このテイストがいいね、と君が言ったから八月七日はバケツ記念日

「ざっけんじゃねえ!」
 俺は、足元にあったアルミのバケツを力任せに蹴っ飛ばした。ガンガラガン、と派手な音を立ててラーメン屋の脂っぽい床を転がるバケツ。実害がない割りに威嚇効果は高い。店内に居る客は俺の思惑通り、即座に凍りついた。
 店内が沈黙の重たい空気に支配されたまま、店主のオヤジが脂汗を流しながら助けを請うような目で俺を見上げる。
「借りた金は返すのが当たり前だろうよ、ああ?」
「し、しかし今は手持ちが……」
 はいそうですか、で済めば借金取りはいらねえ。
 ただ、ここで逆上してみせるのは素人だ、あくまで冷静なツラを通すのがコツだ。そして言い訳を許さず問い詰める。
「しらねえよ、いつできるんだ? 金」

 しらねえよ
 いつできるんだ? 
 金

 自分で言いながら胸糞が悪くなる。俺が人の生き血を啜るしか能のないダニ野郎だってことを思い知らされる瞬間だ。
 もっとも、俺が貸した金じゃない。俺は貸し手に雇われて嫌がらせに来ただけで、その分の「報酬」は既に受け取ってある。ここでナケナシの金をせびったって恐喝でお上にパクられるだけで何も良いことはねえ。それに、こいつらにも生活ってもんがある、客の入りもまあ悪くねえ。商売道具に傷をつけるのは最低限にしてやるのが俺の流儀だ。おおかた博打か何かで下手打って、タチの悪い連中に目をつけられてるってとこだろうが、地道にやってりゃ返済だってできるだろう。もっとも安易に金を借りる奴は性懲りも無く繰り返すってのが相場だから、借金地獄ってのは端から見るほどぬるくはないが、そっから抜け出すかどうかはコイツ次第だ。
 店主は下を向いたまましばらく震えていたが、やっとのことでかすれがちに声を絞り出した。
「こ、こ、今月中には必ず……」
「今週中だ。でなきゃまた来るぜ」
 脂汗を額に浮かべて今にも崩れ落ちそうな店主を見下ろして、そう言い捨てると俺は店を出た。

 人もまばらな通りをブラつきながら、競輪場まで足を伸ばすか駅前のパチンコで済ませとくか逡巡していると、後ろから不意に呼び止められた。
「おい、ちょっと兄さん」
「あ?」
 俺が振り向く間もなく、いきなり肩を掴まれた。くそっ、なんて馬鹿力だ、身動きが取れねえ。
 俺は訳もわからず、とにかく一旦離れようともがいている内に、首筋をキメられてそのまま意識が飛んだ。

 ――油蝉がジージーうるせえ中、ジリジリと全てを焦がしていきそうな真夏の陽射しが情け容赦なく降り注ぐ。ああ、またこの夢か、ちくしょう。
 熱気に朦朧としながら帰宅した俺を待っていたのは、のんだくれの親父ではなく見知らぬ男二人だった。警官と弁護士だと名乗ったそいつらの名前はもう忘れたが、「警官」の目つきが異様に鋭かったことだけは良く覚えている。
「警官」が言うには、今朝、近くの跨線橋から線路に身を投げた事故があり、死んだ男の身元を確認しているということだった。もっとも、遺留品の中に同じ名前の名刺が何枚かあったから身元の割り出しはすんなり済んだらしいが、轢死体のご多分に漏れず、仏さんは見事に原型を留めていないってことで、念のために身元確認に来たってことらしい。
「警官」は俺の名前、十三歳であること、母親の行方は知れないこと等、形式的な質問をして手際良くメモを取り、仏さんの身元が確定したと判断したのか「弁護士」に俺の相手を任せてさっさと帰って行った。
「弁護士」の方は、「警官」とは違って人情味のあるやつで、俺が「弁護士」の質問にいくつか答えたあと、これからの事を色々丁寧に教えてくれた。飛び込み自殺だから遺族に鉄道会社から賠償請求が来るかも知れないが、支払い能力なしってことで片がつくだろうこと、相続放棄になれば父親の遺産は継げないこと、そうは言っても多分借金の方が多いだろうから変に抗わずにそうした方が良いってこと、多分ここには住めなくなるから身寄りが無ければ適当な施設に入るしかないこと。
「弁護士」が帰った後、一時間もしないウチにアパートの大家がやって来た。揉め事がどうとか、社会の迷惑とか色々くどくど言われたが、平たく言えば、家賃の滞納分はチャラにしてやるから今月中に出て行けということだった。

 社会の迷惑。
 息子の俺だってそう思う。
 どうせ死ぬのなら他人の迷惑にならないよう死ねば良かったんだ。父親の不始末についてひたすら謝罪するしかなかった俺は腹の内で死んだ父親に恨み言を吐き続けた。
 親父は、広島から職を求めて帝都に流れてきたクチだったが、西との戦争が始まると親父は西の出身だってことで職場を追われ、その後もまともな仕事にありつけなかった。母親が別の男を見つけてどこかに消えた後、親父は酒浸りになって一日中家に居るようになった。俺はそんな父親の姿を見るのが嫌でどうやったら家を出ることができるか、そんなことばかり考えている毎日だった。今にして思えば、親父も息子の俺が考えていることに薄々気がついていたのだと思う。
 なんにせよ、親父は死に、警察様のご厚意で形ばかりの葬式を終え、かつて親父だった遺体のかけらを灰と骨にした後で、まだ死にきれない俺は生きる為に何ができるかの決断を突きつけられたのだった。
 俺は一応中学を卒業したことになっているらしいが、「弁護士」が紹介してくれた施設を半年で飛び出した後、学校へは一度も足を向けた事はないから詳しいことはわからねえ。とにかく食う為にできる仕事は何でもしたが、どこも長続きしなかった。半端モノと蔑む目に耐えられず自分から逃げ出すことも何度かあった。いよいよ行く宛が無くなり、羽振りのよさそうなヤクザの所に転がり込むまでにはそう時間はかからなかった。ヤクザの三下になっても俺は相変わらずつまはじきにされてはいたが、チンピラ稼業の良いところは人に好かれなくてもそれなりに勤まるってとこだ。ちょっとばかりはしっこくて、ケンカ以外に何も芸が無い俺は、適当に折り合いつけて生きていくしかねえ。

 ――目が覚めると、俺は檻の中に居た。どうやらトラ箱の中らしい。
 一体何だってんだ、松川組の連中が殴りこみでもかけてきたのかとも思ったが、抗争相手の組のモンがわざわざ警察へ運ぶわけもねえ。俺が答えを見つけるよりも早く監視役らしきポリ公が俺を呼びに来た。
「おい、出ろ」
 勝手にブチこんでおいて出ろたあずいぶんご挨拶だなとは思ったが、俺も牢屋ってのはどうも好きになれねえ。ここは大人しく言うことを聞いてやった。
「身元引受人が来た」
 ……誰だ? 心当たりがまるでねえ。
 ウチの組にそんな気が利くやつはいねえはずだ。まあそんな事はどうでもいい。それよりも……あの野郎、今度見つけたらただじゃおかねえ。気を失う一瞬だったがそのツラはキチンと覚えている。ヤクザ、ことに俺のようなチンピラはナメられたらオシマイだ。
「身元引受人の大山です」
「ご苦労様です」
「あ、お前!」
 現れたのは、なんとあの野郎だった。
 思いがけない再会に正直度肝を抜かれたが、俺を叩きのめした本人がお出迎えとはどういう了見だ。
 ……いや、大事なのはそこじゃない。 
 どうやら部下らしい三人の屈強な男たちを従えた大山は、上背こそ俺と変わらないが、何か得体の知れない威圧感を醸し出していた。薄気味悪い笑顔の中でも眼だけは笑ってねえ。三匹のゴリラ共もなかなかの貫禄だが、こいつらを力で従えるだけの獰猛さが薄笑いの奥から滲んでいる。元より、四対一で勝ち目があるとも思えねえ。俺は負けるケンカは嫌いだ。
「どこに連れて行く気だ?」
「いいから黙って付いて来い」
 三匹のゴリラと調教師一人に囲まれるようにして、ほぼ強制的に車に乗せられた俺はくたびれた焼肉屋の前で降ろされた。
 立て付けの悪い引き戸を開けても他に客は居ないようで、ガランとした店内を見渡した俺がずいぶんシケた店だな、と思ったのが伝わったのか大山がボソっとつぶやいた。
「心配要らん、今日は俺の貸切なんだ」
 ほんとかよ、とは思ったが、俺も別にそんなことはどうでもいい。
「遠慮は要らん、好きなもんを食え。お前らもいいぞ」
「よっしゃあ!」「さっすが隊長!」
 大山の連れの三匹もとい三人は、待ってましたとばかりに肉と酒を注文し、やがて運ばれてきた品を片っ端から平らげてゆく。本当に遠慮の欠片もねえ食いっぷりだ。俺も肉の焼ける匂いに抗う気はハナからなかったものの、有無を言わせぬ扱いに嫌味の一つもくれたくなった。
「いいのかよ? 酔っ払った隙に逃げ出すかも知れないぜ」
「好きにすればいい、素人に遅れを取るような間抜けはウチにはおらん」
 大山は、涼しい顔をしてそう言うと、ジョッキに並々と注がれたビールを美味そうに飲み干した。

 腹が落ち着いてくると、大山は本題を切り出した。
 徴兵制が復活しないのは良いことなんだとか御託を並べてはいたが、要は、足りねえ兵隊の徴発ってことだ。
「あんたのオヤには昨日の内にナシつけてある。かなり持て余していたんだろうな、二つ返事で了解くれたぜ」
「勝手なマネするんじゃねえ」
 思わず俺は大山に食ってかかったが、大山はしれっとした顔で言い返した。
「ヤクザに戻りたきゃ無理には止めないが」
 ……俺も別にヤクザに未練はない。
「チンピラからスカウトってか、軍隊もいよいよ人手不足だな」
「否定はせんよ。で、どうする? 他に行く宛があるのか?」
「……」
 無言の俺を横目に、大山とゴリラ達は新たな肉の山を崩して鉄板に並べていく。やがて、肉が焼けて油がパチパチと音を立て始めると大山はまだ赤みが残ってるのも気にせず、白飯と一緒にかき込んだ。咀嚼を終えた大山は時間切れ、とばかりに言葉を続けた。
「いつまでもチンピラのまま燻っていても仕方が無いだろう?」
 俺はついカッとなって吼えた。
「てめえに何が分かる! 西の出身だっていうだけでどこに行っても爪弾きにされ、ロクに勤め先も見つからねえ。俺みたいな半端モンがここで生きていくには、チンピラでもするしかねえんだよ。てめえらが勝手に戦争なんておっぱじめなけりゃ俺もこんな目には会わずに済んだんだ、違うか?」
 腰を浮かせて喚く俺を座ったまま見上げた大山は、俺の眼をじっと睨み付けた後、ビールを一口飲んでゲフッと酒臭そうな息を吐いた。
「世間が悪い、ってわけか」
「そうさ」
「甘ったれんじゃねえ!」
 店の安普請がビリビリと震えるような大声で一喝され、俺とゴリラ共は文字通り飛び上がった。
「人様のせいにしてるウチは何も変わりゃしねえよ、手前の生き様は手前で決めろよ」
「せ、先公みてえなキレイ事言いやがって」
「キレイ事で済ますかどうかは手前次第よ」
 うるせえ、そんなにうまく行きゃ苦労はしねえ、そう口に出しかけたが、何だか自分でも自信が持てなくて口を開くことを躊躇した。
 俺が怯んだことに気が付いてか、ニヤッと笑って大山は言葉を続けた。
「東だ西だって、このくだらねえ戦を一分でも早く片付けるのが俺の仕事よ。……どうだ、一緒に手伝わないか」
 熱っぽく語る大山の眼に偽りがないことは俺にもよくわかった。こいつは、これまで俺の周りに居たクズどもとは何かが違う。ただ、それの正体が見えなくて、正直俺は躊躇した。
「それで飯が食えりゃ世話ねえよ」
 自分なりに精一杯の抵抗を試みたが、無意味な悪態をつくくらいしか今の俺に出来ることは無かった。
「俺について来りゃ、飯の心配はしなくていい。明日七時に迎えに来る。返事はその時に聞こう」 
 大山が迎えの車を呼び、追加のゴリラと黒豹が一頭ずつ現れるまでの間、俺は大山の笑顔の向こうにある何かについて回らない頭で考えを巡らせたが、答えは見つからないまま、黒豹の乗ってきたボロいトラックに押し込まれた。
 俺は、妙に油くせえトラックの荷台でガタガタ揺られながら、何かにすがりたいような情けない気持ちで胸が一杯になったが、部屋に戻るまではなんとか涙を堪えた。

 翌朝、俺は物々しい足音に眼を覚ました。
 ただ事ではない雰囲気を感じ飛び起きたものの、二日酔いで頭がクラクラする。よろけながらも何とか立ち上がるが足元がおぼつかねえ。足音からすると人数にして五人は居るだろうか、ゴツい靴音がボロアパートの廊下に響く。
「時刻確認!」
「〇六五五」
「時刻よし!」
 間髪入れずにガンガンガン、と激しくノックされたのはやはり俺の部屋のドアだった。おい、壊れたらどうしてくれるんだ。
「何だよ? うるせえな、うおっ!」
 俺がドアを軽く開けるや否や、物凄い勢いでドアをこじ開けられた。外には真っ黒に日焼けしたむさい男たちが所狭しと犇めき合っている。さっきの情熱的なノックを担当したらしい先頭の男が俺の顔をじろりと眺めたあと、ドスの利いた低い声で俺に尋ねた。
「笹生克也だな?」
「ああ」
 俺がぞんざいに返事をするのとほぼ同時に、男が後ろの連中に叫んだ。
「確認完了! これより駐屯地へ帰還する!」
「了解!」
 返事はその時も何も、俺は押しかけた連中にあっという間に拘束され、有無を言わさず駐屯地へ連行された。もっとも俺にも抵抗する気なんか無かったが。

 俺の人生はこの日を境に大きく変わり始める、何の根拠もないが何故かそんな気がした。

このテイストがいいね、と君が言ったから八月七日はバケツ記念日

このテイストがいいね、と君が言ったから八月七日はバケツ記念日

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-01-26

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted