ごめん

 江戸時代、どこぞに、あってなきがごとき小藩があった。
 その藩の名を仮に犬林藩としておこう。
 さて、その犬林藩城下町に、山首佐治衛門(やまくび さじえもん)なる同心がいて、彼は町の安寧を守る一方で、罪人の首を刎(は)ねるという、いわゆる首切役人の任にも就いていた。
 正式には刀お試し役であるが、誰もが忌み嫌う不浄役人である。
 一方で、同輩も先輩も、いやさ奉行でさえ、彼を尊敬してもいた。
 その人格素直にして温厚。
 役儀により人の命は奪うが、平生は腕に止まりし蚊一匹を殺すことなく逃がしてやる心優しき人となり、加えて、その尋常ならざる剣技ゆえである。
 一度たりとも首を切り損じた事なきは当然として、返り血が彼に一滴もかからない、というのでその妙技、殿の御前で刑を執行したことも二度や三度ではなかった。
「見事じゃ、佐治衛門」
 見物を終えて城主佐橋綱元(さはし つなもと)は感服しきりに頷きうなづき、自らの膝小僧を叩いて褒め称えた。
「ははっ。拙(つたな)き技にて候(そうろう)。お目汚し失礼をば」
「謙遜はよい。見事じゃ。ときに余は、どこぞの後藤某(なにがし)とかいう首切り役の話を小耳に挟んだことがあってな」
「はっ」
「その者、雨中に傘をさして片手で罪人の首をはねたとか、はねなかったとか聞き及ぶ」
「はっ」
「あえてきくが、その方にはできまいのぉ」
「未だ試した事はございません。なれど、見世物にあらざれば」
「できるか、できぬか、と尋ねておる」
「それは造作ないかと」
「ほほぉ、よぉ申した。では次回はそれを所望じゃ。余に見せてくれるか?」
「御意」
「うむ。楽しみにしておるぞ。さてさて雨が恋しいのぉ。ほっほっほぉ」
 当時の処刑は現代と違って公の場で行われる。
 それは見せしめの意味が強いのだが、一方で庶民は悪者の最期を見届けに、大挙押し寄せるのであった。
 人は本来善ではないのかもしれない。
 己が苦しむのは嫌だが、他人が苦しむのは見たいのだ。
 とりわけ土壇場(罪人が首を刎ねられる場所)の罪人が泣き喚き命乞いする姿に、観衆は興奮した。
「悪人のくせしやがってよぉ」
「見ろや、あのざまぁねぇぜ」
 殿様だとて例外ではない。
「佐治衛門、殿の前で約束せしが、真になしとげられるか?」
 城主が刑場を去ってから、町奉行七曲甲斐(ななまがり かい)が刀身の血糊を拭う山首佐治衛門に小声で語り掛ける。
「おそらく」
「おそらくでは困る。しそんじればぬしの首が飛ぶやもしれず」
 これはおそらく冗談の意味合いを含んでいたのであろう、奉行の顔には綻(ほころ)びが見受けられた。
「さて、これほどまでにそれがし奉行の信頼なきや」
 奉行は含み笑いを堪えきれず、対して山首佐治衛門はのっぺりと相好を崩して柔らかな物腰で辞した。

 それから皐月(現在の六月)の頃になって、再び殿の御前にて処刑がとり図られた。
 しとしとと天より蜘蛛糸に似て滴(したた)る雨の降り続くある日、刑場にて山首佐治衛門は蛇の目傘を左手にさして、右手には介錯用の刀身をぶらさげていた。
 日本刀の平均した重量は一キログラム前後である。
 意外と軽いと思われる方もいるかもしれないが、これで首を刎ねるのは生半ではない。
 頭を支える太い骨があるからだ。
 刀を両手で構えて両足踏ん張って、裂帛(れっぱく)の気合いで断ち切るからこそ出来うるもの。
 しかるに、本日の山首佐治衛門は片手であるし、また、連日の雨で足下がぬかるんでいた。
 切損じ。
 それは介錯人として最も恥じるべき醜態である。
 歴史を紐解いてみると、そうした例はなくもない。
 有名なのは赤穂浪士の一人が介錯人の切損じで背中を切られている。
 浪士は悶絶する痛みをこらえて、おあわてめされるな、と叫び、その介錯人は恥ずかしさから真っ赤になったと伝う。
 だが山首佐治衛門は落ち着いていた。
 自らを過信していたわけではない。
 ただ死にゆく罪人を如何(いか)に穏やかに、あの世に送ってやれるか、そればかり頭にあった。
 その罪びとは白装束、後ろ手に縛られて、静かに地面に端座(たんざ)していた。
 両脇にむさい非人が控えている。
 罪人を両側から暴れぬように支えるために。
 そして彼らの前には大きな穴が掘られてある。
 刎ねられた首品は、そこに転げ落ちるわけだ。
 それにしても死を目前に控えた男にしては感情に乏しい。
 さらに面紙(つらがみ)をつけていなかった。
 恐怖を紛らわせるため、普通斬首の場合罪人は白い紙を顔面に被せられるものだ。
 もちろん罪人が拒否すればつけなくてもよいのだが、そういうことは稀(まれ)であったゆえに、
「面紙は要らぬのか?」
 と山首佐治衛門はあえて尋ねたのであるが、
「面紙をつけて死ぬ武士とは笑止ではござらぬか?」
 と逆に問いただされた。
「士分とは! なにゆえに?」
 こうした罪人はほとんどが町人か農民である。
 侍がこうして斬首されるのは、よほどの失態を犯したと考えられる。
 武士として切腹も許されぬような。
 髷(まげ)の形状から、あるいはそうかもしれぬ、と感じつつも、山首佐治衛門にして、さすがにたじろいだ。
「死ぬ前に少々話を聞いていただければありがたいが」
 罪人はじっと雨空を見つめて言い、
「長くならぬならば、さしつかえないかと」
 その瞬間を待つばかりの多くの視線を全身に感じながら佐治衛門は、せめてもの慈悲として、傾聴することに決めた。
「それがし、正室(殿の本妻)乙姫様の祐筆役(書き物をする係)を務めておりました。が、北の方(正室に同じ)様と懇(ねんご)ろになりて発覚、殿のご勘気をかい、このような有様に。お笑いくだされ」
「殿の?」
 佐治衛門の脳裏に、御つきの者達とともに、先月城を出てゆく乙姫の沈んだ姿が思い出されていた。
 殿に離縁された、とのもっぱらの噂であったが、公に口にするのは無論憚(はばか)られている。
 もし、この元祐筆役の証言が真実ならば、やはり離縁されたのであろう、と心の中で頷く佐治衛門。
「それは表向きのこと」
 ところが罪人はかすかに自嘲気味に笑ったようだった。
 いや、確かに笑った。
「なに?」
「真を申せば、それがし、はめられたのでござる」
「はめられたとは?」
「殿は乙姫様をこれっぽっちも愛してはおられなかった」
「なぜ、その方にそのようなことがわかる?」
「だてに祐筆役を務めてはおらぬ。乙姫様の書状は、ほとんどが殿に対する恋文」
「恋文? しかし、乙姫様は殿に直接伝えればよかったのではござらぬか? なにゆえわざわざ文にしたためる必要があろうか?」
「殿が疎ましく思われていたからだ。会ってくださらぬのよ。抱いてくださらぬのよ。こう言ってはなんだが、姫様のご器量はひいき目に見てもかんばしからず」
 確かに乙姫は美しいとは程遠い容姿であった。
 佐治衛門が言葉をつむげないでいると、かまわずに罪人は続ける。
「毎夜毎夜側室(妻でない愛人)のもとへ通う殿を見てお涙にくれる乙姫様に、わしの心が傾いたのは紛れもない事実。だが、断じて姫様に指一本触れてはおらぬ」
「なれば、その方が罰せられたのは?」
「言うただろう、はめられたと。殿は前々から醜い乙姫様をお里に帰したくてたまらなかったのじゃ。ところが不義密通とあらば離縁の条件としてこれ以上のものはない」
 昔の結婚は式まで相手の顔を見ない、知らない事が多かったから、こういう悲劇も生まれたであろう。
「し、しかし、その方が真に指一本触れておらぬと言うならば。疑いだけで誰がその方を死罪にできる?」
「あれは、弥生三月、わしの、明日が非番という、ある肌寒い夜じゃった。同輩に酒をすすめられるまま浴びるほど飲んだと思え」
「それで?」
「明日が休みという心の緩みがあって、わしは泥の様に酔った」
「すると?」
「酔ったはいいが、起きたところは北の方様の寝室。しかも、わしはふんどし姿で寝ておったのだとよ」
「北の方様はなんと?」
「姫様がなんと言われようが、もう時すでに遅し。わしは武士らしく切腹もさせてもらえず斬首と評定された。それが全てだ。お主が信じようが信じまいが勝手」
 それっきり罪人はむっつりと口を閉ざしてしまい、両目を深く閉じた。
 佐治衛門はこれまでに何百という首を刎ねてきたが、死に際に嘘と思われる事を言って死んでいった人間を知らない。
 もしそうなら、この元祐筆役が真実を吐露していたのならば、自分は罪なき人をこれから殺さねばならないことになる、と佐治衛門は、これならば雨に濡れていたほうがましだという、嫌な汗でびっしょりと背中を湿らせている。
「あのぅ、もし、そろそろ」
 両側から非人二人が罪人の肩を押さえにかかっている。
「無用だ。離せ。窮屈でかなわぬ」
 罪人はそう物言いし、佐治衛門もそのようにさせるために、非人に目で伝えた。
「へぇ、それなら、控えておりますんで」
 非人が罪人から離れる。
 佐治衛門の右手が緩やかに天を目指し、そして構えられた。
 そして罪人は首をはねられやすいように、ちょいと首を下におろした。
「やあっ!」
 刹那、白刃が舞う。
 首がぶんと飛ぶ、       はずであった。
 ところが皮一枚残して、刀は罪人の首を刎ねきれなかったのだ。
 それで首はだらりと持ち主の胸元に垂れた。
「ややっ!」
「これは?」
 誰もが、山首佐治衛門が切り損じしたのだと疑わなかった。
 ところが佐治衛門、次に刀に懐紙をくるくると巻きつけると、死体の背後から罪人の左脇腹にそれを突き立てて、一気に右に切り裂いたのである。
「乱心したか!」
 見物していた藩主が眉を吊り上げて怒る。
「殿、これは切腹でござるぅう!」
 対して山首佐治衛門も噛み付くが如くに怒鳴る。
 それはもう領主にするものではなかった。
「せっぷくでござるぅっ……」
 佐治衛門の言葉はもう涙声になっている。
 武士の切腹は介錯人が皮一枚残して切るのが正式な作法である。
 つまり佐治衛門、これが武士の最期である、と訴えているのである。
 殿が元祐筆役を欺いたのはそれはそれとして、なぜ武士として死なせてやらぬのか、なる抗議であったのだ。
 いかなる理由があるにせよ、家臣たる者は殿の為に死ぬのが務め。
 なればよし。
 死ぬのはよし。
 だが、なぜ武士としての権利をも剥奪するのか、と佐治衛門は泣いたのだった。
「余は不興じゃ。山首佐治衛門、その方、おのれの不始末を隠すために、わざわざこのような芝居じみたことを。しくじったのならば、しくじった、と何故素直に言わぬ? もうよい。おって沙汰を待て。それまで謹慎しておれ。ばか者」
 藩主はそう申し述べるとさっさと刑場を退がっていった。
「さすがに片手では切れまいよなぁ」
「ああ、がっかりだぜぇ」
 野次馬達も一人二人、三々五々と帰ってゆく。
 佐治衛門は泥に顔を突っ伏して雨中で泣き崩れたまま。
 と思いきや、右手に握ってあった刀を自らの腹に突き立てようと起き上がったのである。
「あ」
「おっと」
 まわりにいた非人にその行動を止めるだけの余裕はなかったようだ。
 だが、
「死ぬのはいかんぞ、佐治衛門」
 宙に泳いだ右手首を掴んでいるのは町奉行七曲甲斐。
「お奉行……」
「殿は沙汰を待てと申された。死ねとは申されておらん」
「それがし、殿にご意見申し上げた事を悔いて死ぬのではございませぬ」
「ではなにゆえか?」
「この元祐筆役を、無実と知りながら殺めた罪ゆえに」
「いや、この男は、おぬしを恨んではおらんぞ」
「どうしてそれがおわかりになるのですか? きっと、それがしを恨んで死んでいったに相違ない」
「ほれ、これを見よ」
 七曲甲斐は罪人の首を両手で支え起こすと、佐治衛門に向き直すのであった。
「おお」
 半目開きの、それは実に穏やかな、優しき表情であった。
 いつのまにか雨があがり陽がさして、町奉行の肩越しに虹がかかっている。
「よう武士らしく死なせてくれた、礼を申しておるぞ、この首。はっはっは」
「南無阿弥陀仏」
 山首佐治衛門は我知らず両手を合わせて拝む。
 その首が文字通り仏様に思えてならなかったのである。

 さてその後の事を語っておく必要が少なからずあろう。
 実は山首佐治衛門、一週間の閉門の後城の使者から評定の結果を知らされるのだが、今後とも同心としての役儀をまっとうせよ、これだけであった。
 すなわち、お咎めなしである。
 なぜそのような仕儀となったのか?
 実は彼が謹慎している間に江戸幕府より、或る申し出が犬林藩になされたのだが、その内容は、江戸で有名な公儀御様御用(こうぎおためしごよう)山田朝右衛門と山首佐治衛門とで試し切り勝負を行いたい、というものであった。
 当然断るという選択肢は弱小藩にはない。
 江戸時代に取り潰された藩は百とも二百とも。
 些細な理由で取り潰された藩も枚挙に暇(いとま)がない。
 それで犬林藩は山首佐治衛門の罪を許し、あまつさえ、山田朝右衛門に勝利したあかつきには、百石の加増を約束した。
 同心の禄は年間三十俵ほど。
 百石とはまさに破格の報酬である。
 だが山首佐治衛門その条件を受けない。
 どころか、さっさと剃髪(ていはつ)して出家してしまったのであるから藩主佐橋綱元も顔面蒼白。
 僧侶が殺生などできるわけがないからだ。
 それから犬林藩がどうなったのかは語るも愚か。
 事あれば歌を作りたがる民草たちは、やはり面白がってこしらえた。

  ひときりめいじん さじえもんさんよぉ~
  さてもみごとなうでまえよぉ~
  かたなをふるうこともなくぅ
  とのさまのくびを きってすてたぁ~
  とのさまのくびを きってすてたぁ~

                   了

ごめん

 ごめん、とは謝罪とお役御免の掛けことばです。

ごめん

首切り役人の話ですが、ホラー的描写はありませんので、どなたでも読んでいただけます。

  • 小説
  • 短編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-01-22

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