虹の架かる【2話】
とうとう雪が!雪が積もりました!寒いです!
2話です。
取り引き
ちょっと待て。今、俺の兄貴は何と言った?半獣を連れ出す?頭が追いつかない。会場の混乱のせいで聞き間違えたのだろうか。
「えっ、連れ出すって...。あの子を買うってことか?」
あまりにも突然の事で口元が引きつっているのが自分でも分かる。そんな俺を見て不思議そうに首をかしげる兄貴の周囲だけ、なにか別の空気が流れているようだ。
「ああ、そうだが。何かおかしなことでも言っているか?」
「おかしなことって...。さっきのあの子の目をちゃんと見たのかよ」
「見たぞ。紅に染まったときの目だろう?まるで紅玉のようで美しいじゃないか。とにかく、私はあの子をここから連れ出す」
あの恐ろしいまでの瞳を見ても美しい、綺麗だと言うこの人は。物心ついたときから一緒にいる自分でも分からなくなることがある。
アンリの久しぶりの我儘にどう接すれば良いのかは、自分がよく分かっている。無駄だと思いつつも、引き留めてみた。
「なぁ、考え直さないか?絶対高いって...」
金の問題など、どうとでもなることは知っている。
「金など、どうにでもなるだろう。お前こそよく分かっているだろうし、賛成してくれると思ったんだが...」
ああ、やっぱり。わざとらしく落ち込んだ表情を見せてちらちらとこちらを見る。仮面でほぼ隠れているから、あまり効果は無いが。
「分かったよ。どうせこの騒ぎに紛れて司会とあの子は、もう引っ込んでる。さっさと部屋に行こうぜ」
「ああ、そうだな。ここにいると物が当たりそうだ」
茶化すように言っているが、現に会場は色々な物が飛び交っていてさっきから首をすくめたり、軽く避けたりしている。顔が判らないからなのか、日頃の鬱憤を晴らしたいのか騒ぎは一向におさまらない。
さすがに早く出ないと危ないな。そう思っていたら、前方の燕尾服を着た男が飛んできた靴によって倒れた。
わぁわぁと騒いでいる観客の間を縫うようにして、会場の外に出る。廊下を少し歩くと小さな部屋があった。ここで見世物小屋の商品を買う者は、団長に商品について説明されることになる。
扉を叩くと「どうぞ」という声がして、誰も触っていないのに扉が開いた。
「こんばんは。高貴なお二方」
鷹揚に手を広げ、椅子に座る針金のような男。団長だ。売れ残った商品を殺して加工したのだろうか、普通では手に入れられない毛皮や宝石類でごてごてと着飾っている。
「今宵の品はどうでしたか?あれは美しいでしょう」
ニヤニヤとまとわりつく視線が、鬱陶しい。早く手続きをして帰ろう。まだ夜明けまで時間があるとはいえ、団長の前だけはどうにも落ち着かない。
「ああ、そうだな。半獣を買いたいと俺の兄貴が言っている。」
「おお、それは喜ばしい事です!あの目のおかげで全く売れなくてですねぇ。何度あれの目をくりぬこうと思ったことか!まぁ、傷物は余計に売れなくなりますからね。止めておきました」
ふふふ、と薄く笑う団長。生き物を生き物と思わないこの態度には、反吐が出る。ルークは団長とだけは渡り合えないと、つくづく思った。
少し溜め息をつくと、それまで黙っていたアンリが口を開いた。
「それで。いくら払えばあの子をもらえるんですか?」
あまりにも上から目線過ぎるその物言いに、ルークは内心頭を抱えた。万が一団長の逆鱗に触れれば、どんな条件を突きつけられるか分からない。
「ほう、貴方が。とんだ物好きもいたものです。そうですねぇ...。500リャトでどうでしょう。お買い得ですよ?」
「はぁ!?ちょっと安すぎねぇか!?」
「ルーク。口を少し慎みなさい。」
安い。安すぎる。普通の半獣もここまで安くなかったはずだ。
「高くしろとは言いませんが、確かに少し安すぎます。何かあるのですか?」
「あぁ、あれはもう処分しようかと思っておりましてねぇ。あれが出る度に、お客様からののクレームがすごいんですよ。私にとっては疫病神でしかありませんし...。処分する手間が省けて嬉しいです。貴方が買って下さると言うのなら、ただで差し上げても良いぐらいなんですよ。」
困ったものだ、とでも言うように首を振る。首を振るのと連動して、首にかけているネックレスがじゃらじゃらと音を立てる。煩い。
「そうなんですね。それでは、500リャトです。」
早く半獣を渡せと言わんばかりに横柄に銀貨を渡すアンリ。そんなことは慣れているのだろう、団長は何でもないように受けとる。
「では、商品番号154の檻へ行きましょう。ああ、安心してください。ちゃんと躾は済んでおります。」
そう言って椅子から立ち上がる。後ろに壁に掛けてあったタペストリーを外すと、鍵穴が現れた。装飾品のように加工された鍵を差し入れるとカチリと音がして壁が動いた。
「さあ、こちらです。迷わないで下さいね?」
先ほどまで壁があったはずの場所には、闇がぽっかりと口を開けている。団長に続いて足を踏み入れると、長い廊下が続いていた。
パチンと団長が指を鳴らす。ぽうっと柔らかな光が灯る。アンリとルークは、この光に見覚えがあった。
「なぁ、団長。もしかしてこの光って...」
「ん?ああ、この光ですか。リーゼですよ。発光する能力を持つ精霊です。売れ残ってしまいましてね。処分するには惜しいので、こうして籠に入れて照明にしてるんですよねぇ」
さも当然の事のように言ってのけて足を進める。籠に入れられた精霊たちは等間隔に吊り下げられ、廊下を照らしている。籠からはみ出した薄い羽はぼろぼろで、今にも消えそうに点滅しているものもいた。
今でこそ社会で普通の事として受け入れられている見世物小屋だが、売れ残ったもの、特殊な性癖を持つ者に売られたものの末路は地獄そのものだ。いつもの軽い気持ちで来たことを、ルークは後悔した。
「着きましたよ。品物の部屋です」
何度も角を曲がり、着いた場所には一つの扉があった。木の扉を開けると、ひやりとした冷気が漏れた。月明かりだけが頼りの石畳の部屋。一つだけある固そうなマットレスが敷いてあるベッドに半獣は横たわっていた。
「商品番号154。起きなさい」
団長が声をかけると半獣は一瞬怯えたように震え、飛び起きた。薄い生地の下着のままで、ステージに出ていたときの美しい衣装はどこにも見当たらない。
「商品番号154。返事をしなさい」
「...はい」
か細い震えた声は寒さのせいか、今まで受けてきた所業のせいか。
「よろしい。このお二人がお前を買って下さるそうです。良かったですね」
「...はい。嬉しいです」
目を伏せて抑揚の無い声で半獣が答える。細い手足に残る痣の痕が痛々しい。
「これを飲みなさい」
団長が小瓶に入った透明な紫の液を半獣に手渡した。見るからに怪しい薬のようなものに、アンリが問うた。
「団長。これは何ですか?あまり良いものには見えませんが」
そんなアンリに、何故そんなことを聞くのかと少し面倒くさそうに答える団長。
「道を覚えられないように眠らせるんですよ。脱走して戻ってこられたら困りますからねぇ。さあ、商品番号154。手に持ってないで早く飲みなさい」
「...はい」
促されるまま、口に含むことを躊躇っていた薬を口に入れる半獣。コク、と喉が鳴る音がしてぐらりとその体が揺れた。
即効性の睡眠薬だったのだろう。半獣は意識が朦朧としているようだ。
顔をあげてアンリとルークを見る半獣。ゆらゆらと虹色が揺れる。何かを言おうとするが、薬が本格的に効いてきたのか目蓋が降りてベッドに倒れた。
何か言いたげな目と、怯えた表情がとても印象的だった。
虹の架かる【2話】
ここまで読んで下さり、ありがとうございます!
兄の我儘が炸裂しました。無事、見世物小屋から半獣を買うことができたアンリです。果たして半獣との生活はどうなっていくのでしょうか。次回をお楽しみに...