少女の夢
ある日の、夢の話をしよう。
今まで脳が見せた強烈な夢の中でも、最も歪なものとして君臨し続ける悪夢の話だ。文章に起こすことをためらっていたが、それも今日で終わりにしようと思う。
かつての少女の恐怖は、これを読む人、つまりあなたにとってはどうということのない些細な出来事かもしれない。かといって、これはふわふわなパステルカラーでいっぱいの夢とも違う。
もっと薄気味悪く、気色の悪い赤黒とした世界の話だ。
気がつくと、砂利の上に立っていた。
夢の中にいるというのにそのときの意識は驚くほど明瞭で、私は自分が投げ込まれた場所がどこなのかを理解していた。
そこはちょうど場所の中心だった。
辺りを見回すと、私の背丈をも超える蛍光色の模様の巨大な鳥たちが左に並んでいた。それ以外は通常と何変わらない光景のまま、広い芝生にぽつぽつと遊具が置かれてあった。
私は一部狂った公園の真ん中に立っていたのだ。
奇妙な鳥たちは遊具の体というよりも剥製、いや生きているようだった。彼らは呼吸していながら、馬跳びの台があった位置に静かに身を置いていた。しかし目玉をぎょろりとさせ、そのくちばしも僅かに震えていた。
より彼らのもとへ近づくと、やはりこれらは生き物だと、そうとしか思えない生暖かさがあった。
私はその時期セキセイインコを飼育していた。鳥の羽が一体となっているようで実は一つ一つ分かれており、そして息を吹くたびに浮き上がって美しい模様を見せるということを知っていた。その通りに、彼らの羽の隙間は細かく揺れていたのである。
私はまじまじと眺めても触れることは一切しなかった。
単純に、グロテスクだったのだ。
アマゾンにいる鳥たちを想像してほしい。色鮮やかで美しい姿が浮かぶだろう、だが奴らの模様である部分は彩度ががくんと落ちる。どどめ色のまだら模様が蛍光色の上を這うようにして広がっているのだ。
そこに感動する要素はなく、あるとすればぞっとする不気味さだけだった。
色だけではない、奴らの身体は異常そのもので首の長さは数メートルほどもあった。
いよいよおかしな空間に来てしまったと、そう思った私は奴らから離れ芝生へと歩いた。
鳥たちの存在を抜きにすれば、見れば見るほどなんの変哲もないただの公園だった。
よく遊んだブランコも、長い勾配の先にある滑り台も、カードゲームのカードが散らばった机とベンチも、全く変わらないままだった。
しかし違和感だけは拭えず、それらから安心感が生まれるなんてこともありえなかった。
私はしばらく芝生の上に立っていた。
空の色を確かこのとき確認したはずなのだが、今はもう覚えていない。ただし爽やかな青空ではなかったと絶対にいえる。
そうして景色をぼうっと眺めていると、突然、スーツを着た中年の男が話しかけてきた。
「あの 、ここはどこですか」
この男は唐突に目の前に現れ、声のトーンを全く崩さずに私へ質問した。
だが私はすっかり変な空間に慣れてしまったのか、男の出現に疑問が浮かばなかったのである。その存在を当たり前のように、わかりませんとだけ答えた。
男からの返事はなく、私が何かを発することもなく沈黙が流れた。
会話のない間、口を結んだ男の表情が視界にあった。男は眼鏡をかけており、一重の細い目をしていた。そしてよく見ると、彼の目は何故か非難するように私を捉えていた。怒りが滲んでいた。
理不尽な男の全てに私は恐怖を覚えた。同時に、彼から逃げなければいけないと強く思った。
少し後ずさると、彼はまたもや口を開いた。
「ここはどこですか」
先ほどと同じ質問だった。
口以外は表情筋が死んでいるようで、不気味さは益々増していた。私は距離をあけようと再び踵をずらした。
「ここはどこですか」
そういいながら彼は距離を縮め、私が反動で後ろへとずれても同じことだった。
行動が繰り返し繰り返し延々と続けられるごとに、男の表情は鬼気迫るものへと変化していった。執拗に追いかけてくる男の歪んだ顔を、怯えながらも目を逸らすことが出来なかった。
私は耐えきれず、叫んだ。
「知りません、私が知るわけないじゃないですか」
すると、男の動きがピタリと止まった。顔を伏せ、硬直したように。
好機を逃してはいけないと私は背を向けて走った。逃げなければ殺されてしまうと思ったのだ。
少しでも距離をあけようと真っ直ぐに走った。また夢ゆえに真っ直ぐにしか走れなかった。
砂利の跳ねる音と共に、息を荒げ、ただ走った。少しでもあの男から離れたかった。
「どうして逃げるんですか」
不気味なほどに平坦な男の声が背後から聞こえた。
私は、振り返ってしまった。
男はこちらをじっと見つめたまま、ゆっくりと歩みを進めていた。静かな動作と声色に反し、顔は鬼のようだった。
「どうして逃げるんですか」
男は同じ言葉を繰り返した。
答える余裕などなく、私は逃げることしか出来なかった。だがその間、男はこちらに対し呪いを吐くように言葉を投げかけてくるのである。
「どうして逃げるんですか」
「どうして逃げるんですか」
「どうして逃げるんだ」
「どうして」
男がいいかけたそのとき、何かが破裂したような音が響いた。例えるならば、水風船が破裂したときのような、ばちゅん、といった音だ。
ひどく嫌な音だった。
後ろを振り向くと、男の身体は泡が出来ていくように膨らみ、次々に破裂していった。
そして、そのざくろのような赤紫の肉塊は地面へとべちゃりと落ちると、そのまま蠢いているのだった。断面には白いぶつぶつがあり、あまりの光景の恐ろしさに私は悲鳴をあげた。
男の声はもう声にならなかった。
顔面の半分は表面が爛れて、赤黒とした肉の化け物へと変貌してしまっていた。
加えて破裂しては地面へと弾む肉塊は、次第に私の方向へと這いずり始めたのだ。大から小までの大きさの塊が、皆一同に私を狙っているのである。
私はもう泣いていた。早くこの地獄が終わればいいとそれだけ願い続けて、濡れた瞳を閉じた。
目が覚めると、背中にぐっしょりとした汗が滲んでいた。
タオルで拭こうと起き上がるも辺りは暗く、時計の淡い人工の光だけが私を照らしていた。デジタル時計の針は深夜の2時を指しており、最悪な時間の目覚めに早々嫌になった。
しかし、あれはやはり悪夢だったのである。
自分の脳が作り上げたというよりも、悪夢の世界に引きずり込まれてしまったという感覚の方が近かった。現実でなくて本当によかった、とそれだけを嬉しく思った。
そしてこの後何が起きるというわけもなく、私は再び眠りに落ちた。夢を見ぬままに。
もうお察しだとは思うが、この話に落ちは存在しない。
悪夢は現実に一切の干渉をしないまま、私への嫌がらせを終えたからだ。だから続きはないし、本当によくある悪夢を書いただけである。長ったらしい文章を最後まで読んでくれたあなたには申し訳ないと思っている。
けれども、私は未だに忘れることが出来ないのだ。必ず脳のどこかにあり続けるこの夢が、本当に邪魔で仕方ない。おまけに、誰かに話したとしていい反応もされない。
まあ、だから書くことで消化されることを私は願ったのだ。消えてくれたら万歳だ。
しかし書き終えた自分が全く怖くなかったのだから、読んだあなたは退屈していることだろう。だからもう一つお願いでもすることにしよう。
悪夢の都市伝説は数多くあるが、その中でも怖いのが現実と繋がるというものだ。詳細は書かないが、怖がりな人は調べてしまったら眠れなくなること請け合いだ。
ある人によれば悪夢は渡るものらしい。この夢の形通りであろうとなかろうと、退屈な人へと届いたらそれは愉快な話である。あなたにも是非体験してほしいものだ、私と同じ恐怖を感じてほしいものだ。
あなたに素敵な悪夢が訪れんことを。
少女の夢