拷問屋の華

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 やぁ、どうも、お目覚めですね、初めまして、どうもどうも。

(混濁していた意識が、男の明朗な声によって突然鮮明になった。薄暗く埃っぽい、如何にも不穏なコンクリート造りの部屋、そしてそれに到底似つかない軽い口調で話す、チェック柄のスーツを着込みスーツケースを小脇に携えた優男。)
(訳がわからなかった。その両方に俺は見覚えがない。)

 あ、すごい顔してますね〜。分かりますよ、今の貴方の気持ち。
 浅い呼吸、落ち着かない視線、血の気の引いた青い顔……まぁ、当たり前ですよね、そりゃそうだ……びっくり、しますよね。私だって貴方の立場なら本当、びっくり仰天、ひっくり返っちゃいますもの。でも参りましたね。ひっくり返りすらできませんものね。下手に動こうとしても辛いだけですよ。

(俺は完全に拘束されていた。手足を枷で椅子にがっちりと固定され、身動きひとつできない。事態を呑み込んだ俺はおもわず叫んだ、しかし猿轡を咬まされた口から漏れたのはくぐもった呻き声だけで、優男は相変わらずにこやかにこちらを俯瞰していた。)
(畜生、畜生畜生畜生、なんなんだこれは。頭が追いつかねぇ、馬鹿馬鹿しい、こんなのあるはずがない。)
(現状を否定しようともがくたび、拘束具が大きく鳴る音が部屋に響き渡る。皮膚が枷に擦れてひりひりと痛み出す。)
(どうしようもなく、現実だ。)

 意味わかんないですよね?
 というかまず記憶あります?ゆっくり思い出してみてください、もう薬のほうは大分抜けてる頃です……思い出してと言っても勿論、貴方が豆粒だった頃からじゃなくて結構ですよ。昨晩のことです。あぁ、その様子だとちゃんと覚えてるようですね。良かった、比較的理性的な人で。
 襲われたんじゃないですか?後ろからガツンと一撃をもらったとか。やっぱり。手荒そうでしたし……あぁ、昨晩については私は貴方には何もしていませんよ。それは私の仕事じゃないんで。

(確かに俺は昨日、突然背後から鉄パイプのようなものでぶん殴られて意識を失った。今も後頭部が熱を帯びて痛む。)
(それもどうせこいつの仕業だ、と勝手に合点していた俺は、男の言葉に少なからず困惑する。お前じゃなければ誰がこんなことをするんだ、そもそもお前は一体何者なんだ。)
(視線で訴えたのを汲み取ったのか、男はにこりと笑って語った。)

 私はね、ただの雇われなんですよ。だからよく内部事情については知らなくて、知っていることといえばせいぜい貴方がマフィアの片棒を背負ってるってくらいです。後のことは何にも知りません。貴方の性格、出自、血縁、人脈、何一つ教えられてすらいないんですよ。でもそれでいいんです。人間ってほら、他人のことを知りすぎても邪魔になることって結構多いでしょう?
 カミュは知ってますよね?太陽が眩しいだけで人は人を殺せるのか、なんて、凡人には到底想像もつきませんし、共感も出来ませんよね。でも私は思うんですよ、太陽が本当に眩しかったらきっと、人は真っ暗な影にしか見えないでしょう。だから人が人を一番簡単に殺せる天気はやっぱり晴れなんです。共感できますよね。つまりそういうことなんです。

(べらべらと意味のわからないことを喋りながら、男はおもむろにスーツケースを開いた。中身はよく見えないが、ガチャガチャと金属類が雑多にぶつかり合う音に悪寒が走る。)
(よせ、やめろ、何する気だお前、ふざけんな……ぶつけたい言葉は山ほどあるのに、何一つ形にはならない。)

 ま、私は小説みたいに人を殺すなんてのは無理ですけどね……人殺したことあります?絶対後味悪いですよね。殺すことに関して共感はできますが共犯にはなれませんよそりゃそうだ。私はマフィアでもないし。ひょっとしたら貴方の方が殺しには詳しいかもしれませんね?

(喋りながらも男はスーツケースの中をかき回していた。かき回して、しばらくして、顔を上げる。)
(俺と目が合った瞬間、その真っ暗な瞳は満足気に細まった。)

 いい顔ですね。

(顔?俺の、顔?)
(言われて初めて気付く。鏡を見るまでもなく俺は、人生で晒したことがないような惨めったらしい表情をしていた。猿轡で塞がれた口からは涎を垂らしまくり、必死に呼吸を繰り返して鼻穴を膨らましている。)
(何よりも、恐怖。俺の両の目玉が、俺の恐怖をそのままに映し出しているだろう。)

 そんな感じにしてもらえると、仕事が捗ります。じゃあまぁ、大体何にするか決めたので早速始めますね。

(男がスーツケースから取り出したものを見て、嫌な予感が全身を駆けずり回る。)
(ありったけの力で暴れても、拘束具はびくともしない。)
(先端が少し錆びたハンマーを持って、男がゆっくりと近づいて、)

 ベタですがシンプルで手始めにはちょうどいいんですよ。こんな感じで左手の小指から順番に潰していきます。簡単です。……話聞いてますか?ピアニストじゃあるまいしそんなに悲しむことありませんよ。平たく言えばそうですね、これ以上僕に仕事をしてほしくないって少しでも思うのであれば、知ってることを洗いざらい話してほしいってことです。
 何についてかは、心当たりありますよね。……ご名答、ヤン・ホージュン氏の居場所ですよ。話によると貴方の所属している組で、彼を匿っているらしいじゃないですか。私の雇い主が彼に会いたがってるんですよ。出来ればこの時点で彼について何かしら喋ってくれると楽なんですが……お互いにね。

(激痛、激痛、激痛、激痛、激痛)
(拷問が始まっても男の軽快な様子は微塵も揺らがなかった。左手の人差し指が見るも無残に血を吹いて変形するを、俺は、俺は)
(離せ、やめろ、これ以上は、これ以上は、)
(男が金槌を振り下ろすのを、視線だけが虚しく追う。)

 さて、左手が済みましたので右手に移行します。何か話したいことはありますか?

(男は一旦手を止めて、俺の方をじっと観察するように見つめてきた。)
(この野郎、ぶっ殺してやる、絶対に殺してやる、殺してやる、殺してやる、殺してや)

 駄目ですね!まだ駄目!もう少し時間がかかりそうです。右手は趣向を変えて鋏を使いましょう。これはとりあえずしまいますね。

(鋏を使う、という言葉に冷や汗がどっと出たのがわかった。溢れんばかりの殺意はみるみるうちに収束し、代わりにまた、俺の脳内を恐怖が支配する。)

 小指と薬指あたりまではうまく断切できるんですが、そこからがちょっと難しい。関節の形が厄介なんで、何回かに分けないとちゃんと切れないんですよ。本当はぱちんと一回で切れれば楽なんですがね。親指が大変で、骨に刃を擦り付けるようにゴリゴリとやってしまわないと全然駄目で……どうしました?まさか本当にピアニストだったりしますか?そりゃあ残念だ、貴方のラフマニノフが聴けなくなるなんて酷い話じゃありませんか。

(切れた瞬間は、何も感じなかった。)
(ヒュッと、喉がなる。)

 身体の一部が断切されるなんて衝撃的すぎる経験ですよね。こんな訳のわからない部屋に閉じ込められて、抵抗もできないまま痛ぶられて、もう逃げ出したいんですよね。
 一方で、貴方には逃げ出さない理由もある。ヤン氏の情報をここで吐いてしまえば、もう組織にはいられませんものね。まさに板挾みというやつです、貴方の葛藤もよくよく分かります。
 でもね。そろそろ理解しても良い頃合いですよ、エドワードさん。

(名前を、呼ばれた。)

 白状する以外、選択肢はないんですね。
 先程も言った通り、私は人殺しではないんです。延々と貴方が白状してくれるまでこういうことを続けます。貴方が何年黙りしててもやり続けます。細胞という細胞が私に服従するまで、あらゆる手段で貴方を甚振ります。最終的な決定事項があるんですよ、貴方が自白するという。ゴールは絶対です。
 それを踏まえた上でもう一度お聞きしますね。
 ヤン氏は今、どこにいる?

(猿轡が外された。半開きの口が、少し震える。)
(感覚が、ばらばらになっていく。既にぼんやり靄のかかった視界。男は薄く笑みを浮かべていた。)

拷問屋の華

拷問屋の華

裏社会で拷問を主に引き受ける仕事をしている男の話。中編。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-01-21

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