文字は生きている

私の考え。

 文字は息をしている。私達は普段生きている言葉を使って色々なモノを表現している。しかし、使い方を失敗してしまうと言葉の感情を殺してしまい、やがて息をしないようになる。言葉を生き物として扱うべきだと思う。
その言葉の性格によって、使い別ける方が、言葉が生き生きする。

 しかし、すでに死んでしまった言葉もある。
それはあまりにも使い古してしまって、もう寿命がきた言葉だ。「楽しい」「悲しい」などはもう死んでしまった。使われすぎて言葉にインパクトが無くなってしまい、存在が薄くなってしまったのだ。「楽しい」を意味するまた別の言い方を考えるべきだと思う。


 普段の生活にはありふれた言葉が並んでいる。なんの刺激もない。それに気をとめない人もいる。「普通」に慣れてしまったら、考えることを止めてしまうので新しい発見も無い。つまりなんの刺激もない。これは「異状」なんだと常に考える方が、「普通」を求めようとして、色々考えるので刺激がある生活になる。刺激は人間に必要なモノだと思う。刺激がないとつまらない人生になってしまうのではないかと思う。常に考えることを止めたくない。いや、誰も私の思考を止めることはできない。“考え”は自由なのだ。


 常識が嫌いだ。すでに答えが決まっている様なもので、違う考えが出ると、「こいつは変な人」と決めつけられるからだ。これは常識的に考えて~だ。そういう考えが嫌いだ。ただ、常識に自分の考えを殺されているだけなんだと思う。それか、常識という言葉に翻弄されて考えることを止めてしまったのかもしれない。常識が生ぬるい世界を造っているのかもしれない。しかし、理性は大切だと思う。「常識」ではなくて、「自分の中の一本の筋」というのが大切で、自分の中の考えを決して折ってはいけないと思う。各々が自分の正しいと思ったことを行動すればいいのではないのだろうか。


 人間はどこか冷たい。表面は暖かいが心の
芯はどこか冷たいものだ。切り捨ててモノを考える。「仕方のないことだ」と考え切り捨ててしまう。考えても意味のないことは確かに沢山あるが、考える事によってそのモノが救われる気がする。いや、救われる気がするのであって、本当は救われていないのかもしれないが… 考えを詰めていくとどこまでも続いていく。地球一周は余裕で出来そうだ。


 ブラックホールに吸い込まれるとどうなるのだろうか。月の裏側は一体どんなのだろう?人間が蟻より弱い生物だったら何を思っていたのだろうか。私はこういう答えの無い事を考えるのが好きだ。たとえ、この問題に答えがあったとしても、私は知りたくない。謎は謎のままであるから魅力的なのだ。知ることも大切だけど知らないことの方がもっと魅力的に感じる。答えの無い問題集が欲しい。答えが自分なりに出ても、それは自分の中に秘めておいて、他の人には教えない方が良い。
その人の想像を私が奪うことがあってはならないと思う。


 人の気持ちは分からない方がいい。人の気持ちが分かってしまうと私には不都合なことが多いからだ。思いやりは大切だが、思いやりすぎると、うるさくなってくる。とても五月蝿いのだ。だから人の気持ちは分からない方がいい。

文字は生きている

文字は生きている

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-01-20

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