死の過程
普通とは違う悩みを持った少年は、同じ様な悩みを抱えている者達が集う家に住んでいた。そこで少年はある白い少女に出会い、死んでいく……。
ここは出来損ないの人間が集められる一つの家であった。僕が見る限り、そこら中に人間と呼べるか不明な者達が犇きあっている。
四つの足がある者、顔が二つある者、腕が無い者、足が無い者、顔が潰れてる者、背中に死体が引っ付いている者。そんなびっくり人間がごろごろと、ひっそりと生きていた。
飯は殆ど貰えない。寝る所も人が多くなれば無くなる事もある。内臓に異常がある者はバタバタと死んでいった。赤ん坊は誰にも世話をして貰えないので必然的に死ぬ。僕も、このままだといつかは死ぬ。
僕を拾ってくれた父さんと呼べる人は偶にしか顔を出さない。何も言わずに飯を置いて行く。いつもボロボロの服を着ていて、僕達が父さん、と呼んでも何も応えない。寡黙な人なんだと思う。多分。だって父さんが外で何をしているかなんて知らないんだから。
でも、僕は父さんのことが好きだ。障害を持っていた僕が蔑まれ、生きることが何を意味するのか分からなくなった時に現れ、僕を拾っていってくれた。「私はお前達の父さんだ」と言って、ここに避難させてくれた。もう誰も僕を苛める人はいない。ここは同じ様に悩みを持った者の集まりなんだから。
……でも、ここでも頻繁に喧嘩は起きていた。僕と同じ様な悩みを持った者に、他の悩みを持った者が悪口を言うのだ。
「お前は汚い目をしているんだな」
「お前は僕のように一生歩けはしないんだな」
彼の目は黒く淀んでいた。彼の足はくっ付いていた。
「お前は汚いことを考えるから目が淀んだんだ」
「お前はそんなことを人に言うから天罰が下って足が引っ付いたんだ」
「お前なんて死んでしまえ」
「お前なんて生きている価値がない」
……お互い様ね。
隣でうずくまっている少女が呟いた。
「君は……?」
「私の名前は無いわ。だって私が目覚めたときにはもうここにいたんだもの」
「名前が無いの? じゃあ、なんて呼べばいいの?」
「呼ぶ必要が無いわ。だってあなたはもう私に話しかけない」
「どうして?」
「いつもそうだからよ。私に話しかけた人は絶対に死ぬんだもの」
「どうして?」
「私が病原菌だから」
僕は初めて少女を見た。彼女は何もかもが真っ白だった。髪も、肌も。服は着ていなかった。彼女の目が前髪からちらりと見えた。目も白かった。
「君が病原菌には見えないな。だってとても白くて、綺麗だ」
「変な人」
「どうして?」
「そんな事、今まで誰も言ってくれなかった。あなたが初めて」
「へえ。そうなんだ」
「ありがとう」
「本当のことを言っただけだよ」
「ありがとう」
彼女はその後もお礼を言い続けた。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。繰り返される感謝の言葉が初めてで、僕は感動してしまった。ありがとう。ありがとう。ありがとう。
「どうしてあなたがお礼を言うの?」
「ありがとう」
「何故?」
「ありがとう」
「変な人」
「ありがとう」
僕は心の中が温かく、光に照らされていくのがわかった。窓も無いこの家で、久しぶりに感じた温かさ。太陽に包まれているみたいだ。
「やっぱり、あなたも死ぬ」
「どうして」
「だって私と話した人は必ず死ぬのよ」
「どうして」
「私があなたを連れ出すから」
「どうやって」
「開放するの」
「何を?」
「扉を」
「その扉はどこにあるの?」
「ここ」
彼女は僕の胸に手を置いた。心音が彼女に伝わっているのが分かる。
「何をしているの」
「あなたを殺すの」
「どうして」
「苦しさから解放する為に」
「殺されるのは苦しいことだよ」
「それは間違っているわ。死ぬと、とても楽になる。ここにいる人達はきっと皆そう」
「どういうこと?」
「自分を自分と認識するということ」
「僕は僕を認識しているよ」
「あなたは今存在してもないのに」
生きているかもわからないモノ。彼女の目が僕を一心に見る。僕はその目の中にいる自分の存在を見詰めた。僕は、こんな姿形をしていたのか―――。自分を見るのが嫌で、何年も見ていなかった。
「あなたは自分のことが好き?」
「周りの人は僕のことを嫌いだって言う。だから嫌い。母さんは僕のことを嫌だって言ってた。だから嫌い」
「あなたは自分のことが好き?」
「皆嫌いだっていうから、」
「あなたは他人が嫌いって言うから嫌いになるの?」
「だって嫌いって言うから、嫌になるんだ」
「いや、いや……。きらい、きらい……。否定ばかり。変な人」
「皆が否定するから悪いんだ」
「ええ、そうね。あなたが否定ばかりするから、否定するのね」
母さんは、僕がこんな目だから嫌だって、言ったんだろ? そうじゃなければ、僕を見捨てなかったはずだよ。同年代の子も、最初は友達だったのに、急に僕を苛めだした。僕がこんな目だから。
「こんな目だから、みんな嫌いになるんだ」
「そんな目じゃなければみんな嫌いにならない?」
「こんな目じゃなければ、みんな嫌いにならない」
「自分を否定するから、みんな否定するのよ」
「じゃあ、否定しなければみんな好きになれたの?」
「そう。好きになれた」
「僕も、みんなも?」
「そう。あなたも、みんなも、」
最初はみんな僕を好きだった。僕も好きだった。それは事実だ。最初は母さんも僕を好きだと言ってくれた。友達も最初は友達だった。最初に嫌いになったのは、僕だった。みんなと違う自分。異常な自分の目に劣等感を抱いて勝手に嫌になったんだ。母さんはそんな僕を嫌いだと言った。友達もそんな僕を嫌いになった。僕は嫌いと言われることを嫌になった。だから母さんも友達も嫌いになったんだ。
「でも……、もう遅いよ。今更言われたって」
「今だから言うのよ。今しかないの」
「もうここからでることは無いよ。母さんにも友達にももう会えない」
「会えるわ。解放してあげるって言ったじゃない」
「ここから解放してくれるの?」
「ええ、そうよ。あなたは帰るの」
「帰る?」
「ここはあなたの家じゃない。そうでしょ。あなたはここにうんざりしてたはず」
「そんなことないよ。だって父さんは好きだし、同じ悩みを持っている人がここにいっぱいいる。幸せだよ」
「同じ悩みを持っている人達が何もしないで集まっても意味が無い。それはあなたの嘘の幸せ。そうやって世間から存在を隠してるだけ」
「しあわせなんだよ」
「そうやって逃げる。私にはわかる。あなたは自分を認めてくれる場所を探してるっていうことに」
「……僕は幸せ者だね」
「そうね。本当に、そうね」
「ありがとう。僕は死ぬことができたんだね。本当にありがとう」
「ありがとう。父さんもそう言ってる」
死の過程
私が悩んでいた時期に考えたもの。こんな少女がいれば早く変わっていたのかな。