車輪

車輪

少年は思うのだ。頭上に大きな車輪があると。鉄柵で不器用に作られた車輪に、今にもちぎれそうな干からびたゴム、錆びて、耳障りな音を立てて廻っている。
少年は思うのだ。
これは自分に課せられた運命というやつか、はたまた、神という者の嫌がらせか、と。
少年は想いを馳せる。
車輪のこの動きが、自分の運命の速度なのかと。
少年は願うのだ。
どうかこの耳障りな音を、止めてくれと。

ヘルマンヘッセ著の「車輪の下」という小説をご存知だろうか?
長くなる故、ここでのその書物の話は控えておくことにしよう。
はてさて、少年はまさに、そのヘッセの「車輪の下」を読み、自分の頭上にある運命という車輪を見たのである。
そして思った。「運命とは、こんなにも汚く、耳障りなのか」と。そして少し寂しくもなった。
子というものは、世のことわりから、父と母である男女から生を授かり、この世に生まれ落ちてくる。生まれ落ちるという表現はまさにその通りであり、彼は産まれながらにして迷子であり、まさに産み「落とされた」のである。
父と母の顔を知らず、10歳になった今日でさえ知らない。写真もなければ、名前も知らない。
少年は産まれながらにして1人であった。

10歳になった日。彼が暮らす施設のシスターに、ある2冊の本を貰った。
それはいわば子供ならば誰もが楽しみにするであろう、1年に1回の誕生日プレゼントである。
学校の友達は、今流行りのケータイゲームやカードゲーム、全て「ゲーム」と名のつく物を貰い、学校に持ってきては、「いいだろう」と自慢する。ゲームという物はいわば娯楽であり、今を生きる少年少女の憧れの的だ。高価なものではあるが、大人の求める宝石やブランド物のバッグよりは安い。ある程度の子供は親から与えられていた。
少年はそれらを与えられる立場にあらず、でももし仮に、それらを与えられていたとして、施設というものを知るものは少なく、そこは弱肉強食の世界であり、10歳の少年にとっては日々地獄である。手に持つものは全て奪われ、守ろうとすれば、それもまた地獄を見た。
そしてそんな状況下にいる事を知っていて助けぬシスターは、誰も欲しがらないであろう2冊の書物の、少年に与えたのだ。
「 旧約聖書」と「車輪の下」。
なぜこの組み合わせになったのか、理解に苦しむが、なんとなくわかるような気もする。シスターもあまり考えていなかったのだ。何を与えたらいいものか考えた結果、目の前にあった本棚でもっとも埃を被っていた2冊を選んだのだ。きっとそこに深い理由はなかったのだろう。かくして、その2冊の本が少年の手に渡り、シスターも予想しなかったであろう速さで少年はその2冊を読み終えた。
そして見たのである。
少年の頭上にあの錆びて、嫌な音を立てる車輪を。
少年は10歳にして、自分の運命を知ってしまった。
知ったからといってなんてこともない。運命など変えることはできない。漫画やアニメに登場するスーパーヒーローでもあるまいし、自分の運命を変える努力をしようなどと、ましてや、少年はまだ10歳である。運命を変えることが可能なのかすら考えず、ただ見ていたのだ。その車輪を。これが自分の運命か、と。
あとは身を任せるだけであり、少年は10歳にして自ら命を絶った。それが少年の運命であり、少年はその錆びついて嫌な音をたてる車輪の下にいたのだ。誰が変えられよう。不可能なのだ。少年が自ら燃える火に水をかけたのは運命であり、はたまた車輪の下だったのだから。

車輪

車輪

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-01-21

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