に賛成だったのか、誰も口を出すものはいなかった。

「お前いい加減にしろよな!」
「相馬、いい私がやる」

水野が相馬を制止し、俺の目を見て再び話を続ける。

「一ノ瀬。お前なぜ女の子を助ける時、クロスを使わなかった」

クロスとは、奴らと戦うために『最果ての血』が作り出した対吸血鬼用武器。
通常の武器では仮に奴らの腕や足を切ろうと瞬時に再生してしまうが、この鬼光石(きこうせき)という素材を使用した特殊な武器であれば奴らを倒すことが出来る。そして、このクロスは普段十字架のブレスレットや指輪などのアクセサリーに形状を変えることが可能で、これを閉鬼(しき)状態と呼ぶ。そして、水野はあの時クロスの解放を命じた。

だ、が俺にはそれが出来なかった。何故なら……。

「——躊躇っただろ。元人間だからという理由で」
「それは……」

そう、水野の通り、俺は元人間だからという理由で奴らの命を奪うことを躊躇ってしまったのだ。

「いいか、お前が今手にしているものは奴らを倒す力であり、人間を守る力でもあるんだ。もしお前がその力を使わず、私達も駆けつけなかったらあの子はどうなっていたと思う?」
「……」
「守るものを見失っている人間を戦場に立たせる訳にはいかない。今はそこで少し考えろ」
「……」

そして、俺抜きで作戦は実行され見事成し遂げ帰還した。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「今日はゆっくり休んでくれ。今後のことはまた後日連絡する。では解散」

朝集まった場所で解散を言い渡す水野。
俺は近くにあった用具箱に腰を下ろしていた。

「それと真理亜は私とくるんだ」
「分かった!」

真理亜、それが先ほど助けた女の子の名前。
歳は五歳、青い目に腰まで伸びる白い髪をした女の子。

「またねお兄ちゃん。助けてくれてありがとう」
「ああ……」

普段では許されないのだが、真理亜を『最果ての地』が保護した。
拠点を制圧したあと、真理亜の家族を探したが何処にも見つからなかった。それどころか、あの街で見かけた人間は真理亜のみだった。本人は『おじさん』と呼んでいた男性と共にいたそうだが、気がつくと一人になっていたという。
多分、真理亜の親代わりをしていた『おじさん』と呼ばれる人はもうこの世にはいない。奴らに殺された。
そのため行くところのない真理亜を特別に保護し、連れてきたのだ。

「ありがとう」か……。

果たして、俺は真理亜にお礼を言われる資格があるのだろうか。もしかしたら、俺のせいで奴らに殺されていた可能性もあっただろうに。

「俺は……」
「——おい」

そんなことを考えていると、相馬が俺の下までやってきた。

「なんだ、相馬か……」

あいからずの態度に普段なら強気に出ている俺も、今回ばかりは張り合う元気もなく、適当に返事をしたあとまた下を向いて黙り込む。
その態度が気に入らなかったのか、相馬は厳しい言葉を俺にぶつけてきた。

「お前、俺達の班にはいらねえわ」
「なっ!」

なにを言われても適当にあしらうつもりだったのだが、さすがに今の一言は許せず反論しようと立ち上がる。だが、相馬はそれよりも先に話を続けた。

「隊長の命令を無視して、しかも仲間を危険な目に合わす奴はこの班には入らない。迷惑だ」
「……」

相馬は一言だけ告げると足早に自分の部屋へと戻っていく。

確かに相馬の言う通り、俺は水野の命令を無視して女の子を助けに行った。
結果として全員助かったからよかったものの、もし今回の相手が堕人ではなく悪鬼だった場合、こう上手くはいかなかっただろう。そう考えると相馬になにも言い返すことが出来なかった。

迷惑か……。

「じゃあ私もこれで」

続くように楪も荷物をまとめて戻ってしまい、この場に残されたのは俺と影井のみ。

「ちょっといいかな……」

気まずそうに影井が俺の下まで歩み寄ってきた。

「先輩……」

結局、あのあと影井にも助けられたお礼を言えていないので、面と向かって会話をするのは少々気まずい。しかし、影井はそんなことを全く気にする素振りも見せず、俺が座っている用具箱の隣に立つ。

「一ノ瀬君、今日はお疲れ様」
「俺はなにもしてないけどな」

影井に当たるわけではないが、先輩からの言葉を皮肉交じりに答えてしまった。

「——僕も最初はそうだったよ」
「え、……?」

てっきり相馬のように厳しい一言が飛んでくるのかと思ったが、返ってきた言葉は非常に優しく、俺の予想とは全く異なるものだった。そして影井は話を続ける。

「僕はね、最初の任務で友達を殺したんだ……。この手でね……」
「友達を……」

さらりと答える影井だったが、それはとてつもなく勇気がいることで、もし俺が同じ状況に立たされたとしたら躊躇うことなく友達を殺せるだろうか。分からない。そもそも、そんなことを考えたくもなかった。

「そう、でも最初は怖気付いて引き金をひけなかったけどね」

当時を思い出すように、影井は苦笑いを浮かべながら答える。

「僕が殺し損ねたせいで作戦は失敗してしまったんだ……」
「失敗……」

今の俺のようにと影井は答えた。

「あの時は僕も周りから散々怒られたよ。使えないだの、いらないだのってね……」
「……」
「まあ、言われて当然だと思うけどね……」

要は、遠回しに俺のことをいらないと言っているのだろうか。
だとしたら相馬のように直接言って欲しいものだ。

「水野隊長が言った通り、誰かがやらないといけないんだ。そうしいと僕達人間は殺されてしまうから……」
「分かっています」

そんなことは十分わかってる。分かっているはずなのだが、あの時は体が動かなかった。

「僕達は、誰かの犠牲の下で生きているんだよ。家族や友人、そういった人達の犠牲でね」
「……」
「彼らはどんな思いで僕達の犠牲になったと思う?」
「それは……」
「その意味をはっきりと理解すれば自分のやるべきこが見えてくるよ」

それだけ伝えると、「僕も疲れたから休む」と言って影井も自分の部屋へと戻ってしまい、車庫に残っているのは俺一人だけとなってしまった。

やるべきことか……。

影井に言われたことを考えながら暗い天井を見上げる。
当然俺のやるべきことは奴らを倒し、みんなを守ること。分かっている。
多分、このままだと次の任務でも同じ失敗を繰り返し、仲間を危険な目に晒してしまう。

俺はどうすれば……。

「お兄ちゃん」

用具箱に座り一人考えに苦しんでいると、水野と何処かへ行ったはずの真理亜がこちらに戻ってきた。

「真理亜どうした?」
「お兄ちゃんを迎えにきた」

こっちが悩んでいることも知らず、真理亜は笑顔で俺の服を引っ張る。
誰かがこんなにも楽しそうにしている顔を見るのは久しぶりな気がした。そんな明るい表情を見ていると、自然と俺も顔がほころぶ。

「迎え?」
「そう、あっちでお姉ちゃんに頼まれたの。励ましてあげてって」
「お姉ちゃんって誰?」
「内緒」

お姉ちゃん。果たしてそれは誰のことだろうか。
とりあえず水野と楪ではないことは分かるのだが、その心使いは素直にありがたい。真理亜が現れてくれたおかげで少し気が楽になった。

「お兄ちゃん?」

しかし、それでも俺は答えを出さなくてはならない。

「なあ、真理亜。俺、お前のこと守れたのかな……?」

返事が怖かったが、恐る恐る真理亜に尋ねる。すると——、

「守れたよ。だって真理亜はここにいるもん」

五歳の女の子真理亜は、自分の気持ちを隠すことなく俺へとぶつけてきた。

「だからお兄ちゃんのおかげだよ」

最終的に真理亜を助けたのは水野達なのだが、それでも俺に「ありがとう」と、笑顔で真理亜は言ってみせた。

もし、真理亜以外の人達も笑顔にすることが出来たなら……。

こんな時代でも、みんなに生きる希望を与えることが出来るのではないだろうか。と俺は思った。

「お兄ちゃん?」

真理亜の頭を撫でながら覚悟を決める。

——やってやる。

影井に言われたようにやるべきことを理解し、俺は立ち上がった。

第三章 家族 3−1

三日間の休養を経た俺達水野班は、二回目の任務に当たることとなった。
内容は初任務同様、領土の奪還。
そのため、俺は制服に身を包み、前回のように集合場所である車庫へと向かっていた。
あれから影井や真理亜のおかげで考えがまとまり、体がだいぶ楽になった。今なら迷うことなく自分の思いを伝えることが出来るだろう。

「あ、お兄ちゃん!」

通路を歩いていると、曲がり角で真理亜と鉢合わせる。
しかも、組織の制服を着た状態で。サイズが全く合っていないところを見ると、誰かのものを勝手に着て遊んでいるようだ。

「真理亜、その服は誰のだ?」
「内緒」

と本人は答えるも、俺は聞くまでもなくこの制服が誰のものか分かっていた。

「こら、真理亜ちゃん。私の制服返して」

それで怒っているつもりなのだろうか、可愛い声を上げながら真理亜を追って華耶がやってきた。
今の華耶は、真理亜に制服を取られているのでTシャツにハーフパンツとかなりラフな格好。

「あ、一ノ瀬君」

俺に気がつくと、華耶は恥ずかしがるように頬染め、その場から一二歩後ろへ下がる。

「やっぱり華耶の制服か」
「は、はい……。着替えようと思ったら何処にもなくて……」

予想通り、華耶の制服だった。

というか富士山って……。

一瞬だが、華耶のセンスを疑ってしまう。

「これは真理亜の!」

あれから誰が真理亜の面倒を見るかという話になった。
最初は水野班の誰かが面倒をみるという方向で話を進めていたのだが、俺や相馬、影井は男なので役不足。
水野は他の業務があるから面倒見切れないと、そして最後に楪にみんなの視線が集まったが、「子供は嫌いです」と一蹴されてしまう。要は、水野班のなかで真理亜の面倒を見ることが出来る母性見溢れた人間はいなかったのだ。
このままでは真理亜は行き場を失い路頭に迷ってしまう。
そんな時、華耶に白羽の矢が立ったのだ。

『私ですか? 別にいいですよ、子供好きですし』

二つ返事で真理亜の保護者役を引き受けてくれた。

「真理亜ちゃん、私の制服を返して」
「いやだよー」

ここで暮らすようになってから、まだ三日間しか経過していないが、華耶とは随分と仲良くなった様子。
言葉通り、華耶も子供のことが好きなのだろう。かなり手を焼いているようだが見ていて楽しそうだ。

「真理亜、制服を返しなさい」

俺も出来るだけ優しく、制服を返すよう真理亜に伝える。

「……分かった」

真理亜は頬を膨らませながら、着ていた制服を脱いで華耶に返す。
その場で脱ぎ始めたので、一瞬裸になるのかと思ったが、下にTシャツを着ていたのでその心配はなかった。

「一ノ瀬君、ありがとうございます」

返してもらった制服を胸の前で大事そうに抱え、ぺこりと一度頭を下げる。

「こっちこそ真理亜の面倒見てくれてありがとな。大変だろ?」
「そんなことないですよ。久しぶりに子供とお話が出来て楽しいです」

「久しぶり」華耶は何気なく言ったのだろうが、その言葉を聞いた瞬間、胸のあたりが騒つく。

久しぶりか……。

確かに華耶の言う通り、真理亜くらいの子供と久しぶりに話した気がする。
果たして、今地上には真理亜と同い年くらいの子供はどれくらい生き残っているのだろうか。
この前の地域でも生き残りは真理亜一人だけだった。多分、他の地域変わらない。生存は絶望的だろう。真理亜があの環境で生き残っていたのは奇跡にちかい。

「一ノ瀬君、どうかしましたか?」

地上のことを考え気持ちが暗くなっていると、心配した華耶がこちらに声をかける。

「なんでもない、なんでもない。それより華耶も任務か?」
「いいえ、今日はお休みです」
「そっか」

華耶は知之と一緒に朝霧班に配属され、俺より一日遅く初任務を行ったらしい。

「一ノ瀬君はこれから任務ですか?」
「あ……」

真理亜と出会ったことですっかり忘れていたが、俺はこれから任務に向かうのであった。それに感づいた華耶は会話を早々に切り上げ、俺を集合場所まで向かわせようとする。

「任務、気をつけて下さい」
「お兄ちゃん行ってらっしゃい」
「ああ、行ってくる」

俺は華耶と真理亜に挨拶をし、集合場所まで走った。

第三章 家族 3−2


これ以上反論しても無駄だと観念した影井は、渋々といった感じで引き受ける。
俺もとくに反論はなかったのだが、このなかで相馬一人だけが納得のいかない表情をしていた。

「影井が隊長だと不安か?」
「いいえ、影井先輩が隊長の代わりを務めるのは問題ありません。ですけど、こいつを任務に連れて行くのは反対です。またなにをしでかすか」

隣に立っていた相馬が俺を指差し、本作戦から外すよう水野に伝える。

「一ノ瀬、お前はどうだ?」

作戦に参加するかの有無を俺に問う水野。
そんなの勿論参加するに決まっているのだが、それだけでは周りの信頼を得ることは出来ない。
だから俺は、みんなが見える位置に立ち、ゆっくりと口を開いた。

「——あの時は勝手な行動を取って悪かった」

前回の単独行動を謝罪する意味を込め、深々と頭を下げる。

「一ノ瀬君……」
「お前、なにを……」

突然俺が頭を下げたことに戸惑いを隠せない楪と相馬だが、無視して話を続ける。

「俺の単独行動でみんなを危険な目に合わせちまった。ごめん……。今度からは水野の指示に従って行動する」
「当たり前だ」

相馬が当然のように答える。

「単独行動を取ったのは悪いと思っている。でも、あの時飛び出して行ったことは後悔していない。結果として真理亜を助けることが出来た」

そう、俺が直接的に助けた訳ではないが、結果としてあいつの笑顔を見ることが出来た。こんな時代でも、あんな風に笑うことが出来ると教わった。だから、だから俺は決めたんだ。

「——みんなを守りたい。お前達を、家族を守りたい。だから、俺を連れて行って欲しい」

これが俺の出した答え。

「だとさ、どうする相馬?」

頭を下げている姿を見て、水野は相馬を試すように言葉をかける。

「……好きにしろ」
「だとさ。よかったな」
「ああ、」

水野は最初からこうなることを予想していたような口ぶりだった。

「よし、荷物を車に積み次第出発する! 今回の目的地は『相模原』だ!」

俺達水野班の二回目の任務が始まった。

第三章 家族 3−3

「みんな、もう大丈夫だ」
「はぁ……はぁ……」
「な、なんとか助かったね……」
「これからどうする?」

男女の大学生四人組は、荒廃した建物のなかへと避難していた。

「さすがに奴らもここまでは上がってこないだろ」

みんなを先導していた茶髪の男が呼吸を整えながら答える。
それを聞いて安心したのか、他の三人からも先ほどのような険しい表情は消えた。

「そうだよ! あいつらがこんなところにまで登ってこられる訳ない」
「バリケードも作ったしね」
「だな! あの野郎次見つけたらぶっ殺してやる」

完全に肩の力が抜けた三人だったが、茶髪の男だけは変わらず険しい表情。それもそのはず、奴らの侵入を防ぐために作ったバリケードも所詮は机や椅子などを積み上げたに過ぎない。果たして、そんなもので奴らの進行を防ぐことが出来るのだろうか。と茶髪の男は不安で仕方がなかったが、それを隠すように気丈に振舞う。

彼らとは大学入学当初からの付き合いで、常に行動を共にしてきた仲間達。
ここへくる途中、家族や友人全てを失った四人は、一緒に生きて行くことを決意し、奴らから逃げるように生活をしていた。

「いや、走ったから腹減ったよ」

もう一人の大柄な男がバッグを漁る。腹を満たすための食料を探しているようだ。

「ちゃんと計画的に食べないと駄目だよ!」
「大丈夫、大丈夫。もしなくなったら近くのコンビニから取ってくるよ」

人の話も聞かず、大柄な男は大事な食料を食べ始めた。

「なあ、咲は?」

考え事をしているうちに、咲がこの場からいなくなっていた。

「咲ならトイレに行くって言ってたけど、遅いね……」

中々帰ってこないことに、もう一人の女の子が不安げ表情を浮かべ始める。それとは対照的に、大柄な男は「うんこだろ」と、デリカシーのない発言をして一人で笑っていた。

「悪い、ちょっと見てくるわ」

嫌な予感がした茶髪の男は、咲を探しにトイレへと向かう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「咲いないのか?」

女子トイレの入り口で咲を呼んでいるが全く反応がない。
入って確認すれば済む話なのだが、こんな状況でも女子トイレに入るのは少し躊躇ってしまう。

「おい、咲!」

先ほどよりも大きな声で呼ぶが返事はない。そして、次第に焦りが生まれる。
もしかしたらあの化物達に、そう思った瞬間体が勝手に動き、女子トイレへと足を踏み込んでいた。
しかし、五つある個室トイレ全てを確認してが、咲の姿はどこにもなかった。

「咲……」

不安と焦りだけが徐々込み上げる。

「も、戻ろるか」

ここへくる途中に入れ違いになってしまった可能性もあるので、引き返そうとしたその時、背後からなにかの気配を感じた。

「わっ!」

急いで振り向くと、そこには人を驚かすように咲が背後から現れたのだ。
当然、驚かない訳もなく、茶髪の男は大きな声を上げながら後ろに一二歩下がり尻餅をつく。

「だ、大丈夫!?」

やり過ぎたと感じた咲は、慌てて手を差し伸べる。

「ああ、大丈夫……」
「ごめんね。大きな声で私を呼んでたからつい……」
「よかったよ、無事で」

これで一安心して戻ることが出来ると思ったのだが——、

「——きゃああああああああ!」

建物全体に響き渡る女性の悲鳴。

「あっちも遊んでるんだ」

咲が笑いながらこちらに答えてくる。
茶髪の男も最初はそう思っていたのだが、あとから聞こえてきたもう一つの声を聞き、絶句する。

「こっちにくるな化物! わああああああ!」

男の野太い悲鳴。
そして茶髪の男は理解する。化物達が攻め込んできたと。

「行こ!」

一瞬頭の中が真っ白になったが、咲に手を引かれてすぐに我にかえる。そして、そのまま二人の悲鳴がした方へと走り出した。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

先ほどいた場所に戻ると、そこは絶望的な状況が広がっていた。
奴らに襲われた女性は左足が削がれ、必死に抵抗をした証拠に服がボロボロに破れていた。
男の方は、奴らに噛まれたあとが複数あり、そこから(おびただ)しい量の血を流している。

「み、みんな!」

奴らが近くにいるのにどちらも全く動かない。既に奴らに殺されたあとだった。

「……逃げるぞ」

言ったと同時に咲の手を掴む茶髪男だったが、死んだ二人を見つめながら全く動こうとはしない。
先ほどまで喋っていた人間が突然動かなくなったのだ。同様するのは当然。だが、今は止まっている場合ではない。

「咲ッ!」

声をかけるも、涙を流しながら動こうとはしない。
ついには奴らがこちらに標的を変え、ゆっくりと迫ってきていた。

「美久、浩二……」
「おい、咲ッ! 早くしろ!」

咲の手を引き、強引にでもこの部屋から逃げ出そうとしたのだが、入り口付近に新たな足音が。

「嘘だろ……」

振り向いた先には、体の至るところが赤黒く変色した奴らと同じような化物の姿が。

「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛」

新たにやってきた化物は、全長三メートルはある大きな体。左腕には鋭く尖った三本の爪と、一目見ただけで危険なことが分かる。

「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛」

巨大な化け物は、よだれを垂らしながらゆっくりと近づいてくる。
勿論、間を縫って抜け出すスペースもない。かといって、前を見たところで二人を殺した奴らの姿が。

「……」

この状況ではどこにも逃げ場はなかった。

「……大平」

咲が茶髪男、大平の名前を呼びながら、全てを諦めたかのように手を握る。

「咲……」
「今までありがとう、楽しかったよ」

それが最後の言葉のように、二人を殺した奴らが一斉に襲いかかってきた。
大平は無駄だと分かりながらも咲の盾になるように覆いかぶさり、そのまま二人は倒れこむ。
出来ることなら咲だけでも逃してあげたいが、大平にそんな力はない。大平は小さく「ごめん」とだけ咲に伝え、強く目を閉じた。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「……大平、大平!」

咲の声でゆっくり目を開ける。
確実に死んだと思っていた大平達は、奴らの攻撃を一度も受けることなくその場に倒れこんでいたのだ。

「大平。あれ見て!」

咲に言われた通り顔を上げると、予想もしていなかった光景が広がっていた。

「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」

「嘘だろ……」

なんと、目の前では巨大な化物が奴らを襲い、食い殺していた。
奴らも負けじと応戦しているようだが全く歯が立たず、一匹、また一匹と食い殺されていく。そして、気がつくとこの部屋には巨大な化物だけになっていた。

「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛」

全てを食い殺した巨大な化物は、そのまま大平達の下へ。
逃げ出すチャンスはあったが、恐怖から足が全く動かなかった。
左腕程ではないが、普通の人間より大きくなった右腕で大平の首を掴む。

「ぐはああああああ」
「大平!」

首を絞めるような形で、巨大な化物は大平を軽々と持ち上げる。
太平も、逃れようよ必死に足掻あがくが、その勢いも次第に弱くなる。窒息寸前まで追い詰められていた。

「やめて!」

咲が必死に止めようと泣きながら巨大な化物を叩いているが、全く反応がない。

「……うッ」

今度こそ死を覚悟した。

「————」

だが、巨大な化物は突然大平から手を離し、ゆっくりとした足取りで部屋から出て行ってしまう。

「大平、大丈夫!」

倒れた俺に駆け寄る咲。苦しかっただけでとくに外傷はなかった。

「あいつ……」
「どうしたの?」

咲には聞こえていなかったようだが、首を絞め上げられていた大平にははっきりと聞き取れた。

「大平……」


あいつは、太平の顔を見るなり「違う」とはっきり言ったのだ。

第三章 家族 3−4

「よう、例によってまた暗いな。もしかして怖気付いたか?」

任務場所へと向かう車内。
俺達は前回と同じ場所に座り目的地へと向かっていた。

「人の話を聞いてるのかよ」

車内で口を開いているのは相馬のみ。
俺は前回のように突っかかるわけでもなく、適当に聞き流しながら外の様子を遠い目で眺めていた。

「おい、人の話を——」
「……懐かしいだけだよ。ここがな……」

この道も、あのお店も、どこも知っている場所ばかり。しかし、そのどれもが奴らの手によって壊され、崩壊仕掛けていた。

「それって……」

さすがに相馬も気がついたのか、バツが悪そうな顔でこちらから目を背ける。
そう、ここは昔、俺が母さん、海斗と住んでいた街、『相模原』だ。
出発前まで目的地を黙っていたのは俺への配慮だろうか、フロントミラー越しに水野を眺めるが、運転に集中しているためこちらの視線には気がついていない。

久しぶりだな……。

再び車の外へと視線を向け、当時の日々を思い出すかのように見つめる。
それと同時に、なにも出来ずに逃げ出した自分が悔しくて仕方がなかった。

「……悪かった」

そんな思いで移り変わる風景を眺めていると、相馬が申し訳なさそうに口を開いた。

「今回は俺が全面的に悪かった。すまん……」

体もこちらに向けて謝る相馬。

こんな時代に生きる俺達は、心のなかにそれぞれのトラウマを抱えている。
家族を殺されたトラウマ。恋人、友人を殺されたトラウマなどと。そのため俺達は必要以上に過去を話そうとはしない。

「……いいよ。だいぶ前のことだし……」

口では言うものの、故郷に戻るとどうしても当時の忌まわしいき記憶が蘇ってしまう。

まだ、家もあるのかな……。

先ほどまで騒がしかった相馬も大人しくなり、聞こえてくるのは今にも壊れそうな車のエンジン音のみ。
車内から人の声が消えた。

「……」
「お前ら、好きな食べ物はなんだ?」

俺や楪、相馬や影井が一言も喋らない様子を見かねて、水野が明るい調子で口を開く。

「影井お前はなんだ?」
「ぼ、僕ですか!?」
「ああ。で、好きな食べ物はなんだ?」

フロントミラー越しに影井の顔を見つめる水野。

「お肉ですかね……」
「なるほど肉か。一ノ瀬、相馬、お前達はなんだ?」
「肉です」
「俺も」

相馬に続くように俺も質問に答える。

「楪、お前は肉嫌いか?」

最後に助手席に座っている楪に声をかけた。

「お肉ですか……」
「そう、肉だ」

楪は一度目を閉じ、じっくり考える。

「嫌いじゃないですね」
「なるほど、話は以上だ」
「「はあ?」」

思わず相馬と声が合ってしまった。
楪も、水野の方に首を向けて驚いている。

「なんだ、どうした?」

水野はわざとらしくフロントミラー越しに俺と相馬の表情をうかがう。

「いや、ここは上官である私が特別に奢ってやろう。とか言う場面だろ!」

三人を代表して俺が口を開くと、一斉に頷き始める。あの楪でさえ。

「冗談だよ。私がそんなケチくさい人間に見えるか?」
「……」

再び車内が静まり帰る。

「お前達、今ここで降りるか?」
「み、水野隊長は太っ腹です!」
「そうです!」
「水野は美人!」

相馬、影井、俺の順番で必死に水野を褒めちぎり、なんとか降りることだけは間逃れた。

「この任務が成功したらな」

そしたら焼肉を奢ってやると水野は言った。

「水野隊長、ありがとうございます!」
「隊長ありがとうございます!」

もしかして、水野はわざとこの空気を壊すために、あえて場違いなことを言ったのではないだろうかと考えてしまう。

「どうした、一ノ瀬」

意味ありげに俺を呼ぶ水野。

フロント越しではあるが、全てを見透かしたような視線に俺は思わず目を逸らす。
そして、「ふん」と鼻で笑ったあと再び運転に集中し、目的地である『相模原』に到着した。

第三章 家族 3−5

「では、改めて作戦内容を確認する」

車のボンネットに地図を広げ、五人は作戦内容の再確認を行う。

「いいか、今回の作戦は車庫でも話した通り、二手に分かれて任務に当たる。編成も話した通り、私とお前達だ。影井、こいつらのこと頼むぞ」
「はい。頑張ります」

車庫では不安そうな顔をしていた影井も、いざ戦場に立つと人が変わったように隊長の話を聞いている。

「お前達も影井に協力してやれよ」
「「「はい」」」
「まずお前達はこのまま真っ直ぐ進み、奴等の数を減らしながらここを目指せ」

水野は地図上で目的地をさしながら指示を出す。そこには普通の生活を送っていたら通うはずだった中学校。小学生の時、何度か見に行っていたので場所ははっきりと覚えている。

「私はお前達とは反対側のルートからここを目指す」

つまり、俺が通うはずだった中学校が合流地点ということらしい。

「前回とは違い、街の規模が大きい。それだけここには人が住んでいて、奴らに殺されたってことだ。つまり敵の数もかなりの量になるだろう」

殺された人のなかに、母さんや海斗が……。

「水野隊長。前回よりも奴等が多いと分かっているのなら、尚更隊長の方にも人員を」

一人では危険過ぎるのではないかと、相馬が再び提案する。

「まあこっちは任せろ。それより心配なのはお前達だ。いいか、前回のように奴等の群れに囲まれたら無理はするな。決して相手が有利な状況での戦闘は控えるように。そうなった場合は一旦引いてチャンスをうかがえ」
「分かりました」

代表して影井が頷く。

「逆に敵が単体、少数の時はすぐさま叩け」

堕人はクロスを使えば簡単に倒せるが、それが群れになると話は別だと水野は俺達に伝える。

「あとは冷静な状況判断を心がけろ。以上だ」

各自、自分の地図を開き、水野が言った目的地をマークする。

「よし、最後に私からお前達にいいものをやろう」

肩見放さず持っていたアタッシュケースをボンネットの上に置き、慣れた手つきで蓋を開けていく。

「水野、これって」

なかには片耳につけるインカムのようなものが綺麗に五つ並べられていた。

「通信機ですか?」
「その通り」

見事正解を言い当てた楪から順に、水野はインカムを配っていく。

「よし、全員装着したな」

全員が装着したことを確認し、水野もインカムを装着する。

「全く声が聞こえませんが」

インカムをいじる相馬。
渡されたインカムにはとくにボタンはなく、相手の声が全く聞こえてこない。

「相馬、インカムに触れながらなにか話して見ろ」

俺達に使い方を身振り手振りで説明していき、相馬も言われた通り人差し指でインカムに触れる。

「馬鹿一ノ瀬」

すると、相馬が喋った内容がインカムからも聞こえてきた。

「おい、誰が馬鹿だ!」
「聞こえてきた」
「こちらもです」

楪達にも聞こえたらしい。

「そう、このインカムは五つ全てと連動している」

俺達に説明しつつ、相馬がやったように人差指と中指を自身のインカムに当てる。

「私だ」

同じように水野の声が、俺達四人のインカムに流れてきた。

「今みたいに、会話が全員に聞こえるわけだ」
「通信機ということは分かりました。ですが、距離などの制限はないのですか?」
インカムを耳から外した楪は、細かい部分を確認しながら水野に尋ねる。
「さすが楪、いいところに目をつける。このインカムはな」

水野は自慢気に喋りながら、上空を指差す。

「そういうことですか」

楪だけが今の会話で全てを理解したようだ。

「おい、どういうことだよ」
「楪、教えてやれ」
「分かりました。いいですか、このインカムには小さな受信機かなにかが搭載されています。ここを押している間は電波を送信、離すと受信状態となり、皆さんのインカムに声が届くという仕組みだと思います。そしてその電波のやり取りは衛生が全て管理しています。そうですよね。水野隊長」
「完璧だ」
「なるほど、これがあれば逸れても安心だな」
「それともう一つ機能がある。一ノ瀬、相馬、お前達はどちらの方が足が速い?」
「「俺だ!」」

車内の時と同様、再び相馬と声が合ってしまう。

「テメエよりぜってえ俺の方が早え!」
「はあ!? 相馬なんかより俺の方が早いに決まってるだろ!」
「分かった、分かった。ならあそこまで競争してみろ」

水野は呆れながら一キロ程先の踏切を指差す。勿論これは水野の作戦だ。

「分かった!」
「一ノ瀬テメエ汚ねえぞ!」

言われた瞬間、全速力で踏切を目指して走り出す。あとに続いて相馬も。

「隊長一体なにを……?」

「どけ」「邪魔」と、今も騒ぎながら足っている俺と相馬の様子を眺めながら水野に質問する影井。楪は大きなため息を吐きながら呆れていた。
そして、結局踏切には同着だった。

「お、おい……。踏切に着いたぞ……」

水野達の下にインカム越しから連絡する。俺の方が早かったと付け加えて。

「ご苦労。次は会話をする際に触れていた場所を二回タッチしてくれ」
「タッチ……?」

訳が分からなかったが、とりあえず水野に言われた通りにインカムを二回タッチする。
だが、これといって変化はない。

「な、なんだよ……」

しかし、変化がなかったのは俺のインカムだけらしく、隣に立っていた相馬は驚くようにこちらを眺めていた。

「お前の場所が聞こえてきた」
「はあ?」

なにを言ってんだこいつは。

「正常のようだな」

どうやら動作確認を含めての行動だったらしく、「確認出来たから戻ってこい」と、インカム越しから水野の指示が飛ぶ。それでも俺だけはなにが起こったのか分からない状況だったので、水野に詳しく答えるよう問う。

「仕方ない」

言うと、すぐにインカムから機械的な女性の声が聞こえてきた。

「救難信号をキャッチしました。只今より最短距離をナビゲートします。このまま一キロ先まで直線して下さい」
「おお!」
「分かったか。こいつには通話機能だけではなく、今みたいに救難信号も送ることが出来る」

走った意味もそこで全てを理解した。

「これでお前達の位置はすぐに分かり、いざとなれば最短ルートで駆けつけることも可能だ。さあ、二人共さっさと戻ってこい」

帰りは手を抜いて走れば良いものの、相馬の口車に乗せられて全速力で水野達の場所まで戻った。
結果はまたも同着。

「それぞれ再度動作確認をしてくれ。なければ只今より任務を開始する」
「こっちはオッケーだ」
「俺もです」
「僕も同じく」
「私もです」

全員通話機能、救難信号を飛ばし合い、正常に動くことを確認。いよいよ任務が始まる。

「よし、お前達に最後の一言だ」

口調には今までのようなふざけた印象はなく、これから戦場へと向かう戦士の目をしていた。

「——必ず全員生き残れ、これより水野班、領土奪還作戦を開始する」
「「「了解!」」」

今度は大丈夫……。

静かに拳を握りしめ、二回目の任務が始まった。

第三章 家族3−6

「おい、馬鹿一ノ瀬。前に出すぎだぞ」
「そうか?」

水野と別れた俺達四人は、作戦通りに目的地まで向かって歩いていた。

「これくらいなら大丈夫だよな? 影井先輩」

俺が先頭になり、左右を楪と相馬、後方が影井という陣形。
最初は相馬も先頭を歩くと言い出し口論になったのだが、じゃんけんの末俺が先頭を歩くことになった。

「う、うん、これくらいなら……」
「ほらみろ」
「チッ」

本人はまだ納得していないのか、先ほどから細かいところでいちいち突っかかってくる。

相馬と口論しつつ、周囲に意識を配り歩いているのだが、奴らが一向に現れる気配がない。
水野の話では、前回よりも街の規模が大きいため、奴らの数も多いだろうとの話をしていた。だが、未だに足音一つ感じない。このままだと奴らに遭遇することなく合流地点に着いてしまう可能性もあった。

「影井先輩さすがにおかしくないですか?」

奴らが全く現れないことに、楪や相馬も疑問を抱いていたようだ。

「確かにそうだね、ここまで奴らの姿を見ないのは初めてだよ」

でも油断は禁物だと、今まで以上に目を光らせ歩き進む。
多分、このなかで影井が一番緊張しているのだろう。突然臨時ではあるが隊長を任され、自分に全ての決定権が委ねられていると、普段から消極的な影井にとってはかなりのプレッシャーに違いない。
その証拠に、水野と別れてからやけに顔色が悪い。

「大丈夫ですか? 顔色が悪いみたいですけど……」

影井の様子がおかしいことに気づいていた楪も、優しく声をかける。

「ぼ、僕は大丈夫。心配してくれてありがとう」

本人はこれでも気丈に振舞っているつもりだろうが、かえって緊張していることがこちらにまで伝わってきてしまう。
正直、これなら奴らの一体や二体現れてくれた方がましなのではと、思っていたその時——、

「みんな静かに!」

突然、楪が黙るよう指示を出す。

「……」

楪の言葉通り黙り込んだ俺達は、周囲を確認する。
前方、右側、後方と確認するがとくに変化はない。しかし、左側。楪が指をさした先から複数の足音がこちらに近づいていた。

「みんな注意して」

影井の言葉と共に、足音の正体は姿を現わす。

「奴らを目視にて確認、数は十体です」

左側を注意深く観察していた楪から、落ち着いた声が上がる。
俺にも確認出来たが、左前方から奴らが現れたのだ。

ついにきた……。

これが不安か武者震いかは分からないが、思わず生唾をゴクリと飲み込み、拳に力が入る。
奴らの数は楪が先ほど言った通り十体。そのどれもが堕人と奴らのなかでは低ランクのものばかり。
まず負けることはないだろう。その証拠に、楪や相馬の顔から不安の色が伺えない。しかし、そのなかでも一人。影井だけは別だった。

「き、きた……」

この通り、こちらへとやってくる奴らにかなり緊張していた。

「影井先輩、ここは俺達に任せてくれませんか?」

クロスを解放しながら口を開く相馬。手には黒い日本刀が握られていた。

「でも……」
「いいぜ、どっちが多く倒せるか競争だ」

相馬の言葉が俺への挑戦状だと勝手に解釈し、続くようにクロスを解放する。

俺のクロスは刀のような(つば)はなく、大きさ、形状と、歪なもので、どちらかというと剣に近いのかもしれない。そのクロスを両手で握り、奴らを見据える。
続けて楪もクロスを解放。手には黒い槍が握られていた。

「影井隊長」

先ほど言った通り、三人で奴らと戦っていいかの指示を仰ぐ相馬。

「分かった。でも、くれぐれも無理な戦闘は控えるように」
「了解。おい一ノ瀬、怖かったら下がってもいいぞ」
「うるせえ。テメエの方こそ下がっててもいいんだぜ、ここは俺と楪で——」
「では、作戦通り敵を殲滅します」

俺が話し終をえるよりも早く、楪が一人で敵陣へ突っ込んでいく。

「あ、おい楪! 抜け駆けは汚ないぞ!」

次いて相馬、最後に俺という順番で、奴らの下へと向かう。

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」

突っ込むや否や、早速堕人を倒す楪。

さすが実技、技能とトップの成績なだけはある。
楪は一体倒すとすぐに標的を変え、綺麗な槍さばきで足、腕、という順番で確実に奴らの行動を奪い、止めをさしていく。

「フッ!」

一方相馬は、刀を素早く横に一線し、奴を真二つにする。
二回目の戦闘ということもあり、二人は臆することなく奴らと戦っていた。

「馬鹿一ノ瀬! 一体そっちに行ったぞ!」

相馬の言葉通り、片腕をなくした堕人がこちらへと近づいてきた。俺を殺すために。

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」

俺は、奴が近づいているのにも関わらず、冷静にその場で目を閉じる。

「おい! 馬鹿一ノ瀬!」

分かっている。分かってるさ。

あの時、覚悟を決めた。
たとえ、相手が元人間だったとしても、この手でみんなを、目の前の仲間を守ると。

————俺は、もう迷わない。

素早く目を見開き、今にも襲いかかろうとしていた堕人の首をはねる。

奴らを殺しつくすまで俺は戦い抜いてやるさ。

クロスを握る手に力を込め、次の敵へと向かっていった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「フッ!」

掴みかかろうとしていた奴の腕を断ち、返すようにそのまま左斜め上へと剣を振り上げ胴体を真二つにする。
一体目を片付けたあと、二体目、そして今三体目を片付け終わる。

あいつらは大丈夫か?

戦闘にも余裕が出来たので辺りを見渡すと、二人はとくに押されることもなく目の前の堕人を片付けたところだった。
そして、残る堕人は一体。
俺は最後の一体を仕留めるために体制を落とし、勢いよく地面を蹴った反動で奴に突っ込む。

これで最後だ!

しかし、最後の一体を楪や相馬の二人も仕留めようとしていたらしく、堕人を囲むように一斉に飛びかかっていた。

まずい……。

このまま奴に突っ込めば、確実に倒せることは分かっている。だが、それと同時に二人にも危害を加えてしまう可能性もあった。かといって、既に飛び出しているので勢いを殺す手段がない。

くそ、間に合わない……。

三人が激突してしまう寸前、一発の銃声と共に飛びかかろうとしていた奴の体が後方へと吹き飛ぶ。
俺は音がする方に首を向けると、そこにはハンドガンを持った影井の姿が。どうやら寸前のところで影井がクロスを解放し、奴を撃ち殺したようだ。

「どけええええ!」
「じゃまだああ!」

奴を倒したのはいいが、やはり飛び出した勢いはどうるすことも出来ず、勢いよく相馬と衝突。
因みに楪は槍を地面に突き立て器用に衝突を避けた。

「馬鹿一ノ瀬! なんでテメエは避けずに突っ込んでくるんだよ!」
「それはこっちのセリフだ!」

奴らを片付けいがみ合う俺と相馬。

「だから最初から俺に任せておけば——」
「ほ、ほら、二人とも落ち着いて。よかったよ、大怪我に繋がらなくて」

影井が慌てて駆けつけ、二人の怒りをなだめようとする。

「……ッチ。次は気をつけろよな。馬鹿一ノ瀬が」
「お前もな!」
「ふ、二人とも……」

ほとんど呆れている影井。

「影井先輩。ありがとうございました」

二人の喧嘩に全く興味のない楪は、華麗に着地したあと影井の下まで歩み、お礼を済ませる。
そのあとは、戦いで制服についた汚れやホコリを叩き始めた。

「さ、さあ。奴らも片付けたことだし僕達は先へ進もう」

手のつけられない状況下に頭を押さえる影井。その影井の提案で、俺達四人は再び歩き出した。

第三章 家族 3−7

奴らはどこにでも姿を現す。人間を喰らい、殺すために。

「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛」

体は堕人おちびとよりも圧倒的に大きく、左腕には鋭く尖った三本の爪。
あの時、大学生四人組を襲った巨大な化物は、なにかを探すように歩き回っていた。

「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛」

餌を探して歩き回っているのなら、太平と咲を殺していれば済んだはなしだろう。しかし、この巨大な化物は、二人に全く興味を示さず、太平の顔を確認すると次を求めて歩き出してしまったのだ。

人間の言葉のようにも聞こえる、巨大な化物の唸り声。

それに引き寄せられるように、あちこちから奴ら、堕人が姿を現し始める。奴らは人間しか襲わないと言われていたが、この巨大な化物は違う。こいつは——、

「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛」

大きな唸り声を上げながら、次々と目の前の堕人を殺していく。

鋭く尖った三本の爪で串刺し、左腕程ではないが、大きな右腕で奴らをまとめて掴み、地面に勢いよく叩きつけるなどと、明らかに堕人を敵と判断していた。

「あーらら。また暴れちゃってー」

巨大な化物が暴れる様子を建物の上から眺めていたサクラス。
その表情、声からは、怒っているといった様子はない。むしろこの光景を楽しんでいるようにも見えてしまう。

「それにしても、まさか堕人になっても人間としての意識が残っているなんてねー。あ、もう飲み干しちゃった」

言いながら、巨大な化物目掛けて大学生咲の遺体を放り投げる。だが、巨大な化物は全く興味を示さず、他の堕人を襲い続けていた。
そう、サクラスの言う通り、今も暴れている巨大な化物には多少なりとも人間としての感情が残っていたのだ。
そして消え入りそうな人間としての感情の下、なにかを探し、なにかを守るように他の堕人達を殺し続けていた。

「お前の目的はなんだい?」

巨大な化物に問いかけるも、勿論答えは返ってこない。ただ唸り声を上げて歩き回るだけだった。
そんな様子に退屈していたサクラスだったが、遠くの方から聞こえてきた建物が崩れる音に体を向ける。

「あっちが騒がしいねー。人間かな」

まだ血が足りないと、わざとらしく自身の上唇を舐めまわしながら不敵に微笑む。

「オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛オ゛」

その音に巨大な化物も反応を示す。

「お前も興味あるのかい? だったら一緒に行こう。もしかしたら探し物が見つかるかもよ」

サクラスが先導するように、巨大な化物は音のした方へと歩き出した。

ブラッドアッシュ

ブラッドアッシュ

科学技術が進んだ日本。 人類はついに不老不死へと手を出し、人工吸血鬼を生み出してしまう。 「これより人間を支配する」と言いながら始まる突然の粛清。 人間達は為す術なく吸血鬼らに蹂躙されてしまった。 家族、仲間を全て失った一ノ瀬裕太。 「奴らを許さない」 いつしか裕太の心に芽生え始めた感情だった。

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • アクション
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-01-26

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 序章 1−1
  2. 序章 1−2
  3. 第一章 決意 1−1
  4. 第一章 決意 1−2
  5. 第一章 決意 1−3
  6. 第一章 決意 1−4
  7. 第一章 決意 1−5
  8. 第一章 決意 1−6
  9. 第一章 決意 1−7
  10. 第一章 決意 1−8
  11. 第一章 決意 1−9
  12. 第一章 決意 1−10
  13. 第二章 仲間 2−1
  14. 第二章 仲間 2−2
  15. 第二章 仲間 2−3
  16. 第二章 仲間 2−4
  17. 第二章 仲間 2−5
  18. 第二章 仲間 2−6
  19. 第二章 仲間 2−7
  20. 第三章 家族 3−1
  21. 第三章 家族 3−2
  22. 第三章 家族 3−3
  23. 第三章 家族 3−4
  24. 第三章 家族 3−5
  25. 第三章 家族3−6
  26. 第三章 家族 3−7