強請って縋って必死に足掻いてみたけれど。

化粧が崩れないように、ハンカチを押し当てて涙を拭く私に、
「女になったな」
と西原君は、悲しそうに笑った。
そうすればあなたが振り向いてくれると思ったから。
彼がこれまで好きになった女の子のようになったのに、彼が私を見てくれることはなかった。
親友になんてなりたくなかった。本音なんて打ち明けられなくて良かった。居心地の良さなんて感じてもらいたくなかった。緊張されてみたかった。
貴方に好かれないんだったら、もう全部意味がなかった。
願いがかなうのならば、どうかお願い、このまま私を殺してほしい。こんな馬鹿で悪趣味な女になり下がった、誰からも好かれない女なんてあなたの手で消してほしい。
お願い、西原君。

1.
 西原君とは席が隣だった。彼がリュックにつけていたピンバッジが私の大好きなバンドの限定グッズだった。私が通学鞄につけていたキーホルダーは、彼の大好きなお笑いトリオの限定グッズだった。
私たちはすぐに仲良くなった。最初に借りたのは「くるりとユーミン」の「シャツを洗えば」。最初に貸したのは、「東京03」の「図星中の図星」。
周りから「何それ?」と言われて、二人で目を合わせる工程まで含めて、大好きなやりとりだった。
二年生でクラスが変わっても飽きることなく続けて、三年生で同じクラスになっても続けて、卒業するまで延々繰り返したやりとりだった。
好きになる理由なんてそれだけで良かった。これまで誰とも共有できなかった趣味を共有できて、何でも話せて、一緒にいるだけで楽しくて。面白いものを見つけたら教えたくなって、美味しいものを食べたら一緒に食べたいと思うようになって。楽しいことも悲しいことも全部分かち合いたいと思うようになって。
それだけで良かった。恋ってそういうものだと思っていた。誰にとっても、恋とはそういう感情だと私は信じていた。

「ちゃっぴーって可愛いよな」
一年生の冬、二人で一緒に帰るのが違和感なくできるようになって、私は下校時間のために髪型に凝ることが多くなった頃だった。
私といつも一緒にいる千賀子ちゃんを、私の真似をしてそう呼んだ彼は、これまで見たことのない顔をしていた。私の大好きな、西原君のぼうっとした光のない瞳は輝いていた。男の子も、恋をするとキラキラするんだとその時初めて知った。
「千賀子ちゃんみたいな子がタイプなんだ?意外」
「タイプってか……普通に可愛くない?」
千賀子ちゃんの好きな音楽は「嵐」で、彼女の好きな番組は月9ドラマだ。
話、合うわけないのに。
千賀子ちゃんはいつも私と西原君のやりとりを見て、くすくすと楽しそうに笑うだけの女の子だ。彼が話すシュールな冗談の意味が分からず、時々きょとんと首をかしげる女の子だ。
でも、どんな話でもにこにこ笑ってうなずいて聞いてくれる子だ。つまらなさそうに爪をいじったりなんてしない子だ。
私が時々三人でいるときに、彼と私にしかわからない話をして優越感に浸っていても、それを気にせず一緒にいてくれる子だ。絶対に、彼への私の好意に気づいていて、そのうえで私が時々漏らす西原君への愚痴に付き合ってくれる、とてもとてもいい子だ。
私は千賀子ちゃんのことも大好きだった。そんな子を好きという彼は、やはり私と抜群に趣味が合う。
「協力とかそういうの、わたしうまくないからできないよ」
その一言だけが私に言える精いっぱいだった。声が震えなかっただけでも誉めてほしいくらいだ。
「頼まんよ、そんなの。なんか、片瀬とこういう話すんの、恥ずかしい。やめよやめよ」
「自分で始めたんじゃん」
そう言って軽く肩をどついて、本当に話題を変えてあげる私は彼に甘い。でもそこにきっと彼が感謝をすることはなくて。私が勝手にしているだけで、感謝されないことにがっかりすること自体がおかしい。私が勝手に好きになっただけなんだから。彼に非を求めるなんてみっともないことをしてはならないのだ。
 千賀子ちゃんとメールをするようになったことは西原君から聞いていた。千賀子ちゃんからは聞くことがなかった。
時々、私が西原君への不満の形を装った彼の話題を持ち出しても、彼女は変わらずニコニコと笑っているだけだった。
気づいてるくせに。
そう思ったけど、言い出せなかった。彼に好かれている女の子に、彼が好きだと言えなかった。
悔しいっていうのが一番だけど、でも、だって、言ったら、この子は絶対私に遠慮する。
してほしいけど、本当はそうしてほしいけど、そんなことをする滑稽な真似だけはプライドが許さなかった。それが滑稽だと私は思っていた。
結局私は、ギリギリになるまで自分のプライドを捨てることができなかった。なりふり構わず好きだと彼に伝える勇気がずっと持てていなかったのだ。だからこうなってしまったのだ。
 結局、千賀子ちゃんと西原君は、二回だけデートした。
そのことを千賀子ちゃんの口から聞くことはなかった。ただ、二回目に
「次からは弥生ちゃんも入れて三人で遊ぼう」
と私を含めて遊びたいと千賀子ちゃんから言われたと西原君から聞いた。
三人で遊ぶことは、一度もなかった。三学期に千賀子ちゃんと西原君は隣の席になったけど、二人が私を抜いて話をすることはなかったようだった。

「まじ、彼女欲しいー!」
二年生の夏、半袖になったばかりで彼とアイスを食べながら一緒に帰っているときだった。
自転車に二人乗りした高校生カップルが目の前を通り過ぎて行った。
その日はとても暑い日で、汗臭くないか気になって、でも隣を歩けることが嬉しくて、食べていたガリガリ君のぶどう味は、ちまちま食べてたら溶けて零れだしてしまって。
「何やってんだよ」
と言われて差し出されたスポーツタオルが、自分じゃ絶対選ばないナイキのデザインで、そんなことにもドキドキしながら、彼が今こぼした願望を反芻していた。
「制服デートとかまじ青春じゃね」
そういった私と彼も制服を着ていて、学校帰りにこうして寄り道をして二人でアイスを食べて。傍から見たら私たちも、彼が今羨ましがった「高校生カップル」なのに。これはデートじゃないのか。周りも私もそう思うけど、彼にとってはただの友人との下校なのか。
途中で彼と別れて一人で帰る途中、袖とズボンの裾をまくりあげて、川で水浴びをしている男子高校生集団を見た。
ああ、彼にとって今は、あんな感じなのかと理解した。

2.
「それで、西原君とどこまでいってるの?」
修学旅行の二日目。昨晩男子グループの部屋に行ったことが先生にばれてこの四人部屋に自室謹慎になった間口さんが私のベッドにどかっと座り込んで、そう尋ねた。
その乱雑さに一瞬だけ顔をしかめながらも、そうすることで普段滅多に話をしない彼女と仲が良いかのような気持ちになって少しだけ嬉しかった。
「いや、付き合ってないよ」
嬉しさを必死に押さえて、否定する。
ああ、やっぱり思うよね?そう見えるよね?私たち、傍から見ても仲良しだよね?
「とかいうけど絶対西原君は片瀬さんのこと好きじゃん? 片瀬さんにだけ態度違い過ぎ。野村君とかが冗談言っても愛想笑いしてすかしてる感じだけど、片瀬さんと話すとき本っ当楽しそうだよね」
「うんうん、あんなに特別扱いされて、片瀬さんは好きになったりしないの?」
語調の強い間口さんを宥めるように、優しい声色で原田さんが相槌を打った。
「ええ、いやいや、なんか、そういう感じじゃないや、お互い」
絶対に言うもんか。絶対に彼への感情など口にするものか。彼に伝える前に第三者に言ったりなんてするもんか。
そんな私の決意は私の首を絞めることにしか役立たなかった。

「じゃあ西原君フリー?」
原田さんが、少しだけ掠れた声でそう呟いた。呟いたように聞こえるように発した。
「え」
と私も口にしたけれど、間口さんの大きな声に掻き消されて自分でも消えなかった。
「え!!まって、春香、もしかして西原君、好きなの?知らないんだけど!」
「うーん、中学一緒なんだけどさ、好きっていうか…まあ、いいなって思ったこと結構あるよ」
「高校入ってからも?」
「うん。片瀬さんと話してるときの姿、中学じゃ見たことないから、ちょっと羨ましかった」
「まーじーかー!」
そう言って嬉しそうに叫ぶ間口さん越しに、原田さんと目が合う。
やられた。
絶対この子は気づいてる。西原君のことが好きなら、私の好意に気づかないわけがない。だって西原君の隣には私がいつもいるんだから。好きな人の隣で好きな人に好意を向けてる女に気づかないわけがない。彼に借りたCDを大事にしまう私の仕草に、彼に名前を呼び捨てされて振り向く優越感に満ちた顔に、気づいたうえで、素直にならない私に先手を打ったのだ。
やられた。馬鹿だ、私。原田さんのさっきの質問は、きっと最後のチャンスだった。
「いいの?片瀬さん、うちらこのまま春香応援する流れだよ?」
間口さんが私を振り返る。
いいもなにも。そんな許可とられたって、追い打ちにしかならない。どこまで気づいててやってるのかわからないけど、そんな風に私に答えを求めないで。逃げ場を失わせないで。
「私も、何か情報があれば、伝えるね」
私も馬鹿だ。消えちまえ。
何が「そういう感じじゃないや」だ。馬鹿か。
千賀子ちゃんが、伺うようにこちらを見ていた。やめて、やめてよ。今あなたが私の心配をしても私は惨めにしかならない。彼に好かれたあなたが私の恋の心配しないで。
その視線に気づかないふりをして、原田さんが胸に抱いていた中学の時の西原君の話を聞いた。私と彼がこの二年間共有した思い出と比べて、本当になんてことないものだったけれど、それでもこの場の全員が、もう、原田さんの協力者だ。クラスで目立つグループにいる原田さんの恋心は明日にはきっとクラスの女子の大半には伝わっているから、明日にはもうほとんどが協力者だ。私が彼に好意を向けていることも、今後付き合うことができたとしてもそれを公に明かすことも、もうできなくなった。もしかしたら今後、今のような状態すら原田さんのためを思って控えるようにしないといけなくなるかもしれない。本やCDをこっそり貸し借りしないといけなくなるかもしれない。馬鹿だ。

「朝食バイキングのキャベツが絶品すぎて明日が楽しみ。眠れない」
そんなメールが私宛に届いたとき、間口さんと原田さんは違う話をしていた。携帯電話に飛びついた私の姿を、千賀子ちゃんだけが見ていた。
「西原君?」
こっそりと聞かれる。うん、と首だけで頷いたのが私のすべての答えだった。彼女はそれだけで察した。その日の夜に隣で眠る彼女から、メールが来た。
「大丈夫?」
「大丈夫」
「いいの?」
ボタンを打つ手が止まった。
「原田さんはちゃんと勇気を出して公言したもんね。公言しただけの勇気への報いだと思う」
千賀子ちゃんが携帯を閉じる音が聞こえた。彼女はそのまま布団にもぐった。返信は来なかった。


 「片瀬さぁ、最近なんなの」
メールじゃなくて電話が来たのは初めてだった。答えを探しながらカレンダーを見たら、修学旅行から、三週間たっていた。
案の定、修学旅行を終えてすぐ、間口さんから
「二人にそんな気なくても、春香、やっぱ気になると思う」
との牽制が入った。その日持ってきていた彼に貸す予定の「tofubeat」のアルバムは黙って持ち帰った。

「えっと、いや、なんていうか」
ともごつくと彼は
「俺さ、片瀬以外の女友達も、女兄弟もいないから、言ってくれないと分かんないんだけど、俺は片瀬に何かしてしまったの?」
そんなわけない。ごめん。違う。私が意地を張っただけで私が私を縛っただけだ。
「理由が分からないってこと自体がもうもしかしたら片瀬を傷つけてるかもしれないんだけど、ごめん、結構考えたけどわからなかった。教えて欲しい。俺は片瀬と楽しく話したい」
そんな切実な彼の声を聞いたのは初めてで、嬉しくて、声が震えた。泣いてしまった。
「女子なんてもういやだー、疲れたー」
「うん」
「西原君のことを好きな子がいるの。その子が妬くから、わたし西原君と話すの控えなきゃいけないの」
これを本人に言ったわたしは姑息だ。卑怯だ。でも嫌だ。卑怯でもいいなんでもいい。西原君が原田さんと付き合うのは嫌だ。
今後原田さんが告白しても、きっと彼は素直に喜べない。好きな人の友達に根回しするようなやり方をきっと彼は好まない。
「うわあ、ありがたいけど、面倒くさいね……。それは、なに、直接その人から話さないでって言われたの?」
「直接的な表現はされてないけど、言われたようなものかな」
わたし、どんどん醜くなってる。
「じゃあ学校で話すの控えるか」
「え」
「こうやって電話とかメールとか、あとは学校外とか、そういうとこで会えばいいじゃん、てか、遊びたいです、俺は、今後も、片瀬と」
思いがけない提案と、思ってた以上の彼からの好意に期待がぶくぶくと膨らむ。
「え、あ、でも、逆に怪しまれるというか…」
「場所を考えれば大丈夫でしょ、それともそんなリスクを冒してまで俺と遊ぶ価値はない?」
ずるい、そんなの。
背徳感まで与えるなんて。
「ううん、わたしも西原君と遊びたい。遊ぼう」
一緒に帰れなくなったのはとてもとてもとても残念だけど、校外で彼に会えるなんて。
「じゃあ場所考えとくわ」
「うん、わたしも」

強請って縋って必死に足掻いてみたけれど。

強請って縋って必死に足掻いてみたけれど。

その手に、焦がれた。 ※執筆中※

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-01-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted