”母と妻と女の間で・・・” 留学時代・出会い青春編

”母と妻と女の間で・・・” 留学時代・出会い青春編

この小説は


1.留学時代・青春編

2.妊娠・結婚生活編

3.不倫・そして・・・編


からなる三部作です。

”倉持紗季”の小さな頃からの夢だった海外留学。
 充実していた留学生活でしたが、
同じ日本人学生だった”早乙女あさひ”に恋して、一緒に暮らし始めます。

 しかし、その後まもなく”あさひ”の子供を妊娠したことから、
海外留学を諦め、日本に帰国する事になります。

 日本に帰国後まもなく”あさひ”と結婚。
結婚と、ほとんど同時に出産。

 夫”あさひ”は家庭を持つために、
父親が経営している会社を継ぐことになりました。
 ”紗季”も子育てのかたわら、会社を手伝うことになります。

 見知らぬ土地で、初めての結婚、出産、子育て
サラリーマンの家庭で育った”紗季”にとって
理解できない自営業の不安定さ。

 ”あさひ”の仕事はいつも忙しく、
帰宅は、ほとんど深夜になります。

 子育てに疲れた”紗季”は、
忙しすぎる”あさひ”との会話もあまりなく、
いつも1人、寂しさを募らせます。

 ”紗季”は
そんな”あさひ”から心が離れ、独りぼっちになっていきます。

 そんな時に子供のサッカースクールで出会った、
自分より5歳年下の子供のサッカーのコーチ

”寺澤 温”

 母として、妻として、最後は”女”として
狭間で揺れる”紗季”の女心。
 自分をどんどん追い込んでしまう辛さから
いつしか・・・

P1~P39まで  ”母と妻と女の間で・・・” 留学時代・出会い青春編

P1

 あんなに好きだったあさひのことが、
今では、遠い昔の出来事。

 すぐ隣りにいるのに、二人の間には、
透明な薄いガラスで分けられて、
離れているよりもずっと、ずっと
寂しさを感じる。

 孤独

 私は独りぼっち。
周りからは、いつも一緒で仲が良いと、
羨ましがられるけれど、実際は心が通じ
合わない、赤の他人。

 ううん、通じあったと思ったのは、
出会った時からの、単なる私の勘違い。

 私が感じた優しさは、ただの思い違い。

 あさひという人間は、
本当は、誰よりも冷たい人。
 
 あの人は、誰も受け入れない、
心の底から冷えきった人。

 寂しい。

こんな寂しさがあるなんて、知らなかった。

2人でいるのに、寂しさが消えない。

2人でいるから、余計に寂しい。

P2

 私は1969年7月4日生まれ
そうアメリカの独立記念日に生まれたの。

私の家族は、お父さん、お母さん、
私と妹の、4人家族。

 お父さんは普通の会社員で、私が小さな頃
から単身赴任で週末しかいなかったって。

  お父さんは自分が、プロ野球選手に
なりたかったんだけど、実際は無理だったから、
なら、子供を、プロ野球選手にしよう!
って思ったみたい。

 でも、残念なことに、自分の子供は
女の子2人。

 だから、週末に帰ってくると、
近所の、少年野球チームの監督をやってたの。

 私は女の子だったけど、いつもお父さんと
一緒に、小さな頃からチームに行ってたから、
小学校に入ると当たり前のように、チームに
入ったわけ。

 ほら、女の子は男子に比べて成長が早いでしょ?
だから、意外と優秀で、チームではエースで4番。
最後には、キャプテンまでやったのね。

 そしたらお父さんはすっごく悔しがって、

「おまえが男だったらな~」

って、いつもお酒を飲んで、心から悔しそう
だったの。

 私自身は、野球は嫌いじゃなかったけど、
当然、いつまでも男子よりも優秀ってわけじゃ
ないのはわかってたから、野球は小学校まで、
って決めてたの。

 その代わり、私が野球をやめたら、妹が
代わりにチームに入ると思ってたのに、
妹は野球はやらず、私達が野球に行ってる間
いつもお母さんと買い物へ。

 ほんとに野球は嫌いじゃなかったけど、
お母さんと楽しそうに、色んな買い物をしてくる
妹は、正直羨ましかった。

 その頃からなんとなく
自分は長女だから親の期待に応えないと!
って、無意識に考えてたと思う。

 だから、楽しそうな妹とお母さんを見て、
私も野球じゃなくて、買い物したい!
なんて言えなかった。


お父さんは、なにが不満だったのかは
わからないけど、週末に帰ってくる度、
お酒を飲んで、私にとてもきつく当たってきた。

 とりわけ勉強に関しては、
とにかく1番じゃないと気に入らなくて
テストは必ずチェック。

 100点じゃないと、全問正解するまで
ひたすら同じ問題をやらされた。

それはなんだか私に対しての怒りじゃなくて
自分に対しての怒りに思えたんだけどね。


P3

 そんな家庭だったから、
私は、あまり好きじゃなかった。

とくに、自由奔放に言いたいことを言い、
やりたいことをやっても、怒られない妹は、
私から見ると、とても羨ましくもあり、
同時に、嫉妬を感じる存在でもあった。

 私はいつも怒られてばかりなのに、
妹は、いつも大事にされているように思えて、
理不尽さは消えなかった。

 それから、いつも怒ってばかりいる
父親に対しては、ストレスばかり感じて、
週末になっても、ひたすら帰って来なければ
いいと、いつも思っていた。

 でも、心の底では

〈お父さんに認められたい!〉

 思いが強かったから、
表面的には大嫌いだったけど、
なかなか離れられずにいたと思う。

 中学をトップの成績で卒業して、
高校も主席で入学。

 この時のお父さんの大喜びは、
いまでも忘れられない。

 お父さんは本当に喜んでいて、
その知らせを聞いた時だけは
普段よりも1日早く帰ってきた。

 その父のよろこぶ姿を見て、
やっとお父さんに認められた!
って、心の底から思えた。

 あの時が一番幸せを感じたな。


P4

 私の性格を一言で言うと

負けず嫌い

 とにかく、負けるのは嫌
反則でも勝てればいいとは言わないけど、
負けるのは嫌なの

 だから、勉強はお父さんに
無理やりやらされてた感じだけど、
1番になるのは、楽しかった。

 中学に入って初めのうちは
それほど、一生懸命にやらなくても
簡単に1番がとれたけど、
高校受験が近づいてくると、
だんだん一番が取れなくなってきた。

 そう、まわりも必死になってきたから。
もちろん、1番が取れないと
お父さんも怒るし、ほんとに辛かった。

 だから、高校の志望校は、お父さんに
内緒でランクを落として、一番の成績で入った。

 だって、あまりにお父さんがうるさくて
うんざりしてたから。
ちょっとでも〈楽したいな~〉って。

 おかげで、しばらくは何もしないで
学年一位をキープできてた。

 その間はお父さんも、何も言わなくて、
ちょっと平和。

 でも、何もしなくてもトップだもん、
勉強の代わりに、必死でバイトした。

 その時はバブルだったから、
高校生でもけっこう稼げて
週末はいつもクラブ通いしてた。

 あまりに遊びすぎて、
2年の終わりになる頃は最下位近くに転落。

 その頃になるとお父さんも
すっかり私のことを信用してて
いちいちチェックしなくなってたから
良かったけど、最下位近くなんてバレるのが
すっごく怖かったから、

〈このままじゃまずい!〉

と思って、真剣に考えた。

 そしたら、小さい頃からの夢を"ふっ"と
思い出した。

〈そうだ、アメリカに行こう!〉

って。

 偶然とはいえ、私の誕生日がアメリカの
独立記念日。

〈これは、きっと運命なんだわ!〉

 でも、アメリカ留学は、小さい頃からの
夢だったけど、うちには留学するお金が
あるわけなかったから、無理だと思ってた。
だから、諦めてた。

 それでも、いまお父さんから離れる
ためには、アメリカ留学しかない!

 そう思って、クラブ通いをかなり控えて
アメリカ留学資金を貯め始めた。

 それで、3年になって進路相談に親と
行った時に初めて、

〈アメリカへ留学します!〉

って、宣言した。

 これには、お母さんも先生もほんと
驚いたみたいでずいぶん反対されたけど、
すでに貯金を始めたことや、留学のための
細々した手続きなんかをちゃんと調べて
無理やり押し切った。

P5

 なにより、お母さんの

「どうせ行けるわけ無いでしょ?」

 の一言で、負けず嫌いの性格が真っ赤に
燃えて、

〈これは、絶対に行くしか無い!〉

そう思って、今思うと、信じられない
行動力を発揮してなんとかアメリカへ
留学できたの。

 あの時は、本当にがんばったな。

「アメリカ留学」

 初めはお父さんから逃げるために決めた
アメリカ留学だったけど、
いざ、アメリカに行くとなると
心[こころ]ウキウキ!

 だって、アメリカの大学へ留学するなんて
すっごく偉くなった気分するでしょ?

 近所の人も、「あら~、偉いんだね~」って
みんなが感心して、褒めてくれたもの。

 そうなると、がぜん集中が続いて、
アルバイトにも自然と力が入って、
どこをとっても、良いことばかり。

  学校の成績も学年で30位以内まで
アッと言う間に戻ってきて
結局、3年2学期には1番に返り咲き。
おかげで、有名女子短大の推薦がもらえた。

 お母さんは、

「無理してそんな遠くに行くよりは
日本の大学に行ったほうが絶対に良いよ!」

って、かなりの勢いで言ってた。

 驚いたのはお父さんで

「ん~、アメリカか!
やっぱりこれからは国際人にならないとな!」

 って言いながら全面的にバックアップ
してくれた。

 今思うと、アメリカ留学のほうが
かっこいいからだったと思う。
お父さんは派手好きだからね。

 結局、アメリカの大学に行くことが決定し、
留学プログラムと連絡を取って、
渡航費用の足りない分をお父さんに借りて
1年後にはアメリカのアイダホ州での
生活が始まった。

 そこで、あとで結婚する”あさひ”と
出逢うんだけどね。

P6

 アメリカについて飛行機を降りた時の
第一印象は開放感。

 とにかく、青い空がどこまでも続き
カラリとした空気に、心まで洗い流された。

 日本にいた時の学校や両親、
とりわけ、お父さんの監視のような接し方が
遠い彼方の出来事のように感じて、
これからは、何でもできる!

 そう感じさせる、雰囲気が漂ってた。
もちろん、私の希望はアメリカで大学を卒業して
そのままアメリカの会社に就職。

 そして、アメリカ人と結婚。
グリーンカードをもらって、永住する事。
はっきりとした意思はなかったけど、
自分の中では、なんとなくそうなると
思い込んでた。


 日本から一緒に来た仲間達の顔も、
みんな希望に満ちていて、こんなに素敵な
ところならほっといても勉強できて、
簡単に大学に入れるんじゃない?
って感じてるらしい事が、すぐに分かった。

 それは、私も同感。
本当に自由に満ちていて、自分の希望の
人生を進むために”ポン!”って背中を
押してくれそうな雰囲気に、自然と顔が
笑顔になった。

 その時、日本にいた時の自分の
気持ちを振り返って、

「絶対に日本には戻らない!」

そう、心に固く誓った。

P7

 アメリカには留学プログラムで、
やってきた。

 じゃあ、留学プログラムってなに?
って事だけど、簡単に言っちゃえば、

「留学パックツアー」

  そう、一般の海外旅行と同じで、限定何人
って、希望者を募って、その人達と一緒に、
海外旅行ならぬ、海外留学をする物。

「海外留学したいけど、右も左も分からない」

  それどころか、「パスポートってなに?」
的な人でも、

「はい、海外のこの学校に行きたい人は、
我が社がパスポートからお支度いたします!」

 って感じで、お金さえ払えば、
あとは自分の荷物を用意するだけで、
本人が何もしなくても、2~3ヶ月後には、
アメリカの学校で授業が受けられちゃうわけ。

 もちろん、英語なんて必要ない。
学校の入学許可証(I-20)だって、F-1ビザだって、
全部、旅行会社が取ってくれるし、
英語がわからない日本人のために、
学校が始まるまで、日本語がわかる
現地コーディネータ付くところもあったよ?

 そんな至れり尽くせりの、
留学ツアープログラムに参加するのは、
大学生の夏休み短期留学ツアー
が多いのね。

 ただし、これにはいいところもあって、
なにしろ参加者が多いもんだから、関係ない
旅行者でもそのツアーに空きがあったら、
同じツアー参加者扱いで、団体割引適用
されて飛行機代が、かなり安くなるの。

 それって、おいしいでしょ?
反対に悪いところは、座席の周りは
とにかく日本人ばっかり。

 しかも、ほとんど1ヶ月半くらいの
短期留学生たちで、卒業旅行気分で、
合コン状態!

 うるさいし、勉強する気なんて
ゼロみたい。

 でも、私みたいな貧乏留学生は、
飛行機代は高いから、周りが、
大学生ですっごくうるさくても、
仕方がない。お金には代えられないもんね。


私は、長期でしっかり勉強するつもり
だったから、そんな人達から少し離れて、
静かに、音楽を聞いてた。

 そしたら、突然肩を叩かれた。
それが。
 そのあと、親友になるんだけどね。

P8
ね。

 彼女は、18歳。
高校を卒業後、寄り道しないで、
まっすぐアメリカに来た。

 私が思うに、彼女の家はかなりの
お金持ちで、彼女自身も優等生。
 
 それも、私と違って、普通に勉強して、
親の言うと通り、先生の言う通り、
ずっと優等生の道を歩いてきた感じ。

「どっからきたの?」

 それが、寧子(やすこ)の第一声。

「え?どこって神奈川県」

って私が答えると?

「神奈川ってどこ?横浜?」

って、また寧子が聞いてきた。

 私は内心、ずいぶん厚かましい子だな?
って思ったけど、少し丸顔のぽっちゃり
した感じで、不思議と憎めない顔を
してたから、思わず、

「茅ヶ崎」

って答えちゃった。
 そしたら、寧子は、

「サザンだ!
私、サザン好きなんだ!」

だって。
 べつに、サザンは好きだけど、
茅ヶ崎だからって、
サザンが全部ってわけじゃないけど?

 でも、そんな風に思うなんて、
きっと、茅ヶ崎のことをよく知らないんだな?
って思った。

「じゃあ、あなたはどこから来たの?」

 って聞こうとして、
彼女の名前がわからないことに気がついた。

「あなたの名前はなに?」

私が聞くと、
「あ、私は、はじめまして」

 そう、それが後でいつも一緒にいて
大親友になる寧子との初めての会話。


P9

 それから、寧子とずいぶん話した。

 彼女の容姿は、結構ぽっちゃりしてて、
そうは見えないけど、彼女はやっぱりお嬢様。
お父さんは会社の社長で、かなりのお金持ち。

 でも、小さい頃から体が弱くて、運動って、
あまりやったことが無かったんだって。

 それでも、小さな頃から、いろんな習い事
をして、どれも、そこそこできるようになって、
ご両親の自慢の娘だったみたい。

 なのに、今回突然、

「アメリカに行きたい!」

 って言ったもんだから、ご両親はびっくり!

 なんと、2人揃って、怒りだしたって。

 なんでも、いままで親元から離れたこと
がなくて、親的には、

「このまま、ずっと手元に置いておこう」

って思ってたらしい。

 なんて言っても、実際そんなことは
できないのにね。

 それがいきなり、

「アメリカ」

 なんて言い出したもんだから、
そりゃ、怒るのも当然でしょ?

 じゃ、なんで来られたかって?
それがなんと、彼女には
親が決めた婚約者(つまり許嫁
《いいなづけ》!)がいて、
その、婚約者が説得してくれたんだって!

 許嫁って、いつの時代?
でも、ちょっと羨ましかったけどね。

P10

 アメリカに来て一週間、
ホストファミリーもいい人達ばかりで、
ほんとに来て良かったと実感。

ホストファミリーは、
お父さん、お母さん、子供が男の子三人。

 一番上は小学校の三年生。
次が、4歳、で、最後が6ヶ月。
みんな仲良しな様子で良かった。

 お父さんから逃げようと思った留学だけど、
ちょっとだけ、お父さんに感謝。
ま、お金も貸してもらったしね。

「卒業して就職したら、しっかり返して
もらうからな!」

 だって。
それでも、ほんとにアメリカに来てよかった。


 学校が始まるのは来週から。
それまでは、アメリカの生活に慣れることと、
学校の準備。

 理由はどうあれ、せっかくアメリカに
来たんだから、しっかり勉強して、
こっちで就職しなくちゃ。

〈一回日本に帰ったら、二度と戻れないかも?〉
だからね。

 さっそく、学校に行って見ようと思ったけど、
私のホストファミリーの家から学校まで、
20kmくらい。

 初めの契約では、

「ホストファミリーは学校の近くです」

 近いって、イメージ的に歩いていける
距離なのに、ちっとも近くない。
 
 だって、アメリカに来たばかりで、
車も自転車もない。

 だいたい、免許持ってなかったしね。

 車で10分なんて、とてもじゃないけど、
歩いて学校には行けないよね。
 
 それとも、やっぱりアメリカは大きいから、
20kmは近いって言うのかな?

 歩いて学校に行けないことを、
ホストのお父さんに言うと、

「だいじょうぶ、ちゃんと送り迎えするから!」

 だって。

 それって普通、だいじょぶって言わない
でしょ?

 でも、どうやら長男君も大学の近くの
小学校に行っていて、それと一緒に
送り迎えしてくれるって。

 それじゃあ、ってことでさっそく、
学校に送ってもらうことにした。

 学校は、塀とかはなくて、
すっかり街の一部って感じ。

 たくさんの緑に囲まれてて、なんだか、
森のなかのお城みたいだった。

 それを見た時の感動は、
20年以上経った今でも、目を閉じると、
目の前に浮かんでくるぐらい!

 そんな、感動に浸っていると、
目の前を日本人らしい男の子が横切った。

 なんだか、眉間にしわを寄せて、
無愛想で感じが悪い。

 私は、ここに来て初めて会った日本人
だったし(たぶん日本人だと思った)、
初めて学校を見た興奮も手伝って、
その人に、駆け寄って思わずhugしそう
になるのを必死に我慢しながら、
精一杯の笑顔で笑いかけた。

 当然、その人も笑顔で返してくれると
思ったから、その後、いろいろ質問しよう
と思ってた。

 そしたら、笑顔どころか完全無視。
こっちを、まったく向かずに、歩き去った。

 それには、かなりムカついた。
アメリカに来てから出会った人達は
みんな良い人ばかりだったから、
まさか無視されるなんて思いもよらな
かった。

 でも、

〈もしかしたら、日本人じゃなかったのかな?〉

 そう考えなおして、その日はホストファミリー
に帰った。

 それが、あさひの第一印象だった。

 もう最悪!

P11

 なんだかアッと言う間に過ぎてしまった
2週間。見るもの、聞くもの、すべてが
珍しくて、楽しかった。

 それでも、観光に来たわけじゃないから、
一生懸命勉強しないと。

 と、思っていたところで始まった学校の
授業。

 初日は、簡単な自己紹介なんか
したりして、軽く終わるのかと思ったら、
なんと、ガッツリ授業が待ってた。

 ああ、言い忘れたけど、いきなり
大学の授業じゃなくて、その前に、
語学学校で英語の授業を受けてから
大学に編入する事になってた。

 そう、初めはアメリカにある
英語専門学校に入ったわけ。

 ただ、私が最初に入ったのは初級クラス。
まわりはほとんど日本人。
前からいた人もほとんど日本人だし、
私と一緒に来た日本人も、
ほとんど同じクラスだった。

 いきなり普通の授業に戸惑いながら、
それでも、なんとかお昼まで頑張った。

 んで、お昼になってクラスメートと
カフェにご飯を食べに行ったら、
先に来てた同じ英語学校の人達が10人
くらいた。

 でも、少し違ったのは、日本人は2.3人で、
あとは、いろんな国から来た生徒だった。
 
 たとえば、中国、韓国は当たり前。
ブラジル、ホンジェラス、コスタリカの
南米諸国。

 エチオピア、セネガル、コンゴなんかの
アフリカの国。

 英語が母国語じゃないだけで、日本語が
通じない国ばかりだった。

 そう、ここが日本の英語学校と
違っているのは、生徒が多国籍だってこと。

 もちろん、その中の会話は全部英語。
日本人同士でも英語で話してた。

 それを見たら、なんだかそこだけ
違う学校みたいだった。

 びっくりしてしばらく見てたら、
その中の1人に、昨日の日本人がいた。
そう、それが”あさひ”。

 それを見てると、普通に楽しそうに笑い
ながら話してた。

〈なんだ、笑えるんじゃん!〉

 そんで、ときどき他の国の友達らしき人から、

「日本語でなんて言う?」

 って、質問されて日本語を教えてたから、
あ、やっぱり日本人だったじゃん!
ってことが、わかった。

 それでも、相変わらずこっちを見向きも
しないで感じ悪いのは変わらない。

「なんか、やな人だな~」

 って、再認識。

 なのに、なんだか気になって。
いや、きっと悪い意味で気になっただけ
だったと思う。

P12

 そう、結局あとで結婚することになる
あさひの第一印象は、感じ悪い人。

 だって、いきなり無視されて、
日本人なのに、日本人とも英語でしゃべって、
いかにも、日本人とは付き合いません!
英語以外しゃべりません!
ってことを、全面に出してる感じだったから。

 だってそうでしょ?
日本からいきなり見知らぬ外国に来て、
もちろん英語もうまく喋れなくて、

 (そりゃ、少しは勉強してきたけど、
日本で勉強したことと、実際に現地で話すのは、
全然違ったから)

 すっごく心細い思いをしてるのに、
初めて会った日本人に、無視されたら、
意識が高いか低いかの問題じゃなくて、
誰だって落ち込むでしょ?

 どんだけプライドが高いんですか?って、
思うじゃない?

 確かに、

「私を案内しなさいよ!」

とは言わないけど、ちょっとぐらい、

「日本から来たんですか?
ここは良い所ですよ。
 なにか困ったことがあったら、
いつでも相談してくださいね?」

 って、笑顔で言ってくれたら、
どれだけ安心できたか!

 それが、先輩ってもんでしょ?
違う?

 それなのに、こっちに来てから
2回も会ってるのに、どっちも、
チラ見もしないで無視ですよ?
無視!

 ただひたすら、感じ悪い!
ってしか思わないのは、当然だよね?

 ま、せめてもの救いが、クラスが
違って、普段は顔を合わせなくて
済むこと。

 あ~、良かった。


P13

 じつは、2週間ぐらい学校に行って
みたらわかった事があった。

 その学校はいくつかクラスがあって、
それぞれランク分けされてた。

 私が行ってるのは初級クラスで、
初めて英語を学ぶ人が行くとこだったわけ。

 他に5段階あって、一番上のクラスは、
大学の講義をそのまま受ける授業だったり
した。

 大学の講義を、アメリカ人の学生と
一緒に受けると、語学学校の単位も、
大学の単位も、両方共、ちゃんと取れた。

 それから、一番初級のクラスでも、
自分が得意で良くできる科目によっては、
上のクラスと一緒に授業を受けられた。

 私はスピーキングは得意だったから、
それだけは中級クラスと一緒に授業を
受けてた。

 でも、どこのクラスにも、あさひは
いなくてどこにいるのかわからなかった。

 それでも、毎日の授業は楽しくて、
あっという間に時間が過ぎてった!

 それは、高校であんなに嫌で眠かった
文法の授業も、こっちでは、楽しく理解
できたから、それだけでも、集中してた
ってわかる?

 それで、なんで?って、考えたけど、
やっぱり、授業が全部英語だったから。

 教える言葉も、質問も、全部、
ぜんぶ英語。

 だから、集中してないと聞き逃して、
全然わかかなくなる。
その集中力が、今までの私に足りなかった
のかも。

 あ、そうそう、日本からアメリカの
語学学校にいきなり通うなら、最低限、
聞き取りができないと、たとえ幼稚園の
授業でも、ついて行けないから。

P14

 授業が始まってすぐに感じたのは、
こんなに簡単な授業じゃ、複雑な
大学の講義が、いつまでたっても理解
できなくて、大学に入れないかも?って
ことだった。

 これから大学入学を目指して勉強
しなきゃなのに、日本では中学校で
勉強するはずの文法の基礎、be動詞
の勉強を始めたんで、かなりブルーな
気持ちで、不安になった。

 私だって中学校では優秀だったし、
とくに英語は、いつかはアメリカ!って
思ってたから、かなり一生懸命やって
たんで、さすがにbe動詞がわからない
なんてことは無かったわけ。

 そうすると授業の中で一番の問題は、
授業が全部英語ってこと。

 授業の内容が簡単だと、問題を理解
する必要が無いから、ただ、英語にさえ
慣れれば、どんどん上のクラスへ上がって
いけて、簡単に大学へ入学できちゃうはず。
 
 でも、さすがにbe動詞を2ヶ月
やったって、大学の講義がわかるように
なるとは思えなかった。

 だから先生に

「なんで、一番簡単なbe動詞から
勉強するの?
 日本人は、中学一年生の一番最初の受業
で習うことだから、誰でも簡単すぎて
寝ちゃうと思うけど?」

 って、質問したことがある。
そしたら、

「だから、日本人は優秀なのね!、
日本人以外、とくに南米やアフリカ
から来る生徒は、be動詞さえも
わからない子達がほとんどだから、
これは必要な授業なのよ」

 って、教えてくれた。
あ~、納得。

そうだよね、学校は日本人だけ
じゃないもんね。

 そうなれば、後は英語の聞き取り
だけの問題だから、それに慣れれば、
すぐに上のクラスに行けるはずなんだ
けど、それでも、TOEFLに受かるか、
大学の講義に、英語的についていけるか、
不安はなくならなかった。

 それでも、来たばかりだし、もう少し
様子を見て、どうしてもダメなようなら、
先生と話しあおうと思った。
P15

 学校が始まって1ヶ月も経つと、
生徒のやる気に差が出てきた。

 私は、大学に入るために来たんで、
どんどん上級クラスへ上がりたかったし、
少しでも早く大学に編入したかった。

 でも、まわりの日本人達には、
あんまり学習意欲が見られなくて、
授業も寝てたり、来なかったり、

「なんだかいい加減だな~」

って、思ってた。

 私は、どっちかって言うと
おせっかい焼きなもんだから、
そう言う、いい加減な人を見ると、
黙っていられないんだよね。
それって、お父さんの性格に
そっくりかも?

 ある日3日続けて休んだ男の子が
いたんで、その子のH’ファミリーへ、
みんなで行って見た。

 そしたら、ホストの家の庭で、
芝生に水をあげてた。

「なんで、学校に来ないの?」

って、聞いてみると、

「起きられなかったから」

だって。

 もちろん、私は黙っていられなくて、

「ちゃんと、来ないとダメだよ?
明日は迎えに来ようか?」

って、言ってあげた。

 そしたら彼は、

「いや、いいよ。
どうせ来月には日本帰るし、
なんとなく楽しければいいんだよ」

って。

 私達が来たのが6月半ば。
大学生が短期留学で来たのと重なった
わけ。

 彼らは1ヶ月半くらい滞在して、
英語の勉強と、海外生活を体験した
かっただけみたい。

 でも、実際1ヶ月半では、
英語が喋れるようになるわけもなく、
結果的にアメリカで暮らした体験だけ
が心に残るんだね。

P16

 ま、それでも貴重な体験だから、
悪くはないと思うけど、せっかく
アメリカに来たんだから、毎日もっと
楽しい事がないと、もったいないでしょ?

 だから

「私が少し手伝ってあげよう!」

って思った。

 もちろん授業はちゃんと出るけど、
それ以外は、なにか楽しい企画を考えて、
みんなで、留学生活を盛り上げることにした。

 まず手始めに、”パーティーの企画”

 日本人は”パーティーアニマル”って
呼ばれるくらい、パーティー好き。

 あ、そうそう、
パーティアニマルって言葉は、悪い意味。
パーティをやりまくって、勉強しないってこと。

 たぶん、長い間アメリカにいても、

「いつまでも英語で話さないから、
勉強しない人達だ!」

 って思われたからじゃないかと、
思うんだけど。

 だって、日本人がパーティアニマルって
言われても、ブラジルやコスタリカなんかの
南米諸国。

 それから、コンゴ、エチオピアなんかの
アフリカ諸国。

 そんな国から来た留学生もパーティー
大好き!っていうか、ダンス大好き!

 もちろん、アメリカ人の学生だって、
大騒ぎできるパーティーは大好き!

 じゃあ、なんで日本人だけ
パーティーアニマルなんて言われて勉強
しないで、パーティー専門って、言われるか?

 私は、日本人だけでパーティーをやるから
じゃないかと思う。

 日本人だけでやるから、外から中の様子が
見えないし、他の人が一緒に騒ぎたくても、
それも出来ない。

 だいたい、日本人に、飲み会で踊る
習慣がないもの。

 日本人の飲み会は、おしゃべりが中心
じゃない?
そんなに大騒ぎしないでしょ?

 それに対して、南米、アフリカ諸国の
留学生はみんな踊りまくる。

 もちろんおしゃべりもするけど、
それはもちろん「英語」。

 アメリカンの学生も、
もちろん、踊りまくりの飲みまくり。

 そして、会場の扉は、いつも

Wide Open

 誰が来ても出入り自由の大歓迎!
だからいろんな人が出入りして、
いつも、めちゃめちゃ盛り上る。

 ね?楽しそうでしょ?

 でも、どうしてパーティーをやると、
たくさんの人、それも、全く関係ない
人まで会場に来て、大騒ぎになるのか?

 私が思うに、アメリカはアルコール
に関して、とてもシビアだからじゃない?

 ID提示は当たり前。アルコールを
買う時は、あきらかに”21歳以上”
が確認できないと、絶対に売ってくれない。


P 17

 州によっても違うと思うけど、
私が行ってた州は、塀(囲い)の無いところで、
アルコールを飲んじゃダメ!

 外からお酒を飲んでるところが、
見えちゃいけないんだよね。

 なんで、ビアガーデンなんてありえない。
外で飲んで、喧嘩や飲酒運転のトラブル防止の為と思う。
アメリカはなんて言うか、すっごくワイルドだから、
ちょっとしたきっかけで、怪我人だらけになるからだと思う。

 しかも、未成年の飲酒や、野外での飲酒、
これを見つかると、”即逮捕!”される。
それぐらい、厳しい。

 成人年齢が二十歳の日本人は、
アメリカに来て、当たり前にお酒を買おうとして、
最初にびっくりすること!

 ってなことで、当然未成年の学生達(二十歳の日本人)は、
バーや、大人のディスコ(クラブ)に
行ってお酒を飲めない。

 ま、大人のディスコ(クラブ)に行っても
音楽は、カントリーとかが掛かってて、
踊るって言っても、これって

「フォークダンス?」

みたいになるから、踊るのはちょっと無理。


 だからTop40みたいな曲でふりふり踊リたければ、
未成年が行けるクラブに行く。

 そこは、アルコールが全く無いとこで、
こっちは、最新のダンスミュージックが、
掛かってる。

 でもね、お酒飲まないで踊るだけは、
けっこう辛いんだよね。

 だから、未成年でも、飲んで踊りたい!となると、
自分達でパーティーを、開くしかない!

 で、21歳以上のアルコール買える人に買ってもらって、
自分達で開けば、最新ダンスミュージックで、
お酒を飲みながら、ガンガン踊れる!
ってわけ。

 もちろん、未成年の飲酒がみつかったら、
すっごくやばいけど、それくらいじゃ止めれない!

 なにしろ、アメリカはほとんどが

”田舎”

 大いなる田舎なんだけど、
日本人の印象にあるアメリカ大都会って、
ニューヨークとかロサンゼルスだけで、
それ以外の95%が田舎なわけ。

 私が行ってたところも、めちゃめちゃ田舎で、
若者の娯楽といえば、飲む、踊る、ボーリング、
ビリヤード、ローラースケート、
釣り、映画、んで、”エッチ” ヒュ~。
それしかない。

 だから週末になると、
ちょっとした集会所みたいなところを借りきって、
黄色い太陽が見えるまで、”Let’s Dancing!”
それが、学生の当たり前の週末。

 パーティー始まると、あちこちで、ガンガン音楽が聞こえて、
場所聞かなくても、どこでやってるか、わかるんだよ。

 みんな、1日でパーティーを3っつも4っつも掛け持ちして、
アメリカンの学生のパーティーや、
海外からの留学生のパーティーに行って、
たくさんの人と友達になれるわけ。

P18

 なのに、日本人は英語が喋れない子が多いし、
ホストファミリーに住んでいる子がほとんどだから、
夜遅くなるとホストの人が心配するんで、
あんまり遅くなれないもん。

 だから、週末はホストがいない寧子の家に集まって、
日本人だけで、お酒を飲んで、
みんなで愚痴ってストレス発散。

明日からもがんばろう!

 パーティーをやるわけ。
まあ、普通の飲み会って感じになるのかな?

 それが、日本人のパーティー。
だから、アメリカンの学生からは、
仲間はずれな感じで、いまいち評判が良くないみたい。

 でも、しょうがないよね~。
やっぱり英語が話せないと、引っ込み思案になるし、
だからって、アメリカ来て2週間とか、
3週間で英語を話しなさい?
って言われても、「ごめんなさ~い!」
ってなるでしょ。

 私達だってそりゃ、独りぼっちでぽつんといたら、
寂しいのはわかってるんだけど、
でも、いきなりアメリカンの学生や、
Int’l student(インターナショナルスチューデントの略・留学生)に英語で、

”Hi!”

なんて気軽に話しかける勇気はないもの。

 もしできてもその後で、

”Hi,Blah-blah-blah…”

って、ざーって滝のように話しかけられても、

”I can’t speak English!”

って、わたわた、しちゃうもんね。


P19  

 だから、まずぴか!っと閃いたのは、
「日本人の友達を、Int'l student(留学生) の
パーティーに連れ出そう!」ってこと。

 どうしても家にこもりがちになるのは、
英語が話せないからで、
私が通訳すれば、きっと楽しめる!と思った。

 日本にいる時にアメリカ留学に備えて、
3年位英会話を習ってて、
(えらいでしょ?)
日常会話ぐらいなら、って言うか、
英会話くらいなら、ぷりんとできた。

 しかも、高校二年まで狂ったように通った
クラブだったけど、アメリカに行くために、
ビシっとやめてから全然行ってなかったから、
アメリカ留学って目標が達成できたんだから、
ちょっとぐらいクラブに行ってみたいって
思ってた。

 だから、引っ込み思案な日本の友達を、
私が通訳するからって言って、
半分は無理やりInt'l studentパーティーに
連れ出すことにした。

 なんて言っても、私だってアメリカでは初めてのクラブ!
しかも、 日本語が通じない Int'l studentパーティー!
だったから、一人でいきなり行くのはちょっと心細かった。

 半分は、日本人の友達のため、後の半分は自分のため。
ってわけで、なんとか日本人の友達と、
Int'l studentパーティーに行くことになった。

 火曜日にその話をみんなに話してOKもらって、
水曜日、木曜日は、本当に退屈で、
勉強は一生懸命やるつもりだったけど、
ほんとは、勉強がまったく手につかない感じで、
毎回授業は、頭がまっ白!

 あの時の水曜日と木曜日にお父さんが来てたら、
きっと、ずいぶん怒られただろうなって思った。

P20

 そんで、いよいよ運命の金曜日の夜、
(それほどでもないんだけど)
Int'l student(留学生)パーティーに出発!

 アメリカの大学生は勉強熱心で、
月曜日から金曜日は、とにかく勉強。
ひたすら勉強。

 そりゃ、もう、頭が真っ赤に
大爆発しそうになるくらい、勉強する。

 アメリカの大学の図書館はロスとか
ニューヨークなんかのでっかい大学は、
基本24時間開館。

 私がいた田舎のちっさな大学でも、
午前0時までは図書館が開いてた。

 だから、大学の図書館には、
真っ赤に大爆発しちゃう生徒のために、
各机の横に、消火器が設置されてる。


 だけど、金曜の夜は、Party Night!
平日の必死の勉強が終わった金曜の夜、
それは始まる。

 そう、それが、Dancing Night!
好きなだけお酒を飲んで、
真っ赤になって踊る!

 黄色い太陽が見えるまで、
ひたすら踊る!

 Int'l studentパーティーは、
ほんとに世界各国の留学生がいて、
南米、アフリカ、東南アジア、
人種は様々。

 年齢も、18歳から40歳過ぎまで、
年齢も様々。
それでも、みんなダンスが大好きで、
飲んで、踊って、大騒ぎ!

 最初に入った時は、その熱気にびっくりして
頭が沸騰、真っ白な湯気が出たんじゃないかと思うほど。
いや、ほんとに凄かった!


P21

 中は薄暗くて、よく見えない。
おまけに、聞き慣れない音楽が、
ガンガンかかっていて、
すっごく、怪しげなイメージ。

 よくテレビで、麻薬の取り締まりで、
そんなパーティーに踏み込む映像が目に浮かんだ。

やばいとこに入っちゃった!

 それが第一印象。

 それでも、ほかの日本人の友達のてまえ、
後戻りはできないから、
勇気を出して、中に入ってみた。

 そしたら、部屋の中心では、6人が踊ってた。
よーく見ると、やっぱり中南米の人達。
あとで聞いたら、やっぱりブラジル人だった。

 で、音楽の種類は”サルサ”って言ってた。
なんでも、中南米の国々でポピュラーな音楽。


 踊りの感じは、二人ペアで腰が密着!
日本のイメージだと、タンゴかな?
でも、圧倒的に早い!


 ブラジル人の男女二人のサルサダンスは
ほんとに凄い!

 二人とも腰をくねくねさせながら、
すっごくセクシーな感じで、素敵だった。

 入っていきなりそんな雰囲気だったから、
これぞ、アメリカ!

 って、私は思った。
なんだか、暗くて

 そんな雰囲気に圧倒されながら、
部屋の奥に入って行くと、
踊っているのはその人達だけで、
あとはまわりで、お酒を飲んでた。

P22

 最初のイメージに圧倒されて、
思わず引いちゃったけど、
それでも、後ろの友達に後押しされるように、
ずんずん中に入って行くと、
そのホールには、結構な人数が、
入ってた。

 しばらくして、怪しげな暗さにやっと目が
パチッと開いてきて、よーくあたりを見回すと、
そこは、ブラックや南米系、チャイニーズ、
なんかのオリエンタルとか、
ほんとに多種多様の人種がペチャクチャしてた。

Oh my goodness!

 日本人の友達みんなと顔を見合わせて、
ほんとにびっくり!

 アメリカに来てから、
ホストファミリー以外に学校で出会う人は、
大学のアメリカ人学生か、みんな日本人で、
こんなにたくさんの留学生がいたなんて、
全然想像できなかった。

 ざっと見渡して、50人位。
その中にはちらほら日本人らしき人もいて、
当然みんなが英語でペラペラ。

 ここが、海外ってことを、グサッと思い知らされた。
あ、いい意味でね。

「「すごいね~」

 それがみんなの感想。
日本人の友達は英語ができないから、
ただ、ただ、圧倒。

 思わず見とれてた私も、はっ、と気がついて、
とりあえず、近くにいた同じ年っぽい、
日本人風の女の子に、日本語で、話しかけてみた。

P23

「Hi, ここに来て長いんですか?」

そしたら、

「うん、もう2年半くらいかな?」
って返事。
それが、最初のおしゃべり。

よかった、日本人だった!

 その、同じ年に見えた女の子は、
”ミキちゃん”って名前で、
なんと、28歳!
私よりも、9歳も上だった!

 アメリカにいる人は、
みんなあんまりお化粧してないから、
すっごく童顔に見える。

 それでも、とっても素敵で、
かわいい人だったのね。

 そしたら、向こうから、

「最近きたの?」

って、話しかけてくれた。

 そのまま、しばらく話してたら、
その子は、2年半前に来たけど、
1年位してから、アメリカンの
”ジョン”って名前の彼氏ができて、
半年前から一緒に住んでるんだって!

 いまは、”ジョン”と、”アンディー”って名前の
黒いラブラドール・レトリバーと
2人と1匹で住んでて、
お互いの両親にも挨拶が済んでて、
来年の6月に結婚するから、
学校を休学して、花嫁修行中なんだって!
いいな~、ジューンブライド!

 つまり、いまは婚約中!
左手の薬指のリングが光ってた。
羨ましい!

 私が思い描いていた、理想の人生を、
その通りに歩いている人がいるなんて!

 この時は、ほんとに興奮して、
まわりの友達のことなんか、
すっかり忘れて、出会ってから、
結婚するまでの経緯を、
こまごま質問しちゃった。

 そんなプライベートな事なのに、
嫌な顔しないで、しっかり応えてくれた事に
”この人はほんとに素敵な人なんだな!”
って、2度驚いた。

P24

 ミキちゃんて、大学の英文科を出て、
普通に外資系の製薬会社に就職して、
5年働いた後、こっちに来たんだって。

 もともと英語に興味があったから、
大学は英文科に行ったんだけど、
外資系の製薬会社に就職した時に、
あまりに、英語が使えなくて、
一念発起して、お金を貯めて、
海外英語留学したんだって。

 外資系の製薬会社だからって、
英語が話せないといけない訳じゃなくて、
もちろん、日本法人だから、
99%は日本語で話す。

 でも、本社から重役が来たときとか、
海外の取引先に連絡する時は、もちろん英語。

 もちろん専門の部署があるんだけど、
ちょっとした会話や、電話の取次なんて、
いちいちそんなところに電話を回してたら、
怒られちゃうから、そんなちょっとした英会話は、
できると便利だった。

 それでも、ほとんどの人は、
電話をとった瞬間、

「誰か~、相手外人!」

なんて、感じだった。

 そこで、会社終わりに英会話に通ってみたら、
ちょっと自信がついて、会社で電話をとった時、
思い切って話してみたら、

「通じた!」

この時の感動は、2年以上経った今でも、
鮮明に思い出せるって。

 それから、しばらく仕事しながら、
英会話に通っていたけど、
どうしても本格的に勉強したくて、
今に至るって。

 それがどうして、ジョンと結婚?

P25

 それがね、ジョンと出会ったのは、大学の講義で。
みきちゃんは、たんに英語の勉強をしたかった
だけだから、大学に入学するつもりはなかったの。

 だけど、語学学校の目的は、最終的には

「大学入学」

 だから、クラスが進んで上級になると、
必然的に大学の講義に出なきゃならなくなるわけ。

 ってわけで、大学に行くつもりがなくても、
大学の講義に出てたんだって。

 そこで、問題の!じゃなくて、
素敵な”ジョン”と出会うわけ。

 何となく分かるでしょ?
そう、もちろんジョンの一目惚れ。

 アメリカ人のジョンにとって、
少し小柄な、(って言ってもミキちゃんは身長164cm!)
みきちゃんは、それだけで可憐に見えたらしいい!

 しかも、そんな細くて可憐な日本人が、
なんのためらいもなく、わからないところを、
どんどん質問して、時には講義が終わっても、
さらに教授の後にくっついて、
質問攻めにしてる姿を見て、

「僕が助けて上げなければ!」

って、思い込んだんだって。

 それから、ジョンの猛アタックが始まった!
講義が始まる前は、最前列の席を二人分確保。

 講義中は、隣りに座って、逐一解説して、
講義が終わったら、教授を教室に足止めして、
ミキちゃんの質問タイムを作る。



 みきちゃん、初めはまじめに勉強するつもりだったから、
そんなジョンの行動を、

「ずいぶん親切な人だな?
学校に言われてエスコート役してくれてるのかな?」

って、”学校から言われた義務”で、
としか思ってなかったって。

 みきちゃん、ちょっと天然?
でも、初めて会ってから、1ヶ月くらいずっと、
世話を焼いてくれてたから、

「そろそろ一ヶ月だし、だいぶ学校にも慣れたから、
もう一人で大丈夫。もう良いよ?」

って、言ったんだって。


 そしたら、

P26

 なにを言ってるんだい、僕はみきのそばから離れないよ!
それに、ミキのためならどんなことでもするよ!」

そこでミキちゃん、 初めて

「ん?なんか違うぞ?」って気がついた!

やっぱり天然だよね。
いくら学校から言われたって、
1ヶ月も常にそばから離れないで、
細々世話を焼いてくれるなんて、
普通なら一週間くらいで、気がつくじゃない?

そうじゃなくても、

もしかしたら、ストーカー?

なんて思っちゃったりして、
むしろ怖くなっちゃったりするよね?

 たしかにジョンは背は高いし(190cmくらい)、
黒髪ブルーアイのちょーイケメン。

 しかも、テニスプレーヤーのスポーツマン。
学校もテニスの特待生で他の州から来てるんだって。
 で、今年卒業したら、プロになることが決まってるって、
ちょ~エリート。

 そんな人だから、アメリカ人だって、
狙ってる人はたくさんいたと思うよ?

 なのに、一ヶ月もべったり隣りにいたのに、
その理由に気が付かないミキちゃんて、
やっぱり天然だよね。

 それが、

「ミキのそばから離れないよ!」

って聞いて初めて、

「あ!もしかしたらこの人、アピールしてる?」

なんて、おそ! 遅いよね~
でも、ジョンはそんなところが気に入ったのかもね。

 しかも、

「ジョンはもしかして、私のことが好きなの?」

って、聞いちゃったんだって!

 聞いてて私のほうが、恥ずかしくなっちゃった。
そしたらジョンは、

 ”Of course, Please marry me?”
 「もちろんだよ、僕と結婚してくれないか?」

って、こっちもストレートに質問で返したって。

 で、なんとそれまでジョンのことを、
”ただのいい人”ってしか見てなかった
ミキちゃんの返事は、

P27

“Yes, I will marry you”
(はい、もちろんOK!)

「え?それで決めちゃったの?」

って聞いたら、

「うん、そう。
だって、すごくいい人だったから」

 そりゃね~、誰だって狙った獲物を手に入れるまでは、
必死に何でもするでしょー?
それを過ぎたら、
”釣った魚には、餌はやらない!”
ってなりかねないし。

 だってねー、出会って一ヶ月。
しかも、アメリカに住んでる、アメリカ人。
自分は、来てまだ1ヶ月。
不安になるし、ホームシックにだってなるかも?
そんな時にたまたま優しくされただけの男の人にいきなり、

「結婚してください!」

って言われただけであっさり、

「はい、結婚します!」

なんて、普通の神経じゃ考えられないでしょ?

 それに、学校の先生が言ってたけど、
来て一ヶ月間はハネムーン期間って言って、
ふわふわ、そわそわ、何も手につかないのは、
結婚と海外留学はよく似てるんだって。

 みきちゃんの場合はまさにそれ!

 来て一ヶ月、見知らぬ土地で、
アッと言う間に時間が過ぎて、
やっと慣れてきたかな?って時でしょ?
やっぱり、ダメなんじゃないかな?
って思ったのね。

 もちろん、みきちゃんにそう言ったら、

「運命感じたんだもん」

って、素敵な笑顔で答えられちゃった。

 ああ、なんて素敵!
誰でも夢見る 「白馬の王子様」
まさにそんな感じなんだろうな~

 で、「それから2年以上経つけど、
いまでも同じ気持なの?」

 ってみきちゃんに聞いたら、

「ううん、それ以上に好きになっちゃった」

 その時の顔を見たら、
それだけで、全部理解できた。
本当に好きなんだなー

 それ以上は言うこと無くて

「おめでとう、良かったね~」

って私も、心からお祝いの言葉とともに、
自分まで幸せな気持ちが広がった。

「私が夢見た人生が、今そこにある」

 それが、私のこれからのアメリカ滞在を
たくさんの希望に変えていた。


P28

 ひとしきりみきちゃんと盛り上がって、
ふっと、自分がなんでここにいるのか、
思い出して、我に返った。

「あ、みんなをInt’l studentパーティーに
連れてきたんだ!」
 
 そう、みきちゃんの、あまりに素敵なお話に、
英語が話せない達、日本人の友達を、
Int’l studentパーティーに連れてきたことを、
すっかり忘れちゃってた!

「みんなどこかな?」
 あたりを見回すと、日本人らしき集団は、
どこにも見当たらなかった。

「もしかして、帰っちゃったかも?」
急に心配になって、いったん寧子のホストに
帰ろうとした時、入口付近でなんだか賑やかな
集団を見つけた。
 
 それは、一緒に来た寧子と男友達2人と、
ブラジルから来た”アンジェル”がお酒を飲んで
とっても盛り上がってる所だった。

「へ~、私がいなくても全然平気じゃん」

 ちょっとがっかりしたり、ホッとしたり、
少し複雑な感じだった。

 「なに話してんの?」

 聞いてみると、アンジェルはブラジルから
来たんだけど、やっぱり英語がぜんぜん
話せなくて、ひたすら飲んで踊ってたんだって。

 でも、さすがに疲れたから帰ろうと思ってたところで、
同じ感じの寧子達と意気投合して、
日本語とポルトガル語と、たくさんの
ボディー・ランゲージで、コミュニケーションを
取ってたんだって。

「やはりアルコールのなせる技か!
これぞ、国際化!習うより慣れろ!
言葉なんて、気合と根性でなんとでもなる!」

 こんなことって、日本にいたんじゃ
絶対にないことだから、寧子達も喜んでた。

 そのあと、寧子達に聞いた話だと、
なんでも、アンジェルは「国が主催する留学プログラム」で、
来たんだって。

 でも、その選抜方法が、日本じゃ信じられない物。

P29

 なんたって、

「くじ引き」

 そう、お盆や年末に、デパートなんかでやる
あの、ガラガラ・ポン、と同じ「くじ引き」だったんだって。

 もうびっくり!
日本じゃ考えられないよねー。
詳しい方法は、わからなかったみたいだけど、
くじ引きってことは、わかったみたい。

 なんでも、費用は全額タダ!
そう、衣食住から、学費まですべて国持ち。

 だから、貧富の差が激しいブラジルでも、
サッカー以外の「ブラジリアンドリーム」
のひとつで、けっこう倍率が高かったみたい。

 私も、そんなことがあるなんて、ほんとに驚いて、
ワインの入ったプラスティックのコップを、
落としそうになっちゃった。

 「へー、国が違うとありえないことがあるんだね。
アンジェルはきっと貧乏なんで、一攫千金狙いなんだろね」

 って、寧子に言ったら、

「ううん、お父さんは外交官だって」

 それを寧子に聞いて、2度びっくり!

 「お金持ちだよね?」

 って、私が寧子に聞いたら、
寧子もおなじ質問をしたみたいで、

 「くじ引きは公平だから、誰が応募したって良いんだよ!」

 って、アンジェルが全然悪びれないで、
当然だと言わんばかりのドヤ顔で答えてくれたって。

 そりゃ、誰にでも平等なはずのくじ引きだけど、
お金に苦労していない、外交官の息子さんに
当たる必要はないと思ったよ。

 だから、ブラジリアンはいつまでたっても、
貧富の差がなくならないんだと、
似合わないことを、考えちゃった。

 それも、アメリカにきたおかげかも!
とにかく、引っ込み思案だった、
No English の日本人学生も、
少しだけど、国際化の扉が開いたみたいで、
ホッとひと安心。


 P30

 みんながなんとか打ち解けたのを確認して、
私自身も落ち着いたんで、あらためてまわりを見回したら、

 「あ!、”あさひ”がいる!」

 そう、窓際の外国人ばかり5~6人の輪の中に、
一人だけ日本人の、”あさひ”がいた。
その輪の中の”あさひ”は、にこやかに、穏やかに、
心から楽しそうに、みんなと話していた。

 気が付くとそんな”あさひ”から目が話せなくなって、
しばらくの間、見つめていた。

 そしたら不意に、後ろから声をかけられた。

「どしたの?Ash(アッシュ)[アッシュ] が気になるの?」

その声は、さっきのみきちゃんで、
私がずっと”あさひ”を見ているのに、
気がついたみたい。

「え!そういう訳じゃないけど、
外国人の中に、ひとりだけ日本人がいるなって・・・」

 ちょっとドギマギしながら答えた。

そしたらみきちゃん、いたずらっぽい笑顔で、

「あの子かわいいよね。
ちょっと変わってるけど」

って。

私が、

「え?知ってるの?」

って答えると、

「うん、Ash[アッシュ] ね、4月に来たんだけど、
初めから英語が話せてね、いきなり上級クラスに
来たんだよ。
 で、その時の上級クラスって日本人がいなくて、
先生たちが気を使って、日本人を紹介しようとしたら、

「日本人と付き合いたくないので・・・」って言って

断ったんだって。

 でも、なんかアッと言う間にクラスや先生たちと仲良くなって、
気が付けば何年もここにいるような人になってたって」

 私は内心、

「へ~、あんがい社交的なんだ」

 って、変なところに関心してた。

 「どこのホストにに住んでるの?」

私は、当然どっかのホストファミリーに住んでると思って、
みきちゃんに聞いてみると、

P31

「ううん、寮に住んでるよ」

だって。

「え?寮って、日本人でも住めるの?」

って聞いたら、

「住めるよ。でも日本語は全然通じないから、
いきなり寮に入る日本人って、聞いたことないけどね」

〈やっぱり変わってる!〉

 私は内心確信した。
だって、誰でも初めての場所に来たら、
たとえそこが外国じゃなくても、
少しは、ううん、相当心細いでしょ?
 そしたら、とりあえず知り合いを探すか、
じゃなければ、その場所の様子を聞くために、
近くにいる、親切そうな人に話しかけるでしょ?
それが、普通でしょ?

 それなのに、知り合いのいない見知らぬ外国に来て、
せっかくまわりが親切に、

「心細いだろうから、ここの様子を知ってる、
親切な日本人を紹介してあげるよ?」

 って言ってくれてんのに、それを断るなんて、
どんだけ自分に自信があるんだろう?

 じゃなければ、よほどダメな人か、
性格が終わってる人なのかな?
 きっと、最初の時に感じの印象そのままに、
すっごく性格の悪いやつに違いない!

 みきちゃんに、

「あの人何歳?」

 ミキちゃんは”Ash? ”って即座に答えたけど、
私は、なんかムッとしたので、わざと”あの人”って言ってた。 
って聞いてみると、

「21歳だって」

って、即答。

〈ああ、私の2個上か〉

 って、思うと同時に、あまりにみきちゃんが、
あさひのことに詳しいから、

「あの子と仲がいいの?」

 って、無意識に質問してた。
そしたらみきちゃん、

「うふふ・・・」

 って、イタズラっぽい笑顔で答えただけだった。

P32
 
「気になるの?」

そう、ミキちゃんが言葉を続けた。

 私は慌てて、

「そうじゃなくて、なんかすっごく性格悪そうなやつだから、
みきちゃんと知り合いなんてありえないと思って」

そのミキゃんの小悪魔的な笑顔を見て、
〈ドキッ!〉
とした自分がいた。

 その時に思ったのが、
〈もしかしたら・・・〉
そんな気持ち。

 そしたらミキちゃん、私の気持ちを見透かしたように、
「Ash・アッシュ]とはなんでもないよ。
ただの友達」

 って、笑いながら言った。
そりゃそうだよね。
ミキちゃんには愛するダーリン”ジョン ”がいるもんね。

「私、今は休学中で、学生だったら授業に出てるはずの、
変な時間にお散歩してたりするでしょ?
そん時にAshも同じようにウロウロしてたりするのよ。
だから、『授業じゃないの?』とかって声かけたのが始まり。」

 「え!」

 私は短く驚いた。
〈私の時は無視されたのに、ミキちゃんとは話したんだ〉
って思った。

P33

 それと同時に、ミキちゃんに少し嫉妬した
自分に気がついた。

〈もしかしたらあさひのこと好きになり始めてるのかも〉

 でも、実際彼のことは何も知らないし、
第一印象は最悪で、とても好きなんて感情は
持てなかったのも事実だし、それが好きって気持ちに
結びつくなんて考えもし無かった。

 ただ、確かなのは、彼のことが

〈とにかく気になる〉

それだけだった。

 
 そんな私の心の葛藤をよそに、
ミキちゃんは、そのまま話を続けた。

「そしたら、Ash が
『少し話し、聞いてもらっていいですか?』
って、言ったのよ」

 「それから、ベンチに座って30分位
話したかな?
Ash は4月に来て男子寮の受け入れ準備
が出来るまで、いきなり女子寮に一週間
入ってたんだって。

 それも、理由は

『ゲストルームが女子寮にしかないから』

だって。

 女子寮は、男子も平気で出入りしてたから、
それ自体はそんなに焦らなかったけど、
ランドリールームで洗濯中に、いきなり注意
されたのが、『前の人の選択が終わったら、
洗い終わったものを次の人が出して、
洗濯機の上に置いとくの!』って事
だったんだって。

 でも、女の子の洗濯物だし、普通はありえ
ないでしょ?
 でも、1回注意されたから、次はそうやって
洗濯物カゴに入れてたら、ちょうどその時に
持ち主が来て一言、『サンキュー』って
言って持ってったんだって。

 その中には、ブラやパンツがあったけど、
そんなのお構いなし。

 そのことに面食らったとか、
朝シャワーを浴びる時、気を使って、
みんなが起きそうもない、朝5時に
起きて浴びてたら、いきなり隣に女の子が来て、
シャワーを浴び始めて、めっちゃ焦ったら、
『シャンプー貸して』ッて言われて、手が
シャワーカーテンに入って来たんだって。

 びっくりして思わず『OK!』って答えちゃって、
渡しながら、

《強制送還だ!》

って覚悟を決めたら、何事もなかったように
『サンキュー』ってシャンプーを返してきて、
体中の力が抜けたんだって」

〈うわ~、そんなことがあるんだ!〉

私は素直に驚いてた。
 
 その後もミキちゃんは Ash と何を話したか、
内容を簡単に教えてくれた。

 実家は東京で、高校を出て三鷹の英語専門学校に
1年間通ってから、そこの先生の紹介でここに来たこと。

 高校から4年間付き合ってて、お互いに結婚する
つもりだった彼女に『アメリカへ行く』って言ったら、
『そこまで待てない』って振られて来たこと。
 
 ミュージシャンか車のレーサーになりたいが、
そのためにはまずは〈英語がしゃべれないと〉と思って、
ここに来たこと。

 ここではとりあえず哲学か心理学を勉強したい事。

 「そんなことを、英語で話してくれたのよ」

P34

ってミキちゃんは言ってから、

「うそ、もちろん日本語でよ」

って、またイタズラっぽい笑顔で笑った。

 私も一瞬、

「え!英語でそんなこと話せるの?」

 ってびっくりしたけど、ミキちゃんの冗談に
まんまと引っ掛かった。

 そしたらミキちゃん、

「もしかしたら、ジョンがいなかったら、
私が好きになってたかも・・・」

って、ポツリと言った。

 そのミキちゃんの言葉が、
ほんとか嘘かなんてどうでも良くて、
私にとっては、ミキちゃんが言った

「私が Ash を好きになってたかもしれない」

 その言葉だけが、私の心のなかで
ぐるぐる回っていた。

 その時不意にあさひがミキちゃんを見つけて、
笑顔で笑いかけた。

 その笑顔が、私の隣りにいるミキちゃんに
向けられたものであることは、
私だってもちろんわかってたけど、
あさひが、まっすぐ私を見ながら笑いかけた
ような気がして、心が真っ赤に燃え上がり、
まるで洪水のようにドキドキした。

 その時、

「ああ、もう止まれない・・・」

 その瞬間、ミキちゃんに聞いていた話の中で、

「高校から4年間付き合ってた彼女と別れたばかり」

 その言葉が心の洪水の中から、
まるで水の勢いでなぎ倒された大木が、
その力強い力で、水面に浮かび上がったかのように、
私の心の中心に向かって叫んでいた。 

「ああ、今はフリーなんだ」

 その言葉が心に浮かんだ瞬間、
なんだか、私の心のなかに、小さなロウソクが
ぽっと、灯ったような気がした。

P35

 結局その日は、空がオレンジ色に輝くまで、
みんなと騒いだ。

 行く前は、すごく心配でたまらなかった
日本人の友達たちも、お酒のせいかはわからないけど、
あの夜は確かに、みんなが楽しんで、
完全にパーティーに溶け込めたと思う。

 私も、ちょっと偉そうだけど、
姉の気持ちで、ホッとひと安心。

 これで、少しは日本人の友達たちも、
アメリカの風景に溶け込めたんじゃないかな?

 土曜日の午前中は、みんなのんびり。
10時過ぎにブランチを食べて、末っ子のJoy と
遊んでたら、電話が鳴った。

「ねー、日本食、食べに行かない?」

 寧子からだった。

「え?近くに日本食、食べられるところがあるの?」

私が聞き返したら、

「あるんだって、私のママが言ってた」

 それは、寧子のホストファミリーのお母さんの事で、
つまり、”アメリカのお母さん”ってこと。

 まだアメリカに来て一ヶ月だったけど、
確かに日本食が恋しくなって来たところだった。
 
「うん、いいよ。行こうよ!」

 私は、返事をしたものの、移動手段がないこと
に気がついた。

「ああ、それなら大丈夫。
ミチさんが車買ったから。」

 ”ミチ君”って、21歳の日本人。
大学の夏休みを利用して、語学留学をしに
私達と一緒に来て2ヶ月間いるみたい。

「へ~、お金持ちだね」

 て、私が寧子に言うと、

「だって。ここっっておっきな丘の上に
出来た街でしょ?
坂ばかりで、自転車も余り役に立たないし、
それに、サマーバケーションの間は、
大学内の唯一のお食事処、”カフェテリア”も
お昼以外は閉まっちゃうし、車がないと
生活できないって、両親に言ったら、
すぐにお金を送金してくれたんだって」
 
 なんだか、私以外はみんなお金持ちに思えてきた。

「へ~、わかった。じゃあ支度して待ってるね」
 
 そう言って電話を切った。
私は久しぶりの日本食にワクワクしてた。

 その一方で、

「寮に住んでて、お昼以外は、
どうしてるんだろう?」

 ふっと、心のどこかであさひの食事のことが
気になった。

P36

「あのさ・・・」

その時、喉まで出かかった、
 
〈Ash も一緒に誘わない?〉

 その言葉を、グッと飲み込んだ。
だいたい、私も話したことがないのに、
いきなり呼んだって、みんなが困るし、
あさひは日本人と混ざりたがらないわけだから、
来るわけ無いと思った。

 
 電話を切って15分位で、寧子とミチ君と
他2人が迎えに来てくれた。

 私が、

「日本食レストランなんて、ここにあったっけ?」

って、に聞くと、

「うん、ハイウェイ沿いの道で、名前が
 ”Golden Dragon”」

 「ん?、それって日本食ってか、
チャイニーズっぽくないかな?」

 私はそう思ったけど、それは言わずに、
黙ってミチ君の車に乗り込んだ。

 それから30分後、怪しげな金の龍の書かれた店の前に、
立っていた。

「あのさ、ここってなんか日本食って言うか、
中華だよね?」

 私が言うと、みんなも、

「そうだね、中華だよね?」

 同じ意見。
最後には寧子まで、

「なんだ、ママから見ると、日本食もチャイニーズも
おなじに見えるんだな~」

 だって。
でもすまなそうに肩をすくめる寧子にみんなで、

 「いや、チャイニーズだってご飯あるだろうし、
日本食じゃなくても、オリエンタルだからいいじゃん!」

 って、みんなでウキウキしながら、店に入った。

 P37

 中に入ると、一番最初に目に飛び込んで来たのは、
痛いほどの、赤と金の壁の模様だった。

「これって明らかにチャイニーズだ!」

 それが私の印象だったけど、それはみんなも
同意見だったみたい。
 
 チャイニーズとは言っても、チャーハンや
ラーメンはあったから、まあ、日本食の一種
ってことでみんなで納得。

 私はチャーハンと春巻き、寧子がラーメン、
ミチ君がラーメンとシュウマイって感じで
しっかり食べた。

 「美味しかったけど、
なんか、チャイニーズだったよねー?」

 って、私が言うと、

 「そうそう、日本の感覚だと、
日本食って言うと、和食。
ご飯とお味噌汁だもんね」

 それが寧子。

 他のみんなも、みんな同じ意見で、

「期待が大きかったから、
なんかよけいに和食が食べたくなっちゃったね」

 って、ミチ君が言った。
そしたら、寧子が、

「わかったよ、今度は私が作ってあげるよ」

 って。
よくよく聞いてみると、婚約者がいる手前、
花嫁修業に、1年前から料理学校に通ってて、
料理の腕前は、かなりのもんだったんだよ。

「へ~、やっぱり婚約者がいると違うね~」

 私が言うと照れながら、

「そんな事ないよ~」

 って、真っ赤になりながら答えた。
そんなことを話しながら家に帰る途中で、
図書館から出てきたあさひを見つけた。

〈あ、もうすぐ23時なのに、まだ図書館にいたんだ〉

 そんなあさひを見て、

P38

 急に、「中華じゃなくて日本食?」なんて
言ってる自分が、恥ずかしくなった。

〈私がアメリカに来たのは、観光のためじゃない!〉

 私は発作的にミチ君へ、

「ここで降ろして!」

 って、ちょっと強い口調で、お願いした。
ミチ君は、私のうちまで迎えに来てもらったから、
もちろん私の家は知ってて、

「いや、もう夜遅いし、ここで降ろしたら、
家に帰れないんで、ダメだよ」

 って、言って車を停めることはしなかった。
私も、そう言われたら、確かにそうだと思って、
乗せてもらったこともあるし、素直に納得した。

 そのまま、あさひを車の窓越しに見てたら、
あさひが、後から出てきたブロンドの綺麗なおねーさんの
腰を抱いて、何か話しているのが見えた。

〈あ! あれってアメリカ人の彼女かな?〉

 それを見た時、体中の力が抜け、
なんだか、思わず視線を下に向けてしまった。

「は~~~」

 自分では意識してなかったけど、
まわりが驚くくらい、大きな、深いため息をついてたらしく
寧子が心配そうに、

「どうしたの?」

 って、聞いてきた。
私は、ため息を付いたことに気が付かなかったから、
寧子の”どうしたの?”って言葉に驚いた。

「え?私なんかした?」

 私は寧子の言葉に驚いて、逆に質問すると、

「なんだか心配になるくらい、深いため息をついてたから・・・」

 って、寧子が言った。
その時、私はあさひが好きで、
頭から離れないことを、自覚した。

「Ash が好き」

 そう小声でつぶやいてみたけど、
その声は車の音と、みんなのおしゃべりで、
寧子の耳には届かなかったみたい。

「何?」

寧子がもう一度、聞いてきたけど、
二回目の答えは、

「大丈夫、なんでもないよ」


P39

 ホストファミリーに帰って、自分の部屋に戻ると、
さっきのあさひの図書館での出来事が
ふっと、頭に浮かんできた。

 第一印象は最悪で、もう二度と会いたくないって
思っていたのに、今では反対に、

〈好き〉

になるなんて、自分でも信じられなかった。

 でも、今思い返すと、
最初に感じた印象は、自分の方を見てくれなかった
からだったかもしれない。

 ほんとは、一目惚れみたいな感じだったけど、
それを気づいてくれなかったことが、
感じ悪いと思った理由かもしれない、
そう、思った。

 その日は、なんとなく心がざわざわして、
なかなか眠れなくて、深い藍色だった空が、
だんだんとオレンジ色に変わっていくのを、
静かに見ていた。

 気が付くと、家の中がシーンと静まり返っていて、
人の気配がしなかった。
時計を見るともう10時。

 ホストのみんなは日曜日の礼拝に教会へ
出かけた後で、誰も家にはいなかった。

 普段は私も一緒に行ってたけど、
昨日遅く帰ってきた私に気を使って、
そっと寝かしてくれたみたい。 

 のそのそとベッドから這い出ると、
昨日の図書館での光景が、また頭の中に広がった。

〈もしかしたらあの後、あさひと彼女はKissしたかも〉

 そう思うと、悲しくなった。

P40~P79まで  ”母と妻と女の間で・・・” 留学時代・出会い青春編

Tel・Tel・Tel ・・・

 突然電話が鳴って、とてもびっくりした!

〈もしかしてあさひ?〉

「Hello?」

 私が電話にでると、

「起きた?」

 寧子だった。

〈あさひが、うちの番号知ってるわけ無いか〉

「なに?どしたの?」

 私が答えると、

「教会で、紗季のH・ファミリーに会って
まだ、紗季が寝てるって聞いたから、
電話したの」

「え、寧子は朝普通に起きたの?」
 
 私が聞くと、

「そうだよ、朝の礼拝に行かないと夜出るの
禁止になっちゃうもん」

 寧子はもともとクリスチャンだったから、
日本にいる時から、日曜礼拝に行っていたから、
違和感はないみたいだった。

〈やっぱり寧子は、お嬢様だ!〉

「寧子はえらい、真面目だね」

 私は素直に感心した。
そしたら、寧子は続けて、

「モール行こうよ!」

 私は驚いた。
この辺の田舎っぷりは半端無くて、
ショッピングモールなんて聞いたことがない。

「そんなのあるの?誰と行くの?」

 続けざまに質問すると、

「うちのママが、連れてってくれるって。
で、紗季の話をしたら、一緒にどうって?」

 その誘いは素直に嬉しかったけど、
昨日のあさひの図書館での光景が目に焼き付いていて
正直、そんな気分になれなかった。
 
 それで、返事に困っていると寧子が、

「昨日別れ際、急に元気なくなったから、
ちょっと心配になったの」

〈ああ、寧子は心配してくれてたんだ〉

 そう思うと、ふっと心が10gぐらい軽くなって
急に元気が出てきた。

「ありがと、じゃあ行こっか」

そして、寧子が迎えに来てくれる事になった。

P41

 モールね、モール。

 それは、私が住んでるLewistonから、
ハイウェイ(高速道路)をひたすら走って、
2時間くらいの所。

 日本だったら、東京から清里くらいかな。

 普段私が住んでるLewistontって所は、
食料品と、洋服が売ってるくらいの、
ショッピングセンターがあるくらいで、
日本だったら、コープとしまむらが
並んで立ってる、そんな感じのところが
あるだけ。

 だから、ブランド品や、ちょっと難しい物は、
少し離れた、ってか、日本の感覚で言うと、
「一日掛けて、お出かけしよう!」って言うくらい
私の住んでるLewistonから離れてる、おっきな都市
Spokenに行かなくちゃならない。

 そうねー、日本だったら、アウトレットモール
に行く感じと似てるかも。

 モールに付いたのは、午後一時近く。
モールの名前は、”NorthTown Mall”


 ここは、今でこそ日本でもポピュラーな
ショッピングモールだけど、その時の私には
本当に珍しくて、お金がなくて買い物とかは
しなかったけど、一日楽しく過ごせた。

 後で寧子に聞いたんだけど、じつはこのモール行き、
寧子が「親友の紗季が元気がなくて・・・」って
寧子のママに相談したのがきっかけだったんだって。

 そしたら、ママが

「そんなの、女の子だったらショッピングに行けば
すぐに元気が出るわよ!」

 って、誘ってくれたんだって。
寧子のママには前にも会ったことがあったけど
(寧子がホームシックで、ママに呼ばれたことがある)、
あんなに長い間一緒にいたことがなかったし、
寧子の親友ってだけで、そこまで私のことを、
考えてくれたなんて、涙がでそうになった。

P42

 本当に楽しく過ごして、帰ってきたのは夜8時過ぎで、
ご飯までごちそうになって、私はあさひの事なんか、
全然忘れるくらい、Enjoyできて、ほんと感謝の一言。

 別れ際、ママが

「紗季、どんなに些細な事でも、
心配事があったら、寧子と私に話してね。
紗季と寧子は、大事な私の娘なんだから」

 って言ってくれた。
その言葉を聞いて、こらえていた涙が、
一気に溢れた。

 本当に素敵な一日を過ごして、
とにかく一生懸命勉強しよう!
そう、あらためて心に誓った。

 翌朝、久しぶりに気持ちのいい朝を迎えて、
いつもは一番早く起きる末っ子のJoyよりも
先に起きた。

 コーンフレークで簡単な朝食を摂ると、
さっそく、今日の授業の予習を始めた。

 と、言っても、いまだに日本なら中学校で
勉強するような、初歩的な授業だから、
真剣に机に向かったものの、10分もすると
飽きて、日本から持ってきた漫画を読んでたら、
電話が鳴った。

〈誰だろう?って、どうせ寧子でしょ〉

 そう思いながら、電話を取ると、
受話器の向こうから、寧子の元気な声が聞こえた。

「ね~知ってる?
また、今日から新しい生徒が来るんだって!」

 気が付くと、ここLewistonに来てから、
すでに、2ヶ月が過ぎていた。

 ここの授業は、1クール2ヶ月で、
2ヶ月毎に進級&卒業がある。

 だから、今回の日本からの学生は私達の後に
やってくる、新入生って事になる。

「へー、知らないよ。
何人ぐらい来るんだろうね」

 そう答えると寧子は、

「楽しみー♪」

 と、弾んだ声を残して電話を切った。
私も、どんな人が来るのか、
とても楽しみで、学校に行くのが、
いろいろな意味で、楽しみだった。

P43

 学校に行ってみると、クラスメートがみんな
新入生の噂をしていた。

男の子は口々に、

「可愛い娘いるかな?」

 当然女子が来るもんだと決めてるみたい。
とは言っても、女子達も似たようなもんで、
かっこいい人を待っていた。

 そろそろ授業が始める時間が近づいてくると、
みんなの期待はMaxで、教室のざわつきが、
最高潮に達した頃、唐突に見知らぬ女性が入ってきた。

「はじめまして、田中春美です」

 そこに立っていたのは、ストレートの
ロングヘアーで、女子と言えないほど
大人の雰囲気で、それでいて、
男前な性格を漂わせる女性だった。

 私でも思わず、

〈きれい〉

そう感じさせる人だった。

 晴美の後ろから、Dr.Nortonが入ってきて、

「She studies together from today.
彼女が、今日から一緒に勉強します」

と言った。

 晴美は、24歳。
大学の英文科を卒業後、普通に大学院も考えたが、
それよりも、もっと生きた英語を勉強したくて、
ここを選んだらしい。

「両親と、兄がいます」

晴美が言ったので、

「ああ、だからなんとなく快活で、
強さが見えるんだ」

 私はそう思うと同時に、
不意に嫌な予感がして、少し寒気がした。

P44

 男子達が、

「めっちゃきれい!いいなー」

とかって、みんな絶賛して騒いでいるから、

「そんなの、教室に先生よりも前に入って、
いきなり自己紹介なんて、ただ気が強いだけでしょ!」

 と、私は思った通りの印象を言った。
それを聞いた男子達は、

「晴美ちゃんが綺麗だからって、
まなくてもいいって」

 って、変な励ましをくれた。
でも、それを聞いたって嫌な予感は消えなかったし、
なにより、きれいなことは間違いないから、
それ以上、コメントはしなかった。

 それから数日は何事も無く過ぎたけど、
1週間が過ぎた頃、授業の終わりに、晴美が突然先生に、

「ここの授業は簡単すぎて、時間がもったいない!
もっと上級クラスに変えて欲しい」

 と言い出した。
私だって、前から授業が簡単だって感じてたけど、
だからって、学校のスケジュールだってあるだろうから、

「上級クラスに変えて」

とは言えなかった。

 それに、今ではクラスメートが、みんな仲の良い友達だし、
上のクラスに上がるなら”みんな一緒に”って思ってた。
それなのに、たった一週間で、

「上級クラスにして欲しい」

 とは、相当気が強いんだなって思った。
それを聞いた先生は、

「その事は、後で話しましょう」

 と言って出て行った。
すると、晴美はそれでは納得せず、
先生の後を追って、教室を出て行った。
 私はそれを見て、

〈ああ、アメリカってこういう所が、
日本と違うのかな〉

 って、晴美は日本人なのにアメリカ人みたいで
ちょっと感心した。

P45

 結局、晴美はその後も授業には来ないで、
そのまま、ランチタイムになった。

 みんなで、カフェテリアに行って、
ランチをしながら、晴美の事を話している所へ、
ちょうど本人が、

「あ、いたいた!」

 って言いながら、ピンクの可愛い小さな花がらの
ランチBOXを持ってやってきた。

 いち早くミチ君が見つけて、

「晴美ちゃん、それでどうなった?」

 と聞くと
「『うん、あの後、校長先生のDr.Christinaと
ずっと話してて、『すべてのクラスを上級に
することは出来ないけど、いくつかの
クラスは、上にできるわ』って言われたのよ」

 って、晴美が心から嬉しそうに答えた。
みんなは本当に喜んで、

「さすが晴美ちゃん、よかったね~」

 と、晴美と一緒になって喜んだ。

〈なにが、さすが”晴美ちゃん”よ!
白々しい〉

 私は、自分が思ってもやらなかったことを、
いい加減にせず、最後までやり通した
晴美がちょっと妬ましかった。

〈私だって、やれば出来たよ!〉

でも、おもいっきり負け惜しみ。
 
 ただ、自分の意思を通した、
晴美に驚ろかされたのも事実で、

〈凄い!晴美は本当に英語が勉強したいんだな!〉

 と、少し嫉妬しながらも、妙に感心していた。
そしたら、晴美が、

「みんなとは短い間だったけど、これからも
友達でいてね。どこかで見かけたら声をかけてね」

 そう言って微笑んだ。
その顔があまりに可愛いので、男子達は
思わず見とれて、その場に固まっていた。

P46

 その間1分少々。その静寂を破ったのは、
寧子だった。

「だいじょぶ、すぐに追いつくから、
待っててね」

 そう言うと、ミチ君に軽くパンチをした。
その寧子のパンチで、男子達は我に返って、

「そうそう、すぐに行くよ!」

と、寧子と同じ言葉を繰り返した。

〈アホ!、あんた達の頭じゃ、
死ぬ気で勉強しないと。
今のままじゃ無理でしょ!〉

 私は、心の中で、つぶやくと、
今度は晴美がどこのクラスに行くのかが、
気になった。

〈もしかして、あさひのクラスに行くのかな?〉

 そう、晴美が上級者クラスに行くことに
不満はないし、むしろそれだけ一生懸命なんだから、
上のクラスに行くのは、当然だと思った。

 それは良いんだけど、問題なのはそのクラスに
あさひがいたら。

 あさひは、この前の金髪の女の子と一緒にいたけど、

〈付き合っている確証はなかったけど、
私はあの気ブロンドの娘が彼女だと思う〉

それは、私が来る前からなんで、仕方がないから
もしも別れたらチャンスだと思えた。 

 でも、もしも金髪の女の子と別れて、
私よりも後から来た晴美と付き合いだしたら、
私だってチャンスがあったわけだから、
すっごく後悔すると思った。

P47

 晴美は本当に魅力的で、晴美がクラスに来てから、
まず、欠席者がいなくなった。

 なによりその勉強に対する真剣な姿勢は、
周りの人も巻き込んで、それまで授業に
いい加減だった男子達も、突然先生に質問をする
くらい、授業を真剣に受け始めた。

晴美が来てから、クラス全体の雰囲気が、

「とにかく勉強したい!」

 って感じに変わったのを、先生達は、良く

「晴美のおかげね」

なんて冗談を言うくらい、好意的に見ていた。

 先生達は熱意ある生徒を評価するけど、
まわりの生徒まで、変えてしまう生徒は、ほとんど
いないから、先生達にとっても、晴美は特別だと
考えていたみたい。

 晴美の明るい性格は、男女問わず誰からも好かれて、
授業が終わってから、カフェで勉強していると、
いつの間にか、晴美が座っている白く丸いテーブルが、
勉強する人で一杯になって、誰も無駄口を叩くこと無く、
真剣に机に向かう光景が、当たり前に見られた。

 そんな光景を見ていると、少し嫉妬したくなるものの、
晴美のことは嫌いじゃなくて、誰からも愛される晴美に、
妬ましく思ったことはなかった。

 そんな晴美を見ては、

「美人は得だね!」

 と、一言。

 私も同感だったけど、けっして美人だからってわけじゃ、
ないと思っていた。

「ちょっと悔しいけど、晴美ちゃんは良い人だもん。
当たり前だよね」

 私と寧子は、2人でため息を付いた。

P48

 翌日、もしかしたらと思って早めに教室に入ると、
いつもは一番先に来てるはずの晴美が、いなくて、
そこには誰もいない、クリアーな空間が
広がっているだけだった。

〈は~、やっぱりいないか〉

 私は、わかってたことだけど、はるみがいない現実を
目の当たりにすると、やっぱりショックだった。

〈当たり前だけどさ〉

と思ったとたん、いきなり賑やかな声が聞こえてきた。

「あ!、やっぱいねーか。
なんかやる気なくなったなー」

 その声が聞こえると同時に、ミチ君をはじめ、
男子全員が入ってきた。

「ちょっとどうしたの?、
いつもなら遅刻寸前に飛び込んでくるのに!」

 私が、聞くと

「そりゃ紗季ちゃん、
もしかしたら、晴美ちゃんが授業前に、
寄るかもしれないじゃん!」

〈あ、やっぱり同じこと考えたんだ〉

「ばっかじゃないの?
そんな事あるわけ無いでしょ!」

 私は笑いながら冷やかしたけど、
ほんとは同じこと考えたんだけどね。

「だよなー、晴美ちゃんいないなら、
帰ろうかな」

 ミチ君が言うと、男子達がいっせいに、

「とりあえず、カフェでも行くか」

 って、教室を出ようとしたところで、
寧子が入ってきた。

「ちょっとあんた達、もしかして
晴美ちゃんがいないから、帰ろうとしてない?」

 ミチ君達は、図星だったから、しどろもどろで、

「いや、そういう訳じゃないけど・・・」

 って答えた。
そしたら寧子が、

「あんた達、晴美ちゃんに
すぐ同じクラスに行くって、約束したんじゃないの?」

「それは、そうだけど・・・」

 ミチ君達は、バツが悪そうに、答えた。

P49

 そしたら寧子が、

「だったらちゃんと勉強しなさい!」

 なんと、クラスで一番年下の寧子に、
ミチ達男子が、お説教された。

 しぶしぶ納得したミチ君達は、仕方なしに、
席につくと、教科書を出し、勉強の準備を始めた。

 私は寧子に、

「貫禄だねー、さすが寧子!」

 って、声をかけると、

「ほんとに男ってバカだよね!」

って、寧子から返ってきた。

 私も、それには思わず吹き出しそうになりながら、

「ほんとほんと、救いようが無いよね!」

 って、答えた。
晴美がいない凍えそうな教室が、寧子のおかげで、
すこし、昨日の暖かさを取り戻した。

私は、寧子と話しながら、

〈晴美は、あさひのクラスに行ったのかな?〉

 それが、どうしても気になった。

P50

 この所、晴美の事なんかで、正直あさひの事は
忘れてた。

 って、言うか、考えないようにしていた。
なにしろ、ここに来た目的、まずは

「勉強」
 
 確かに、あさひは気になってたけど、
私の目標は、あくまで

「アメリカ永住」

 日本でのお父さんや家族のことは、
ただの厄介事で、できるだけ関わらないように
したいことだもん。

 こっちに来てからは、自由だし、自分のやる気で次第で、
なんでも出来る、それが嬉しかったし、そのために
日本を捨てる覚悟で来たから。

 そのために、まずは大学に入って、就職して、
アメリカ人と結婚。

 グリーンカードを貰って、そのまま永住。
そのために来たんだもん。

 今のところは、大学に入る前の段階。
まだ、夢の入口に立っただけで、歩き出してないんだから、
あさひの事を考える暇があったら、まずは勉強。
それが、夢への第一歩になるから。

 そう考えて、できるだけあさひの事は、
考えないようにしたんで、晴美がクラスに
来たことは、私とっては本当に感謝だった。

 あさひの事を考えなくて済んだし、
晴美の勉強する姿勢は、ミチ君だけじゃなく、
私にとっても、最初の目的を思い出させてくれる、
大事な時間になった。
 

【グリーンカード:米国永住者または
条件付永住者の資格、 永住・条件付永住者カード】

P51

 晴美がいなくなって、一週間たったけど、
良かった事がある。

 晴美は教室からいなくなって、
上のクラスに行ったわけだけど、
そのクラスが、すぐ隣りだったんで、
廊下では、ちょくちょく会えることだった。

「なんだ、がっかりして損した」

 それは、私達の教室みんなの意見で、ちょっと考えれば
すぐわかることだった。

 でも、言い換えれば、それに気が付かないくらい、
動揺し、落胆したわけで、それくらいみんなは、
晴美が好きだったわけ。

 晴美はどうやら、新しいクラスでも、
国籍問わず同じように人気者で、
晴美と同じクラスの男子は、
浮足立って、それでいて、
みんなが授業に集中するという、
不思議な空間になっていた。

「やっぱり・・・、さすが晴美」

 みんなで感心していたものの、私の心の中は
ひとつ心配があった。

 それは、晴美のクラス替えが決まった時に、
感じたことで、晴美のクラスのひとつが、
あさひとダブっていたことだった。

〈晴美は勉強に真剣で、恋愛なんて眼中にないよね?〉

 私は、授業中の真剣な晴美の顔を思い出して、
少し安心した。

〈それに、あさひは日本人と付き合わないし〉

 それだけならば、晴美とあさひを結びつける
接点がないのだけれど、日本人とは思えない
くらい、授業に真剣って事は、2人に共通している。
 
 それが、紗季の心の中に黒い雲を吐き出していた。

P52

 晴美が、クラスからいなくなって最初の週末、
私達の、晴美がいなくなった寂しさがピークに達した頃、
また、Int'l student party があるって聞いた。

〈ああ、これに晴美は来るかな?〉

 みんなで、Int'l スチューデントパーティーに
行ってから、日本人で英語が話せなくても、
みんなすっかり常連で、他の国の留学生とも、
挨拶を交わす程度には、仲良くなってた。

「確か、晴美が来てからはじめての
パーティーだよね?」

 寧子に聞くと、

「そうそう、晴美ちゃんは、まだ会場で
見たこと無いよ」

 と言った。

 私は、

〈よし、明日のパーティーに晴美を誘おう〉

 そう決めて、授業が終わった後、寧子と2人で、
晴美を誘いに行った。

 晴美を探してカフェに行くと、真っ白なテーブルが
並んでいる中に、一箇所だけカラフルなジャケットが
テーブルを囲んでいる所があった。

〈あ、いるいる〉

 晴美のいるテーブルだけは、いつも人だかり。
だから、簡単に見つかる。

 さっそく私は、

「今週末、他の国から来た留学生主催の、
Int'l student party があるんだけど、
みんなで一緒に行かない?」

 当然、他の国の学生が主催のパーティーだから、
晴美も、乗り気でパーティーに参加するよね。

 晴美の答えは、

P53

「ごめん、うちのホスト、夜出るのとか、
けっこううるさいんだ」

 って、返ってきた。

「え!、そうなの?」

 私は、意外な返事で、心の底から驚いた。
普段から、他の国から来た留学生と英語で
コミュニケーション取ることに、積極的な晴美が、
多くの留学生が集まる、Int'l Partyに参加しないなんて、
とても考えられなかった。

「だから、今までそういうやつ、行ったことがないのよ」

 晴美がそう言ったので、

〈あー、ついこないだまでの私達と同じなんだな〉

 私はそう思うと同時に、

〈それなら、こっちは慣れたもんだね〉

 と、心の中は真っ青な空のように
晴れ晴れとした気持ちになった。

「この前ね、まったく行ったことがなかった、
ミチ君達とね・・・」

 私が説明を始めると、それを遮るように、

「ごめん、それにね、ほかに用事があるのよ」

 と、晴美が一言。
それが、少し強い口調だったから、
私は思わず、晴美の顔をまじまじと見つめた。

 すると晴美は、スッと視線を外して、もう一度、

「ごめんね、ありがとう」

 と、お礼を言って、カフェを歩いて出て行った。
晴美の、なんだか不自然な断り方に、
私も、かなり違和感を感じたけど、
それ以上、詮索しても仕方がないから、

〈じゃあ、しょうが無いよね〉

 って、納得するしか無かった。

 さっきまでの、青く晴れ晴れとした心の中は、
一瞬で、真っ黒な雲に覆われて、
今にも泣きそうになった。

P54

 私は、晴美の意外な返事が、頭の隅に小さく
残ったまま、金曜日の夜のパーティーに出かけた。

 会場では、先にミチ君達が来ていて、
すでに真っ赤な太陽のように、爆発的に盛り上
がっていた。

 寧子が、

「晴美ちゃん来ないんだって?」

って、お酒を飲んで、陽気な気分で聞いてきたから、

「そうなんだよ、なんか用事があるらしいんだ」

 そう答えると、

「そうなんだ。
でも、さっきミチさん達がお酒を買いに、
ダウンタウンに行った時、2人で歩いてる
晴美ちゃんを見たってよ?」

 寧子が、言った言葉にほんとに驚いて、
頭の隅で真っ黒い煙をあげながら燻ぶっていた、
小さな火種が、いきなり轟々と真っ黒な煙を上げて
燃え始めた。

〈あさひと晴美だ!〉

 私は、寧子が”誰と一緒だったか言う前に、
晴美の相手があさひだと確信した。

「それって、Ashでしょ?」

そう私が質問すると、寧子は、

「え?なんでわかったの?」

 寧子が不思議そうに答えた。

「だって、晴美とAshってなんとなく似てない?」

 私がそう言うと、寧子は初めてそれに気がついた様子で、

「そう言えば、お似合いだよね」

そう言って、無邪気に笑った。

 その寧子の笑顔を見て、私の心が、真っ青に燃える
激しい嫉妬の炎が燃え広がった。

「悔しい・・・」

P55

 私は、もとともと負けず嫌いで、激しい性格だったから、
自分が晴美に負けて、あさひを晴美に取られたことが、
どうしても我慢できなかった。

 寧子が、

「どうしたの?だいじょぶ?」

 って声を掛けるまでずっと、
2人の姿が心の白いスクリーンに映し出されて、
そこから目が話せなかった

「ん?ああ、だいじょぶよ」

 私が笑顔で答えると、寧子はすべてお見通しって感じで、
一言、

「たいへんだね」

 そう言いながら心配そうな顔を残して、
その場を離れていった。

 
 寧子に話を聞いた時は、私自身少し驚いたけど、
自分で驚くくらい冷静で、かえってそれが辛さを増した。

〈晴美がクラスを移るって言った瞬間から、
なんとなくわかってた事だもの〉

 そう、一番驚いたのは、晴美がクラスを変わりたい!
って言った瞬間。

 あの時は本当に驚いて、目の前が真っ暗になったけど、
それは、あの時すでに、こうなることがわかっていたから。

 あの時に確かな証拠があったわけじゃなく、
きっと晴美自身もそんな事は、まったく考えていなかった
はずだけど、ただの、勘、そう、ただ漠然とした雰囲気を
感じただけ。

 南の海の、どこまでも透き通る深い水の底にあって、
目の前に見えるのに、絶対に触れないような、
そんな感覚。
 
 晴美が、クラスを変わりたいと言った時に感じた事。

 P56

 私は、その場からすぐに走って、確かめに行きたい
衝動にかられたけど、なんとか気持ちを落ち着かせ、
今は、ここで楽しむことにした。

 それから、しばらく飲んで、騒いでいたけど、
いくら飲んでも、酔えないで、つねに頭の中では、
晴美とあさひが手をつな位で歩いている姿が、
真っ白なスクリーンに映り出されていた。

 一時間くらい経った頃、寧子が

「お酒無くなったから、買い出しに行くけど、
一緒に行く?」

 って、聞いてきた。
たぶん、いつまでも様子がおかしい私に
気を使ったんだろう。

 その気持は嬉しかったけど、もしも
本当に2人が手を繋いでる場面を見てしまったら、
もうここにはいられない気がして、断った。

「ううん平気。気をつけてね」

 寧子は、ちらっと心配そうな表情を見せたけど、
「そう、わかった」とだけ言い残して、すぐに
出て行った。

 私は、晴美が本当のことを言わなかった事と、
あさひが、日本人とでも、気軽に食事に行った事が、
ショックだった。

 もちろん、ここには勉強に来たんだから、
あさひと付き合うとか考えたことはなかったけど、
それでも、いつもあさひの側にいたい、
いつも、あさひの顔を見ていたい、
そう思う気持ちは、偽れなかった。

 その日は結局かなり飲んだけど、
酔えなかったよ。

P57

 土曜の朝、きつい頭痛で起きた。

「いたたた、痛い!」

 あきらか二日酔い。
お酒は強いほうだけど、昨日はいくら飲んでも
全然酔わなかったから、二日酔いになるなんて、
考えてもいなかった。

 それなのに、頭の痛みで起きるなんて!
時計を見ると、とっくに10時を回っていて、
当然、H’ファミリーは、日曜の礼拝に行って
留守だった。

〈ああ、また教会行かなかった〉

 私は昔、英会話を習いに近所の教会に通ってたけど、
いつの間にか、遊ぶことが優先になって、
行かなくなってた。

 それ以来、日曜礼拝なんて行ったことは
無かったけど、アメリカに来て改めて、

〈教会に行く!って決めたのに・・・〉

 心の中がチクっと痛んだ。
でも、今はもっと大きな心の傷口が開いて、
真っ赤な血が流れていたから、教会に
行かなかった痛みは、そんなに、
気にならなかった。

 こんな気持は中学校以来。
これまでは、なんか未来に失望っていうか、
とくに目的も感じなくて、ただ一日が過ぎれば
それでいいと思ってただけだけど、
あさひと会ってから、毎日がドキドキの連続で、
まるで、私のまわりがパステルカラーに色づいた
そんな感じ。

 でも、そんな幸せな気分も晴美が来てから、
徐々に色失せて、今は薄いグレーになっちゃった。
でも、晴美が嫌いなわけじゃなくて、
ただ、自分のやらなきゃいけない勉強に、
気持ちが乗らない、それが重しのように、
心を押しつぶしているだけ。

P58

 散々な気分で週末を過ごし、やっとの思いで
月曜のクラスにやってきた。

「おはよう!」

 朝から素敵な笑顔で寧子が声をかけてきた。

「金曜日は荒れてたねー」

 寧子は何の遠慮もなく、直球で質問してきた。
そんな所が寧子の天真爛漫なところで、
いつの間にかみんなと仲良くなる秘訣何だけど。

「うん、私Ashが好きみたい」

 私も、寧子の直球にたいして、直球で返した。
寧子は普段の私だったら、はっきり言わないで、
なんとなくごまかすのに、はっきり答えたことに
驚いた様子で、それだけ真剣なんだって、
理解したみたい。

「うん、わかってたけど」

 寧子は、そう短く答えると、ギュッと私を
抱きしめた。それはまるで、母親に抱きしめられる
ような安心感。

「諦めちゃダメだよ?
がんばってね」

 その言葉とHugが、私にたくさんの勇気を
与えてくれた。

〈ああ、これが寧子の魅力なんだな〉

 私から見て、お世辞にも綺麗とは言いがたい
寧子だけど、逆に愛嬌があって可愛いとは思ってた。

 でも、寧子が太陽なら、私は月で、それは、
私と妹のようで、なんとなく嫌感じ。

 そんな思いは、私の心の中に、すっきり晴れない、
黒い霧をかけていた。

 だから、明るくて、料理ができて、みんなから
好かれる、

 寧子が、嫌になることもあったけど、
今の寧子のハグが、私の心をどれだけ
救ってくれたのか考えると、やっぱり
寧子は親友だって、あらためて教えてくれた。

P59
 
 晴美が来てから、1ヶ月が過ぎた頃、
あれだけの決心をした、あさひへの気持ちも、
これと言って何の進展もなく、ただ平凡な毎日が
過ぎていった。

 私は、アメリカの大学に入るための試験”TOEFL”を
毎月受けていたけど、どっかの大学に受かるための
最低ライン”450~500点”を取れなくて、なかなか
大学の入学許可が、下りなかった。

 もちろん、毎回500点を目指して試験を受けるものの、
やっと400点を超えるのが精一杯で、最近では試験を
受けても、どうせダメだよねって、諦めの境地。

〈点が取れなくても、ここに居られるんだから、まいいか〉
 
 そんな感じで、妥協していたけど、なるべく考えない
ようにしていた。

 そんな時、晴美がネヴァダの大学に移動するって
噂を聞いた。

 寧子に、

「それってほんとなの?」

 って聞くと、

「ミチさんが、直接聞いたって!」

 私は、心の底からこみ上げる嬉しさを、必死の
思い出こらえながら寧子にもう一度確認した。

 「じゃあ、間違いないんだ!」

 寧子は、期待を裏切らない答えを、

「うん、もうH’ファミリーも決まったんだって」

 言ってくれた。
それを聞いた瞬間、目の前に抜けるような青空と、
真夏のグランドキャニオンの水しぶきを浴びたような
爽快感が、心の中に広がった。

 寧子が一言、

「よかったね」

 私は、嬉しくてつい寧子に、

「ありがとう!」

 って、返事を返した。

「でも、なんでだろうね?」

 私は疑問に思って、思わず寧子に聞いてみると、
寧子が突然、

「よし、今から確認に行こう!」

 って言い出した。

〈しまった!、寧子はこういう子だった!〉

P60

 そう、寧子は怖いもの知らずで、行動力の塊のような子。
私も、行動力には自信があったけど、それ以上。

 まずは、お昼にカフェに行って見たけど、いなかった。
次に、晴美の教室に行ってみたけど、いなかったから、
クラスメイトに晴美の事を聞いてみると、
今日は来てないって。

「もしかしたら、移動が決まったから、
もう来ないのかな?」

私が、そう言うと、

「そか!じゃ、晴美のH' ファミリーに行ってみよう!」

 当然のように、寧子は言った。
さすがの寧子も、授業はしっかり受けて、放課後、
晴美のH' ファミリーに行ってみた。

 って言っても、じつは誰も晴美のH'ファミリーの場所を
知らなくて、先生に事情を話して、家の場所を
教えてもらった。

「やっぱり、晴美ちゃんは最初から違ったもんね」

 寧子は、少し残念そうに、つぶやいた。
晴美は、みんなをまとめてくれたけど、自分のことは
あまり話そうとせず、何を聞いても、

「うふふ」

って、鮮やかな黄色い向日葵のような素敵な笑顔で、
返すだけだった。

 晴美のH' ファミリーのところへ行ってみると、
なんと、レンタカーに荷物が満載で、今にも

出発!

 って感じになっていた。

 その時、ほとんどパッキングを終えた晴美が出てきて、
私達と目が合った。

 まず、晴美がその二重で大きく、少し薄いブラウンの瞳を
キラっと光らせながら、私達を見つめた。
 
 私と寧子もびっくりして、

「え、もう出るの?
お別れ言わないの?」

 って、青白い稲妻のような、悲鳴に近い叫び声で、
晴美に向かって叫ぶと、

「なんでここがわかったの?」

 って、晴美がその瞳に、とても透明な涙をいっぱいに
貯めて、私たちに質問した。

 私達は、

「だって、晴美ちゃんが移動するらしいって聞いて、
事情を詳しく聞きたいから、先生にH'ファミリーの場所を、
無理やり聞いて来たの」

 寧子が、つぶらな瞳から大粒の涙をこぼしながら、
答えていた。

P61

「お別れが辛くなるから、黙って行こうと
思ったのに・・・」

 いったん出始めた晴美の涙は、透明で純粋な
泉から溢れ出る、美しい湧き水のように、
止まらなくなっていた。

「なんでだよう、せっかく仲良くなったのに・・・」

 寧子が、激しい嗚咽で、言葉にならない熱い
気持ちを、やっとの思いで絞りだすと、

「いろいろありすぎて、勉強できなくなっちゃって、
ここにはいられなくなったの」

 と、晴美は晴美自身にしか、わからない気持ちを、
独り言のように、つぶやいた。

 そう言ったあと晴美は、極大日の流星群のように、
あとからあとから、止めどなく涙を流した。
 
 私は、2人のやり取りを見ながら、妙に冷静に、
あることを考えていた。

〈やっぱりあさひのことが理由なのかな?〉

 2人の激しい泣き顔を見ても、不思議と
涙は出なかったし、残念だと思ってたけど、
そこまでの寂しさは、感じなかった。

〈晴美はいなくなるのか・・・〉

 それは、私にとって、明るい材料で、
心の中は、どこまでも雲ひとつない、
クリアーな青空が広がっていた。

 2人は、10分くらい泣いていただろうか、
それでも、なんとか落ち着いて、少し冷静に
話し始めた。

「もう、行っちゃうんだよね」

 寧子が言うと、晴美が、

「ごめんね、でもまた帰って来るかもしれないし・・・」

と、あとは口ごもった。

 そこへ、H'ファミリーのお父さんが、

「晴美、準備出来たよ!」

 って、声を掛けた。
それを聞いて晴美は、

「ありがとう、そろそろ行くね」

 そう言って、車の方に行きかけた。
車に乗り込む寸前、晴美が振り返り、

「あのさ?」

と、質問してきた。

P62

「Ashはこの事知らないよね?」

 と、聞いてきた。

私は、

〈あ!やっぱり!〉

 確信した。
 
〈晴美は、もともと移動するつもりは
無かったけど、あさひとなんかあって、
勉強が手につかなくなったから、
移動を決めたんだ〉

 私は、晴美に同情することはできなかった
けど、晴美の気持は痛いほどよくわかった。

 その晴美の辛い恋心に触れた時初めて、
私の心は涙に震えた。

 と、同時に、降り始めの雨のように、
大粒の涙がひとつ、私の頬を伝った。

 晴美が、その時の私の涙を見た瞬間、
一瞬表情がこわばり、次に、後悔の表情が
水面に落ちた一滴の油のように、じわーっと
広がって行くのを、私は見逃さなかった。

 きっと、その時の、晴美の後悔の表情を
見た時、私の顔は、漆黒の闇の中にあったに
違いない。

 
 2人で、晴美の出発を見送って、寧子が、

「行っちゃったね」

 と、一言。

「うん」

 私も、そう返事して、そのあとは無言で、
学校に引き返した。

P63

 学校に戻ると、ミチ君達が、私達が晴美のホストに
行ったことを、知っていて、慌てて寄ってきた。

「晴美ちゃん、なんだって?」

 ミチ君がのんきに聞いてくるから、

「うん、もう行っちゃった」

 って、私が答えると、

「え!!、どういうこと?」

 と、ミチ君。

そりゃ、いきなり”出発した”なんて言われても、
理解できないよね?

「だから、そういう事」

 寧子が重ねて言うと、

「マジ!もう、出ちゃったの?」

 ミチ君達は、まだ状況が把握できないみたいで、
戸惑っている。

「だから、晴美ちゃんは、移動が決まって、さっき
ネヴァダに向けて出発しちゃって、私達はそれを、
見送ってきたの」

「なんで俺に黙って、行っちゃったんだ!」

 ミチ君が、そう叫んだから、

「ミチ君、晴美ちゃんと付き合ってたの?」

 って、私が言うと、

「コクった。
で、ミチ君は一番大事な友達よ!
って言ってくれた。
俺が一番なんだよ!」

P64

 本人、かなり熱く語ってたけど、

「アホだ」

 寧子が、

「あんた、バカじゃないの?
一番だろうが、なんだろうが、
友達でしょ?友達!」

 みんながおもわず吹き出した。
それで思わず私は、

「他に好きな人、いたみたいよ?」

 って、言うと寧子が、

〈止めな!〉

 って、目配せした。
その視線の先には、

〈あさひ!〉

 そう、あさひがこっちを見ていた。
私と視線が会うとあさひは、”すっ”と
扉の向こうに消えて行った。

 私は、ドキッとしながらも、
 
〈あさひは晴美が移動するのを知ってた
のかなか?〉

 そんな事を考えていた。

P65

 晴美がいなくなって、
私は不思議な気持ちを抱えていた。

 もちろん、みんなと同じように、
女性として、お手本にしたいような晴美が
いなくなったことは、とても残念。

 でも、それと同時に、晴美があさひの事を、
好きだったとわかった今、晴美がいなくなることは、
私にとって、とても嬉しいこと。

 私だって、あさひの事がすっごく好きだったけど、
晴美と私で三角関係になったら、99%勝てる気がしない。

〈それは、悔しいけど、認めざる負えない事実〉

 そう思うから、心の奥底の、漆黒の闇の中では、
晴美がいなくなって、真夏の暑い日に、
炭酸ソーダを飲んだような、
清々しい爽快感が広がっていた。

 そんな自分の感情に浸っていたら、
自然と顔が緩んでいたみたいで、
ふいに寧子が、

「よかったね」

そう言った。

 私は、その寧子の言葉に驚きいて、

「え?何が?」

慌てて、悲しそうな顔を繕って、寧子に返した。

「いいよ別に、無理しなくて」

寧子はそー言い、くすっと笑った。

〈寧子、こわ!〉

 寧子は、私よりひとつ下で、高校出たての18歳の
はずなのに、さっき”くすっ”と笑ったその顔は、
まるで、恋愛に百戦錬磨の猛者のようだった。


 そんな大事件があっても、2~3日で落ち着いて、
また普通の日常が戻ってきた。

〈人間なんて、結局自分が大事で、何があっても、
自分さえ良ければ、それでいいんだよね〉

 なんて、哲学チックな事を思って、
アンニュイな気分に浸っていると、

「紗季!大変!Ashが寮出てアパートに移ったって!」

寧子が大声で、叫びながら、教室に駆け込んできた!

P66

「え?なんで、寮出たの?
なんでそれ、わかったの?」

 私は、七色の水が湧き出る、泉のように、
七色の疑問が、心の底から、とめどなく湧き
上がってきた。

「えっと、まずね・・・」

 寧子は、私がそのニュースを聞いた時の
私の反応が、予想通りだったみたいで、
なんだか笑いをこらえきれないって感じで、
ために溜めてから、寧子は話しだした。

「まず、今はサマータイムでしょ?」

「うん」

 いつもなら、そんなに溜められたら、大きな声を
出してしまうところだったけど、今回は”あさひ”
に関わることだから、頭の中が真っ白で、とにかく
息をするのも忘れて、ただ”うん”とだけ返事をして、
寧子の次の言葉を待った。

「今のカフェは、サマースクールの生徒のためだけに、
開いてるのよ」

「うんうん、それで?」

 私もさすがに、しびれが切れてきて、

〈そんなの、誰だって知ってるって!〉

 思わず心の中で、つっこみを入れた。

「って事は、カフェでは、昼間しか食事できないでしょ?」

 「そんなの知ってるよ!」

 寧子の言い方が、あまりに回りくどいから、
思わず、声に出してつっこんだ。


P67

「だから、みんな夜は外食に出るんじゃん」

 我慢できず、私が説明を始めた。

「誰だって、そんなの知ってるでしょ?
外食しない人は、寮のキッチンでTVディナーで
レンチンしてんじゃん」

 そこまで私が言い終わると、”ほら!”って
言いながら、勝ち誇ったように、寧子が私の
言葉をさえぎった。

「じゃーん、じつは、キッチンが付いているのは、
女子寮だけでした!」

「え!、じゃあ男子寮には、キッチンないの?」

 私も、それを初めて聞いて、ほんとに驚いた。

「そー、男子寮にはキッチンが無いんでした~」

 この話が始まってから、寧子は本当に楽しそうで、
まるで、小さな男の子が、初めてカブトムシを
捕まえた時みたいな顔で、笑った。

「じゃあ、Ashも夕飯は外食だよね?」

 私は、当然それしかないと思って聞いたら、
寧子からは、意外な答えが返ってきた。

「それが、Ashは車持ってないんだって!」

「え、それじゃあ、ご飯食べに行けないじゃん!」

 今、私たちが住んでる街は、大きな川が
地面を侵食して出来た丘陵に出来た街で、
街全体が、けっこう急な、斜面になってる。

 しかも寮から一番近いダウンタウンのdinerは
1キロくらいで近いけど、陽気なおじさんがやってる、
個人のお店だから、午後6時には閉まっちゃう。

 じゃあ、なんか食べ物買おうかって思っても、
近場のShopはみんな個人経営だから、
閉まる時間は、似たり寄ったり。

 街には24時間のコンビニが2軒あるけど、
どっちも寮からの距離は、6キロ。

 歩いて行ったら、片道1時間以上掛かる。

P68

 そうすると、一番近くて、食事ができるお店は、
となり町にある”TacoTime”に行かないとダメで、
とは言っても、寮は隣町との境にあるから、
その距離2キロ。

 それでも歩いて、片道30分位かかる。
ま、夜11時まで開いてるから、夕食には十分だけど。

 って、わけで、うちらが住んでる街では、
車が必需品。

 サマーバケーション中じゃなければ、
カフェも遅くまでやってて、学生は
ミールチケットがあるから、食事に困ること
もない。

 学生がほとんど帰省する夏休みは、
カフェもお昼しか開いて無くて、車が
なければ、夕飯は確実に食べられない。

「そー、やっとわかった?
Ashが寮を出た理由」

 寧子がドヤ顔しながら、私を指差した。
その顔を見ながら私は、

〈なるほどなー、そりゃ、寮出るわ〉

 寧子の指差しは、全然気にならずに、
妙に納得してた。

「え?、じゃ一人で出たの?」
 
 私はすぐに次の疑問が湧いた。
そしたら寧子は、またしても、ドヤ顔しながら、

「ちが~う!」

 って、だけ一言。
それを聞いて、私は背中にクリスタルの氷柱を
突っ込まれたように、ひやっとした。

〈まさか、晴美と・・・〉

 私の心配を察したように、寧子はにやって
笑いながら、

「ルームメイトは、インドネシア人!」

 寧子はとても、私より年下とは思えないくらい、
人の心を持て遊ぶのが、うまいと実感した。

「は~、なんだ他の国の留学生か」

 私は心底ホッとして、思わずその場に
座り込みそうになった。

「喜ぶのはまだ早い!」

 寧子はそのまま、言葉を続けた。

「その人は女子!」

P69

 私は、足の力が抜けて、思わず近くの
机に手をついた。

 そんな私の様子を見て、気持ちが
抑えきれなくなったのか、寧子が、
火山が大爆発して、真っ赤な溶岩を
吹き出す様に、大笑いを始めた。

 私は、本当に悲しくなって、大粒の涙が
とめどなく流れてきた。

 そんな私を見ても寧子は、大笑いを止める
こと無く、ひたすら、笑い続けた。

 さすがに私も、頭に来て、

「いい加減にしなさいよ!
私が悲しんでるのが、そんなに楽しいの!」

 キレ気味に寧子に向かって叫んだのに、
寧子は、まったく気にならに様子で、
笑い続けた挙句、

「うそ!、嘘だよ。
ルームメイトは男。
男の人だよ」

 そう言って、また笑い始めた。

 私は寧子の言葉を聞いて、今度はまさに
足の力が抜けて、その場に座り込んでしまった。

「なんだよ、もう!
いい加減にしてよ~」

 さすがに、さっきまでの緊張感が一気に解けて、
寧子と一緒に笑い始めた。

 あまりの衝撃に、5分位笑い続けて、
最後はお腹が痛くなった。
 
 それでも、あさひが他の女の子と一緒に
住むよりは、心が痛むことはないよね。

 寧子が、

「よかったね~、女じゃなくて」

 って、言ったから、
私は、おもいっきり、寧子の肩にパンチして、

「ひどいよ、もう!、
日本へ帰ろうと思ったじゃないか!」

と、泣きながら、笑いながら、寧子に言った。

〈これで、私よりひとつ下の18歳。
これからこの娘は、どんな人生を歩くんだろう〉

 思わず心配になるくらい、寧子は大人びていた。

P70

 それから、3週間位は何事もなく、当たり前の
日常が繰り返された。

 相変わらずTOEFLのテストは受けるものの、
どっかの大学に、入れるほどの点数が
取れるわけでもなく、なんとなく毎日を、
ダラダラ過ごす毎日が続いていた。

 寧子が、

「あ~あ、なにもないね~」

 そう、とにかくアクティブな寧子にとって、
何もなく平凡なことほど、嫌いなものは無かった。

「そ?、平凡で良いんじゃん?
それが、一番だよ」

 私は寧子にそう言ったものの、私自身、
退屈なのは嫌いだから、私の心の中で、
中途半端に火が付いたあとの燃えカスから、
ブスブスと黒い煙を吐き出していることに、
耐えられなくなっていた。

 それなら、必死に勉強して、TOEFLで点数を
とって大学に入学するか、晴美のように、
どこかに移動すればいいんだけど、
ここに来て半年近く経つと、そんなに必死に
勉強するような情熱は、とっくに無くなっていた。

 なにしろここは、本当に田舎。
日本じゃ考えられないくらいの田舎だから、
すべてがのんびり。

 ゆったり時間が過ぎる中、日本のような受験地獄を、
戦うような凄まじい情熱は、出るはずもない。

 それに、移動するにしたって、ホストには
1年間のホームステイ費用を前払いで払っていたから、
無理に移動しようなんて、考えられなかった。

 そうこうしているうちに、私達の夏は
終わろうとしていた。
 
P71

「大変、たーい、へーん!」

〈また寧子だ〉

 最近寧子は、あまりのつまらなさから、
ほんとうに大したこと事ない、たとえば、

「ミチ君が、テスト落第した」とか、
(それはいつもで、珍しい事じゃない)

「ホストのおかあさんが、外泊した!」とか、
(べつにシングルなんだから、いいじゃない?)

 そんな事を、大げさに言うことに、凝っていた。
そんな感じだから、私は寧子に、

「どうせ大したことじゃないんでしょ?
今度はなに?」

 日本から送ってもらった漫画から目を外さずに、
寧子に答えた。

 そしたら、いつまでたっても、寧子は何も
言わなかった。

 私は、

「な・あ・に?」

 そう言うと、仕方なしに、漫画から目を離し、
寧子を見た。

 そしたら、寧子はニヤニヤしながら、私を見ていた。
私はとっさに、

〈あ、あの顔は見たことがある!〉

そう思った。
 
 そう、あれは、あさひが寮を出て、
アパートに移った時に見た顔だ!

「なに、もしかして、また、Ash絡み?」

そう私が言うと寧子は、

「お、成長したね~」

と、私を冷やかした。

 その言葉を聞いた途端、いきなり私の心は、
春の嵐のようにピンクのハートが乱れ飛んだ。

P72

「で、なによ?」

 私の、今までの素っ気ない素振りとは
正反対の食いつきように寧子は、私が投げる
ように置いた漫画を、手にとり、

「さ~て、何でしょうね~?」

 そう言いながら、今度は私の真似をして、
手にとった漫画を読み始めた。

 一瞬、私は息をするのも忘れて、
漫画を読んでいる寧子に注目して
いたけど、またしても、寧子が延々話を
引き延ばすのかと思って、大きな声を
出そうとしたした瞬間、
その雰囲気を察知したのか、
いきなり寧子が早口で、

「Ash のルームメイトが出てった!」

 って、言い放った!
私はそれを聞いた瞬間、思わず、

「うわ!マジ!」

 で、気分は、地面から吹き上げる
天然の噴水のように、一気に頂点へ。

〈よし!今がチャンス!
行くしかない!〉

 そう思った!
それは、空高く吹き上がった噴水の水が
落ちてくるときに、七色の虹を描くように、
私の心を、キラキラとカラフルな気持ちにさせた。

 でも、いきなり一緒に住みたい!と、
寧子には言えなかったから、

 嬉しさの余り、寧子をハグしたい気持ちを
ぐっとこらえて、できるだけ冷静さを装って、
寧子に、理由を聞いた。

「なんで、ルームメイトは出て行ったの?」

 聞いてみた。
そしたら寧子は、

「Ashのルームメイトは、もともと、
サマースクールに来ただけで、始めから
次のセメスターには、自分の大学に帰る
予定だったんだって」

p73

「へ~、そうだったんだ。
それで、寮は食事がなかったから、
Ashと一緒に、寮を出たんだね」

 私がそう言うと、寧子はまた、にやっと、
中年のおじさんのような笑いを見せた。

「いま、何考えてるか、当てようか?」

 寧子は、中年のおじさんの笑顔のまま、
私に聞いてきた。

「いいよ、どうせ当たってるから」

 その時には、どうせ隠したって寧子には
バレてると思っていたから、素直に、

「一緒に住もうかと、思ったんだよ」

 と言った。
寧子は、少し不満そうに、

「なんで自分から言っちゃうの~」

と、少しほっぺをふくらませながら、
楽しみを奪われた子供のように、
不満を言った。

 でも顔はすぐに、いやらしいおじさんの
笑い顔に戻って、

「けどね、残念。
次のルームメイトは決まってるんでした」

と、私の反応を確かめるように言った。

 私は、あからさまにがっかりして、

「なんだ、そうなんだ」

そう短く答えると、 寧子は、そこで
初めて少女の顔に戻って、満足そうに、
クスクス笑い出した。

「やられた!」

 またしても私は、寧子の手のひらの上で、
かる~く、転がされていたわけだ。

 私は、呆れ顔で寧子に言った。

「どうしてあんたってそうなの?」

 するっと、心から出た言葉。

「だって、紗季って、ほんと、面白いから」

〈そりゃ、私をからかう時のあんたの顔を
みてれば、良く分かるよ〉

 ま、からかわれてもしょうが無い。
今回はそれだけの、大ニュースには違いない。

 すぐに私は、次のルームメイトが気になった。

「それで、今度のルームメイトは、どんな人?
まさか女じゃないよね?」

 前回の事があるから、今度は先に
聞いておこうと思った。

P74

 そしたら、寧子は、

「今度は日本人の男。
ヤマさんて知ってる?
 ほら、京都から来た人。
立命館を休学してきてるって男の人」

 そう言った。
そこで、私は気がついた。

 ヤマさんって人は商社に就職希望で、
就職するにあたって、英語は必須だったから、
そのために、大学を1年間休学して、
去年から英語の勉強に来てる人だった。

「もしかして、今までの情報はみんな
ヤマさんから?」

私が言うと、寧子は、

「あれ?バレた?
そう、ヤマさんのホストとうちのママが
仲良しで、ちょくちょく一緒に食事してんだ」

 私は初めて、私といつも一緒に行動
しているのに、なんで寧子だけ、いろんな
情報に詳しいのか、いつも、不思議に思って
いたけど、これで、謎が解けた瞬間だった。

「なんだ~、そっか~」

 私はなんだか、目の前にあった氷山が、
急に砕け散って、鮮やかな朝焼けが
目に飛び込んできたような、
満ち足りた気分になった。

「で、ヤマさんは、いつ引っ越すの」

 私が聞くと、

「今度の週末みたいよ?」

 さすが、寧子、そのへんの情報は
抜かりがない。

 寧子は続けて、

「もちろん、手伝いに行くでしょ?」

 って、言うから、

「当たり前でしょ!」

 私が答えると、寧子は、

「私ってえらい?」

と聞いてきた。

 私は、悔しかったけど、

「偉いよ!」
 
 そう言った私の顔は、自然と笑顔だった。

P75

 今日は土曜日、ヤマさんの引越しの日。
私は、朝からウキウキ。

 目を閉じるだけで、モーツァルトが、
聞こえて来そうなくらい、心が弾んでいた。

 理由はもちろん、やっとあさひと
知り合いになれるはずだから。

 この日が来るのを、
どれだけ待ち望んでたことか!

 思えば、初めて会ったその日、
清々しく新緑が目に眩しい季節に、
初めて学校に着いて、キラキラと煌く
未来を信じて、見るもの、聞くものすべてが
希望に満ちていた、その時に、ただひとつ、
最悪の印象だったあさひ。

 あの時は、まさかこんな気持になるなんて、
考えもしなかった。

 でも、もしかしたら、あの時すでに、
あさひの事が、好きだったのかもしれない。

 あの時は、最悪の印象だったけど、
思えばあの時からずっと、頭からあさひが
離れない。

 それでも、晴美が来なければ、
私の小さな気持ちに気が付かず、ずっと
気になってるのは、あさひが嫌いなせい
だと、思い込んでいたと思う。

 でも、晴美が来て、心の中に白いさざ波が
立ったせいで、本当の自分の気持ちに
気がついた。

 そういう意味では、晴美にはとても
感謝できる。

 晴美がいなくなった今は、素直に
そう思える。

 
 10時頃に、寧子とヤマさんが私を迎えに
来てくれた。

 寧子は相変わらず元気いっぱいに、

「おはよー!」

 と言って、車の助手席から、勢い良く
飛び出してきた。

「はじめまして、山際(やまぎわ)です」

〈山際だから、ヤマさんか。
ひねりもなんにもないなー〉

 そう思いながら、ヤマさんを見ると、
背は普通。

 顔は、四角くて、足は短くガニ股。
ガタイもいい。
 
なんとなく、こち亀の両さんって雰囲気の人。

「はじめまして、紗季です」

 私も自己紹介すると、さっそくヤマさんが、

「後ろ乗って」

 そう言うと、車のドアを開けてくれた。

〈意外と紳士じゃない?〉

 そう思った瞬間、ニヤニヤしている寧子と
目が合った。
 
P76

 私が、後ろの座席の乗り込むと、
続いて寧子も、隣に乗ってきた。

 寧子は、

「どう?ヤマさん?
優しいでしょ?」

 こそこそ声で、そう囁いた。

 私は、意外と紳士だとは思ったけど、
お世辞にも、容姿端麗とは言いがたい
ヤマさんに、地球最後の男だったとしても、
恋愛感情は持たないだろうと思ったから、
素直に、

「そうね、いい人だけどね」

 とだけ答えた。
寧子は、

「私もそう思う。
いい人だけど、それだけだね」

 と、うふっと笑いながら、答えた。
そしたら、もともと元気いっぱいで、
声が大きい寧子だから、それがヤマさんに
聞こえたらしく、

 やまさんが、

「俺かて、おまえなんか選ばへんよ!」

 と、言い返してきた。
とっさに、私は悪いと思って、

「いや、そういう意味じゃないんです・・・」

 と、恐縮して、小声になりながら、ヤマさんに
謝った。

 そしたらヤマさんは、

「紗季ちゃん、ええんよ。
こいつ、いつもこんなやさかい」

 そう、当たり前の日常会話だといいながら
笑った。

 寧子は、

「ね、こういう人なの。
気にしなくていいから」

 悪びれるでもなく、そう答えた。
やっぱり、関西の人なんだな。
そう思っていると、ヤマさんが、

「関西って言ったって、大坂やないから
べつにオチ考えんでもええんよ」

 それを聞いて私は思わず、吹き出した。
それを見てヤマさんが不思議そうに、
ミラー越しに私を見ててたから、寧子が、

「ヤマさん、余計なとこ見てないで、
前向いて運転してな!」

 と、ヤマさんに注意した。

P77

 私は、相変わらず寧子は強いな、
と思った。
 私は、

「ヤマさんいくつですか?」

 質問したあとで、唐突過ぎたことに
気が付いて、慌てて説明しようと思った
次の瞬間、

「24!」

 ヤマさんは、即答だった。
私は、見た目の印象よりも、ずいぶん
若かったんで、思わず、

「え!」

 と、小さく叫ぶと、ヤマさんが、

「そやろ、みんなに言われる」

 と笑った。
寧子が、

「いくつに見えた?」

 って、聞くから、正直に、

「三十代の前半かなー」

 と、答えると、ヤマさんが、

「そら、あまりに失礼やろー」

 って、大笑いした。
私は、ヤマさんてほんとにいい人なんだな、
と思って、すごく安心した。

 もしも、ヤマさんが感じ悪い人だったら、
ヤマさんのアパートに遊びに行け無いから。

 ヤマさんは、ずっとホストにいて、
先月で1年間の休学をが終わったんだけど、
あと半年、休学を延ばして旅行してから
帰る予定にしたんだって。

 その時にホストだと、ふらりと旅行に
行ったりしづらいから、アパート探してた
んだそう。

 そこにちょうど、Ashのルームメートが
帰ったから、うまくはまったわけ。

 そうこうしているうちに、アパート前を
通ると、いきなりあさひが手を降ってた。

「あ!」

 私は、突然の出来事に、おもわず
声に出して、驚いた。

 ヤマさんが、

「あ、あれAshね。
俺のルームメート」

 もちろん私は知ってたけど、

「そうなんだ、話したこと無いな」

 って、答えた。

 それって嘘じゃなくて、ほんとに
何度か見かけただけで、実際に
話した事はなかったから。

P78

 そのやり取りを聞いていた寧子は、

「ニター」

 まるで、ホラー漫画に出てくるような、
かなり恐い笑い顔をしながら、
肘打ちして来た。

 ま、そうなるだろうな、それぐらい
わかるよ。

 その、あさひの笑顔が、自分に
向いていると思うと、まるで、これから
引っ越すのが私みたいな感覚にいきなり、
あさひとの未来が開けてくるかのよう
だった。

 ヤマさんが、

「あいつね、無愛想だけど、
ほんとはいいやつなんだよ。
仲良くしてやってな」

そう言った。

 そんな事は、知ってるよ! 
私は、心の中でそう叫んだ。

〈へー、そうなんだ。よく知らない
んですけど・・・〉
 
 そう言ったら、ヤマさんが、

「俺が、アパート探してるって、ミキちゃん
に言ったら、Ashを紹介しくれて、買い物に
一緒に行くようになったん」

 へー、ミキちゃんのおかげか。感謝だね。
それから、いったんヤマさんのホストに、
荷物を取りに行って、アパートに戻ってきた。
いよいよ、あさひのアパートにご対面。
中に荷物を運び入れた。

 中で待っていたのはもちろん、

P79

「こんにちは、Ashです」

 そう、ついにあさひと面と向かって、
ご対面。

「こんにちは、紗季です」

 ほんとに、緊張した!
これは、夢にまで見た場面で、もう、
初対面から気になってたあさひが、
目の前にいる。

 それだけで私の心は、朝もやの中、
朝日に煌めく夏の海のようだった。

 私が、

「初めてここ、Lewistonに来た時、
見かけたんですよ」

 初めての出会いのあの瞬間の
最悪な気分を、少しでも、わかって
もらおうと、少し嫌味っぽく、
言葉に出してみた。

「あ、そうなんだ。
気が付かなかった」

 あさひはそれだけ答えると、
ヤマさんの荷物を、運びに車の方へ
歩いて行った。

 ちょっと!それだけ!
私は、ほとんど、スルーって感じで
流されたことに、また、無性に
腹が立った。

 あん時と変わんないじゃん!
マジで?あさひって奴は、本当に
嫌なやつなんだ!
なんで、こんな奴が好きなんだろう?

 おもわず、寧子を捕まえて、
今の話をしたら、

「でも、好きなんでしょ?」

 そりゃ、好きなんだけど、自分だって
理由なんかわかんないよ。

 私が戸惑っていると、寧子が、

「仕方ないね、それが恋だもん」

 また、おとな寧子が、顔をのぞかせた。

 そう、しょうがない。
いまさら、戻れないもん。

 そう思って、また、引越しの手伝いを
始めた。

P80~P120まで  ”母と妻と女の間で・・・” 留学時代・出会い青春編


 私は、知ってたけど、わざと
皮肉っぽく言った。

「女?そんなわけ無いじゃん。
まあ、女性と一緒に生活出来たら、
相当嬉しいけどさ」

 あさひは、笑いながらそう言った。
え?女と住むことはいいわけだ。
それなら、

「Ashは勉強優先だから、女に興味が
無いのかと思った」

ちょっと、いじわるっぽく言うと、

「そりゃ勉強優先!それは当たり前。
でも、女性は別。俺エッチ大好きだし」

 へー、意外。
ただの堅物だと思っていたけど、
そういう訳じゃないんだ。

 私は、ちょっとあさひの心の中に、
ほんの少しの隙間を見つけて、
かなり嬉しかった。

 そんな話をしているうちに、
あさひのアパートに着くと、
ヤマさんはすでに寝る寸前で、
あさひが、

「紗季ちゃん、足がないから
送らないと・・・」

 そう言い終わらないうちに、
ヤマさんが、

「ダメダメ、俺もう寝るから」

 そう言いながら、車の鍵をあさひに
投げた。

「おまえ、送ってあげて」

ヤマさんは、そう言うなり自分の部屋に
入った。

 あさひは、それを受けとり、
扉に向かって、

「すぐ帰ってくるわ」

P96

 そう言って、私の手を取って、
外に出た。

 私は、突然、あさひに手を握られて、
ぼっ!体中が真っ赤に燃え上がった。

え!、なんでいきなり!

 もう、頭は真っ白。顔は真っ赤。
部屋の中は、間接照明で割りと暗かったから、
私の真っ赤な顔は、あさひに気づかれなかった
と思うけど、もし部屋が教室のように
明るかったら、きっと病気じゃないかと、
隣の病院に連れた行かれたに、違いない。
 
 それから、ヤマさんの車に乗って、すぐに
私のH'ファミリー向けて走りだした。

 私は、このままの時間がずっと続けば
いいと思った。
 
「ねえ、少しドライブしない?」

 でも、あさひの答えは当たり前のように、

「しない、明日も授業で早いから」

 この時点で午前1時近く。
そりゃそうだよね。

 勉強が最優先って言ってるあさひが、
週末でもないのに、午前1時過ぎに、
ドライブに行くわけないよね。

「だよね」

 そう短く答えると、私は黙りこんだ。
そうこうしているうちに、私の
H’ファミリーに着いて、あっさり
私を降ろすと、短く、

「じゃ!」

 そう言い残して、あさひは帰っていった。

「あの、手を握ってきたのは何だったんだろう」

 それだけが疑問で、その日はなかなか眠れなかった。

P97

 それから、しばらくヤマさんちに行くこともなく、
ただ、毎日のルーティーンを繰り返した。

 私は、あの時決めた、あさひの様に図書館に通う
って自分ルールは、すでに翌日守れなかった。

 あの、あさひに送ってもらった翌日、
H'ファミリーのお父さんに、昨日の帰りが
遅すぎるって、怒られたから。

 私は図書館で勉強してたって言ったけど、
勉強なら家でも出来る。そう、言われて、
反論の余地なく、お父さんが迎えに行ったら、
一緒に帰らなくてはいけなくなった。

 私はなんだか、学生なのに勉強して怒られた事に、
いまいち納得ができなかった。

 よく考えると、私が夕方家に帰ると、末っ子のJoyの
ベビーシッター代が助かるからかな?

 なんて、あまりにホントっぽい理由を思いついた。
ま、確かめる余地はないけどね。
 
 いつもあさひは何してるのか、
すごく気になったけど、授業は別だし、
図書館にも行けないから、全然会えなくて、
かなり辛かった。

 しばらくぶりに、寧子が

「ヤマさんちに行こう!」

 って、言い出したんで、私は、心が少しほわんと踊った。
授業が終わって、2人でヤマさんちに歩いて行くと、
ヤマさんが自分の車に大きな荷物を何個も、
積んでいる所だった。

 寧子が、

「お!いよいよ出発だね!」

そー言ったんで、私は、

「ヤマさん、どっか行くの?」

って、聞くと、

「イエローストーンに行ってくる」

そう言った。
 
 すると寧子が、あの、中年のおじさんの
ような笑い顔で、

「日本から女が来るんだよ」

そう言った。
 
 P98

 ヤマさんはそれを聞いて、

「やめろ!若い女の子が、
そんな言い方しちゃダメだろ?
それに、彼女じゃなくて、友達だから」

 そう、真っ赤な顔しながら答えた。

 私達は、そうは言っても、グループで
来るならまだしも、独りで男の所にくる
人って、何もないわけはないと思ったんで、
顔を見合わせて、フフって笑った。

 「ああ、俺が留守の間、Ash一人になるから、
ちゃんと面倒みてな」

 え?いきなりそんなこと言われても・・・

 それを聞いて、私は変な想像をして、
顔が真っ赤になるのを感じた。

 そしたら寧子が、

「あんた何想像してんの?
バカじゃないの?」
 ニヤニヤ笑いながら、私にデコピン。
私は、まるで心の中を見透かされた様に
感じて、かなり恥ずかしかった。

 そんなやり取りの最中も、ヤマさんは
どんどん車に荷物を積んで、すぐに
出発出来る様になっていた。

 寧子が、

「そんでスケジュールは?」

 ヤマさんは、手帳を取り出して、

「え~っとねー、これから空港に迎えに行って、
それから、イエローストーンに行くんだな」
 
 「ヤマさん、それ白紙!」

 すかさず、寧子が突っ込むと、

 「スケジュールなんて、
決まってるわけ無いだろ!」

 笑って、ヤマさんがそう言った。

P99

「とりあえず、向こうが10日間ぐらい、
予定してるって言ってたから、
だいたいそんなもんだよ」

 でも、その時のヤマさんの顔を見た時、
あきらかに、期待度大って顔をしてる。

 その顔を見て、寧子が、

「やまさん、どうせエッチな事、
考えてるんでしょ?」

 そう言うと、ヤマさんが、

「そんなの当たり前だろ!
男と女が、一緒に寝たら、
やることはひとつしかないだろ!」

 開き直って、ヤマさんがドヤ顔をした。

「そんなこと言って、さっきは友達って
言ったでしょ!」

 またも寧子が突っ込むと、

「友達だって、やっちゃいけない法律はない!」

 もう、果てしないドヤ顔に寧子が、

「男はこれだから、ダメなんだなー」

そう、言うから、私が、

「ヤマさん、友達に告白するの?」

 そう言うと、

「当然!だから呼んだんだ!」

 そう答えた。
なんだ、じゃ、いんじゃん。

 寧子と私は、顔を見合わせて、笑った。

P100

 ヤマさんが、出発して私達は一回学校に戻った。
みんなにヤマさんの事を話すと、

「いいな~、俺らも旅行行きたいねー」

 って、みんなが言い出した。
もちろん、私も旅行には行きたかったけど、
それよりも、あさひがアパートで一人になる方が、
気になっていた。

 私があさひの事を考えてるうちに、みんなは、

「じゃ、シアトルにお寿司食べに行こうか?」

そんな話になっていた。

 シアトルまでは、車で5~6時間。
最低でも2,3日は時間がないと、ゆっくり出来ない。
ま、ちょっとした旅行だよね。

「じゃあ、来週の週末に行こうよ!」

 寧子の一言で、シアトル行きが決定!
 車は今のところ、ミチ君の1台で5人。
でも、5人じゃ乗り切れないから、
あと、2台位は欲しいよね。

 そしたら、ミチ君が、

「先月来た、しんのすけが車持ってる!」

そう言い出した。

 寧子が、

「しんのすけって、あの背の高い子?」

寧子は知ってたみたい。

「そう、明日しんのすけに聞いてみる」

 話はトントン拍子に、決まっていって、
とりあえず、車2台と、8人で出発できそう。

 でも、私はどうしてもあさひが誘いたくて、
寧子にそう言った。

 そしたら、寧子が、

「じゃあ、今から誘いに行こう!」

 さすが、寧子。
まったく悩まず、一直線。
いきなり、図書館に向かって歩き出した。

P101

 私は、そうなると思ってたけど、
それは、嬉しいことだけど、
いきなり、シアトルに行こう!なんて、
無理に決まってると思った。

 だいたい、ごはんが嫌いで、日本食にも
とくに執着してないって、聞いてるから、
私も、誘いたかったけど、断られるのが怖くて、
あさひを誘うことが出来なかった。

 図書館に着くと、寧子はあさひを探し始めた。
でも、寧子にはあさひが見つからず、

「いないな、今日は来ないのかな?」

と、言った。

 私は、あさひの定位置、図書館の奥のおく、
この前見た、外から見えない、
隠れ家的な場所へ歩いて行った。

いた!

 寧子では、見つけられなかったのに、
私には、わかっていたことが、すこし
優越感。

 寧子は、

「さすが!愛する人の事は、何でも知ってるね」

言いながら、ニヤニヤ。

 でも、寧子は止まらずに、歩いて行って、

「来週末、シアトルにお寿司食べに
行くんだけど、一緒に行かない?」

いきなり、直球。
 
 私は、あさひは、絶対行かないよ!
そう思っていた。

P102

 でも、予想に反して、

「行ってもいいよ」

 これには、私もびっくり!
思わず、

「なんで?日本食には興味ないでしょ?」

 そう聞くと、

「まあ、お寿司は高いし、興味ないけど、
今日車取りに行くから、ドライブには
ちょうどいいから」

 え!ちょっと待って!
私が知らない情報が頭のなかで錯綜していて、
なんだか、訳がわからなくなった。

 でも、寧子は、

「おー良かった!じゃ、OKね?
これで、人と車が確保出来たっと!」

 上機嫌で帰ろうとするから、

「寧子、ちょっと待って!
Ash車買ったの?」

 私が聞くと、

「買った。今日納車。ってか、これから取りに行く」

 そう、あさひが言った。
そしたら、寧子が、

「そうなんだ、じゃあ、紗季も一緒に行けば?」

 また、お節介おばさんが、余計な一言を言ってくれた。
私は、あまりに厚かましいと思ったから、

「いいよ、今日は帰るよ」

そう言うと、あさひが、

「いや、よければ一緒に行こうか?
ただし、歩いて30分かかるけどね」

そう言った。

 私的には、30分以上もあさひと話が出来て、
しかも、あさひの車の最初の人になれるなら、
どんなに困難な事が待っていても、ぜんぜん構わない。
そう思った。

「じゃあ、一緒に行くよ」

そう言って、寧子に手を降った。

P103

 あさひは、前を歩いている。
私は、少し後ろからついていく。

 そんな普通のことが、とても嬉しかった。

「ねえ、車って何買ったの?
新車?」

 私が聞くと、

「そんな、どっかの日本人じゃないんだから、
新車なんて買えないよ!」

 驚くような表情で、私に言った。
新車を買ったのは、ミチ君。

 アメリカは、車がないと動けない事を、
親に行ったら、すぐにOKが出て、
中古車じゃ心配だから、新車を買うように
言われたんだって。

 あさひが、

「俺が車買った中古車屋のおっさんが、
隣のFORDの新車ディーラーで、
ふらっと来た日本人が、値切りもせず、
定価で車買って、儲かったって言ってたけど、
おまえは中古車買って、しかもなんで値切るんだ?
って、言われたよ」

「え、そうなの?」

「ほんとだよ。
だから、俺は貧乏だから、いくらでも値切る!
って、威張ったら、おっさんが笑いながら、
気に入った、端数を切ってやる。
って、500ドル切って、2000ドルに
してくれたよ」

 続けて、
「おまえは、日本人じゃなく、
アメリカ人みたいだな。
 日本人が増えてから、物価が上がって、
困るんだ。」

 そう言ってたよ。

「ちなみに、アメリカで中古車を買う時は、
試乗に出てすぐに車屋に持ち込んで、
どこか悪いところはないか、チェックして貰って、
チェックシートを持って、車屋で値切るのが、
普通なんだって。
 チェックシート作るのに工賃とられるけど、
後で壊れるよりはマシだからね」

「へ~、詳しいね」

P104

 私は、あさひがアメリカにすっかり溶け込んで
いることに、かなり驚いた。

 それから、どうやらあさひは車が好きらしいんで、
また少し、あさひの事がわかって嬉しかった。

 あさひは、

「ここじゃわからないことは、
しっかり聞かないと後で大変な事になるかも
しれないから、言葉を話すことはとても、
重要なんだ。
 ま、俺は日本でレースやってたから、
車にはかなり詳しいけどね」

 それって、自慢?
しかも、お説教みたいに言った後で?
なんか、感じわる。

 でも、私が思ってたより、無口じゃなくて、
ってか、むしろ、おしゃべりが好きで、
話しだしたら、止まらないって事が、おかしかった。

 そんな、感じだから、30分歩いたはずなのに、
気が付けば、アッと言う間に、中古車さんに、
着いていた。

「お、来たな!貧乏な日本人!」

 そう言って、あさひをハグした。
それを見たら、確かに、そのバカでかいおじさんに
あさひが好かれていることが、良くわかた。

 それから、私の方を見て、

「なんだ、奥さんがいるから、貧乏なのか?」

って、明るく笑いながら言った。

 あさひは、慌てて

「違う!友達だ!」

 強力に否定するから、ちょっとムッとした。
そりゃ、奥さんでも、彼女でもないけど、
あとで、彼女になる予定なんだから。

P105

 あさひは、おじさんに鍵を受け取ると、
”Thanks a lot.”
そう言って、車に乗り込んだ。

 私も、そのまま助手席に乗ったけど、
さっき、どんな車?の私の質問に、あさひが答えて
ないことに気がついた。

「ねえ、これなんて言うの?」

そう聞くと、あさひは短く、

「Fiat X1/9」

とだけ、答えた。

 
「ねえ、この車狭いんだけど」

 そう私が言うと、

「そりゃそうだよ。
これは、2シーターだから」

 そうあさひが、答えた。
私は車に詳しくわ無かったから、2シーターなんて
知らなかったし、なんか小さくて、オレンジで、
可愛い車だな、って思った。

「ふ~ん」

 私は、それだけ答えて、あさひが運転する、
この車に乗った初めての人ってことが、とても
嬉しかった。

P106

 帰りの車の中で、あさひと話をしてたら、
あの、Int’l studentパーティーの話になった。

「ああ、そう言えば、
この前のInt’l studentパーティーに
晴美を誘ったんだけど、
用事があるとかって、来なかったんだ」

「結局あれが、晴美がいた時の、
最後のInt’l studentパーティーになっちゃった」

そう私が言った。

 もちろん、晴美とあさひが一緒にいたことは、
確信してたから、2人がどんな関係だったか、
知りたかったから。

 そしたらあさひが、

「ああ、あの時ね」

 そう言って、黙りこんだ。
わたしは、それまでのおしゃべりなあさひに
慣れてたから、いきなり元の無口なあさひに
戻るとは思っていなかった。

 私は慌てて、

「今度のシアトル行きの時、私がこの車に
乗ってもいい?」

 そう言って、話題を変えた。

「まあ、いいけど、地図は読めんの?」

 あさひが、妙に現実的な質問をした。

「読めるけど?」

 そう答えると、あさひはいきなり、
鞄の中から、地図を取り出して、

「今どこ?」

 そう聞きながら、私に地図を手渡した。

P107

 もちろん、私だって地図は読める。
小学校の社会の時間には、読めたはず。

 私は、地図を受け取って、周りの標識と、
地図を見比べた。

 けど、私が地図を見ながら指差すところは、
すべて、間違っていて、結局あさひは、

「わかった。
まあ、いいや。
努力は認めるよ」

 そう言うと軽く笑いながら、
地図をしまった。

「そんなこと言っても・・・」

 なんだか地図を理解できなかったことより、
あさひの自分に向けた笑い顔のほうが、
気になって、少し嬉しかった。

 あさひのアパートに帰ってくると、
そこには、ミチ君と寧子が待っていた。

 「お、なんだ二人乗りか!
使えねーな」

 ミチ君が、いきなりそう言うと、
あさひは、

「あそ」

 と、一言。

 なんとなく雰囲気が悪くなりそうな瞬間、
寧子が、

「これで、揃ったね」

 って言いながら、ふたりをバンバン叩いた。
ミチ君は、

「寧子ちゃん、痛いよ!」

 って、逃げたけど、あさひはされるがまま。
不思議そうに、寧子を見ていた。

 それに寧子が気が付いて、

「あ、ごめん」

 と、謝ったが、あさひは、

「別に」

 そう言って、笑った。
そしたら、いきなり寧子が、

「かわいい!」

 そう叫んだ。

P108

 そう、普段のあさひはいつも眉間に
シワを寄せているけど、少しでも
笑うと、エクボが出来て可愛いい。

 そしたら、ミチ君が、

「俺だって、笑うとかわいいんだ!」

 そう言って、笑ったけど、私と寧子は、
無視した。

 そしたら、それを可哀想だと思ったのか、
あさひが、

「馬が笑ったみたいで、かわいいよ」

 そう言った。
私と、寧子は、顔を見合わせて、

「Ashでも、そんな事言うんだ!」

 そう言いながら、笑い出した。
それでやっと、その場が和んで、
シアトルに向けて、出発できる雰囲気になった。

 二人と別れて、寧子と学校に戻る途中、
さっきの、あさひとミチ君のやり取りを
話していて、2人の共通意見が、

「男ってめんどくさいね」

 だった。
 普通、女同士だったら、ほとんど
初対面の2人が、あんなに雰囲気悪く
なるなんて、ありえないのに。

 私達は、いきなりミチ君が、

「使えねー」

なんて言うとは思わなかったから、
本当に驚いた。

 あさひだって、車を受け取ったばかりで、
あの時の顔を思い出すと、相当うれしかった
事がわかったから、それなのに、いきなり
不満を言われたら、それはムッとするのも、
わかるよね。

 寧子もそれは同意見で、なんでミチ君が
あんなことを言ったのかが、分からなかった。

その後もしばらく寧子と2人で話したけど、
結局、理由はわからず、

「男ってプライド高いから、
どっちが一番か、優劣つけたがるのかな?」

 って、結論。
男って子供だよね、
ほんっとに、わかんない。

P109

 シアトル行きが具体的に決まると、
嬉しくって、授業どころじゃない!

 毎日、授業の合間に、放課後に、
みんなで集まって、旅行プランを立てるのが、
楽しくて、いつもみんなでわいわい、がやがや。

 でも、そんな時でもあさひはいなくて、
それをよく思ってないのが、まるわかりの、
ミチ君がいた。

「な?Ashは自分のことしか考えないから、
みんなでプラン決める時も、来ないだろ?
 どうせあいつの車は2人しか乗れないんだから、
今回は、外せばいいんじゃないかな?」

 ミチ君は、いつもそう言って、あさひを
外そうって、言っていた。

 他のみんなは、あさひ本人の事も、
あの時のいきさつも、あんまり知らないから、
ミチ君言ってるような突っ込んだ話に、
答えようもなく、
ただ、あさひと、ミチ君の間で、何か
あったんだろうな?ぐらいしか、考えて
ないみたいだった。

 ま、みんなもどちらかと言うと、
殆ど知らないあさひを参加させること
に関しては、少し不安があるみたいだったけど。


 そんな時、いつものようにみんなと、
カフェで話をしていたら、ちょうどそこへ、
ケンジが通りかかった。

「あ、紗希ちゃん!
 Ashのこと知ってる?
昨日、図書館に来なかったから、
アパート行ったら、熱出して寝てたよ!」

「え!それほんと?」

私はそれを聞いた瞬間、
もうみんなと一緒にいることも忘れて、
慌てて、あさひのアパートへ向かった。

P110

 あさひのアパートに来てみると、
鍵が開いてた。
 そーっと中に入ってみると、
2つあるベッドルームのうち、
あさひの部屋が5センチ位開いてて、
中でラジオが鳴っていた。

「こんにちは」

 そう言って、そっと中にはいってみると、
ほんとにあさひが軽い寝息を立てていた。

 「ほんとに寝てる!」

 私は、いったんあさひのアパートを出て、
近くのドラッグストアーで軽い食事と、
風邪薬を買い、すぐにあさひのアパートに
引き返した。

 
 あさひのアパートに戻ってみると、
さっきまで閉まっていた、アパートの
扉が開いていて、中から話し声が聞こえた。

 私が、中にはいってみると、寧子達みんなが、
中のダイニングで話していた。
 あさひの部屋の扉も開いていて、中には
寧子とミチ君がいた。
 私が中に入ると、あさひは起きていて、
寧子と話をしていた。

 さっきまで、キラキラと太陽が降り注ぎ、
うっすらモヤがかかっている中で、
天使が浮かんでいるように見えたぐらい、
すっごく綺麗な雰囲気だったのに、
 今では、ただ、熱を出して病人が
寝ている、空気が淀んだ空間に
変わってしまっていた。

 私はがっかりして、思わずため息をついた。
そのため息で、寧子が私に気が付いて、

「あ、何買ってきたの?」

聞くから、

「風邪薬と軽食」

そう答えると、

「食事は、私がおかゆを作ったから」

そう言って、寧子が半身を起こしたあさひに
おかゆを手渡していた。

P111

 あさひはおかゆが入ったボールを手に
持ってはいたものの、あまり食欲がない
様子で、おかゆを口に運ばずに、
2人と話していて、私に向かって、

「すみません」

 と、軽く頭を下げた。

 私は、キッチンに行き、買ってきた
コーンスープをお鍋にあけて、温め始めた。

 5分位経った頃、マグカップに入れた
コーンスープと、パンを持ってあさひの
部屋に戻ると、ミチ君はもういなくて、
寧子とあさひが話していた。

 私は、コーンスープとパンをあさひに
差し出すと、持っていたおかゆを床に置いて、
代わりにコーンスープとパンを受け取った。

 そのあと、コーンスープとパンをゆっくり
口に運んで、一言、

「おいしいね」

 その時の、熱で弱々しくみえたあさひの笑顔が、
ほんとうにかわいくて、心の中にふわっと
たくさんのハートが浮かんできた。

 確かに日本では、風邪を引いた時に消化の良い
おかゆが選ばれるけど、私は前にあさひが

「ご飯は好きじゃない」

って、言ってたのを覚えていたから、
「おかゆじゃないな」って思っていた。
案の定、寧子が作ったおかゆはほとんど手を付けず、
私が、温めたコーンスープを飲んだことが、
それを物語っていた。

 寧子はそれを見ると、

「ミチさん、お邪魔みたいだから、行こ!」

 そう言うと、みんなと一緒にあさひの部屋から
出て行った。

P112

 みんながいなくなって、部屋の中に静けさが
戻ってくると、また、最初に感じた
「天使の雰囲気」に戻った。

「この部屋の雰囲気なら、一日中あさひの寝顔を
見てられる」

 そう、思った。

 あさひがスープとパンを食べ終わって、

「少し寝るよ」

そう言って、また横になった。

 私は、

「しばらく隣にいるから、
なんか用があったら、呼んでね?」

そう言って、部屋の扉を閉めて、ダイニングの
椅子に座った。

 いままで、こっちが一方的に知ってる
だけだったけど、今ではあさひも私のことを、
知ってる。

 なんだか、不思議な感覚。
先週までこの部屋を外から眺めている
だけだったのに、今は部屋の中から
外を見ている。


 私が初めてあさひを見た時は、
痛いぐらい降りそそぐ太陽と、
希望に満ちた、新緑の葉っぱが、
目に痛かったのに、

 今、部屋の中から見ている景色は、
もう黄色い葉っぱがいっぱいで、
すっかり秋の気配。

「もう、かれこれ半年近く、
過ぎたんだな」

 なんだか、ずっと前から、この景色を
知っていたような、ここにいることが
当たり前のような、そんな感覚が心の中に
すんっ、と降りてきた。

「ここに引越してこようか・・・」

 ふと、心に浮かんだ。

P113

 その日は夕方になっても、あさひは起きないで、
H'ファミリーのお父さんが迎えに来る時間になった。

 私は、それ以上いてもあさひは起きない
と思ったから、お鍋にコーンスープを入れて、
すぐに暖められるようにしてから、
その日はホストに帰った。

 翌日、やっぱり気になったから、早めに
H'ファミリーのお父さんに送ってもらって、
あさひのアパートに行ってみた。

 そしたら、アパートには鍵が掛かっていて、
中の様子はわからなかった。

「熱は下がったのかな?」

 心配ではあったけど、それ以上中の様子が
わからなかったから、そのまま寧子のH'ファミリー
に行ってみた。

 寧子のH'ファミリーでピンポンすると、

「Good Morning!」

 寧子が元気に出てきた。

「昨日あれから、なんかあった?」

 寧子が、ニヤッと笑いながら聞いてきた。

「あるわけ無いでしょー、Ashは病人なんだから。
あの後、少ししたらAshが寝ちゃったから、
夕方には帰ったよ!」

 そう言って、私は首を振った。

「な~んだ。
せっかく気を利かせたのにな」

「残念でした。
ってか、病人相手に、何考えてんの?」

「そりゃそうだ!あはは」

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 寧子はそう言うと、奥に鞄を取りに行った。
戻ってきた寧子に、

「さっき、Ashのアパート行ったんだけど、
鍵締まってて、中の様子わからなかったんだよね」

 それを聞いた寧子は、

「昨日行った時は、鍵開いてたから、
もう、熱下がって学校行ったんじゃん?」

 そう言った。
私もそう思ったけど、昨日の様子だと、
とてもそんな元気はありそうも無かったから、
もしも、熱が下がってても、一日くらいは、
安静にしていたほうが、いいと思った。

 とりあえず、寧子のママに挨拶して、
急ぎ足で、学校に向かった。

 途中、ミチ君達も合流して、賑やかに歩いていると、
図書館前のベンチで、勉強しているあさひを見つけた。

「ああ、もう熱は下がったみたいだな」

そう思ったものの、寧子やミチ君は、
週末のシアトル行きの話で盛り上がっていて、
あさひには気が付か無かった。

 私はあさひのことが心配だったけど、
ミチ君を初めみんなの手前、いきなりあさひの所へ
駆け寄ることができず、ただ遠くからあさひを
見ていた。

 もちろん、勉強をしているあさひが、こっちに
気がつくわけもなく、2人はスレ違いになった。

P115

 先生には申し訳ないけど、シアトル行きに
比べれば、ずいぶん魅力の無いgrammar(文法)
の授業が午前中に終わり、カフェに行って、ミチ君達
とお昼を食べながらホッとしていると、目の前を
あさひが通った。

「Hi! もう熱は下がったの?」

私が話しかけると、

「あ、おかげさまで熱は下がったよ。
ありがとうございました。
まだ本調子じゃないけど、
あんまり休んでいられないからね」

そう言って、他の国の留学生と一緒に、
奥の方のテーブルに座った。

「感じ悪いなー、
昨日あんなに心配したのに、
たったあれだけ?」

 ミチ君が、そう言うと、ムッとした表情で、
あさひを睨みつけた。

「まあ、いつも一緒にいたわけじゃないから、
普段と同じじゃん?」

 そのミチ君の雰囲気に、敏感に寧子が反応した。

「そうかもしれないけど、紗季ちゃんが最後まで、
心配してたのに、あれだけじゃ可哀想でしょ?」

 ミチ君の一言に私は驚いた、

「いや、別に何かして欲しくて、やったわけじゃ
ないから、そんなのミチ君が気にしなくていいよ」

 慌てて、説明した言葉は、しどろもどろ。
ミチ君は、そんな私の言葉は耳に入らなかった
様子で、まだあさひを睨んでいた。

 あさひは、そんなミチ君の視線に気が付いたのか、
ふっとこっちを振り向き、無邪気に笑った。

P116

〈かわいい!〉

 私は、普段眉間にしわを寄せているあさひが、
急にニコって笑った時の笑顔が好きで、今まさに
その顔でこっちに笑いかけた。

「普段は感じ悪いくらい仏頂面なのに、笑った時は
可愛いんだよねー」

 寧子も同じ意見らしく、そのあさひの笑顔に、
私と同じように、見とれていた。



 私達のグループには、女子が私と寧子しか、
いないから、その2人があさひに見とれていたら、
ミチ君が面白くなさそうに、

「まあいいや、俺、授業行くわ」

 そう言って、席を立った。
そのまま、他の男子も、つられて行ってしまい、
カフェには、私と寧子と、あさひ達のグループ
が残った。

「なんだかね~」

 寧子が、そうつぶやきながら、席を立つと、

「これだから、男はダメね」

って、言いながら教室に向かって歩き出した。
私も、同じ意見。

 2人で、「はぁ~」、深いため息をつきながら、
教室に入った。

 退屈な〈先生、ごめんなさい!〉授業が終わって、
みんなで図書館に行ってみると、そこにはあさひと
ミキちゃんが勉強してた。


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 ミチ君が、

「お、Ashの彼女?」

 って、冷やかし半分で、あさひに声をかけると、
ミキちゃんが、あさひと腕を組んで、

「そー、ミキです。
よろしく!」

 そう自己紹介。

 ミチ君があっけにとられて、口をぽかんと
開けていると、あさひがミキちゃんにKissを
しようと顔を近づけた。

 そしたら、ミキちゃんが、

「調子にのるな!」

 笑いながら、頭をペチ。
そこで、みんなが初めて笑った。

 その後ミキちゃんは、

「いつも弟がお世話になってます。
無愛想なやつですが、よろしくお願いします」

 って、頭を下げた。
続いて、あさひもペコリと頭を下げて、

「よろしくです。」

そう言った。

 みんなは、2人のやり取りが、あんまりにも
スムーズだったから、2人はほんとに姉と弟だと
思ったらしい。

 私があさひに、

「熱はもう平気?
様子どう?」

 って、聞くと、

「うん、多分もうだいじょぶ。
こんどなんかお礼するよ。
ほんと、ありがとね」

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 そしたら、ミキちゃんが横から、

「はい、よくできました」

 そう言って、あさひの頭を、
なでなでした。

 そしたら、あさひは、嫌がるでもなく、
とびきりの笑顔で、ミキちゃんにVサイン。

 私は、それを見ていて、

「羨ましい」

そう思った。

 その後図書館の外に出て、ミチ君が、

「Ashとミキちゃんはほんとに仲がいい
兄弟だね」

 そう言うから、

「違うよ!2人はここに来て知り合った
んだよ?」

そう、私は答えた。

 そしてたらミチ君はじめ、みんなが信じ
られない!って顔をして、絶句。

「なに?、なんか変なことあった?」

 寧子が、みんなの言いたいことがわから
ない振りをして、そう言った。

 そしたらミチ君が、

「いやいや、なんであんなに仲いいの?
だいたい、普段Ashはあれだけ無愛想なのに、
ミキちゃんの前だと、全然普通でしょ?
なんか変じゃね?」

「だから、Ashだって、別に変わり者って
わけじゃないってことでしょ?
ね、紗季?」

 寧子はそう言って、私にウィンクした。
私は、寧子に急にふられて、焦りながら、

「そ、そういう事。
Ashだって可愛いとこあるんだから」

 って、言ってみたものの、なんだか
墓穴を掘った気分だった。

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 そしたら、ミチ君が、

「やっぱ、変人だよ。
あんな奴のどこがいいんだか!」

 そう言って、車の方へさっさと歩いて
行った。

 それを見て寧子が、

「確信したね!」

勝ち誇ったように言った。

 私は、

「なにがよ?」

 寧子が何を確信したのか、まったく
わからず、つい強い口調で寧子に聞いた。

 そしたら寧子、また、中年のおじさん
の笑い顔で、

「ミチさんは、紗季が好きなんだな」

 そう言った。

「ちょっと待ってよ!
そんな事あるわけないよ!」

 私は慌てて否定したけど、寧子は譲らず、

「それも、もう手遅れだな」

 
 そう、言って、歩いて行こうとするから、

「だっだらどうすればいいのよー?」

 って、聞いてみたものの、寧子は答えず、
さっさと歩いて行ってしまった。

「誰かに好きって思われて悪い気はしないけど、
今はあさひ以外は、考えられないな」

 そう思って、さっきのあさひとミキちゃんの
やり取りを思い出していた。

P120

 翌日、普通通り学校に来ると、いつもは
遅く来るミチ君が、もう学校に来ていて、
寧子と話をしていた。

「おはよう!」

 私が元気よく教室に入ると、2人はスッと離れて、

「おはよう!」

と、元気に返してきた。

 私は、

「ねえ、寧子もミチ君も、今日はこんなに早く、
どうしたの?」

とりあえず、聞いてみると、ミチ君は、

「べつに、真面目に勉強しようと思った
だけだよ」

 そう答えた。
そしたら、寧子はが、

「フフフ。そーかな?」

って、また意味深な笑い。

 そしたら、ミチ君が慌てて、

「なんでもないって。
寧子ちゃん、なんでそんな事言うの!」

って、変に慌てて、寧子バシバシ叩いた。

 寧子はそれでも、めげずに、

「ミチさん、そんなこと言って良いのかな?」

そう言いながら、私を手招きした。

 私は不思議に思いながら、寧子の方に
行こうとすると、ミチ君が慌てて、寧子の腕を
引っ張って廊下に行ってしまった。

「変なの?」

 私は、そう思いながらも、頭のなかはあさひで
一杯で、できるだけあさひと一緒にいたいけど、
どうしたら良いか、そればかり考えていた。

 一緒にいたければ、図書館に行けばいいけど、
勉強もできるし、悪いことはないんだけど、
でも、うちに帰るのが遅くなって、H'ファミリーの
パパに怒られるのは、嫌だし。

 それ以外では、寧子達と一緒だから、単独行動は
出来ないし、けっこう八方塞がりって感じだな。

”母と妻と女の間で・・・” 留学時代・出会い青春編

”母と妻と女の間で・・・” 留学時代・出会い青春編

”倉持紗季”の小さな頃からの夢だった海外留学。 充実していた留学生活でしたが、 同じ日本人学生だった”早乙女あさひ”に恋して、一緒に暮らし始めます。 しかし、その後まもなく”あさひ”の子供を妊娠したことから、 海外留学を諦め、日本に帰国する事になります。 今回は、紗季があさひと出逢うところから始まります。 海外留学の楽しさ、大変さが良く分かる内容になっています。 この作品は、作者本人による重複投稿となってます。

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-01-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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  1. P1~P39まで  ”母と妻と女の間で・・・” 留学時代・出会い青春編
  2. P40~P79まで  ”母と妻と女の間で・・・” 留学時代・出会い青春編
  3. P80~P120まで  ”母と妻と女の間で・・・” 留学時代・出会い青春編